◆昨日の映画のもうひとつは「ディミクリトスと闘士」であった。シネマスコープの画面いっぱいに繰り広げる大スペクタクル映画で、紀元2世紀のローマの大絵巻。
皇帝ー神と考えるーが始終わめきたてるのに、すべての人々が反感を持ちながら、目と耳との間にいるやかましいものをなかなか取りつぶせない。人の心が通じないとかくも惨めなのだ。一対一で皇帝と腕力で戦っても決して引けをとるものは1人もいないはずなのに。
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◆映画から帰る途中で書店で「夜と霧」の写真を見た。
写真であれば真実と信じなければならぬ現代人にとってあまりにも痛ましく胸をつぶす写真であった。
ヒトラーのユダヤ人排斥のむごたらしいさ。ユダヤ人なるがゆえ、なぜにかくも悲しく、惨めな運命を背負わなければならなかったのか。その一葉一葉毎に見る人に戦争の呪われるべきを語り、人とは何か、人道とはいかなるものぞ、と問い詰めてくる。エルサレムのゴルゴタの丘で処刑されたユダヤ人の教えが全世界に広まっている20世紀に同じユダヤ人が定めの地なくさまよい、悲惨極まりない運命を強いられているのを見るとき、世の道を説く人は、世人は、いったい何を道と教え、何を考えるのだろうか。世界史で負うたユダヤ人の罪を今もって単純に罪とし、彼らを排斥しようとするキリスト教徒ヨーロッパ人の考え方が理解できない。
現在のわれわれに背負わされた運命だったとしたら、われわれはいかに行動しただろう。いや行動を許されぬのが背負わされた運命なのであるが。周囲に張り巡らされた300ボルトの電線と、科学的なガス室と、飢えが彼らを死に至らしめる。白昼下全裸の婦女子がドイツ兵凝視の下で走らねばならなかった辱しめが、全裸の男婦女子を一室に詰め込んで2時間4分全世界にいる誰ひとりとして想像もできない心理に彼らを至らせ、便と汗と月経の血で汚れた死んだ彼らの肛門を膣を開けて宝石を探すドイツ兵の血も涙もない鉄血の下にその運命を横たえねばならなかった汚辱として高じるのである。
まだ本文を全然読んでいないから何をかいわんやであるが、この憤りを憤りとしてを終わらせることなく平和愛好者、人種差別排除者として私が成長する一助としたい。
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○その女は便所へ行くときは戸を閉めない。しかし風呂に入るとき閉めるのを忘れたことはない。
○ある女は19にして弟に母親じみた注意をするようになった。しかも母親そっくりの声と語調で。
○16の彼女は文学書を盛んに読む。『太陽の季節』はたいしたことはないという。
彼女は石川啄木を愛し、谷崎は分からないのだそうだ。
彼女はつかみどころないようなぼさっとした珍しい女で、誇り高き男生徒を捕まえて「かわいらしい」と評した。 |