日記の部屋1956(05)/Diary1956(05)

(1956/11/9〜1956/11/15)

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2000/8/10 
1956.11.9  Friday ◆大抵の人は髪を伸ばしているが、それが著しく人の感じを変える。
その人の髪形を眺めながら丸坊主になったときの容貌を想像してみると、常日頃感じが悪いなぁと思っていた人の容貌がそこに現れることがある。そこで今さらながら人を見ることの難しさを感じる。まさに内面的なカムフラージュの下が全然見通すことのできない者に、人の心理性格がつかめようかと思いたくなる。
女がみんな丸坊主になったらどんなだろうか。
1956.11.10 Saturday ◆「文無し横丁の人々」
たいした筋のある映画でもないがヒューマニズム感があふれている。マリリン・モンローによく似た女優が出ていたが、口のあたりが振れておかしかった。

トムを演じた子役は、なかなか愛きょうのある名演技を見せてくれた。

プロレスでは定石通りの勝利にしたが少し変だ。

それにしても、すべての人が見られて心暖まる映画は映画人は作らないものだが、その異例の一作というところか。良い映画だった。

ロンドンの下町の様子が興味をそそる。すべての人々が思うままに行動し話をする。美しい彩り。

下町に残る言い伝えか、少年の一角獣に寄せる純真な信頼は子供時代への思い出をとつながり心を悲しませる。

プロレスがイギリスにあんなに溶け込んでいるとはちょっとばかりふに落ちかれた。地元出身者への激しい声援はいずこも変わらぬこと。プロレスの試合の場面が相当あるが、なかなか旨い撮り方で不自然さが目立たない。プロレスファンとっては思わぬプレゼントといったところ。

1956.11.11 Sunday ◆昨日の映画のもうひとつは「ディミクリトスと闘士」であった。シネマスコープの画面いっぱいに繰り広げる大スペクタクル映画で、紀元2世紀のローマの大絵巻。
皇帝ー神と考えるーが始終わめきたてるのに、すべての人々が反感を持ちながら、目と耳との間にいるやかましいものをなかなか取りつぶせない。人の心が通じないとかくも惨めなのだ。一対一で皇帝と腕力で戦っても決して引けをとるものは1人もいないはずなのに。

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◆映画から帰る途中で書店で「夜と霧」の写真を見た。

写真であれば真実と信じなければならぬ現代人にとってあまりにも痛ましく胸をつぶす写真であった。

ヒトラーのユダヤ人排斥のむごたらしいさ。ユダヤ人なるがゆえ、なぜにかくも悲しく、惨めな運命を背負わなければならなかったのか。その一葉一葉毎に見る人に戦争の呪われるべきを語り、人とは何か、人道とはいかなるものぞ、と問い詰めてくる。エルサレムのゴルゴタの丘で処刑されたユダヤ人の教えが全世界に広まっている20世紀に同じユダヤ人が定めの地なくさまよい、悲惨極まりない運命を強いられているのを見るとき、世の道を説く人は、世人は、いったい何を道と教え、何を考えるのだろうか。世界史で負うたユダヤ人の罪を今もって単純に罪とし、彼らを排斥しようとするキリスト教徒ヨーロッパ人の考え方が理解できない。

現在のわれわれに背負わされた運命だったとしたら、われわれはいかに行動しただろう。いや行動を許されぬのが背負わされた運命なのであるが。周囲に張り巡らされた300ボルトの電線と、科学的なガス室と、飢えが彼らを死に至らしめる。白昼下全裸の婦女子がドイツ兵凝視の下で走らねばならなかった辱しめが、全裸の男婦女子を一室に詰め込んで2時間4分全世界にいる誰ひとりとして想像もできない心理に彼らを至らせ、便と汗と月経の血で汚れた死んだ彼らの肛門を膣を開けて宝石を探すドイツ兵の血も涙もない鉄血の下にその運命を横たえねばならなかった汚辱として高じるのである。

まだ本文を全然読んでいないから何をかいわんやであるが、この憤りを憤りとしてを終わらせることなく平和愛好者、人種差別排除者として私が成長する一助としたい。
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○その女は便所へ行くときは戸を閉めない。しかし風呂に入るとき閉めるのを忘れたことはない。

○ある女は19にして弟に母親じみた注意をするようになった。しかも母親そっくりの声と語調で。

○16の彼女は文学書を盛んに読む。『太陽の季節』はたいしたことはないという。

彼女は石川啄木を愛し、谷崎は分からないのだそうだ。

彼女はつかみどころないようなぼさっとした珍しい女で、誇り高き男生徒を捕まえて「かわいらしい」と評した。

1965.11.12 Monday ◆私の回りのすべてものが、10年後にはあるべからざるところにある。しかしそこに不自然さを見いだすことはできない。100年後にはあるべからざる人間が、食いわめき戦っている現在に人間の存在を不自然といいうる哲学者を見いだし得ないのと同様に。

◆この染み込んでくる寒さに冬を感じないわけにはいかない。私を着物の上からを覆っている寒さが、やがて4枚目と3枚目に入り込み3枚目となり2枚目と1枚目の間に入りこんでついには1枚目となり、私の体をじかに覆う。私は背中に寒さの素を背負ったようでぞくぞくふるえる。それでも寒さのやつは私にくっついて離れない。

1956.11.13 Tuesday ◆日本語の欠点でもあり弱点でもあろうが、あまりに文の形が多過ぎるということである。文はいくらでも続けることができるし、また文法的な間違いがあっても意味はおもしろいほどよく通じる。ある先生が朝礼の時「今日はホームルームを行われます。」といっても生徒にはその意味がわかるのである。枕草子の主語と述語を略した独特の文章も日本語ならではの名文なのである。
日本語の中に必ず主語と述語を書き、文の形をある程度はっきりさせたら驚くほど文の妙味は減じ驚くほどわかりやすい文になって日本人の感覚があまり過ぎることになろう。やはり古文にしろ日本人が書いた文章である限り感覚的に一致する点を多く発見するのである。

◆世界中が善人だけだったとしたら非常に楽しいところとなろう。だが悪人のいない社会ほど面白みのないところもあるまい。
人は善人である限りにおいてかたわなのである。
し皮肉のない人間くらいつまらないものはない。皮肉は神が人間に与えた特性の中で五番目をくだらないところに存在するものである。
皮肉ほど面白いものはなく、文化が進めば進むほど高度化してよいものだ。皮肉を言う者のへそがみんな曲がっているとしたら人間のへそが曲がっている方が正常のものでなければならない。

◆私がその人に抱いているイメージに反発し合う性質を発見して、おや、こんなことをする人だったのか、と少し残念に思うことがある。思わずやったことに自分以下の私を見いだして赤面しながらおれはこういう奴なんだとその動作を続けることがある。
見る立場と見られる立場。

◆欠点はだれが見ても目につきやすい。しかし長所が目につきやすくなった目の持ち主は人物ができている。

1956.11.14 Wednesday   ◆塩田先生は、これが教育というのではないかと私が思うような教育をなさる先生で敬うべき人である。
 その先生が僕たちをつかまえて動物扱いをなさる。
 我々はまだ人間ではないとのこと。、教育を受ける目的が自分の未熟を知って人を深く養うところにあるのだから、未熟がまだ動物的段階にあってもおかしくない。ほんとうに我とわが身を振り返ってみて妥当である。
人間となるにはフロイトとマルクスを読まねばならず、低級なものに笑い動物的行動をする私たちは笑いの対象たるに面白いほど裸である。
 フロイト、マルクスは耳にすることはあっても、読もうとするまでに至らなかった私はやはり動物的行動しかとれない一人いや一匹である。動物から真の人間になるに遅すぎることもあるまいから、まずはその必要最低限の本を読むことにしよう。

◆日本には恋愛小説はないと臼井吉見氏がおっしゃったとのこと。そしてまた一番優れた恋愛場面は志賀直哉の「暗夜行路」の中の時任謙作と直子が、ある湖畔を半歩離れて歩くところだという。
 私は今日図書館から”恋愛教科書”を借りてきた。

1956.11.15 Thursday ◆人はいえてして目前の目的にのみ忠実である。遠大な目標はすでに夢の世界にあって忠実さが届かないと考えるである。
 明日試験があると聞けば勉強していく私が来来春の大学の入学試験に対してどれほど忠実だろうか。大学入試に留まらず、目的を人生の目的とするとき、現在の私はどれほどの努力をそれに注いでいるだろうか。偉人で、最終目的に忠実でなかった例しはない。
  ◆人はそれが良いことだろうと悪いことだろうとできるだけ早く手に入ることで満足する。
  ◆恋愛はあくまで精神的なものでなければならない。肉体的なものよりもはるかに楽しく長続きするものだから。所 詮恋愛は精神的なものを指すのである。
 ◆ 私がもし神が人間に与えた言葉に対してもっと敬虔であって新しい見知らぬ単語の前で黙祷することを忘れなかったならば神は私により言葉の恩沢をお与えになられたことであろうに。
◆お前は何のために生きているのかと尋ねられて答えることのできぬ人のなんと多いことか。しかし、もし答えることのできる人がいればその人は奇跡を行ったのだ。
◆日展 で女の裸身像に下品ないたずらがされていたそうだ。11月6日に書いたことを裏書きする事件。

◆ナチに残虐なことをされたユダヤ人についての本が河出書房から出ている。痛ましきダニエラとかいう本で今日の新聞広告を見ただけだが、その広告に曰わく、”私は性器を奪われた!生体実験!人工性器!このナチの残虐!「どうぞ涙を、涙の一滴でも」。美しく白く若い肉体から性器を摘出された上に、兵隊たちの淫欲処理のための器具とされた売春キャンプの少女達。ナチの残虐を扱って、「これほど凄惨をきわめた文学はない」とニューヨーク・ タイムズは伝えている”と。
 この広告を見てはたしてどういった階層のどういった人々が、どういった興味をおぼえてこの本も購読する気になるのだろうか。そういったことを調べるのも面白いだろう。
   ここに性腺を刺激されて読みたいと思った人の一団があったとする。この広告がそれを狙ったわけだから広告の目的下におかれた人達である。
  評論家はまず事務だ と言って読みはじめる。
     学者は自分の貫禄が減ると思って見合わせる。
    先生はナチについての興味からだといわんばかりに。
     女史と敬称のつく女性は同性の受難を知るためにと言って。
      そして他の多くの人々は純粋なそのままの感情で。

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