日記の部屋



1964-2

(1964.4.26〜1965.1.2)

 

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1964-1
1964-2


筆者、24歳当時の「MyDiary1964(April26.1964- January 2,1965 」の連載を始めます(2005年2月15日)
日記の部屋1964-2(index
/Diary1964-2(index)

ここには、「MyDiary1964(Apl.26,1964-January 2.1965 」を掲載しております。

(2005/2/15~ )。

日付indexへ
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日 付index

1964年4月










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2
3

5
6

8

10
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18
19/19-2
あとがき



これまで日記1964-1



これから
新日記1964-2
26
27




掲載日1日、2日、3日…2005.2.3
5,6日……2005.2.8
8,10,11,12,13日……2005.2.9
14,18,19日……2005.2.10
26、27日……2005.2.15)

1964年5月












1

3

5










16
17













31






掲載日1、3日……2005.2.15
16、17日……2005.3.4
31日……2005.3.9)

1964年6月














7
8



12

14






21













掲載日7、8日……2005.3.9
掲載日14、21……2005.4.12)

1964年7月












3
3-2








12




17

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22


25



29



掲載日3日…2005.4.12
3―2.12日…2005.4.14
17日…2005.4.15
19,22日…2005.4.25
25,29…2005.5.2)

1964年8月


















6






13

15
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19
20









掲載日6日……)

1964年9月










2

4



8




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23





29
以 下工事中
30



掲載日2日、4日……2005.7.27
掲載日8日、13日……2005.9.17
掲載日23日、29日……2005.9.25)

1964年10月











1
2


5








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掲載日1日……)

1964年11月










4

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掲載日4日…)

1964年12月
























14


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掲載日14日、)

1965年1月













2




























掲載日2日、…)  

1964年1月










1
2
3
4
5

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9


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12-2



15

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12月29日から1月7日…2004.7.26
9日から12日…2004.8.12
15日から17日…2004.9.7
22日から27日…2008.1.7)

1964年2月




























16
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21
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23

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27


(掲載日16日、17日…2005.1.10
21日から27日…2005.1.12)

1964年3月












6

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27








(掲載日6日、8日…2005.1.13
9,10,12,13日…2005.1.17
14,15日……2005.1.21
17,18,19,20……2005.1.28
22.24日……2005.2.1
25日……2005.2.2
27日……2005.2.3)

1964年4月










1
2
3

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6

8

10
11
12
13
14



18
19/19-2
あとがき





26
27




掲載日1日、2日3日…2005.2.3
5,6日……2005.2.8
8,10,11,12,13日……2005.2.9
14,18,19日……2005.2.10
26,27日……2005.2.15)


**事 項index**

雨の日曜日(4/26)
愛されるということ
(4/27)
MAY DAY
(5/1)
片岡君来訪
(5/3)

局長の話
(5/5)
就職の心構えについて(手紙)(5/16) 日曜日の早朝(5/17)
Nonkoへの手紙(5/17)

過ぎていく五月
(5/31)

虚しく過ぎゆく日々
(6/7)

愚作の映画
(6/8)

映画「ミス・アメリカ、パリを駆る」、「フランス式十戒」(6/12)

Herbst先生の送別会(6/14)
テニスの練習(6/21)
映画”春のめざめ(7/3) K.Hと久しぶりにデート

テニスの対抗戦に初出場・初勝利 BecketをKatchinと一緒に観る(7/17) K.への電話
末席事務官の会(7/22)
「星の王子さま」を読む(7/25)
テニス練習(7/25-2)
(7/29)
夏休みをとる(8/6)

岩井の休日(8/13)
終戦記念日(8/15)
女性は男性のオアシスであるべき(8/16)
久しぶりの雨(8/20)

ノンコの手紙への返事(9/2)
ルソーの「告白」を読む(9/4)
K.Hと電話(9/8)
K.Hとデート(9/13)

テニスの練習(9/23)
永遠の幸せの情景も長続き しない(9/29)













************

月日
曜日
MyDiary1964-2日記本文 事 項index
1964.4.19

1964.9.19ここまでの日記帳へ
ここまでの日記帳
1964.4.26 日曜日

1964.4.26

日曜日

〇先週も日曜日は雨だった。今日は降ったり止んだり大変おかしな天候だった。とにかく雨 のおかげで今日も洗濯する気力が殺がれてしまった。そんなわけで何をするでもなく窓の外を眺めたり寝転んだりしているうちにいつの間にか夜になった。

昼 間だと僕の部屋の窓からの眺めは美しい。空気は雨に洗われて水晶のように透き通り、それを通して新緑が眼も覚めるように鮮やかに見える。生暖かい春の風 が、戯れに新緑の木々を揺するとむせ返るような春のかおりが、さわさわと木の葉の間から匂い立ち、ここまで流れ寄ってくるのだ。

 今は目にもまぶしかった木々の緑も、家々も、すっかり夜の帳に覆われて、ただ窓々の明 るい灯がところどころに見えるだけである。時折、思い出したように春風が幾分冷たい夜気を含んでさっと部屋の中を駆け抜け、かすかに新緑の香りを残してい く。

 こんな夜には、しみじみと物思いにふけるがよい。生きることの不思議さに思いを致すの もいいだろう。自然の年毎の装いの美しさを改めて讃嘆してみても良さそうである。

  自然が美の創造にそのエネルギーの全てを傾けているようなこんな春の日々には、われわれ自身もまた自ずと何かしら美しきものへの創造へと自らを投げ出して みたいような誘惑に駆られるものなのである。はっきりとは名指しがたい胸の中のカオスの中に何かしら自分でさえ予測できない、鋭い飛翔の翼が形作られつつ あるかも知れないという予感が訪れるものなのである。

 夜に入って雨も上がったようである。春宵静かに更けていく。

 

新しい日記帳へ
雨の日曜日
1964.4.27 月曜日

1964.4.27

Was ist das Leben ohne Liebe, und was ist die Liebe ohne Leben? Ein Nichts!

 

〇誰からか愛されているということ。これほど我々の心に、豊かなほほえみをもたらすもの があるだろうか。このひそかな心のときめきを、人々はそっと大事にしまいこんで、ときおりひとりこっそりと楽しんでいるのだ。

 電車の中で、街路の上で、独りっきりでほほえんでいる人々に出会うことがたびたびあ る。それは愛されていることの幸せに、人が思わず洩らしてしまったほほえみなのである。それは見る人のくちびるに新しいほほえみを誘うほほえみである。

わ れわれの生活の中から愛が消えてしまったとしたらどうなることだろう。そこに出現するであろうあまりに殺伐たる風景―それは人間不在の風景にすぎない―に 私は耐えられそうにない。この社会の一番底に脈流すべきものは、愛であるべきだと思う。愛こそが、いや愛のみが、この世を意義あるものとし、生きることの 喜びを与えてくれるものなのである。愛のない世界は私には耐えられないように、今日のように愛が失われつつある世界も私には耐えがたい。

こ の不毛の大都会が、てんでバラバラに一日中そのエネルギーの全てを傾けてがちゃがちゃと活動すればするほど、この世から愛の世界が失われていくように思え てならないのだ。この蝕まれつくした東京の街中(マチナカ)に、どうしてバラのように美しい健康な愛が育ち得るだろうか?貧弱なみすぼらしい、そんな愛 を、貧弱でみすぼらしい恋人同士が分かち合うとき、この大都会の行く末はそれこそお先真っ暗なのではないだろうか。我々が思わず洩らすほほえみでさえも、 そんな大都会の街路上では、貧弱でみすぼらしく、それを見る人々のくちびるにも貧弱でみすぼらしいほほえみしか誘い得ないのではないだろうか。愛はここで はその本来の性向に逆らって衰弱していくものとなってしまいつつあるようである。

健康な愛のほほえみを万人に!私の心はこう叫ぶのである。

 


 

愛されるということ
1964.5.1 金曜日

1964.5.1

MAY DAY

〇あいにくの雨だった。MAY DAY その名にふさわしい陽光に輝く日であれば、われわれの心もまた華やぎ込めたこと であろうに。一日中むしろ寒いような日だった。まるで3月に逆戻りしたような感じさえした。

 

〇テープ・レコーダーをやっと買った。ソニーのT102型一般定価29.800円のもの である。16回払いの月賦だから来年の今頃もヤレヤレと思いながら払っていることになる。大変なものである。

 しかし、確かに便利ではある。主に独仏の入門講座のrecordに使っている。何回 も聞き直しができるので、今も、前田陽一教授の講義を聞きながら日記を書いている。大いに利用していきたいものである。

MAY DAY
1964.5.3 日曜日

1964.5.3

 

〇久し振りに洗濯した。久し振りに日曜日が晴れたからである。洗濯をしていたら片岡君か ら電話がかかってきた。碁打ちに来るという。彼とは先月の29日高校卒業後初めて会った。九大の法学部の修士課程を今年終えて4月から総理府事務官として 働いている。まだサラリーマンらしくないのびのびしたところがあって好感が持てた。

 三鷹駅で待ち合わせて、三鷹センターの食堂でいろんなことを話した。憲法記念日にふさ わしい話だったように思う。やはり政治的にアパシーでない友人と思い切った話ができることはとても楽しいことである。

 碁のほうは2目置かせて僕の快勝に終わった。

 その後で井の頭公園に行った。玉川上水沿いの緑の小径、上品な家並みと緑の木陰の多い 小街路等等彼も相当気に入ったようだった。

 井の頭公園も良かった。白鳥の親子が池に浮かんでいるのどかさ。折り重なり、一つ一つ 微妙に色合いの異なる新緑のかぐわしさ。

 つくづくと自然の罪深さを考えてしまう。われわれがこの世に執着を断ち切り得ないのも またむべないことではないか。これほど素晴らしい春の装いを年毎に目の当たりに見せ付けられては。

 東京にいて、これほどまでに自然を観照できるというのも大変幸せなことだと思う。これ まで何年か僕にとってこの東京はあまりに自然のない場所であった。せめて休みに故郷に帰って自然を楽しんでくるだけしかなかった。今故郷に帰るチャンスも ない僕にとって、井の頭公園の自然の息吹は何よりの慰めである。

 



片岡君来訪
1964.5.5
火曜日

1964.5.5

〇連休最後の休日である。

〇昨夜は僕にとって忘れがたい日になることだろう。―僕が推測形で言うのは単なる未来の 予測しがたさに対する恐れからではない。僕自身の今後の意志ひとつで昨夜という日は永遠に忘れがたい日にも、またいつもの夜のように容易に忘れ去られるも のともなることが明白であるからだ。意志ひとつとは言ったが、“忘れがたいものにしよう”とか“すまい”とかそんな簡単な二者択一ではない。自分の全存在 を強靭な意志に支配せしめてあるひとつの方向に持っていくか、それともそうした苦難を避けるか―しかも、その強靭な意志には少なくともこれから私が死ぬま で一瞬のゆるみがあってもならない、そんな意志のひとつなのであるが―のいずれを選ぶかによって、昨夜は忘れがたい日にも容易にも忘れられる日にもなるの である。

しかし、私は昨日を私の生涯にとって忘れがたい日とするであろう。もし、そうした決心の できる種類の人間と見込まれなかったら、そもそも昨夜のごとき体験を誰も与えてくれなかったことであろうから。

昨夜といってもまだ午後6時の空は明るくて、昨日は伊藤さんや阿久津さんは休みだったの で、課長と小島さんと僕とが、局長を囲んで帰る前のひと時をしばし談笑のうちに過ごしていた。だからこのmeetingがそのまま11時 まで続こうなどとは誰も考えてもいなかったことだろう。僕も叔父のうちに姉夫婦が来ているから帰りに寄っていくように言われていたので、早々に引き上げさ せて貰うつもりだった。ところが、いつしかテーブルの上にはウイスキーがのり、局長の熱弁がますます冴えてくると、我々は席を立つどころではなくなってき たのである。

局長の言葉を借りて言えば、昨夜の局長の話は局長の23年にわたる役人生活のエキスとも いうべきもの、心して聴き、幾度も噛み締めて欲しいことどもであったのだ。

“私はどこか炭鉱が爆発したら役人を辞めるよ。しかし、私の跡を継いでくれる者が欲し い。私が23年間に学んだものをすべて吐き出して行く。それをよく咀嚼消化して、この世界を少しでも住みよい場所にするために努力して欲しい。”

局長の言葉には迫力がある。“私はこの23年間精一杯努力してきた。私の同期の者や、私 の周りの者の中でも私ほどに努力してきたものはそういるまいと思う。少なくとも私はトップクラスに入ることは断言できる。”

この自信!こうした言葉を果たして良く幾人の人間が自信を持って吐くことができるであろ う!!

“私が期待したいのは、君らが僕の跡を継いで欲しいということだ。”
 我々は局長と同じだけの努力を要求されたのである。

11時に役所を出て、僕は局長の車に同乗して帰った。その途中、しかも局長のお宅に立ち寄っ て、12時半頃までいろいろと説教して貰ってきたのである。

僕は今更ながら局長の前にシャッポを脱がざるを得ない。局長の眼光の前では僕のごとき人 間は完全に見透かされてしまっているのである。

「おおローマンティックですなー」

局長の僕に対する評言である。辰野隆の忘れ得ぬ人々の中の一句だそうである。この間延び したローマンティック性をもって、僕の性格をずばり一言で捉えつくす眼力の前には恐れ入るよりしかたがなかった。

何と多くのことを昨夜は言って貰ったことだろう。

「私は将来大成する見込みのないものに苦言は呈しない。それは労力の無駄だからね」
 一言一言胸を刺すような評言を僕は何と有難く思って聴いたことであろう。僕の欠点、僕の長所。確かになるほどと首肯せざるを得ないものばかりだった。

「僕らは君らが自分の子供のように可愛い。そして通産省も私にとっては分かちがたい分身 のような気がする。私はもう長くて3,4年しかここにはいないだろう。自分の分身を君らに任せるのだ。ますます立派なものにしていって欲しいと願わずには いられない」


〇君は九州人の一番いいところと一番悪いところを持っている。君はあまりに解放的なのだ。言わずもがなのことを言っている。そばで見ていていつもはらはら してきた。物事は
9知っていることを9言ってみても10知っている人からは馬鹿にされる。知らないということが重要なのだ。あいまいでどっちと も取れるようなことを漠然と言っていれば奥が測りがたい。知っていることを全部言ったのでは底が浅いということになり、人に馬鹿にされる。都会の人種とい うものは、ずるいものだから全てを言い尽くすような人間を軽蔑する。


〇君はあまりに知りすぎている。あまりに多く本を読みすぎて下痢している。今度は自分で考えなければならない。君の意見はフラフラしている。それでは人に 信用されない。


〇君と小島とは異質な人間なのだ。お前は、我々と”通じない“ものを持っている。それが大切なのだ。通じるようにすることはない。お前のその”抜けて“い るところが、我々にとってまた魅力なのだ。抜けていることを知らないで、精一杯抜けていないように振舞おうとするその抜け具合がいいところなのだ。


〇近頃の採用で異色だったのは、K.M
,F.M,Y.N、それに阿部」


〇「サバと“あいつは全然通じないなぁ”と笑ったものだ」


〇「お前は酒のさかなにされる。それはとってもいいことだよ。雨宮さんは阿部を酒のさかなにしても小島はしない。それは小島にとってはマイナスだ。阿部の それを
popuralityというのだ。それは大切にしたほうがいい」


〇「阿部は結婚する前に外国に行ったほうがいいな。そのチャンスを作ってやろう。それまで準備しておけ。おれがテストするときおれぐらい話せたら合格にし よう」


〇「阿部はほんとうは採用の時
outだったのだ。それをおれが全責任を持つと言って採用したのだ。いや、一番熱心だったのが サバシだったかな。それに渡辺ヤエジ」


〇「採用という仕事はこれから50年間も影響するのだ。玉の中に石が混じっていたのでは、その影響するところはすこぶる大きい。石が局長にでもなった日に は一局が死んでしまう。30年、32年、35,36,37,38,39年のうちでどれがひとつでも石が混じっていたら、おれは腹を切ってもいい」


〇「最初来たときお前は本当に明るいと思った。お前を採用したのはそれだけだ。だから、その後は全部付けたしだ。お前は自分の力で採用されたと思っている が、お前は両親から授かった生肌のままで採用されたのだ。お前の付け加えたものは何ひとつない」


〇「10年間は同期の奴がどこに配属されようとどんな業績を上げようと全然無関心でいてよい。その間蓄えるのだ」


〇「阿部は本当にいい男だ。お前には伸びる素質がある。しなった竹が蓄えに蓄えた力をぴしゃりと撥ね上げるように、お前が蓄えに蓄えた力をぱっと満を持し て放つこつを覚えればお前は大成できる。今のままでは、いつも息をはっは、はっはとついているようなもので、深呼吸ができない」


〇「おれの論文を越える論文にはついぞお目にかかれない。おれの論文は、これから10年間は使える。英訳する手伝いをやってくれ」


〇「お前は気負いすぎるところがある。しばらく禅寺に通って坐ってみることだ。おれがいい禅師を紹介しよう。何も考えずに坐るだけでよい」


〇「おれは芸術家は採用しても行政官は採用しなかったつもりだ。行政とは総合芸術だ。支那の皇帝<<尭>>の話を知っているか。彼は治世
20年目に忍んで街に出た。する と世人が<<尭>>はいい皇帝だ。お陰で日々の生業がうまくいくと言うのを聞いて「ああ、おれはまだ至らなかった」と言って、さらに20年間治世に励み、 再び市井に出た。「耕せば自然に作物が出来、機を織れば立派な機ができる。<<尭>>などはいようといまいと関係したことではない」と言ったような俗謡が 歌われている。そこで<<尭>>は、自分の治世がうまく行っていると思ったという話である。行政とはこういうものだ。わかるだろう?」


〇「恋愛は何回やってもよい。しかし、結婚は経験するものではない。結婚したいと思う人があったら是非おれにその前に一度見せよ。阿部はすぐカーッと来そ うだから。結婚はビジネスだよ。恋愛とは違う。おれは結婚に失敗したから君らに忠告できるのだ。結婚だけは慎重にせよ。


〇「私の言葉はむしろ下の者より、上の者に重要視される。私は歴代の次官人事をやってきた。まだ通産省の人事権は私が握っている。だから私の一挙一動に上 のほうは注目している。しかし、人間は人から意識されるようになってはもうおしまいなんだよ」


〇局長の話の中には、僕にとって千金の重みのある言葉が無数に含まれている。僕の行くべき道をこれほどはっきりと感じせしめる言葉に僕はこれまで出合った ことがなかった。確かに世間は「あなたはよく本をお読みになって感心ですな」とは言ってくれても「お前は本を読みすぎる。物事を知りすぎている。それでは 下痢をしてしまう」とは言ってくれないものなのだ。


〇「私は人に説教などほとんどしたことがない。しかも説教のしがいのある者にしか説教してもはじまらないのだ。いつなんどき炭鉱の爆発災害が起こるかも知 れない。そしたら私はきっぱりと辞める。それは明日になるかも知れない。私はだからあせっているのだ。本当を言って私は戦後通産省を守り、ここまでやっと こさ引っ張ってきたような気がする。しかし、もう君らの手に委ねる時が来ている。だからこそ君らにしっかりやってもらいたい。おれたちの子供が安心して住 める世界を作るために精一杯努力して欲しいのだ。本当を言えばこんなことは言いたくない。しかし、もう残された時間は多くはない。私が言ったことは私が 23年間に学び取ったもののエッセンスだ。深く心に留めて無駄にしないで欲しい。まだ無駄にしないだろうと思えばこそ言うのだけれど」


〇僕は局長の期待をひしひしと全身に感じた。期待に沿うべく全力を挙げて進もうと思う。一人の人の期待に応え得ること、それがどんなに厳しさを伴うもので あったとしても、僕が全力を挙げれば決して不可能ではないと思う。


〇「阿部は結婚前に外国に行ったほうがよい。そこでみっちり外国語を身につけるのだ。その後では何度も外国に行くチャンスがある。阿部などはスペインなん かがいいだろう。しかし、あまりそこが気に入って帰って来なくなるかも知れないな」


〇僕は自分がそこが気に入れば、そこに一生住み着くことになっても後悔しないと言うと、局長は「そのセンスが気に入った」とおっしゃった。願わくば一日も 早く外国に行きたいものである。そのためにはそれに見合うだけの努力をしておかなければならない。


〇私は今日から私の大成のために全力を傾注しようと思う。しかし、気負ってはならない。私に欠けているところを常に意識し、私の長所を生かしていかなけれ ばならない。人間の悲しさは自分の性格の嫌らしさをどれほどよく知っていてもそれを容易に改めることができないことだ。私も幾度となく壁に突き当たること だろう。しかし、私はやはり前進しなければならない。私は今局長という絶好の
adviserを得た。困ったときには局長に相談しよう。そして倦まず弛まず進んでいくのだ。


〇私は常に国民のために役立つものでなければならない。私は先見の士になりたい。現在の私はやはりこれから10年後20年後の私に非常に大きな責任を持っ ているのだ。おかしいようだけど、24歳の私のほうが、30歳、40歳、50歳の私に対してまるで父親のような責任を持っているのだ。だから、私は50歳 の私の父親としてできるだけの配慮をしておかねばならないのである。


〇局長が「渡辺真」氏を懐かしく回想されるように、後23年後私もまた局長を懐かしく回想して、昨夜のことを思い浮かべ昨夜の局長の苦言がなかったら、今 日の僕はありえなかったと言いたいものである。私は今日を限り再出発を期したいものである。



局長の話
1964.5.16
土曜日
1964.5.16



お便り懐かしく拝見しました。返事が遅くなってしまい申し訳ありません。

元気でやっている由、何よりです。僕も毎日元気にやっていますからご安心あれ。碁のほうも相当に上達したつもりですから、まだまだ5、6目の差は あるんじゃないかと思います。大いに勉強して早く互先ぐらいになって欲しいものです。でも、20日あまりで4目ぐらい上達するところをみると相当に筋がよ さそうですね。 

でも、今は就職を前にして一番大切な時期ですから、やはり、勉学のほうを何よりも優先させるべきだと思います。就職が決まった気軽な時期に練習すればます ます碁は強くなるものですから、そのときまでちょっと碁から離れて、今は大いに就職に精力を注いで欲しいものです。

何と言っても就職ほどに人間の一生を左右するものはありません。人間は良かれ悪しかれ自分の職場から拘束を受け、自分の存在の意義を職場を通して 表現しなければならないからです。だから、職場を選ぶに当たってはどんなに慎重であっても慎重すぎるということはないのです。だから、就職までの残された わずかの時間に大いに考えて欲しいと思うのです。

たとえ残された時間がどんなにわずかであっても努力を忘れてはならないと思います。できるだけ自分の欲する、より良い職業に就くために最後まで努 力を惜しまないで欲しいと思います。要するに、人間にとって一番重要なことは努力することです。物事に熱意をもってぶつかっていくということです。就職と いうものが今自分にとって最も重要なことであるとすればそれに熱意をもってぶつかっていく心がけです。面接試験などの際、その人が熱意があるかないかが、 試験官の心証を大いに左右するものです。たとえ専門的なことを少しぐらい知らなくても燃えるがごとき熱意のある受験者は、彼らに強烈な印象を与えるものな のです。

ついでに面接試験に臨む心がけを付言すると

(1) 決して嘘を言わないこと―これは人間的に真面目であることの何よりの証拠です。知らないものは知らなくていいのです。試験官の欲しているものは人間として 真面目で信用に足る人間だからです。

(2)  明るいこと―人間的な明るさも必要です。職場で人と協調していける人物であるかどうかもポイントです。

(3)  信念を持っていること―試験官の言うがままにご無理ごもっともでもいけません。発言するときは信念を持って。単なる追従は試験官の心証を悪くするに過ぎま せん。

 面接試験というものは、単に受験者が専門的なことを知っているかどうかということを見るだけでなく、むしろ受験者の人間性を見ることに重点が置かれる場 合が多いのです。(もちろんcase by caseでしょうが)。だか ら、上に言ったようなことに留意して試験には臨んで欲しいものです。

 次に国家公務員試験のことについて少々知っていることを書いてみましょう。

 第一次試験期日は7月20日過ぎだと思いますが、相当前から受付をやっているので(もう、申し込んだかも知れませんが)注意してください。とに かく暑いときにやるので体力戦の様相を呈しますから、健康には留意あれ。専攻は「水産」もあると思いますが、毎年どのくらい合格し、どのくらい、どこに採 用されているかは参考書を買って調べてください。受験するとすれば、上級甲種国家公務員試験ということになります。これに合格し採用されると幹部候補生と いうわけですから大変有利なわけです。技官の場合の試験科目についてはあまりよく知らないので、参考書を是非参照して欲しいのですが、一般教養試験と専門 試験それに総合試験の3つに大別できると思います。専門試験は自分の専門とするところの知識を問われるわけで、これは日頃の学習の成果を見るものです。

 一般教養は種種雑多な一般的な教養を見るもので、参考書などで、2,3の例示問題に当たっておいて出題の方式・傾向などを若干でもいいから知っていたが いいでしょう。

甲種に合格するには更に総合試験というものがあります。これは一般教養を更に高度にしたようなもので、択一式と論文式とがあるはずです。論文につ いて言えば、できるだけ総合的な見地から書くということが必要です。主張すべきところは主張して単なる他人の意見の紹介に終わらないようにする注意が大切 です。

試験が終わると9月の上旬に第一次の合格発表があります。第二次の試験はほとんど形式的なものであり、これによって落とされるというようなことは ないわけですから、第一次試験が最も重要であり、しかも、そのときの順位が相当に物を言いますから、第一次試験に際しては大いに頑張らなくてはなりませ ん。




就職の心構えについて(手紙)
1964.5.17
日曜日
1964.5.17

午前4時20分。

〇白夜とはこういうものだろうか。午前4時の空は、ほんの少し青みを帯びているが、まるで、艶を消して印刷した版画のように輝きがなく、家も木々 も電柱も同じような灰色がかった色合いを幾分帯びて静かに収まりかえっている。ただ、小鳥の声のみが生き生きと朝のさえずりに余念がないといた封に聞こえ てくるが、辺りはまだ真夜中のように寝静まっている。日曜日は起きだすのがどの家も遅いのだろうか。それとも午前4時が起きだすにしてはあまりに早すぎる のであろうか。



Dear Nonko お手紙ありがとう。

Hurry up 郵便屋さん!と尻をたたかれる郵便屋さんにとっては迷惑な話です。どんなに郵便屋が急いだところで手紙がポストに入れられないうちはどうしようもないです し、ポストに入れられた後からだって郵便屋さんがどんなに急いで駆けてみたところで精々、5、6分しか時間は短縮できっこないのだし、英会話は確かに応用 が肝心ですので、せっかくイギリスの女性から教えてもらった以上は、すぐにでも応用してみたい気持ちはわかるのですが、やはりもっと別なところで使うべき ではないでしょうか。たとえばこんな風に。”hurry up miss Nonko!”

それに、僕の詩が“あまりに素晴らしいのでお返事に困惑して”た、なんて折角詩を差し上げたことが返事を延ばすうまい口実となったのでは、ハムレットなら ずとも、“To give or not to give, that is the question.“と言いたくもなろうものです。

〇東京も本当に暖かくなりました。いやもう暑いくらいです。ほんの2ヶ月前、あなたとovercoatを着、手袋をはめてDateしていたことが 信じられないくらいです。あなたの手紙に日比谷公園の花壇のことが書いてあったので、昨日ブラリと独りで散歩に行ってみましたがツツジと緑の芝生がとても 印象的でまるで外国に行ったような気がしました。しかも、アベックがウジャウジャするほどいて、まったく当てられてしまいました。特に今頃の女性の服装が 一番華やかな頃らしく、赤・黄・緑・青と色とりどりに美しく、それに長袖から解放された女性の手の白さがまばゆいくらいでした。

あなたとはto my regret 冬の間しか会うことができなかったので、女性が一番魅力的に見えるこの季節のあなたには一度もお眼にかかったことがないわけで、冬ですらあんなに charmingだったあなたのことですから、今頃はさぞかし……広島の男(オノコ)どもをcharmしていることでしょうね。How I wish to see you in the sunshine of May!



あなたからせっかくの忠告をもあいながら母の日に母に手紙を書くのを忘れてしまいました。遅ればせながらこの手紙を書き終わったら、母宛にも一文したため ることにしようと思います。



Nonkoの不機嫌の虫もようやく収まって大いにハッスルしているそうですが、本当にいいことです。広島が横浜ぐらいに近ければ毎日でも行って (おそらく、そのうち7分の6ぐらいは断られそうですが)、色々と応援してあげたいところですが、いかんせん、「広島に行きたしと思えども広島はあまりに 遠く、せめては、この手紙もて、我が心の思いを告げん」というところです。

日曜日の早朝












Nonkoへの手紙
1964.5.31
日曜日

 

1964.5.31

日曜日

〇今年の5月が過ぎていく。怠惰の魅力にとりこになって、この5月の僕は、日記をつけないため に精一杯努力していたのか。

庭には美しいバラが咲き乱れている。芝生の緑はますます鮮やかで、真紅のバラの花とお互 いに美しさを讃えあっている。まだ日差しは穏やかで、そこには美しい女の微笑みの華やぎと優しさとがある。人間とは愚かなもので、いざというときにならな ければ物本来の価値に気がつかないものらしく、5月の31日になって5月の良さを惜しむのである。

死床についてみて人生の麗しさに気がついても確かに遅すぎるような気がする。5月の麗しさはやはり、思い出と してではなく、その中にあって、自らの五感を通して感得するよりはなく、しかもそれを心深く刻み付けておくためには、この手帳に記録しておかねばならな かったはずなのである。しかし、今更言ってみてもはじまらない。明日から始まる6月に、その轍を踏まぬようにしたいものである。

さて、5月中にやったことの一つに24日渡辺さんと五月祭に行ったことがある。一緒にダンス・パーティに行って踊った。彼女の 髪と僕の頬が触れ合った。彼女から後日便りが来た。「先日の事気にもしませんし、おこってもいません。おこるというのなら私にだって責任ある事ですし。」 ―私が帰り際に「おこっている??」ときいたのだ。彼女は「何だか夢のようだ」と答えていたのだが。それにしても彼女の便りは、手紙であのことを触れると した場合の最もふさわしいあり方のような気が僕にはする。

 


 


過ぎゆく五月
1964.6.7
日曜日

1964.6.7

日曜日

〇私の心臓からほとばしり出る血で、この一瞬一秒ごとに真っ赤な刻印をつけてやりたい。 かくも麗しい日々が無造作に流れ去っているのを、手をこまねいて傍観しているのは何ともつらいことである。

私 の血は情熱を失ってしまって、青白く血管の中を流れ、ただ細々と私の生命をつないでいくことしか出来ぬのであろうか。一日一日ごとの情熱を蓄えに蓄え、あ る日、烈火のごとくほとばしり出て、その日を真紅に染めてしまおうという情熱さえもが、すでに失せているというのであれば、この一瞬、この一秒が、するす ると私の掌の上から零れ落ちていくとしても、不思議ではないのだ。

ああ、日々の役所勤めに私はもう疲れ果ててしまっているのであろうか。それにのみ自分の 全精力を奪われてしまって、役所の外にあるときは、まるで腑抜け同然の存在と化してしまっているのであろうか。

一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎても、凝然として私の眼は虚ろに遠い遠い安息日 を思い浮かべ、何らの感興も覚えないのであろうか。

わ ずか一年の役所勤めはすでに私をして恐るべき精神の疲れに陥れてしまったのであろうか。時が過ぎる。されど私の眼は虚ろなまま、いつまでもそれを見据え、 ある日突然にその視力を失うのであろうか。そんなはずはなかったと繰り返す私の心のつぶやきでさえ、その日まで無力にただ繰り返えされるに過ぎないのであ ろうか。

そんなはずはなかった。この最も恐れるべき言葉をすでに私の心が知っていることは何と不 幸であろう。この失望の言葉を、私は一体どうしたら忘れることができるのだろう。

 

虚しく過ぎゆく日々
1964.6.8
月曜日

1964.6.8

月曜日

〇久しぶりに映画を観た。久しぶりに堪能した…とでも書けたら僕は今夜大いに幸せだった はずである。しかし、折角の久しぶりの映画が、近来まれに見るような愚作であったので、僕は今むかむかしている。

僕にとって愚作と佳作を分かつ基準は何であるか。それを一言のもとに言い尽くすのは難し い。しかし、あえて一言で言おうとするなら、それがsomethingを持っているかどうかということになる。勿論この表現は不完全なものであって、まだsomethingという変数を 抱えているように見える。僕にはこれで十分なのでなるが、このsomethingを少々分析しておくことも意味のないことではないと思う。

僕としては、このsomethingに出来るだけ大まかな内容を与えておく。Somethingとは、一つに は作者の作品に対する真摯な態度である。たとえ、この真摯さがあっても愚作は愚作である。しかし、これを欠いた作品は、箸にも棒にもかからない。今日の作 品はまさにこの意味における愚作であったのだ。僕がどんなにむかむかしたかわかって貰えると思う。

上述のようなsomethingのむしろ根底にあるものとして、僕は作者の人生に対する真面目さを考える。真面目さとい いながらこれは生真面目さを指すものではない。こちこちの真面目さ、俗物の真面目さ、かたくなな小者のみが持つ真面目さなどむしろ僕の排撃する真面目さで ある。

僕の求める真面目さとは、この人生に対して真正面から真摯に取り組んだ者のみが持つ種類 のそれである。たとえ軽妙な喜劇であっても、作者の人生に対する真面目さは根底に感じられるものである。

二度と今夜ごとき愚作のため貴重な時間を潰さないためにその作品の名を終わりに記してお こう。「痴情」アメリカ映画。

愚作の映画
1964.6.12
金曜日
1964.6.12

〇8日に観た映画であまりにむかむかしたので、映画を見直すようなつもりで、その翌日にも映画に行った。「ミス・アメリカ、パリを駆る」と「フランス式十 戒」。この二つのフランスの喜劇映画が、僕の映画に対する親しみを甦らせてくれた。

前者についてはドタバタ調のアメリカ映画を期待していただけに、滋味に富んだフランス的な人情味あふれる映画を目の当たりにして何となく嬉しかった。面白 くもあった。

むしろ僕はデビビエの「フランス式十戒」より<<la Belle Americaines>>の方が面白かった。もちろん“十戒”の方も面白くはあったが、悪魔=ヘビに狂言回しの役をやらせる発想が何となく 貧弱な感じで、そこに無理が感じられオムニバス形式の一話一話はそれ自体としてかなり愉快ではあったが、全体に起伏が少なく、映画全体とすればそれほど盛 り上がりが感じられず、最後のオチも効いていないように思えた。

la Belle Americainesの方は、それほど喜劇作法上の目新しさはないにしても、いかにも、パリジャン(ヌ)を思わせる生き生きした人間像や、その生活ぶり が、我々にとってはすでに興味ある対象であった。

俳優について言えば、この二作は安心して見ていられる。前日のがひどかっただけにこれには救われた。やはり俳優そのものが自分のバックに何を持っ ているかということは、映画を観るものにはよくわかるもので、前夜の役者の軽薄さに反吐をもよおしかけていた僕にとっては、この二作に登場する俳優(実に 夥しい人数ではあったが)はいずれも、なかなか大したもののように思われた。



〇6月11日に北海道の砂川で落盤事故があり、昨夜は帰宅午前1時近く、今日役所に出勤したのは午前5時20分。罹災者は芝生、重軽傷6.。それでも昭和 電工の死者12、重軽傷113という大災害が同日発生したので、その陰に隠れて大して目立たずにすみそうである。

〇砂川炭鉱の事故のことで、局長らについて政府委員室に行っていたら乙竹企業局次長に会った。僕の採用時の総務課長である。守屋さんと二人で大臣 に手交する罹災者一覧表を書いていたら、僕らの前のソファーに坐られた。守屋さんの指示で僕が大臣のところへ行こうと立ち上がると、同時に乙竹さんと並ん で坐っていらした局長が立ち上がられた。その局長に乙竹さん、「あれは阿部ではないか。すっかり事務官が板についたなぁ」と言っていられる。

大臣のところへは、局長自身が説明にお行きになるというので、委員室にそのまま留まっていると、しばらくして乙竹さんがブラブラしていられるのと顔が合っ た。

「いやぁ、さっきからすっかり事務官が板についたと感心しとったんだよ」と話しかけてこられた。「いえいえ、まだまだ駆け出しでして」とは言った ものの嬉しかった。それほど長くはなかったけれどしばらく話をした。覚えられているということは、何であれ楽しいことではないか。



〇ある日忽然と我々が他に隔絶するためには、その前提として、絶えざる蓄積が必要である。確かに事象として見れば我々はある日忽然と他に隔絶した高所に 立っていることになるのだが、“忽然”とは多くは他人の眼にそう映るということだけなのかも知れぬ。

我々は忽然として悟ることもあるわけだけど、忽然と悟りうるためには、その前段階として、悟りうる状態へのギリギリの詰めがあったはずである。したがって 確かに忽然と悟ることの中には、これまでとの質的な隔絶というようなものもあるのであろうが。

少なくともその精神的なハシゴの上では、それほどに隔絶したものではなく、段階的なものではないかという気がする。我々の精神は絶えざる栄養の補給なしに は、一途に退化の道を歩むものらしい。

ある日忽然の邂逅のためには我々は日々新鮮な養分を必要とするのである。(午前零時40分)




「ミス・アメリカ、パリを駆る」と「フランス式十戒」
1964.6.14 日曜日
1964.6.14

〇一見多感なそれでいて自分については控えめで多くのことを語りたがらない僕の文章に慣れている人には、僕という人間はそれほど明らかな存在ではないはず だ。自分自身でもおかしなぐらい僕は自分のことを話したり書いたりすることが不得手である。

 僕の心の中にあって確固不動のものが未だ形成されていないのだろうか。僕はまだ自信を持って自分自身を人に示すことができないのだ。小島さんか ら文集を貰って感心したことは、彼には僕に欠けているこの確固不動なるものがあるということである。それを持っている人は何を言い何を書いても迫力があ る。それが我々の心を打つのである。

〇今日はHerbst先生の送別会だった。先生はこの19日に帰国の旅におたちになる。

 僕は先生については色んな楽しい思い出をたくさん持っている。今まで知り合った女性の中で日本人外国人を問わず、一番気が置けず話し合える人といってよ い。非常に親しみのある方で、明るくてユーモアに富んでいて、少々お茶目なところも残っている34歳のミスである。

 学校を卒業してしばらく学生センターから遠ざかっていたら、つい2週間前五百川さんに会って、彼女がこの19日に帰国し、その送別会が今日ある と聞いて、是が非でも今日は出席しようと思っていたのだ。先生を取り巻いた30人を越す一人一人が先生がどんなに素晴らしい人であるかについて代わる代わ る立ち上がって話をした。僕も先生の思い出を話し、今度は是非アメリカでお会いしたいと結んだ。

会が終わってから、またいつもの笑いの絶え間ない談話を繰り返し、富士前町まで都電で一緒に乗っていって別れた。

 いつまでもお幸せに、祈りたい気持ちである。








Herbst 先生の送別会
1964.6.21 日曜日
1964.6.21

Dimanche

〇小賢しい自惚れほど僕の反感をそそるものはない。きわめて狭心の僕は、自らの軽薄さには無知な、きわめて尊大な人間に対して、いらだつほどの軽 蔑を感じる。自らに厳しい枷を課し得ない小心の者どもがややもすれば、のうのうと微笑み交わしているのを見ると反吐を催す。自らとこの世に対する無知とを けばけばしく粉飾して、のさばり反っている赤いくちびると柔和な瞳に対して、僕は知らず知らず戦闘的になる。



〇今日日曜日、apres midi 機械試験所のtennis courtに行ってテニスの練習をした。誰も相手がいなかったので独りで練習をした。まずサーブ。これはかなりうまくなった。6っ発中4発ぐらい入るまで になった。あのサーブが入ればかなり相手を手こずらせることができると思う。コツといえばできるだけムリに強く打とうとしないことだ。ガットの中心に確実 に当てるつもりで打てば、かなり確実に思ったところに飛んでいくしスピードも出る。

 さて、次に壁を相手にground strokeやボレーの練習をした。ボレーは、これまでほとんど練習らしい練習をしたことのないもので、この前試合をすぐさま始めてしまい、相当に手こ ずったものであったのだが、今日の練習で相当要領がつかめた。

 何はともあれ、テニスは練習なしには進歩しない。独りで心行くまで練習できたことは幸せであった。
テニスの練習
1964.7.3 金曜日
1964.7.3

Venderdi

〇永遠というものをカチリと両歯の間に噛み締めて、ああこれが永遠というものなのだと思わず知らず叫びだしたくなる時があるものである。

しかしながら、永遠というものの体験そのものは、あくまで個々人のものであるので、決して永遠のものではありえないのだ。我々は一個の人間とし て、永遠の時を感じ、永遠の美を想う。だが、それは隣人にとっては意味がないかも知れない。人間の歴史は無数の隣人の系譜である。太古から現代まで我々は あまりに縁なき隣人どもを多く持っている。

〇昨夜、映画を観た。”春のめざめ“。美しい映画だった。私は少なくともこの映画制作者の隣人でありたい。観客にとってもはや主人公の名前などど うでもよい。永遠のものとしてとらえられた少年と少女の、それはあくまでも美しい牧歌劇である。永遠というもの以外の何ものでもない少年と少女の一挙一動 に私は深いため息をついたのだ。あの少女のなよやかな春をはらんだ肢体の美しさ。謎を潜めたあのまなざし。甘い耳底に快いあの声。おお、その一瞬一瞬に永 遠を発散させて少女はなおも豊かである。

「いつまでも愛してくれる?」少女は尋ねる。「いつまでも」少年は答える。

そのとき少女の頬を伝う涙を見なかったろうか。ああそこにこそ永遠の愛の姿がある。永遠に汚れることのない最初の愛の言葉がある。この無常な世の 定めはこの少女の肉体さえやがては蝕んでしまうことであろう。しかし、その日の美しい少女の面影は永遠に私の中に定着して消えることはない。(午後1時ご ろ)



映画”春のめざめ“
1964.7.3-2
金曜日

1964.7.3

午後1027

〇私の計画の中に今 日という日があったろうか。その昔、私は美しい思い出が美しい思い出を呼ぶというなら、と一人の女の子に詩を贈ったことがある。そのとき以来たとえそれが 美しい思い出であったとしても、更なる美しい思い出を伴って私の前に現れてくるなどということは、私の頭の中においてさえ、次第にありえないことのように 見なされ始めていたのだ。私は、半ば諦め、その人を遠い人のように思い始めていた。

本当に久しぶりにそ の人にtel.したのは、今週の月曜日のことだったと思う。私たちのおしゃべりは以前と少しも変わると ころがなかった。生き生きとした、テンポの速い会話が少しの途切れもなく、限りないほほえみと絶え間ない笑い声のうちに、まるで我々の間に数ヶ月の、い や、半年に近い空白があるのが信じられないぐらい、スムーズに十数分間続けられたのだった。そして今日6時にDateする約束が一瞬のためら いもなく二人の間に取り交わされたのだ。

〇美しい思い出が美 しい思い出を持って現れる日とは今日のような日のことだろうかと思う。私は今信じられないぐらいの幸福感に包まれて、こんなに幸福であっていいのだろうか と疑問にさえ思っている。

〇あの春の日―あま りにも愛くるしかったまだ少女っぽい女の子が、やや大人じみて、しかも昔のままの愛くるしさ―ああ抱きしめてもみたい愛くるしさ―を持って、私の前に立ち 現れたとき、本当に私は何と言っていいかわからないぐらいだった。彼女の存在そのものが私の心をそそるのだ。ただ一緒にいるだけで何とも言えない幸せに私 の心は閉ざされ、えもいわれぬときめきに、私の心は妖しく乱れるのだ。私の計画になかった今日という日を、私は忘れることができないだろう。

 

K.Hと久しぶりに会う
1964.7.12
日曜日

1964.7.12

 

A Mon Amie

 日曜日にこうして自宅でくつろぎながら、つれづれにペンを執るなどということは、なぜか ずいぶん久しぶりのような気がします。毎日毎日お役所勤めなどしていると一週間に一度はゆっくりと休養を取らないことには、精神的にも肉体的にも参ってし まいそうです。

 先週の日曜日には テニスの対抗試合がありました。白球会に入って日が浅く、まだコートにさえ2回ほどしか行ったことのない僕が、すぐ試合に出してもらえるのですから、身に余る光栄だ と言わなければなりません。しかし、一応は試合に出てもそれほどおかしくない位の実力を、前日の練習のとき認定してもらっているのですから、学生のチーム に比較して規律がゆるいなどとは思わないでくださいよ。

 試合は「東洋レー ヨン」との定期的な対抗戦で双方から男性15女性2の計17チームが出場し、世田谷の東レ深沢寮で日曜日午前11時ごろから午後6時近くまで熱戦を繰り広げた次 第です。

 硬式庭球に転向し てから一ヶ月しかたっていず、しかもMITIに入って一年の僕のチームがまず最初に出場させられるのは理の当然でしょう。佐伯と組んで僕がフォアー。試合 は確かに心理的なもので実力が同じならば、落ち着いて粘った方が勝に決まっています。まず最初のセットを6-2でとりました。よし、この 調子ならいけるという気の緩みから、第二セットは、4-25-3と先行され、あわやと思ったのですが、そのあたりから見事に立ち直って、ついに8-6と第二セットもものにし、 貴重な初勝ち星を上げたのです。

 もちろん、僕は白 球会の対抗戦は初出場ですから、この勝利は、僕にとって初出場・初勝ち星であり、その頃まですでに試合の終わっていた3試合を含めてMITIチームにとっても初勝ち 星であったのです。おかげでチームの面々からずいぶんお祝いの言葉を貰いました。

 確かに、勝利の味 わいは格別です。しかも、初出場で上げた勝ち星であってみればなおさらです。後で高橋通商政策課長に言われたのですが、「初出場で勝ったらテニスはやめら れなくなるよ」という言葉通り、確かにやめられなくなりそうです。その日の総合成績は、8-6MITIの勝ち、女子チームの2-0がその中に入っているので、男性ばかりでは6-6の引き分け、僕らの1勝も勢力均衡の貴重なポイント であったわけです。

 試合が終わってか らのビールのうまかったこと。「勝利の美酒」とはよくぞ言ったものだと思いました。

 実は昨日も午後は テニスの練習でまるっきりつぶしてしまったのですが、やはり、もう病みつきになってしまったようです。昨日は川原局長が、児玉・服部という大学以来のpairで、コーチに卓越したcoupleをお連れになり、局 長自らも色々と手を取ってコーチしてくださいました。テニスの道の厳しさを知るとともに、それだけにやりがいを感じました。

 昨日は、鬼塚さ ん、小島さんと組んで3試合やりましたが、全勝。最後の小島さんとのsingles6-0で圧勝しました。まだまだ 技術的には未熟ですが、勝利への執念では誰にも負けないつもりです。練習終わって、局長・コーチを囲んでビールを傾けましたが、その席でも色々とためにな る話をうかがうことができ、ますますやる気を強めた次第です。

テニスの対抗戦に初出場・初勝利
1964.7.17
金曜日

1964.7.17

金曜日

 

〇おばさんから試写 会の券を頂いたので、Katchinを誘って見に行った。ヤマハホール。「Becket」素晴らしい映画 だった。Richard BurtonのBecketPeter O’tooleHenryU。この二人の性格俳優の迫力ある演技が見ものだった。原作が劇作家ジャン・アヌイの戯 曲であるだけにセリフ回しがまた見事だった。観客の心をとらえて離さない巧みさが感じられた。演出は70mm映画らしい重厚さで、最後まで観るものをして飽かさせないところはさすがである。

〇映画のあとで新宿 の「風月堂」に行った。Katchinと色んなことを話した。お互いの男性観、女性観。愛について、恋愛、結婚のこと。彼女も 多弁で自分の胸のうちをあれこれと話してくれるのだった。

 僕が小島さんと恋 人のことを話すと「素敵ねぇ、素敵ねぇ」と何度も繰り返し、「小島さんという人、とってもロマンティックね。会ってみたいわ」とも言う。愛されたとき女性 がどんな姿勢を取るか、ということから小島さんの恋人が今たとえそんなそぶりをとっているにしても、絶対に大丈夫だと念を押すのだった。

 「私は繊細な人が 好き、思いやりがあって」と彼女は言う。小島さんが相手の人の心がつかめなくて不安だという話をし、男性は相手の人の心理がわからなくてとても不安なもの だと言うと、女性の方がもっと不安よと言う。話しながら、僕らの瞳は何度かぶつかり合い、時には耐えられなくなるまで、じっと見詰め合って、ツト眼を逸ら してしまうのだった。

 僕らの言葉の陰に 僕らの愛が読み取れる。思わず抱きしめてやりたい愛らしさだった。

 「私は以前はプラ トニック・ラブの憧れていたけれど、今はそんなものは本当の恋愛ではないように思うの。どんな女の人だってそうだと思うのよ。プラトニック・ラブなんて不 自然な気がするわ」と彼女は言うのだった。

 「私は失恋だけは したくないわ。もし、味わわずにすむものならば」「私の愛を、私の青春を刻み付ける人は一人あれば十分だわ」

 ああ、僕らは風月 堂で何と多くのことを語り合ったことだろう。お互いに相手の心のうちを手探りしながら、たった一言の「愛している」という言葉を探し求めて。二人の話に、 二人の見つめあう瞳の中に、たとえ多くの不安を伴うものであっても、僕らはお互いの愛を確かめ合っていたのだ。

 8時ごろそこを出た。出口に向か いながらKatchinが「これからあなたにあまりお会いできないわ」と言う。「なぜ」と聞くと、「つきあって いる人がいっぱいあるのよ」。新宿駅に向かう通りはひんやりとしてた涼しい風が吹いていて気持ちが良かった。

「何人とつきあって いるの、45人」「ううん」と、首を振る。「23人」「いいえ」「じゃー、2人」「まぁそうね…でも、こんなに遅くまでつきあう人は阿部さんだけよ」「もう一人の人 に会うのが忙しくて僕とはあまりつき合えないというの」「そんな意味じゃないわ。私こわいの」「こわいって、僕が」「男の人はみんなこわいわ」と幾分はぐ らかす。「どうしてこわいのかなぁ、教えてくれる」「教えない」「教えて」「それじゃ」と言いかけて、あわてて「やっぱりよすわ」「でも、そこまでいっ て、言わないのは罪だよ」

 彼女はそれでもた めらっている。僕が「是非」と、懇願すると、彼女はちょっと前を向いたまま緊張して「それじゃ、言うわ。これ以上お会いすると本当に好きになってしまいそ うだから。失恋したらと考えるとこわいのよ」

 ああ、Katchin。僕はそのとき、 君を抱きしめてやりたかった。

「でも、恋の結末が わかってから始める恋なんてあるだろうか。僕だって不安なのだよ。恋の結末なんが、最初からわかりはしないのだし、その結末に責任を持たねばならないと思 うと、本当に好きだと思っていても実際の行動に簡単には移れないんだ。お互いが傷つかねばならない結末は不幸だし。僕らの不安がわかる?」「わかるわ」

 西口からBasで帰るという彼女を送って 地下道の入口のところまで行った時、彼女が突然に「私って本当につまらない女でしょ」と僕の方に振り返った。「自分の素晴らしさに自分では気がつかない の。君は素晴らしいと思うな。つまらない女性だったら、どうして僕がつき合うさろう。さっきも言ったように、僕は、好みにも厳しいんだよ」

 僕らの眼にはもう そこを行き交う人々の姿は映らなくなった。ただ、歓喜のうずくような痙攣が胸を締め付け、手足をしびれるように走り抜けた。人ごみに押されて、我々の手が 偶然触れ合った。いつもよりほんのちょっぴり長くそれが続いた。それだけでもう、何か息が詰まるような感じがした。だけどそのときはもう、Bas StopのあるGo Stopのところまで、来 てしまっていた。

 「ここまでで、い いわ」彼女は言った。折りよく信号がGreenに変わった。彼女はすばやく歩道より一段低い車道に下りて、僕の方を振り返った。彼女は 僕を見上げた。その笑顔。輝くばかりのひとみ。僕の視線をまともに見返しながら、彼女は「今日はどうも」と少し腰をかがめた。

あの笑顔が、僕の眼底に焼き付いている。もし、幸福が、そして何がしかのおののきが、そ の顔で輝いていなかったとしたら、恋をうまずめと言わねばならなかっただろう。「またね」と、僕は言った。彼女は恥ずかしそうな口元で少々甘く「ええ」と 答えた。くるりと振り返ると、人ごみにもまれながら霧雨の中を遠ざかって行った。

BecketをKatchinと一緒に観る
1964.7.19
日曜日

1964.7.19

日曜日

 

〇今日K.に電話をした。電話しようかど うかずいぶん迷ったのだけどとうとうダイヤルを回してしまった。電話の結末がどういうものになるか最初からわかっているような気がして、ずいぶん迷ったの だ。

 かけなければ良 かったと電話が終わったらきっと思うことだろうと電話をかける前にも考えていたのだ。予想したとおりになった。悔恨の味は苦かった。でも、そうした結末が わかっていながらかけずにおれなかった自分がなおさらに愛しかった。

 つくづくと電話の 不便さが思われた。面と向かって会っていたなら黙っていてもお互いの気持ちはわかるし、退屈なんかしやしない。それが電話となると事情が全然違ってくる。 まるで短距離競争のようにお互いが、息せき切って話しまくらなければならないのだ。ちょっとした話の途切れが何か耐えられないようなものに感じられる。お 互いの心が、その瞬間非常に遠くに隔てられたような感じがして、愚にもつかないようなことを話し出してしまう。自嘲の苦い笑いに唇を歪めながら、つまらな い話に何とか収拾をつけようと、ますます深みにはまっていく。自分自身を、まるで野良犬を見るような哀れな目で眺めなければならないことになってしまうの だ。

 受話器を置いて やっと平常の心に立ち戻る。いったい自分は何のために電話したのだろう、いったいどんなことをしゃべったのだろう。受話器を持ち上げる前には、何と心は現 実からかけ離れたところにあったことだろう。

「君の声を一声聞きたくてお電話したんだ」こんな甘い殺し文句をのうのうと伝える気がし ていたのだ。つい2日前お互いの心があんなにも近くにあったのを、こんなつまらない電話で、むざむざと遠く かけ離れたものにしてしまいはしなかったろうか。いや、そんなことはないだろう。甘い期待とやるせない後悔の渦が心の中にぐるぐると激しい輪を描き始め、 僕はのろのろと電話のそばから離れて行かざるを得ないのである。

K.への電話
1964.7.22
水曜日

1964.7.22

水曜日

 

〇一夜寝もやらず、起きていたい夜もあるものである。

 そして今夜という夜こそそうした夜のうちの最たるものではなかろうかという気がする。

今夜日鉱の葺手寮に10人の通産事務官が集まった。僕にとっては初対面の人も多かったけれど、何と皆が一つに溶 け込んで和気藹々のうちに会を終わったことだろう。今考えても不思議な気がするくらいである。

通産省に入って最初に配属になったところというものは、誰にとっても懐かしいものに違い ないのである。僕にとってさえそれは懐かしいものになるであろう。末席事務官の悲哀を喜びをとにかくも一年ないし三年もの間宿命的に味わわねばならぬ定め をもって保安局管理課に配属された10名もの同志が一堂に会したのである。

昭和28年入省の小林さん(現臨調)をもって我らの大先輩とする10名の(残念ながら35年の吉田さんだけは欠けたけ れど)事務官のほとんどが集まり来たって思い出を語り、昔を懐かしみ、現況を伝え、昔を偲ぶとき、また良きかなと僕ならずとも、叫びだしたくなるのも不思 議ではなかったろう。

小林―田口―守屋―村田―小川―見学―吉田―米山―小島―阿部―中田と末席事務官の系統 は尽きず、その系統の中に確固として貫く強いシンを見出すとき、保安局管理課に配属されたことの喜びはまさに極まるのである。

こうした縦の系列のある局も少ないことだろう。わずか3課からなるよくまとまった局の 末席事務官にして持ちうる本当に心から楽しい会合であった。諸先輩の活躍ぶりを拝見し、僕も発奮せざるべからずと感じた次第であった。Do my Best!

 

末席事務官の会
1964.7.25
土曜日

1964.7.25

(土曜日)

 

〇昨夜”Le petit prince”を読みました。作者はSant Exupery。笑い事では読むことのできない童話です。魂の奥底に触れてくる得がたい書物の一つで す。この本の世界が遠ければ遠いほど、われわれは魂の純粋さを失っている度合いが強いといわなければならないような本なのです。でも…と言って安心してい るわけでもないのですが、私にとってこのle petit princeの世界は案外身近な世界に感じられます。私はこのことをもって、私の魂の純粋さとかを誇 ろうというのではありません。私の子供らしさを言いつくろうための口実にしようというのでもないのです。ただ自分の魂の住処をle petit princeの 世界に持ちながら、自分自身が実際に住んでいる世界がle petit princeが、どうもおかしいとしか思えない大人の世界であることが、たまらなく寂しいことを言い たいに過ぎません。

 

le petit princeの 世界を身近に感じながら、実際にやっていることは大人のやることであるという矛盾を、私はどう解決したらいいのでしょう。もはやそれが私にとって非常に重 大な矛盾として感じられないとするならば、le petit princeの世界を身近に感じるということそのことがすでに矛盾していると言わなければならないこ とになるのでしょうか。

 

いいえ、そうではないと思います。私は気休めを言うつもりは少しもありません。この世を 生きていくということは非常に難しいことなのです。星の王子さまが理解することのできなかった大人がそれこそ20億もいるのですから、そのな かで生活の糧を得、生きていくということだけでも、大変難しいことだといわなければなりません。だけど、ある程度そうした糧を得るためにやるというのは、 生活のための方便に過ぎない面が強いのです。

 

魂の底まで売り渡して、金が一番大切なものだとは思っていないのです。だからそれこそ美 しいものは眼に見えないというキツネの話のように、本当に美しい魂は眼に見えないところにあるものなのです。

 

 Le petit princeの 世界を魂の中に持っているということは貴重なことです。たとえそれがどんな形のものであれ、le petit princeという書物を読み、いいなあと嘆息を つける人の心の中には“星の王子さま”と相通ずるものがあるのです。

 

そうしたものを少しも持ち合わせなかった人にとっては、こんな童話をそもそも胸をときめ かせながら読み終わるということだって出来っこありません。私は大人になりすぎて、こんな本を、午前2時過ぎまで熱中して読みふけるようなことを馬鹿らしいと思うような人にはどうしてもなり たくありません。

 

それは要するにいつまでも子供らしさを失いたくないということです。魂の純潔さをいつま でも保ちたいということです。私は結構大人の世界には住んでいますけれど、まだまだ星の王子さまと一日語らい合うことを、より大切だと思う気持ちを失って おりません。

 

私たちはこれから先、色んなところで色んなことをすることになるでしょう。しかし、たと え、まったく同じことをするにしても、星の国に咲いている一輪のバラの花を愛おしく思い、星を美しいと思う心を持った人がしたことと、まったくそうしたも のに理解能力を欠いた人たちのしたことの間には大きな隔たりがあるような気がします。あらゆることをしながら、私はle petit princeの ことを忘れずに思い出したいものと思います。

 

 


 

「星の王子さま」を読む
1964.7.25-2
土曜日

1964.7.25-2

(土曜日)

 

〇今日は すごく暑かった。せっかくの土曜日であってみれば雨さえ降らなければどんなに暑くてもいいようなものの、本当に暑かった。まさしく、カンカン照りで何をし なくても汗びっしょりになってしまう。

ところがそんな勢いの日光でカラカラに乾いたコートに出て、テニスの練習をやったのであ る。午後2時⇒午後7時。とにかく、ばてましたね。でも、それが終わってからマージャンをやったのだから、ス タミナはあることになりそうだ。

今日はセット数にして4セットぐらいやったが、全勝。とにかく先週以来まだ一回も負けていない。

阿部2-0間山(2ゲームで中止)

1(阿部・間山6-1,6-0田守・小島)

2(阿部・糟谷6-4小島・佐伯)

3(阿部・間山6-2田守・小島)

 

練習量は今日は僕が一番多かったことだろう。また、鼻の頭あたりが真っ赤に焼けてしまっ た。しかし、鼻の頭が真っ赤に焼けようと、暑さにバテようと、テニスとは楽しきかなである。とにかく今みたいに勝つと面白さも倍加しようというものであ る。

 


 

テニス練習
1964.7.29

1964.7.29

(水曜日)

 

I嬢の誕生日。

 

〇今日は勤めを休んだ。割としのぎやすい日だった。

 

〇 「私は生涯の間にただ一つ神の道に背く悪い行いをやった。しかし、生涯の中で一番楽しかったことは何だと問われるならば、そのただ一つ神の道に背いて行っ たことだと答えざるを得ない。私の生涯にそのことがもしなかったならば、どうして私は、私の生涯を楽しかったということができよう。」ある日、死床である 老人の告白。

 

〇 心の狭さは一般には顰蹙の的だが、女性に対しては心が狭いほうが賞賛の的になる。どうして複数の女性を同時に愛してならないのだろうか。その人その人に 違ったものがあり、違った魅力を感じるのに、どうして特定の人の特定の魅力のみに生涯満足した振りをしていなければならないのだろうか。妻たるものが嫉妬 をするのはわかっている。しかし、一夫一婦制という法律をもって押し付けがましく男性の心を束縛しようとするのは、女の小学生が先生に言いつけて問題を解 決しようとするようなもので、何ら根本的な解決にはならないのである。

 

〇上のような議論を男性というものはとくとくとして繰り返すのであるが、女性がこの論理 の正しさを認めて、自らの側からそれを適用しようとすると大いにあわてて嫉妬の焔をいやがうえにも燃やすのが男性の天性的な”抜け“とでも言うべきもので ある。

 




 


1964.8.6
木曜日


1964.8.6

(木曜日)

〇昨日から休みをとっている。今週いっぱい休む予定である。

〇こうしてまとめて休むということは、なかなかいいものだ。毎日思う存分ぐっすり眠り、 やりたいことをやり、したくないことは何もやらない。できるだけ薄着して汗が出たら水浴びをする。面倒くさいことはと言えば毎日三食摂らねばならないこと である。これだけは実に厄介で、食事のたびに外へ行って食ってくるか、何か手頃なものを買ってきて食うかせねばならぬ。暑い日盛りに、たかが物を食うたび に出掛けねばならないかと考えるとまったく億劫にならざるを得ないのだ。

でも、空腹のやせ我慢にも限度があって、此の頃のように日照時間が16時間もあるような時にはどう しても太陽のギラつく中を食うために歩かねばならない。

このところ、毎日うだるような暑さが続いていて、日中はじっとしていても汗がにじみ出て くる。雨らしい雨をほとんど見ない。東京は今日から第4次給水制限体制を引き、45%給水という厳しさである。幸い井戸水に頼っている武蔵野・三鷹地区は水道の水が出ない ことはないのであるが、隣家の火事とばかり言っておれぬのは、何でも霞ヶ関の方は昨日来丸二日給水バルブの操作の誤りから一滴の水も出ないということだか らである。二日間、完全に断水されたのでは、お茶は飲めず、手足は洗えず、水洗便所も使用不能になってしまう。

此の頃のはやり言葉に「東京サバク」ってのがあるが、大都市東京も哀れなものである。

 

夏休みをとる
1964.8.13
木曜日
1964.8.13

木曜日



〇早いものでもう木曜日です。月曜日から今日まで、いったい何をしたんだろうと思い返してみても、全然思い出せないくらいです。「岩井の休日」 が、あまりに素晴らしかったので、いささかその反動で、気抜けしたみたいな一週間を送ってしまったようです。ただ、あの三日間の様々な情景を日に幾度も思 い出しては懐かしいでいるうちに、いつの間にか一週間たってしまったような気さえします。

 オードリー・ヘップバーンにしても、グレゴリー・ペックにしても、<<ローマの休日>>の翌日からは、相当長い間、おちおち仕事に手がつかな かったのではないかと思うのですが、あなたはそう思いませんか。ぼくらがサヨナラとお別れを言ったとき、少しは寂しいと思っていただけたでしょうか。それ とも邪魔者がいなくなって清々したと…?まあ真理はおおむね中間にあると信じて、邪魔者がいなくなってホッとすると同時に、少しは寂しいと思っていただけ たのではないかと思うのですが…思い上がりもはなはだしいと言われなければ幸いです。

 でも、あなたがたの楽しいVacanceに、いささか強引に割り込んだ無礼は許してくださいね。とは言うものの、いささかの強引さを無礼さのお 陰であんなに楽しい思い出を持つことができるというのなら、時には、いささかどころか、大いに強引で無礼でありたいものだとまで思うぐらいです。この手紙 は、あなたに一言お礼を言いたくて筆をとったのです。僕が岩井で得たまたとない思い出に対して、あなたとシゲちゃんに心からお礼を言いたくて筆をとったの です。

 僕は岩井から両手に持ちきれぬほどの大きな花束を抱えて東京に帰ってきたような気がします。この美しい花束の中には大輪のバラの花もあれば、小 さな野菊の花もあります。あなたから貰った花もシゲちゃんから貰った花も、また宿のオバさんからや、岩井で仲良しになった小さな友達から貰った花もあれ ば、僕がこっそりとあなたの胸元から摘み取った花もあります。輝く太陽の日差しを浴びていかにも元気に咲き誇った花もあれば、ミルク色の天の川から零れ落 ちた露を吸って可憐に匂いたっている花もあります。

 ここ一週間というもの、僕はそうした花々の香りを一つ一つ心行くまで胸深く吸い込んでは、その香りにまつわる様々の情景を心に描いて幾度も幾度も懐かし んだのです。

 あなたも覚えているでしょう。カッチンという小柄で素敵な女の子がいたことを。僕の花束は、一番多くその子のことを思い出させます。あなたが、そのカッ チンのおもかげを忘れてしまわないように、ここに記録にとどめておくことにしました。



―カッチンが塩水を飲み込んで、いかにも苦そうに顔をゆがめている。「苦いわ」

―砂浜にうつ伏せになったカッチンが、可愛い口元をゆがめてほんのちょっぴり悲しそうな顔をする。「私の気持ちがわからないのだわ」というふうに帽子を深 く被って。

―夜の海辺、風が強くてカッチンの服が大きく膨らむ。

「ずいぶん肥っているみたいだね」

「妊産婦のようでしょ」

「うん、三ヶ月ぐらいだね」

「ドスン」

−誰かが背中をいやというほどブタれた音、イタイ!




―渚で泥を塗りたくりながら、此の頃はやりの美容術の話。

「アベさんの奥さんが、そんな何万円もするような美容院に行きたいと言ったらどうする」

「どうするかなぁ。是非行きたいというのなら、余裕があれば行かせてもいいし、余裕がなければ…」

「私なら、行かせてなんて言わないわ」

「そんなところに行ってみても始まらない人もいるし」

「どうせそうでしょ」

カッチンはプイと立ち上がって、海の中にザブザブと入って行ってしまった。

「そんなところに行かなくたってもともと誰かさんみたいに、素敵な人もいるし」

カッチンは、本当に怒ったのかな。それにしても、話を最後まで聞かずに怒るなんてなっちゃないぞ。

―もう一つカッチンが怒ったことがあった。

カッチンの小さくて可愛くて細長い指に

「オランウータンの指みたいだね」

「まぁ、失礼ね」



 カッチンが、可愛い口元を尖らせてすねる振りをするのが見たくてついつい余計なことを言ってしまう。そればかりでもないかな。可愛くて素敵だと 思っても男の子って案外テレ屋さんで、そのまま口に出しては言えないものらしく、ついつい余計なつまらぬ事を言って、すっかり女の子のご機嫌を損じてしま う。−よくある図だとは思いませんか。



―ゴハンを食べながら

「君は良妻か賢母かどっちにしかなれないとしたら、どっちになる?」

「良妻になるわ」

キッパリ言い切って、カッチンは大きな瞳でキラリと僕のほうを見た。



―満天の星、潮騒、涼風。カッチンが小さな美しい声でメロディを口ずさむ。遠くで花火が夜空に尾を引いて消えていく。ひととき貸しボート小屋にもたれか かって、幸せに身をゆだねる。このまま時間を永久に止めることができたとしたら…

「ああ、流れ星!」

―カッチンは、「ローマの休日」はもう見たいとは思わないという。それは、あまりに悲劇だから。アン王女があまりに可愛そうだから。

「別れるときの新聞記者の気持ちがよくわかるなぁ。ほんとうにかわいそうな気がする」

「アン王女のほうがもっとかわいそうよ」

男には男の気持ちが、女には女の気持ちがやっぱり一番よくわかるものらしいですね。どうしても、一番自分の身につまされることから、人間は最初考えてしま うものらしいのです。

「私はローマの休日なんて経験したくないわ」

「でも、アン王女にとって、ローマの休日って、経験しなかったがよかったように思う?」

「そうね、アン王女にとっては、経験したほうがよかったかも知れないわね」

「一生の間、その思い出が彼女の胸に焼き付いていて、幾度も思い返しては懐かしむことができる。アン王女にとっては唯一のほんとうの人間味にあふれた思い 出」

「ほんとうにあんな映画を見ることは、幸せの尊さを教えてくれるわね。何気ない幸せにしても、どんなにか失われやすいものであり、自分だけで、どうにでも できるようなものでありながら、どんなにか他人の深い配慮にかかっているものであることか」



―カッチンがトシエちゃんを膝の上にのせて

「どう、似合うでしょ」

「二人とも、子供みたいだね」

「まぁ、失礼ね」

でも、本当は似合っていた。いかにも初々しいかわいらしさ。カッチンならトシエちゃんの十倍も可愛い赤ちゃんを産むことだろう(トシエちゃんゴメンナサ イ!)どんなにか素敵なママになることだろう。



―カッチンが真剣な表情で

「オバサン、カヤを別にして下さらない。アベさんもそのほうがいいでしょ?」

「うん」



―カッチンは左ぎっちょ。

ゴハンをよそおうのも、モモを剥くのも、何となく不器っちょで危なっかしい。

「私が果物を剥いていると危なっかしくて見ておれないってお母さんは剥かせないのよ」

モモはべちゃべちゃになったけれど結構美味しかったよ、カッチン。何かが染み込んでいたのかも知れないね。



―カッチンが部屋の隅に寝転んで手帳を覗き込んでいる。僕も寝転んだままその様子をじっと見ていると、カッチンが気にしてチラリとこっちを見る。 目が合う。カッチンが目を逸らす。また、こっちを見る。また目が合う。カッチンがまた目を逸らす。今度は手帳に僕の似顔でも描くような素振りをしている。 ほんとうに描いているのかな。また、こっちを振り向く。目が合う。目を離す。

何回繰り返したことだろう。似顔絵はできたかな。とうとう二人とも噴出してしまった。真昼の秘密の楽しいゲーム。



―そういえばアベさ んとダンスパーティに行ったことがあったわね。ふと思い出したのか海辺で砂をいじりながらカッチンが、言う。

「また今度行かない かい?」

「もう、ダンスパー ティなんか一生行かないわ」

シゲちゃんを気にし てあんなふうに言ったのかな。それとも本気かな。―どうしてだろう。

 

―手相を見てあげ る。夜の浜辺で、懐中電灯を照らしながらカッチンが手相見になる。

「シゲちゃん、あな たには子供が沢山できるわよ。」

なんて勝手なことを 言っている。

「私は、2回結婚し そうだわ。そうしたら、最初年取った人と結婚して、後から若い人とやりたいわ」

―翌朝、ケネディ夫 人の話から

「最初に結婚した人 が若死にしたらどうする」

「一緒に死んじゃう わ」

「でも、その頃は心 境が変わっているよ。それに、昨日の運勢で2回結婚するって出たじゃない」

「アベさんは私にど うしても2回結婚させたいのね」

 

―カッチンは林芙美 子の「うず潮」がえらくお気に入りのようで、シゲちゃんと真剣な顔してテレビの画面を見入っている。林芙美子のセリフに時折ため息をついたり、哀しそうな 顔をしたり。終わってからもああのこうのとシゲちゃんと言い合っている。

   花の命は短く て

   苦しきことの み多かりき

「いい言葉ね」

「上杉コウヘイとは 同棲するけれど結婚はしないのよ」

「彼は本当は明大生 なのにテレビでは東大生になっているのよ。どうしてかしらね」

 

僕がからかう。同じ 姓だから、林さんと言われると自分が呼ばれているような気がしてそれで一生懸命聴いているんでしょ。

「そんなことないわ よ」

 

―海の中で、カッチ ンの白い肢体が波の中に揺らめいている。僕が潜っていって足を持ち上げる。

「キャー」

「塩水、飲んだで しょ?」

「飲まないわよ。で もずいぶん、悪趣味ネ!」

 

―「もう、上がりま しょ」

カッチンが岸辺に向 かって歩いて行く。

引っ張って行って― と甘えん坊が手を差し出す。

「イヤ」

「頼む」

小さないさかい。で も、カッチンは甘えん坊のしつこさにしぶしぶ片手を与えてしまう。甘えん坊は、子供のように手を引かれて、バシャバシャと喜びながら引っ張られて行く。

 

―心理学の先生から

「いい人が見つかっ たら見せに来いって」

 

―「東大生って理性 的ね」

ちょっぴり非難する ような口ぶりでカッチンが言う。東大生の端くれが、理性的でない奴だっているさと肩身の狭い思いで口を尖らせる。

 

―「スイカをたべま しょうか」

「そうしよう」

「それじゃ皆で食べ ましょうよ」

お客さん5人とトシ エちゃんを入れて全部で9人。

「切って」

全権を委任されて精 一杯うまく切ろうとするのだけれど、スイカはもともと小さいのだし、人数は多いのだし、なかなかうまく行きそうにない。隣で見ている例の不器用な左ぎっ ちょさんが、このときとばかり、僕の苦労も知らず、ああのこうのとえらそうなことを言っている。やっとこさ9枚に切り分けたけれど、自分ながらあきれるほ ど大小様々中にはいびつなものまで混じっている。

「うまいものね!」

これでは分配するの に一苦労だと思っている間に、カッチンがガブリと一番大きなやつにカブリついた。気取りのない自然な振る舞い。気の置けない気さくな感じがして、清々し かった。それでいて、スマートな。普通の女の子なら男性の前でなかなかあんな振る舞いはとれないものだ。僕自身あっと気を呑まれたような感じがした。

 

―カッチンの口癖

@     オーノー(ジャックリーヌ夫人の真似。彼女は少し夫人に似ているのだ。)

A     死んじゃう。(あっさり言ってのける。死んじゃったらと考えると僕のほうがじっとしてい られなくなる。)

 

岩井の休日
1964.8.15
土曜日

1964.8.15

〇終戦記念日

〇終戦以来19年 たった。

 昭和 21年に小学校 に入学した私が、全学業の過程を終え、すでに社会人としても2年生になっている。

 19年 の間に、非常に多くのものが変わった。現代みたいな一応落ち着いた状態を知らなかった私たちには、むしろ目まぐるしいほどの変化こそ常態だった。まるで一 本道の坂の上からものすごい勢いで、転がり落ちてくる岩石にぶつからないようにと、そのほんの少し前を息せき切って走っているようなものだった。

 ほっと一息入れる ような余裕はほとんどなかったのである。現在はまがりなりにも一息入れることができる時代である。多くの激動の要素を、まさに帆にはらんだ観がなきにしも あらずだが、我々の年代の者にとっては、初めて常態的な感じがする時節ではある。

 


1964.8.16
日曜日

1964.8.16

日曜日

〇女性は男性にとっ てオアシスで あるべきである。ところが、この世の中にはサバクみたいな女性のなんと多いことだろう。オアシスと思ってやっとたどり着いたところが、サバクの上の蜃気楼 であったりすると、われわれ旅人はほんとうにがっかりしてしまうのだ。やさしさとセンシビリティ、これがオアシスの泉であり、緑陰である。

女性らしい情緒とや さしさで快くわれわれを包み込み、われわれの憧れを見抜き、物事に対して人間らしい感受性をもってさえすれば、旅に疲れた隊商はいつまでもオアシスのもと を去らないはずである。

 

〇今日はルネちゃん とずいぶん遊んだ。彼女はまだずいぶん子供っぽくて、屋根の上を歩き回り、いろいろお転婆振りを発揮する。五日間海に行ってきただけあって、色は真っ黒、 それに屋根のトタンの錆がついて、やはり子供っぽい汚れ方をしている。

色々と楽しい口争 い。彼女は負けずに大きな声で反発してくる。ボールをぶっつけあったり、つかみ合ったり。でも、こんな気取りのない子供らしさも、あっという間に女らしい おしとやかさに変わってしまうのかも知れない。

「もっと女らしくし とやかにしなくちゃだめだよ」

屋根の上に夕日を背 にして、真っ黒になって突っ立って、犬や猫に棒切れや石ころなどを投げつけているルネちゃんに言うと、

「あら、私これでも ずいぶんおしとやかになったんだそうよ。子供の頃はもっとすごかったんですって」

とけろりとしてい る。

ぼくも中3ぐらいで 妙にませくれた女の子よりも、のびのびと明るく子供っぽい女の子のほうが好きだから、からかって言っているに過ぎないが、後3年たつと彼女も18の女の子になっていると考え ると、なんだか恐ろしいような気がしてくる。

 

女性は男性のオアシスであるべきだ










ルネちゃんと遊ぶ
1964.8.19
水曜日

1964.8.19

水曜日

Katchinのために「野菊」 の詩を作ろう。秘められたかれんな恋。

〇中国現代史(読了)


1964.8.20
木曜日

1964.8.20

木曜日

 

〇雨と降るならば今 日の雨のように…

朝、眼が覚めると雨 の音だ。久しぶりに聞く雨の音だ。何となくほっとして窓を開ける。白い雨脚の下に屋根並が遠くまでキラキラ光っている。木々が生き返ったような顔をして、 静かに天を仰いでいる。

 

ほんとうに一月ぶり の雨だ。昨日までは連日の猛暑だった。7月22日以来毎日31度を越す日が続いていた。明治何年かに31日間も31度を越す日が続いたことがあるそうで、 今年はこれを破るのではないかと新聞が騒ぎ出した矢先だった。

待ちに待った雨だっ た。

 

つい、五日前の終戦 記念日にこんな冗句がNewspaperに載っていた。

 

歴史

19年前――廃墟

19年後――サバク

 

まさしく東京は砂漠 と化しつつあった。貯水池には完水時の23%程度の水しかなく、給水制限は第4次まで強められ、一日中断水する区域も出る始末。と うとう自衛隊までが、引っ張り出されて、給水作業をやっていた。土はからからに乾き、人間の心まで乾きつつあった。まさに今日の雨こそ慈雨である。

 

人々は等しくほっと 胸を撫ぜ下ろしたことだろう。

白い雨脚が激しく舗 道にたたきつける。

自動車が水を撥ね上 げながら、疾走するさえ、子供が嬉々として水浴びしているかのように感じられる。

 

夜更けまでに東京地 方で53.3mm。小河内貯水池の付近で85.6mmの雨が降ったとRadio Newsが伝えている。これで500万トンの水が、貯水池に流 れ込むとのことである。給水制限もいくらかは緩められることであろう。

 

雨はまた秋がついそ こまで来ていることを教えてくれた。そういえば8月も20日、こんな涼しい日が週に2、3日はあってもよい頃なのであった。朝方パジャマだけでは薄ら寒い 雨気をはらんだ風に、今年もまた秋が、連日の猛暑の後ろでじわじわと忍び寄っていたことを感じたのだった。そういう目で見れば、雨に濡れた景色には、どこ となく秋らしさが感じられ、もはや華やかな夏の面影は、どこにも見当たらない。一夜にして夏は去り、秋がやってきたのだ。

 

0時25分。雨の音がひとしきり高まっている。夜の暗闇が雨に濡れて、遠くに瞬く灯の明か りがひときわ輝くように見える。窓を開けた私の部屋を、秋を思わせる風が吹きぬける。


久しぶりの雨
1964.9.2
木曜日

1964.9.2

水曜日

9月です。早いものです。でも来月は10月。ノリコはきっとオリンピックを見物に久しぶり に東京にやってくることでしょう。楽しみにしております。でもこれも彼女が溺死もせず、交通事故にもあわず、日本脳炎にもかからなかったらの話。お母さん ならずとも心配です。でも彼女のことだから、お母さんを悲しませたり、僕を嘆かせたりするようなことをするはずがありません。きっと毎日、適当に泳ぎ、安 全運転に心がけて、あの元気な顔でまた東京にやってくることでしょう。真っ黒けのけになったということだけど、10月になってもまだまだ黒い顔をしている かしらん。僕もこのところ海に行ったり、毎週テニスをやっているので、もともと色の白いノンコに比べたらやはり、白人と黒人ぐらいの差はあるだろうな。

 

<プロローグ>

手紙を書く前の独り 言をテープレコーダーで収録してみました。ちょっと耳を傾けてみてください。

「……ブツブツブツ ブツ……もう9月か、早いもんだなあ。でも来月は10月。ノンコはオリンピックを見に来るとか言ってたっけ。楽しみだナ。

局長にくっついて九 州に行くとか行かぬとかずいぶん前宣伝をやった挙句、とうとうお流れになって彼女に悪いことしちゃったなあ。広島では、土日を利用して簡単に往って帰って くるわけにもいかないし、そうかといって9月中は忙しくて休みをとることもできそうにないし。やっぱり彼女の上京待ちだ。

でもこれもノンコが 溺死もせず、交通事故にもあわず、日本脳炎にもかからなかったらのハナシ。お母さんならずと心配だナ。でも彼女のことだから、お母さんを悲しませたり、僕 を嘆かせるようなことをするはずがない。きっと毎日適当に泳ぎ、安全運転に心がけて、此の頃ではきっとイヤだイヤだと言っていた洋裁学校にも真っ黒けのけ の顔で元気に通っていることだろう。そして10月になったら元気な様子で上京してくるに違いない。

真っ黒けのけになっ たとは言っているけれど、もともと色の白いノンコのことだから、僕みたいにもともと黒くて此の頃のように毎週テニスをやってますます黒くなっているのと比 べたら白百合と黒炭ほどの差があることだろう。

9月もエンジョイし たいけれど、早く10月になっても欲しいし、そうだ彼女のほうはそんなに忙しくもないんだから9月中にでも遊びに来てもらえばことは簡単だ。手紙でも書い て誘ってみようかしら……プツン」

 

≪本文>

Dear Noriko

 お便りありがとう。懐かしく拝見しました。元気でご活躍の様子なによりと思いました。誕 生日祝いに”パブリカ“を貰ったそうですが、ずいぶんデラックスなプレゼントを貰ったものですね。<人生の皮肉>どころか、人生の春を謳歌しているようで すね。ひところ退屈だ退屈だと言っていたヒトが、あっという間に人生の享楽者になってしまった感があります。僕とは夜の7時ごろまでしか、せいぜいで9時 ごろまでしか付き合ってくれなかったヒトが、毎晩7時ごろから出掛けて10時ごろ帰宅するとは!あああなたと知り合いになるのは、8月が良かったかも知れ ませんね、宮島で。そうしたら、もっとロマンティックな、もっと素晴らしい思い出を持つことができたことでしょうに。

 それにしても残念 だったのは、今みたいに忙しくならないうちに休みを取ってあなたのところに遊びに行かなかったことです。局長の出張がずるずると延びるもので、そのうちに は、そのうちにはと思っているうちに9月になってしまったのです。8月には1週間休みを取ることができたのですから、もしそうするとすれば、最良のチャン スがあったのです。

でも今は少々忙しす ぎて休みが取れそうにありません。土曜に行って日曜に帰る。あまりに味気なさ過ぎて、あなたと別れる段になって、何のためやって来たのだろうとため息をつ くことになりそうです。せめてはのんびりとした一日をあなたのパブリカで広島の名所めぐりをやったり、宮島の海で泳いだり、愉快に陽気に過ごしてみたいも のです。でもこれは実現の可能性が今のところありません。

あなたはいつかオリ ンピックの入場券を手に入れたとか言っていましたね。オリンピック見物のため上京してきますか。ずいぶん先のことかも知れませんが、是非出てきて欲しいも のです。せめてはそのとき、6月ぶりの再会をゆっくりと楽しみたいものです。あなたがどんな風に変わっているか今から楽しみです。

 運転のほうはその 後うまくなりましたか。いつか是非乗せて欲しいものですが、「心許なくて安心して乗ってられない」のではやっぱり心配です。でも、あまり猛練習をやりすぎ て……ということにならないようにして下さいよ。とにかく自分で精一杯気をつけていても、後ろからダンプカーをぶつけられない保証はないのですから、くれ ぐれも気をつけて運転してくださいね。東京に比べれば広島はそれほど危険ではないのでしょうけれども、やっぱり気にかかります。あなたには東京まで自動車 でやってきてもらいたい気はしますが、今の交通事情を考えると、勧めるわけにはいかないようです。

 やっぱりオリン ピック待ちになりそうですが、暇があったら、どうぞオリンピック前の東京を視察するつもりで上京してきませんか。オリンピック選手以上に歓迎いたします が。

 東京もこのところ ようやく雨が降り、それに伴ってさすがに秋らしい風も立ち始め、やっとこさ“東京サバク”から抜け出したようです。水の心配のほうは住んでいたところの関 係もあって全然せずにすんだのですが、暑さには閉口しました。

「日中は通産省のビ ルの中で暑さ知らずでしょうね」

これが心頭滅却すれ ば火もまた涼しというあなたの皮肉だとしたら「参った」と言わざるを得ないのですが、「完全冷房で暑さ知らずでしょうね」という意味でしたら「トンデモナ イ!」と心頭を熱くするところです。「国民の税金を使って役所を冷房する必要はない」らしくて、お陰で28日間も31Cを越す暑さの続いたこの夏を骨 の髄まで満喫させてもらったような次第です。でもこのところ張り切って硬式テニスをやっているせいか、バテもせずに、秋にゴールインしました。まずはメデ タシというところでしょう?

 あなたはテニスは やらなかったかしら?毎週欠かさず土日に練習するので、将来のホープ視されるようになりました。僕の上司で僕より一年前に入省した小島さんという人と組ん でいます。とにかく練習を始めたがサイゴ、球が見えなくなるまではクタクタになっても練習を止めないぐらいの熱心さなので、庭球気狂いがまた二人(小島さ んもろとも)増えたということらしいのです。3月ごろこんなことになっていたらあなたとのデートは全然できなかったことでしょう。あなたが広島にいればこ そテニスの腕が上がったわけですから、あなたにもお礼を言うべきなのかも知れませんね。

 9月の深夜、夕刻パラついていた 雨も上がって、秋の虫の音が、この下宿の二階にも聞こえてきます。

あなたはこの下宿に 2度ほど訪ねてきてくれた。そのときのことを思い出すと我知らず微笑んでしまいます。いつだったかお電話したら「わたし首の骨を折ってしまったの。今首に ぐるぐる包帯をしているのよ」とすっかり驚かされてしまったことがある。その翌日だったかやってきてあなたは、いかにも気恥ずかしげにマフラーをほどい て、赤十字病院まで駆けつけた大キズを見せてくれた。病院の先生が相手にしてくれないのも当然だった。目を皿のようにして見ない限り目にもつかないような 湿疹があなたの白い首筋の少し左寄りのところをほんのちょっぴりピンクに染めている。あなたは「大げさだったかしら」と言った。まさしく!である。あの頃 のことを思い出すと事毎に微笑を禁じえない。なぜかしら心が幸せに満ちてくるような気がする。

 ノンコ(僕がこう 呼ぶことをあなたが許してくれるなら)一日も早く10月に上京できるかどうかお便りください。<ノンコとパブリカ>の写真があったら送ってください。お便 りと写真を待ちわびている薄幸のこのオノコに少しは同情して……

 

 さて、もう午前1 時、あなたはも今頃は可愛い寝息をたてて眠っていることでしょう。僕もそろそろ眠たくなってきました。お休みなさい。せめては美しい夢を

 

1964.9.2

阿部毅一郎

 

 

 

ノンコの手紙への返事
1964.9.4
金曜日

1964.9.4

金曜日

Rousseau Les Confessionsを 読み始めたのは桑原訳が4月30日に筑摩書房の世界文学大系の一巻として発売されてから間もなくの頃であった。

私はたちまちRousseauのとりこになっ たのだが、ほんのちょっとした気まぐれからか、何か事情があってのことか、2,30頁読んだきりでそのまま放置するようなことになっていた。今こうして熱中して読んでいる ことを思うと、その中断の理由の見当が付かないのだが、とにかく先週の中ごろまでは、私からルソーは冷遇されていたのだ。

このところ大冊に取 り組むこともなく、いささかそうしたものに飢えを覚えていた私は、ふとRousseauをそのままにしていたことに気づき、早速読み始めたのだ。Les Confessionsほ どの大冊になると、私のように勤めが忙しい身には、それほど簡単には手に負えない。毎朝の三鷹から四谷までの通勤時間はかならず、告白の読書にあて、帰宅 してからの時間をいろいろと工面してみたが、今日までやっとこさ最終巻に到達したに過ぎない。でも明日中に読み終えるめどは付いた。最終巻を読み終えてか ら読後感を記しても遅くないが、こうしたあまりに偉大な書物に接すると、何かしら自分の感動を書き記しておきたい気になるものだ。

Rousseauのこの書物は何かしら私に偉大なものの息吹を吹き込むような感じがする。この書物の背後 には、偽らざる巨大な人間の姿が常にあり、それが異様な迫力をもって私に迫ってくるのだ。第一部においてRousseauは、何と瑞々し いことであろう。その簡潔で落ち着きのある文体で、人間のおよそ感じうる全ての感覚を、生き生きとあますところなく読者の前に繰り広げてみせるのである。 読者はまるでRousseauその人になりきって、共に息をし、共に胸を高ぶらせながら、完全に彼の世界のとりこに なってしまうのである。

ああ、何度書物を置 いて、あまりの胸の痛さにRousseauと共にため息をついたことだろう。時には、あまりの心地よさにRousseauと共に恍惚感に 身を委ねたのだ。Rousseauは非常に近しい人間である。私はRousseauが理解できるという以上に彼に共感を覚える。Rousseauがこの第一部で 述べた全ての感情に私は素直に何のわだかまりもなくついていけた。私はしばしばRousseauの感情を先取りしていた。Rousseauはほとんど私を裏切らなかった。

私はルソーその人の 中に私自身を 見、本を読みながらしばしば自分自身が語られているような気にさえなったものである。ルソーがガレー嬢とグランフェンリード嬢と三人で過ごしたトゥーヌで の夏の一日の思い出のために私はルソーと共にいくども涙を流す人間である。ルソーほどに感情・感覚の豊かな人を私は知らない。ルソーこそ人間がこの世で感 じうるすべてのことを感じうる豊かな、本当に人間らしい感情と感覚とを持った人なのだ。

しかも、その感情と 感覚とを類まれな正確さであの甘美な文章の中に 表現しつくす類稀な才能を持った人なのだ。当たり前の、きわめて平凡な人間らしさと、偉大な天才とを兼ね備えた、永遠の人類の友人なのだ。この本を読む全 ての人は、この書物の中に自分の分身を見ながら、しかも天才の偉大さに心打たれるのである。


ルソーの「告白」を読む
1964.9.8
火曜日
1964.9.8

火曜日

〇夜の9時20分ごろKatchinにtel.した。出てきたのは彼女だった。声を聞いただけですぐわかった。彼女の方でもすぐわかって、クスクス忍び笑 いをしている。

「モシモシモシモシ」

お互いにわからぬふりを装いながらしばらく相手の出方を伺っている。

「カツコさんいらっしゃいますか」

「今お出かけです」

「じゃシゲちゃんですね」

わざと間違えたふりをして

「シゲちゃん、お姉さんはとっても冷たい人ですよ。帰りは遅いのですか。今日もいないなんて…」

と続けるものだから、彼女のほうでとうとう業を煮やして

「阿部さん誰にかけているつもりなの。お姉さんはお出かけなので電話を切りますよ」と言ってきた。切られては大変なので「じゃぁこれからお姉さんに tel.しましょう。もしもしカツコさんですか」と真面目な調子で切り出す。

「ちょっと、待ってね」と彼女しばらく待たせて、急いで二階の自分の部屋に駆け上って受話器を切り替える。これからがいよいよ本番なのだ。

何と色々なことを話したことだろう。その電話の途中でも言ったのだけど、まるで自動車を快速で吹っ飛ばすような心地よさだった。小気味よいほどにハンドル が切れて彼女が「本当にアベさんの話術の罠に引き込まれて何がなんだかわからなくなってしまいそうだわ」と髪を風になびかせているかのよう。最後まで会話 のスピードも心地よさも少しもおとえぬままゴールに突入した。

時計を見ると10時をすでに少々回っていた。

「アベさんの電話は私の心の平安を乱すわ」

この一言をめぐって何と多くの論争を交わしたことだろう。「今夜は寝られそうにないわ。アベさんは私の心がわからないのよ。それはtelしている間のこと はわかるかもしれないけれど、電話を置いた後の…」

僕が色々とわかっているという例を挙げる。

「わかってないわ」と繰り返しながらも、彼女は自分で自分の心を現してしまい、自分の心をある程度まで見透かされてしまうのだ。

「秋が寂しいものだということが今年になって初めてわかったわ」と彼女が言う。

「それはあなたの女心が成熟してきた証拠ですよ」

「こんな気持ちなんて男の人にはわからないでしょうね」

「とんでもない。男性こそ女性以上にそういうことには敏感なんですよ。男に大詩人はいても女の大詩人ってはあまりいないでしょう。ぼくにはそんな気持ちが わからないように思える?」「アベさんは詩をお作りになるしわかると思うわ」

悪趣味の話。女性心理の話。彼女、ぼくがまりに彼女の心理を言い当てるのに業を煮やして「誰からそんなに教えて貰ったのよ」と暗に自分以外の女性からぼく が教えて貰っているんでしょと言わんばかりことを匂わせる。

「だってぼくのすぐ目の前にまったく女性心理のお手本通りの心理の動き方をする人がいるんだから女性心理には強くなりますよ」と言ってやると「まぁ失礼 ね。電話でなかったらとっつかまえてとっちめてやるところよ」

 彼女は答えに窮してくるとすぐ「知らない」と言ってしまう。それがいかにも彼女らしい。

「君がどんなところで知らないと言うか調べれば君の心理ぐらいすぐわかるわけでしょ」

写真の話。彼女は話の途中でそれとなく自分がお父さんの跡を継がないでいいことを言い出した。

「もっと真面目な話をしましょうよ」「あなたは本当に真面目でお母さんのお気に入りの愛娘で」と言うと「お気に入りの愛娘でもないことよ。跡は継がない し、しょうのない娘だと言ってるわ」「じゃぁ跡はシゲちゃんが継ぐの」「まぁ、そうでしょ」という次第である。

 彼女は電話の間中ずっと楽しそうだった。声が弾んでいた。「困っちゃったわ」という時でさえも、その声の中には幾分甘えがあり、ぼくの耳にすごく心地よ く響くのだった。「可愛い声だね」というと「そんなこと言うと嫌」とすぐすねるのだけど、どんな言葉の裏にも、心のときめきがにおっていて、どうしてもぼ くの心を吹き抜ける冷たい冬の風にはなりきれないのだ。「心の平安が乱される」とか、女性心理がそんなにわかるのなら、私の言葉だけからでも私の気持ちが すぐわかるでしょ」というような言葉は、実は多くのことを語っているのだ。それに気づかぬのはよっぽど堅物の男である。彼女は「私の心が少しもわからない のね」と言いながら、私の心を推し量っているのだ。そして、私の受け答えに幾分安心してあれほど陽気にはしゃいでいるのだ。

「電話では本当にわかっていても、相手の歯ごたえがなくてよくわからないでしょ。だから、今度の金曜日に会うことにしましょうよ」

そのとき少し機嫌を損ねたようなふりの出来た彼女は「だめ」と高飛車に出るふりをする。

「ね、いいでしょう?」

色々遠まわしに攻めて、彼女を陥落させる。最初からきっぱり断る意志はないことが読み取れるような受け答えをしているのだから、一歩ずつ彼女を後退させる のが、むしろ楽しみのようなものだった。時間と日取りが決まったところで、彼女が「もう一度tel.して。場所のことを考えとくわ」「うん、もう一回話せ るチャンスがあるんなら          tel.するよ」「じゃぁ、そのときまで行くかどうかも決めとくわ」「それはずるいよ。それならここで場所を決めよう」「じゃぁ、きっと行くわ。場所は考 えておくわ」

ずいぶん長い電話だったけれど、この後、二言三言お別れの挨拶を交わして終わったのである。

K.H.に電話
1964.9.13
日曜日
1964.9.13

(日曜日)

〇9月8日にKatchinに電話したことについては、前の頁に実に詳しく記したとおりである。ところで9日に映画の試写券を手に入れた。開園が0日の午 後1時となっていて仕事の都合でその時間はどうしても手がはずせないので、Katchinに行ってもらおうかと思って夜の9時ごろ電話をかけてみた。前の 日にあんなに長い電話をしたすぐ後なので、電話口にお父さんらしい人が出られたとき少々どぎまぎしたのだけれど、何のことなくKatchinにつないでも らえた。そのことをKatchinに率直に言うと、「実はね、昨夜は私以外に誰もいなかったのよ」「それならもっと長くお話すればよかった」「帰ってくる 気配がしたので、急いで切ったのよ」

このKatchinの言動からしてKatchinにとっても電話が決して楽しくないものではないこと、事情さえ許せばいつまででもかけていたいものだとい うことが言えないだろうか。8日の日は実のところ僕のほうが気を回してKatchinが平気でいろんなことを語りだすのをびくびくして聞いていたぐあいな のである。

 彼女に映画の試写会の券があること。本年度のアカデミー男優賞を黒人としては最初に受賞したシドニー・ポアチアの主演する「野のユリ」という映画で決し て失望するような映画ではないこと。など色々宣伝に努めて、やっとこさ例によって重たい彼女の腰を上げさせることに成功した。映画はまだ一人で見たことこ とはないから寂しくって嫌だ。とか、このお嬢さんはなかなか首を縦に振らないのだ。ほんとにやっとこさの思いで彼女が「それじゃ、行かせていただきます わ」と言うのを聞いたのだけど、「君は偉いのだから、それじゃ行ってあげるわといえばいいんだよ」とあくまでもぼくは低姿勢を押し通す。

 10日は、秋らしい日差しの明るい日だった。彼女と地下鉄の虎ノ門駅に12時10分に待ち合わせた。10分になってからもずいぶん虚しく数本の電車を見 送った。やっと25分ごろ彼女がやって来た。

「ごめんなさい」といかにも悪そうな顔をする。木曜日は洋裁学校は午前中だけで、色んな講師を招いて一般教養的な話を聞く日らしく、その日はロシア文学者 の角ケイコの「女性の美しさ」についての話しがあり、それが少々長引いたのだそうである。

「とっても」感銘を受けたわ」と彼女は生気を吹き込まれたかのような生き生きと晴れ晴れしい顔つきを見せながら、何かしら生きることに対する自信というも のを覗かせるような話をするのだった。

「一番感銘を受けたことってどんなこと?」と僕が問いかけると、「女性も積極的に生きなければならないという話。明治以来にほんの女性はとかく消極的に生 きてきたけれど、これからは積極的に生きていかなければいけないんですって」「そうだよ、男性にとっても女性が消極的でいつももじもじと煮え切らないこと ぐらいつまらないことはないんだよ。ときには、積極的に振舞ってくれるとどんなに嬉しいことか」

「それにもう一つ美しくなるためには個性的でなければならないって。でも、とても難しいと思うわ、個性的になるっていうこと」「難しいことは確かかも知れ ないけれど、個性的たらんという意欲を常に持続して持ち得ないならばいつまでたっても個性的にはなり得ないだろうな」「年をとればとるほど美しくならなけ ればならないって。私にはできそうにないわ」「ぼくらは20年たてば、40、30年たてば、50の大人になっていることだろう。だけど40歳のぼくが50 歳のぼくが、今の僕らより偉いわけは全然ないんだよ。今の僕らがむしろ両親で、40歳、50歳の僕らは、今の僕らの子供なんだ。今から生まれてくる子供を 虚弱児にしないためには、今の僕らが充分に栄養を摂り、健康にも注意しなければならないんだ。忽然として齢をとってから、美しくなれるものでもない。現在 の僕らが着実にそれを準備しておくのでなければ…」

 試写会をやる日本ユナィテッド・アーティストの試写室は、新兼坂ビルの8階にあり、30人程度しか入れそうにないこじんまりとしたところだった。 Katchinと並んで一番後の席に座り、映画が始まるまでの15分ほどを上に書いたような話やら、取り留めのない話やらに費やしたけれど、たとえどんな 話にもせよ、二人のはしゃいだ心にとっては、単なる付け足しに過ぎなかったことだろう。

 僕らが楽しんでいたのは、そうした場所に二人して寄り添うようにして坐っているということだけだった。Katchinが意地悪なことを言うので「本当に とっちめてやろうか」と僕が手を差し出すとKatchinは逃げるようにして逃げず、ただ「お母さんからもつねられたことがないのよ」と言っただけだっ た。ぼくは、人差し指をおずおずと伸ばして、彼女の二の腕のあたりを触るか触らないくらいにそっと撫ぜた。彼女は黙ってそれをさせておいた。ほんのしばら くのことであったけれど、彼女のそのときの姿、顔つきを思い出すと、我知らず心がときめいてくるようなそんな甘美さに、そのときわれわれはともども支配さ れていたのだ。

 1時になったので、ぼくは試写室を出た。

「さいなら」

「さよなら」

そのとき僕らが見交わした視線の中に、愛の喜びと、恐れと、不安と、恥じらいとを、一瞬にして感じ取り得るものがいたとすれば、その人にこそ、僕らは、僕 らの恋のすべてを何一つ隠し立てしないで打ち明けることだろうに。

 役所に帰ると1時半から会議だった。ああ、何度その会議の席上で、彼女を思い出しては身を切られるようないとしさにかられ、むなしく彼女の面影を抱きし めたことであろう。会議が終わったのは7時近かった。そんなわけで家に帰ったのは9時少々過ぎだった。玄関を上がりかけようとすると、奥さんから「つい今 しがた林さんという方からお電話がありまして明日の約束には、止むに止まれぬ事情があって行けないからお伝え願いたいとの言づてがございました」という言 づてだった。

 一瞬にして力が抜けたような感じがした。金曜日のDate は8日に電話したときから楽しみにしていたのだ。職場でも前宣伝よろしく、明日は5時過ぎ頃には、帰して貰える約束まで取り決めているほどなのだ。それな のに、今さら、一体、どんな止むに止まれぬ事情があるのだろう。

 ぼくはそのまま再び外に出た。荻窪に行って電話をかけた。かけようと思ってポケットに手をやるとサイフがない。出かけるときに手に握っていた事を思い出 したのでてっきり落としただと思った。仕方がないので売店の売り子に10円切手と10円玉と交換してくれないかと持ちかけると、夕刊を買っていた人が親切 に交換してくれた。ところが、第一回目の電話をかけたら、今お風呂だということだ。すぐかけなおすわけにもいかないので、万が一サイフを落としたことも考 えて駅の事務所で落とし物届けをし、そこでまた切手で10円立て替えてもらって彼女にtel.した。今度はうまい具合に彼女が出た。「一体、どうしたんだ い?」

 彼女はその日「野のユリ」の試写会が終わった後、もう一本「マリアンヌの友だち」という映画を見たのだそうである。見たかったら見たら、と言ってそっち の方の試写券も彼女に渡しておいたのだ。「2本なんて見たら頭が痛くなるわ」と言っていた彼女だったのに。

 彼女にしてみても最初は2本見る気などは全然なかったのだ。ところが、隣に座った優しい老夫婦から、今度の映画には、私たちがアメリカに行っていたとき 散歩したところなどが出るから、是非見てお行きなさいと言われ、色々と映画を見ながら説明をして貰っているうちにとうとう2本見てしまったのだそうであ る。

 「映画を見終わってから、とっても気分が悪くなって、新宿と東中野でしばらく休んでやっとのこと家にたどり着き、家に帰って寝てたの。明日はどうも行け そうにないので、お電話したの」

 これからぼくがどんな風にして彼女を説き伏せて、金曜日のデートの約束を再び確かめ合ったか、その詳細については触れることはよそう。とにかく彼女は 「まぁ、強引ね」とか、いつものようにさんざん抵抗した挙げ句、ついに「負けたわ」と兜を脱いだのだ。荻窪までtel.しに行くときの僕の陰鬱な重たい心 に比べ、とって返す時のぼくの心は幸福に酔っているかのように軽やかだった。

 金曜日のデート。楽しい語らいの一時。いや互いに沈黙していても楽しかった一時。

 Katchinの笑っている顔。泣きべそを描きかかっている顔。ぼくは知っている。その様々の顔の裏にあまりにも愛しすぎているが故に一抹の哀愁がいつ も漂っていて、笑い顔にしても、心から思い切り笑っているのでないことを。我々の瞳がじっと見つめ交わされていても、どちらかが、つと最後にはそれとなく 視線をそらさなければならないということを。我々は間違いなく愛し合っている。でも、心を許し合うまでには行っていないのだ。その原因は何か。ぼくにはわ かっている。ぼくの心がまだ定まっていないからだ。

 彼女にプロポーズしたら、彼女はそれを快く受けてくれるだろう。その時こそ彼女の笑い顔の蔭から哀愁の影が消え、我々の視線は、互いに優しい愛撫となっ ていつまでもいつまでもお互いの瞳の底をのぞき込むことであろう。そうしたらどんなに素敵なことか。

 ではどうして、ぼくが彼女にプロポーズするのに躊躇するのか。まだそれほど彼女のことがわかっていないということ。彼女の両親のことをはじめ、彼女の性 格、彼女の健康状態、彼女の気持ち、その他色々なことで、結婚するとすれば知っておかなければならない多くのことについて、ぼくはあまりにも知っていない ということだ。

 ぼくの方の条件についてみても、経済のための条件が、今のところ全然そろっていないのだ。給料は僕一人でやっとこさやっていけるほどでしかないし、住宅 はなし、結婚式をやるとしたらその資金も必要だろうし、24歳では結婚するにはまだ少し早そうな気がするし、27〜8歳で結婚するとすれば後3年〜4年の 後になって後悔するようなことにならないだろうかという気もあるし。

 とにかく、僕は彼女を愛している。彼女を抱きしめてやりたい気がする。渋谷の”でんえん”で3時間あまりも楽しい語らいの時を過ごした後、ぼくらは国電 に乗った。国電は相当に混んでいて、電車の真ん中のあたりにいたけれど、Katchinは吊り輪を掴むことができない。電車が揺れるたびにフラフラする。 ガタンとひどく揺れた。と彼女はすごく素直にぼくにつかまろうとする。それが嬉しかった。僕は彼女の背中に手を回して倒れないようにどっと支えてやった。 彼女はそれを素直に受けて、僕が指先で背中をちょっとなで回してみても黙っている。

 新宿で中央線に乗り換えるとき、ぼくらは待っていた国電にあわてて飛び込んだ。車は混んでいて僕の両手の中に彼女を抱きかかえるような姿勢になったけれ ど、彼女はまるで抱かれた子猫のように素直だった。ややあって落ち着いたときには、彼女と僕は、二人ともドアの方を向いており、ぼくは、彼女の背中に左手 をしっかりとあてがっていた。彼女の痩せた体が感じられた。ドアのガラスにぼくらの顔が二つ並んで映っていた。彼女の髪がぼくのくちびるのすぐ近くにあっ た。ぼくは電車が揺れるのを利用して、そっと髪にくちびるを当ててみた。その感触は、彼女が東中野で下車してしまった後にも、むず痒くくちびるの上に残っ ていて、ぼくの心をいつまでも悩ましくかき乱すのだった。

 ぼくの手は先ほどからの彼女の厚遇に甘えて、ずいぶんと大胆になって、それまでは少しでもきつく電車が揺れると彼女の支えとしては少し貧弱だったことを 考慮して彼女の腋の下にまで伸びていき、ついに彼女のNakedの腕を捉えた。しかし、これはぼくの確信に満ちた行為というより、東中野を目の前にして とっさにあわてて彼女の腕を捉えたようなものだった。彼女はくるりと振り向いて僕を見上げるように一瞬キラリと視線を光らせ「今日はどうも」というと「さ ようなら」と降りていった。

 ”でんえん”でパリの話をしたとき、「パリでは、恋人たちは公園の中といわず、電車の中といわず、通りでも、店の中でもいつもチュッチュッやってるん だって」「恋人同士ならばいいでしょ」と彼女は平然たるものだった。恋人同士ならば、電車の中で相手が倒れないように手を回してやることぐらい何でもない ことかも知れない。何でもないことのように落ち着いていた彼女。ああ、電車の中とはいえ、そんな愛らしい彼女を抱きしめてキッスしてやりたかった。たと え、パリの真ん中ではないにしても。




K.Hとデート
1964.9.23
水曜日
1964.9.23
水曜日
このところ雨の日が続いている。今日は「秋分の日」で休みだったけれど、日曜日同様雨のためにテニスをやるわけにはいかなかった。なんとなく拍子抜けした ようなつまらない休みを送ってしまった。

 先週の土曜日には2時頃からテニスの練習をやった。先々週から練習に来るようになった同期の西川君と組んで小島・竹沢組を6-1、6-1で二連破した。 その後で竹下杯の優勝カップルに小島・阿部組で挑んだ。結果は6-1の完勝であった。高橋課長も「とにかく、見事なものだ。阿部君のストレートはなかなか いいね。」と誉めて下さった。

 その後、糟谷・新関組に胸を貸してやり、もちろん6-1で勝ったが、その頃には日も沈んであたりは相当に薄暗くなっていた。しかし、高橋・篠島組のリ ターン・マッチを受けることになった。だけど、この試合、はっきり言って勝敗を云々すべき内容のものではない。全然ボールが見えないのでは話にならないか らだ。ボールがよく見えていたいたときには、僕らの方がリードしていたが、最後には4-6でやられてしまった。近眼の僕には特にこの暗さは不利で、ボール が手元に来るまでほとんどわからない始末だ。正式なリターンマッチをまたやりたいものと思う。

 とにかく、こうしたわけでこのところテニスに熱中し、少しでも沢山練習してうまくなろうと思っている僕には、休みのたびに雨に降られるのが残念で仕方が ない。それでも、テニスのラケットだけは毎日握ることにして部屋の中に紙玉を丸めてぶら下げ、500回ほど打っている。局長は2月続けると強くなるとい う。このごろの好成績は、あるいは、この毎日の練習に負うているのかも知れぬ。

 午前0時35分。雨はなおも降り続けている。台風20号は九州地方に接近しつつある。



テニス練習
1964.9.29


1964.9.29
火曜日

○私は多くの幸せな情景を思い浮かべることができる。18歳の溌剌たる娘から甘えられる父親。見るからに春を思わせる18歳の娘が父親の首の回りに腕を回 して肩越しに顔をのぞき込みながら、「ねぇ、お小遣い増やして」とねだっている。その白い肌からは、心をときめかすかおりが匂い立っている。

 これは私が思い浮かべる幸せは情景のうちの一つにすぎない。私はこれまで、こうした情景をきわめてありふれたもののように思っていた。だが、今日そうで ないことに気づいたのだ。たとえ、娘を持ったとしても、18歳という春がその一挙一動から匂い立つような時というものは、その娘にとっても、父親にとって もほんの一年しかないのである。父親もやがて老い込み、娘もやがて他家に嫁ぎ、わたしの幸せの情景の主役の位置から次第に端役に回り、終いには完全に姿を 消してしまう。

 初産の我が子を抱きしめる母親を思い浮かべれば、誰しもそこに永遠の幸せの姿を感じるに違いない。しかし、その情景といえど、その子にとり、その母親に とっては、わずか一回切りの二度と繰り返すことのない、あっけない経験に過ぎないのだ。

 私は普遍的な幸せの情景を、あまりに多く心の中に仕舞い込んでいるがゆえに、そうしたものが現実の世の中においても、普段に存在し、どの人にとっても、 容易に味わえるものであるかのような感じを抱いてきたようである。

 恋愛という人間にとって最も幸福であり得べき時期でさえも、すべの人々にとって、ごく限られたほんのわずかの時間でしかないこと。そしてその時期に味わ うことが出来なけば、一生、われわれはその味を知らずに過ごさなければならないものであることに、私は、今日はっきりと気づいたのである。

○私は、私という存在を根底から揺さぶるもの。私という存在そのものの根底に真っ向から対決するものを、これまでいつも求めてきた。私が、外国の紀行記を 読み、様々の写真を見て、しばしば身震いを禁じ得なかったのは、そこに、私をして我を忘れせしめ、私という存在そのものを根底から揺さぶるものが、確かに あると感ずるからであった。

 私はむしろ、その場所が私の出現を待ち望んでいるのだというほどの親近感を覚えて、イタリアの古い街並みを眺め、パリのセーヌ河畔の姿を思い描いた。私 がそこに行ったら、私は大きく改造されることだろう。それほど大きな影響力を私の上に持つだろうと言うことを、私は直感によって感じ取り、一日も早く、そ の地へ、その写真の中の広場に行ってみたいと思うのだった。

 私はその地において初めて本当の生き甲斐を感ずることだろう。私は、そこでこそ、本当に生きると言うことのギリギリのものを体験できることだろう。この 日本という、これまで24年間もの間、私が私をして慣らし続けてき、ついにぬるま湯になってしまった環境の中から、冬の冷たい木枯らしの吹きすさぶ外国の 見知らぬ土地に私自身を突然放り込むことによって、私は、私自身を鍛え、改造し、大きく成長したいと願ってきた。まるで密林の夜の猛獣が獲物の血の匂いを かぎつけて吼え
るように、私の体の中で、何かが、まだ見ぬ遠い土地を求めて、悲しげに月夜に咆吼しているのだ。

○永遠の幸せの情景も長続きしない
○根底から揺さぶるもの






以下工事中

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日 記1961(1960/11/28から1961/7/20)(2002/9/26掲載開始)

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1960年12月
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1960/12/12-2

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