| 良い日々は事欠かない,良い人生は稀である |
「良い日々というものには、事欠かない。一方、良い人生のほうは稀である。生きた感覚の喜びにみちた良い日々の積み重ねというだけの人生では、十分ではない。感覚的人生は、貪欲の生活である。欲するものは日々に増してゆくが、精神的生活なら、これはむしろ減じていく。時間はたっぷりあり、その道は甘美である。読書で費やした一日を、良い日という人がいるだろうか。だが、読書をして過ごした人生は、良い人生である。十年間、あるいは二十年間にもわたって、一日が酷似しているのは、とても良い日には思えない。しかし、パスツールの人生、またはトーマス・マンの人生を良い人生と呼ばない人がいるだろうか。」
(p.20) |
| あなたが放棄しなければならないのは、・・・もっとも核になる部分なのだ |
「あなたが放棄しなければならないのは、単にもっともよく書けた文章というだけではなく、皮肉なことには、今まで書いたものの中でももっとも核になる部分なのだ。」(p.31)
「ニューヨークで、タクシードライバーが私に歌を歌ってくれた。私もいくつか一緒に歌った。・・・ある長い歌を彼は二度歌った。退屈な歌だった。そこで私は、その歌はさっき歌ったから、ほかのものにしましょうよ、と言った。すると彼はこう答えた。『この歌がちゃんと歌えようになるのに僕がどんなに苦労したか、あんたにはわからない』」(p.33〜34) |
| フルタイムで本を一冊書き上げるのに二年から十年かかる |
「フルタイムで本を一冊書き上げるのに二年から十年かかる。ジョン・ベリマンによれば、長い詩を書くには五年から十年かかるという。トーマス・マンは生産の達人だった。フルタイムで、一日一ページ書いた。彼は実際に一日一ページの割で書いたので、一年に365ページーちょうどいい厚さの本が一年に一冊ということになる。一日に一ページ、これで彼は史上もっとも多作は作家の一人となった。」(p.42) |
| 一片の散文を少しずつ完成させる理由は・・最初の文章がスタイルを形成するからだ |
「一片の散文を少しずつ完成させる理由はーすなわち、次の文を重ねる前に一つ一つの文をしっかり固定しておく理由はー最初の文章がスタイルを形成するからだ。それは虚空に向かって開く。それは細胞から細胞へ、木の幹から大枝へ、小枝から葉へと成長する。慎重な一言は道順を示してくれるかもしれないし、もしかするとそこから多くの部分、いやすべてが展開されるかもしれない。」(p.43) |
| やりかけの仕事はあっというまに野生に戻る |
「私は本を書くというよりも、まるで臨終の友人のそばに座るように、原稿のそばに座って過ごす時間の方が長い。訪問時間に、私は相手の不調に対する恐れと同情心で心をいっぱいにしてその部屋に入る。その手を握り、回復するように願う。
この優しい関係は、一瞬のうちに変わり得る。一日か二日訪ねなければ、やりかけの仕事はあなたに襲っいかかってくる。
やりかけの仕事はあっというまに野生に戻る。一晩で原始の状態に立ち返るのである。」(p.66) |
| あなたはそのことに、あなた自身の驚きに、声を与えるために、存在するのだ |
「人はだいたい同じものをこよなく愛す。主題を探している作家は、自分がもっとも愛するものはなにかを探すのではなく、自分だけが愛するものを探す。」(p.81)
「人間の特別の性癖ーものごとに夢中になることーについて書かれたものが、なぜないのだろう。他のだれからも理解されない自分だけが夢中になるものについて書かれたものが。その答えは、それこそまさに、あなたが書くテーマだからだ。なぜかはわからないが、あなたが興味をそそられるものがある。書物で読んだことがないので、説明するのがむずかしい、と、そこから始めるのだ。あなたはそのことに、あなた自身の驚きに、声を与えるために、存在するのだ。」(p.81)
「『芸術家としての最大の試練は、自分のもっとも内的で個人的な感受性に基づいて、毅然とした態度で望むように、厳しく自制することである』と彫刻家のアン・トルットは言っている。ソローはこれを別の表現で言っている。『自分の骨を知れ』。『追跡し、追い付き、自分の人生の周囲をぐるぐると回ること。自分自身の骨を知ること。しゃぶりつき、埋め、また掘り返し。しゃぶりつくのだ。」(p.82) |
| いまにも死にそうな人のように書くのだ |
「いまにも死にそうな人のように書くのだ。同時に、読者はすべて死期に近い患者だけであると想定して書くのだ。つまるところ、そういうことなのだから。もうじき死ぬと知っていたら、なにから書き始めるだろうか。死にかけている人がこんな下らないことを死に際に聞くなんてと腹を立てたりしないほど重大なことがらとはなにか。」(p.82) |
| 作家は文学を学ぶ |
「作家は文学を学ぶ。世の中を学ぶわけではない。」(p.82 |
| 『絵の具箱の絵の具に自分を合わせるのだ』 |
「パウル・クレーは『絵の具箱の絵の具に自分を合わせるのだ』と言った。彼によれば、絵の具箱のある絵の具に自分を合わせるのは、自然や自然の観察よりももっと重要だという。言い換えれば絵描きは、絵の具を世の中に合わせるのではない。さらに言ってみれば、世の中を彼に合わせようとはしない。自分を絵の具に合わせるのだ。彼自身は絵の具箱と、そこに入っている絵の具を携える召使いである。クレーはこの理解を、まったく正しくも、『完全に革命的な新しい発見』と呼んでいる。」(p.84) |
大きな本を一冊書くほうがいい
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「短編やエッセイをたくさん書くよりも、小説とかノンフィクションの大きな本を一冊書くほうがいい。」(p.86) |
| 作家の二つの問題 |
「どの本を書いているときでも、作家は二つの問題に答えなければならない。この本は完成するのだろうか?そして、私にそれができるのだろうか」(p.87) |
| アイデアの誕生を、鶏が卵を産み落とすのにたとえた |
「アインシュタインは、新しいアイデアの誕生を、鶏が卵を産み落とすのにたとえた。ポロン、ほら、一瞬のことさ。アインシュタインは、彼一流のおふざけでそう言ったのであろう。」(p.91) |
| 手を抜くな |
「手を抜くな。すべてを厳密に容赦なく調べ上げるのだ。一つの芸術作品における細部を厳しく調べ、探すのだ。離れてはいけない。飛び越えてもいけない。わかったようなふりをしてはいけない。徹底して追及し、ついにそのもののもつ独自性と強さの神秘性のなかにその正体を見るまで追いつめるのだ。ジャコメッティの素描と絵は、彼の当惑と辛抱強さをあらわしている。もし彼が自分の当惑を認めなかったら、辛抱強く頑張り通すことができなかったかもしれない。二十世紀の素描の権威、リコ・ルブランは『画家は攻撃しなければならない。生きているイメージは忍耐強い攻撃にのみ降伏し、その秘密を容赦ない線に譲り渡す』と教えている。生き生きとしたイメージには秘密があるということを、真にすさまじい芸術家以外に、だれが知っているだろう。それはすさまじく知っている素振りをする者にはわからないことだ。芸術家は男であれ女であれ、まさにその秘密を詳しく調べ上げるために、なまくらな道具を使って、もてるすべての力といのちを捧げるつもりでいる。その秘密は、だれであれ、これらの道具のおぼろげな形跡でしか表現することができないのだ。」(p.94) |
| 一回一回、すぐに使い尽くせ |
「書くことについて私が知っているわずかなことの一つに、一回一回、すぐに使い尽くせ、打ち落とせ、弄べ、失え、ということである。本の後ろのほうで、また別の本で使おうと思うな、取っておくな、ということだ。出すのだ。すべてを出し切るのだ。いますぐに。あとでもっと適当なところに使うためにとっておきたいという衝動こそ、いま使え、というシグナルである。もっと他のこと、もっと良いものは、あとで現れる。これらは後ろから、真下から、まるで湧き水のように満ちてくる。同じように、あなたが手に入れたものを自分だけのためにとっておくのは、恥ずかしいことであるばかりでなく、破壊的なことである。あなたが自由に、ふんだんに与えようとしないもの、それは消えてなくなってしまうものだ。金庫を開けてみると、肺になっている。」(p.95) |
| 優れたアーティストは、観衆の期待に満ちた緊張をコントロールすることができる |
「彼(ラーム)の曲芸は純粋なエネルギーであり、赤裸々な精神だった。私はそれについて何年も考え続けた。ラームが空中に描いた線は時間とともにほどけて行った。音楽と同じで、それは縫い目に沿って未来の縁を切り開いた。それは現在をこじあけた。私たち観客は、ほんの一瞬の美の曲線が暴かれるその瞬間を固唾をのんで待ち受けた。人間パイロット、デイヴ・ラームは、飛行機の鼻先のコックピットで操縦していた。まさに彼のからだは私たちの目前で未来の中で引き裂かれ、丸まった果物の皮が伸ばされるように私たちの上に繰り広げられた。
優れたアーティストならだれもがそうであるように、彼は観衆の期待に満ちた緊張をコントロールすることができた。観衆は、無意識のうちに、ある種の回転なり浄書うなりを欲求する。あるいは空中のどこか決まったところに戻ることを期待する。すると彼は、詩人のように傾斜しながら、その期待に応える。あるいはその期待をそらせる。そうしておいて観衆の期待が高まって爆発しそうなところまできたとき、出し抜けにそれをやって見せる。観衆はだた口を開け、キャーッと叫ぶだけだ。」(p.114) |
| ベートーヴェンが最後の作品となったシンフォニーが聞けなかったのは、耳が悪かったからではなく、自分が書いた楽譜の中にいたからだ |
「ラーム(注:地質学者で曲芸飛行が得意)は飛ぶとき自分の作品の中に座り込み、自分自身を縛り付ける。作品を、自分の周りにぐるぐる回転させる。自分にはそれが見えないのだ。それを映画ででも見ないかぎり、彼には決してそれが見えない。それはベートーヴェンが最後の作品となったシンフォニーが聞けなかったのと同じだ。ベートーヴェンが聞けなかったのは、耳が悪かったからではなく、自分が書いた楽譜の中にいたからだ。ラームは幻想と金属、行動とアイディアの融合が起こるのを感じたにちがいない。私はこの男を形として考える。美の騒々しい楽団の中で逆さまになっている、博士号をもつ大学教授。私たちはなんのためにここにいるのか。修道士たちは言う。プロプター・チョールム、すなわち聖歌隊のために。」(p.131)
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| 午後は使ってしまいなさい
デヴィッド・クンツ『急がない!ひとりの時間を持ちなさい』(p.85)で引用されている言葉。 |
午後は使ってしまいなさい。
どこかへ持っていけるわけじゃなし。 |
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