(2000年5月31日掲載)

読書の部屋・読後録

リチャード・ローズ「メイキング・ラブ」中川五郎訳
文芸春秋社1996/3/25第1刷1996/4/20第3刷

 これは、ピュリッツァー賞作家の自らの性体験の”真実の告白”である。自分自身のごく内密の性体験を、率直に、しかもあからさまに探求している個人的な物語である。類書はあまり見かけない。あっても、作者が堂々と自分の名前を記しているのは、この書ぐらいであろう。
「セックスは何よりもまず探求されることを待ち受けている。ちょうど初期の現代小説において意識がそうだったように。わたしは作家だ。書くことがわたしの仕事だ。画家は自分たちの本当の恋人を、セックスをしている自分たちの恋人をすら、下種な批評家連中以外から中傷されることもなく、写実的に描くかもしれない。どうして作家が同じようなことをしてはいけないというのか?『おのれの知ってい
ることを書け』。わたしはそうした。うまくいきますように。」(p.17)結構、うまくいっているように思える。
 18歳での40歳のパート・タイムの売春婦との初体験のことから、小学4年生の体育の授業の時ロープを登っていて初めてオーガズムを体験したこと、継母の虐待を逃れて入った少年の家でさまざまなマスタベーションを経験したこと、少女達とのセックスに至らないキスだけのデートを重ねたこと、空軍の予備軍時代、友人の初体験のため、とある看護婦とのポン引き役を引き受けたこと(p.88)、ニューヨークである夜、級友の母親から誘いをかけられるが、振り切ったこと(p.94)などなどまで、性体験が次々に微細に語られる。
「合計でこれまでの人生で11人の女性と寝ていて、そのうち5人とは一度きりの関係だった。」(p.72)。そうしたパートナーとの関係がなまなましく開陳されている。
 Y・・・という女性と親しくつき合うようになったころには、まだ、女性のオーガズムを見たことがなかったし、彼女が自分とのセックスでまだ体験していないことも分かっていた。ある日、彼女にオーガズムに達したことがあるかと尋ねるとあるという、しかも、自分でやって、という答え。Y・・がマスタベーションをするなど、一度たりとも想像したことのない著者は度肝を抜けれるが、その有様を見せてくれるように懇願する。彼女は、さんざんためらった挙げ句、最後に見せてくれる。うつ伏せになって・・・。それをきっかけに、彼女は自分自身をすっかり表に出せるようになる。彼の方では、彼女のマスタベーションのやり方をヒントにして、大奮闘し、彼女を初めてクライマックスに導き、ふたり
は歓喜のあまり眩暈を起こしそうにさえなる(p.75〜76)。
 O・・・という女性とはたった三回セックスしたが、互いの性器を舐め合ったあと、彼女が著者の上
にまたがり、馬に乗っているように腰を動かし、激しいオーガズムに達した。これは彼女にとって6年ぶ
りのオーガズムとのことだった・・・
 W・・・は、R・・・は、K・・・は、N・・・は(p.114)と次々に知り合った女性との性体験が語られ、アジア的特色を備えている女性に引きつけられること(p.106)、その原因の探求結果が詳述される。
「わたしのパートナーたちそれぞれが、異なるセックスをした。」(p.97)「自分が関係した相手たちのプライバシーを守るために、わたしは、矛盾しているようだが、彼女たちのプライバシーだけを明らかにし、その存在がおおやけにわかってしまうようなことに関しては、一切触れずにおくしかなかった。」(p.15)というように、人間関係より、病理学的な面のほうが詳述されている。
 ビデオテープのポルノを見ながらのマスタベーション(p.125〜)、妙ちくりんな形をした男性器の精密な描写と考察(p.157〜)、女性のESO(引き延ばされた性的オーガズムextendedsexual orgasm)能力を引き出すテクニック の普及のための本の執筆と結果的には成功をおさめたいきさつとが子細に語られる(p.169〜)。
 最後は、麗しい声の持ち主であるG・・・という女性と出会い、初めてのデートへためらいがちに誘い、すぐに意気投合して性的な関係を持つようになり、彼女の何回でもオーガズムに達しうる素晴らしい能力(ESO能力)を見出し、きわめて相性がいいことから、妻と別れてまで、G・・・との関係を大切にする。そのいきさつが、ふたりの性行為の隅々にわたる描写を含めて感動的に物語られる。
「一緒にいて性的にこれほどまでに心地好い気分になれる女性は、これまでひとりとしていなかった。」(p.217)
「裸でいようと服を着ていようと、愛を交わしていようと話をしていようと、二人だけでいようとみんなと一緒にいようと、わたしはG・・・と一緒にいるとすっかり安心してとてもいい気分でいられたのだ。二人いた妻のどちらと一緒にいた場合も、わたしはかすかな、しかし決して消え去ることのない不安にいつも怯えていた。彼女たちが決してわたしをまるごと認めているわけではないことを、どこかで感じとっていたのだ。G・・・は素晴らしい恋人だったが、同時にわたしのいちばんの親友になりつつあった。わたしの中の子供がこの女性の中の子供に反応した。それこそが、自分たちの最も重要なアイデンティティだとみなしている部分で、自分たち自身の最も奥深い部分、そして大人になった自分たち
が徹底的に覆い隠してしまった部分だった。しかもこの二人の子供たちは、その好みも、恐れているものも、はっきりとしていて厳しすぎるほどの人を見る目も、ちゃめっけたっぷりで、たいていは淫らなユーモアも、ほとんど瓜ふたつだったので、あまりに似ていることにわたしたちはしょっちゅう驚かされていた。」(p.238〜239)
 妻と別れ、ほとんどすべてを売り払い、G・・とともに、中西部からイーストコーストへ引っ越す。著者が51歳、彼女が33歳の時だ。(p.252)イーストコーストでの生活は最初から、うまくいったわけではなく、あまりにもG・・・のオーガズム能力が素晴らしいのでまるでそれを吸血鬼のように追い求めすぎ、それを嫌い、自分のペースでセックスも愉しみたいG・・・と破局におちいりかけるが、人は何もかもすべてを手に入れられない、何もかもすべてでなく、必要に足りるだけを二人で見つければいいことに気づき、やっと、元の鞘に納まる。「それは十分な収穫であり、賜物でもある。わたしたちはお互いに愛し合いお互いに助け合い、朝に目覚めて一緒にいるしあわせを噛みしめる。心地よいベッドの中で、お互いに向き合い、ひとりが自分の脚を相手の尻に回して引き寄せ、お互いの目を見つめ合いながら、一日の始まりのひとときを分かち合っている二人の人間以上に素晴らしいものなど、この世に存在するだろうか。これこそが人間の自由のいちばん基本にして核心でもある。寝室でのささやかな民主主義。」(p.263〜26416)
 結婚はしないが、それはこうした二人の素晴らしい関係を台無しにしたくないためである。
(p.264)無二の親友となり、共に年老いていく覚悟を決めている、というところでこの本は終わる。

 この書には、あからさまに男性の性体験、セックス観が語られているが、同じ男性として共通するものが沢山あることの驚いたほどだ。そうした男性の生理や、男性のとって性の持つ意味、パートナーとして望ましい女性像、などを理解してもらう意味で、女性にも読んで欲しい本だ。多くの発見があることだろう。
 堂々と真正面から性を取り上げているので、読んでいて変にいやらしい気になることもなく、読後感は爽やかである。男性と女性との関係は性を抜きにしては難しいが、そのことを、無理に無視したり避けようとしたりするのではなく、男性も女性もよく理解してつきあったほうが、むしろ、みのりの多い男女関係の形成が可能なのではないだろうか。
 いずれにしても、本書は、それとかかわりのない人生を送ることは不可能なほど重要な位置を占める性について、自ら考察を深め見識を高める上で、大変貴重な本である。セックスライフの豊かさは、豊かな人生の不可欠な要素のように思える。


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