林望著「書斎の造りかた」光文社2000/2/29第1刷
序において著者は次のように言う。
書斎というものは、菅原道真のころから千百年来ちっとも変わらない。
書斎論としてもっとも大切な要素は、合理的な設計と使いやすさ、そこで営まれる精神生活の価値、さらには、内向的な勉強を癒すべき優しい環境の必要性の三つである。大切なのは、自分だけの有為快適な空間を徹底的に考え抜くことである。(p.5)
時代の曲がり角に立って、どうやって生きていこうかと考えるとどうしても「良き書斎」がなくてはならぬ。では、現代においてどういうのが良き書斎であるか、著者なりの意見を忌憚なく書きつけてみたのがこの本である、と。
この本は、このように、単に理想的な書斎の造りかたを論じるだけではなく、精神生活の主たる場として書斎を位置づけ、知的生活のありかたから、世俗的な出世を目指すのではない、自分らしい生き方、趣味の造りまで縦横に論じており、興味が尽きない内容になっている。そこで、自分の備忘録を作ることを目指して、少し丁寧に各章の内容をトレースしてみよう。
(序章)知は書斎にある。
結婚は知的退化をもたらしかねない。したがって、夫婦一心同体なんてありもしない夢想に溺れることなく、家庭内別居を敢行し、自分ひとりだけになれる居場所を確保しなければならない。かくして確保した書斎にこそ、知があり、知的な生活があるのだ。
(第1章)書斎とは何か。
書斎は、「何かをつくり出すための空間」であり(p.27)、何を作り出してもいいが、何であれ、十年やればものになる。テレビは捨て(p.28)、一個の自分を隔離し保護するため、書斎には、内鍵をつけよ(p.34)。人生はまさに一度きりだけど、二重三重に生きることができる。一つのことしかできないと思いこんでいるのは大きな「ひがこと」、誤った思いこみである(p.40)。会社に勤めながらも(会社に不義理をしても)、自由時間を確保し、本を買ったり学校へ行ったり、自分自身への投資を続ければ、50歳で確固たる姿で独立できる。書斎はただハードウエアの問題ではなく、ソフトウエア、生き方の問題、人生の問題である(p.42)。
(第2章)書斎の造りかた
書き物はパソコンでするが、そのパソコンは部屋の隅に置き、窓は額縁として、生きた景観を楽しむようにすべきだ(p.56)。南向き信仰は農家の発想であり、書斎は、日光の影響を受けない北向きがいい(p.56〜)。パソコンが書斎のありようを
すっかり変えてしまった。
(第3章)書斎での時間の使いかた
創造的な仕事は、あとに予定など、何も詰まっていない、フリーハンドな時間枠を確保しやすい夜が向いている。文学的、芸術的なことを行うにも、インスピレーションが湧きやすい。ただ夜型の場合眠れなくなる問題点がある(p.69)。
(第4章)書くノウハウ、考えるノウハウ
文房具というと文房四宝といわれる筆、紙、硯、墨があり、文人墨客がこだわったとされるが、これは趣味の問題ではなく、多分に能率の問題だった(p.82)。原稿用紙に書くのは不合理なので、書くのも、読むのも横書きがいい(p.85)。日本人は非常にグラフィックなことにこだわる民族で、詩や和歌、俳句でも、毛筆で、水茎の跡も麗しく、さらさらと書けば、内容的にくだらないものも、よい作品に見えるというが、一番大切なのはテキストの内容それ自体である。本質を見失ってはいけない(p.90)。
今後はパソコンで横書きに書けばいいが、ただし、これは創造的に書く場合(作文、論述、著述、詩作など)であって、筆記的に書く場合(勉強した結果をノートに書く、メモを取る、講義や講演などの筆記録を取る)は、依然としてペンや鉛筆によって、紙に書く方がいい(p.94)。
「いかにコンピュータが進歩してわれわれがその操作に通暁習熟しようとも、手書きのデータの重要性はちっとも失われるものではありません。それどころか、ある意味では、ますます重要になっていくとも言えるので、コンピュータで書くということと並行して、書斎に、手書きのためのスペースや用具も用意しておかなくてはなりません」(p.97)。
そのための筆記用具は、自分に合うものでいい。著者は、水性ボールペンを使っている。
メモ帳は動く書斎であって、きわめて重要である。創造的なことを書くにはその「前段階」が必要で、それがメモである。大切なことは、アイディアが浮かんだときに即座に書けるように、メモ帳をつねに持って歩くという習慣である(p.101)。メモを取ることは、最優先すべきで、人と話していても、中断して書き留める。こまめにメモをとることが、肝要だ。物事を書くというのは、アイディアの立て方次第で、さらに、ひとつの閃きが面白い文章にでき上がるまでには、何度も何度も考えて、つまり「発酵する」時間が必要で、それも、いつどこでわき出すかわからない(p.103)。格好や人目をきにせずに、まずはメモということをこまめに実行するかしないかで、のちのち大きな差が出てくる(p.103)。
ノートも「リソース」として重要であって、こうしたものを整理して、置き場所を定めてそこへ必ず戻すという、地道は「仕込み」があってはじめて安定的にものを書けるのであって、ローマは一日にしては成りません(p.104)。
(第5章)書斎の道具たち
照明は後ろからあてる。カーテンよりブラインドがいい。壁はクリップボードにし、予定でも原稿依頼でも、備忘録でも、資料でも、よろず画鋲で貼っておく。本は書見台で読む。椅子はOAチェア。冷房器は必需品。本棚は、スチールのオープンシェルフがいい。増殖しつつづける本の整理のため不要箱、不要棚を用意し、最後は処分する。新聞はコピーしてファイルする。OA機器(FAX、プリンターなど)には思い切った投資をする。
(第6章)パソコンの使いかた
これからの書斎は、まずパソコンありき(p.142)。ただ、音声入力、手書き入力は日本語では無意味だ。キーボードはブラインドタッチできるまで練習する。パソコンで書いた手紙は冷たいというひとがいるが、これは慣れの問題にすぎない(p.152)。自分で買ってこそパソコンであり、会社のを使ったり、一台を家族で共用するのはよくない。
電子メールは孤独とコミュニケーションを両立させる。電子メール世界では、「いつでも自由に手紙を送ったり読んだりすることができ、プライバシーも完全に保たれている。また、読んだらその場ですぐ返事が書ける。返事が書けたら夜中でも何でもすぐ送っておける。そして、相手は相手の都合で随時それを見ることができる」(p.162)。「書斎の中で孤独に、勉強なり仕事なりに励んでいるとしても、電子メールで年がら年中メールが到来したり返事を送信したりしているというと、孤独な空間である書斎と外部とが電子の道を通じて密接につながっていて、孤立感を感じないですみます」(p.163)。
ところで、このインターネットにも限界がある。読書をしたり、知らない人と知り合いになることができるメリットがあり、かなりな情報の検索も可能だが、純学術情報には弱いという限界もある。また、情報を入力する人間の側の作業がしっかりしていないと、膨大なデータベースを作っても結局役に立たない。
(第7章)書斎とはライフスタイル
したがって、書斎を造ろうというときは、自分がどういうライフスタイルを構築したいのかにかかってくる。子供には子供部屋は必要ない。子供部屋より書斎を優先すべし。何かを生むには投資が必要だが、書斎は自分のための投資である。「会社に奉仕することだけが人生で、自分自身の人生なんてものはない男たち、あるいは専業主婦として、夫と子供の世話に明け暮れて、自分で自分を高めることをなにもしない女たち、こういうライフスタイルを選び取るなら、とくに投資の必要もないし、しかし、その分、人生の実りも少ない」(p.192)。転勤はプライバシーの非情なる侵害である。出世をとるか、自分自身の人生をとるか、は選択の問題だ。
若い頃には、自分が本当は何をやりたいんだということが必ずあった。「そこからまず自分自身のライフスタイルを再点検して、改めて目標を設定すればいい。人生というものは、それを捨てたら終わりです」(p.197)「書斎を持つということは、一国一城の主になりたいとか、そういうつまらないことじゃない。自分のライフスタイルを見定めて、それを明らかな形にしたいということにほかならない」。「そういう生活を続けるとかならず道は拓ける。会社員を30年やった後、陶芸家になったっていい」、「なにも必ずしも若い頃からそれ専一で暮らす必要はい」、「会社に勤めていても、(自分を)見失わずいることがなにより大切です。そして、見失わないためには、会社とは別のものをいつも自分の手元に保留しておく必要があるのです。だからこその書斎だ。だからこその工房だ。さらに言えば、だからこその夫婦じゃないかと力説したいのです」(p.198〜199)。
書斎をもつことで自分の人生の犠牲を少なくすることができる。出世しない生き方もありうるし、出世しないことが、犠牲とは考えられない。人間への投資とは、独立するためのもので、「自分独立の、その人でなければならないという仕事ができれば、どこへ言っても困らない。」「その結果として、仮に会社に勤めたとしても、会社に縛られない人生が送れる。」「いわゆる『衣食を節して』でも、あるいは借金をしてでも、自分と子供に、あるいはその将来に投資せよ」(P.207)。
人付き合いはできるだけ不義理をせよ。「若いうちから無理をしてでもやらなきゃいけないことがある」それは、自分自身への投資である。「その他のことは目をつぶって、思い切って不義理をしなさい、と私は心からお勧めします。会社のなかの人間関係なんて大したもんじゃありません。」(p.210)。飲み屋では仕事は決まらないし、学生時代の親友が本当の親友である。「もし、家庭も、人生も、みな投げ出さなくてはならないような、そんな付き合いをしなければ出世できないっていうんなら、なんぞや、いっこうに出世できなくていいじゃないですか。」(p.215)。
(第8章)知の技術、文章の技術
何ごとも基礎が大切。独りよがりにならないためには、できればちゃんとした先生についたほうがいい。
文章を書くには、まず真似ることから始める。うまい文章を書くには、自分の文章の聞き上手になる(p.223)。「文章は、それなりの力がないと誰も読んではくれないものです。それには、自分が自分自身の文章のもっとも辛辣なる読者であるという必要がある。ここが素人の文章にいちがん欠けているところです。これは話す能力でも同じことです」(p.224)。文章は「いかに削るか」にかかっている。「自分で書いたものに自己批判ができないから、吾が仏尊しというか、ともかく後生大事になってしまって、どうしても思い切りよく削れないのが素人です。この違いは大きい」(p.228)。卑しい言葉は絶対使わないほうがいい。文章は、事実の叙述より、描写が難しい。結局、日々の暮らしのなかから学び取っていくよりない。そのためには、メモ帳を持ち歩き、料理を食べながらも、「他の人は、ただしゃべって食べているだけなんだけれど、私は机の下で、ちょこちょこと書きとめる。描写力というのは、そういうちょっとした努力の積み重ねからのアウトプットなのです。」(p.234)
(第9章)大人になってからの趣味のつくりかた
「さぁ!」という決意はよしたほうがいい。当然のようになにげなく始めたほうがいい。「何の道でも、本当はプロになれるかというくらいまでやっているからこそ、趣味としても楽しいというのが、私の以前からの主張です」(p.237)「忙しいから趣味に割く時間なんか取れないなどということを言う人も、おかしい。そりゃまったく逆であって、忙しいからこそ、趣味が必要になるんです。仕事で疲れた神経を鎮める力として、全然違う神経を使うカウンターパワーが必要になるのです。忙しいから趣味などない、てなことを言って威張っている人に限って、じつは大した仕事もしていないことが多い。ありていに言うと、つまり趣味がないということは、その人の人間性が貧しいということに他ならないと思います。」(p.238)
著者は、43で声楽に挑戦する。趣味のことだから一生懸命やった。その結果、プロのメンバーとの有料のコンサートを開くまでになる。「趣味が、いつのまにか仕事に なっていくわけです。趣味は、懸命に取り組むと、趣味以上のものとなり、そうなって初めて、ほんとうの意味での趣味になるのだ、というかねての信念を、私は実践していることになります。」(p.244)。
(終章)理想の書斎
著者は、自分の書斎史を振り返る。六畳の部屋から始まって、やがて七畳半、九畳となって、いまは書庫が二十二畳、書斎が十畳。書斎は決して無駄にならない。志に向かって日々邁進すれば、その書斎から何かを生み出すことができるようになる。「何を生みだすかは、上げて読者のみなさん一人ひとりの志と努力による。そのことは、ひいてはあなたがたの人生を豊かにする鍵であるということを強調して、この本を閉じることにいたしましょうか」(p.259)
以上が、この本の概要である。著者の潔い生き方が伺える書斎論である。生き方を含めて参考になるところも多く、私の考えとまったく同じ所もかなりあるので、我が意を得たりとうなずきながら読んだ。もっとも、文章の書き方など反省を迫られたところもあった。読書録にこんなに長々と書くこと自体が反省すべきことなのかもしれない。