読書録
(1999/12/14掲載)
目次
ジーン・サラゼン「サラゼン・ウエッジ」小池書院1997.9.20第1刷 
東野圭吾「秘密」文芸春秋社1998.9.10第1刷


(99/12/8掲載)

桐野夏生「柔らかい頬」講談社1999年4月15日第1刷、1999年7月20日第六刷



ジーン・サラゼン「サラゼン・ウエッジ」小池書院1997.9.20 

この本は、1950年、今から50年近くも前に書かれたのだが、今読んでも実に新鮮だ。著者はその後も生き続け、昨年だったか、96歳で亡くなった。日本では、ジーン・サラゼン・ジュン・クラシック・ゴルフ・トーナメントの大会名誉会長として、亡くなる直前まで毎年のように来日し、テレビでも、その丸く、愛嬌のある顔つき、独特のニッカポッカの服装、イタリア系らしい明るく、ユーモア溢れる語り口で、人気を博していた。もちろん、日本のゴルファーで、このグランド・スラマーを知らない人はいない。グランド・スラマーはこれまでわずか4人(ベン・ホーガン、ジャック・ニクラウス、ゲーリー・プレイヤー)しか出ておらず、しかも最初に成し遂げた人なのだ。
 そのサラゼンの自伝であるが、最初から最後まで面白く読めた。イタリアからの移民の子として生まれ、小学校だけの学歴で、キャディーからスタートして、偉大なプロゴルファーになるまでの道筋が、生き生きとユーモアたっぷりに描かれている。
 メジャー大会での72ホールや、プレイオフのエキストラの36ホールのプレイ振りが、手に取るように描写されており、思わず、息を呑んでしまう。1935年のマスターズで、逆転優勝につなげた、最終日15番ホールでのアルバトロス、4番ウッドでの235ヤードのセカンド・ショットは中でも圧巻だ。ここで先行するプレイヤーとの3打差を一気に縮め、翌日のプレイオフに持ち込んで勝つのだ。1932年の全米オープンでは最後の28ホールをなんとちょうど100ストローク(平均3.57)で、上がり前半でついた大差を逆転して勝ってしまう。こうした、名勝負がふんだんに織り込まれているので、手に汗を握ってしまうほどだ。サラゼンは、チャンピオンについて次のように言う。

「惜しくても負けることを続けると、良いプロだけどね、勝てないね、と言われるようになる。結局のところ、チャンピオンとは何なのか?チャンピオンは好機に立ち向かうチャンスをより多くする何かを持っている人間だ。テニスをフルセット戦って負ける。陸上競技で最後の10メートルで逆転される。ボクシングの最終ラウンドでの敗戦、そしてゴルフでいえば、1ストロークか2ストローク差で負けるプレイヤー達の何と多いことだろうか。チャンピオンとはその接戦で勝つ能力を持った男なのだ。」(p.204)
「トーナメントの最中の3フィート(約1メートル)の返しのパットは、たとえ入れることができたとしてもプレイヤーを疲れさせるものだ。」(p.251)というような言葉も、実際きわめて難しい戦いを勝ち取った人ならではの実感がこもっている。勝負の心理的なあや、駆け引き面でも面白い発言がいっぱい詰まっている。

 アマのための練習の仕方にまで言及されているので、その面からも役に立つ。
 
 

東野圭吾「秘密」文芸春秋社1998.9.10

設定がすっとぼけている。故郷信州の法事に妻娘がスキーバスに便乗して出かけるが思わざる大事故に遭遇する。谷底に転落し、23人もの人が死亡するのだ。妻は小学5年の娘をかばうようなかたちで全身にガラスの破片を突き刺され出血多量で死亡、娘は、まったくの無傷で奇跡的に助かるが、意識がなかなか戻らない。ところが、意識が戻ってみると、それは36歳の妻の意識だった、というのである。

その父と娘(妻を意識を持つ)の共同生活振りがストーリーの中心を占める。映画化もされ、ヒットした。小林薫と広末涼子が父と娘を演じた。昨年ある雑誌で、ミステリー年間第一位に選ばれた作品というのだが、ミステリーの幅がきわめて広くなったことの証左のような内容だ。
 このとぼけた設定が何とも言い難い哀愁と滑稽さを醸しだし、それほどはらはらどきどきするわけではないが、最後にはどうなるのだろうと、思わずページを捲り最後まで行ってしまう。妻の意識の間に本来の娘の意識が現れ始め、この同じ体に同居する母親と娘の関係、それに対する父親の夫的立場と父親的立場の入れ替わりなども、実にユーモアたっぷりに面白く描かれている。最後には、娘の意識が全面的に乗り替わったように、見えて・・・の巧みな語り口に読者は、胸をなで下ろす。
 



(99/12/8掲載)
桐野夏生「柔らかい頬」講談社1999年4月15日第1刷、1999年7月20日第六刷

 桐野夏生を読むのは「OUT」に続いて二作目。彼女は、「OUT」で推理小説協会賞を、この作品で直木賞を取った。安定した並々ならぬ筆力の持ち主であることは間違いない。この作品も、読ませる。

 カスミという女性の息づかいが、苦しいほどに伝わってくる。自分というものを持ち、既成の価値の体系と相容れない感性の持ち主が、既成の価値の中で生きている人に囲まれながら、全うに生きていこうとすると、息苦しい。常にそこからの「脱出」を夢見、動き出すが、その先にも安寧の世界があるわけではない。「世間」にどっぷりと浸かり、そこに留まる人と「世間」にとらわれない生き方をする人と、この世には二種類の人がいるが、作者は、「OUT」でも、この作品でも、「世間」にとらわれない人を主人公に描く。自分の同類のようで感情移入がしやすい。

 カスミの5歳になる長女が、早朝、旅行先の北海道の山中にある別荘から失踪する。その前夜、夫も子どもも、相手の妻も子どももいる同じ屋根の下で、別荘の持ち主である、不倫の相手の腕の中で燃え上がり、このことのためになら、子どもを捨てても構わないと思ったばかりの翌朝のことだ。自分の不倫へ下された天罰か。不倫は、相手の妻にも気付かれ、不倫の相手も、カスミに別れを告げて立ち去る。
 カスミは、以来、長女の捜索に全精力を注ぎ込む。それは異常と思えるほどで、4年たっても、失踪した11日には、関係者に電話をかけまくって、情報を集める。毎年、娘が失踪した8月11日には東京から北海道の別荘を訪れ、周りの住人に確認して回る。その執念に、周りの人はついていけない。四年目、夫もついに脱落し、二人は離婚状況になる。ちょうどそのとき、テレビが、子どもの失踪事件を特集し、それを見た、若い元刑事が、長女捜索の協力を申し出てくる。この元刑事は、胃ガンを患い、余命幾ばくもない。しかも、4年前の事件直後、別荘付近の山狩りのときに、近くの警察署から動員された警官の一人だった。二人協力しての捜索行が始まり、その旅は、カスミが高校生のとき、「脱出」し、その後20年も省みなかった、北海道の日本海に面した寒村にまで及ぶ。

 この作品は、多様な視点から描かれ、推理小説のように、すっきりした、ひとつの解決を示すものではない。あり得る解決が、カスミや元刑事の夢という形で、あるいは、突然の挿入という形で示され、読者は、自ら納得する解釈を選び取らなければならない。世の中には、すっきりと割り切れる解決なんてあり得ない。そのことを作者は言いたいのだ。
 夫が、自分の不倫を知っているのか、知っているとしていつ知ったのか。五歳の子どもが、母親が自分を捨てたと知ったときどう感じるのか。知りようのないことが、つい身近にも溢れている。それが普通なのだ。その普通のことを作者は書く。当事者は、あれやこれやと推測を逞しくする。どれも、辻褄は合う。しかし、それが真実かどうかは、ついに分からずじまいに終わる。そういう、ある種の柔らかさを、この世は持っているのだ。

 硬質のざらつくような、スピード感のある文体で、カスミをいう女の孤独と焦燥感が、描き出され、読みだしたら止められない。作品の全体に、作者の、構想力が、並みのものでないことを示す仕掛けがふんだんに張り巡らされていて、同じ場面が、繰り返し、違う人物の視点から描き出されるのだが、その度に、その仕掛けが、ぱちんと小気味よくはじき、うならされる。何よりも、登場人物の造形に、深みと重みがあり、一人一人が生き生きと描かれているので、関心が逸らされることなく、最後の頁まで安心して読み進めることができた。


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