(2001.1.24掲載)
ブルース・S・ファイラーの「お辞儀の秘密」(早川書房1995年7月31日)
この本を読むと、日本にとってごく当たり前でことさら意識もしないような普通の文化状況が、アメリカ人にとってはとても新鮮で異質で、ときには、呆然とさせられるほど奇異に映るものであることが、手に取るようにわかって、とても面白い。エンカイ、カンゲイカイ、カラオケ、オジキ、セイフク、ウンドーカイ、キュウショク、チョウレイ、ゴーコン、ラブホテル、カテイホーモン、ケッコンシキ、シュウガクリョコウ、コウソク、シュウギブクロ、ハンセイカイ・・・
著者は、栃木県佐野市の中学校に「生きた英語」を教えるべく文部省の計画の一環としてアメリカから一年間招聘された経験がある。その時勤務した中学校での経験を中心に描いているが、著者は後年ライターになるぐらいだから、人一倍旺盛な好奇心の持ち主であるだけに、ひとり中学校に留まらず、それを取り巻く地方都市から東京まで触手を伸ばし、そこに生活する日本人の生き様の諸相を、細部にわたってユーモア豊かに描き出している。
学校の内部から日本を知る手がかりをつかみたいという著者のもくろみは見事に成功している。
著者は、日本という国の長所の多くが早い時期に子どもに伝えられていることを発見する。「服装のきまりや組に協力することを通じて学ぶ行動の規律、教師と生徒のきずなの相互関係を通じて学ぶ社会的責任。しかし、また、日本の短所もここに根ざしている。”試験地獄”によるストレス、集団いじめの脅威、そして、いまだに根強く残っている、日本が特別の人種であるという神話に根ざす偏狭。」(p.246)。
そして、著者は、学校を評価するこれまでの3R、読み(reading)書き(writing)そろばん(arithmetic)を超えた、新しい基準を提案する。4C、つまり、カリキュラム、コミュニケーション、キャラクター、シティズンシップである。
カリキュラム。「日本の教育制度のまぎれもない長所は、子どもに認識能力ーとくに数学と科学のーをつける力である。」その「一方で、創造的なものを考えることを教えるという面ではかなりおくれている。」「学校で自分の考えたことを他の人に合わせることは教えられるが、自分で結論を出すことは教わらない。」(p.248)
コミュニケーション。「日本の学校で一年間教えたあと、わたしは、日本と西洋を隔てるもっとも大きな溝は、両者のコミュニケーションの方法の違いにある、と考えるようになった。・・・わたしは日本人の無口なことや間接的なものいいが、情緒の欠如や他を欺く意図的なものではなく、長年そのように教育されてきた結果だということが理解できるようになった。生徒は一貫して、個人的な感情は公の話し合いに持ち出すべきものではなく、プライベートな場所のために取っておくように、と教えられてきた。日本人は自分たちの間で、他人を傷つけない技術の達人である。間接的な意思伝達は、日本人にとっては思いやりのある、礼儀正しいものなのだが、わたしたちから見るとまだるっこしくて、ときにはいらいらさせられる。
日本の学校で教えるに当たってわたしの最大のチャレンジとなったものは、こういう意思伝達の方法は日本人の間では効果的であっても、日本人以外の人間と話をするときにはあまり役にたたないということを納得させることであった。」(p.249)「英語は単なる言葉以上のものだ。・・・心を表わす手段なんだ。英語を話すときに日本語を話すのと同じやりかたで話したら、たぶんその英語は間違っている」「外国語を学ぶ価値はそうした基本的な違いを理解することにある。」「日本の英語の授業に支障となっているのは、二つの文化の違いというテーマに力を入れる教師がほとんどないということである。多くの日本人の教師は日本語を教えるのと同じやり方でーつまり暗記と繰り返しを通じてー英語を教える。」(同)「コミュニケーションに含まれる重要なものの一つは会話であるが、それは入試には含まれていないというい理由でこれを授業に取り入れる教師はほとんどいない。学校で”国際的”な生徒を育てようと思ったら、日本の教師は、国際的コミュニケーションの基本的な第一歩として、話すこと聞くことに重点を置いた教え方を考えねばならない。」(p.250)
キャラクター。規則ずくめの性格を強いられ、先生の話を一歩的に聞くだけで、活発な対話のない、授業。「”生き生き”している精神は教室の座席では往々にして死んだようなる。」(同)アメリカ帰りの帰国子女が、「日本の授業はひどく退屈に感じました。・・だれも手を上げませんし、質問に答えるものもいません。先生以外はだれもしゃべらないんです。学校は情報を生徒にたたき込む工場みたいで、わたしたちはまるで缶詰の桃になった感じでした」と言ったという話を紹介している。「学校は生徒に個性の充実感を与える努力をしなくてはならないだろう。」(p.251)
シティズンシップ。「日本の学校制度の持つもっともめざましい点の一つは、それが生徒のなかに育てている、国家に対する協力の姿勢である。」「日本の学校が国に対してやっている最大の貢献は、大多数の生徒に、グループの一員であるという圧倒的な感覚を育てる能力である。しかしながら、グループに対する協力という点で最大の成功を収めている日本の学校がまったく無能力なのは、子どもたちに、ちがった考えを持ってちがった行動をする人々とも仲良くやっていくことを教えるということである。」「学校でいじめられている少数派のなかには、体に障害があって特殊学級に行っている子どもや、外国に住んでいた”帰国子女”なども含まれる。このような差別意識は日本の子どもが外国人に対して見せる偏見ほどははっきりしていない。わたしの調査で、日本はほかの国よりすぐれていると思うかという質問に、生徒の75パーセント以上がそう思うと答えた。その理由は、日本人はほかの国の人よりも正直でよく働くからだという。そして、もっとも多かった答えは、日本人は外国人よりも頭がいい、ということである。これを見ると、日本の子どもがはたして国際的社会で生きていく能力を持っているのか疑わしくなる。日本の学校は生徒を日本のよき市民に育てあげることに成功している一方、彼らに世界の市民となることを教えることを忘れている。これらの生徒が西洋から一つだけものを学ぶことができるとしたら、それは自分と異なったものに対する尊敬である。」(p.251〜252)
実体験に基づく、こうした提案は貴重であり有益である。日本が今後国際社会で生きていくために必要なアドバイスがこの部分だけにもたっぷり詰まっている。日本人の原型を作り出す教育の在り方を考えるに際して、こうしたアドバイスに真剣に耳を傾け、制度や意識改革に一刻も早く取り組まなければならない。
教育関係者はもとより、多くの人に読んで貰いたい好著である。