最近購入書籍一覧
(コメント付き)
| 著者・編者名 |
書名 |
出版社 |
出版日 |
メモ2 |
| 出久根達郎 |
あったとさ |
文芸春秋社 |
1993.4.15 |
表題の「あったとさ」は、遺族から書物を買い入れるのをなりわいとしている古書売買業者の話である。しかも国文学教授を対象としているので、「式部」というあだ名を貰い、戦果が抜群なので「武器師」とも言われている。
加舞さと、という女性から封書が舞い込む。故人愛蔵の古書を処分したいというのである。場所は青森。訪ねていくと、雪の中に明治の温泉宿を思わせる、横に大きい平屋造りの家が建っている。B子という女性に、案内されて上がり込むと12部屋もあり、同じような部屋がハーモニカの吹き口のように二部屋ずつ並んでいる。それ以外に書庫となった部屋が崖下につながっている。奇妙な屋敷である。その書庫で、何語で書かれたかも判然としない洋書を発見し、仲間で洋書専門の「外語」を呼び寄せ、室内を物色すると天井の上に別の部屋があるらしい・・・土牢か、いったい誰がこんな洋書を集めたのか、加舞さととはいかなる人物か。二人してその夜はその家に泊まり込むと、息が苦しくなってきて・・・
青森に着いたあたりからやや奇談風めいて行き、夢とも現実ともつかぬうちに物語は終わる。ただ、すこし物語を維持する力が弱い。冒頭の作品にもそれは言える。 |
| 今福龍太・沼野充義・四方田犬彦 |
愛のかたち(世界文学のフロンティア) |
岩波書店 |
1996.11.18 |
編者が選んだ、愛のかたちに関する短編小説のアンソロジー。
◆まず、ジンガーの「幻影」を読む。幻影に取り憑かれた娘の物語。婚約者から破談にされ、次に現れた男と結婚するが、セックスができない。破断した男の幻影が彼女と新しい夫との間にいて、邪魔をするというのだ。ジンガーは例によって東欧のユダヤ人の社会を取り上げる。 |
| ダニエル・ペナック |
片目のオオカミ |
白水社 |
0199.9.30 |
簡潔な文体で必要なことしか書かれていない。著者はフランス人。 |
| ディヴィッド・シュウォルツ |
川を渡る |
慶應義塾大学出版会 |
1996.10.31 |
発達障害に対する考え方が、近年変わってきた。わずか80年前には、知的障害者は、「人間の肉体に潜む社会悪と堕落の集合的遺伝的貯蔵庫」と見られていたのだ。この分野でも新しい見方が、起こっている。それは、社会を見る格好の窓でもある。 |
| キャスリン・ハリソン |
キス |
新潮社 |
1998.5.30 |
17際で結婚した父母は、娘が生まれて六ヶ月後に離婚、父は、母の祖父母の家を出ていく。その父と、大学生になった娘は再会する。空港に父を送りに行く。別れしなに、父は娘にキスする。唇を重ねてくる。身体をこわばらせ、身体を引くと、父の手が後頭部を抑え、強く強く抱きしめ、舌を奥深くまで入れてくる。そのキスの一刺しで娘=私は変わる。 |
| 伊藤守・坪田一男 |
今日を”ごきげん”に生きる法 |
大和書房 |
1996.1.1 |
「あなたは何をもって記憶されたいか」と聞かれ、作者は「あの人はご機嫌な人だった」と、記憶されたいと思う。これまで会った魅力のある人は、ご機嫌な人ばかりだったという。人と人のコミュニケーション、人の体内でのコミュニケーションについての本。 |
| 太田空真 |
「ご隠居」という生き方 |
飛鳥新社 |
1999.9.19 |
隠居、なるものが注目を集めている。わたしも、そろそろ隠居を考えなければならない。 |
| 篠田節子 |
ゴサインタン |
双葉社 |
1996.9.25 |
この書名も、どういう意味か皆目分からない。前に読んだ同じ著者の「ハルモニア」のときも、そうだったが、ただ、本を読み進めていくなかで、題名の意味が明らかになり、いかにもその書にふさわしいなと思わされるときの、気持ちよさも捨てがたい。変な詮索をせずに、読み始めるに越したことはない。 |
| ピエーロ・フェルッチ |
子どもという哲学者 |
草思社 |
1999.8.27 |
「子どもたちと暮らしていると、ぼくら大人の中身が変わって豊かになるのだ。まるで短期人間養成コースに入ったみたいで、人生の要になるような体験をとおして、いろいろなことがふだんより深く鮮明に見えてくる。美しさ、愛しさ、無邪気さ、遊び、苦しみ、死といったものが、新しい輝きを帯びてくる。」(p.11)
「子どもは感じやすく正直で独創的で、何ごとでも自然に熱中する。子どもたちのそばにいると、刺激されてぼくらも変わる。いっしょに暮らしていると、ぼくらが成長できるのだ。ユーモアのセンスや忍耐力がみがかれ、感受性が深まり、平凡な日常にひそんだ貴重なものを発見でき、生き方の修正さえ可能になって、幸福が身近になる。」(p.12)
「子どもを持つまでは、親たちを見くだしていた。ぼくからすれば、彼らは哀れで不器用だった。心理学の知識で身をかためてからは、親のヘマばかりが目について、内心で父母をばかにし、何を言われてもとりあわなかった。自分ならもっつまくやるのにと思っていた。でもその後、ふたりの息子の親になったら、ぼくはずっと謙虚になった。それまで考えていたことが何もかも、紙でできたお城みたいにに吹き飛んでしまったからだ。ぼくは自信をすっかりなくし、何度もひどく落ちこんだ。」(p.13)
「要するに、親であるということは、奴隷になって神経症を起こすか、未知の世界への心躍る旅に出るかの、どちらかなのだ。」(p.15)
「親の旅は、観光旅行とひと味もふた味もちがう。親の旅は心の旅で、人生の深い意味を説き明かす、さまざまな体験をたずねる旅なのだ。
心の旅は、ぼくらをはるか遠くまで連れていく。それなのに、目的地はすぐそこにある。それはぼくら自身であり、ぼくらのほんとうの姿である。先へ行けば行くほど、ぼくらに必要なものは何もかも、すでに手もとにあることに気がつく。そうすると、不満も後悔も要求も、ひととき、消えうせる。日常の混沌のなかに隠れた、このうえなくよきものが見えてくる。そうすると、ぼくらがいるこの果てしない宇宙は、ぼくらのための場所であり、それはほかならぬ、いま、自分がいるところなのだと理解できる。自信をなくし、くたびれ、日々悩みながらも、一歩一歩を踏みしめながらぼくらがここまで来られたのは、だれでもない、子どもたちのおかげなのだ。」(p.17)
「ぼくがひろがったと感じるもうひとつの領域がある。それは時間の領域だ。子どもができるまでぼくは自分を、時間のなかにひとつぽつんとあるだけで完結した存在だと感じていた。でもそうではないことがいまならわかる。ぼくは世代のゲームに加わっているのだ。人類という家族のなかで、何千年もの長きにわたって、生まれ、育ち、子を産み、老いて死に、子どもが同じサイクルを始めるという、果てしない循環運動が行われている。」(P.76)
「途中はゴールに劣らず大事なのだ、というより、途中とゴールは同じものなのだ、と。そうすると、もう長年の相棒になっていたみぞおちのあたりのつかえがとれる。どっちの方向もめざさずに、いまこの時間を好きなように漂うという生き方もあるわけだ。どこにいても、そこがすなわちゴールなのだ。」(p.146) |
| トニー・クリスプ |
最新夢辞典 |
どうぶつ社 |
1993.4.1 |
日頃見る無数の夢。その夢にはどういう意味合いが隠されているのか。たとへば、「飛ぶ」夢。「飛ぶことに関する夢は、独立するとか潜在能力を発揮するということに関連している」(p.240)として、夢の実例入りで解説されている。夢を見たらこの辞典でその意味を確かめてみるのも楽しいだろう。 |
| さくらももこ |
さくら日和 |
集英社 |
1999.7.20 |
さくらももこのエッセイは、マンガチックで結構気に入っている。冒頭、離婚報告がある。この人もこの人なりに苦労して居るんだ。
ばかばかしいと思いながらも、次々にページをめくってしまう。父親のヒロシが、相変わらず大活躍している。152 |
| デヴィッド・ケスラー |
死にゆく人の17の権利 |
|
|
次の17が、死にゆく人の権利である。私が死ぬときも、この17の権利が保証して貰えたらどんなに素晴らしいことだろう。
*生きている人間として扱われる権利
*希望する内容は変わっても、希望をもち続ける権利
*希望する内容は変わっても、希望を与えられる人の世話を受け続ける権利
*独自のやり方で、死に対する気持ちを表現する権利
*自分の看護に関するあらゆる決定に参加する権利
*必要なことを理解できる、思いやりのある、敏感な、知識のある人の介護を受ける権利
*治療の目的が「治癒」から「苦痛緩和」に変わっても、引き続き医療を受ける権利
*すべての疑問に正直で十分な答えをえる権利
*精神性を追求する権利
*肉体の苦痛から解放される権利
*独自のやり方で、痛みに関する気持ちを表現する権利
*死の場面から除外されない子供の権利
*死の過程を知る権利
*死ぬ権利
*静かに尊厳をもって死ぬ権利
*孤独のうちに死なない権利
*死後、遺体の神聖さが尊重されることを期待する権利 |
| 池宮彰一郎 |
島津奔る(上下) |
新潮社 |
1998.12.25 |
同じ著者の「四十七人の刺客」は、面白かった。大石蔵之助のリーダーシップの鮮やかさに驚嘆した。この本では、関ヶ原の戦いで西軍に与しながら、生き残った薩摩の藩主島津義弘を描くという。前々から読みたいと思っていた本である。
冒頭、慶長ノ役で、朝鮮出兵し、秀吉の死去の報せを受け、朝鮮を撤退するに当たり、明・朝鮮軍の20万の兵を7000人の兵でうち破り、無事しんがり役を果たして、帰国する様が描かれる。多数の死者を出したが、それは無駄死にではない、30倍の敵を破った威名が、豊臣の天下が終わった後にも、容易に手出しをさせぬことにつながると義弘は見通していたというのだ。
◆吏僚のトップの石田三成については、秀吉が「日本一の壮大な作戦を執行する才能がある」と誉めたのを、おれが、武将軍団を糾合して意のままに動かせば、不敗の戦争を行える、と過信したとし、「昨今の高級官僚が陥っている錯覚と自己過信は、ほぼそれに近い。」と現在の高級官僚の批判に及ぶ(p.80)。
◆兵站・補給軽視の伝統は、単一民族で限られた国土の中で武力を競う戦争ばかりしか経験がないので、合戦に勝てば、敵の糧食を奪って食えばよい。武器ー弓槍から、消耗品である矢、鉄砲火薬に至るまで、敵味方共通だから敵から奪えば事足りた、ことによるとしている。(p.80)
◆「人には、定まった運がある。と義弘は思う。運は人によって過不足の差はあるが、程度を越える量はない、と。不運の続くものは、期待を捨ててはならない。一生の内、いつかは定量に達するだけの運は廻ってる。幸運の続く者は警戒しなければいけない。いつか運を使い果たす。 人並み外れた運、というのは、稀にある。それはおのれ一人の運で足らず、子孫の運まで使い果たす。」(P.87) |
| 穐吉敏子 |
ジャズと生きる |
岩波書店 |
1996.10.21 |
穐吉さんの初の自伝。1929年、満州、遼陽に、穐吉家の四女として生まれたときから話は始まる。小学一年の時、三年生の女の子が弾いたトルコ行進曲を聴いた瞬間から、ピアノに魅せられてしまい、自ら習い始める。六年生の時、太平洋戦争が始まり、陸軍看護婦志願生に志願。病院で敗戦を迎える。進駐したロシア兵を慰めるコンサートでピアノを弾くような経験もする。1946年に引き上げ、別府に仮住まい。そこでダンスホールのピアニスト募集の張り紙を見て応募、採用される。彼女が16歳のときである。初めてジャズの本物のレコード(テディ・ウィルソンの「スイート・ロレイン」)を、聞き、その瞬間から彼女の人生は変わった。ただ漠然とピアノを弾いていたのが、あのすばらしいピアノをどうしたら弾けるかという目的と課題が出来たのだ。やがて、才能が見込まれて、17歳の時には博多のAクラス(九州で唯一のAクラスのバンド)のバンドのピアニストになる。給料5500円。アパート付き。福岡放送局のNHK喉自慢の伴奏も手がけるようになる。だが、そのバンドに入って7、8月もたつと飽きてしまい、上京を思い立ち、単身上京する。18歳、1948年の夏のことだ。 |
| 鷺沢萌 |
過ぐる川、烟る橋 |
新潮社 |
1999.8.30 |
新聞の書評だかに、中年のしっとりした情緒がある、とか書かれていた。その辺りが妙に引っかかっていて、読んでみる気になった。
確かに、この小説に描きだされるのは、華やいだところ一つとてない世界である。一応社会的には成功した、元プロレスラー脇田。スターレスラーだった脇田は、引退後もイベント企画会社の代表としてテレビ出演や、イベントの企画で活躍している。本の即売会とサイン会を兼ねた講演会で久しぶりに「地元」博多にやって来た。そこには、もう四年も音信不通になっている、波多江勇とユキが、春吉橋のたもとで屋台を出しているかも知れない。
中卒の脇田は、15歳で単身上京し、転がり込むようにして住み込みの店員となった新宿の中華料理店「萬楽」で、波多江と出会う。波多江は、脇田より、五つばかり年上で、脇田に親切で、いろいろと教えてくれる。萬楽の店主曽我は、小柄で、兵隊で足を悪くしており、脇田が大きいということだけの理由で脇田を嫌い、いじめ抜く。たまりかねて脇田は店を飛び出し、波多江の狭いアパートに転がり込み、荒川土手の鉄工所に職を得て、働き始める。しかし、この同棲生活は、一年もたたぬうちに終わる。プロレス好きの波多江が、萬楽の客で、プロレスラーの卵を探している仲野と知り合い、脇田にプロレスラーへの道を勧め、脇田もその道を選び、「ガッシュク」と呼ぶ若手選手用の寮に移って行ったからである。そこで、先輩レスラーの「専属奴隷」のような生活を送るが、もともと根が真面目で、黙々と仕事をこなすタイプの脇田には、そうした生活がみんなが言うほど苦にはならなかった。とはいえ、脇田の心の中には、やはりこの生活が間違っているという思いが抜けない。自分は格闘技には向いていない、ということがよくわかっていたのだ。それでも、その世界に留まり、デビュー戦の三年後、「ガッシュク」を出て、大久保のアパートで一人暮らしを始めた。波多江とは、連絡を取り合ってはいたが、彼は10年も勤めた萬楽が潰れたため、やむなく転職し、その後は、職と住まいとを転々と変えるような生活をしており、連絡が途絶えるようなことも何度となくあった。職と住まいを変えるのは、職場関係の人間に金を借り、それを返しきれなくなったことに原因があるように脇田には思えた。
ある日、脇田の部屋にふらりとやって来た波多江は、後ろに髪を赤茶色に染め、コリコリに痩せた、まだ少女と言っていいくらいに若い女を連れていた。それがユキだった。翌日、ユキを残して波多江は姿をくらます。ユキには迎えに来ると言う言葉を残して。
ユキにひかれた脇田は、同棲生活を始め、二度目の年が明けた頃、脇田は、プロレスを止め、ユキと正式に結婚し、元プロレスラーの経営している焼肉屋で働くつもりになっていた。ところが、そこに波多江が現れ、ユキは彼を追って家を出ていく。やけになった脇田は、スタープロレスラーの誕生を謀る選考会で、「俺はこげんことば、しとうてしよるわけではなかったい。なしてこげんことになったっちゃろうか。好きでしよるわけやないんばい」との思いで、「見たいとやったら勝手に見いツ」とスパーリングというより、喧嘩同様の大暴れをしてしまう。しかし、そこが見込まれて、「スター選手」に選ばれ、「ロッキー竜崎」としてデビューし、折からのプロレスブームに乗り、一躍人気レスラーになった。29歳の時、ロッキーの大のファンというスチュワーデス「佐藤由紀」と結婚し、一女一男の子供ももうけ、母も国元から呼び寄せ、人目には幸福な家庭を築き上げた。
十年経って波多江から電話があった。会うと借金の依頼だった。脇田は言われるままの金を貸し与えた。その額はその後も増え、最高五百万円に達することもあったが、波多江は、こまめに金を返しに来た。最後に貸した金は二度目の弁当屋の資金になっているはずだった。
40歳で脇田は引退した。今から四年前、波多江から、店をたたむことにした。返せる分だけ返すというので待ち合わせ場所に行くとそこには、15年ぶりのユキがいた。最初に会った日の印象のままの病的に線の細い感じが前進をまとわりついていた。脇田さんに波多江が借金していたこともこれまで知らなかったといい、腰を直角に曲げるようにして頭を下げた。その後ユキから、波多江勇の名義で、博多の春吉橋のたもとで屋台を始めたという葉書がとどいた。
脇田は、後援会のメンバーと博多の町に飲みに出、数軒梯子をした後、春吉橋のたもとに「雪」という看板の屋台を見つけ、波多江とユキに再会する。
落ちぶれた波多江とユキがそこにいた。見ている前で、見知らぬ客から、法外な料金を巻き上げた。出てくる料理はどれもまずい。どうして人は同じことを繰り返すのだろう。「頑張る」だけではどうやっても追いつけないものがこの世には山ほどあって、それはもうどうしようもないほどの真実だ。波多江にとっても、脇田にとっても。もうほんとうに、俺ができることは何もなくなってしまった。脇田は店を出た。
これがあらすじ。二人の男と一人の女の物語。飾り気なく人生が描かれていて、幾度か、人生の曲がり角を曲がり損なったり、運良くいい方向へ曲がれた経験しており、今の自分のたっている立場の危うさというものを知っているのですんなりと共感できた。たしかに、しっとりとした情感が残った。 |
| ギュンター・グラス |
鈴蛙の呼び声 |
集英社 |
1994.1.10 |
著者の今年度のノーベル文学賞の受賞が決まったばかり。舞台となるダンティヒ(グダンスク)には、ポーランド滞在中訪れたことがある。 |
| ジャレド・ダイヤモンド |
セックスはなぜ楽しいか |
草思社 |
1999.4.8 |
人間のセックスは他の動物と際だって異なっている。この点がむしろ人間性の基本的特質を形成することになっているのではないのか。 |
| カレル・チャペック |
ダーシェンカ |
新潮社 |
1995.12.15 |
ほのぼのとした、いい童話だ。作家の想像力が、ワイヤヘアード・テリアという犬の種族の発祥の秘密を作り上げる。挿し絵と写真もチャペック自身のもの。 |
| カレル・チャペック |
ダーシェンカ��子犬の生活 |
新潮社 |
1997.1.30 |
実際には、これが、原本の第一章で、第二章以下が、「ダーシェンカ(�氈j」として、この前に出版されたのだ。しかし、その評判がいいので、第一章も紹介されることになったのだろう。最初から、第一章第二章の順序で出版しても良かったろうに。どちらも十分面白いのだから。 |
| 中島義道 |
<対話>のない社会 |
PHP出版会 |
1997.11.4 |
会話はあるが、対話のない日本社会。大学の教室には、私語と死語が充満する。街には、アアセヨ、コウセヨの看板や垂れ幕が溢れ、駅、公園、街角は、管理放送の声でうるさい。
「<対話>とは、各個人が自分固有の実感・体験・信条・価値観にもとづいて何ごとかを語ることである。」(p.102)「身分・地位・知識・年齢等々ありとあらゆる「服」を脱ぎ捨て、全裸になって「言葉」という武器だけを手中にして戦うこと、それが正真正銘の、<対話>である。」(p.123)
<対話>のある社会とは、「「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をグイと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔く責任を引き受ける社会である。それは、対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。それは他者を消し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会である。・・・」(p.204)
「うるさい日本の私」で、お節介な放送や、街の騒音と徹底的な戦った著者が、<対話>がなく、「思いやり」と「優しさ」だけがもてはやされる、健全性を欠いた日本社会を痛烈に批判し、対話することの必要性を説く。 |
| 李登輝 |
台湾の主張 |
PHP研究所 |
1999.6.17 |
じっと我慢のナンバーツーの位置から、トップに躍り出て大化けした政治家であると言われるが、本書を読むと、それが大化けというよりむしろ、場を得て本来の実力を発揮したにすぎないということがよくわかる。内容は高く、これと同じレベルの書物を著すことができる政治家が日本に何人いるだろうかと考えると、寂しくなる。 |
| 日本エッセイスト・クラブ編 |
父と母の昔話’96年版ベスト・エッセイ集 |
文芸春秋社 |
1996.7.30 |
1996年のベスト・エッセイが70余編。短いので時々引っ張り出して、好きな作家のエッセイを読むことにしよう。
巻頭には司馬遼太郎の「本の話」がある。
司馬さんが、三十代だった若い頃、大阪新聞の連載小説のお守りをしており、気象庁の藤原技官に原稿を頼みに行く。しかし、数学的に論理明快に断られる。365日の時間は仕事と他の創作によって占められており、余裕がないというのである。藤原技官は、新田次郎。訪ねていく前年、直木賞を受賞している。
その後、会うこともなく亡くなられたが、「赤ちゃんがうまれたとき」という逸話を間接的に聞いたことがある。産まれたばかりの赤ちゃんの母乳を吸う力が意外に強いのは、赤ちゃんは自分の舌で乳房の乳頭を巻き、真空をつくっているのではないかという仮説をたて、数学的に計算したという話だ。
昨年枕頭で本を読んでいて飛び上がるほど驚いた。筆者である数学者がイギリスのケンブリッジに行く。この「遙かなるケンブリッジ」の著者が、あの”赤ちゃん”ではないかとふと思い、確かめると間違いなく、新田次郎氏の息であることがわかったのだ。
「この偶会のよろこびは、世にながくいることの余録の一つである。同時に本のありがたさの一つでもある。えらい数学者になられたあの”赤ちゃん”のよき文章によって、つまり時空を超え、1987、8年のケンブリッジの町をー文明としか言いようのない人びとの秩序のなかをー臥せながらにして歩くことができる。」(p.16) |
| 俵孝太郎 |
どこまで続くヌカルミぞ |
文芸春秋社 |
1999.9.20 |
自らの体験に照らして、高齢者を抱えた家族が、日本という社会の中で、いま抱えている切実な問題を徹底的にえぐり出している。兄弟の中で、直接面倒を見るという貧乏くじを引いたものだけが、4倍も苦労をし、その苦労を知らない兄弟や親族が、寄ってたかって、したり顔で口出しし、その苦労を更に10倍にも20倍にもする構造が日本にはあるという。報われることのない、介護地獄に陥り、下手をすると自分の一生が、介護のために霧消しかねないのだ。
貧乏くじを引くことは回避し、いらざる手出し口出しをした親族である二人の妹のことをここまで書くかというほど、こてんぱんに書いている。よほど頭に据えかねたのだろう。どこまでも続くヌカルミぞ。「やっと重荷を下ろした」という表現を、建前が好きな日本人は咎めがちだ。そんなに現実は甘いものでないことを、80歳になる高齢者を二人抱えているわたしも、実感している。たしかに遺産相続は、民主的な憲法で、老人介護は、貧乏くじを引いたもの一人に押しつけるというやり方はおかしい。それに、老人介護というと、すぐボケ老人を対象と考え勝ちだが、著者のケースのように、物欲に凝り固まったような頑固爺、強欲婆がそれに劣らず大変なことも良くわかる。 |
| イアン・リトルウッド |
日本人が書かなかった日本 |
イースト・プレス |
1998.3.21 |
日本人は外国人にどう見られてきたのか。450年間の日本観の変遷をたどる。 |
| 芝伸太郎 |
日本人という鬱病 |
人文書院 |
1999.2.28 |
日本人はメランコリー親和型であるという。そこで、著者は、日本人一般の生き方の中に、内因性単極性鬱病及びメランコリー親和型の本質を探し出す、との基本戦略に則って、日本人の金に対する特異な態度を本質的現象として取り出し、日本人の対人行動を根底から規定している原理を抽出する。 |
| 岩田慶治 |
人間・遊び・自然 |
日本放送出版会 |
1986.11.20 |
東南アジアの民族文化を<個>の視点から見た書。 |
| シャーウィン・ヌーランド |
人間らしい死にかた |
河出書房新社 |
1995.1.25 |
「人がどう生きるかは、先人の生き方のどれとも異なっている。それと同じく、すべての死のありようも先人とは異なっている。一人一人の独特な個性が、死のかたちにも反映されるのである。われわれがさまざまな病気とさまざまな経路によって死を迎えることは、ほとんどの人が知っている。しかし、人間の精神が最後の力をふりしぼって肉体を離れる際の、きわめて多様かつ無限のあり方を充分に知っている人はきわめて少ない。それぞれが生きているあいだ世間に見せている独特の顔つきと同じように、多様な死のかたちも、それぞれがきわだった特徴をもっている。すべての男性がまったく前例のないかたちで死に屈服し、すべての女性が自分なりに死への道を歩むのである。」(p.21)
「昨今、われわれは愛するものの死を実際に目撃することがほとんどなくなった。いまや、自宅で死ぬ人は少なく、自宅で死を迎える人の大半は慢性病、つまり長いあいだに衰弱していくことを余儀なくされる病気の犠牲者であり、わが身に起こりつつある生物学的変化は、麻薬や睡眠薬によって効果的に隠蔽されている。アメリカ人の少なくとも80パーセントが病憂いんで息を引き取るのだが、そうしたほとんどすべての患者の様子は、おおむね生前最も親しかった人びとの目から隠されるか、少なくとも死に向かう最後の状況についての詳細は隠されている。」(p.28)
◆この本の原著のタイトルは「How We Die」である。病状ごとの死に至るプロセスが、克明に解説される。どうして心臓病の持病を持つ人が肺炎で死ぬことになるのか。テニスをやっていて、ふくらはぎがけいれんを起こすことがあるが、これは一種の虚血症の現れであり、これが、心臓に現れると心臓麻痺を引き起こすのである。 |
| エリザベス・シューエル |
ノンセンスの領域 |
河出書房新社 |
1980.11.30 |
本社は、エドワード・ノアとルイス・キャロルという二人のノンセンス作家を取り上げる。
「ノンセンスとは、ただ単にセンスの否定であったり、日常経験のでたらめな転倒であったり、日常生活の制約の中から偶然と無限の中へと走る逃避行であったりするのではなく、逆に周到そのものに限定され、理性によりコントロールされ導かれている一世界であり、それ自身の法則に従う一つの構造体なのではあるまいか。これこそあげて我々の言わんとするところである」(p.17)
「もしノンセンスが芸術だとするなら、それは自らの構成の規則もろもろをもつはずであり、それらを検討しようとすればたちまち、ある領域内部の知的関係構造を研究するものとして、論理学にであうことになろう。」
「たとえば本書は、ユーモアないしコミカルなものの研究とはならないであろう。笑いはノンセンスにつきものだが、本質的なものではない。」(p.18) |
| ハーマン・メルヴィル |
白鯨 |
八潮出版社 |
1994.9.10 |
白鯨を読み通して見たい。昔、挑戦したが途中で投げ出した。しかし、その魔力を秘めた語り口が懐かしい。新訳という。 |
| 葉山杉夫 |
ヒトの誕生 |
PHP出版会 |
1999.6.4 |
宇宙カレンダーで見ると、ヒトの登場は大晦日、しかも午後10時半である。その人類が現在60億人を突破し、地球を我が物顔でのし歩いている。どうして、それほどの強力な種に育ったのか。筆者は、二つの革命があったためだという。
一つは食虫類原始哺乳類の中から、樹上で生活を始めたこと、もう一つは、樹上の生活を捨て、地上に下りて日本の足で歩き始めたことだという。
地球は生物の大きな絶滅をこれまで、13回記録してきた。その中でも規模の大きいのが「五大絶滅」と言われる。最後の大絶滅は、6500万年前、恐竜が絶滅した中生代白亜紀松のもので、ここで主役が恐竜から哺乳類に代わり、人類の登場の道が開けたのである。 |
| 吉海直人 |
百人一首への招待 |
築摩書房 |
1668.12.20 |
必ずしも、単純明快ではない百人一首の成り立ちについて解説する。藤原定家自筆の百人一首原本なるものは現存していないのだ。定家が選んだということすら、確かな証拠があるわけではないらしい。われわれが、持っている常識を、屈指の百人一首コレクターという著者が、覆してくれる。 |
| 梶田正巳 |
勉強力をつける |
築摩書房 |
1998.7.20 |
学ぶと言うことはどういうことなのか。その内的機能とは何か。効果的に学ぶためには、どうすればいいのか。認識の第一条件である「覚醒した思考活動」をいかにして、もたらすか。一芸に秀でたエキスパートたちの勉強や学習に熟達するためのノウハウは?認識の第二条件である熟達の過程を明らかにするため、彼らの驚異的な練習を示す。われわれの知識は、状況や文脈に拘束されており、「文脈依存的」であるが、その束縛の鎖を解き、互いに密接につながった認識、ネットワーク型の知識をどう育てることが出来るか。最近話題の「総合学習」、「総合的思考力」とは、どういうことか。この本は、こういう問題意識に応えようとすものである。 |
| ダニエル・ブライヤン |
マツボックリが笑う日 |
翔泳社 |
1998.1.30 |
田舎、庭。そこには都会にはない限りない魅力がある。それに気づいて都会を捨て、田舎に移り、大きな庭を育てる。 |
| ニコラス・スパークス |
メッセージインアボトル |
ソニーマガジンズ |
1998.12.10 |
スティングの歌う同名の曲に触発されたかのように、浜辺で拾った瓶から出てきたメッセージに感動した女流コラムニストは、新聞のコラム欄に、その旨を書く。そこからロマンスが生まれて・・・ |
| 斉藤緑雨 |
緑雨警語 |
冨山房 |
1991.7.29 |
ぺらぺらとめくると次のような警句が次々と出てくる。
◆何たなう女は隙有るもの也、唯其乗ずべきの隙か、乗ぜらるべきの隙かを知らざるのみ。(p.254)
◆按ずるに筆は一本也、箸は二本也。衆寡敵せずと知るべし。(p.127)
◆流行はわれに来たらず、我は流行に恃まず。恃まざる流行のわれに来るものは、感冒のみ。(p。146)
◆少数は手拍子也、建設也。多数は足拍子也、破壊也。(p.91) |
| フランシス・キング |
フローズン・ミュージック |
福武書店 |
1991.1.21 |
著者は、モーム賞とマンスフィールド短編小説賞を受賞した経験のある作家。1923年スイス生まれ。1986年には国際ペンクラブの会長にも選ばれたストーリーテラーらしい。ミステリー仕立てのサイコドラマという。楽しんでみたい。
舞台はインドのバルラム。青年ルバートが幼い日々を過ごした土地だ。若くしてなくなった母の墓がある。久しぶりにそこを訪れ、意外な事実を発見する・・・ |
| テリー・コール・ウィッカー |
私がわたしになれる本 |
KKベストセラーズ |
1997.4.20 |
一番身近な存在ながら、人には自分というものが一番わかりにくく、コントロールもままならない。自分らしい自分でいられるための自己分析のヒントと解決策が示されている。読めば、気が楽になる。 |