目次
2001年シーズン
2000年シーズン
懐かしのテイネ(2000/3)写真集
志賀高原スキー行き
(2000/2/24〜2/27)写真集
1999年シーズン
1997年シーズン
1999年シーズン
旧ろう12月中旬のことだ。
一枚の美しいクリスマスカードが届いた。
野辺山のペンション「かあてんこーる」からだった。野辺山駅にも、野辺山ハイランドスキー場にも近く、スキー目的に出かけたわれわれ夫婦は、昨年、一昨年
と二年続きで、そこで新年を迎えたのだ。
今年は、どうしようか、12月中旬になるのに、まだ、決めかねていた。昨年までは、二年連続で9日連続の休みがあった。今年は、6日連続に過ぎない。ス
キーに出かけるとなると、せめて、4日は欲しい。6日のうちの4日が潰れてしまう。車で出かけるとしても、年末年始の大渋滞に出くわすだろう。などなど、
考えているうちに、12月中旬になってしまっていたというわけだ。
クリスマスカードを見ると、「また お会い出来る日を楽しみにしております。」と
認めてある。年末年頭にどうぞのお誘いのようにみえる。折からの不況だし、まだ部屋は空いてますよ、と言っているようでもある。
どうしようか、また、行くことにしようかと、妻と話し合って、車ではいやだから、特急列車の指定席が取れたら行こうということになった。
「まさか、この時季に取れないわよ」
と妻は言っていたが、案ずるより生むが易し、妻が21日に最寄りの東中野駅に行ってみると、特急指定券があっさり取れたのである。もちろん、「かあてん
こーる」の部屋も空いていた。
かくして、暮れの29日から、元日までの3泊4日の予定ででかけることになり、3年連続で、新年を野辺山の「かあてんこーる」で迎えることになったのだ。
オーナーの石井夫妻とは、もうおなじみである。お二人とも、気さくで、趣味や関心領域がいろいろと広いので、楽しい話ができる。長く泊まっても、肩が凝
らないのだ。駅とスキー場への送り迎えもやってもらえる。わたしの拙い絵の絵はがきを、食堂のバーの上に、今も飾っていただいている。わたしのホームペー
ジにも時折アクセスして、お客さんにPRもしていただいているらしい。「かあてんこーる」のHPとは昨年から、わたしのHPとリンクもしている。
29日は、さすがにいい時間帯の特急指定席は取れなかったので、「かあてんこーる」に着いたのは、午後六時前。部屋は、昨年と同じ「ジゼル」。部屋には
演劇の道を志したことのあるオーナーの趣向で、カルメンとかジークフリートとか、演劇に関係のある名前が付いている。この部屋は、廊下のはずれにあり、バ
スに一番近く、便利なのだ。
七時からの夕食は、われわれ夫婦二人だけで食堂を独占して、ゆったりといただけた。後二人のお客さんは、その夜は、遅く着くことになってい
た。
オーナーがシェフ担当で、奥さんが、サービス担当なのはいつも変わらない。ワインはチリの赤。スープから始まって、魚料理、肉料理、野菜サラダ、デザー
トにはシャーベットのコースが「かあてんこーる」の定番夕食である。美味しくいただいた。八時からは、遊技用の大きな部屋で、NHKの「タイタニック」前
編を見た。
翌日は、上天気。スキー日和である。
野辺山ハイランドスキー場へ9時過ぎに到着。
今シーズンは、これが初滑りである。毎年、12月初旬に軽井沢のプリンスホテルに、初滑りに行っていたのだが、今シーズンは、週末にゴルフの予定が入っ
て、初滑りが、12月の月末になってしまったのだ。
駐車場には、これまで一度も見かけたことがないほどの車があった。八つが岳周辺の五つのスキー場が共催で、持ち回りのスキー競技が開催されることになっ
て、その第一回目がこの野辺山ハイランドスキー場で開催されるのだ。300名以上の参加者が押し掛けているので、混んでいたのである。これは後でわかった
ことだが。
なんと言っても、初滑りである。一年ぶりともなると、滑り方のこつや要領の大半を忘れている。50近くになって覚えたスキーであ
る。まだ、身に付いていないので、滑り方を、頭をひねって思い出さなければならないので、なんとなく、おっかなびっくりな面がある。うまく滑れるかどう
か、不安なのだ。しかし、いったん滑り出すと、次々と、滑り方を思い出してくる。
昨年、大いに技量を上げた妻も、最初は不安がっていたが、すぐ、要領を思い出して、昨年並みに滑り出した。昨年までは、足が疲れて、ゲレンデの途中で一
休みしていたのが、休まずに一気に降りられるのだ。結構スピードも出るようになった。
ゲレンデは、向かって一番右のよく競技用に使われるスーパーレッドを除いて、その他のコースはオープンしていた。しかし、コースとコースをつなぐゲレン
デなど、ところどころに、まだ雪がないところがあり、十全というわけではない。レッドコースの一番右のコースは、競技用に使われていて滑れないので、その
他のコースは、結構混んでいる。温度は、零度から一度の間。暖かい。
ランチは、軽く麺類(私は力うどん、妻は天ぷらうどん)で済まし、ティータイムには、ケーキとコーヒーで疲れを癒した。これが、今回の定例となった。
待ち合わせの4時まで、一緒にぴったり20本滑った。4時に終わってみると、空はまだ、かなり明るい。スキー場のある飯盛山の陰に日は隠れたが、少し走る と太陽が顔を出し、八つが岳の左の端に大きく丸く、まぶしく輝いて見えた。明日は4時40分まで滑ろうと思ったことだ。
ペンションに帰り、バスに入り、軽く一睡して、その後夕食までの小一時間、ビールを飲みながら、妻と碁を打った。7子局。左下隅の黒の大石が
死んで、白の中押し勝ち。
「死ななかったら、私のほうがよかったのに」
妻は残念そうである。
その夜は、お客も増えた。祖父母から、お孫さんまで入れて七人の一家と、若いペアで、賑やかな夕食になった。4歳と生後8月の女の子が、あか るく元気で賑わいの中心だった。
食後、前夜に引き続きNHKで「タイタニック」の後編を見た。かなり、よく出来たドラマだった。もちろん、今年大ヒットした、「タイタニッ ク」には、ストーリー性や、装置、映像面で少し見劣りしたが。
翌日も、一日いい天気だった。スキー場の駐車場は、昨日に比べると、がらがらだった。やはり、昨日は、競技会で混んでいたのだ。向かって一番右にある、 スーパーレッドのコースは、昨日は、まだ芝生が覗いていたが、昨夜来、造雪機をフル回転していたらしく、もう芝生は見えなくなっている。
今日は、競技会もない。しかも、大晦日である。リフトは、どこへ並んでも、空いていた。気温は、零下5度。上がっても零下4度。昨日に比べる
と寒い。雪質は昨日よりいい。待ち合わせの時間も4時40分とし、昨日より、40分遅らせた。
そんなわけで、31本滑った。昨日と会わせて51本。妻も、よく頑張っている。
帰りがけ、昨日より40分遅いので、太陽は、八つが岳の左端に沈み、地平線から炎が吹き上がったような、鮮やかな色だ。八つが岳の右の端からも、明るい
日の光が覗いている。
バスで疲れた体をほぐし、一眠りして、食堂でビールを飲みながら、妻と碁を打った。7子局。今日も、大石が死んで、妻の顔色が変わった。姿が見えなく
なったので、部屋を覗いたら、ベッドに横になっていた。悔しくて、自分に腹がたって、寝ているのだそうだ。
「もう、あなたとは、打たない」
夕食は、七時から。今日は、部屋は満杯ということで、テーブルも全部ふさがっており、なかなか賑やかだった。昨日のメンバーに、5年続けて、 「かあてんこーる」で年越しをするというカップル、親子の四人連れが加わった。
ところが、これも常連というカップルがなかなか現れない。心配していると、中央高速道路が、暴走族に占拠されて、進めないという電話が入った。暮れのこの 時期、行事のように、恒例化している。そのスタート時間が少し早まって、それに巻き込まれてしまったというのだ。お気の毒に。結局、かなり遅れて、この カップルは到着した。
食事を終え、われわれは、八時からのNHKの「紅白歌合戦」を見ようと、大きな遊技部屋の前まで行ったら、われわれの間をすり抜
けるようにして、先ほどの四人連れの親子の下の男の子が駆け抜けて行き、テレビのスイッチを押して、アニメの番組にチャンネルを合わせた。先を越されてし
まったのだ。
しかたがないので、持っていった夢枕獏の「神々の山嶺」上を読んで、チャンネル権が戻って来るのを気長に待つことにした。
九時過ぎになって、やっと「紅白」に、ありつけた。一年にこの日だけ、一年の総決算のように、歌の番組を見るのだ。初出場のメンバーはもちろん、昨年出
た人も、一年ぶりがほとんどなので、ほとんど見覚えがない。わかるのは、ベテラン陣ばかり。
司会に登用された久保純子アナは、精一杯やっている。けなげさに、つい応援したくなる。白組のSMAPの中井さんは、二年連続の登用なので、 リラックスしてスムーズにこなしている。
昔のように、つまらない紅組、白組の対抗意識がないので、見やすい。舞台装置は、大仕掛けのものが、多い。結構凝っている。小林幸子や美川憲一の、大袈裟 な衣装には、食傷気味だ。もう、衣装と言うより、舞台装置のようなもので、本人が身動きもできず、お飾りになってしまっている。
一年ぶりに登場した安室奈美江は、感激のあまり、歌の最後のリフレインの部分は歌えなかった。昨年の「紅白」で舞台から姿を消し、「紅白」
で再び舞台へ復帰。その間に一子をもうけて、無事、舞台に戻って来られた感激で、涙が溢れたのであろう。
最後は、和田アキ子が、「あなたのために歌いたい」を、途中マイクを使わずに熱唱。それが効いたのか、紅組がひさしぶりの優勝。久保純子アナは、感激
で、涙。セリフが、うまく言えない。「感激のあまり・・・」と絶句。
正直なところが、いい。体裁ばかりを気にするよりはよほど人間らしくて好感が持てる。
「紅白」も、無事終了して、番組は「行く年来る年」へ。お寺の鐘の音がごーんと鳴り出したので、起きていた人に「いいお年を」と言って、寝室 へ。
元旦は、美しく晴れ上がった。今年一番の冷え込みという。
写真を撮りに、ペンションの回りを少し歩いた。八つが岳の頂の雪が白く輝いている。浅間山の煙も遠くにたなびいている。日をいっぱい浴びた、高原も美し
い。家から出る煙が、逆行で、白い蒸気のようだ。
スーパーレッドのコースは相変わらず、数台の造雪機がうなりを上げて雪を飛ばしている。レッドコースのリフトに乗ると、その雪の細かな粒子が降り注いでき たりする。本当に小さな粒子である。そのせいで、人工雪のゲレンデであるにもかかわらず雪質がいいのだろう。昔に比べたら、本当にいい雪が作れるような なったのだ。しかし、丸二日も、造雪機はフル運転なのだ。それでもまだ、仕上がっていない。ゲレンデ一つ作るにも、大変な金がかかっていることがよくわか る。リフト券が高いはずである。
三日目で少し、疲れもたまっているが、最後の日でもある。滑らずべからずということで、時間いっぱい、レッド、オレンジ、ブルーの三つのコー スの空いているところを選びながら、滑りまくった。24本。三日間の合計が、75本。よく滑った。
天気がよくて、スキー場を取り囲む山々や、近くの野辺山電波天文台が、じつに美しく見えるので、デジタルカメラで、写真も撮った。
4時20分にピックアップしてもらい、「かあてんこーる」に戻って、宅配便のパックも済ませ、あまった時間を利用して、オーナー夫妻や、常連
のお客さんたちと一緒に記念撮影をした。
ストーブにかかっており、壁には、JR最高駅野辺山を愛する会会員募集などのポスターが貼ってあった。客は10人程度。小さ
な駅である。定刻に二両編成のワンマン列車が到着した。
「餌台の鳥さながらに落花生食う元日の夜汽車も愉し」
などと、戯れ歌を詠いつつ、いつも我が家の庭の餌台に欠かしたことのない落花生を、うまいねぇと言いながら妻とあっという間に平らげたことで
あった。
せっかく、持って行ったと言うことで、車内で「神々の山嶺」の上巻(461ページ)を読み終え、引き続き下巻を読み始めた。読書しながら、CDも、聴い
た。その夜聴いたのは、フォーレの「夜想曲全集」(ピアノは、Eric Heidsieck)、モーツアルトの「Wind
Concertos」(バレンボイム指揮)だ。
行きの車内と「かあてんこーる」とで聴いたのは、ウルフの「カルミナ・ブラーナ」(小沢征爾指揮)、ベートーベンの「弦楽四重奏曲第11・12番」(ス
メタナ四重奏団)、ブルッフの「スコットランド幻想曲、ヴァイオリン協奏曲第2番」(ヴァイオリンはイツァーク・パールマン)である。持って行きながら、
聴きそびれたのは、ギドン・クレーメルの「ピアソラへのオマージュ」だけ。よく、聴いたものだ。どの曲も気に入っている。
ちなみに、読了したのは、「神々の山嶺」の上巻の他には、山根一真の「デジタル産業革命」、何度か、ページを開いたのは、二木雄 策の「交通死」。ちょっとだけ開いたのがエドワースの「内なる画家の眼」。持っていきながら、まったくページを開かなかったのは、ウイルソンの「生命の多 様性 I」と「宇宙の果てにせまる」、「翻訳と日本の近代」。本はいつも持って行きすぎるのである、結構重たいにもかかわらず。
水彩画の道具も持っていったが、描く暇がなかった。もっとも、デジタル・カメラで撮った33枚の中には、水彩画用のものが含まれてはいるの
だ。
新宿で乗り換え、東中野の駅を降りたら、目の前に「呑ん兵衛」という居酒屋の灯りが見えた。これ幸いとのれんをくぐり、生の大ジョッキを二人で分け合い、
アン肝、焼き鳥の盛り合わせ、呑ん兵衛サラダ、刺身の盛り合わせ、雑炊などで空きっ腹を満たし、満足の体で、我が家に無事たどり着いた。午後11時。3泊
4日の初滑り旅行行きもめでたく完結した。
後は・・・新年恒例の・・・
北海道で今シーズン、二度目のスキー(1998/2/28〜3/1)![]()
一日目は、札幌国際スキー場で、二日目はテイネハイランド・スキー場で、天候にも恵まれ、たっぷり滑ることができ、大満足して帰って来た。
それというのも、北海道に十年前赴任した際の、お師匠さんであるYさんの尽力あっての賜である。車での送り迎えから、メンバーのアレンジ、実地 の指導まで何から何までお世話になった。多謝。
札幌では、このところあったかい日が続いたということで、札幌国際へ向かう国道230号線にはほとんど雪がなく、東京の道のように乾ききってい た。
しかし、スキー場にはたっぷりと雪があって、雪質は上々だった。10時少し過ぎから滑り始めて、昼食までに7本も滑った。2km近いゴンドラで 上まで行き、Yさんを先導役にして、途中一度か二度小休止するだけで、ほとんど一気に滑り降りてくるのである。
Yさんは、70を超えているが、顔つきも十年前と全然変わらず、フォームは安定そのもので、疲れることを知らない。もう一人のTさんも私より十 年先輩だが、山男でタフ、こちらも疲れをしらない。
し たがって滑る回数、スピードは、同行した妻いかんにかかってくるのだが、このところとみに技量をあげてきたので、ほどほどのスピードなら、なんとかみんな と一緒に滑れるのである。しかも、今回はYさんのすぐ後ろにくっついて滑れたのだから、これはものすごくいい勉強になったはずである。
お昼に食堂で会う約束だった、KさんとMさんとも、ゴンドラを待つ行列の中で偶然隣り合せになり、午前の最後の3本は一緒に滑ることができた。
昼食は、三階にある、レストランでゆっくり、たっぷり楽しんだ。一品メインの料理を注文すると、サラダとスープはバイキング方式でいくらでもお 替わり自由なのだ。二階の混んだ食堂に比べると、けっこう割安である。話も弾んだ。
午後は、一時半頃から滑り始めて、二時40分頃まで二本、みんなで一緒に滑ったが、Tさん、Kさん、Mさんが先に帰るというので別れて、残った Yさんとわれわれ夫婦だけがその後一緒に滑った。
妻 が珍しく、今まで行かなかった上級コースで滑りたいと言い出したので、ダウンヒルと名付けられた一番右側のゲレンデに向かった。その時分、霧で視界が悪く なっていて、雪の表面が見にくくなっていたが、妻に言わせると人がいない分、ましということのようだ。他のゲレンデは広すぎて、何人もが、同じコースを同 時に滑るので怖いというのである。
サホロでも、全コース一緒に滑ったので、ゆっくりならどこでも滑れるのである。
結構きつい坂もあったが、たしかに人も少なく、ぶつかる心配はない。なんとか無事、三本滑り終えて、怪我もなく帰路につくことができた。
夜は、札幌在住で旧知のTo夫妻と一年振りに会い、北海道ならではの山海の珍味美味を味わいながら、ビールを飲み、積もる話に花を咲かせた。
二日目は、札幌時代に、さんざ通ったテイネハイランドである。やはり懐かしい。空は晴れ渡り雲一つない。山頂からは、札幌市、石狩湾、暑寒別 岳、さらに遠くの山々までくっきりと見える。風もほとんどなく、温度もそれほど低くない。雪質は最高。
今日も最初は、YさんとTさんにわれわれ夫婦の四人で一緒に滑った。11時過ぎに、Iさん、T2さんと合流して、一緒に滑った。パノラマ
コースから滑り始めて、人が多くなったら、空いたゲレンデを探して移動を繰り返し、ほとんどすべてのゲレンデで滑った。
女子大回転や、男子回転のコースも何度か滑りおりた。結構きつい斜度のところもあったが、妻も転んだのは一度だけ。10時過ぎから4時まで、昼 食をゆっくりとったとき以外は、とにかく飽きもせず、滑り捲った。後で乗ったリフトを数えてみたら25本ほどにもなった。
妻も、最後には、足が痛いと言い出したが、それでも丸二日、滑り通せたのだから、体力もついてきた。
終日、土地の人も驚くほどの好天に恵まれ、快適なスキーだった。最後に、ホテルまでYさんに送ってもらい、何事もなく、定刻の便で帰京できた。
翌日の新聞を見たら、東京は前日雪で羽田空港は午前中クローズし、200本以上の便が欠航し、4万4千人に影響が出たとあった。知らぬが仏とは
このことだ。
10年目のClub Med サホロは上天気(1998/1/21〜1/25)
Club Med サホロには、平成元年から毎年欠かさず出かけている。
大いに気に入っている証拠だろう。今年は、好天にも恵まれ、十分満喫して帰ってきた。平成2年以来、決まってこの時期、四
泊五日のスケジュールで出かけるのだ。今回は、朝一番の飛行機を使って帯広経由で午前11時前に到着、午後から早速、スキーのレッスン、最終日は、午前中
いっぱい滑れる便だったので、とにかくよく滑った。
毎日、レッスンを取ったので、滑りが安定度を増してきたのが、自分でも分かった。一番急な坂も、一定のスピードで、コントロールしながら降りられるように
なった。最初の日は、のどかさん、二日目からは、雪さんが、インストラクターだった。どちらも若く気持のいい女性で、いいアドバイスを沢山くれた。雪さんは日本人の父とフランス人の母を持つハーフで、日本語は勉強中。エンルギッシュ
で、
「オニバ!」
と叫んで、先頭を切って滑りまくる。その後を10人ないし6人の生徒が必死に追うのである。「オニバ」はフランス語で、「さあ、行こう」の意味である。圧雪
したゲレンデばかりでなく、新雪のあるコブコブのところまで滑った。難しかったが、滑り終わると達成感は一段と高い。
ゴンドラを降りると、周りの山々が一望できる。十勝山、富良野山、阿寒山、などなど実に美しい。
鳥の鳴き声を聞きつけて、近くの白樺の林に目をやると、四十雀が盛んに飛び回っているのだ。零下10度で、白一色の世界でも元気で過ごせるものらしい。
Club Med
サホロには、朝から晩まで、お客を飽きさせないようにしようという、バカンス王国のフランスのクラブらしいノーハウがびっしり詰め込まれている。
朝昼晩の食事。これが、すべてビュフェ方式だが、日毎に、イタリア、アジア、メキシコ・テキサス、等々とテーマを変え、手を変え品を変えて、コックが腕に
よりをかけた料理を並べるので、五日程度滞在しても、同じメニューを強要されることはない。ほんのすこしずつ食べたにしても、とうていその二十分の一の種
類を食べることも不可能だし、体重を増やさずに、村を離れることも不可能に近いのだ。ワインも赤白、飲み放題。デザートの類の充実度も並みではない。ケー
キ類、果物類。なんでもある。
夕食後のショーも、なかなかのものだ。スタッフをMOと称するが、ショーの玄人から、スキーのインストラクターなどの素人までMOのほぼ全員が日替わりで
参加して、歌あり、踊りあり、寸劇ありの楽しいバラエティショーを毎夜繰り広げるのだ。これが、かなりのレベルなので、毎年実に楽しみなのだ。
ショーが終わると全員参加型のゲームの数々。ミニゴルフ、ピンポン、様々なゲームが用意されていて、毎年つい熱中してしまう。
スキーでは、レースも恒例になっている。わたしのグループからは、10人全員参加したが、私が60人中18位になり、銅メダルを貰っただけ。雪さんは、残
念そうだった。
ゲームでも、金メダルを貰った。これは、10の異なったゲームをこなすのだが、バスケットボールのスローインあり、重さ当てあり、釣糸を瓶に入れるゲーム
ありで、結構難しいのである。100点満点で80点取った。
GOのアンソフィーとは昨年親しくなった。彼女は昨年はショーのコスチュームのデザインを担当していたが、今年は、クラフトとアートを担当していた。絵が
お互いに好きなので、今年も、話が弾んだ。この一月に書いたばかりの水彩画をカラープリンターでプリントしたのを持っていってあげたら、とても喜んでくれ
た。他のGOとも、仲良しになった。
S夫妻とは、毎年一度ここで交歓することになっている。住まいは同じ東京の落合なので、歩いても行けるほどの近くなのだが、会うのはこの時だけである。
45年前に知り合いになって、毎年、ここで会い、食事をともにしたり、ショーを一緒に見たり、バーで話し合ったりして、楽しむのである。年に一度なのに、
もっと頻繁に会っているような親しみが湧くのが不思議である。Sさんには、これまでスキーのレースで勝てなかったが、(最初の頃は、順位は、かなりあいて
いたが、昨年はすぐ後だった。)今年は、Sさんは27位で、私が18位、初めて勝てた。滑りが少し向上した証拠だろう。
最終日は、妻と二人でフリーで滑った。ゴンドラを三回上がったが、妻も私の後を、ちゃんとついてこれるようになった。12時まで滑って、最後の昼食をたっ
ぷり取って、満足して帰ってきた。来年も行くことになりそうである。
![]()
暮れの30日から年初の2日までは野辺山で滑った。昨年とほぼ同じ日程である。ゲレンデは今年も昨年同様空いていて快適だった。(ここをクリックすると野辺山ハイランド・スキー場の写真が見られます。)
今
回も、妻と一緒。泊まったペンションは、これまた昨年同様の「かぁてんこーる」。今回で三回目になるが、若いオーナーの石井夫妻が明るく親切で、わたし同
様多趣味人間な上、料理の腕も確かなので気に入っている。スキー場まで車で送り迎えしてもらえるので、いつもJR線で出かけることができるのも、好都合な
のだ。
ただ、オーナーによると客は昨年の半分だという。拓銀の倒産のニュース以来、電話がぱたりとかかって来なくなったらしい。
毎 日、飽きもせずよく滑った。ここは、人工雪なので、十分雪があり、長野県下でも唯一心配しないで、滑れるゲレンデだったらしい。今年は暖冬で新潟の湯沢や 苗場にも雪がないというのに、幸運だった。あまり、知名度の高いゲレンデではないが、FISの大会が今年も二回も催され、FIS関係者には知られたコース らしい。
最初の日は午後1時半に滑り始めて5時まで14本。翌日は午前9時半から午後5時まで、30本。三日目、元日の日には午前9時40分から午後5 時まで26本(妻は25本)、最後の日には午前9時40分から12時20分まで11本、合計で71本も滑ったことになる。
競
技用のコースで、オリンピック選手の木村さんが愛用しているスーパーレッド・コースは、着いた日から降雪機を終日動かし整備にかかっていたが、それこそ最
後の一本分しか時間が残っていないところで、やっとオープンになり、なんとか一本だけ滑ることができた。それこそ文字通り滑り込みセーフ。
整備はまだ十分でなく小石状の雪の塊がごろごろしていて、かなり神経を使ったが、滑りがいはあった。
妻
も、ちょっとしたアドバイスが効いて長足の進歩を遂げた。いつもは足が疲れたとコースの半ばで一
休みしていたのが、無理な筋肉を使わなくなったせいか疲れなくなり、ゲレンデを一気に滑り降りることができるようになった。その結果、一本を除き、70本
全部わたしと一緒に滑った。
スキーからペンションに帰った後は、ヘルストンの風呂で汗を流し、その後ビールを飲みながら、持参した碁盤で妻と碁を打った。8子局。7時から 夕食。フルコースのフランス料理をワインとともにゆっくり味わう。その後は打掛の碁を決着まで打つ。
大
晦日の日には久しぶりに紅白歌合戦を最後まで見た。遊戯室に備え付けの大きなテレビに、音楽好きのオーナー好みのボーズのスピーカーで、臨場感ある歌唱を
たっぷり楽しめた。その後、年越しの景気付けに、オーナーから心尽くしの「バナナケーキ」が振る舞われた。それを賞味し、年が改まった直後の寒気厳しい屋
外へ出て、夜空を見上げた。空中、星がそれこそびっしりと詰まっているようで、オリオン座の大きな四角形の中にも小さな星がいくつも見えるほどだった。
赤っぽい流れ星を見ることもできた。[良い年になりますように」と祈った。
天候にも恵まれ、最初の日を除いて、美しい八つが岳を見晴らしながら滑ることができ、今年は春から縁起が良いと思った四日間であった。特に最後 の日は、霧氷(ここをクリックすると、写真が見られます)が素晴しく、二人とも大 いに満足し、私も、いささか腕を(脚を?)上げたらしく、前回よりかなり安定して滑れるようになって帰って来た。
帰 る直前になって、オーナーから、私が書いた絵の絵葉書をもう一枚欲しいという話があった。昨年、オーナーに差し上げたのが、食堂に飾ってあるのだが、それ に興味を持ち、是非欲しいという常連客がいるというのだ。今、もっていないが、その絵はわたしのホームページに掲載しているので、プリンターがあれば、そ こからプリントアウトできますよという話から、それでは早速開いてみようということになった。他人のパソコンる自分のホームページや水彩画を見るのは初め てなので、興味深かった。絵のサイズはもう少し大きくしたほうが、見栄えがするように思えた。このことが取り持つ縁で「かぁてんこーる」のホームページとリンクを張る話 まで発展した。「かぁてんこーる」のアドレス は下記の通り。よかったら、大いに利用してあげてください。私のホームページを見て,と一言添えていただいたら、幸甚です。
<http://www.avisnet.or.jp/~cc836tk/>
![]()
今シーズンの幕開けは、例によって軽井沢(1997/12/6〜7)
いよいよスキーシーズンの到来である。
このところ初滑りは、軽井沢に決まっていた。MMグループの一員として、呼ばれたら参加するという方式で、いつも20人あまりの人と一緒に滑るのを習わし
としていたのである。ところが、主宰者のMMさんの体調がおもわしくない様子で、お誘いがない。とすれば、自分で予約して行くよりない。ということで、昨
年とはぼ同じの12月6日から7日、軽井沢プリンスホテルの予約を取り、われわれ夫婦二人で出かけたのである。
例によって、土曜の朝はゆっくりと9時35分に、愛車パジョロを駆って出発。関越高速道は、わりかし空いていて、結構スピードが出 せる。11時半には、横川サービスエリアに到着、そこで、峠の釜飯を食おうというのである。ところが、峠の釜飯は帰りのサービスエリアにしか、おいていな いという。どうしようかと迷ったが、似たような弁当を売っているので、それを試してみることにした。
名付けて「だるま弁当」赤い達磨を形作ったプラスチックの容器に入っている。ご飯は冷えても美味しい米を使っていますというだけ あって、わざわざのように店の前の風に当たるところにおいてあるので冷えきってはいたが、おいしい。手作りで一生懸命作りましたと、説明書が入っている が、具も多く、なかなかのものである。峠の釜飯を巡って争いがあったような話を聞いたような気がする。調整の結果、下りには「だるま弁当」ということに なったのであろう。対抗上、努力をしているらしい。
ちなみに、確認した具を並べると、まいたけ、ひらたけ、椎茸、銀杏、花豆、山くらげ、ベビーコーン、菜の花、人参、ごぼう、小茄子、鶏のロース ト、と盛りだくさんであった。
ホ テルに着いたのは12時半。ちょっと休んで、滑り出したのは、午後1時。リフトが動いているゲレンデは3つだけ。もみの木コースのAとB、最初は向かって 一番右のコースを滑ることにした。どちらも380メートル程度の、短くしかもなだらかなゲレンデである。足馴らしに、ちょうどいいのである。
一年振りとなると、最初はどうしても、おっかなびっくりになる。腰が引ける。体重がうまくスキーに乗らない。昨年はできた滑らかなショートター ンができない。体が勘を取り戻すには、何回か滑らなければならないのだ。焦るなかれ。まだ、初滑りの、しょっぱなではないか。
人工雪だが、まあ、滑れる。温度が高いのでシャーベット状で、雪煙が舞い上がるようなことは、けっしてない。
滑っているうちに、次第に昨年のレベルに近づいて行くのがわかる。そうだった、といろいろ思い出しながら、AからBなど、リフトの空いているほ うを選んで滑った。
妻も、飽きもせず、ひたすら滑る。久振りのせいか、まだ調子は出ていないが、転ばなくなったし、去年までは、Bゲレンデのスタートの際、しばし ば躊躇していたのが、そんな素振りがまったくなくなって、すいすいと降りていく。
リフトで同乗した人に、岐阜から来た人がいた。行程300キロメートル。4時間から4時間半でこれるのだそうだ。私が150キロメートル、約2 時間だから、話は合う。変な間道に入るより空いた高速を飛ばしてくるほうが早いという。
お茶の時間には、ケーキセットで、疲れをとり、その後もリフトが止まるまで滑って、部屋に戻る。部屋からも浅間山が見える。去年まではいつもリフト側だっ たのが、今年始めて浅間山側になったのだ。目の前には落葉松のまだらな木立があり、その向こうに浅間山が見えるのである。ゲレンデの滑り出すところから は、よく全景が見えたが、なだらかな陵線がくっきりと映えて実に美しい。とくに日が沈んで、暮れなずむころの、灰青色の微妙な色のグラデーションが、良 かった。
テレビでゴルフ日本シリーズを見ると、18番ホールで丸山茂樹が、バーディパットを決めて、10アンダーとなり、首位に並んだところ。明日は、 同じスコアが4人もいる混線。尾崎将司を逆転して賞金王になるには、この大会と最終戦の大京戦を制しなければならないらしい。
夕 食は、7時から、東館から西館へ移って、例年の同じく中華料理を食べることにした。昨年までは、大きな丸テーブルを二つ、仲間で囲んでわいわいと騒ぎなが ら食事をしたものだったが、今年は二人だけ。はじめて窓際にすわり、すぐ目の前の池にひ鯉が泳いでいるのを見ながらの食事である。
中華料理の場合、大勢だと出る皿の数が多いと妻はいう。それでも6皿でたので、沢山でたじゃないかというと、妻は昨年は10皿以上出たという。 6皿でも、お腹ははちきれそうになった。10皿では食べきれまい。
暖めた老酒を2合、二人ともこれですっかり酔ってしまった。
部屋に帰るとバタンキュウ。8時半に休んだことなど、このところ記憶がない。
翌朝は6時過ぎには目を覚まして、テレビで碁の番組を見、せっかく持参したのだからと、桐野夏生の『OUT』を読んだ。
滑り出したのは、9時過ぎ。妻は、起きたのはわたしより遅かったが、一足先に出かけた。だれもいないゲレンデを滑って見たい、のだそうである。
まだ、比較的空いている。Aゲレンデを一回滑って、妻が見当たらないので、Bに行ったら、スタートのところにいた。
「誰もいないところを2回ほど滑ることができた。MMさんが、毎年やっていて、気持ちがいいと言っていたのでやって見たけど、素晴しかった」
昨 日に比べると、天気は良くない。曇っていて、浅間山は中腹から上は、雲に隠れて見えない。小雨がパラつきだしたので早めの昼食をとった。天候次第では、そ のまま止めるつもりでいたが、回復してきて、青空もときおり、顔を出した。それじゃ、とまた滑り出した。私の後について滑らせるなど、しょうしょう腕を上 げるべく努めたが、かなり、うまく付いてこれるようななった。
二時にはお茶にし、昨日気に入ったチーズケーキのセットをふたりして食べた。
それから、もう一度ゲレンデに戻り、3時まで、仲良く滑って、帰路に着いた。
ホテルを出たのが4時、自宅に着いたのが7時、途中渋滞もあったが、まあまあの時間で着くことができた。
帰りの横川サービスエリアで「峠の釜飯」を買い込み、家に着いてから食べた。
容器が釜なので、まだ暖かみが残っていた。結構美味しかったが、「だるま弁当」の必死さに比べると、名前に溺れているようなところがあった。漬物について
いる茄子ひとつにしても、大味で、だるまの小茄子のうまさには遠く及ばないし、具の種類も少ない。名前倒れにならないようにしてもらいたいものだ。ニュー
スを見ると、ゴルフ日本シリーズで丸山が優勝し、賞金王への夢をつないでいた。たいしたものだ。
いずれにしても、初滑りを怪我もなくこなし、今期のスキーに対する意欲が、どっと盛り上がってきた。
![]()
ス キーは、1988年から1989年まで札幌に赴任したときに覚えたようなものなのだ。それゆえ、年に一回は、札幌で滑りたくなる。札幌に行くと、私のお師 匠であるYさんが待ち構えていて、一緒に滑ってくださる。仲間もいる。妻もこのところ毎年同行していて、皆さんと顔なじみになっている。これだけの条件が 揃っている。行かざるべからず、ということで、今年も出かけた。
初 日。寒気を伴う低気圧の襲来で、全国的に大荒れの一日。札幌も例外ではなかった。終日小止みなく雪が降り続いた。札幌は一月はあまり雪が降らず、道路にも ほとんど雪がなかったという。それがこの数日前から大雪になり、平均降雪量に追い付き、この日から追い越すのだという。道路の両脇には、除雪した雪で壁が できている。
札幌赴任時代の私のホームコースである手稲ハイランド で滑った。午前中は、雪で視界が悪い。そのうえ前日来の新雪で、ゲレンデはでこぼこ。本州の雪に比べればそれでも、軽いのだが、視界が悪い上に、私は独眼 で滑らなければならなくなったのだ。その前日、眼鏡屋で鼻に当たるパットの調節をしてもらったのだが、そのせいか、右のレンズがぽろりと取れてしまったの である。
お師匠さんを先頭に、妻、私の順でついて滑った。Yさんは、妻の実力を考慮してゆっくり滑ってく れるので、独眼流の私も反射的な利益を受けることができた。女子大回転コースもゆっくりなら妻も滑れる。
翌 日。風が強く、手稲ハイランドのリフトは、一番短い初心者用の一基以外全部止まっていた。そのうち他のリフトも動き出すとと思っていたが、一向に風は収ま らない。次第に人も増えてきて、30分に一本滑るのがやっと、という混みようになってきた。リフトを待っているうちに体が冷えてくる。やっとのことリフト に乗っても、降りるのにはものの一分もかからないのだ。四本ほど滑って、冷えた体を暖めようと、コーヒーブレークを取ることにし、食堂に引き上げた。コー ヒーを飲んでいるうちに、このまま手稲ハイランドにいてもらちがあきそうにないので、近くの手稲オリンピアコースに行こうということになり、早めの昼食を とった。
手稲には、数え切れないほど来たが、手稲ハイランド以外で 滑ったことがない。オリンピアコースは、ハイランドコースへ行く道路から見えるので大体の様子はわかっているような感じがしていたが、滑ってみると意外と 奥が深くて面白いコースだった。こちらはハイランドより低地にあるせいで全部のリフトが動いている。千尺コースなど距離がたっぷりあり、なかなか楽しい。 雪の滑りもこちらのほうがいい。こっちに来たのは正解だった。
最終日。これ以上はないというほどのスキー日和。風もなく、青空が広がっている。手稲ハイランド で滑る。眼下に広がる、札幌市、石狩市、石狩湾がよく見える。ゲレンデも初日よりは手入れが良くて滑りやすい。
今日もYさんに先導されて滑る。三日目だけに、調子も出てきた。結構人も多いが、穴場のパノラマ 二号リフトを中心に、滑る。
終日滑って、最後に妻が休むというので二本だけお師匠さんの後を滑ったが、73歳のはずのお師匠 さんは、相変わらず元気でうまくて、全速力で滑られるとどうしても全コースはついて行けない。
とにかく三日間、たっぷりと滑って、大満足し、お師匠さんに心からのお礼を申し上げて、帰京の途 についた。
Club Medサホロ(97/1/22〜1/26)
さ て、1月22日から26日までは、恒例のClub Medサホロへ。これで9年連続、10回目。妻は、9回目。天候にも恵まれて、スキー三昧の五日間。インストラクターは、昨年と同じLeroi(ニュー ジーランド出身)。パラレル・ターンが少しうまくできるようになった。スキーレースでは、ブロンズメダルを獲得。
夜は夜で、毎晩GOとGerald村長の演ずるショーを楽しむとともに、余興の卓球大会でも、Leroiのガールフレンドのケイコ さんと組んでブロンズメダルをもらった。「おかまショー」では、マリリン・モンローから指名されて、ステージで一緒に踊った。優雅で素敵だった、と思いも かけないいろんな人から、後刻、声をかけられた。バラエティショーの衣装を担当している若いフランス女性(GO)とは、水彩画を通して、話に花が咲き、 「こんなに素晴しい夜は初めて」と言ってもらえた。(注)
毎年、この時期にご一緒するS夫妻とは、三日連続で夕食をともにし、交流を深めた。最後に日には、骨折した女性の第一発見者になり、救助活動に 当たった。水彩画もポストカード大のものを一枚書き上げてきた。昨年、月刊誌の表紙を飾った(8月号、11月号)水彩画を、 出版社がポストカードにしてくれたものを持参していたので、村長やスキー学校の校長、衣装担当のGO、S夫妻などに差し上げて、喜んでもらえた。
妻も、とみに腕を上げ、今年から私と同じ、2Aクラスに入った。レースも完走したし(残念ながらメダルは取れなかったが)、最後の日、一緒に 滑ったが、かなり急なところでも遅れず、ついてこれるようになった。大変な進歩である。
こうして、たっぷり楽しんで、帰ってきた。来年も行きたい。
(注) 97/5/30:二週間ほど前、フランスから絵葉書が舞い込んできた。誰だろうと思ってみると、彼女だった。いまちょうど、クラブメッドのGOは、休暇の 時期なのだ。お母さんの家に帰っているらしい。来期もサホロではたらくことにしたので、また会うことが出来るでしょう。あなたが送ってくれた水彩画の絵葉 書は素晴しい。としたためてあった。あの後、彼女に私の水彩画を絵葉書にしたのを、送ったのだ。
暮 れの31日から年初の3日までは野辺山で滑った。空いていて快適だった。今回もも、妻と一緒。野辺山は娘も一緒だった。ペンションは、今回が二回目で、 オーナー夫妻が親切で、料理もおいしいので気に入っている。二日の夜は、凄まじいおろしに驚かされた。三人とも大いに満足し、いささか腕を(脚を?)上げ て帰って来たように思ったことだった。
今 シーズン(1996年暮れから1997年)は、12月7日から8日、話好き、スキー好きの仲間が20人ほど、軽井沢に集まり、恒例の初滑り。人工雪だが、 雪質はそれほど悪くない。初日、少々左膝を痛めたが、二日目も丸一日滑った。帰京後、このスキー仲間でもある、スキー医学の権威のお医者さんに、膝に溜 まった水を抜いてもらい、2週間、スポーツから遠ざかる仕儀と相成った。