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料 理の楽しみ (1980年1月執筆、2004.11.12掲載) |
前書き これは、つい最近古いファイルの中から発見した草稿です。1979年9月に四国高松に単身赴任し、料理をやらざるを得なくなり、始めてみたところこれが 意外と面白いということで、書いたものと思われます。赴任直後、「買物の楽しみ」(近く、本HPに掲載予定)という随筆を書き、おそらく、楽しみシリーズ を書くつもりになってのことでしょう。 執筆した時期は、文面からみると単身赴任後4月となっていますから、1980年1月、筆者が40歳になったばかりの頃で、先に掲載した「生活の中の音 楽」に近い時期かと思われます。後に北海道札幌への単身赴任時代を振り返って書いた、「単身赴任者の愉しみ」シリーズの一遍「男子厨房へ入らば」の基本モチーフがすでにここに頭を出しております。ご一読願い ます。 なお、リンクを、、エッセイ単身赴任者の愉しみ「男子厨房に入らば」にも張りました。(2004/11/12記) エッセイ「落ち穂拾い」目次へ戻る。 |
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浮世の常として明日のわが身に起こることとて、なかなか予測できないことが多いものだ が、昨年の9月末高松へ単身赴任して来た当時の私には、わずか4月後に、こうして料理の楽しみなどと題して一文をものにすることになろうなぞとは、それ こそ全く予測できることではなかったのである。 そもそも、40近くにな るまでほとんど料理らしい料理をやった経験とてなく、例外は、家内に風邪で寝込まれ、腹をすかして恨めしげに見上げる子供の目にぶつかり、いわば仕方なし に、包丁を持ったことがあるくらいで、そのときも、楽しみと思うより、大儀と思う気持ちのほうが10倍も強 かったのである。そんな私が、この歳になってまさしく40の手習いよろしく料理を始め、ましてやそれを楽しみとして人前で語りたくなろうとは…… 高松へ、単身赴任してからもしばらくは料理への関心はまったく起こらず、並みの単身赴任者同様、まあ、朝食ぐらいは作るかということで、ほどほどの炊事道 具を揃え、時たまインスタントラーメンを自前で調理する程度でお茶を濁し、大半は、外食ないしは、官舎のすぐ裏手にある研修寮のおばさんの手製の料理にお 世話になっていたのである。 ところが赴任して20日もたた ぬうちに、私はズボンをはいていて腰周りの異常に気づいた。どうもズボンがきついのである。はてなと思い腰周りを点検すると何といつの間にか脂肪がむっち りついているではないか。 大学時代以来体重はほぼ60キログラ ムで通してきて、これまでズボンがきついというような目にあったことがない。それが赴任してわずか20日足らず でこの有様である。私は少々うろたえた。 そう言えば、その20日 近く、私は運動らしい運動をするでもなく、歓迎会でもあれば、酒は飲む、料理は食べ放題、その上最後に出される山盛りの讃岐うどんまで、うまいうまいとそ れこそぺロリと平らげ、昼・夜の外食にしても、すっかり気に入った讃岐うどんや蛋白質中心の料理ばかりを連日ぱくついてきたのである。このまま同じような 生活を続ければ、そのうちズボンというズボンがはけなくなってしまうことは必然であった。 こ れじゃいかん、何とか食生活を改善しなければ、と思ったのが、まず料理を始めてみるひとつのきっかけとなった。それに、そろそろ外食生活に飽きてきていた のも大きな理由だった。飲食店の店頭にはいろいろうまそうな料理が並べてあるけれど、実際毎日外食ということになってみると自分の食いたいものが案外食え ないものだし、一般受けを狙っている店屋物の味には飽きが来やすい。その上、経済的にも毎日外食ではやりきれなくなってくる。あれやこれやで、まあ毎日は 無理だろうが、たまには自分で作ってみるか、という気が起きてきたのである。 それに、料理を始める上で何より好都合だったのは、高松に赴任して以来、通勤時間が往復 でも10分少々しかかからなくなった上に、残業がほとんどなくなり、時間的余裕がたっぷり出来た という点がある。東京での生活のように通勤の往復にかなりの時間を奪われる上、残業が常態のような生活では、よしんば料理をする気になったとしても、時間 的に不可能というものであった。 と ころで、料理を始めてみると、これが結構面白いのである。なにしろ、相手は燃え盛る火であり、熱湯であり、生きのいい野菜や魚である。料理の目的が、材料 をいかに上手に加工し、いかに美味に仕上げるかということであってみれば、その勝敗は、いわば一瞬の判断にかかっていると言っても過言ではない。焼きすぎ ても、焼き足らなくても、一味からくても、一味足らなくてもどうも料理の大儀にもとるというのであってみれば、それこそその最適の一瞬を求め、精神を統一 し、材料を手際よく整え、ガスの焔を調節し、味付けの調味料を振りかけなければならぬ。言ってみれば、そこには冒険や探検あるいはスポーツに通ずる緊迫感 があり、創造の喜びがふんだんに存在しているのである。いや、それ以上のものかも知れぬ。 つ い最近読んだ本の中に「料理は一つの芸術」であるとの表現があったので、正しくわが意を得たりと大きな赤線を引いておいた。手持ちの材料を点検して、それ らをどのように組み合わせどのように味付けするかを考え、毎日一つとして同じではない料理を創造して行く喜び、それは正しく芸術に通ずる。スープの味見を しつつ、最後の決め手に、耳かき一杯の塩を落とす時の心境は、画家が最後の一刷毛で画竜点睛を打つ時のそれと同じであろう。 ま た、それは音楽にも通ずるものである。演奏の一回性が言われ、どんな演奏も二度と同じものはあり得ないわけだが、料理とて同じことで、材料と調味料と温度 と容器とを最高に厳密に管理したところで、人間が料理する以上どこかは微妙に違っており、この世にはその料理しか存在しないのである。いわば、料理人とし て私は、絵筆を振るう画家であり、ピアノを弾くピアニストであり、難しい材料をうまくこなした時には、相当の難曲を巧みなタクト捌きで、無事演奏し終えた 指揮者でもあり得るのだ。 とにかく、料理を作っている間、それが何時間かかったかも全然覚えていないのだが、私はまったくわれを忘れて料理に没頭する。一瞬に 勝負が決まるものを相手にしているのであるからそうならざるを得ないのである。 料理はこうして、私にとって他の趣味と全く同様の効果をもたらしてくれるものとなる。料理をした後はスカッとするのである。ストレス の強い日は料理をすべしーいまや私の備忘録にこう書き留めてもよさそうである。 料 理を始める前の私は、「男子厨房へ入る会」などの会員を、世の中には随分風変わりな物好きがいるものだというくらいの気持ちで見ていたものであったが、今 や彼らが楽しんでいる楽しみのほどがわかるようになり、彼らが美味い物を作ろうと色々と涙ぐましい努力をしている心情が理解できるようになってきたのであ る。 私もやり出せば、凝るほうの質なので、会員並みとは言わぬまでも、たちまちにして食品棚を各種の調味料やスパイスの類で溢れさせ、計 量カップや計量スプーンを食器の列に加え、料理の本を買い込み、上京の折に、家内の使い古しのエプロンを持ち帰るほどになった。 何と言っても料理の中にはひとつの世界がある。その新しい世界を発見した喜び。どんな世界であれ新しい未知の世界を開くことは、私に とって無上の喜びなのだ。 と ころで、どうしてこれまで料理の中にこれほどの世界があり、楽しみがあることが見えなかったのか。そこにはどうも、プロの女流棋士と結婚したザル碁の亭主 に碁の真髄が見えぬのと同じことのようである。料理に関しては、ズブの素人に等しい私にとっては、家内はいわばプロの女流棋士に等しい存在なのである。私 がどれほど背伸びしてみても、ああ、その手はどうの、この筋はどうのと簡単にいなされてしまう。そんな家内の前で料理を作ってみる気になれぬのは、ザル碁 の亭主にプロの女房に挑戦する気が起きぬのと同じことである。 ところが、幸いなるかな、私は単身赴任のチャンスに恵まれたのである。何の気兼ねもなく、失敗を恐れることもなく、はたまた珍奇なる 味とけなされるおそれもなく、自由に腕を振るえる環境を享受できるようになったのである。かくして、新世界発見の道が拓かれたのである。 こ うして、自分で料理をやるようになってみると、家内をも含め他人の作った料理を見る目が違ってきているのに気づく。これまでは料理を見ても、美味いか不美 味いかばかりが関心事であったのが、今ではどういう風に作るのか、どうしたらうまく出来るのかという観点からも見るようになっているのである。店頭に並ぶ 野菜や魚を見てもどうすればうまく料理できるだろうかと考えるようになっているのだ。 こ れはいわば従前の小説の読者の立場から、小説の筆者の立場に立って物事を見始めている証拠である。数年前私は推理小説を数編書いたことがあるが、それ以来 他人の推理小説を読んでも、作者がどうしてこういう登場人物を配しているのかとか、何故、こういう場面を設定したのかとか、何故こんな言い回しをしている のかとか言ったことについて、よくわかるような気がしたものだが、その時の体験と全く同じ体験をしたというわけである。 し かし、このようにいわば筆者の手の内がわかるということは、ある面では、これまで抱いてきた料理に対する一種の尊敬の念を喪失させることにもなったのであ る。難しいと思っていた料理が意外と簡単に出来ることがわかったりするからである。いわば初めて女性のスカートの中を知ってしまい、こんなものかと女性の 神秘性が薄らぐようなものである。しかし、初体験のみで女性の全てがわかるわけでもなく、逆に知れば知るほど極めがたい奥深さを感ずるのと同様のことが料 理にもあるようである。 確 かに料理には思ったより簡単に出来るものもあり、簡単に見えながら、なかなか難しいものもある。それに手を抜こうとすれば、いくらでも手が抜けるのも料理 なのだ。全く簡単な料理にさえ、手を抜いている料理に出くわすと何をか言わんやの気持ちにさせられる反面、さすがと思わされる料理を前にすると、以前より その難しさがよくわかるだけに、尊敬の念も深くなるわけで、そんなときには料理にも文学同様、三文小説もあれば大小説もあるとつくづく思うわけである。私 がいくら逆立ちをしてみてもうまく書けぬところを、易々と書き下ろしている大作家の力量が、自分で三文小説を書いてみて良くわかったのと同様、自分で三文 料理を作ってみて初めて料理という芸術の鑑賞眼が少々肥えてきたのを感じるわけで、何よりもこれが料理を始めたことの余得というものであろう。 料 理の余得といえば、家内との共通の話題がかなり増えたことも、そのひとつとして書き留めておく必要がある。食料品の値段から料理の仕方に至るまで話すこと に事欠かなくなったからである。値段について言えば、今冬は、キャベツやレタスが高すぎるなどと、共通の悩みを抱く者同志として、愚痴をこぼし合えるし、 安いものがあれば買い貯めしておくといった、お互いのノウハウの交換もできるのである。 家内がしみじみ言う。 「あなたとこんな話ができて嬉しいわ。これまでは私が野菜が高いといっても、あーそうの一言でおしまいだったでしょ」 私 が高松で料理をしているという話に、一番驚いたのが家内であることはまず間違いない。何しろ、東京時代には自ら進んで台所に入ったこととてなく、仕事から 帰ればゴロゴロ寝てばかりしていた私がーそれほど料理とは無縁だった私が、毎晩エプロン姿でまめまめしく料理を作っている!それは全く信じがたいことだっ たに違いない。高松から電話で料理していると言っても信じてもらえず、私が出張で上京の際、目の前で実際に日ごろの研鑽の成果を披露して初めて、やっと家 内は納得したのである。 思うに、人間はゆとりがあれば何かをしてやろう、創造してやろうという気になるし、ゆとりがなく、仕事に疲れ果てていれば、たとえど んなまめな人間であっても、ものぐさになるもののようである。 せっ かく磨いた腕となれば、振るってみたくなるのは碁やテニスの腕前と同じことで、私は上京の度に、仕入れたばかりの料理を家族に披露することとなった。評判 も悪くなかった。それにこうして帰京するたび、家内と一緒に厨房に入るとなるとおのずと接触も増えて夫婦円満にも役に立つばかりか、子供の教育上も好まし い影響が出始めている。 今年の正月の私の40歳の誕生 日のプレゼントに妻からはポパイの絵入りのエプロンを貰ったのだが、こんなことも、料理を始める前には考えられなかったことだ。高松から東京へ電話をした とき、9歳になる息子が電話に出て、 「パパ、今度はいつ東京へ帰るの?今度来たら、またあの野菜の料理作ってね。あれ美味しいね、僕大好き」 と言う。実に泣かせる息子ではないか。よしよし、この次はもっと美味いものを作ってやるぞ、とせっせと新しい料理に取り組むことにな るのである。 いつだったかも電話に出た息子が、お母さんが出掛けたので今自分でラーメンを作って食べているという。初めてのことなのだそうだ。私 が料理をするのに刺激されたものと見える。 「パパみたいに美味しい料理ができるようになるんだよ」 「うん」 と言う会話が交わせる楽しさ。これが料理の楽しみでなくて何であろう。そしてこれも単身赴任が生んだひとつの余得と言わずして何と言 おう。 思 うに、「食べる技術」を身につけることは、女性にとってだけではなく、男性にとっても必須のことのように思える。今になってーと言うのは料理ができるよう になって初めて私はどんな逆境におかれても一人切りになっても人間らしく生きてゆけるという気がしてきたのである。人間らしくというのは、人間が口にすべ き美味い料理を食いながらという意味である。生きるためだけなら、生のじゃがいもやコッペパンをかじっていても生きられようが、たとえ男一人暮らしとはい え、そんな生き方は御免こうむりたい。人間である限り、食べることを抜きにしては生きては行けない。だから、その基本となる料理法を少なくとも高校を卒業 するまでに男女を問わず教え込んでおけば、それこそ独り立ちが容易であるし、逆にそれなくしては、本当の独り立ちは難しいのではないかとさえ思うのであ る。 こ んなに料理のことを長々と書くと私の実力を買いかぶる人が出てくるかもしれないので、念のため断っておくが、私の料理の実力は、碁で言えば、やっと初段に 井目風鈴というところであろう。まだまだ碁会所で打てる実力はないのである。失敗談も少なくない。いつだったか「豚肉と玉ねぎの揚げ煮」というものを料理 の本を片手に作ったのであるが、豚肉が生煮えで、一晩中ウンウンと苦しんだ挙句、夜明けに全てもどしてしまったことがある。 料理の道もなかなか厳しいものであるが、私はせめて碁で言えばアマの初段程度になるまでは頑張ろうと思う。そこまで行けば、料理の面 白みがわかり、ある程度趣味として定着することになると思うからである。 テニスにしても碁にしても、せっかく始めながら本当の面白さのわかる前に止めてしまう人が多いが、私はそれは損なやり方だと思ってい る。始めた以上たとえ苦しいことがあるにしても、ものになるまで辛抱しなければ、エネルギーの大きなロスというものである。 確 かに、どんな楽しみにせよ、苦しみと背中合わせになっている面がある。料理にしても、寒風の吹く中を買い物へ行き、指の凍えそうな冷たい水で野菜を洗い、 食べた後で、食器の後片付けをするのは、それほど楽しいこととは言い難いし、洗剤で洗えば手も荒れるし、天麩羅をすれば油で火傷もする。疲れて帰宅した寒 い夜など億劫に感ずるときも少なくない。 しかし、何事であれ、積極的に楽しもうという精神さえあれば少々の苦しみはたちまち楽しみに変じてしまうものなのだ。だから私として は、よしんば今すぐ単身訃音に終止符が打たれることになろうとも、料理は有段者になるまで続けて行こうと決意しているのである。 私 の料理習得法は、まず実践、そして、必要に応じて本を読む方法である。これは碁やテニスを習ったときに学んだ勉強法である。本は先にも触れたようにまず NHKの「自炊する人のやさしい料理」を買い、その後小学館の「ホームクッキング料理の百科」を買った。どちらの本も、私の得意とする料理ページだけは今 では油や醤油のシミで汚れてしまっている。 料理の勉強は、成果がすぐ見えるだけにやりがいがある。本を読めば読むほど経験を積めば積むほど料理は確かにうまくできるようになってくるし、それだけ、 自分で美味いものが食えるようになってくるのである。料理を始めて以来、野菜中心の献立にしたせいか、お陰で私の腰周りも旧に復し、ズボンがはけぬことも なくなったのである。 料理の楽しみには色々あるが、自分の好みに合わせて味付けした料理をいつも温かいうちに食べることのできる楽しみに勝るものはない。 これこそ真の贅沢というべきものである。 私は、この正月40歳の誕生 日に妻から贈られたポパイのエプロン姿で出来上がったばかりの料理をお盆に載せてテーブルまで運び、 「はい、旦那様」 と恭しくテーブルの上に置く。 「うん、ご苦労であった」 と椅子に座り、おもむろにその一片を口に運ぶ。湯気のたっている料理の何と美味しいことだろう。東京時代、毎晩残業続きで、夜遅く 帰った私のために妻は冷え切った料理を温めてくれながらよくこう言ったものだ。 「温かいうちのに食べられたら本当に美味しいのに…」 今でこそ、この妻の言葉の真の意味が良くわかる。たまに上京して私は家族に手料理を振舞うが、出来上がると家中に聞こえるように大声 で叫ぶ。 「さぁ、出来たぞー。温かいうちに早く食べろ!」 |
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