| エッセイの部屋 |
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落ち穂拾い
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ポーランドと聞いて読者の皆さんは何を思い浮かべられるだろうか。ショパ ン?キューリー夫人?それともアウシュヴィッツの強制収容所?まあ、せいぜいこ の程度のことを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。もう少し通の人で、 東欧の社会主義圏の一国でコメコンに属し、樺太と同じ緯度にあり、面積は日本 より少し小さいというようなことぐらいを思い浮かべられることだろう。 ようするに、ポーランドは日本人にとっては知られざる国なのである。その知 られざる国から第2回世界アマチュア囲碁選手権戦(注:1980年3月末開催)に初 めて選手がやってくる! ポーランドという国にも碁打ちがいたのかというのが、大半の読者の率直な感 想なのではなかろうか。 ポーランドに三年あまり滞在し (注:1975年〜78年)、ポーランド碁界の発展 に多少なりとも係わり合い、今回の初参加に微力ながら尽力した者として、この 誌面を借りてポーランド碁界のご紹介をさせていただきたい。 昭和50年2月、私は、ポーランドの首都ワルシャワの日本大使館に赴任するこ とになった。当時、囲碁三段だった私は、せっかくなら囲碁普及のお役に立ちた いと、日本棋院に電話してポーランド碁界の様子をうかがうと、皆目何もわから ないが、あまり打つ人はいないのではないかということであった。そこで英・仏・ 独・露語に翻訳された「囲碁入門」を60冊ばかリ携えて、ポーランドにおもむい たのであった。 ところが、同好の士はどこにでもい るもので、ワルシャワでは私より一足先に 日本の丁商社の駐在員であるW氏(注1)が、すでに囲碁普及に のリ出しており、 週一回自宅で碁会を開き十数名のポーランド人に碁を教えていた。 私も早速この碁会に参加し、ポーランド人に碁を教えることになったのである が、やがてこの碁会が、ワルシャワ市の中央にそびえる文化大宮殿の一室で毎月 曜日定例的に開かれるようになり、先生陣にもT社のK氏が加わり、日本人三人 が協力して碁を教えることになった。いずれも大体三段格で、三人の間でも大い に腕を競い合ったものである。 国家に認知される 当時、ポーランド人のトップクラス で私に七、八子の手合であったから、3、4 級というところであったろうか。しかし、みんな極めて熱心で、常連は毎月曜日 にはかならず顔を出し、われわれもそれに応えて、夜遅くまで二面打ち三面打ち で頑張ったものである。また施設面でも、大使館を通じて解説用の大盤や碁盤と 碁石のセット20組を取リ寄せるなど、お手伝いをしたものである。 このワルシャワ碁クラブが盛んになるにつれ、国の方でも正式のゲームとして 認知の気運が高まっていき、碁会の会場も「文化の家」に移り、最終的には認知 されたゲームの殿堂である「青少年ゲーム・センター」に移っていった。そして 三人の先生連の中で最後まで残った私がワルシャワを去る53年の春には、組織も 各地に支所のある全国規模にまで成長し、ワルシャワの碁会は月、水の週二回と なり、最高の打ち手は二段で、初段クラスが五、六人というほどにまでなったの である。 棋院から使節団派遣 われわれがポーランドで熱心に普及 につとめていることが、飛行機の延着のた めたまたまワルシャワに足止めを食った榊原、加納両九段の口から日本棋院に伝 わリ、51年10月と53年3月の二回にわたリ日本から囲碁普及の使節団を派遣して もらったこともある。第一回目が石井邦生九段、小川誠子四段ら、第二回目が春 山勇八段らの一行で、いずれもポーランド棋士たちの大歓迎を受けたことはいう までもない。
国際色豊か ポーランドの碁打ちの特徴は、大学の先生や学生あるいはコンピュータのプロ グラマーなどインテリ階級が多く、いずれも長考派で弱くても理屈には強く、相 手が先生だからといって遠慮するようなことは全くないところにある。それに美 人の碁打ちも少なくない。また、国と国とが陸続きであるところから気軽に自ら 国際大会を開くし、他国の大会にも参加する。日本から使節団がくると各国に参 加を呼び掛けるなど国際色が豊かで、段級位の認定もヨーロッパ囲碁連盟の基準 によっている。
クラシエック四段 ところで、今大会に参加するクラシ エック四段は、ワルシャワの碁クラフでは 新参の方で、私が初めて彼と打ったのはおそらく51年の暮頃ではなかったかと思 う。当時まだ学生で、碁を始めて間がないという彼と九子で打ち、勝つには勝っ たものの力が強いのにたじたじしたことを覚えている。筋がいいと思った連リ、 その後めきめき強くなり、最初から参加していたトップクラスをゴボウ抜きにし て、碁を習い始めてから一年半の間に二段となり、今回は四段で参加するという ことだ。 四段ではこの大会で活躍を期待するのは無理だろうが、せめていいものをたく さん吸収していってもらいたいものだ(注2)。 ところで私は現在まだ四段で打っているが、今度チャンスがあれば一戦交えた いものと思っている。向こうは昇り坂、黒番でも私は負けるかも知れないが、わ れわれが播いた種がそこまで成長したのであれば、それはそれで私は満足せわぱ なるまい。 (月刊囲碁クラブ1980年4月号掲載) (注1): W氏とは、今も交流を続けている。氏の碁への情熱は今もワルシャワ 時代と変わらず、パソコン、インターネット、テレビなど、あらゆるメディアを 利用して、勉強に打ち込んでいる。 (注2): クラシェックはコンピュータのプログラマー。その後ヨーロッパ選手権を取り、世界アマ チュア囲碁選手権の常連になったが、第 回大会では7位に入賞して、青い目での 最高位を占めた。我が家にも何度か訪れてくれ、その際、同行した欧州各国の代 表選手たちが、私の家に着くなり碁盤を引っ張り出して碁に打ち興ずる様を見 て、碁とはそんなに面白いものかと触発された妻が碁を習うきっかけとなったの はエッセイ(「五段はイロハ」)にも書いた。
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「まねびすと」という面白いネーミングに好奇心をそそられて、まねびすと大賞の懸賞募集 の新聞広告を見ているうちに、アイデアが二つ湧いてきた。もちろん一つはこの大賞への挑戦である。常々知的生活者たらんと欲している私はこれまでも懸賞論 文などが募集されていると、自分の専門も顧ず、またサラリーマンの通 弊として時間的余裕が乏しいことも忘れて、すぐに.応募したくなる性癖を持っている。五十近くになっても生来の好奇心と挑戦意欲は変らぬ ものらしい。 これまでも幾度か挑戦したが、そのテーマも日本的経営もあれば、教育改革、住宅、音楽、海外子女間題ありでかなり多岐に渡っている。いや論文だけではな い。推理小説から現代小説、童話、歌詞にまで手を伸ばした。 成果がないわけではない。日本的経営に関するものは某出版社の創立八五周年記念論文に 入選し、賞金をいただいた。その金でかねて欲しいと思っていたオーディオセットを揃え、仕事に疲れた時は千枚近くになったレコードコレクションの中からそ のときのムードに合うのをかけては楽しませて貰っている。 推理小説でも某誌の新入賞の最終候補作五編に二度残った。今をときめく年収トップの推理作家もここから育った。その作家と依然として安月給の一サラリー マンとでは比ぶべくもないが、金ばかりが入生ではあるまい。原稿の締切りに追われるでもなく気軽に気の向いたテーマに挑戦できる気安さこそ懸賞論文応募マ ニアの特権であると自ら慰めている。 日頃仕事に神経を磨滅らしているサラリーマンとしてそうした現在の仕事と直接何の関係もないことに自分の自由時間を充て、一人切りになれる自由空間を持 つことは精神衛生上必要だし、すこぶるいいようだ。それにこのまねびすと大賞の場合、これまでいささか背伸びして応募したのに比べ、多少我田引水のきらい はあるが、私にとっては言わばホームグランドで戦う気楽さがある。応募規定には文章表現の優劣を問うものではなく、学び心や学びざまを問うと明記されてい る。 「学び心」に関しては決して人後に落ちない自信がある。これなら日頃の自分の生きざまをそのまま率直に書けばいい。もとより世の中には実に様々な「まね びすと」がおられるだろうから、これが入賞に値するかどうかは選考委員の判断に委ねるよりなく、私の関知するところではない。オリンツピックではないがこ の場合はむしろ参加にこそ意義がある。応募することは、世の同好の士と言わば一堂に会し、自分の生きざまを率直に語りあい教えられたり教えたりするような ものだ。入賞者から何がしかのヒントを教えて貰うにしても自分の方でそれに見合う貢献をする必要がのる。このトレード(=等価交換)の思想はおよそ「まね びすと」の基本的エチケットであろう。私は応募することに決めた。 そこで早速私は「行動チェクリスト」にその日の日付とともに、「p.まねびすと大賞に応募(枚数四百字詰め五~二十校、締切り三月二十日)、重要度A、 緊急度B、着手すべき日ASAP(注:as soon as possibIeの略=できるだけ早くの意味)、期日三月十八日」と書入れた。 およそなにか行動する予定が起きたら、直ちにこの「行動チェックリスト」に記入す ることにしている。人間は忘れやすい。私のように齢五十近くになると益々その感が深い。それに「まねびすと」を自認するからには、学ぶための大切な武器で ある脳味噌を単なる記憶のために占領させてはならない。そこは考えるためにこそ空けておくべきで、アポイントメントとか要件の類いは頭の中に溜込まず、記 録するに限る。 だから私は常日頃、この「行動チェックリスト」をはじめとして数種類のチェックリ スト・日誌類を持ち歩き、その場主義で記入することにしている。こうしたチェックリストの様式は自分で考案したのもあれぱ、様々なリフィルに改良を加えた ものもある。市販の「システムダイアリー」のバインダーに綴じこんでいるが、およそ記録に止どめる必要のある項目は記入欄を設けているので書落す心配はな い。 ちなみに私が愛用しているのを列挙すると、「会見録」、「電話録」、「手紙録」、「執筆日誌」、「食事録」、「読書日誌」、「注目書籍一覧表」等であ る。 例えば、「会見録」の場合、その日に会った人に関して場所、時間、要件、内容、その後とるべき措置、連絡先の欄を設けており、とるべき措置が一件落着す ればチェック印を付ける。何時どこで誰に会いどんな話をしたかすぐ忘れがちだが、この様式を開発してからその心配は無用となった。ほかのチェックリスト類 も同じ思想に基づいて設計したので、この頃では「先週火曜日の午後、あなたに会った時これこれのことを言った」とか「一昨日の電話で初めてこの話が出た筈 ですよ」と自信を持っていえる。 記入に際しては時間を余りとらぬように各種の略号を活用している。先ほどの「行動チェックリスト」の冒頭にあったp.はプライベートの意味で仕事に無関 係なことを示す。略号を導入する際に、欄外にp.=プライベートと定義しておけば忘れることを心配しないですむ。 最初に二つのアイデアが湧いたといいながら、長々と余り関係なさそうなことを述べ てきたがあながち関係がないわけではない。というのはもう一つのアイデアが「まねびすと」を対象に本を書いてはどうかということだからだ。まねびすと大賞 が設けられたこと自体が世の中に多くの自称他称の「まねびすと」が存在することを裏付ける。そういう人向けに「まねびすとの生活と方法」のタイトルで、私 がこれまで実践してきた仕事や知的生活の管理法や生産性を高めるノーハウを提供すればきっと歓迎されよう。善は急げ、ということで楽天的行動人である私は 「行動チェックリスト」に次のように書込んだものだ。 「p.サラリーマンのための知的生活の方法の執筆、重要度A、緊急度C、着手日ASAP、期日今年末」 実は入選した日本的経営に関する論文はその後本になった。ある出版社から誘いが あって四百字詰め四十枚の原稿が二百頁を越える本にまで成長した。まねびすと大賞に応募するからには、いろいろとメモを取り、データカードを作る必要があ る。それならそれを土台にいっそのこと本にしてしまえばいい。入賞する確率は低いのだから、せっかく書きながら入賞を逸したらそれでおしまいというのでは まるで志望校を一校に絞り、落ちたら進学を諦めるようなものだ。本にすれば落選してもがっかりしないですむ。これこそ転んでもただではおきない生産性の高 い知的生産というものだろう!? そこで早速、本づくりの作業に取りかかった。まず簡単な企画書を書いた。 「サラリーマン生活を続けながら学び心を忘れずに日夜励んでいる人は世の中に多い。そういう人向けにいかなる方法で知的生活を送ったらいいかについて、 サラリーマン生活を続けながら実践している筆者がわかりやすく説明かしたサラリーマンによるサラリーマンのための知的生活入門書…」 次に小見出しづくりに取掛かった。企画書では新書判二百頁見当とし四百字詰め約三百校という目安にしたので、小見出しを約百五十程度作ることにした。小 見出し一つにつき約二枚書けば三百校になる勘定だ。まず思いつくままにKJ手帳の小ラベルに書き込んだ。このラベルは、四・×一・五・の小片であるが裏に 糊がついているので剥がして好きなところに張付けることができる。日頃の実践を踏まえて「メモはその場主義で」とか「毎朝その日の行動をチェックせよ」と か書き込んでいったが、自分の思いつきの種が切れたところで今度は私の書棚からおよそ関係のありそうな本を三十冊ほど集めてきた。 「まねびすと」の例に漏れず、私も子供の頃から読みだすと食事を忘れてしまうほど本が好きで、今も年間百冊を越える本を買い、例の「読書日誌」による管 理の下月間千五百頁読むことにしている。毎日何を何頁読んだかはこの日誌を見れば一目瞭然、逆にサボっているのも露顕する仕組みになっている。杉浦明平氏 の一月一万頁には遠く及ばないが千五百頁なんとかこなしている。一日五十枚と考えると大したことはないようだが、ちょっとサボると月末に宿題が溜り油断が ならない。 読書の対象も好奇心の旺盛さに比例して実に様々、本を買ったらまず蔵書録に登録しているのでその際の大まかな分類によれば、文化人類学、日本文化、日本 人論、生き方論、音楽、文学(推理小説、純文学、戦記、童話),ハウツーもの、経済、社会、政治、歴史、自然、動物学、ノンフィクション、碁、テニス、ゴ ルフ、英語、評伝等が多い。知的生活者たらんと自ら願うだけに知的生活や知的生産に関する本も多く、三十冊程度はすぐ集まる。 読書法は一冊の本に集中するのではなく、常時十冊近い本を平行して読む。そのため読書日誌も必要にもなるのだ。百冊も買うとつん読になるのも結構多いが これは気にしない。私は常々一冊の本の中には一つの未知の世界があると考えている。その本に関心を持ち購入した以上たとえそこらに積んでいても、私の頭脳 とその世界との間にはたえず交信が行なわれている。ちょうど読みたくなった時、その本が向うから飛込んで来るような経験も何度かした。つん読も一つの読書 法だとつくづく思う。 本を読むときは、ポストイットを挟みこんだり、アンダーラインを引いたり、自らインデックスを作ったり、何か面 白いアイデアが浮かんだり引用に適した言葉があるとカードに書出したりする。 書棚から集めたおよそ三十冊の知的生活や知的生産に関する本の目次や見出しをヒントに して、比較的短時間に百五十を越える小見出しのラベルができあがった。今度はこれをシステムダイアリーのデータシートに張付ける。このデータシートは私が 最も愛用しているカードで、様式は京大式カードの縮小判というべきものだ。仕事、プライベートの区別 なくアイデアや新しい考え、各種の情報、引用、新聞情報等ありとあらゆることを、一件一項目主義で書込み分類してバインダーやファイルボックスに整理して いる。これがいわば私の知的データ.ベースだ。懸賞応募用の論文も本の原稿も、この四年来、月一ないし二本定期刊行物に連載している日本文化や社会経済に 関するエッセイも、長年に渡って書きためてきたこのデータベースの成果 である。 ラベルを砧りつける際に分類を書込む。例えば、ワープロの利用に関するものであれば、左肩にワープロという項目を記入する。そのその作業が終わると、そ の項目ごとにカードを集め、さらに上位 の分類項目をつけてカードを束ねる。今度の場合、ワープロ、コピーマシン、VTR、ウォークマン、プリントゴツコを一纏めにして、知的生産のための用具・ 小道貝の使い方で引括る。こうしてできあがった小見出しの束に照らして最初に作っておいた章立てを再検討して修正を加える。 ラベルを張付けたカードに暇を見付けては、何を書くかメモする。内容だけではなく、利用可能な資料・図書名、引用句、ちょっと気の利いた言い回し等何で もいい。およそ執筆の際に参考になりそうなものを書込んでおく。 こうしてカードが執筆できる程に発酵してきたらいよいよ執筆に取掛かる。執筆は私はすべてワープロにダイレクト入力する。小見出し毎に書くときもあれば 数枚のカードを捲リながら一つの章をまとめて書くときもある。それもどのくらい時間を割けるかによる。サラリーマン生活を続けながら本を書くとなると執筆 にそれほどまとまった時間を割けないので、こうした方法でいわば本のパーツをすこしずつ作っていき、最後に全体のバランスを考えて手直しをする方法が適し ている。これまで出版した本も同じ方式で作った。 職業を持ちながらそれと関係のない分野でそれなりの成果 を上げようとするとそれに見合う独自の方法を編出さなければならない。とともに最後までやり通 す堅い意志が必要だ。一時にすべてができあがるわけではないのだから、たとえ短い時間でも毎日継続的にやる、いわば持続する志を持たなければならない。 日本の社会ではまだ個人の自由時間を尊重する気風が乏しく、私の職場でも残業が多く週休二日制も実施されていない。やりたいことは多くても結局時間の制 約で思うにまかせない。といって「まねびすと」あるいは知的生活者たることを諦める気もしない。学ぶことは実に楽しいことであり、これを抛擲したら私の人 生はおよそ無意味になるといって過言でない。それに一冊の本を紐解き未知の世界と遭遇するスリルは何ものにもかえがたい。 とはいえ、サラリーマンを辞めては食っていけない以上、短い時間をいかに有効に使うかに最大の工夫を払う必要がある。その巧拙で長年のうちには大きな差 がつく。 ところで、短い時間の利用法として、私が一日十五分法と名付ける方法がある。自分が身につけたいと思ったことはたとえ時間がどんなになくても一日のうち 十五分だけそのことに付いて考えたり、実際にやったり、関係する本を紐解いたりするのである。 私の理想はレオナルド・ダ・ビンチ型のマルチ入間で、できるだけ幅広く入生を楽しむべ きだと思っている。知的生活者も知的対象を広げることはもとより、趣味・スポーツも手広く楽しむべきだと思う。これが気晴らしにもなり知的生産の向上にも 役立つ。些細とみえる趣味にしても本当に楽しめるようになるには年期がいる。私はいろんな趣味を持っているが、どれもわりかし年期が入っている。これも田 舎育ちで勉強だけでなく野外で良く遊び日没までテニスを楽しむような生活を幼いときから送って来た賜だろう。 趣味やスポーツにかかわらず何事でも言えることだが覚え初めに集中して時間を割き、一 定のレベルに達するまで頑張れば一生身に付いたものになる。その後はたとえ短い時間でもいいからそのことに継続して時間を割けばうまくなることも可能だし 少なくとも現状は維持できる。 例えば囲碁。現在ちょうど夕刊フジの「女流プロに挑戦」の欄で私の打碁が二週間に渡って紹介されている。これは三子で勝った。三子で勝てばアマの六段格 といえるらしい。テニスも所属クラブの現役の選手で頑張っている。どちらも一日十五分法で強くなった。別 に実際に碁を打ったりラケットを振回さなくても強くなれる。この種のゲームは悟りのゲームといっていい。どういうふうに考えるかによって強くなる分野が非 常に大きい。 余談だが、ヨーロッパに三年間滞在することになった時、碁の普及に乗出そうと入門書を 六十冊持っていき、現地で友人と碁会所を開いて教えたことがある。そのときも自分より強い人はいなかったが、ひたすら碁とはなんぞやと考えた。その結果 、いく前と比べ一目半程強くなって帰ってきた。もちろん、教えることによって自分が学べた面 も見逃しえない。その時九子で教えた人が、その後ヨーロッパ選手権を取り、昨年東京で開催された世界アマチュア囲碁選手権で青い目の選手の中では最高位 の六位を占めた。出藍の誉れ高い弟子と堅い握手をかわしたことであった。 碁の話のついでに私のVTRの利用法に触れておくと毎日曜日、朝の六時台から三本も囲碁のテレビ蓄組が見られるが、早起きは苦手だし日中はテニスコート で白球を追っ掛けることにしている。その間の番組はVTRで録画し、暇なときに二倍速で見る。 いずれにせよ,短い時間を有効活用するために、各種のチェックリストを開発し、一日十五分法を編出し、各種の知的生産用の用具・小道貝を書斎に常備した のだ。例えばワープロはもう四年も前、私の知的生産のたしになる水準のがまだ百万円以上もするころ、これは知的生産に不可欠と判断して大枚を投じて購入し た。もとより、これで元がとれるはずがないが、これによって私の知的生活がいかに充実したかを思えば充分ペイしている。アマである。ゴルフに金を出すのと 同じことだ。元がとれないのが当り前、楽しくて、生活の充実感が得られればそれで充分ではないか。 ワープロなしには私の本も日の目をみなかったに違いないし、この大賞への応募もあきらめたに相違ない。一冊の本の原稿を書き上げ、清書し、印刷に出すの はかなり骨の折れる仕事で、私のように原稿を真黒になるまでなんども手直しする人間でかつまたその真っ黒になった原稿をそのまま出版社に持ち込む勇気のな い人間では、三百校もの原稿を清書しなければならないことになるが、悪筆を気にしつつ、貴重な時間を割いてそれこそ非生産的な作業に当たるのは実に億劫 だ。そんな時間があれば読みたい本は五万とある。 ところがワープロはその時間を零にしてくれる。修文が終われば、原稿は完成している。後はプリントアウトするだけ。それにワープロのいいところは修文の 各段階をすべて取っておけることだ。つまりフロッピーのなかに原文から修文一、修文二、三、四…という具合に保存できる。しかも何時プリントアウトしても 活字並の椅麗な字で打出せる。自分で見直すのも楽な上、周りの人にもまだ未完成の段階で読んで貰え意見も聞ける。これは大変な利点だ。 私は何時も家内や子供にも読んで貰っているが、意外な見落しを注意されて助かることがある。それにわかりやすく書かないと読んでもらえないのでその癖も つく。 この原稿もそうだが、今も五百枚の童話や日本的経営や知的生産に関するものや連載物等数種類の原稿を平行的に書いているが、それぞれ違ったフロッピーに 入れているので混乱はない。千円もしないフロッピーディスクに修文の分も含めて一冊の新書判の本ぐらい簡単に収まる。これが原稿用紙だと平行してプロジェ クトを進めるのは大変だ。だからまなびすとを志す人には是非ワープロの活用をと勧めたくなるのだ。 最初に言った通り書きたいことは一冊の本になるほどある。しかし枚数も足りないので外部の人との研究会の利用や複写 機の利用法などその「本」に譲らざるを得ない。ただ、知的生活をやれば仕事の方もいろいろと張りが出て面 白くなることも一言付加えておきたい。仕事にこそいろいろと創意工夫を持ちこむ余地が多く私はこれまでいろいろ実践してきたがその苦心談も本に譲らざるを えない。 私の感化か家内もこのところまなびすと的色彩を深めており、ワープロを叩き、テニスに精をだし、日本棋院の囲碁講座に通 っている。子供は二人いるが、私のモットーは子供は口でなく背中でしつけよで、おやじの思惑通 りどちらも良く本を読み、こちらがはっとするほど鋭いエッセイも書くようになった。テニスは家族四人で共通 の趣味として楽しんでいる。家族全員マルチ型の人間に育っており、将来とも粗大ゴミになったり、暇を持て余したりする恐れはまずない。 冒頭で「まねびすと」というネーミングに好奇心を持ったと書いたのは、他でもない私の趣味に「言葉遊び」という範疇があるからで、私は座右訓を間われた ら、私の名前を折込んだ次のような折句で応えてきた。 (あ)焦らず、(べ)勉強、(き)気長に、(い)生きて、(ち)血の沸く、(ろ)ロマンの、(う)詩も忘れず。 これこそ私の身上であり、「まねびすと」的ネーミングとの結節点なのである。 (1987年2月執筆) |