(1987/8/17財経詳報に掲載)
外需依存からの転換
戦後日本は、米国が提供してくれた自由貿易体制のもと、輪出立国を国是として奇跡的な高度成長を遂げ、一九六七年には早くも西ドイツを抜き、自由主義諸国の中で米国に次ぐ経済大国になった。この高度成長時代から、日本の輸出依存体質は問題にされ、集中豪雨的な輸出の被害を被った国々からその是正を求められていた。
一九七一年のニクソン・ショックは、日本にその是正の緊要性の認識を迫るものであり、それ以来「内需拡大」は一貫して国家酌課題となった。
ところが、一九七三年、日本は第一次石油危機に見舞われ、外需依存体質へ本格的な是正策をほどこすことなく放置した。日本が第一次石油危機のショックから立ち直り順調な経済成長を回復したところで、再び第二次石油危機に見舞われた。このときは前回の経験をうまく生かし見事に乗り切るとともに先進工業諸国の中ではいちはやく安定した経済成長路線に復帰した。ただ、第二次石油危機以降の経済成長は、それまでにも増して外需への依存度を高めたものであり、産業構造も外需依存型への傾斜を深めた。
世界第二の経済大国が長期にわたり外需に依存しつつ、しかも先進工業諸国の中では相対的に高めの経済成長を遂げたため、日本の輸出市場となった多くの国では巨額の対日貿易赤字を抱え込むことになった。逆に日本は、石油危機時代のOPEC諸国を上回る史上最大の貿易黒字国となり、たちまちのうちに世界一の対外債権国にのしあがった。
貿易黒字は、八五年度が五六〇億ドル、八六年度は約九〇〇億ドルと実に1000億ドルの大台に手の届くほどの巨額に達した。対外純資産残高も、八六年末には1800億ドルを越し、二年連続で世界一の債権国となった。これとは対照的にかつて世界最大の債権国だった米国は世界一の債務国へと転落した。
これらを背景として対外的な貿易摩擦が激化するとともに、急激な保護主義の台頭、円高の昂進がみられた。日本は、巨額の対日貿易赤字を抱える米国をはじめ欧州、アジア等といたるところで摩擦を起こし、日本バッシングの標的とされた。国内的には、円高は輸出依存の高い製造業に大きなインパクトを与え、いわゆる円高不況をもたらした。政府もその対策として内需拡大策を打ち出したが、今のところ大きな成果は上げていない。中長期的には経済構造の外需依存から内需依存への転換という課題を解決しなければならないが、これはニクソン・シヨック以来の懸案であり、これまでほとんど見るべき実効が上がっていないだけに前途は多難であろう。いずれにせよ、日本はこの課題に今後積極的に取り組んでいかなければならないし、その成否に今後のわが国の経済発展の可能性がかかっている。
日本の果たすべき役割
日本が、今後世界経済の中で生きていくには、世界各国が歓迎するようなやり方でやっていくよりない。その意味で従来の過度に輸出に依存し、貿易黒字を溜め込み、その金を財テクで運用し、結果として世界の購買力を奪い、失業者数を増大させるようなやり方はどう考えても長続きするものではない。それをそのまま続ければ、日本にとって生命線ともいうベき自由貿易体制を失い、世界から孤立するだけであろう。
今後は世界の発展があってはじめて日本の発展があり得、世界の発展に貢献することによってその見返りを受けるというグローバルな視点が不可欠といえよう。その視点から世界第二の経済力と世界第一の貿易黒字と対外純債権とを活用して行かなければならない。それが今後日本が期待される国際的な役割を果たすことでもある。以下、具体的に日本の果たすべき役割について見ていこう。
海外直接投資の必要性
円高が急激に進む中で、多くの輸出依存型の企業が従来の製品輸出一辺倒ではむしろ各国の保護貿易主義の台頭を煽り、市場からの追出しを食う恐れが生じたことを認識して、直接相手国の市場に投資を行いそこで製品を生産する方式への転換を図った。また労働コストがかなり割高になったことへの対処策として、労働コストの割安な発展途上国へ生産拠点を移した。これらは必要に迫られてやったことではあったが、失業者を多く抱え、投資資本を欠く相手国からも歓迎されたし、発展途上国からも輸出産業の振興、技術移転につながるとして快く迎えいれられた。
このように現在、世界各国はおおむね日本からの直接投資を歓迎してくれている。これは日本にとって誠に恵まれた環境といってよい。これもこれまで海外へ進出した日本企業がそれだけの実績を上げてきたことにもよるものであろう。確かに海外へ進出した企業の中には、現地の工場以上の高い生産性を上げ、地元の人々に感謝の念とともに驚異の眼で見られているものも少なくない。
日本としては、円高とこの恵まれた環境とを大いに利用して今後とも積極的に海外投資を進めていくぺきであろう。
海外進出に当たっての留意点
海外進出に当たっては、相手国との融和について十分の配慮が必要である。これまで進出した企業の中にもこの面への配慮が欠けるものがあり、地元との軋櫟を引き起こしたケースも見られる。海外へ進出した日本企業が部品を日本から輸入してアセンブリーするだけの「ねじ回し(スクリュードライパー)操業」に終わるのを懸念する声も高い。海外進出は、真の雇用の創出と地域の開発、技術の移転につながり、相手国の経済発展を促進する効果のあるものでなければならない。
また、現地の風習を無視した雇用慣行を強要して、従業員の反発を買ったり、幹部を日本人のみが独占したり、日本人のみでつきあって、現地人とつきあわないような点で、現地人との融和を欠<ような事例も少なくない。
日本人は案外と自らの行為に加害性があるとの自覚を欠きやすいのであるが、海外へ行くときは、自らの加害性をはっきりと自覚しておく必要がある。相手国市場で日本の企業同志が国内顔負けの激しい過当競争を演じ、地元の商慣習を壊したり、現地企業を倒産に追い込み現地の人々の職場を奪ったりするようなことが加害性の一例である。日本的経営にしても、これを人間尊重の経営法と自画自賛するだけでなく、その限界と加害性についての自覚が必要だ。休暇や夏休みをきちんととる国へ、休暇や夏休みをとらない生活を持ち込むことや労働組合の結成権を制約することは、労働者が勝ちとった権利を阻害する行為になりかねないのである。
太平洋戦争の際、日本軍は大東亜共栄圏構想を掲げ、東南アジア諸国へ侵攻したが、そのとき現地の文化、社会、宗教、言語、民族については無知同然で、事前に兵隊にもそうした教育を施すことすらしていない。これとまったく変わらない姿勢で今日東南アジアヘ進出している企業も少なくない。会社人間とその妻は相手の生活を知ろうとする意欲も、心を感ずる能力も失っており、メイド、運転手などの使用人を悪者扱いする使用人ワルモノ説が広く発展途上国の狭い日本人社会に定着しているという指摘もある。
「日本は第二次世界大戦から何も学ばなかった。帝国主義的野望を抑えるかわりに、単に戦場を経済界に変えて世界の征服を企てているにすぎない」(王安「戦略はシンプルなほど成功する」ダイヤモンド社〕というきびしい見方をする人もいることを忘れてはなるまい。
空洞化の恐れはない
強い円と余剰資金を背景として、海外投資が一種のブームの趣を呈しており、国内の空洞化を危惧する声も高い。しかし、日本の海外生産の比率はまだ三%そこそこで、米国の二〇%に比べまだまだ微々たるものだ。今のベースで移転が進んでも日本の海外生産の比率は二〇〇〇年に一〇%になるにすぎないという試算もある。それに日本企業が生産部門の一部を海外に移すことによって相手国の生産性を高めることに貢献できれば、日本製品との相互取引をこれまで以上に高めることが可能となろう。それに、七八年当時の円高によって、もはやコスト的になりたたないとみられた多くの輸出産地でも、新商品の開発、新分野への進出などにより、現在でも頑張っているところが多い。最近の調査によると輸出企業の輸出意欲は円高になっても一向に衰えていない。日本人のこの勤勉性があれば空洞化はそれほど心配しなくても良いものと思われる。
むしろ、心配すべきは余剰資金が、財テクに流れ、土地(ハワイの海岸からゴルフ場まで)・建物(ニューヨークやロサンゼルスの有名な超高層ピルからお城まで)、企業、株式、外債、名画等などの買漁り現象が見られることである。この面でのオーバープレゼンスは、相手国の国民感情を逆撫でする危険性を孕んでおり、新たなそしてより深刻な摩擦に火をつけることになろう。
日本市場の一層の開放を
日本は、相手国の自由な市場の恩恵を十分受けているにもかかわらず、外国が日本市場に入ってこようとすると、いろいろと制約を課す。農業をはじめ、日本が弱い産業分野の市場は閉ざしてなかなか開放しない。いずれにせよ、世界第二の巨大市場はまだ十分に開かれているとはいいがたい。貿易収支の黒字を抱える日本は、これを大幅な輸入の拡大により均衡させると一貫して主張して来たが、これほどの円高にもかかわらず、また目に見える改善は進んでいない。戦後米国がやったように自らの市場を広く世界に開放することは世界の発展のために不可欠である。その目的も含めて一層の内需拡大を図る必要がある。
日本の法制にも相互主義の立場から見てバランスを欠くものがある。行政指導で法律にない制約を課す慣行がある。相手国で企業買収する日本企業は多いが、日本で外国企業が、日本企業を買収することは容易ではない。
そもそも日本は自由主義経済を信じているのかについて深刻な疑いを持たれている。国会も政府も自由市場の見えざる神の手よりも、国や権力の介入による市場の支配を欲しているかに見える。財界も自由を標傍するのは自分に都合のいいときだけで、自らの過当競争体質が紹いた過剰設備の処理や、貿易摩擦の調整にさえ政府の手助けを求める。求めないまでも何時も期待している。
今後日本は世界の中で世界各国と融和的にしか生きていけない。その場合、こうした基本的な理念面での齟齬は大きな行き違いのもととなり、断絶の原因となりかねない。この際改めて自由主義の原則を胆に銘じ直し、現行の諸慣行を洗いなおす必要がある。
それに、人間の真の豊さとはなにかについて考え直す必要がある。これまで日本社会はそういうことについて考えることを忘れひたすら物質的豊かさを追い求めてやってきたが、それだけでは今後海外へ進出しても通用しないであろう。物質的豊かさは二の次にして人間的な豊かさを追い求めている国は多い。
日本人の勤勉性を自慢するのもいいが、「確かに日本人は仕事の面では勤勉だ。しかし生きることについてはスペイン人のほうがよほど勤勉だ」という見方もあり得ることを噛みしめてみる必要がある。
発展途上国への協力
以上述べた海外直接投資と関連するが、日本は、発展途上国への技術移転、職業訓練を含め、第三世界への投資をもっと増やす必要がある。経済協力もさらに積極的に拡充していくべきだろう。日本のODAは国際摩擦を緩和する即効薬として年々増加を続け、昨年は五六億ドルと米国に次ぎ世界第二となっている。しかし、中身を見ると約半分が円借款で、贈与率という点では先進一八カ国中最下位という有様だ。倉成外務大臣は八七年七月ジュネーブで開催中のUNCTAD総会で、日本がベネチア・サミットで打ち出した発展途上国への資金還流計画について説明した。これによると今後、三年間に二〇〇億ドル以上のアンタイド(日本からの輸入を義務付けない)資金を、新たに「南」へ還流させるという。アフリカ諸国など後発の発展途上国への特別配慮として、三年間に五億ドルの援助実施も明らかにした。この提案は参加国に大きな反響を呼ぴ、発展途上国から歓迎されたと伝えられている。これは、今後の日本の進むべき方向を示唆するものだ。
基礎研究の充実
日本が、国際的に貢献すべき分野として、研究開発、とくに基礎研究が考えられる。
日本の基礎研究の弱さはかねてから指摘されてきた。それは、一つには政府負担研究費の投入が欧米主要国に比べ貧弱であることだ。日本の研究費用は約八兆円(米国の約二六兆円に次ぎ世界第二位)であるが、その約八割は民間負担で、これば主として応用研究に充てられている。
第二に、その政府負担研究費も最近の財政難の煽りを食って、伸びが鈍化しているのみならず、基礎的な研究よりも予算のとりやすい、つまり基礎的な研究に比べ成功率の高い応用研究分野へ傾斜しつつあることだ。財政難とはいえ、今後は基礎研究に一段と力を入れ、その成果を広く世界にオープンにしていくことを通じて世界の発展のために貢献していく必要がある。
F・プレス米国科学アガデミー総裁が昨年十一月ある日米会合で「日本の基礎科学と新技術を創出する能力は、国力から期待されるほどには優れていない」と指摘した。こうした見方を背景として、最近、日本の技術タダ乗り論が欧米で大合唱の様相を呈し始めており、日本も基礎研究分野でGNPが世界の一割にふさわしい貢献をなすべしとの風圧が増している。
平和憲法のもと防衛面での協力が制約を受けているのであるから、せめてその分を経済協力や、この基礎研究分野で果たすべきであろう。
以上、日本が国際面で果たすべき役割について述べてきたが、日本が「世界の中の日本」として存続していくには、「相互依存」という今日の国際社会のキーワードを改めて深く噛みしめ直すのが急務のように思える。