創作ノート |
創作ノート目次へ |
最近、エッセイ用の創作メモを記載した、 1973年の黒表紙の大学ノートを発見した。どれも書きなぐりで完成したエッセイではないが、備忘のため、ここに収録することにした。(2003年8月 26日) |
|
|
(1973年6月4日執筆)
(2003/8/26掲載)
|
|
日本人は、自分で考え自分の意志で行動することが極めて下手なーというより、ある面では、そうすることができない民族である。 例えば、ここに名幹事といわれる人がいる。日本人がどういう幹事を名幹事といい、いい幹事というかということを考えてみるとそのあたりの事情がよく飲み 込めるのではないかと思われる。 諸外国で、職場旅行とか職場単位の宴会が行なわれるかどうかは知らないが、わが国では、年に1〜2回の職場旅行、新年会、忘年会、人事異動に伴う歓送 迎会などは、ほとんど慣例化している。そういう職場旅行や宴会のときに名幹事役が登場する。 彼らは、実に痒いところに手の届くような配慮をする。 職場旅行であれば、目的地に着くまでの車中、バスの中で誰も飽きぬように、しかるべき飲み物や食べものを用意 し、あるいはバスであれば、ベテランのバスガイドを雇い、時には自らマイク片手に観光案内をし、皆で歌を歌うための歌集を用意し、皆に喉自慢大会をやるよ うに誘導する。 宿に着くと、ただちに風呂に入るように手はずを整え、宴会の時間を伝え、宴会が始まれば進行役を勤め、福引をやり、しかるべき芸人を呼び、自らかくし芸 まで披露する。宴会後に備えて、マージャン室の用意をし、二次会をやりたい者のためには、ちゃんと二次会用の部屋と酒肴を用意し、芸者まで待機させてお く。 外へ出かける人々のためには、タクシーを呼び、ボーリング場ならどこそこにあり、またどこそこのバーやキャバレーが評判がいいそうであるとの情報を伝え る。 まさしく、名幹事のいるところ、誰も絶対に飽きさせられることがない。 参加者は、幹事の組み立てたスケジュールに従って、コンベアに乗せられたように、その前に次々繰り広げられる呼び物に我を忘れ、日頃の職場の憂さを忘 れ、最後に配られる土地の名産品なぞの手土産をぶら下げて、大満足して帰って来る。 これは、職場旅行の目的地がどこであっても同じことなのである。したがって、旅行の目的地は職場旅行の際ほとんど問題にされない。誰も、ほとんど自分の 眼で、観光をする暇はない。 たとえ、どんなに素敵なバスガイドがついていたにしても、各人は、「右に見えますのは、有名な××寺でございます。左に見えますのは世に名高い○○滝で ございます」という説明につられて、頭を右に左に忙しく動かして、観光知識を頭に詰め込むのに忙殺されるか、車内で早々と酒を酌み交わして大声で歌い、窓 の外のことをすっかり忘れているのかどちらかである。 宿に着けば、おきまりの浴衣に着替え、宴会をやり、マージャンをやり、夜が更けるまで一緒になって騒いで時間をつぶす。伊豆に行こうが那須に行こうが、 変わりはない。 ほとんどの人は宿屋から一歩も外に出ないし、また外に出るにしても皆そろってぞろぞろと浴衣姿に下駄履きで出かけ、これまたほとんど代わり映えのしない 観光地の目抜き通りで、代わり映えのしない土産物店を冷やかして帰ってくる。 ところで、反対に気が利かない幹事というのは、この反対に自由時間を多く与えすぎる幹事である。その幹事にして も、飯を一緒に食う時間までをも各人の自由にすることはまずない。少なくとも、皆一緒に飯を食うのではあるが、その前のことや、その後のことを各人好きな ようになどということにしてしまい、大いに不興を買う。 「マージャンはできるのかできないのか、幹事はどうしているんだ?」 「飯を食うだけで終わりなんて、全く旅行に来たかいがない。もっとどんちゃん騒ぎをやろうじゃないか。幹事、酒はもうないのか」 などの不平を浴びなければならぬ。 旅行に行っても、一人一人がバラバラに好き勝手に行動することは、ほとんどない。例え「自由時間」ということになっていても、皆一緒に行動し、せいぜい マージャン派とトランプ派に分かれたり、宿居残り組と外出派に分かれるぐらいが落ちで、自分一人で、ブラリと観光に出かけるようなメンバーはまずいない。 「自由時間」を与えすぎると各人は戸惑い、どうしてよいか分からなくなってしまう。一人一人バラバラに「放り出される」と、彼らは、文字通り、「放り出 された」ように感じて、行動できなくなり、部屋に閉じこもってしまう。誰か言い出しっぺが、それじゃ歌でも歌おうかと言い出すと、皆ほっと安心し、歌でも 歌おうということになる。 実際、職場旅行というものに行く度になんでこんな旅行が楽しいんだろうかと思ったものだ。いつも同じ定食を食っているいるような味気なさ。どこへ行こう が誰も景色など、ほとんど見ていない。だから観光地自体がほとんど個性らしい個性もなく、大体において似たり寄ったりで、観光客の眼を楽しませようとする 努力がそれほどなされていない。 景観を無視したような杜撰なホテルや宿屋の薄汚れた集落が、腹の奥まで客を飲み込み、美しい自然は、客の前から姿を消してしまう。ホテルの窓から見える 景色にしても、どこへ行っても代わり映えせず、手垢に汚れた感じさえする。 しかし、観光地にやって来る人は、ほとんどそんなことを問題にしない。そもそも彼らは、景色など見に来るのではない。彼らにとっての関心事は、有名な △△温泉地にも行ったことがあると他人に言えることなのであり、また○○湖では遊覧船に乗ったことがあると言いたいために遊覧船に乗るだけなのである。 彼らの目に映るのは、観光マップ・案内に「有名な」観光地として、○○寺、××温泉、△△山と書き込まれているものだけであって、それ以外の「名もない 無名な」ものは、あれども見えない存在に過ぎない。無名なものを見出して感動したり、それについて深く考えてみょうなどという気はもともとない。まして や、そこで生活する人々に目が向かないのは当然のことである。日本人の海外旅行が、有名観光地巡りに終始しているのはこのためである。 この場合も、名幹事とは、少ない時間に効率よく、できるだけ多数の有名地を観光できるようにスケジュールをたて、人々に自由時間を少しも与えず、強引に 引っ張っていく幹事なのである。 海外旅行に一人で行く人にしても、行く先々の「知り合い」を必ず、当てにしており、その知り合いがうまくスケ ジュールを組んで、案内をしてくれることを期待している。つまり名幹事役を期待している。その知り合いがこちらの期待通りにやってくれなかった場合、彼ら に「不親切」というレッテルをはることになる。また、海外にいる「知り合い」の側にしても、自分たちにそういう期待がかけられているということをよく知っ ており、そのように行動するので、「知り合い」に少しも期待しないで行ったような人でも、知り合いの仕組んだ計画どおりに動かされることになる。しかし、 これを親切の押し売りと考えたり、自分の自由時間を奪われたと考えるような日本人はまずいない。 要するに、「名幹事」とは、万事他人任せで、自ら考え、自らの意思で行動することをしない日本人の行動原理に最もよくフィットするがゆえに、その存在理 由と存在価値があるのであり、日本人の名幹事は自立的な欧米人にとっては、当然「悪幹事」と呼ばれるべき存在なのである。 |
職場旅行 自由時間 海外旅行 |
| 以下工事中 |
TOP |