筆者、20歳〜21歳、大学二〜三年生当時の日記の連載を始めます(2002年9月26日)
日記の部屋1961-02/Diary1961-02


これから新日記(文芸日記1961)の掲載開始です

(2002/9/26)。

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日記1961(1960/11/28から1961/7/20)

1960年11月〜12月
1960/11/28
1960/12/1
1960/12/2
1960/12/3
1960/12/6
1960/12/7
1960年12月
1960/12/9
1960/12/10
1960/12/11

1960/12/12
1960/12/14

1960/12/15
1960年12月 1960/12/16 1960/12/19 1960/12/20 1960/12/22

 

1960/12/12-2

1960/12/23
1960年12月 1960/12/25 1960/12/26 1960/12/26-2 1960/12/27    
1961年1月 1961/1/2 以下工事中        

日記1960(1960/1/8から1960/9/22)

1
1960年1月
1960/1/8 1960/1/9 1960/1/10 1960/1/10-2 1960/1/11 1960/1/12
  1960/1/14 1960/1/15 1960/1/16 1960/1/17 1960/1/18 1960/1/20
  1960/1/21 1960/1/22 1960/1/23 1960/1/27
1960年2月
1960/2/1 1960/2/4 1960/2/7 1960/2/8 1960/2/9 1960/2/10
  1960/2/11 1960/2/13 1960/2/15 1960/2/17 1960/2/18 1960/2/21
  1960/2/23 1960/2/28 1960/2/29      
1960年3月
1960/3/4 1960/3/14 1960/3/14-2 1960/3/23 1960/3/30  
1960年4月
1960/4/4 1960/4/12 1960/4/26      
1960年5月
1960/5/13 1960/5/20 1960/5/30 1960/5/30-2
1960年6月
1960/6/3 1960/6/7 1960/6/7-2 1960/6/8 1960/6/13 1960/6/15
  1960/6/16 1960/6/16-2 1960/6/20 1960/6/23 1960/6/23-2 1960.6.28
1960.6.28-2          
1960年8月
1960.8.5 1960.8.20 1960.8.20-2 1960.8.20-3 1960.8.26 1960.8.26ー2
  1960.8.27 1960.8.29        
1960年9月
1990/9/1 1990/9/3 1960/9/7 1960/9/9 1960/9/10 1960/9/11
  1960/9/13 1960/9/14 1960/9/15 1960/9/16 1960/9/17 1960/9/17-2
  1960/9/17-3 1960/9/18 1960/9/19 1960/9/20 1960/9/21 1960/9/22
  1960/9/22-2 この日記はここで完了        
1960年11月〜12月
1960/11/28
1960/12/1



 

1959年8月 1959/8/7 1959/8/8 1959/8/10 1959/8/11 1959/8/12 1959/8/13
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  1959/8/20 1959/8/21 1959/8/27 1959/8/28 1959/8/29 1959/8/31
1959年9月 1959/9/1 1959/9/2 1959/9/3 1959/9/4 1959/9/5 1959/9/6
  1959/9/7 1959/9/8 1959/9/9 1959/9/10 1959/9/11 1959/9/12
  1959/9/13-1 1959/9/13-2 1959/9/14 1959/9/15 1959/9/16 1959/9/17
  1959/9/17-2

1959/9/18

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  1959/9/30
1959年10月 1959/10/1 1959/10/2 1959/10/3 1959/10/4 1959/10/5 1959/10/6
  1959/10/10 1959/10/11 1959/10/19 1959/10/20 1959/10/21 1959/10/22
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  1959/10/30          
1959年11月 1959/11/2 1959/11/3 1959/11/4 1959/11/5 1959/11/6 1959/11/11
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1959年12月new 1959/12/1 1959/12/12 1959/12/17      

年月日 曜日 日記本文
1960.12.7 Wednesday 1960.12.7

◆「音楽夢比べ」から六枚も招待券が送ってきた。あんまり評判が良くないので、観客数が少ないのではないかと邪推したくなるね。

◆今日国から5000円の送金があった。有り難きは父母の何とかとでも申すべきか。4000円ばかり追加して送って欲しいと手紙を出したところ、今日5000円送ってきた。もっとも、4000円ないしはそれよりも少なくっても可等とは書きながら、こう書けば5000円位 は送ってくれるだろうと最初から考えているのだから始末の悪い息子であろう。それよりも始末の悪いのはヌケヌケと送金を頼み込んだことであろう。まったく自分のご都合だけで。



◆地道な研究というものを私はもっともっとやらなければならない。あらゆるものが、決して飛躍的な成長を遂げうるものではないことをしっかりと心に刻み込まねばならない。地道なステップバイステップの過程を経ないで決して山の高みには到達し得ないのである。

今、法学部の学生としてヨチヨチ歩きを始めたこの私に要求されるものは、明日急に法律の大家になることではない。十年後二十年後地道な研究の上に、リーガルマインド豊かな、一人の一市井人として民主主義の進歩のためにいくらかでも寄与できる人となるための最も初歩的な堅実な研究態度をうち立てることである。ともすれば今日、周りのうるさい連中のおしゃべりに気を取られ、誰それは、既に国際法の�氈A��、�。巻を読み終えた、なにがしは、憲法については穴がない。に一々心を乱されがちな傾向にあるが、これはどうしても抜け出さなければならぬ ものである。

 先走りのみが良いのではない。我が道を行く堅実さこそ大切なのだ。



◆上の切手は、今日来た速達に貼ってあったもの。切手自体は、重要ではなく速達の内容が重要なのである。

前略
先に入選されました応援歌歌詞の賞金が出ましたので印鑑持参の上、本郷学生課教養掛までとりにおいで下さい。
 12月7日

      ☆   ☆    ☆
 税込み一万円といえば手にはいるのはいくらぐらいになるものであろう。それがいくらになるか推測してみたところで一向に楽しくない。わずか一万円そこらの賞金に、しかも純粋に非賭博的な応援歌の賞金に、税金を掛けて、搾取するという税制が気に入らない。今度の選挙では世界一月号によれば三十五億円程度の金が財界から政党へ献金されたそうだ。こうした献金には掛かるのかしらん。よしんば掛かるにしても、少しも抜け目なく、私の賞金のように税込みになっているのであろうか。

 

1960.12.9 Friday

1960.12.9

ミス・アルマにクリスマスカードを送った。図案は花鳥図。出来るだけ日本的なものをと思い、昨夜イエナ精光で買ってきたものだ。狩野永徳のものでなかなか良いと思った。彼女からもきっと贈ってくれるだろうけれど、やはりその国に如何にも似合ったデザインのカードの方が、無国籍的な、ベルや雪やトナカイや聖母像等より数段良いと思う。もっとも、それがクリスマスとどんな関係にあるかと問われれば答えに窮するが。

 

1960.12.9 Friday

1960.12.10

◆購入(生協本郷で)
国際法概論  下  350(430)
手袋        960


◆ 賞金一万円を貰いに行った。まるまる一万円貰うことが出来た。
 入選と決まった時にはせいぜい5千円位だろうと思っていたのに、一万円も出ると聞いてびっくりしたのだ。ところがそれが税込みということが分かり、友人やら誰からやら相当高い税率を聞かされて、今度は逆に惜しい惜しいという気がしてきていた。

 今日行ってみると丸ごと渡されたので、こっちから税金の心配をする始末だった。儲かったような気持ちだった。

 さて、作曲の方はどうなっているのかと尋ねると、来週に審査会があるということだった。
 「応募数は70数曲、歌詞の時は40数編でしたけれど・・・」という話。
 「どうか良い曲をつけて下さい」と言ってお願いしてきた。

 ところで、今日そのために本郷までノコノコ行ったのだが、江島・榊原の両君に巡り会った。本郷で知っている島原出身の奴と言えばこの二人しかいないのによくよく巡り合わせの良い日だったと思える。

 

1960.12.11 Sunday

1960.12.11

◆今日ピンポンをやり無敵の強さを発揮するとも、やりすぎてくたびれた感じあり。

◆洗濯

◆「目覚めてみると盲になっている」という表現は、自家撞着する。

しかしながら完全に有効な文章である。「目覚める」という表現は、もはや眼を開けるというような物理的な現象を離れて、眠りから覚める、ということを一般 的に表している。

 目明きのの横暴さと言おうか、彼らがあまりに普遍的に存在したが故に盲に対する思いやりを忘れたのである。

 盲の人は朝起きたらどう言うのであろうか。
「今日私が目を覚ましてみると・・・」ではなんだか変な気がする。


1960.12.12 Monday

1960.12.12

◆根道君から軽井沢旅行の写真

◆無生物的な僅か一枚の紙で、写真ほどに我々に種種の感情を要求するものはない。それも必ずしも自分自身が映っているものとは限らず、映画女優の一枚のブロマイドでもよい。

 今日ほどに写真の様々な威力が生活のあらゆる分野で活動しているときはかつてなかったであろう。新聞の、雑誌のそのちょっとした写 真なりグラビア写真なりが、我々の感情の弦を激しくも、あやしくも揺さぶるのである。

 今日根道君から写真を貰った。

1960.12.14 Wednesday

1960.12.14

有り難きものは父母だが、それはしばしば有り難すぎることが多いのである。

昨日一万二千百円送ってきた。速達便であった。この七日にもご無理をかけているのである。何でまたもと、私は速達書留を受け取ったとき、驚き、恐れたのである。

 私がついつい無精して授業料を滞納したため、七日、納入に教務課へ行ったときには、すでに督促状は発送済みであったのだ。五日付けの督促状が、八日付けの普通 便より先に着くのはものの道理である。5000円ご送金いただいた分でさっそく授業料は納入した旨の手紙が届かぬ うちに、早々と一万二千百円も送ってよこされたわけである。しかも授業料と寄宿料の合計五千百円になることを勘定に入れた細心の行き届いた注意で。すまないと思う。ご返事はすぐ差し上げたが、親には、あまり心配を掛けたくないものである。安心して勉強できる恩恵を、常日頃忘れまいぞと心に思った。

◆ さて、思い立ったが吉日とか。今日下宿を紹介して貰い、もうちゃんと下宿に移る契約を済ませて、十七日には引っ越す予定を立ててしまい、家と植木夫婦には連絡した。場所は目黒区三谷町81中村方。電話(713)3311.

なかなかいい家だと思う。第一印象はいい。未亡人の奥さんは僕の習った東洋史の岸辺教授の年子のお姉さんだそうで、息子さんも東大生。後三人の下宿生も東大関係の人ばかり。

月三千円で外食。

1960.12.15 Thursday

1960.12.15

迷うことは良いことかも知れぬ。しかし、昨日より私の心を重くしていることはもはや迷うことからは離れてしかるべき問題だのだ。すでに決定してしまった以上、何らかのプラスの面 を見つけだして、その決定の方向へ少しでも近づく努力をするべき種類のものなのだ。この私の心の重さは下宿することに衝動的に決めてしまったことに対する反動が来ていることは明らかなのだ。

 どうしてそう易々と決めてしまったのか。来月の1月七日頃から入れるようにすればそれが一番良かったのではないか。冬休みの直前なんて、まったくつまらない損な時期を選んで、下宿することにしたものだ。通 学定期のことだってある。定食券のことだってある。それに運搬するにも暮れでは忙しくて車がないではないか。冬休み家に帰ることとの兼ね合いの問題だってある。家に帰るとすれば、わざわざ二週間、余計な金を払うことになる。東京にいることにしたって、寮にいた方が食事の点や暖房の点で遙かにましではないか。食の安定もなく、冷え切った部屋に何を好んで入るのか。

 君の欲する静かさだったら、他の奴がみんな帰ってしまう休み中に心配することは何もないではないか。君は来月から下宿するようにすべきだった。君の行動は決定的な誤りだ。十五日から三十一日までの千七百五十円だって充分惜しいし、それに食事が余計な計量 を要することと、通学費、時間、等々、考えれば考えるほど君の行動は、間違っている。今からだって遅くはない。取り消したまえ。高々500円損するだけじゃないか。他の損と比べれば安いもんだ。取り消すんだ。

 だが待てよ、君。君の言うように1月七日頃にすぐにいい部屋が見つかる保証があるのかい。とにかくいい部屋なんだぜ。環境、なにも栃の環境だけじゃなしに、人柄、交通 的、雰囲気的、そんなずべての環境がいい部屋なんだぜ。君の言うのは、すぐにもその下宿に移って、損ばかりするというのだな。

 だけど考えてごらんよ。もう僕の部屋になった以上、そして寮にも僕の権利が存続している以上、僕が来年七日までこの寮にいたって良いわけだろう。その間、保証金として、実質上の部屋代を払うと考えればどうだい。決してあの美室で環境最良と思えば高くはないと思うよ。それに権利金とか、敷金とか取られて変なところに押し込められる場合だって十分あることだし、権利金を取られて十分立派なところにおいて貰えると考えれば1月八日頃から入ったって悪くはないじゃないか。

◆
心晴れ晴れせぬ日には、
ぶらりと一人暮れの町。
うす橙の宵の星
ゆらゆら揺れて枯れ木越し
野良犬とぼとぼ肩すぼめ
冷たき道をさまよえる。
襟吹く風は冬の風
胸満つ思いは、冬の雨。



1960.12.16 Friday 1960.12.16

◆管生事件、最高裁で上告棄却、二審無罪成立。

◆独りの美しい少女を描いてみたい。ありとあらゆる理想を込めて、しかもある朝ひょっこりと私の前に立ち現れるような、そんな美しい女の子を、創造してみたい。
バラ色の頬、黒く澄んだ瞳、白く、なめらかな肌。軽快なすっきりと伸びた脚。しっとりと濡れた落ち着いた声。歌がうまく、ピアノも弾けて。ある時はお高くすまし込んで人を寄せ付けず、ある時は情熱に身も心をも燃やして。ひたすらな純愛にすべてを捧げるような。
1960.12.19 Monday

1960.12.19

 アルバイト先でお歳暮を貰った。二千円。

 僕が行っているアルバイト先は、歩いてここから二十分、上目黒八丁目にある。材木業店で、相手は中学二年生。男の子。九月末から始めた。悪く言えば近いのが取り柄ということで、行くことにしたのだった。もちろん、その男の子あまり出来る方でないので僕としては手不足な感じがないでもない。しかし、何となくあけすけな性格はよい。庶民的な、とその家庭を評すれば今日の二千円も偶然ではない。


 

1960.12.20 Tuesday

1960.12.20

◆河田日出子さんと踊る。1月十日に踊る約束をして別れた。

◆色々な人を知ることは僕には非常に興味がある。例えばアルバイト先の男の子だって、一つのタイプとしての人間を知る点においてどんなに興味あることだが言うを待たないであろう。

 今日のダンスの相手として踊った河田嬢にしても、私のこの興味を最初から最後まで刺激し続けてきたのである。彼女は美人ではない。しかし、話し相手としては、なかなか面 白い。今までの三人の面白かった女性の一人に入る。富檻、高橋、河田と。一体、何をもって女性を評価すべきなのか。と疑問が湧いた。

1960.12.22 Thursday

1960.12.22

◆1960→1961←サカサマから見ても同じだね。面白い。

◆大江健三郎の「人間の羊」をNHK第一の放送で聞く。この小品は、彼の一連の作品と同じく、ある閉ざされた状態に置かれた人間を描くことによって、むしろ非現実的なシュチュエーションでありながら、きわめて現実的な問題を扱ってい、きわめて面 白いものであった。

 まざまざと終戦後我々が置かれた状況というものを、作者の感受性豊かな想像力の描き出す世界は捉えていて、非現実的でありながら真迫性を少しも失っていないのだ。
『僕』という主人公の行動も『教員』の行動も、きわめて典型的に日本人をとらえており、アメリカ人対日本人、日本人対日本人、被害者対第三者、といった対立ないし関係を、その心理的な面 をうかがわせるうまい描写と会話とによって、鮮やかに浮かび上がらせている。

 作者の言いたいことは、我々すべての日本人が人間の羊として、限りない屈辱を味わわされている。それは『僕』も『教員』も変わりないものなのだ。
 この小説に登場する『教員』の行動は要するに、大きな屈辱の前で自らの慰めを見出すための自慰的な、あまりに自己中心的な行動ではないのか。我々は、人生を生きていく以上、数々の屈辱に耐えて行かねばならないのだ。その屈辱を前にして我々の取る行動にも種種のものがあり得る。『教員』を『僕』の立場に入れ替えて考えてみればどうだろう。彼の世界観が、あの絶対的な屈辱を受けた後でも、『僕』に色々と干渉したような健康な判断通 り彼を動かし得たであろうか。

 "羊”として選定された瞬間に彼の抵抗は始まるべきなのだ。それも出来ず、おずおずと米兵の前に汚いシリをさらして、どうして一旦米兵がいなくなったからと言って意気軒昂な言葉を発することが出来るだろう。そのシリは独り米兵のみの前にさらしたものではない。残りの乗客の、更に自分の肉親の、恋人のあらゆる人の前にさらしたのだ。思い出すたびに、それは何と残酷な屈辱を呼び覚ますことであろう。それを裁判で争えというのか。
 教員の態度の中に見られる無責任さというものにもっと我々は注目すべきであろう。

 彼は大きな屈辱を受けたにもかかわらず、それに気がついていないのだ。米兵の被害者は直接的に羊にされた、『僕』とか、『勤め人』ばかりでなくバスに乗っていたすべての乗客であるはずなのだ。それなのに彼らは第三者として振る舞おうとする。もちろん、彼らは屈辱感を少しは感じてはいるのだ。それゆえ、その軽い屈辱感を、第三者的な無責任な言葉を弄することによってバランスシートを合わせようと言うのだ。

 戦前、対ロシア戦争を唱え、対米戦争に非好意的であった人間が、戦後、反戦思想家として登場しなかったと誰が言えよう。我々は毎日毎日、じっと屈辱に耐えねばならぬ 多くの経験を繰り返している。そしてこの小説は、その屈辱の一場面を生々と捉えだしている。作者も(そしてこの僕同様)この主人公も『僕』が取ったような行為を是認するものではないだろう。しかし。

年月日 曜日 日記本文
1960.12.22 Thursday 1960.12.22

今日の消費生活の特色
○消費の美徳化。ーーイデオロギー的、社会的性格の変化。
○催眠術的広告
○消費の自主性と追従性。ーーブームの意味するもの(スキーブーム)
○商品の多種化。上下、水平。→格差の増大。選択しながら押しつけられる関係。
○ブームは作られる。(作る方と作られる方の交互作用)
○人間の矮小化と販売組織の巨大化(非人間化)
○欲望ーーその充足と抑圧→人間的性格への影響
○生活の豊かさのもたらすもの、政治的無関心化←(選挙率)
○享楽主義的傾向と非民主的傾向
(社会心理学的に考察する機会を持ちたい)
1960.12.23 Friday 1960.12.23

○年賀葉書を17枚書いた。
正月には国に帰らぬ旨を書いた。
物事をあまりに決定的にしてしまうときのあの悲しみの気持ちが心に湧きあがってきた。
正月には帰らないのだと強く言いきかせると温かいこたつと、うまく温かい雑煮が目の前に浮かんできた。取り返しのつかぬ 事になったのだ。
 寒く冷え冷えとした部屋で一人ぽつねんと正月を迎える自分の姿を想像してみた。
 人影もまばらな大食堂で、凍える手で雑煮を食う哀れさを思ってみた。
 私は正月には国に帰らないんだ。と私は喚き散らしたかった。
1960.12.25 Sunday 1960.12.25

この頃、購入した本を念のために記録しておこう。

12月20日 憲法と裁判官(78頁まで読了)
12月22日 自由からの逃走(47頁まで読了)
トルストイの生涯(34頁まで読了)

正月を寮に居残ることにしたのも、この冬休みを利用してせいぜい読書に励もうという気持ちがあったればこそなのだ。今日の収穫は大して大きくもなかったけれど、また明日からは全力を挙げて、読書に努めたいものだ。
1960.12.26 Monday 1960.12.26 晴れ

◆購入本
小林直樹「法理学 上」600円
我妻栄「物権法」380円
トルストイ「戦争と平和(1)」450円

◆私はこの論文で「広告はもはや現代人にとって不可欠のものである」ということを言いたいと思う。この結論は現代の消費生活の特質が生み出したものであると同時に、このこともまた現代の消費生活の特質の一部をなしている。という相互関係を忘れてはならない。

 一体いかなる経路を経て広告が現代人にとって不可欠のものとなったのか。そこには一定の必然的な運動があるのか。私はそれらについての考察を特に現代人の心理的メカニズムを分析することによって明らかにしていきたいと思う。
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 今日も又街へ一歩出ると、林立する大ビルディングや、疾走する多くの交通機関、立ち並ぶきらびやかな商店と、そこに飾られた種種様々な商品が、我々の眼の中に否応なしに飛び込んでくる。今しも新たに組み立てられつつあるビルディングの鉄骨、凄まじい爆音をとどろかせて頭上をかすめるジェット旅客機。

 それらのどの一つを取ってみても、表面から見る限りにおいては、個人の姿というものは現れていない。しかし、こうしたすべての物の裏面 を見るならば、そこには個々の人間の姿がある。あらゆる現象の背後には小さな一人一人の人間が存在する。まるで冷徹そのものの如くそびえ立つ巨大なビルディングも、それを造りだしたのは、他ならぬ 血の通った人間なのである。あらゆるそれらすべてのものが、人間の活動によって生み出され、人間のために存在するのである。

 人間は自らのためにそうしたすべての物を作り出した。ところが一旦作り出したが最後、それはもはや人間の手には止まっていず、自由に自らの運動を開始したのである。

 あらゆる人間的な産物、政治機構にせよ、経済機構にせよ、文化機構にせよ、それらは自らの法則を持ち始めた。それを作りだした個々の人間の意志では如何ともしがたい、自らの法則に従って動き出したのである。

 あらゆる機構を排除して最も根底的な様相を見るならば、ひしめき合う個々の人間の集団に過ぎないものでありながら、その個々の人間の活動によって作り出された種種の社会的機構は、もはや、個々の個人のみが存在していた時のものとは本質的に異なった、新しい法則を、その根底にある個人の上へ逆に覆い被せて行き、個人をその法則の中に包み込んでしまったのである。

 その束縛の中からは個人は逃げ出すことは出来ない。彼らに自由があるとしてもそれは与えられたものであり、その束縛の中での自由なのだ。人間が個々人として、巨大なそうした社会機構の前に立つとき、人間が感じるのは、自らの無力感と孤独とでしかない。自らが作り出したものの前で人間は、無力感と孤独とにさいなまれ、不安と焦燥とを覚える。ここに現代の経済機構が到達した巨大な資本と、消費生活において個人としてふるまう微少な人間との関係についての全てがある。

 現代において、特に最近の傾向として、消費の美徳化ということが言われるに至った。あらゆる概念がそうであるように、美徳という概念も、時代的に相対的なものである。

 しからば現代の美徳とは一体いかなる概念を持つのであろうか。それは少なくとも倹約が美徳であると言われていた時代と、根本的に異なった概念を持つことが指摘できる。倹約が徳であると言われてきた時代までの美徳は、まさに原始的人間的なものとの繋がりを持つ美徳であった。原始時代からこの方、人間は生きていくためには倹約でなければならなかった。経済的生産の最も乏しかった原始時代においては、不倹約であることは死を意味したし、今日の段階に至らぬ 資本主義も、同じような意味で、倹約を美徳としていたのである。

 しかるに今日、消費が美徳であると言われ始めた。ここに経済法則が、人間のイデオロギーと如何に密接に結びついているかの顕著な実例が見られるのである。美徳観がここでコペルニクス的な転回をしたと言っても過言ではあるまい。時代的制約にとらわれていたとはいえ、これまでの制約は制限されたものであり、美徳観は、人間の本性に根ざしたものとしての性質を強く持っていたのであった。

 しかるに現代に至り、その美徳観は、ついに人間の本性的とまでみなされてきたその長い傾向概念からの鎖を断ち切って、ついに社会的制約の巨大な鎖に結び返され、消費を美徳と称するに至ったのである。消費の美徳化という言葉の中に、まさに現代の消費生活の特質があり、しかも、その概念を生み出したことそのものが、現代生活の特質であるという相互依存の関係はここにも成立しているのである。

 歴史を動かして行くものとして社会経済的なもの、イデオロギー的なもの、社会的性格の三つの絡み合いを考えることが出来るであろう。この美徳化の現象は、まさしくその三つの絡み合いであり、この現象をもって、社会経済の今日立ち至った段階を、イデオロギーの今日の状態を、社会性格的なものの新しい様相を、見ることが出来るのである。

 ところで、この消費の美徳化が意味する今日の消費生活の特質とは何であろう。今日の美徳がかつてのように個々人の道徳的なものに根ざすのではなく、社会の一般 的な傾向としてのいわば、行動の妥当根拠としての色合いを持つに至ったことは、今日の美徳がいかなる過程(プロセス)を経て生産されたかを先に明らかにしたことによって、うなずかれよう。

 
1960.12.26 Monday 1960.12.26

 今日は充分記念すべき日であり得る。「戦争と平和」を私が読み始めたというひとことによって。

 「戦争と平和」、このトルストイの名著を、世界的名作を今日私は読み始めたのだ。感激と昂奮とに我を忘れて。
 まだ40頁までしか読んでいないけれど、読者を引きつけて離さない巧みな話術と構成に、それこそ一気にそこまで読んでしまった。登場人物の一人一人が私には限りない興味を覚えさせ、明日の読み継ぎを待ち遠しく思わせる。

1960.12.27 Tuesday 1960.12.27

◆購入本
英文日記(旺文社)250円
やさしい布石(読了)120円
自然の弁証法 上(岩波文庫)120円

◆碁をやり始めた以上もっと強くなりたい。こう思うのは人情の常であろう。生半可に碁が打てると言うだけで、勝利の喜びを少しも知らないとしたら、打てない方がましのようなものだ。

 そういうわけで、万人の望みたる、より強い打ち手となるために今日、坂田栄男九段の「やさしい布石」を購ってきて読み始めたのだった。一気に読んでしまった。実に面 白かった。この一冊を繰り返し読むことによって、少なくとも二、三級は腕前が上がりそうだ。


 

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