僕の日記1952年
1952年8月13日水曜日 天気:
 

8月13日水曜日

 今日島原で初のプロ野球公式試合があるのだ。僕は父と見に行った。 四時に始まるのに十時に行ったのに内野の見やすい所は座るところがないといった有様だ。通路に面した所は、知らないのか誰も座っていない。最前列でとても見やすくてどこにでもすぐ行けるので便利な席だ。球場は前に来たときに比べてあそこがこうなったのかと思われるくらい立派になっていた。  二時半西鉄入場、三時に阪急が入場した。西鉄は、西日本と合併し三原総監督のもとに大下など加えたチームだ。阪急は浜崎監督のひきいるチームでニューベリー、ブリットンなどの黒人選手を加えているが、両チームもあまり振るわず、下位の方である。   十時から四時まで六時間、あの炎天下の中にかんばって、試合開始を待つ。  四時、試合開始。二回、五回、八回と阪急が一点ずつ得点を加え、試合を有利に進めたが、最終回の表は、阪急、得点なくその裏2ダウン、ランナーなし、このまま阪急試合を持ち込むかに見えたが、大下がヒットを打ちこれを生かして三点をあげ、ランナー三塁、西鉄の逆転勝ちなるかと見えたが、惜しくも宮崎バンド失敗で、延長戦となり、十回表阪急得点なく、その裏西鉄が上位打者の活躍で一点を取り、ついに4対3で西鉄が勝った。 大変な好試合であった。守備のうまさなど初めて見るだけに驚いた。

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