札 幌通産局長発令(1988年6月25日)時の地元新聞の紹介記事
札 幌通産局長時代の新聞記事から
(1989.3.4~6.30)
目 次

北 海道新聞1988年6月27日
北 海タイムズ1988年 6月28日 読 売新聞1988年6月26日

日 本経済新聞 1988年6月28日
朝 日新聞1988年6月28日

目次
北 海道新聞
1989.6.7

「人・
交差点」

タイトル:
移 り変わる季節
身近で楽しめる道内
北 海道新聞
1989.6.30

「人・
交差点」

タイトル:
大 好きな北海道
輝く未来 祈りつつ
苫 小牧新報
1989.3.4

ニュース欄


タイトル:
自 信を持て北海道
阿部通産局長
が内外情勢調
査会で講演
苫 小牧新報
1989.3.4

「夕刊時評」

タイトル:
心 強い応援団
(掲載日2006.5.5~5.6)



札幌通産局長発令(1988年6月25日)時の地元新聞 の紹介記事

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北海道新聞1988年6月27日 北海タイムズ1988年 6月28日
読売新聞1988年6月26日
日本経済新聞 1988年6月28日 朝日新聞1988年6月28日


北 海道新聞1988年6月27日(月曜日)朝刊
クローズアップ
札幌通産局長になった 
阿 部毅一郎さん


「恵まれた自然や広大な土地など、北海道にはほかの地域にない良さがふんだんに残っていると思う。学生時代、なけなしの金をはたいて旅行したあこがれの地 でもあり、張り切って仕事に当たるつもりです」

 中小企業事業団総務部長から二十五日付で発令され、産業構造調整の波を受けて苦境に立つ北海道経済の活性化に取り組む。

「確かに大変な時期に差しかかっている。ただ、地域の豊かさは単に成長率や所得水準を引き上げることではなく、例えば生活の場としての水準は東京よりずっ と上だと思う。東京一極集中経済を生んだGNP(国民総生産)一本やりの価値基準では駄目、生活のゆとりや質、文化など、多様な尺度で考えていくべきで す」

 振り出しは通産省鉱山保安局管理課。四十年二月の夕張炭坑大災害では吹雪の中、腰まで埋まりながら現地に向かった当時の川原英之鉱山保安局長(故人)と の連絡に当たった。

 九州で生まれ、ポーランド(日本大使館一等書記官)や四国で勤務した経験から「地方にこそ本当の生活の場がある」との立場を貫いている。「これからは文 化と経済の融合という観点が重要になるが、北海道ならそれを先取りできる」と言い切る。

 仕事も家庭もそして自分の時間もすべて大切にするのが信条という。趣味も多く、テニスは省内の大会で四年連続ダブルスで優勝した腕前。囲碁は五段。ポー ランド時代に囲碁の手ほどきをした「教え子」はヨーロッパ選手権のチャンピオンになった。経済関係の著作のほか、小説や短歌などの創作も。六大学野球で歌 われる東大の応援歌「闘魂は」の作詞者でもある。家族は勝子夫人と一男一女の四人だが、単身で赴任する。三十八年東大法学部卒。長崎県出身、四十八歳。


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北 海タイムズ1988年6月28日(火曜日)朝刊
この人

札幌通産局長になった
阿 部毅一郎さん


「道内の中小企業の比率は全国平均に比べ高い。育成・振興に一生懸命取り組みたい」。前局長からの行政の継続性に努め、さらに立派なものに育てると話す中 に、前職の中小企業事業団総務部長時代の敏腕が随所に感じる。

 中小企業は新法により今後、異業種交流が進む。「中小製造業が大きく育つためには、地場の技術を持ち、特性を生かすべき。業種の垣根を越え、交流するこ とで、新アイデアによる開発やサービスが生まれる。産・学・官の協力も必要だ」と熱っぽい話が続く。

 持論は「経済と文化の融合」。三十八年、鉱山保安局管理課を振り出しに、外務省駐ポーランド日本大使館一等書記官、経済企画庁総合計画局計画官などを歴 任し、多忙の人生を送りながら「ゆとりを持つ必要」は忘れない。

 「日本は時間、空間が満ぱいとなり、本州は発展の可能性が少ない」と言い、持論反映の地は本道とみている。

 大学時代、周遊券で本道を旅した時「いつかこの景色を見れるだろう」と胸にとめていた。「あこがれの北海道で、道民の総意にそうよう努めたい」と意欲を 見せる。

 家族は勝子夫人と一男一女だが、単身赴任生活になる。「地域に行ったら飛び込んで生活する」。テニスや囲碁(五段)などの趣味でも道民との交流をーとい う。長崎県出身。東大法学部卒。四十八歳。


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読 売新聞1988年6月26日(日曜日)朝刊
札 幌通産局長に阿部氏


 通産省は二十五日、地方通産局長クラスの人事異動を発令したが、本道では平戸正尚札幌通産局長が辞職、後任に中小企業事業団の阿部毅一郎総務部長が就任 する。阿部新局長は、東大法学部卒業後、通産省入省。在ポーランド日本大使館一等書記官、中小企業庁調査課長、四国通産局商工部長、大臣官房調査統計部統 計解析課長などを歴任。長崎県出身。四十八歳。

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日 本経済新聞1988年6月28日(火曜日)朝刊
技 術力強化を支援
阿部 通産局長が新任会見



 阿部毅一郎新札幌通産局長が二十七日着任、平戸正尚前局長とともに記者会見した。阿部新局長は「道内の中小製造業が時前の技術力強化と人材育成できるよ う支援したい」などと語り製造業の育成に力を入れる考えを明らかにした。

 阿部氏は長崎県出身の四十八歳。三十八年に東大法を卒業、同年通産省に入省。ポーランド日本大使館一等書記官、四国通産局商工部長、企画庁国際経済関係 計画官などを歴任した国際派で、前職は中小企業事業団総務部長。




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朝 日新聞1988年6月28日(火曜日)朝刊
北 海道の自然PRしたい
札幌通産新局長 が着任





 札幌通産局の阿部毅一郎新局長が二十七日、着任した。中小企業事業団総務部長から、平戸正尚前局長の後任として発令された。着任後の記者会見で「大自然 と広大な土地に恵まれた北海道の素晴らしさを進んで紹介するPRマンになり、活性化を目指したい」と意欲をみせた。
 
 九州出身で東大法学部卒。三十八年に通産省に入り、鉱山保安局管理課を振り出しに、五十年から三年間はポーランドで日本大使館一等書記官を務めた経験も 持つ。「四国で勤務したこともあり、北海道にきたことで日本の四つの島をすべて回ることになる。日本は経済大国であると同時に生活大国であることが必要と いわれるが、そういう時代こそ北海道の良さをのばしていければ」と語った。


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札幌通産局長時代の新聞記事から
目次
掲載紙
日付
掲載欄
北 海道新聞
1989.6.7

「人・
交差点」
北 海道新聞
1989.6.30

「人・
交差点」
苫 小牧新報
1989.3.4

ニュース欄

苫 小牧新報
1989.3.4

「夕刊時評」
タイトル
移 り変わる季節
身近で楽しめる道内
大 好きな北海道
輝く未来 祈りつつ 
自 信を持て北海道
   阿部通産局長が内外情勢調査会で講演
心 強い応援団


掲載紙
掲載欄
タイトル
内容


北海道新聞
1989.6.7

「人・
交差点」
移り変わる季節
身近で楽しめる道内


「定点観測すると、季節の移り変わりが見えるので、面白いですね」。着任いらいちょうど一年になる阿部毅一郎札幌通産局長は道庁側に面した庁舎五階の局長 室から、赤れんが庁舎前庭のたたずまいを毎日、カメラで撮り続けている。

 成果はアルバム五冊。来訪者にさりげなく見せているが「木立越しに見えた赤れんがが日一日、新緑で隠れていく様子なんかを写真で見るにつけても北海道は 身近な所にすごい自然があるなあ、と感じます。ビルばっかりの東京なら撮る気も起きませんものね」という。小学時代からカメラ歴は約四十年。入賞歴もあ る、という実力派だ。

北海道新聞
1989.6.30

「人・
交差点」
大好きな北海道
輝く未来 祈りつつ 

「一年間の北海道勤務ですっかりここが好きになった」というのは二十七日付 けで札幌通産局長を退任した阿部毅一郎氏。仕事もさることながら、暇をつくってはスキーに精を出し、ゲレンデに繰り出すこと二十数回。「初心者がついに上 級者コースを滑れるまで上達しました」と感激さめやらぬ様子。
 
 雑誌に経済評論を連載したり、また和歌を詠んだり、と多芸ぶりで知られる人だが、二十八日の退任会見でも「北海道 輝く未来 祈りつつ 同志と分かれん  うるわしの朝」(注1)と、一首。これから二ヶ月(注2)ほど道内旅行を楽しみ、九月からは東京の民間企業に入ることが決まっているという。

(引用者注1:ほっ、か、い、ど、う、を折り込んでいる。
(引用者注2:二週間ほど道内旅行を楽しみ、トータルで二ヶ月ほど休暇を楽しみ、と説明したものの誤引用)

苫小牧新報
1989.3.4
自信を持て北海道
   阿部通産局長が内外情勢調査会で講演



 札幌通産局の阿部毅一郎局長が二十日来苫し、内外情勢調査会苫小牧支部(渡辺三郎支部長)の懇談会で「自信を持て北海道」のテーマで講演した。

 阿部局長は昭和三十八年に東大法学部を卒業して通産省入りし、昨年六月から札幌通産局長。講演では、九州、四国など各地に赴任し、在ポーランド日本大使 館にも勤務した経験に立って北海道の持つ良さ、利点を強調。国際化の時代に適した条件を備えていることから「二十一世紀は北海道の時代」だとし、住む人が もっと自信を持つべきだと語った。

 この中で特に北海道のハンディキャップとされる、遠い、寒い、過疎という面は世界的視野に立てば当てはまらないと述べた。北海道こそが日本の中では欧米 先進国の緯度と同等かむしろ南に位置し、冬も快適に過ごせる工夫がみられるとし、東京の超過密、高温多湿の気候に比べて快適と説明した。また住む人の心情 や風土も開放的、親切で開拓精神、独創性があると評価。

 「地元の人は遠慮がちに見て、良いところを強調したがらない傾向があるが、見方をちょっと変えてみると良さが分かるはず」とし「幸運は心の準備ができる 人にのみやってくる」という言葉を引用して、日ごろから良い点に自信を持っていることの必要性を語った。
苫小牧新報
1989.3.4
「夕刊時評」

心強い応援団



 二月の内外情勢調査会懇談会(時事通信社)で、講演した阿部毅一郎札幌通産局長の”自信を持て!北海道”という話は、阿部局長独特のユーモアたっぷりな 話しぶりもあってなかなかおもしろかった。

 私は言葉遊びが好きで、なにかにつけて好奇心の”かたまり”みたいなものだからと前置きして、昨年六月に北海道に着任して以来、感じたことを北海道を ローマ字にしてみると、次のようになりますということだった。いわくH(ホスピタリティー)人をあたたかくもてなす心。O(オープンマインドネス)よそ者 にも心を開く開放性がある。K(カインドネス)親切心がある。A(アンビション)大きな志がある。I(インターナショナリティー)国際性が豊かである。D (デベロップメント)開発すべきものが豊かにある。O(オリジナリティー)北海道らしさをつくる独創性に富んでいるー北海道は、こんなすばらしいものをた くさん持っているのだから、国際化時代を迎えて、道民のみなさんは、もっと自信を持つべきだ。すぐやってくる二十一世紀は北海道の時代になることは間違い ないのだからーとぶちあげたわけである。

 まさに、わが意を得た話でもあったから、強い印象として残った。

 それにしても、このところ、札幌通産局というよりは、省庁のなかで北海道開発局は別格として、通産局の”北海道びいき”は、とりわけめだっている。

 とくに、女性初の札幌通産局長として着任した坂本、そして平戸、いまの阿部と続く各局長の北海道への思い入れは強い。北海道にとって、こんな心強い味方 はないといってよいだろう。

 国が進めている「ふるさと創生」の具体化ではないが、地域社会の活性化、同時に国際化の推進、そして地方経済の発展等を考えた場合、この二月指定された ばかりの道央テクノポリスは、これからがスタートであるし、千歳市が地域指定に向けて動き始めている頭脳立地法にしても、いまの段階は、事前調査の実施に 名乗りをあげた程度に過ぎない。むしろ、本格的な正念場は、これからやってくるのである。そんなことだけ考えてみただけでも、協力は応援団がほしいのは当 然のことだ。

 阿部局長に、これだけ持ち上げられた以上、道民としても、これにこたえねばならないはずである。
                                            (畑)