『闘魂秘話』

②作曲に関して  
  山 中 一 由 (昭和36年機械工学科卒) 
 ☆作曲に応募☆

昭和35年10月はじめ,昭和35年度応援歌入選歌詞「闘魂は」(阿部 毅一郎 作)と.これに。

対する作曲募集規定が掲示された.当時私は機械工学科4年生で,卒業研究が本格化し始

めていたが,早速応募することにして,卒研原稿の横に五線紙を置き,二刀流で作業を進

めた.締切りは11月15日だった.

入学後すぐ柏葉会合唱団に入り,コーラス,特にアカペラのハモりのとりこになり,気に

入った詩に出会うとぼつぼつ作曲もしていたので,「闘魂は」にもスムースに取り組め

た.

日本語は,英語などと違って,アクセントではなく抑揚(イントネーション=発音の高低)

で意味を伝える.「はし」を「は↑し」のように「し」を高く発音すれば「橋」か「端」

だし,「は↓し」なら「箸」と理解される.作曲に当たっては旋律が抑揚と逆にならない

よう常に気を遣っている.細かいことのようだがこれに反すると,関西弁の曲に聴こえた

り何か違和感が残る.こういう部分がある曲は永く歌い続けられないだろう.しかし旋律

の流れでどうしても抑揚と逆になってしまうこともあるし,異なる1~3番の歌詞を同一の

旋律に当てはめればどこかに無理が生じる.「闘魂は」では,驚いたことに各番の同じ位

置の言葉の抑揚が揃っている.阿部さんがそこまで配慮して作詞されたのならすごいこと

だ.というわけで抑揚上あまり無理のない曲作りができた.「闘魂は」の旋律には東大の

他の曲にはない逞しさがある,とよくいわれる.それは阿部さんのすばらしい歌詞が私か

ら引っ張り出してくれたものなのだ.この曲が幸いにも入選できて,原曲のまま掲示され

た.

☆応援部による補訂☆

現行の「闘魂は」は,こうして一見阿部さんと私の合作のように見えるが,実は応援部も

合作の一員なのだ.入選発表後しばらくして補訂が行われた.アマチュアの作曲の問題点

をプロのアドバイスで修正する作業で,二人のプロ(フランス語の小松清教授と,名前を

覚えていないがたぶん作曲家のX氏)の前に呼び出された.席上私が『勝利の旗が』の部分

が男声合唱で普段愛唱している曲によく似ているといったとき,X氏が「そこはこうする

んです」といって原曲で1拍の『旗』の『は』を3拍に直してしまった.私も強く反対で

きなかったのでこの部分は結局間延びした『は――たが』で確定されてしまった.原曲の疾

走感にブレーキをかける改悪だった.それが決定版として掲示されると,応援部から猛烈

な抗議が発せられた.応援歌・学生歌の募集史上たぶん唯一無二の事件だったろう.内容

はもちろん「補訂とは曲をめちゃめちゃにすることなのか.原曲どおりに戻せ」というも

ので,この抗議のおかげで改悪は撤回され,元の1拍の『は』に戻された.

応援部の皆さんありがとうございました.お礼が53年遅れました.入選曲は翌年度以降の

「駒場の学生生活」,「本郷の学生生活」に掲載されるが,「闘魂は」は間延びのままの

譜面が,少なくとも1964年度版までは続いていた.


☆「闘魂は」が与えてくれた出会い☆

この曲のおかげで,大小の思いがけない出会いがたくさん生まれた.大学院修了後工学部

の一員として奉職しているころ,「闘魂は」が神宮で歌い続けられている一方,同時に不

名誉な何十連敗が進行中ということも知っていた.このような折り,学生・教職員対象の

工学部ニュースにこのことについて書く機会があり,連敗の責任は「闘魂は」にあるの


ではないか,などと書いたところ,野球部のマネージャーが訪ねてきてくれ,その後た

びたび神宮球場の入場券を届けてくれるようになった.昭和52~53(1977~78)年ころの

ことだった.観戦にはなかなか行けなかったが,「闘魂は」が大切にされていることが感

じられ嬉しかった.また駒場で図学の非常勤講師をしていた1995年ころ,授業後東大の

バドミントン仲間とプレーし終わって体育館を出たところで,応援部のチアガールがラジ

カセで「闘魂は」を流しながら振り付けを練習していた.そこで一言「私はこの曲の作曲

者ですよ」といったのだが,気恥ずかしくてそのまま立ち去ってしまった.うしろで「キ

ャーッ」と言う声がしたが,あの時は立ち止まって彼女たちともっと話すべきだった,と

後悔している.

最大の出会いは阿部さんとの初対面だ.募集要項には「入選作の発表と授賞式を適当な機

会に行う予定」とあったが,私は入選後すぐ卒業し,学生課から授賞式の案内もなかった

ので,阿部さんと会う機会がなくなってしまった.大きく時を経て2001年,阿部さんの近

況の記事が日経新聞に掲載されたことから私から連絡して,嬉しい初対面が41年ぶりにつ

いに実現した.それ以来親しくお付き合い頂いている.2003年夏には,「ストーカーま

がいの密着取材もして」結実した力作「東京大学応援部物語」の著者最相葉月さんから同

書を贈呈された.応援部と「闘魂は」の強い結びつきが分かったからとのことで,思い掛

けない光栄だった.このことがきっかけで,直後の秋のリーグ開幕戦に阿部さんと三人で

応援に行き,学生席で阿部さんと肩を組んで「闘魂は」を歌った.試合は負けてしまった

が,「闘魂は」の重みと成長ぶりが感じられた感激の一日になった.


☆作品の独り歩き☆

今書いた「成長ぶり」という言葉には自分なりの意味がある.作品がいったん自分の手を

離れるとどんどん「独り歩き」して変化してしまうのだ.「闘魂は」の作曲当初,譜面

の最初に記したように「堂々と,早(速)すぎないように」歌われることをイメージしてい

た.ところが神宮の応援ではその1.5倍ほどの猛烈なテンポで歌われた.こんなに速けれ

ば別の曲といえるくらいだ.しかし応援席に溶けこんで皆と一緒に歌って,この速さでな

ければ応援にならない,と納得させられた.「闘魂は」はイメ-ジ上の応援歌から,グラ

ウンドの選手たちに力を注ぎ込む真の応援歌に成長していたのだった.



☆もっと強い野球部へ!☆

野球部は今また長い連敗に沈んでいる.しかし強力な助っ人の桑田特別コーチも参加して

くれたし,近い将来,必ずもっと強いチームへと変貌を遂げると信じる.そのとき「闘魂

は」はひときわ高らかに神宮の森に響くことだろう.私は学生席で駄それを一緒に歌いたい

 




と思う.