| 読書日誌(1999/9/12〜15) |
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| (99/9/12)書斎に行ったら、本棚の佐々木基一の「私のチェーホフ」が目に留まった。昨日、NHKの衛生放送でチェーホフの「かもめ」をやっていたので、引っぱり出して来た。著者のチェーホフに対する入れ込みようには、大変なものがある。チェーホフの人柄について述べた、次のような言葉が、印象的だった。
「チェーホフを読むには、こちらがよほど虚心にならねばならない。そういう心構えを必要とする。ということは、ほかならぬチェーホフ自身が、わたしたちに虚心にならねばならぬように仕向けるからである。 『私には誰でもアントン・バーウロウイッチの前に出ると一層単純に、一層真実に、一層自分自身になりたいという欲望を自分の中に我れ知らず感ずるのではないかと思われる』 と、マキシム・ゴーリキィはチェーホフの印象を語っている。ゴーリキィは続いてその回想の中で、アントン・チェーホフの謙虚さと公正な精神,虚飾やハッタリや卑俗さにたいする抜きがたい嫌悪、平凡で単純で真実なものに対する愛と尊敬について、飽きることなく語っている。」 |
| (99/9/13)昨日の朝日新聞の書評欄の文庫・親書のコーナーで取り上げられていた、松尾スズキの「大人失格」(光文社文庫)と鈴木孝夫の「日本人はなぜ英語ができないか」(岩波新書)を近所の文誠堂書店で求め、「失格」の方をまず、読み始めた。独特の文体で、面白く読める。たとえば冒頭の「私も「大人」と呼ばれたい」は、次のように始まる。
「私は大人だ」今、この日本でいったい何人の大人が、そう胸をはって言い切ることができるだろう。「大人一枚」となら、いくらでも言える。しかし、例えば電車の車内に誰かがいきなり入って来て、「この中にどなたか大人の方はいませんか?!」などと聞かれ「はい!私が大人です」と躊躇なく答えられるような、そんないさぎよい、なんというか、まったいらな大人には、なかなか出会えるものではない。 独特の視点と独特の言い回しに乗せられて、ついついページを捲ってしまう。「『まぬけ』へのベクトル」も、説得力がある。たいていのモノゴトは放っとくとまぬけになる、のだそうだ。前向きの人々の努力によって、観光地が限りなくまぬけへの可能性に満ちた空間へと邁進していく、(p.21)と言われれば、その通りだし、鼻血やラクガンという菓子のまぬけ度も相当なものである。 |
| (99/9/13)このところ、環六に面して立っている古本屋BookOffにしばらく行っていないので、夜の九時という時間に出かける。この本屋には、いつも、東中野銀座にある「なごみ」という小割烹に夕食を取りに行った帰りに立ち寄ることにしている。このことは、「なごみ」にも足が遠のいていることを意味する。自宅から、歩いて1000歩ほどのところにある。
昼間、本屋で新書や文庫を買った際に、上下二巻の時代小説を見つけ、よほど買おうかと思ったが、待て待て、BookOffを見た後でも遅くないと思い直した。そこでなら、上下二巻の本を一巻分で買えるのだから、本好きには、堪えられないのだ。ところが、目指す書物はみつからなかった。しかし、せっかく、やってきたのだから、そのまま、帰るのは惜しい。本棚を渡り歩いて物色するうちに、次々と良さそうな本に巡り会えて、これもこれもと手を出していたら、両手で抱えなければならないほどの、本の山になってしまった。(最近購入書籍参照) 店員に、二つのビニール袋に入れて貰い、両手でぶら下げて帰った。家内もあきれ顔であった。飲み屋に行くようなものだし、飲み屋に行くより安上がりである。といういいわけを用意していた。「わたしも、そう思ったわ」とあっさり認めた。しょうがないと思っているのである。それ以上言ったら、「しかも、飲み屋にはほとんど行かない。唯一の道楽のようなものだ」というつもりだったが、そこまでは、言わずに済んだ。 せっかく買って帰ったのだから、最初の一節ずつでも読もうということで、読み始めた。 |
| (99/9/13続き)ジュネの「桜草の喪」悲歌の一、悲歌の二。若々しい恋愛感情を、気取った難しい言葉を一切使わず、易しいごく当たり前の言葉を使って、自然とあふれ出るように歌っている。こころにしみじみと染みわたる優しい調べの詩だ。
ノルウエーの作家ハイセン「旅の終わりの音楽」。映画の「タイタニック」を見たが、沈没する寸前まで、沈着冷静に演奏を続け、人々を慰め励ました楽団員の姿が印象に残っている。この作品は、フィクションながら、その楽団の団員の物語である。出発する日、1912年4月10日から、沈没する日、4月15日までの 6日間の中に、バンドのメンバーの一人一人の人生が、正確なタイタニックの史実の中に浮き彫りにされるものらしい。 冒頭に語られるのは、バンドのリーダー、ジェイソンの15歳までも生い立ちである。医者の一家に生まれ、天文学に興味を持つ父から望遠鏡を買って貰う。音楽好きな母親は、その出費を認める条件にジェイソンにバイオリンを買い与え、練習することを求める。ジェイソンはそこで、バイオリンを習うのだ。 物語は静かに始まるが、じっくりと書き込まれており、先が楽しみだ。 ところで、15歳のジェイソンは、買った望遠鏡で、父と一緒に金星が太陽面を横切る様を見るのであるが、同じ現象は生きているうちには、二度と見られないと父親に教えられる。なぜなら、120年後にしか巡って来ないからというのである。その120年後が、2004年なのだ。はたして私には、見られるだろうか。 アニー・エルノー「シンプルな情熱」。読みだしたら止められず、最後まで一気に読んでしまった。性愛に熱中している中年の知的女性の独白的なストーリーだが、少なくとも嘘が書かれていない。共感を覚えさせる率直さがある。文体も簡潔で、読みやすい。 |
| (1999/9/15)昨日と今日一日かけて、13日に買った19冊の本の最初の部分に目を通して、いちいちについてコメントを書き、それを最近購入書籍一覧にまとめた。そのついでに、「シンプルな情熱」のように、読み終えたものもある。
それぞれに、とても、面白かった。それは当然だろう。面白いと思って買ってきたばかりの本である。ただ、これをすべて読み終わるとなるといつのことになるやら、見当がつかない。もっとも、全部読もうという気もない。一応目を通しておくと、読みたくなったときに好都合なのだ。どんな本だったかわかるので、迷わずアプローチできる。 |