先日、妻と二人連れで車でふらりと旅へ出た。
一泊か二泊。宿は一切予約していない。
妻は蓼科に行きたいと言ったが、私の腰が、二三日前、ちょっとぎくりと来たこともあり、用心のため近めにしようということで、走り出した ときの魂胆では、関越自動車道路で北上し、花輪インターで降り、奥秩父に出て荒川の源流を探訪し、その夜は、そのあたりの適当なところで宿を取る。翌日は 同じ関越自動車道を引き返し、川越あたりの史跡巡りでもしようかと考えていた。
ところが、秩父へ行ってみたものの、あたりには適当な宿は見つからない。長瀞の名所の近辺は、ちょっとしたスペースも料金500円也の駐車場でがっちりガードされており、一歩も近づけない。付近には急流を除けば、それほど、見るものもない。
しばらく、甲府へ抜ける方角へ進み、時計も12時を回ったので、道路際の食堂で昼食をとった。千円の日替わり定食を注文したが、サザエの壺焼きに、エビや山菜の天ぷらがたっぷりついた、いける定食であった。
飯を食いながら、このあたり、あまり見るところもないし、軽井沢の星野温泉にでも行って、温泉に浸かってのんびりしようかと提案すると、妻は一も二もなくすぐ同意した。
それじゃ、ひとつ、同じ道を引き返して関越道に戻るのも業腹だから、佐久廻りで、行こうということにし、県道44号線から、国道299号 線に乗り入れた。ずいぶんと走った挙げ句、この道が地図の上では先細りするところにさしかかった。むしろ県道のほうが幅が広く舗装されているなどと手持ち のロードマップには、書かれている。
そこで、一歩でも佐久に近いところへ出ようという気もあって、右折して県道45線に入り込んだ。これが失敗だった。本当に行けども行け ども山また山、両脇には、鬱蒼と樹木が茂り、時々、河川が顔を出す。こんな山奥でも、全部一級河川である。道はうねり、上ったと思うと下り、下ったと思う とまた上りになる。それでも一定の間隔で、人家の集落がある。こんなところでも、人が暮らしていけるのか。などと、感心しながら、ハンドルを右に左にせわ しなく切りブレーキを踏んでは離しながらの必死の運転である。くたびれる。となりの妻がうんざりしているのが、よく分かる。相当疲れた様子だ。しかし、今 更引き返すわけにもいかぬ。
悪戦苦闘の末、やっと山を越え、佐久の平地に出てほっとする。樹木に遮られていた視界がさっと広がり、遠方まで見渡せる。
さて、出会った道路を北上し、軽井沢を目指そうかと、大きな交差点で道路標識を見ると、なんと左折すれば、白樺湖40キロという表示が出ているのだ。
当初、妻が行きたいといっていた蓼科が、もう目と鼻のところにあるのだ。こうなれば、軽井沢より蓼科である。少々、私の腰が痛く、長距離運転に
自信がもてなかったので、とりあえず、近めの奥秩父を目指したのだが、山道を右に左にあれほど走っても、腰のほうはまあ大丈夫だったし、自信もついた。こ
の分なら、40キロ程度、大したことはない。白樺湖を目指して大きく、ハンドルを左に切った。141号線である。
次第に天気は崩れてきた。途中、大きなホテル状のものが、丘の上に立っているのが見えた。妻は一刻も早く宿を取りたいというので、引き 返して、泊まれるか確かめると、厚生年金の施設で、満員だった。しょうがないとまた走り出す。少々登り目の道路をしばらく進んだところでは141号線から 更に左へ別れ、白樺湖をめざす道路へ入り込んだ。
時刻は次第に6時に近づいてきた。登りの山道にさしかかり、霧が出てきて、視界がきわめて悪い。こんな悪条件の中で、その夜の宿にありつくことができるだろうか。すこし心配になってきた。
と、その霧の中、右手にホテルの看板がぼんやり見えた。ブレーキを踏み込み、右にハンドルを切った。急ブレーキは踏んだものの、ちょうど
右に曲がったところにあったのは、最初見たのとは、違う名前のホテルの看板だった。ホテルは二軒並んで建っていたのだ。しかし、これまで走った道路の傍ら
にそのホテルの広告用の看板があったので、名前は覚えていた。どちらのホテルでも、かまうことはない。そのまま、構内に乗り入れた。
フロントに行って部屋が空いているかと聞くと、空いているという。ほっと胸をなで下ろした。
部屋に入ると目の前に湖が見える。白樺湖かと、思ったが、後で確かめると女神湖だっ た。昔は赤沼池と称していたらしい。部屋はツインで、スペースもある。色合いも落ち着いている。思ったより簡単に、いい部屋が取れた。夕食は予約すること になっていたので、同じコースの料理を注文した。フランス料理だったが、食材も悪くなく、おいしかった。ワインもいける。そこで、二泊することに決めた。
翌日の午前中は、ホテル仕立ての昼食付きツアーに参加した。総勢16人がマイクロバスに同乗して9時にホテルの玄関口から出発した。女 神湖畔の目抜き通りを抜け、白樺湖を半周し、ビーナスラインに入った。眼下に白樺湖、その右奥に蓼科山。そのさらに右手に八つが岳連峰が少し雲を被って連 なっている。チロル地方と建物の造りが同じということで、姉妹提携をしている、チロル別荘地帯や、切れ込みの深い緑の谷を見ながら、車は、いよいよ、車山 高原にさしかかった。途中、富士見台という展望所もあったが、富士は雲に隠れて見えなかった。
車山高原にはニッコウキスゲが今を盛りと咲き誇っていた。穏やかな丘のスロープを明るいオレンジ色に染め尽くしている。じつに見事で、見飽きなかった。
昨年よりも咲きがいいという。この花は一日花で、夜には萎んでしまい、翌日はまた別の花が咲くのだそうだ。たしかに同じ茎につぼみがたくさん付いている。
ニッコウキスゲの他にも色んな花が咲いている。決まって、蜂や蝶が蜜を吸っている。
もと来た道を引き返して、夢の平へ向かう坂を登り、そこから、女神湖を一望した。泊まったホテルも眼下に見える。右手の遠めには、今通ってきた白樺湖や車山高原が見える。
そこから、少し下って、ホテルの先にある牧場を見に行った。乳牛の数、200頭で、本州で一番広い牧場という。柵の中にも、また遠くの放 牧地にも、白黒のホルスタイン種らしい乳牛が、一塊りになって餌を食っている。柵の中には数頭の馬も飼われていた。今年生まれたばかりの子馬もいる。
牧場を出てホテルに引き返した。その道路は少し上がってそこから、ホテルの方へ下がっていたが、その辺りが分水嶺なのだそうだ。牧場側 の雨は、日本海に、ホテル側の雨は太平洋にそそぎ込むと言うのだ。ぴったり、12時にホテル着。面白い案内をしてくれた運転手に感謝して下車。
さて、貰った昼食券を持って、レストランに行った。ツアーも含めて、2000円の料金のことだ。軽いスパゲッティか、ハンバーグの類で も出てくるものと想像していたのだが、なんとこれが、スープから始まり、メインには、ハーブの効いた本格的なすずきの料理と野菜サラダ、終わると、オレン ジのシャーベットを中心に据えたおいしいソースのデザート、それにコーヒーまで付いた、実に中身の濃いコース料理が運ばれて来たのだ。バブルが弾けたとは 言え、この中身には、驚かされるではないか。
昼食後は、部屋でたっぷり休んで、4時頃から、近くの女神湖周辺の遊歩道を歩いた。湿地帯があり、そこが植物園に
なっていた。板で作った道の上を行くと、様々な高山植物が花を咲かせており、昨年、奥志賀で見たのと同じ花もあって、さて、名前はなんて言ったっけと、妻
と二人して頭をひねるのだが、なかなか出てこない。持参した、デジタルビデオとデジタルカメラで、記録にだけは止めた。女神湖の目抜き通りを一周して、洒落た店やデコレーション用の花々を愉しんで、また、女神湖に戻り残りの半周をゆっくり歩いた。
水面すれすれに、ツバメらしい鳥が、何羽も、飛び回っている。ただ、しっぽが燕尾服のように二つに分かれていない。石たたきが数羽、波を打つような飛び方をしながら、時折、岸に降りて羽を休める。
女神湖は、今年は、調査の年と言うことで、釣り禁止の立て札があちこちに建てられている。しかし、一人だけ釣りをしているけしからぬ人がいた。
その辺りには、水面から水没した白樺の枯れた幹が、何本も出ていて、眺めがいい。先ほどツアーの時、運転手が、白樺湖には、こんな風景はない。写真では枯れた白樺が、いかにもあるように、見せかけているが、あれは、偽りである、と説明していた。
湖畔に立て札があり、見ると半分ちぎれて、残った部分には、「当湖での事故の責任は一際い(ママ)負いません 立科町」となっている。
立て札
ホテルのすぐ近くまで戻って来たら、岸近くの水草の中に、カルガモの親子が、休んでいる。親鴨一匹にソフトボールのボール大の子鴨が 10っ匹もいる。しばらく見ていたら、泳ぎだした。三角波を切りながら滑るように泳ぐ。親鴨は、すぐ対岸の島に上がって水草の間に姿を消した。子鴨は、勝 手に泳ぎ続けたり、親に付いて岸に上がったり、銘々バラバラだ。最後には、一匹を除き、全員親のところに上がって行った。草むらに、ほんの少し入るだけ で、まったく目立たなくなってしまう。鴨の色は見事な保護色なのだ。と、暮れなずむ湖の中ほどを、泳ぐ、親鴨と数羽の子鴨がいる。さっきのとは別の親子な のだろうか。確かめようがない。
その夜の料理も、ワインも素敵だった。ワインは、Haut-Medocのブルジョア級の赤。オードブルは、イカのマリーネ。シェフが テーブルに回ってきたので、どの料理もおいしい、昨日とは全く違う料理だが、どのくらいのタームで繰り返しているのかと、確かめると、365日お泊まりな ら、365通りの料理を供しますという。お客のカードがあるので、同じものは決して出さないというのだ。
スープは、赤みを帯びており、アカザワエビのスープだというので、川エビかと聞くと、とんでもないと言わんばかりに、いえ、相模湾から 生のまま取り寄せた、海エビですと力を込めた。エビの殻を擦り込んで、エビらしい味がほどよくしており、シェフが自慢したくなるのも、なるほどと思った。
メインの骨付きラムの料理もハーブがよく効いて、柔らかく、これまで食べた中でも最高にうまいラム料理と思ったほどだ。デザートは、シロップに漬けたピーチ。最後はレモンティーで締めくくった。
さて、三日目、 最後の日でもあり。ゆっくり起きた。10過ぎにチェックアウト。女神湖目抜き通りの店で、モーニングセットを食べた。ホテルの高いバイキング方式の朝食より、こちらが実質的だ。
その店は、色とりどりの草花で飾られた、素敵な店だったが、そこのオーナー夫婦は、そのイメージとはかなりかけ離れていた。農民風で、飾 らぬ人たちで、明るい大きな声で話す。折から雨が強くなり、雨が話題になった。このところ、雨ばかりで野菜が育たない。それで高いという。メニューには山 菜付きとなっていたが、山菜とは山でとれた野菜の意味らしく、レタスやトマトのサラダだった。「それじゃ、こんなサラダを出すのも大変ですね」というと、 「そうなのよ、都会の人はそれを期待して来るし、主人が昨日大根を引き抜いたら先の方が黒くなっていたのよ。雨水が溜まって腐ったらしいの」
近くの店のオーナーらしいおじさんがライトバンを店の真ん前に停めて、降りてきた。われわれはわざわざ同迂路向こうの駐車場に停めて来たのに。
そのおじさんは、ひとしきり大きな声で世間話をして、出ていった。入れ替わるように、白いレインウエアを着た親子三人連れが入ってきた。
地元の親戚らしい。せっかく高い高速道路料金を払って、ビーナスラインに入って、ニッコウキスゲを見に行ったのだが、雨と霧で何にも見えない。580円損
した。これも、大きな声で話している。主人の方が、ちょっと近くに挨拶してくると出ようとすると小学12年生らしい女の子が一緒に行くとお父さんの手を
そっと握る。ふたり連れで出ようとする後ろから、眼鏡の奥さんが
「お父さん、帽子を被っていかんと、雨に濡れて、ますます禿げるよ」と帽子を持って後を追う。
「そうそう、雨のなかにはダイオキシンも入っているかもしれないし。奥さんも、旦那さんの髪の心配まで大変ですね。」
わたしが脇から口を挟むと、
「後ろの方が薄くなりかけているから、大変なんですよ。あなたは、髪がたっぷりあってうらやましい。」
「髪ばかりは、遺伝子次第のようですね」
「それでも、せいぜい大切にしないと」
腹ごしらえもできた。いよいよ、最後の目的地、柏木博物館への向かう。
妻は、蓼科には、是非行きたいところがあるといい、ホテルに着いたら早速、フロントで確かめていた。なにかと思ったら、化石の博物館だと いう。ラジオのインタビューで、この博物館を個人の力で開設した柏木さんという人の話を聞いて、興味を持ったのだという。わたしも生物にはもともと関心が あるし、化石が嫌いな方でもない。エッセイにも「バージェス化石動物」というのを書いているが、これは、カンブリア紀の化石を巡る、生物進化に関わる一大新発見の物語をグールド著「ワンダフル・ライフ」に触発されて書いたエッセイだ。実際に多摩センターで開催されたその時代の化石の展示会を見にのこのこ出かけもしたのだ。
柏木博物館は、ホテルから30分、茅野寄りということもあり、最後の日にそこに寄って帰ることにしていたのだ。
ホテルのフロントで教えて貰った地図の書き込みを頼りに、車を走らせる。緑の樹木の続く道で、両脇には、学校や企業の保養所が至る所にある。
確かに30分ほどかかった。瀟洒な建物
柏木博物館
である。玄関を入ると正面に大小の珪石木が展示されている。木目に当たるところの模様が美しい。右手に受付があり、その奥が展示場で、左手は売店になっており、化石や鉱物関係の土産物が並べられている。
展示場には、びっしり鉱物と化石とが詰まっていた。いずれも、地球が長い歳月をかけて生み出したものであるが、実に様々な形状色合いをし ており、見るたびに、うならされる。こんな色、こんな形、とため息が出るのだ。展示品には、的確な説明が、多すぎない程度に付け加えられているので、わか りやすい。よく、これだけのものを、個人の力で集めたものだ。
鉱物の種類も多いし、大小さまざま、色も様々。化石は3億数千万年前の、三葉虫、アンモナイトなどの貝類から数千年前の哺乳類や節足動物の類まで、これも、なかなか見応えがある。
ドイツの三大化石産地といわれる産地からの化石も展示されている。ある地域は、硬い頁岩地帯で頁岩からレリーフ状に彫り起こされた魚竜や 爬虫類など見事な仕上がりだ。どれだけ多くの歳月と人手がかかったことだろう。石版印刷用の石版を算出する地域のは、せべすべした石版の中に、エビんだど の化石があるし、もうひとつの産地では、プラスティックで固めなければ、化石がぼろぼろになるというのだ。三大産地がそれぞれに個性を持っているのが面白 い。
売店で自ら、売り子をしておられた、柏木さん本人にお話を伺う機会があった。
化石の標本は、とにかく、場所は食うし、全部展示できないので、まだ倉庫の中にたくさん保管してあるのだそうである。アメリカにいるとき
には、知人にも預かって貰ったそうだ。とにかく、化石は重く、壊れやすいので、運搬に金がかかるとのこと。スバル天文台にレンズを運び込んだ日本交通の人
を知っている話をしたら、自分はスバル天文台の台長も知っているし、レンズほどではないが、日本交通を大変稼がせている。あの、と玄関正面の格子の上に展
示されている、珪石木を指し、あそこにあれを展示するだけで、半日かかりました、というのである。しかも、壊れやすいので、後ろから鋼鉄でがしっと止める
などの措置をとっているというのだ。
そのすぐしたの床の上に、直径20センチ、長さ30センチほどの、珪石木が展示してあった。「奥さん、ちょっとそれを抱えてみてください」
妻が腰を落としてよっこらしょと持ち上げようとするが、びくりともしない。趣味が高じてこうした博物館を開くようになりましたということだが、なかなか、普通の人にできることではない。
最後に
「是非、上野の国立科学博物館に行って、化石のコーナーを見てください。」
「それは、お粗末ということですか」
「まあ、そういうことです。内容もお粗末で、説明が古い。金をかけていない。予算がないということだ。諸外国の同種施設は、金をかけ、最近の情報を盛り込んだ説明がされているのに」
いろんな意味で、欧米諸国に比べ、日本はまだまだ、及ばないところがある。でも柏木さんみたいな立派な人が出てくると希望も湧く。せめてこういう方には、税制上の恩典が及ぶようにして、この種の施設が長く維持できるようにしてもらいたいものだ。
まあ、今回の旅のハイライトも書き尽くしたから、ここらでひとまず、筆を置くことにしよう。腰も痛くならぬうちに、走行距離460キロの小さな旅を終え、家にたどり着いたのは午後6時過ぎだった。