日頃折にふれて書き留めた覚書を、サムセット・モームの「作家の手帳」のひそみに習い、この部屋に、アットランダムに、掲載してゆきます。ご愛読いただければ幸いです。
か行
『カメラ』|眼力|希望的観測の男|鎖を垂らして歩いている女の子|訓読|芸術には形式がつきもの|『ゲーテとの対話』|ゲバントハウス弦楽四重奏団
さ行
幸せな男|成熟した女性|戦後わたしが食べたことのある食べ物|
た行
な行
長生きの作家とその作品|日本抜きで-金があるだけでは歓迎されない
や行
ら行
『ラ・アルカリアへの旅』 |ルールを無視しても頑張る企業体質
わ行
一番不幸な男
つまんない女であるくせして自分のことをとてもすてきな女と思っている女をとてもつまんない女であると思いつつもそれ以外の女には相手にされないのでやむなく連れ歩いている男
(1970)
希望的観測の男
つまんない女であるくせして自分のことをとてもすてきな女と思っている女を自分でもつまんない女と思っているがだれかとてもすてきな女と思ってくれるかもしれないと思いつつ連れ歩いている男(1970)
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長生きの作家とその作品
作家が長生きすると、一世代昔に発表した作品であっても、なんとなく生きの良い現代文学のような錯覚に陥ることがある。たとえば、モームの『人間の絆』などは、作家の手帳のなかでモームがあれは30年前に出したものだと1944年のノートのなかで述べているのだから、もかれこれ55年も前の作品になるのだが(人間の絆は1912年に書き始められ1915年発表された)モームがつい最近まで生きていた(1965年12月16日没)せいもあって、だれしももっと新しい作品と思い込んでいる。『人間の絆』の場合、明治大正期の近代日本文学が注釈付きで出版されるなかにあって、つねに現代語に翻訳されて提供される洋書の強みももちろんあるのであろうが、夏目漱石の『こころ』などと同じ年代の作品と知って驚く人は多いはずである。(1970/1/26)
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成熟した女性
日本の女性には成熟した感じを与える女性が極めて少ない。それでも、容貌や化粧、身のこなしなでが成熟した感じを与える女性はいるにはいるが、精神的に成熟した感じを与える女性となるとほとんど見当たらない。
一個の確立した人格というものに到達するには、まだまだ日本の女性はかかりそうである(ルソーの書物などを読むとすでに18世紀においてすら、フランスには男性と対等に渡り合う女性がいたことがわかる)。
日本の封建制度および近代絶対主義時代の風潮がかかる女性の停滞を招来せしめたものか。(1970/1/26)
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芸術には形式がつきもの
音楽や絵画などは形式に規定されている。およそ芸術といわれるものは、一定の形式内で収まっている限りにおいて一つのジャンルを形成しうるのであって、形式を完全に破壊してしまうと、それは新たな芸術の誕生か、非芸術的なものの登場である。短歌が5,7,5,7,7の31字の形式を完全に離れてしまえば短歌でなくなるように。しかし、単に5,7,5,7,7の31字の形式に合致していさえすれば、すべて短歌といいうるか疑問である。その意味では、芸術は形式はともかくその内容によっても、大きく規定されているといえよう。(1969/11/11)
日本抜きで-金があるだけでは歓迎されない
『円への警告』のなかで指摘するようにバブル経済の崩壊後、欧米の絵画のオークションの場から日本勢が退いたことに対し、オークション主催者側では、上客を逃がしたという感覚よりも、ルール撹乱者がいなくなって、清々したという感覚のほうが強い。日本がルールを守る節度ある態度をとれる国として行動しないならば、絵画オークションの場にとどまらず、国際市場そのものが、まったく同じ感覚をもちかねないのではないか。(1992/7/8)
企業がルールを破らなければ存在(存続)できないのであれば、存続をギブアップするのが普通だろう。ところが、日本企業は「社員の首を切らない」という美名のもとに、ルールを破ったり無視したりしても、とにかく頑張ろうとする。その意味で、歯止めがきわめてかかりにくい体質を持っている。これが、個人ベースでのカローシにもつながっている。その背後に法や人権を無視ないし軽視する思想(思想というに値しない考え方、あるいは思考の欠落)がある。(1992/7)
訓読
末木文美土の『日本仏教史』によれば、日本の仏教の導入は、漢訳された経典をそのまま訓読する形で行われた。そのため、中国人が、原点から中国語へ翻訳するために、長期間にわたって試行錯誤を繰り返したプロセスをまったく省くことになった。このことが、日本人が仏教をその文化の中に取り入れるうえで、真の理解抜きの、表層的なものにとどまらせる要因となった。自国の言語の文脈の中に完全に置き換えられないかぎり、真に身についたものにはなりえない。(1993/5/24)
ゲバントハウス弦楽四重奏団
いかにもオーソドックスな演奏でしみじみと胸に響いてくる美しい音色、年季のはいったアンサンブル。室内楽の良さを久しぶりにたっぷり味わった。K・ズスケは、ポーランド時代にずいぶんとレコードを買ったことがある。今回は第一バイオリンを父親K・ズスケが弾き、第二バイオリンを息子が弾いた。顔つき、体つきがそっくりで、息子のほうがやや大柄で精力盛んな感じ。父親のほうがちょっとしぼんだ感じ。両人とも眼鏡をかけ、頭がはげている。そのはげ方まで相似形。息子のほうがほんの少し髪が多い程度で、親子の年齢差はない。息子はちょびひげをはやしている。(1993/1/12)
観劇『花咲くチェリー』
(地人会公演;紀伊国屋ホール)
北村和夫の熱演で身応えがあった。ロンドンの保険代理店のしがない平社員とその家族を中心として、その居間だけの単純な舞台設定の中で、夢を抱きながら、現実生活に妥協して生き、それも中途半端にならざるをえず、家族には背かれ、挫折していく中年の男のあわれな姿が浮き彫りにされる。親と子、夫と妻とのコミュニケーションの難しさが、うまく劇化されていて、リアリティがある。
観る者には、主人公の生き方、けっして世渡り上手ではなく、すぐぶつかってしまう性格に、もどかしさを感じるものの、決して憎めない人間性を見て感情移入するのである。妻役の川口敦子も淡々とした役づくりで、北村の熱演を巧みに支えている。(1997/2/5)
1997/12/26indexへ戻る
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エッカーマン『ゲーテとの対話』
エッカーマンの『ゲーテとの対話』(山下肇訳 岩波文庫。訳者の山下先生から恵贈されたもの)は、ゲーテが若いエッカーマンに知的生産、創作活動のノーハウをかみ砕いて教示する趣があり、私にとっても非常に有益である。最初は「大物をめざさず、まず身近のとりつきやすいものから始めよ」というアドバイスや、いったんモチーフを決めたら、「骨惜しみをしないで、とことんまで研究してから、それを描け」といったサゼスチョンに溢れており、実作者としてのゲーテを身近な人に感じることができる。さすがと思わせる洞察や暮らしぶりに接することができ、この本は実に楽しく読むことができる。(1993/6/2)
光
光りというものがあり、色彩がわれわれを取り巻いているが、われわれが自分自身の眼中に光と色彩を所有しているのでなければ、外界にある光と色彩も、認めることはないだろうね。
エッカーマン『ゲーテとの対話』山下肇訳 岩波文庫p.123
船乗り
徐々にではあるが、彼(アレム)は、船乗りにとって一番大切な美徳は忍耐と健全なユーモアであり、それに、知性と辛抱の次には体力がものをいうことを理解しだした。
『信じられない航海』p.80(1993/12/4)
1997/12/26indexへ戻る
(1998/3/19)
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『悪童日記』|『アメリカン・タイム』|『イギリスはおいしい』|『カメラ』|『ラ・アルカリアへの旅』
『悪童日記』クリストフ・アゴダ著 堀茂樹訳 早川書店 1991 第1刷
簡潔な文体、意表をつく展開。一気に読了。”常識”をあざ笑うかのような人物の設定(双子の男の子とそのおばあちゃん)。一見、悪と見える彼等の行動の中に強い人間性の発露がある。置かれている立場の苦しさ、それを真正面から受け入れ、一歩も退かず、乗り切って行く精神力。感傷とは一切無縁な双子。感傷に浸ることを許さない状況。
戦場となった東欧の小国の悲惨が浮かび上がる。
双子とおばあちゃんとの関係は、人間同士のコミュニケーションというものの奥の深さを示している。
戦争というもの、人間というものを考えさせる力がこめられた書。(1991/9/3)
(1991/12/25付記:朝日新聞書評欄の評者の一人が、今年のベストスリーの一冊として、同じ著者の『ふたりの証拠』ともども、選んでいる(1992/12/22朝刊))
『ラ・アルカリアへの旅』カミロ・ホセ・セラ著 有本紀明訳 講談社 1991 第1刷
ゆっくりと歩いて旅をする。こういう旅をすれば、その土地がそのまま見える。人も、家畜も、景色も、土ぼこりも、匂いも。
東京の対極のようなのどかな時間の流れる1946年のスペインの片田舎。人々の日々の営みが、ゆったりとした文章の中に的確に捉えられていて、読む者の心をさわやかにする。心が和む。
--そして野は、深い、鼻につんとくる、微かな、ほとんど刺すような臭いがする。(p.84)
--老人は何か育むような匂いがする、眠りにつくのに具合の良い、生暖かい、まろやかな匂いだ。(p.86)(1991/9/4)
人間に関する深い関心、愛情がボブ・グリーンにはある。様々な人々、様々な生き方へいつも積極的にアプローチして、あざやかな語り口で、笑わせ、微笑ませ、しんみりとさせ、涙ぐませる。話題がよく尽きないなと思うほど、毎回、興味ある人物を紹介する。23才のときから、コラムを担当して、50に近い今日までずうっと続けてきたというから、驚く。(1991/12/25)
『イギリスはおいしい』林望著 平凡社 1991/3第1刷1992/2第11刷
心の豊かさを感じさせる筆者の才筆に一気に最後まで読まされてしまった。
なかなかの「味わい」だ。言うべきことは言うシャキッとした文章の切れ味がいい。酒飲みや俗物的な女に対するタンカ(p.166、p.248)の小気味良さ。良いものを良いと言える見識、人間へのあたたかなまなざしがある。次作(『イギリスは素敵だ』)への期待を膨らませる力を感じた。(1992/2/20)
(1992/3/21付記:『イギリスは素敵だ』も一気に読了。著者の「運」の良さと、強運を引き寄せる生き方、考え方にも感心した。この本には、したたかな人物との交流の愉しさが溢れている。)
別に対したことでもない些事をたんたんと語るなかに、深い洞察をさりげなくちりばめた文章に、読み始めたが最後、知らず知らずのうちに最後のページまでつき合わさせられてしまう。不思議な魅力に満ちた本だ。
(1998/3/19掲載)
張り切りすぎるな
知的生産は長期戦だ。一挙に目的地に着こう全速力で飛ばして見ても、すぐ息が切れてしまう。短期間に成果を出そうとして、あまり張り切り過ぎると長続きしない。結局、長年にわたり、ゆっくりでも歩き続ける人にはかなわないことになる。張り切り過ぎると無理な計画を作りがちだが、これこそ禁物。
(91/12/24)
根気
知的生産の成果を生み出すのはなによりも根気。蓄積があってはじめて知的生産が可能となる。
「愉しみ」の要素を加えよ
長続きするためには、自分自身にとって愉しいものでなければならない。テーマの選定に当たって自分が真に関心を持つものに絞るべきだろう。いやいやながらでは、結局長続きしない。
(1991/12/24)
他人は他人と割り切るべし
出世第一主義の人もいれば、遊び専一の人もいる。知的生産は報われることが少なく、苦しきことのみ多い選択である。しかし、コツコツやれば成果も生まれる。出世して肩書きを手に入れても、そのこと自体があなたを満たすことはない。
(1991/12/24)
テーマは数多く
テーマは数多く用意し飽きたら別のテーマに切り替えよ。
飽きたのに無理をすれば、本当に飽きてしまう。テーマをあれこれ用意しておけば、取り替えることによって、新しい愉しみを見い出すことができる。しかし、いずれにしても、うんざりしているときは休め。無理して続けようとする必要はない。休めば新たな意欲が芽生えてくる。
(1991/12/24)
読むときはいつもメモの用意を
記憶はかげろうよりも早く消え去る。頭脳の記憶容量には限界があり、余計なものを詰め込むと新しいものが入らなくなる。考えるためのスペースが足りなくなる。
チェスの専門家といえどもデタラメのチェスボードを覚えるには素人と同じ時間がかかるという。(参照:加護野『企業のパラダイム改革』)
(1989/4/6)
メモ用の用具は扱やすいものを
�@書き込みやすいこと�A携帯性がいいこと�B散逸しにくいもの�C後で整理しやすいもの�C後で読みやすい用紙とペンを
せっかくメモをとってもそれがなくなりやすいものであったり、後で整理しにくいものであっては困る。また、常時手元におけ、すぐに引っぱり出せるものでなければならず、書き込みやすいものでなければならない。後で消えたり、読みずらいものでも困る。
(1989/4/6)
絶えずめくれ
情報・アイデアは死蔵しては役にたたない。絶えず、めくって頭に刺激を与え、新たなアイデアを喚起し、また早速メモを取れ。
(1992/1/8)
用具を切らすな
メモ用紙、筆記用具、パソコン、携帯端末を絶えず、身の周りに置き、切らすな、けちるな。アイデアの起きそうなところにはメモ用紙をあらかじめ置いておけ(枕元、トイレ、居間など)。
(1992/1/8)
文章の三つのゴール
simplicity:明確さ
unity or clarity:論理的明晰性
humanity:自分の視点が確立した生き生きとしたスタイル
William Zinsser『On Writing Well』より
(1993/2/1)