筆者、20歳、大学一〜二年生当時の日記の連載を始めます(2002年7月26日)
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年月日 曜日 日記本文
1960.5.13 Friday 1960.5.13

◆五月二十二日長姉弘子結婚於いて霊丘神社

◆長姉弘子の結婚について今日突然の知らせを受けた。式が本月二十二日というから、話は相当前からあったものと思われるが、私にとっては、全く寝耳に水であった。ずいぶん、押し迫ってからの知らせというべきか、本決まりがこんなに遅かったのか。
 とにかく、我が家にとっては最初の経験である。我々姉弟が結婚という新しい次元に接触できるほどに成長してきたのである。
 二十五歳は女性にとっていくぶん遅めだと言えるだろう。私とてが、普通一般 人の抱くような心配もし姉にあまり婚期を遅らせないようにと、今年の正月も冗談めかしに言ったのであるから、彼女が真に信頼できる配偶者を見つけて結婚にゴールインしたというのなら、本当に心からおめでとうを言いたい。これで安心しましたと言いたい。
 相手、植木一好氏は、長崎浪平小学校の教員だと言う。田舎では教員という職はかなり安定した、むしろ良職と言って良いであろうから、彼女としても、あまり、不服はないかも知れない。
 田舎と言うところはとにかく、結婚するには、相手がひどく制約されている。数の上でも、家柄というか、そういった点でも、それに大学も出、給料もいいような人となるとますます制約は強くなる。従って、結婚しにくい、相手が選びにくい、と言うことは言いうるであろう。
 とにかく私にも義兄ができた。二人の行き先に幸あれと祈るや切である。
1960.5.20 Friday 1960.5.20

午前〇時五分、衆議院本会議の開会が宣せられ、再び休会に入る旨の閉会が宣せられたのが午前〇時十八分であった。だが、そのわずか十数分の間に、新安保条約が承認されていたのである。
 十九日の午後十一時二十分からNHKは、衆議院から実況放送を開始した。その息詰まるような雰囲気が、アナウンサーの言葉の中にも、マイクを通 して聞こえてくる騒音からも、うかがい知ることが出来た。
 時間は刻々と過ぎて、座り込みを続けている残り十五人位の社会党議員と、十九日の残り時間十五分とが、激しくつばぜり合いをしていた。議員一人に一分かかるとして、議長の本会議場入場は今日(十九日)中には無理かも知れない、とアナウンサーが実況する。だが騒音の渦がマイクを囲み込んだ時は、自民党議員に守られた清瀬議長が〇時十五分前に議長席についた時であった。会期延長は宣せられ〇時五分から本会議開会の宣告が、自民党議員の万歳のどよめきの中に行われた。
 〇時五分、社会、民社両党議員欠席のまま安保新条約は、上程され、まさしく承認されたのであった。
 議長のうわずった声。
 自民党議員の歓声と拍手。
 まさしく騒然たる中に新安保条約は承認されてしまったのである。
 議会の神聖の片鱗さえそこにあったであろうか。国民の切々たる請願に対する、少しの顧慮でもそこにあったであろうか。我々が、二年もの間、反対を叫び、批准阻止を掲げて闘ってきた当の新条約は、あまりにも、あっけなく、あまりに、安易に、承認の焼き印を受けてしまっていたのである。
 わたしは、唖然とした。議長のうわずった声を実際に耳にしながら、容易に信じられなかった。これが国会が我々国民の前で何ら恥じることなくなし得ることであろうか。新安保の重要性を思えば、こんな汚いやり方で、こんな無理なやり方で、こんな理性の欠けたやり方で、”よって、新安全保障条約は承認されました”と、片付けられうるものであろうか。
 国民が等しくこの実況を耳にすべきであった。今や、国民一人一人が、多数党の横暴に対して、政府の品位 のないやり方に対して、激しい怒りの念を禁じ得ないに違いない。安保の賛成、反対を越えて、さらに問題にされるべき問題を我々ははっきりとつかみうるに違いない。
 国民の一人一人の意志が、はっきりと反映されてこそ、真に民主主義的な国会と言いうるのだ。国会議員はあらゆる行動を含めて国民の意志の反映者でなければならない。はたして、国民の誰が、二十日未明国会で演じられた醜い悲劇の真の支持者として、国会議員の後押しを辞さなかったであろうか。
 国会はまさしく民主主義的な政治が行われることを悲願する九千万国民のための、話し合いの場以外のものであってはならない。
 国会議員には、国民の最大多数の最大幸福のための献身を意識の外に置いた行動を瞬時たりともとってもらいたくない。
 付和雷同の一票と成り下がって、万歳とヤジにのみに意識のすべてを占められてしまった議員があまりに多過ぎはしないか。
 岸政府は責任を取って退陣すべき時が、まさしくやって来たように思われる。
(午後10:50)
1960.5.30 Monday 1960.5.30

銀座ガスホールにステレオ・コンサートを聞きに行く。曲目は次の通り。
1.ファリア:ハープシコード協奏曲
2.シューベルト:交響曲第八番ロ短調「未完成」
3.チャイコフスキー:舞踊曲「白鳥の湖」全曲より、円舞曲
4.ベートーベン:ピアノ協奏曲第五番「皇帝」
5.ヴェルディ:歌劇「アイーダ」全曲より、第二幕第二場「凱旋の歌」

 機会があれば行ってみるものである。良かった。2と4は特に好きになった。
1960.5.30 Monday 1960.5.30

昨日のことである。我が伊沢弘志の言や、「もう子供でなくなった」
どおりでこの頃、背広を買ったり、ネクタイを締めたり、お出かけが多すぎると思っていた。
 いつかは人間は子供でなくなる。その時期に早い遅いはある。おそらく意志によって、その遅早は左右されるものであろう。誰もが無常見に子供でなくなるとすれば、年齢的にはぐっと早くなることだろう。大人になるということは単なる肉体的一経験ですまされる問題ではない。少なくとも、その一つの事実の中に我々自身の物の考え方とか、人生に対する態度とか、夢とか、道徳意識、倫理観とか、色々な要素が含まれていなければならない。愛情も何もない女性によって、子供から大人になるのは嫌だという考え方も成り立つだろうし、初夜までは純潔でいたいという夢も結構だと思う。
 伊沢君、君が真に彼女を愛しているのなら君の成人にオメデトウを送ろう。
1960.6.3 Friday 1960.6.3

 今日はデモに参加いたしました。午後からの授業を放棄して、東大教養の第一陣として参加したのであります。午後からの授業と申しましても、今日は午後からしか授業はなかったのですから、全授業放棄ということになります。とにかく、午後十二時半頃から、今さっき寮に帰ってきた午前十二時を少し過ぎた時刻まで、私はデモ隊の一員として闘ってきたのであります。この全身の疲れはまさしくそのせいに他なりません。
 私は今日感激して二度まで涙もろくなった。私達が有楽町界隈をジグザグデモの渦の中に巻き込んでしまった時、私達の期待しない、拍手がわき起こったのであった。たいした拍手ではなかったかも知れぬ 。だけど、私には嬉しかった。国民的支持、これこそが私達が常に求めて止まないもの、私達のあらゆるデモの総反映として得られねばならぬ もの、に他ならない。私は近頃、チボー家の人々の巻三の中頃から四・五と読みかけている。確かにこの優れた作品の影響も、私に涙もろくさせたかも知れない。
 次いで国鉄労組本部の前でジグザグデモを行った。有楽町の時も、この時も、常に私は先頭グループで、先頭から第三列目にいた。
 その場の光景の何と涙ぐましかったことであろう。労働者と学生の交感と言ったようなことを私は感じたのであった。私達は、彼らを大声で、手を振って、盛んにジグザグにデモって、励ました。彼らは建物の入り口を開き、建物の二階から三階から、手を振って応えた。我々の目的は一つ。今や、市民が労働者が、学生が、一つの目的に向かって、進み得る状勢が、熟していくかの如くである。
 明日のゼネストこそ、まさしく天下分け目の一戦となることであろう。失敗はもはや今日の時点に立ち戻ることを意味しない。
 決定的な後退、決定的な敗北へつながる坂道を容易に作り出してしまうことだろう。是非とも、明日のゼネストを成功させなくては。
 
1960.6.7 Tuesday 1960.6.7

彼は、腰を下ろしていた。一枚のアジビラを敷いた上。アジビラの下は固いコンクリートの車道。彼の周りは、彼と同じように、新聞紙やアジビラの上に腰を下ろした学生たちでびっしりと埋まっていて、もう二時間も前から、サービスカーの上から激しい口調の演説が続けられていた。ひっきりなしに爆音をたてて上空を旋回する報道用のヘリコプターに演説は何度か彼らの耳には中断された。だが、マイクロホンに怒鳴り込んでいる演説者の口元の激しい動きは、途切れることがなかった。たとえヘリコプターの爆音にかき消されなくとも、もうさっきから、その演説の大半は、座り込んだ学生たちの頭の上を素通 りしているらしかった。
 夏に近い五月の空は珍しく晴れ渡って、見上げると、キラキラとまるでガラスの粒子のように目に痛かった。彼は顔中、じっとりと脂汗を浮かべて、ひどくいらいらしていた。背中を射る太陽の暑さと、上空の爆音と、音響効果 の不安定なスピーカーの絶叫と、長く座っていたための腰の重い痛さとが、彼自身の精神的な安定をほとんど不可能にしていた。自分自身の置かれた状態の不安定さ、社会的にも、その瞬間におけるその環境内でも、その一種異様な雰囲気、座り心地の悪さにも、ほとんど徹底的に彼の心の何か落ち着かぬ 、一種の爆発前の状態が帰因しているのであった。
 最後にマイクロホンの前に立ったのは、このデモの最高責任者であった。そのことが、すでに疲れ切っていた学生たちの関心を引いた。彼らは考えていた。一体どうなるんだ。彼らの前には一切の状勢の展開を考え得る資料がなかった。このまま座り込み続けた上で解散してしまうのだろうか。今日の彼らの行動をいかに解釈したらいいのだろう。
 一瞬の緊張が、演説者の口元に集結した。
「諸君!目を上げたまえ。そして前方を注視したまえ。そこに何があるか。
諸君、諸君は今更何をなすべきかと躊躇するのか。今こそ我らのあらゆるエネルギーをこの弾圧に対して集中的に爆発させなければならない。
さあ諸君!進め!進め!
この弾圧を突破して初めて、我らの安保粉砕の成功は得られるであろう」
道路一杯に座り込んでいた学生たちが、一斉に腰を上げた。色とりどりのプラカードが「安保批准阻止」を「岸内閣総辞職」を「国会解散」を叫びだした。シュプレッヒ・コールが、街路樹の風のざわめきをまるで自分の起こした振動の如く、波を打って轟き渡った。スクラムの列が、”反動内閣の回し者”に向かって、整然と組み直された。
 彼はまだ半信半疑だった。本当にこの大集団が、あの反動内閣の弾圧に対して、実力的な行動に出るつもりであろうか。しかも事態は着々とその方向に向かって整えられつつある。
”待ってくれ、こんなつもりではなかった”
と彼は叫びたかった。しかし、何で今更、このしっかりと組んだスクラムを離れて、自分独り、傍観者の立場に立つ勇気が彼にはなかった。
 だが、面白い現象が起こった。彼らの学校の自治会の常任委員が回ってきては、我々の学校は、・・・
1960.6.7 Tuesday 1960.6.7

読書のない日々というものが、大学生たる私にあまりにも長く続いているのではないか。大学生が読書を忘れて、一体どこに、その基本的条件を求めたらいいのか。
 なるほど近頃は、「チボー家の人々」を読んではいる。だけど何と間の抜けた読み方をしているのか。人生は短い、書物は多い。そして他人が読むべしと言う世界の古典と私はなんと、完全たる処女林として保存することに、時間を注ぎすぎたことであろうか。
1960.6.8 Wednesday 1960.6.8
◆バイト収入5000円。
◆映画”勝手にしやがれ””今晩お暇?”

◆映画に行く。”勝手にしやがれ”と”今晩お暇?”共に仏映画。
 前者は、ヌーベルヴァーグ的作品。流動感に富んだ演出は見事で、キビキビしたセリフのやりとり、一切の自然音を除外して、モダンジャズ風の音楽や、ややクラシックじみた音楽などで場面 の背景的役割をする。全く勝手にしやがれ的映画。
 私自身がこの映画をはっきりと理解できなかったように、映画の主人公自身も、ほとんど何ものも理解していないし、理解しようとしない。”最低だ”というヒーローの臨終の言葉も、ヒロインにはわからない。普通 一般の倫理的世界と全く別の倫理的世界に生きている一個の男の短いある”奇妙な女の子”との交渉と、彼の死による、その破滅を描く。
 なんだか我々自身に返ってくる笑いを多分に含んだ、観終わった後、一種の不思議な空白感を感じる映画である。すっぽかされたような、肩すかしを食ったような、そして少々我々の共感を呼ぶ、現代的な行動性といったもの、がある。
1960.6.13 Monday 1960.6.13 晴れ

 先週の木曜日、安村さんと映画に行った。唇によだれーーL'EAU ALA BOUCHE、フランス映画である。
 ”勝手にしやがれ”と同じく、ヌーベル・ヴァーグ作品。女の子と一緒に観るには少々、オーバーな映画で、キスシーン、ベッドシーンはなるほど新鮮な角度から美しく撮られてはいるものの、何を言わんと欲しているのかという点であいまいさが残った。映画を見ている間中結構楽しめて、後に何か快い昂奮が残れば、これは確かにいい映画であろう。
1960.6.15 Wednesday 1960.6.15

死!死んだ。かわいそうに女の子が。
デモ。国会請願デモ。国会議事堂乱入。乱闘。遂に!遂に出た。デモに死の影が。
 アア・・・
 世が世なれば
(なるほどなるほど)
美しい未来を、その豊かな胸よりも豊に、持っていたであろう賢(さか)き乙女よ、
今日もその澄んだ瞳を輝かせて、
デモ隊の先頭に立ったのだろうに、
この暗く、暗雲の閉ざした
夕刻、激しい夕立さえあった、
何かすぐれない今日の日が、
ああ、貴女の命日となった。

スクラムにもまれ、
靴底に踏まれ、
泥土にたたきつけられ、
貴女の白く広い額に
血が流れた
貴女のか細い指は
虚しく泥土をつかみ
頬を懐かしく大地にすり寄せ
そして、最後の息の中から
一つの小さな願いを
貴女を捨てた
暗く悲しい世界に
言い残して、死んだのだ。

平和を!


・・・・・・・・・・
自分の考えが混乱しているのは分かっている。激しい憤りが、冷静な頭脳と、折が合わないことは認めていただこう。
 現在九時十五分。
 水谷(民社)、江田(社会)、川島(自民)、司会、唐島の座談会をテレビで見ていた。
 途中で唐島が、ただ今届いたニュースと言って読み上げた。「全学連の国会乱入で『女子学生一人死亡、負傷者300名に達す』と。
 その後、ニュース特報があった。
 国会乱入のまさに生々しいフィルム!

 こんな欺瞞がまたとあってよいものであろうか。座談会と、国会乱入のフィルムとの対比があまりに激しいものであったので、それだけ私の体内の反応も激しかったのだ。
 古狸さながらの水谷に川島。互いに責任のなすり合い、我田引水、人間の醜悪さの限りを見せつけて・・・
 ああ、あの顔。
 引っかけられたツバだって嫌がってくっつきたがるまいあの狸そっくりの嫌らしい顔。
 口だけ、そう、あらゆる政治的なものを、口先だけの巧妙さで乗り切ったに違いないあのガマの口そっくりの口。
 座談会を聞いている時から憤りに胸くそが悪かった。それにあのニュースだ。国会乱入のフィルムだ。死んだのだ。
 これでも冷静にあれと言うのか。
 ニュースが終わっても私はしばらく自分自身を取り戻せなかった。はっとして周囲を見回したら、まだ残って画面 を見上げているものは、二三人だった。
 我々の生まれた時代は不幸な時代であろうか。
 我々の世代は、その幼年期を戦争の中に過ごした。戦後の混乱の限りと、飢えと、貧しさが、我々の小学・中学の時代と続いた。
 独立国と名目上なってからもまだ日が浅い。大学に入ってからの我々の周囲を取り巻くものは、史上空前と言われる激しい学生運動の渦巻きだった。運動の敵としては最強最大の安保問題があった。私は私なりに安保条約についても勉強し、デモにも幾度か参加して反対の意思表示をした。
 だが敵はあまりに傲慢であった。
 我々の奉ずる民主憲法は、民主的な施政者によって運営されるとき、最も良くその機能を発揮するとは言え、ひとたび、非民主的な独裁者に悪用されれば、大変脆いものであることを現在明らかにしている。居座ろうと思えばいつまでも首相の椅子は安全だという歴史的事実を岸は記しつつある。人間は自らの行動に何らかの”正しさ”の裏付けを持たない限りそういつまでも、その行動を続けて行くことは出来ないはずのものだ。泥棒にも自らの言い分がある。我々が岸に求めるものは、その政治的倫理観なのだ。なにも無理なことを要求しているとは思わない。我々の行動を裏付ける”正しさ”の倫理は、民主主義の倫理そのもの他ならない。岸の倫理は我々の彼岸にある。私自身、暴力的なものを肯定しようとは思わない。しかし、歴史を振り返って見るとき、真に民主主義の進歩のため、歴史的に肯定された暴力、が存在する事実を忘れてはならない。
 今日の時点はまさに画期的なものと言わなければならないであろう。一人の女性の死は、はっきりと昨日と今日を異質なものとした。今日のデモを暴動じみたものにすることによって、他に対する単なる”見てくれ”にしようなどと誰が考えたろう。(ただ今のラジオの座談会で池田潔が、デモ隊の行動をカミナリ族的、その瞬間にあらゆるものを忘れ去るというのは、全く当たらないと思う。)デモの一人一人はもっと真剣なものなのだ。誰が喜んであの痛い警棒の下に身を曝す危険を承知で、デモに参加などするものか。
 我々の真の声を、たとえ声なき声がいかに多くとも、我々の声ある声も、他ならぬ 国民の声であることを、少なくとも岸を人間と思えばこそ、反省心もまだあのソツのなさに充たされた岸の心の中に少しは残っているだろうと思えばこそ、大事な時間を割いてデモに、止むに止まれぬ 気持から参加しているのである。
 病院のベッドの白いシーツの上で、何も言わずに死んでいったのが、ひどく印象的でした。と、今日の犠牲者を見守った医者は語っていた。
 岸よ、辞めなさい。
 そして、坊主にでもなって、彼女への弔いに余生を過ごすがよい。
 ニュースが私に与えた衝撃は大きかった。私は、自分の使命を感じた。今こそ自分の全生涯を真の民主主義の達成のために注ぎ込まねばならないと思った。そのために私は一刻たりとも無駄 をしてはならないと思った。私は実際的な活躍の出来る人間として成長するために猛烈に勉強したいと願った。私に見られる一切の安易さ、一切の妥協性を排さねばならないと思う。この時点がまた私においても画期的であり得ると思えるのだ。
 私はこれまで何度も自らの改革できる時点に遭遇しながら自らの弱さから、脱皮に成功できないでいた。そして自らの使命に全く無頓着であった。だが私は今こそ使命に目覚めたのだ。
 私を包む暗い現実よ。しかし何と世界は私に恵まれた時代と、恵まれた環境を与えたことか。私自身の努力によって、自らに優れた素質を恵むことになれば、私の時代は、民主主義の真の確立された時代ともなりうるであろうと思う。
 
◆アイクに訪日を延期して貰うことは国辱と言う。六十台の白バイ護衛のサクラ歓迎が国辱でないと考える感覚では宜なるかな。

◆国会乱入は正しくないかも知れない。
しかし、死者を出し、頭を割かれた学生が、タンカで運ばれていく等を様を見るならば、主義主張を越えた、激しい憤りを、ここの原因たるあるものに向かってぶっつけざるを得ないのだ。右翼に対する警官のあいまいな態度に目に余るものがあることは、私はこの眼でしかと見たつもりだ。今日の国会デモの暴挙化の一大原因はこの右翼と警察の結託にあり、今日の日本の梅雨の空よりも暗い、まさに台風の如き状態のあらゆる責任は、彼、岸にこそあると断言する。
1960.6.16 Thursday 1960.6.16 午前1時17分

再び筆を執る。
死亡者は四人に増えた。(全学連発表。ラジオ関東2名。NHK1名。朝日テレニュース1名)
東大文学部3年樺美智子さん。中央大学教授の愛嬢。

1時45分。 死者8人。8人殺されたのだ。
催涙ガスにより学生を退散せしめた。

ラジオ関東の実況放送を全国民はこぞって聴け。警察官の暴力がいかなるものであるかを知るであろう。憎しみのるつぼと化した今日の日本の情勢に目覚めるであろう。

◆アナウンサーは警棒で殴られながらも落ち着いて実況を続けた。
◆警官の罵声はアナウンサーにも浴びせられ、彼は、「首を絞められております。ただ今、頭を警棒で殴られました」と言った。
◆警官は彼の10メートルの近くで、あらん限りの暴力をふるった。学生を挑発した。

◆午前1時40分  政府声明
国民がそういつまでもバカにされ続けられるものと彼ら政府当局あ考えているのであろうか。彼らの非常識、非倫理性はこれまでも目に余るものがあった。だがその観も今やこの政府声明を聞くに及んで極に達したと言わざるを得ない。
国民よ!死者の死を無駄にしてはならない。今こそ、ジャン・タルデュの次の詩が、真理に目覚めるべき国民の指標としてひときわ光を増したが如きである。
 死んだ人々は、還ってこない以上
 生き残った人々は、何が判ればいい?
 ・・・・  
 死んだ人々は、もはや黙っておられぬ以上、 
 生き残った人々は沈黙を守るべきなのか。

死んだ人々はもはや黙っていないであろう。
彼らは自己の願いを、永遠の彼方に常に叫び続ける。今日、定着した肉体の静けさの中からの彼らの叫びの波紋は、あらゆる人々の心の隅々にまで入りこみ、もはや忘れがたいものとなるであろう。一片の政府声明が、国民の如何なる心に気持ちよく迎え入れられようか。恐らく、彼らが葬式に花環を贈る暴力団か右翼のそれのみであろう。
 国民は今日限り見くびられてはいないであろう。
1960.6.16 Thursday

1960.6.16

◆けたたましい電話のベルで目が覚めた。枕元の目覚まし時計は4時をさしていた。窓から見える空はやや白んでいた。が、雨雲が墨を流したように滲んで濡れていた。誰かが起き出して電話に出た物音が聞こえる。物音は低いボソボソした話し声に変わったが、廊下を摺り足でやってきた。やがて足音がぼくの部屋の前まで来て止まった。
 「Yさん」
と下宿のオバサンの押し殺したような声が、ドアのノックとほとんど同時に飛び込んできた。
 ぼくは電気スタンドのスイッチをひねりざまにガバと跳ね起きてドアを開いた。
「お電話よ、病院から。中野のK病院から。すぐ来て下さいって。Iさんって方が重体なんですって。昨日のデモで」
 オバサンも少し興奮していた。いつもなら、夜少し遅くなってかかってくる下宿人の電話などには目に見えて非難がましい口の利き方をする人なのだ。オバサンはその眼の中に訴えるような心配げな色を漂わせて、物も言わずぼくの顔を見上げていた。
「すぐ出かけるでしょ?タクシーでも呼びましょうか」
と、いつもは少し人の悪い感じのする人だけど根の善良さも持っている人なのだ。十分後にはタクシーが来た。オバサンは門の外までぼくを送り出して、ぼくの財布の状態まで気を遣ってくれた。
 Iさんって方のお役に立てて。さしあたって何が必要かわからないから」
とぼくの手に千円札を二枚握らせて、タクシーが最初の曲がり角を曲がる時振り返ってみるとオバサンは、雨の中に黒い男物のコウモリを差してまままだ家の前に立っていた。
 タクシーは昨夜来の雨に、黒く濡れた寝静まった朝方の街を、激しい勢いで、K病院に向かっていた。
「I子」
と思わず叫んでしまっていたぼくの胸は、オバサンから電話を聞いて以来固い張りつめた気持の硬直状態から、波打つような激しい感情の揺さぶりの中に急転降下していた。
 『I子、どうか無事でいてくれ』
 涙の熱い流れがぼくの頬を濡らしていた。
 雨はまたも激しくなって、ワイパーはほとんど用をなさなくなっていた。

◆ハッとして目を覚ますと電話のベルがけたたましく鳴っているのだった。寝るときもはめている腕時計を、朝の羽のようにモヤモヤとした不透明な明るさに透かして見ると四時を少し過ぎていた。頭はすっきりしていい気持ちだった。空は白く濁っていて、黒墨をぼかし込んだような濡れた雨の朝だった。
 ゴトゴトと電話に誰かが出ているらしい物音がしてベルが止んだ。しばらくボソボソと話し声がしていたが、やがて廊下づたいに擦るような足音が近づいて来て、ぼくの部屋の前でぴたりと止まった。
「Oさん、Oさん」
 下宿のオバサンの声だった。コツコツとドアをノックしながら低く押し殺したような越えでぼくを呼んでいる。掛け布団をはね除けざまに飛び起きてドアを半開きにすると廊下の明るい電灯の光がさっと部屋の中に差し込んできて、一瞬目が眩んだ。光を背にした五尺そこそこのオバサンの黒い姿がそこに立っていた。
「Oさん」
その低い響きの中には、一種異様な緊張があった。誰だって言いにくいことを言うときにはフライイングが必要なんだ。そういう調子の「Oさん」だった。
「I子さんが、昨夜の国会デモでやられて、重体なんですって。今、中野のJ病院から電話で知らせがあって、・・・」
 ぼくは激しい雷鳴に頭の中を突き抜かれていた。この瞬間、その稲光の中に黒々と浮かんで見えたのは、総理大臣の顔だった。つい先日、アメリカのある週刊誌のカバーに載った薄ら笑いを浮かべた総理大臣の顔だった。その顔が、歯を不気味なほどに飛び出させて、貧弱な顎に厭らしいしわを寄せてニタニタと笑ったのだ。
「I子が?」
「すぐに行ってお上げなさい。タクシーも呼んで上げますから」
 ぼくの心は平衡を失ってしまっていて、ひどく感動的になっていたのか、このときほど、いつもこのオバサンに対して反発的な態度を示していたことを悔いたことはない。根は本当にいい人なのだ。少々金銭的にはきつい人だけど、平凡な人だけに自分の本性をちょっとしたことで他人に見破られてしまうのだ。
 一人の人間の悲境に、純粋に同情を覚えることが出来るためには、人間はあまり偉くなってはならないのかも知れない。とぼくはふと思った。
 タクシーは十分後には来た。
 「少ないけれど、I子さんに何かやって挙げられることがあったら使って頂戴」
 オバサンが千円札を二枚タクシーに乗り込んだぼくにコウモリを差し掛けながら握らせたのだ。
 タクシーが動き出してもしばらくはジーンとして感動に酔っていた。最初の曲がり角のところで振り返ってみると、オバサンの小さな姿がコウモリ傘の陰で、透明に輝いている歩道の水たまりに優雅な映像を縦横に走らせていた。
 このときまでぼくは、I子のことを極度に考えまいと努力して、オバサンの節くれ立った指の観察に全力を注ごうとしてみたり、無意味な言葉を「オレはバカだ。オレはアホだ」と何度となく繰り返してみたりしていた。それはまるで今まで動いていた映画が急に止まってそのスクリーンの前の観客の頭にわざと視線を合わせたようなものだった。だけどそのうち映画はその決定的な瞬間から動き出すものなのだ。
 I子のことを考えることが怖かった。
 考えれば考えるほど、悲観的な深淵にはまりこんで行ってぼく自身の心の状態を完全に自由の利かないものにしてしまいそうで考えたくなかった。彼女のことは一切思い出したくなかった。だが今、降りしきる雨の音をタクシーの周りに聞きながら、その後部座席で独り見るとはなしに、窓にたたきつける雨足のまだら模様の刻一刻の変化を見ていると、自分自身をI子のことを全然考えていないのだと欺こうとする努力にもかかわらず、ぼくの心は車外の雨と同じく激しい風に手の施しようもなく揺さぶられていた。
 ジンジンと電話のベルよりけたたましく疼いていた。
 電話と言えば、一昨日、ぼくは彼女からの電話を貰っていた。
「Oさん」
電話の中の彼女の声は言った。少し甘えたような、温かい湯気に溶けかかった石鹸の感触に似た声だった。
「明日の国会デモには、あなた、モチロン、参加するわね!」
 その彼女の信じ切ったような確信に満ちた質問に対してぼくは一体どう答えたら良かったろう。
「行きたいんだけど、ちょっと都合が悪いんだ」
「えっ?都合が悪いって?どんな?」
急に彼女の口調がきつくなったようにぼくには感じられた。
「うん・・・それが・・・バイトがあるし・・・」
「バイト?まあ・・」
彼女は少し笑っている様子だった。
「バイトだったら他の日に廻して貰えばいいじゃないの」
「でも、責任があるんだ」
「責任?!」
あの時は感じなかった、この言葉の息詰まるような調子が、今思い出してみると
「私達が責任という言葉をつかうときはもっと真剣でなければならないと思うわ。むしろ平凡な一国民としての責任を感ずるなら、デモに参加すべきじゃないの?明日のデモはこの運動の最大の山場になることは確実なんだから」
「うん・・・でも」
ぼくは言葉を濁していた。
しがらく、彼女は黙っていた。
「判ったわ、いいわ」
その言葉の調子を今思い出してみると、信じるものの案外さに失望した人間の悲しい憤りの気持が含まれていたようにも思われるのだ。その「いいわ」の後に、「行きたいんだけど、なんておっしゃらないで」と彼女は本当はくっつけて言いたかったのだ。その時のぼくは、彼女の子どもっぽいいつもの言いぐさだと簡単に決め込んでしまっていた。電話は他の話題でそれからも二三分続いたが、いつものようにはあまり笑いも起こらず仕舞いで両方とも少し気まずい思いをしながら終わったのだ。
「それじゃ、さいなら」
ぼくはぶっきらぼうに言った。
「adieu」
彼女は小さくつぶやいた。
(adieu?)---そうだ、確かに彼女は別れるときに、adieuと言った。ほとんど一日ごとに会っているぼくらの間で彼女は意識してこの言葉を使ったのかしら。もし、そうだとしたら。彼女はぼくに対する訣別 の気持を抱きながら昨日のデモに参加したのだろうか?そのときぼくは、彼女の重体に陥れた責任がぼくと無縁なものではなくなり始めたのを感じていた。
 --キ、キ−−ッ
耳をつんざく金属音と激しいショックに身をつのらせ胸をしたたか前座敷の背もたれに撲ちつけたのはほとんど同じだった。
「畜生。突然ノラ犬のやつが飛び出して来やがったもんですから、どうも、すいません」
運転手が怒鳴るように言った。なるほど、見ると一匹の痩せたずぶ濡れのノラ犬が身体を丸くしてビッコを引きながら、悲しい泣き声を人っ子独り通 らない大通りに響かせて、転げるように路地に逃げ込んだところだった。運転手は無表情にギアをセカンドに入れるとアクセルを踏んだ。車はまた動き出した。ノラ犬の走り込んだ路地も、黒い貨物列車の一つの継ぎ目みたいにあっという間に白いブレを眼に感じさせただけで過ぎ去ってしまっていた。ぼくには今のノラ犬の姿が忘れられなかった。
 ずぶ濡れに濡れて、ビッコを引きながら・・・
 ぼく自身、一月半前、恩給局の前の坂を霞ヶ関の方へよろよろと歩いていたのだった。だけど、違うのは、ぼくの側には、ぼく同様ずぶ濡れの彼女がピッタリと寄り添って手を背中に当てていてくれたのだった。二匹のノラ犬・・・ぼくらはその時お互いの名前さえ知らなかった。
 その日、ぼくらの大学は全学ストライキで国会周辺にデモを掛けることになっていた。

 

1960.6.20 Monday

1960.6.20
安保条約が法律上では自然承認される。
歴史的な瞬間、19日午前0時を、私は国会議事堂の南側の道路上で、徹夜の座り混みを続けながら迎えた。空は晴れて星が瞬いていた。上空に一機ヘリコプターが舞っていた。議事堂の頂には赤いランプが二つ灯っていた。デモ隊は静かだった。我々は静かに抗議の意志を表明していた。

◆朝日ジャーナル6/26号

◆『参院自民党は二十日午前安保特別委員会及び本会議を自民党だけで開き、安保関係法案をはじめ与野党間で問題となっていた重要法案を一挙可決、成立させた。』(二十日朝日夕刊一面 トップ)
 もはや言う言葉もない。彼らに対して一体如何なる非難が有効であろう。完全に日本における民主主義的な政治ルールは失われてしまった。ファッショ化という、移行しつつある動きと言うより、すでにファッショそのものの様相を呈している。我何をなすべきか。
 この問題は今日ここにおいて痛烈である。この限りなく日本の民主主義が落ち込んでいく暗黒の深淵を如何にして排除し、如何にして民主政治を元のように、そいsて更に完成されたものとして実現していくかは、最大に重要な問題であり、その重荷をひしひしと感ずるからである。
 事態がここまで至ったことは、現代日本の病弊が非常に大きなものであって、その病弊を取り除くためには、一朝一夕の努力では無駄 であることを示していると考えられる。確かにすみやかな収拾も必要ではある。しかし、根本的な病原をつかなければ再発は必至である。我々は今こそ長期戦に踏み切らねばならぬ 。短時日の収拾にも努力しつつ、更に国家百年の計のために我々が地道な努力を重ねることが必要だと思われる。国家の教育がそれである。真に民主主義的な感覚を持った国民が育ち民主主義的な政治のために一歩も退かぬ 国民の身にならない限り今日に事態は”歴史は繰り返される”のこよなき実証以外の何ものともなり得ないであろう。しからば、私個人として何をなすべきか。本当にムズカシイと思う。少々消極的に過ぎるかも知れないが、自己自らの教育に現在のところ専念する他はないと考える。来るべき日まで、国民の教育に実際的に当たれる日まで、生半可でない教育を自らにつけるのだ。真の民主主義は、真底から民主主義者でなければ行い得ない。

 

1960.6.23 Thursday 1960.6.23
◆安全保障条約発効

◆政府はデモ規制法案を持ち出していたし、デモ隊対策として地下鉄の鉄のシャッターが下ろされるような事態だった。だから、如何なる交通 機関を使って国会周辺に到るかでさえ秘密にされていた。たとえ秘密にされなかったところで都電までは止まらなかったろう。ちっぽけなギシギシという箱の中に、旗やプラカードも一緒にギッシリと詰め込まれて、三宅坂まで。下車。全員到着までしばらくの休憩。デモ態勢を取り行進開始。彼は三宅坂の休憩時間内に、クラスの連中7、8人と一緒になっていた。だけど彼自身は、全然そこらの地理に通 じていなかったから、しばらく歩いて突然間近にすでに写真で馴染み深い国会議事堂の姿が現れた時には、驚かざるを得なかった。何という不明。今日の行動方針について何一つ知らず彼はデモに加わっていたのだ。彼の運ぶ一歩が、彼の心の中とは裏腹に、彼自身をある緊迫した事態の中に否応なしに連れて行った。都電の国会議事堂前停留所付近で隊伍の組み替えが行われ、彼は他のクラスの連中とバラバラになってしまった。ほんのしばらくジグザグデモをやって、前の方から、まるで食べ物の丸いふくらみが駝鳥の長い首をかけ下るようなしわ寄せが後ろの方へ押し寄せて隊列は止まった。見よ、道路いっぱい、装甲車のバリケードが。黒い制服の警官がビッシリと車の上左右にいかめしく立ち並んでいた。彼に最初起こったきわめて単純な疑いは、どうして我々の行動が、ここで装甲車によって食い止められな場ならないのか、であった。
 警察のスピーカーが説得的に言った。
 『国会請願は平穏に行われなければなりません。国会は集団による請願を認めてはおりません。学生諸君、早く隊伍を解いて三々五々帰りなさい』
 警察のスピーカーが叫び出すと、それに負けない大声で学生は応じた。ともかく執行部は、今警察と交渉していると情報が伝わった。「ここを通 してくれ」と。その間彼らは隊列を乱し道路いっぱいに広がって立ったまま待っていたのである。あまりにもバリケードの近くにいる者は、いつ何時警官が襲いかかってくるかも知れないと言う恐怖に怖じけながら。大方は一体自分たちがこれからどうなるのかと情報の行き渡らないのに不安を感じながら。でも、それよりも増して彼らは暑さに閉口していた。空はギラギラとガラス粉をまいたように眼に痛く輝き、街路樹の緑の奥に青々と広がっていた。彼は周りの者の話から彼の立っているこの場所が、今日のこの行動の最初から予定されていた集合場所チャペルセンター前であることを知った。そして彼らと別 行動をとった学生の集団は、この集団の指導者たちからは、軽蔑的に、お焼香請願をやっていやがると言われていることも。
 シュプレッヒコールと絶叫と、暑さと湿気にはじっと立ち止まってるのは耐えられない。続々と都内の各学校からやって来る後続隊のために、一番最初に到着した彼らの学校も、8人の幅で道路沿いに長い隊列に組み直し、やっと腰を下ろしたのだ。固いコンクリートの道路の上に。

 隊列の組み直しは道路いっぱいに雑然と広がっていた各校の学生を、校旗を目印にまるで遠足に行く小学生みたいに整列させたのだ。彼はクラスの連中とも離れて独りになっていたから、前の方から三、四十番目の辺りに割り込んで行った。前の方から一列ずつ整列しては座っていった。人数が余ったり足りなかったりで、前に出たり後ろに下がったり、やっと整列できた時、彼は痛いほど、彼の隣に、まったく偶然に並んだ一人の女性を意識していたのである。彼はあまり熱心にデモに参加するほうではなかった。だが数少なくも参加するたびに、この女の子をどこかで見ていた。素直な柔和な眼をした長身の美しい女性だった。スラックスをはいて敏捷に人と人との間を縫いながらビラを一般 市民に配って廻っている彼女も見たことがあったし、ジグザグデモの時、隊列の外で、一言も言わずに突進してくるタクシーの前に手を広げて立ちふさがったり、警官隊のデモ隊の間で、できるだけ無益な接触を避けさせようと努めている彼女も知っていた。
 態度や動作にどことなく漂う上品さや、思いやりは彼にとって彼女を非常に好ましい人とこれまで思わせていたのだった。
 それに彼がそれほど委託意識したのは他でもなかった。つい四、五日前に彼の大学で行われた”大学は如何にあるべきか”という講演会で彼の位 置から非常に見やすく、同時に彼女の方からも見られていると言うことに意識せずにいられない席に彼女が座っていた。女性は極めて少数しか参加していなかったし、対して面 白い話でもなかった。デモに良く行く女性活動的な女の子だという意識から、それに結局は彼女は美人であったし、彼にとって、ともかくも感じのいい女性であったから、彼はいつもの癖で、まじまじと見つめてしまったのである。彼女も見つめられていることに気づいたことを知りながらも、彼は平気を装って見つめ続けていた。彼女の白いふっくらとした頬に少し赤みが差し、目を何処に据えていいか困惑しているような様子が手に取るように感じられた。拍手。話は終わった。みんな立ち上がってゾロゾロと帰り始めた。彼女もゆっくりと立ち上がった。彼はそれよりゆっくりと立ち上がった・階段を下りて本館の薄暗い廊下では、彼よりほんの五メートル前を彼女は歩いていた。ゆっくりと。ダブルのレインコートがとっても似合っていた。デモにも良く、レインコートを肩にちょっと引っかけたような服装でやって来ているのを見たことがあった。彼も同じようなゆっくりした歩調で彼女の跡を歩いていた。
「もし、彼女が急に立ち止まったら」
彼はオドオド考えていた。
「彼女が振り向いたとしたら。そしてぼくがここにいるのを、彼女を付けているんだと考えて、さも軽蔑するような笑いを浮かべてさっさと行っていまったとしたら。だけどとにかく駅までは一本道しかあいやしないんだし、仕方がないんだ。ぼくは意識的にやっているんではない」
 その彼女が今彼の隣に座っている。何で、あんな馬鹿げたことをしてしまったんだろう。じっと見つめたりして。彼女はきっと偶然自分の隣にぼくを見出して、心の中であざ笑っているのではないかしら。もしぼくに勇気があって彼女の横顔を少しでも覗き込めるとしたら、彼女の顔にはきっと軽蔑の色があるだろう。
 だが彼女の心には彼に対する軽蔑の念などはありはしなかった。隊列を組み直したとき、近くに彼の後ろ姿を見出して、我知らず心を躍らせている自分に気がついたのである。そして、彼女の方からすれば彼の隣に入り込めたのは”まったくうまく行った”ことなのであった。彼女は多分に女性らしいロマンティックさを持ち合わせていた。そして自分自身の経験に”運命的な”という言葉を当てはめてみては楽しい空想にふけるのだった。彼女自身、デモで何度か彼に会ったことを覚えていた。なぜなら彼の目は忘れがたい力を持った眼だったから。それにあの講演会で瞬き一つせず、彼女を不気味に見つめ通 した彼の目は、すでに、”運命的な眼なのかしら”と彼女の弱点にうまく食い入っていたのだった。彼女が彼の隣にうまく入りこんだとき、彼女は、自分自身の”運命的な”ということに対しての判断の正誤に賭を試みていたのだった。二人が近づきになりうるきっかけがあるとしたら今ここをおいてはあり得ないと彼女は考えていた。
 彼は固いコンクリートの上にビラを一枚敷いた上に座っていた。両足を揃えて前に投げ出し、手を組み合わせて膝の上に置いていた。彼と同じような態勢をした多くの学生が彼の周りほとんど見渡す限り、ムシムシする暑さと、頭の上を気を狂わせるような騒音をたてて飛来するヘリコプターの暴挙とに耐えているのだった。
 中央に到着した宣伝カーの上からは、もうかなり前から次々と各大学の代表の挨拶や、他の団体の激励等が繰り返されていた。感度の悪いスピーカーの絶叫はあまりにしばしばヘリコプターの爆音にかき消され、同じような内容の重複はしばしば彼の意識を自分自身の内部に引きこもらせていた。時折、
「諸君、この装甲車を突破しよう」
という絶叫が耳に飛び込んで来ては、ピクリと彼の神経を揺さぶり、不安な気持ちにするのだった。だがまさかという気持が強かった。だから半ば安心して、独りぼっちになることができた。彼は地面 を見つめながら考え込んでいた。
 自分という一個の人間。その挙げて全てのものが今ここにある。自分の短い二十年の人生における、あらゆる経験、あらゆる思索、あらゆる主張・・・それらすべてのものに優越して今日ここにいる自分の行動、自分の思想が厳として存在する。自分自身に対する如何なるこれまでの買いかぶりも、もはや自分の一部たりとも表してはくれまい。自分という存在は、今ここにあるちっぽけな肉の塊以外の何ものでもなく、コンクリートの固さに閉口しながら、隣の女の子のことを少々気にしてみたり、ヘリコプターって奴はと憤ったり、滅法暑いな、上着は脱い来りゃよかったな、とつまらないことを考えているきわめて惨めなもの以外の何ものでもないのだ。この大群衆の中の取るに足りない、まったく何らニュース的価値もない一人に過ぎないのだ。
 
1960.6.23 Thursday

1960.6.23
 

  だが、待て、なるほど、自分はちっぽけな、取るに足りない人間には違いない。しかし、あらゆる自分自身を大群衆の中の一人の小さな存在と化し、今日のこの行動に参加したのは、少なくとも自分自身の主体性を失わないためではなかったか。ここにいる自分自身は如何にちっぽけで、惨めであろうとも、主体性を確保し、自らに責任を負える存在として、これまでのあやふやな態度から一歩前進した、内面 的に一段と濃密な存在ではないのか。(ここに、請願書のことを入れて、女の子と少し仲良くするきっかけを作るべし)

 

「諸君、目を上げたまえ。そして前方を注視したまえ。そこに何があるか。」

 急に落ち着いて太い声が彼の心の静寂を破った。見ると、最後に今日の最高責任者がマイクの前に立っていた。

「我々国民の国会が、彼らの回し者のバリケードによって守られているのだ。何故に彼らは恐れている。彼らは国民に見放された。彼らを守ってくれるものは、もはや警察と右翼以外にはないのだ。

「さあ、諸君、立ち上がり給え、諸君は今さら何をなすのか躊躇するのか。スクラムを組み給え。そして一歩前進し給え。もう、一歩。  さあ、諸君。今こそこのバリケードを乗り越えるのだ。このバリケードを突破することこそが、我々の目的の遂行の最も有効な力となるのだ」

 おお、何という軽薄!と一瞬彼は思った。最高の責任者ともあろうものが。それではまるで彼の言う”彼ら”の責任感と同じではないか。最高責任者が最高にアジがうまいだけの資格で選ばれているとしたら・・・  だが、みんなは立ち上がったのだ。スクラムをがっちりと組んだのだ。まるで、潮の如くバリケードに向かって突き進んだのだ。

 まったくアッケなかった。あっという間に装甲車の上から警官の姿が消えた。そして前方の学生は、歓声を上げながら、蟻のように装甲車に這い昇り、、続々と、視野から去っていくのだ。一人としてひるむことなく装甲車を勇敢に乗り越えていく。黒い学生服。白いワイシャツ。女の子の赤いセーター。少々彼は呆れていた。しかし、後方からのものすごい圧力で身動きはできなかった。いわば当然の成り行きだったろう。彼のスクラムも最前列に押し出されてしまっていた。

 人の主体性と言ったものは、もはやこの物理的な圧力の前では抗し得ないものとなった。確かに自主的に参加したもののデモという形態は、各々が個人的な意志に従って行動することを許さない。したがって指導者によほどの統帥力がない限り、もはやデモの一人一人は自主性のある一個の人間としてより単なる一個の物理的な力と化してしまい、自らの意志に背いたこともやらざるを得なくされるのではないか。逮捕を恐れない指導者は一般 の参加者との間にあまりに大きな隔たりのあることに無関心なのか。

 六人のスクラムは、彼と彼女を残してあっという間に二人になってしまった。背後からのものすごい圧迫。むしろ装甲車によじ登ることがかえって楽なくらいのものだった。彼ら二人が立っている場所はもはやぼんやり立ちすくむことも許されない激しい人の波の渦中にあった。彼自身、二人取り残されたような形になってなってしまった以上、この背後からの圧迫を逃れ出るにしろ、装甲車を越して行くにしろ、彼女の安全を図ってやらねばならないと言う責任のようなものを感じた。 --装甲車を乗り越えますか と彼は尋ねた。こんな場合にもかかわらず、少々照れている自分が歯がゆかった。 彼女は彼の顔を見た。その」柔和な眼が少し笑って、ええとうなずいていた。だけどその笑いも顔全体を覆っている緊張感の中に直ちに消えてしまった。

 彼はすぐさま、装甲車のバンパーに足をかけた。ボンネットの上に敏速に上り上がるや、後を振り返って彼女に左手を差し出した。その手を彼女の柔らかい、冷たい右手がしっかりと握るや、二本の手のほんのちょっとした緊張の後には彼女は早くも彼と同じ場所にまで上っていた。荷台に張られた、危なっかしい幌の上を二人で手を取り合って、最後尾まで進むと彼はポンと軽く地面 に下りた。 --さあ と彼は彼女を見上げながら両手を差し上げた。彼女もヒラリと身を躍らせた。けれども自分独りで平均を取って立ち直ろうとしてかえって前にのめってしまい、彼の両手の中に少々深く倒れ込んでしまった。

 二人の胸が触れ合った。彼女の柔らかい肌の感じと、女らしい匂いに彼の胸ははっと騒いだ。彼はこの負い目のためにつぎの振る舞いを一層敏捷に、一層大胆に始めたのだった。バリケードは三層になっていて、一層目の装甲車の後は警官の輸送用の大型トラックだった。そのトラックの間は人一人がやっと通 れるくらいのの隙間が出来ていて、多くの学生達が、カニのように身体を横にして通 っていた。最終列を突破するには、トラックの運転席を通れば良かった。ついに二人はバリケードを完全に抜け出してしまっていた。

1960.6.28 Tuesday

1960.6.28  

 バリケードの中にある間、二人は前と後ろの視野を完全にふさがれて、一体彼らの周りの状況がどんなになっているか全然見当がつかず、言い得ない不安に駆られていた。彼らもまた、バリケードの中で実況放送をしていたアナウンサーと同じ過ちを犯していたのだ。少しいい気になっていたのかも知れない。アナウンサーは装甲車と輸送車の狭い谷間で、小さな青天井を見上げながら、

「まったく今日の警官は哀れと言うより他に言いようがありません。」

とマイクに叫び込んでいた。その言葉一つでさえもが彼の行動に、一種の勝利感とこみ上げてくるような感情をない交ぜるに十分だった。

 「そうだ」

 彼はいたずらっぽくマイクに怒鳴り込んで最後尾に飛び出して行ったのだった。

 だが、あまりに哀れだったのは、学生の側だった。警察の巧妙な作戦に乗せられていたのだった。

 今やバリケードは一方交通の道と化し、狭い空と狭い谷間の間から見境もなく学生達は飛び出してきた。その完全に隊列が崩れ分散した力と、退路を逆にバリケードに断たれて陣形とに警官は容赦なく襲いかかってきたのだった。わずか七、八人のスクラム。彼ら二人が飛び出した時には前方八メートルくらいのところに警官の黒い制服がビッシリと立ち込み、スクラムの先頭と激しいもみ合いを続けていた。

 彼はあまりにも警官と接近しすぎたと思った。彼にはもちろん最前列に出て闘う意志はなかった。だけど今となって一体何ができる。後には退けず、前にも進めないとき、辺りの学生にも自分たちの非勢がはっきりと判っていた。だから銘々が切羽詰まった気持から、スクラムを組み始めた。そして一列一列わずか二、三十列しかないそのスクラムの最後尾にくっついていった。彼と彼女も鋼鉄の鎖のように固く腕と腕とを組み合わせ、猛り狂う嵐の海のまっただ中に身を委ねるかの如く、デモ隊の渦中に吸い込まれていった。

 これもまた人生か。殺されると彼らは何度思ったことか。すごい圧力。少しでも力を抜けば、首にかけられた手にみすみす力を抜いたように簡単にこのデモ隊の圧力で圧死するだろう。一切の体の自由は奪われながら、それでも全力を出さねばならず、一寸の余地もないのに、彼らは激しく動いた。デモ隊の叫び。ヘリコプターの爆音。悲鳴。修羅地獄の喧噪。

 だが彼の目に何が見えたろう。見えねばならぬ一切のものがもはや、激しいその渦の中では見えないのだ。一体人生はいつ終わるのだ。この厳しい、あまりも緊迫したこの人生は、如何なる方法で。まるで底なしの泥沼に足を取られた哀れな子羊のように、もがけばもがくほど、自らの余命を縮め、絶叫を虚しく残しながら泥沼の藻くずと消える哀れな子羊のように、自分自身も、永久に抜け出せ得ない人生の泥沼に足を取られたのだろうか。

   人生、まさしく彼ら自身がその場で経験していることこそ人生そのものであった。人生とは所詮無意志的に投げ込まれ、その狭い坩堝の中であらん限りの力を出して、のたくり回り、しかも、何らの効果 もないまま避け得られない死の手によってみすみすと引き抜かれねばならないものであるなら彼が今感じているのは人生そのものであり、かつ人生の縮図でもあった。

 警官の鉄兜がもう、間近に迫っていた。警棒の影が、激しく揺れ、悲鳴と鈍い肉の砕けるような音さえもが彼の耳に飛び込んできた。 --ああ逃げたい と彼は願った。 --どうにかして  不可能だ。それこそまるで微塵の疑いのない現実だった。まるで死の手のように確実に彼らに襲いかかるだろう。それでも彼は喘ぎながら、鋼鉄の壁のように固いスクラムの中に潜り込もうとしていた。

 時計の針の正確な歩みは、現実の正確な歩みによって保証されているのだ。彼が、最前列に曝される番はもはや、時計の針が間違いなく用意してくれている。

 彼が恐れているのは警棒ではなかった。警棒は確実に、もう数秒後には彼もうち倒すだろう。恐れても始まらないではないか。それは免れ得ない運命なのだ。だけど、一体、”オレは逮捕されるのだろうか””逮捕”今となっては、何という苦痛だったろう。

 彼は所詮、デモ隊の指揮者ではない。彼らのように、逮捕も恐れず、自らの人生の方針を決定してしまった者ではないのだ。彼には田舎に人生の行く末を、彼の肩に幾分なりと期待している年老いた両親もある。彼が逮捕されたと聞いたときの両親の驚きは推測の外にあった。

 一つの要素はこれから彼の人生を激しく変えていくことになるだろう。それほどに自分は今日のこの動きに賭けていたのではなかった。自分のあいまいな意志の結果 として自分の豊かな人生に、決定的な翳りを落としてしまうことになるとしたら・・  それはもう耐えられることではなかった。

 ああ、厭だ!!

 現実の非情さに彼は絶望的な目の中に彼女の顔を見た。二人の腕はまるで食い込むほど固く組まれていて、今まで離れずにいられたのだった。彼は今彼女に対する押さえがたい尊敬の念にも包まれていた。自分にしてもが、ものすごい圧力と苦痛の激しさに喘ぎ、あと一歩でその苦しみの中に身を委ねてしまいたい虚脱に陥りかかっているのだった。か弱い女の子がそれに何とよく耐えていることか。そう思うと、たまらなく、彼女のことが愛おしかった。不憫に思われた。彼女をこんな目に遭わせているのは自分にも責任がありはしないか。頑張るのだ。と彼女に言ってやりたかった。

 その瞬間、暗転。閃光。激痛。右手は思わず頭を押さえていた。続いて肩に。小鼻に。みぞおちに。彼がかがみ込もうとした途端、一本の延びた腕は、後頭部の頭髪をむんずとつかみ、警官の隊列の中に彼の身体を引きずり込んでいた。

 容赦ない警棒と罵倒の雨が、彼の全身に浴びせられた。足を蹴飛ばされ、こづかれながら警官の厚い層の中をフラフラと歩いていた。やっと警官もまばらになって、立ち止まろうとする途端、どすんとばかりに突き飛ばし、丁寧にも、足を掛けてくれる。ヨロヨロと他の警官にブツかる。 「バカヤロー」 と突き飛ばされる。足掛け。どすん。「バカヤロー」顔を押さえた彼の両手にヌルヌルとした血が。

 激しい痛みよりも敵に対する憎悪よりも何よりも早く彼を襲ったのは、救われたという感情だった。ここまで来ても手錠をはめないところを見ると逮捕しないのだな。それとも、この道はどこか特定の場所に逮捕した者を導くための道なのか。依然として消えぬ 不安。彼に私服や報道陣のカメラの目が浴びせかけられる。あたりに学生の数が多くなった。もうここまで来ればと思ったとき、彼の耳に背後から 「大丈夫?」 優しい、息を切らした女の声。彼女の声だった。

 警棒が彼の頭に打ち下ろされ、更に数発食らって彼が、叫び声を挙げてかがみ込もうとしたとき彼と彼女の腕は離れたのだった。頭髪をつかまれて警官の輪の中に彼が引きずり込まれたとき、彼女は我知らず、スクラムから離れ、前の人を懸命にかき分け、警官の前に自ら躍り出ていたのだった。

 女の子と見てか、警棒で打ちかかっても来なかった。それでも、汚い雑言が警官の網を抜け出る間、彼女の全身に降ってきた。二、三度こづかれもした。だけど、彼女の目はせわしく彼を追い求めていたし、ののしられても、こづかれてもほとんど何とも感じなかった。彼が仰向いて、両手で顔を押さえながら、ヨロヨロと歩いているのを見つけたときには、本当にほっとした。と同時に、息苦しいほどに、可哀相にと思った。

 ”大丈夫?”と訊かれ、彼は、何はともあれ、彼女に安心して貰いたくて、こっくりとうなずいてみせた。だけどそのちょっとした首の動きでさえも、脳髄に突き抜けるような痛みの代償を必要とした。彼女は、彼が決して大丈夫でないと思った。どうしてこの血まみれの彼が大丈夫なことがあろう。

--何とかしてやらなければ

 スラックスのポケットにはちり紙とハンカチしかなかった。一応それで彼に鼻の穴に栓をし、前頭部の少し血のにじんだ部分を彼女の唾液で湿らせてハンカチで拭き、彼のハンカチと結び合わせて、包帯のように彼の頭の周りに巻いた。  その時、大粒の水滴が一滴彼女の腕に落ちてきた。辺りの街路樹の木の葉がパラパラと鳴った。と見る間に水滴は勢いを増して、瞬く間に土砂降りとなった。しばらく前まで晴れ渡っていた空はいつもまにか雲で覆われていた。空さえ、下界のあまりに暗い現実に涙しているのであろうか。

「歩ける?」

「うん」

「それじゃ、とにかく、タクシーの拾えるところまで歩きましょうよ。ここいらには休むところもないし」

 恩給局前の道路は、にわか雨で、今までバリケードを突破したり、チャペルセンター内を抜けてきたりして、そこに座り込んでいた一隊も街路樹の陰に雨宿りをしたり、一部帰りだしたりして、混乱していた。彼ら二人は、その間を縫ってその坂を地下鉄の霞ヶ関駅の方へ下りていった。ビッコを引きながら・・・ずぶ濡れになって。

 雨は坂を下りきった頃にはすっかり上がっていた。やや暮れかかった建物も木も、道も、しっとりと濡れて、ビルの灯と、自動車のヘッドライトに美しく輝いていた。二人のびしょ濡れのお客さんは、タクシーの方から敬遠される。やっと五台目の車が彼らの前に停まった。

「どこまで」

運転手が訊いた。 彼女が四谷の二丁目とか、三丁目とか言っているのが彼には聞こえた。

 車が走り出すと彼女は彼の方を向いていった。

「私の下宿を言ったのよ。あなたのところは何処?この近く?近くだったら、行き先変えてもいいわよ」  行き先は変更する必要はなかった。彼の下宿は荻窪だったし、この苦痛と血跡のこびりついた顔とびしょ濡れの着物を抱えて下宿に帰ったところで仕方がなかったし帰る気にもならなかった。タクシーで帰るとしたら彼の財布はピンチに追い込まれるだろうし、それかと言って国電や地下鉄に平気で乗り込めるはずはなかった。

 タクシーは瞬くうちに目的地まで来てしまっていた。  彼女が彼を導いたのはかなり立派なモルタル造りの二階のアパートだった。

 花壇の側を抜け、建物の外についた直接二階に上れるようになっている非常用の階段を上って、右に曲がった一番奥が彼女の部屋だった。彼女は財布の中から鍵を出してドアを開け中に滑り込むと明かりを点けた。

「入って頂戴」

 彼女はドアの陰から顔を半分出してすぐ引っ込めた。彼は敷居をまたぎながら、初めて自分の立場を意識して、半ば途方に暮れたように入り口に立ちすくんだ。部屋の広さは六畳ほどで、上がり口のところが一畳ばかり板張りの他は、四・五畳分は畳敷きになっていた。しかし、そこには彼女の姿は見あたらず、ガラス戸で仕切られた向こうに人の影が影絵のように動いていた。

 びっしょり濡れた服を持てあまして彼が上がりかねていると、ガラス戸が開き、こざっぱりとブラウスとスカートに着替えをすませた彼女が戸の後ろから現れて、まだ入り口に佇んでいる彼を見出すと、

「あらまあ、まだ、靴も脱がないで」

 彼のところに飛んできた。

 彼女自身今日のことでは、すっかり疲れ切っていたけれど、まるで疲れていることさえも忘れてしまったように、にっこりと笑いながらせわしなさそうに彼を板間に引きずり上げた。  彼の右手は小鼻を叩かれたときに同時にやられて指が思うように動かなくなっていた。彼女はそれを見ると、彼の上着のボタンを彼と向き合って外し始めた。

「ワイシャツは濡れてないようだけど、脱いだほうがいいわね。そしてしばらく横になって休めばいいわ」

 彼女は彼のズボンさえ脱ぐのを手伝ってくれた。もはや、彼が意識して断ったりする方がかえって不自然に思われるような、何一つ気に掛けていないような彼女の振るまいだった。そうした振るまいを彼がいかに大胆に思っているかさえも気づかない様子だった。彼女の濡れた髪の匂いが彼の鼻のあたりにゆらゆらと揺らめいた。

 彼女はお茶を入れ、彼が彼女の机でそれをすすっている間に布団を敷いた。

「さあ、少し横になって」

 彼の背後から両肩の上に手を置きながら彼女は言った。それは姉が弟にするような自然な気取りのない優しさに溢れた態度だった。枕元には、大きな洗面 器と小さな金盥に水と湯がそれぞれすでに準備されているのだった。

 言われるままに彼は布団の上に横になった。布団にしみこんだ女の体臭がさっと彼を包み込み彼を一瞬恥じらわせた。

 彼女から優しく顔を拭いて貰い、頭を冷やして貰っているうちに、彼は睡魔の誘惑に易々と乗ってしまっていた。

 軽い寝息を立てて眠っている彼を見下ろしながら、彼女自身は、何とも言えない幸福な気持に浸っていた。彼の小鼻のところにはどす黒いアザが出来ていた。いつも左右にきつく引きつけられている彼の口元が弛んで、普段の激しい意志力の代わりにあどけなさを感じさせた。彼女は「いい寝顔だな」と思った。と彼女自身もたまらなく眠くなってきた。

 彼女自身疲れがどっと出てきたことを感じていた。何という激しい一日だったろう。まるで今日という一日が普段の日の五日分も六日分もあるように感じられた。目の前に眠っている彼の存在でさえもが、もうずっと以前からよく知り合っていたような気がした。とてつもなく厳しい経験を共に分かち合ったという連帯感と言ったものが彼女にこういう気持を抱かせたのかも知れない。

 

年月日 曜日 日記本文
1960.6.28 Tuesday 1960.6.28(つづき)

 彼の額の冷シップを取り替えてやりながら彼女は彼をじっと見つめていた。そして今日という日が彼女に彼に対する決定的な信頼と愛をもたらしてしまったことに気づいたのだった。
 彼が傷ついたとき、彼女は何と身を切られるような愛おしさに駆られたことだろう。どうにかして彼を助けてやりたい。自分自身の出来ることなら彼のために何でもしてやりたい。そういった気持ちに胸を詰まらせながら、彼をここまで連れてきたのだった。最初から病院などに連れて行こうという気は少しも起こらなかった。なんだかそこが彼にとって危険なところのもののように思われた。出来ることなら自分自身の庇護の下に彼を置きたかった。そして自分自身で徹夜してでも看病してやりたかった。だから女の子一人のアパートの部屋に男の子を連れ込んで、あまつさえ、自分の布団に寝かせるなどということを、それまでほとんど意識しなかったし、自分自身のやっていることが他人の目にどんなに大胆に見えるかも考えてもみなかった。
 幸い彼の傷は軽いようだった。この分では徹夜の看病も必要ではないだろう。ここでこうしてしばらく休めば二十歳の若者は、すぐにピチピチと生気を取り戻すに違いなかった。額に手を載せても、全然熱もなかった。冷シップをする必要もなくなっていた。
 彼がこのまま眠りから覚めず翌朝まで眠り続けるなら自分は管理人の部屋に泊めて貰おうと彼女は考えた。
 管理人といっても、高校二年生の女の子だった。近くの大きな旅館の娘で、このアパートの所有者として女中と二人で、アパートに隣接して建てられた四、五間もある、広すぎる家に住んでいる。その旅館の主人が、彼女と同じ郷里の出身者と言う縁で、このアパートに凄く良い条件で住み着けるようになったのだ。月五千円の部屋代も、その高校二年の女の子の家庭教師のアルバイトでかえってお釣りが来るようなものだった。こんなわけで、女子大生には少しもったいないようなアパート住まいができていたのだ。
 彼女が椅子に座って、机の上に便箋を広げ、何か書き残して行こうと思って時計を見るとまだ八時を少し回ったばかりだった。
 まだ八時なのかしら。
 いつ目を覚ますか分からない彼を置き去りにして部屋を出ていくことも出来まいと思い直すと、本箱から、シラーの戯曲集を取り出して読み出した。
ーーー愛は永久で、よろこびは限りないのに、お逃げなさるのですかーーー
 彼女も疲れには勝てなかった。ほとんど数行しか読まないうちに机の上にうつ伏せになって軽い寝息を立てていた。

 暗夜。百千の野獣の猛り狂った咆吼よりも凄まじく、風は吹きすさび、波浪はまるでのたうち回る黒い数千の鯨の如く、彼の乗った小さな船を残酷な仕打ちで嘗め回していた。あらん限りの力を振り絞って櫂を漕げどももはや一寸たりとも思う方向には動けなかった。
 自然が今やあらん限りの力を傾けて、生きにえを自らの歯牙にかけようとしていた。海水で一杯の舟の中で、半ば失神した一人の女が彼にしっかりとしがみついていた。誰だかは分からなかった。今やお祭りは最高潮に達していた。生きにえは祭壇の前に引き出される。舟は宙に舞った。彼らを包む暗黒の空気は、たちまち暗黒の液体と化し、底知れぬ 渦の中に螺旋形を描いて吸い込まれて行く。水がどんと鼻からと口からと入り込んでくる。死の恐怖。アア・・・・・
 夢だったのか。彼は目を覚ました。
 まぶしかった。明かりが点いていた。点け忘れて寝たのかな。だけど彼の右手にいつもの窓がなく天井は白い漆喰だったのを見て、自分が一体どこにいるのか彼にはわからなかった。ああ、嫌な夢だった。と、ぼんやりした眼で、彼が首をひねって上の方を見ると、椅子に誰かが座っている。はっとした。次の瞬間すべてが思い出された。
 彼女は居眠りしているのだな。
 と彼は思った。起き出したものか。彼女が目を覚ましてくれれば起き出しても良いけれど、今頃のこのこ起き出すのがなんだかはばかられた。彼女が起きてからならそれまで寝たふりしていて、さも今目が覚めたようにきょとんとしてみせれば、「ご気分はどう」の一声ですべてはうまく行くに違いない。彼女が眠っているとなると事情は違っていた。このまま本当に彼女が起きるまで寝たふりしておこうかしら。
 実際のこのこ起き出して立ち上がったところで彼女に目を覚まされたらきっと二人とも気まずい思いをしなければならないに違いなかった。
 しかし、彼には彼女が風邪でも引きはせぬかと心配になってきた。背中に毛布一枚ぐらい掛けてやる親切さが、彼女の彼に見せてくれた思いやりに対するせめてもの報いとして、意識しないではやれないというのが少し変なのだ。実際、彼女が風邪を引いてしまいかねないのだ。彼は布団から抜け出すと、彼が今まで掛けていた毛布を彼女の後ろからそっと掛けてやった。肩越しに彼女の安らかな寝顔が見えた。頬はいくぶんバラ色を帯び、長いまつげはしっとりと濡れて黒く輝いていた。きめの細かい白いうなじには細い短い赤みを帯びたほつれ毛が、かすかに揺れているような感じがした。思わず抱きしめてやりたいような愛らしさ・・・
 毛布が滑り落ちるのをあわてて止めようとした拍子に彼の手が彼女の肩にかすかに触れた。彼女ははっとして目を覚ますと、驚いたように振り返った。二人の眼がぶつかり合った。起きがけの彼女の眼の中には、最初、明らかなおびえの色が読みとれた。やがて、徐々にその色が消えていき、代わりに親しみの籠もったほほえみが細く輝きだした。彼の手にした毛布を目敏く見つけ「ありがとう」と彼女は小さな声で半ば放心したようにつぶやいた。
 彼女は彼の眼から一瞬も眼を離さないで、椅子から立ち上がると彼の眼の前に向き直って立った。二人の眼は先ほどから何と多くの言葉を交わしていたろう。お互いに深く信頼と愛を寄せ合っている間なら、お互いの眼の中にその証左を見出すことほどたやすいことはない。震えるような心細さに襲われながらも、彼女は彼の胸の中にもたれ掛かるように身を投げ出していた。彼の胸に抱かれながら、お互いの胸が、どんなに切ない思いでときめいているかを感じながら、今自分の両肩に注がれているであろう、彼の信頼と愛に満ちた眼差しをもう一度見つめたい衝動に激しく駆られて、彼女はつと顔を上げた。彼女は彼の眼の中に先ほどと違った、別 の息詰まるようなキラキラしたものが混じり込んでいるのを見出したとき、なんとも言えぬ 恥ずかしさに身をおののかせ、自らの欲望から彼の求めるままに唇を与えたのである。
「愛している」
おお!何というまどるっこい日本語。唇は唇を求めての激しい抗い。彼女の左手は机の上の電気スタンドのスイッチを求めてさまよう。
 一瞬の暗黒。窓からさっと差し込む月の光。立ち上る水蒸気のような青い輝き。窓一面 の、木の葉の織りなす幻想的な絵模様。彼女は一歩前に進む。もはや意識しない膝と膝の触れ合い。寝具の上に倒れ込む二匹の若い獣。たちまち訪れる痺れるような愛の歓喜。
”愛している”と二人の胸は絶叫し、なおも激しく求め合う肉体(からだ)と肉体。豹のようにしなやかな女の身体と、鋼のように弾性的な男の身体とが、初めての二人の夜に探り合い、もつれ合って、ほの白いシーツの上に、恥じらいと喘ぎの姿を、一切を包む夜陰に紛れてさらしていた。

 激しい上下の振動。
 自動車は右に折れて、砂利の敷かれた、無数の水だまりが、小降りになった雨の波紋に濁っている小さな横道に入ったところだった。かなり大きな家が軒並みに建ち並んだ静かな住宅街が続いていた。洋館造りの二階の窓に点った灯りが雨に滲んであっという間に通 り過ぎていった。
 ふと耐えられないような寂しさが彼の心を襲ってきた。彼と彼女は何と多く今まで行動を共にしてきたことだろう。デモにも二人で参加したことが何度かあった。もちろん、二人一緒に腕を取り合うようなことは努めて避けていたが、激しいスクラムの中で二人の心の中にいつも、彼が彼女がこの同じ渦の中にいるという意識が大きな救いとして存在していた。
1960.8.5 Friday

1960.8.5

私は昔から夏休みには良く日記を書いたものだった。中学の一年と三年の時には夏休みの宿題として提出し、国語の賞状を貰った。
 今日、三年の時のを読み返してみた。読み出したら止められずにとうとう最後まで読んでしまったのが実情だが、今の私が中学の三年の私を少しく馬鹿にしてきた気風を改めざるを得ないようだ。なかなかどうして中学の三年の私は良いことをいっぱい書いている。現在の日記を書くことを忘れた物を考えない私の方がかえって馬鹿にされかねないと思って、少々スネの傷を気にしながらこの日記を書き始めたのである。もうずいぶん日記を書かずにすましてしまったようだ。
 七月十四日に東京を発ち、十五、十六、十七、十八と京都で、京大戦や京都見物で日を送り、十九日に島原に着いた。二十六日北野恵子さんと卓球をして肩を少し痛め、その日に来た弘子姉ちゃんと二十九日長崎に行き、八月三日に島原に帰ってきた。三日長崎で午前十時頃為永ルミ子さんに電話を掛け、その時の約束で二時十二分発の列車で諫早まで一緒に行った。諫早駅でKさん姉妹と落ち合い、彼女たちを三時五十六分発のさくらに見送った後諫早発十六時二十二分の鈍行で島原に帰ってきた。
 昨日夕刻今年になって初めて泳いだ。勉強は少しもはかどらず、顔はまたまた黒く、毎日毎日の暑さに弱り切っている。

以上が大まかな東京を発った日よりの経過である。

◆映画
7.24 ガンヒルの決闘・最后の激戦地
7.28 接吻泥棒・目白三平
7.31 太陽がいっぱい・ひと夏の情事
8.1 奥様御用心・私のお医者さま


◆為永さんと会ったのは実に二年五ヶ月ぶりであった。二年五ヶ月前どんな会い方をしたかと言えば、単に見たことがあるというだけで、確か卒業式の日である、彼女は優等生代表で賞状を受けに行ったのを覚えている。彼女と話したことは、小学三、四年生の頃、本を借りたことがある時だけ。それでも僕は彼女に電話を掛けた。口実があったからである。しかし話し出してみれば、長年の間観察していた予想通 りの性格の持ち主だしほとんど気心の知れ合った感じの話ができ、諫早駅まで一緒に行くことに簡単に話がまとまった。
 長崎駅で待ち合わせることにしたが、相当彼女を待たせてしまった。長崎駅の入り口を入った途端左手に彼女が立って待っていた。彼女は本当に美しく成長していた。この”美しく”は副詞的に”成長する”を修飾するのである。もちろん彼女は美しい。そして小さな時からの上品さ、落ち着き、愛くるしさ、女らしさ、優しさ、そんなものを少しも失わずに、美しく成長していたのである。
 趣味の良さもそれに加えるべきかも知れぬ。薄紫の縞の上着、白いクリーム色のスカート。白の帽子。洗練された美しさが彼女にはあった。
 小さいときから鼻はこまっしゃくれていたが、前から見ても悪くないが、横顔となると、何とも言えない感じのいいものになる。榊原の奴と言いたくなるような彼女が目の前に立っていた。この彼女の胸深く彼を思う心が日に夜に燃えているのであろうか。私が彼と彼女のことを知っていることなどは彼女は知らないだろうし、彼女の顔のどこにも彼のことなど思っているなどとは書いてない。だが、「東京に来てからも彼女よりいい人を見たことがない」等豪語していた彼の言葉も、捨てかねる味を持つ女性であることは確かだった。
 彼女も見たという「太陽がいっぱい」等について話し合ったりしているうちに諫早は早いものだった。そこで彼女と一緒に現れた私にいささか驚き顔のK嬢が待っていた。妹のM君も一緒だった。特急さくらが来るまでの四十分程を、写 真を取り合ったりだべったりで過ごしたが、為永嬢とK嬢を並べてみるのはK嬢にとっては酷な感じだった。為永さんの唯一の美的欠陥と言えば、私に少々顔のしみが目立ちすぎた程度と私の原理から言えばもう少し面 長の美人が好きだと言うぐらいの点だったのだが、Kさんはあまり黒く焼けすぎていて、ずんぐりと背が低く、肩があまりに張りすぎている。どこから見ても美しさの要素がない。縦縞のワンピースの趣味も悪く、袖無しと来ては、短い縮れた脇毛がぞっとするような不快さで覗いていた。
 一方為永さんは、薄く白粉を乗せて、唇も薄紅に染め、何と言っても顔立ちが整っている。彼が盛んに褒め称えるのも無理なからずであるが、彼には少しもったいない気もしないでもない。ともかく彼ら二人が結びつくことは賛成だし、幸福を祈りたい。友達の奥さんに為永さんがなってくれれば、遊びに行って会う機会もあるだろうから、永遠に再会のチャンスがないよりどれほどましだかしれない。彼女はいい奥さんになる素質を充分に備えている。きっと私が彼らの家に訪ねていっても歓迎してくれることだろう。その時私は彼ら二人にお祝いの詞を述べて、うまくやりやがったな、と二人の抜け目なさに改めて敬意を表するだろう。二人は向き合ってペロリと舌を出す。

1960.8.20 Saturday 1960.8.20

◆ 昨日今日とまた何と肌寒い日が続くことだろう。十八日の夕刻東京に帰ってきたばかりの私には少々奇異な位 だ。島原は毎日良く晴れて暖かだった。東京は風邪混じりの雨。台風十五号がすでに窓外で荒れ狂い始めている。
 東京に帰った日、渋谷の大盛堂書店で本を少々買い込んでいたら偶然にも中川博隆君に会った。渋谷食堂で一緒に夕食を食べた。西大崎で六畳と四畳半の狭い二階を間借りして暮らしているらしい。色は昔のままに青白く、身体も華奢だった。でも十五日位 ボートの船体を磨くアルバイトをやったのだそうだ。つい二、三日前に終わったという。六千円位 稼いだそうだが、アルバイトの終わった翌日、同じ職場の女の子達と一緒に海水浴に行く予定だったのが雨でお流れになったのが残念だったと言っていた。なかなか良いことを言う。
 この広い東京で偶然に知人に巡り会うようなことはほとんどない。まったくの奇遇だった。再会を約して別 れた。
1960.8.20 Saturday 1960.8.20

神の前になら、自分は罪人ですとへりくだれば救われもしよう。だが私が自分自身の前にへりくだって、自分の情けなさを訴えたところでいかなる救いがもたらされよう。自分を罪人というには自分を知る目がなかればならぬ 。自分の情けなさ知ることも確かに目なしではおぼつかぬ。だからといって自分自身の前にへりくだっては救いがないのだ。情けなさを見る目を持ちながら、しかも、それを征服せんの意志力がなければ、私自身には救いはあるまい。安易に逃げやすいもろさを人並み以上に持ち、せっかく早めに東京に出てきながら、その甲斐を作りだし得ない自分自身を、情けないと感じるのは確かに結構である。しかし、そういう気持ちに責めさいなまれて頭を垂れていてはいけないのだ。それこそが安易に逃げる道以外の何ものでもあるまい。
 今日からでも遅くない。やるべきことは即刻始めなければならない。要はその意志力を持つことだ。
1960.8.20 Saturday

1960.8.20

 やはり島原にいた時に較べれば、ぐっと読書時間が多くなった。もちろん、外が雨風で荒れているため、室内にいる時間が長いためも、昨日今日ではずいぶん手伝っての話だが。
 帰京してから購入した「世界」及び「法学セミナー」の九月号を主に読んでいる。「世界」では「審判』「ある闘争」の二つの連載の文芸ものを比較的早く読んだ。巻頭論文「非難の均衡」は今さっき読み終えたが、七月号の坂本義和先生の”平和共存に逆らうもの”と似通 った論旨が多い。発表されたのが合衆国内であるという点に大きな意義がある。こういった建設的な意見が、次なる大統領の政策に影響を持つことが望ましい。戒能通 孝先生の”疑似合法主義と不敬罪意識”は今読み終わったところだが、政府側の心理的な面 に対して、毛色の代わった批判である。私を含め多くの人がそうであろうが、この論文に指摘されるような多くの政府側の非をいかに我々が政府に責任を取らせればいいかという問題が現在のところ最も関心事だと思われる。その一環をなす、六・一五事件の政府側の責任を追及する「六・一五事件の法律的究明」森川金寿(法学セミナー九月号)は面 白い。「私の弁護士修業」の前だ知克氏のような真面目な弁護士がこういった事件に対して色々と尽力しているのは心強いがなかなか困難な闘争が予想される。「公安条例と最高裁」の最高裁が相手である以上。
 世界に南博が「『政治評論家』の心理と論理」を書いているが、私自身かねてから臭いと感じていたこんな評論家がいる限り。
 夏休みに「権利のための闘争」を読んだが、まさしく我々の前にあるのは「権利のための闘争」であり、我々の不作為は、たちどころに自らの権利の喪失となって返ってくるだろう。我々が一刻たりと、今日の政治的社会的状勢を見失うことは、直ちに不作為犯を犯すことになるであろう。少なくとも今私に出来る闘争は、現状を良く知ることであり、態度決定を的確にすることである。

 

1960.8.26 Friday

1960.8.26

Freitag,den26 August.schoenes Wetter.Heute stand ich frueh auf.Um 3.25Uhr spielte ich dasu Tennis mit zwei Maedchen.heute um 0.30 begann Olympische Spiele zu Rome.


ローマ・オリンピックが始まった。
二十五日午後四時半過ぎ(日本時間二十六日午後0時半)選手団の入場行進から開会式が始まった。
 オリンピックは若人の祭典と言われる。若人。この一般的名称になら私も含まれている。そして実際今ローマで活躍している選手のほとんどが私と同じ歳ぐらいの若者ばかりなのだ。最も若い選手で十三歳のボートのマックだという。千九百三、四十年代に生まれた世界の若人が気力溢れる競技をローマの輝く光の下、ローマのきらめく星空の下に繰り広げているのだ。私とほとんど同じ長さだけ生を受け、私と同じ時代を生きた世界の若人に激しい親近感を覚え、激しい嫉妬を感じる。
 四年後東京でオリンピックが開かれる。世界の若者が日本にやって来る。同じ時代を同じ長さだけ生きた世界中の若人達がこの東京にやって来る。考えただけでも心躍る。その日のため、英会話を是非マスターしたいと思う。そのためには忍耐が必要であろう。そして四年の後には必ずや、自信を持って英語が話せるなら、世界の青年となんと多くの友情を交換できることだろうか。
 私は今日発心してイギリスの女性と文通することにした。まだ手紙も書いていないし、出したところで文通 が成立するか否かは相手次第なのだが、相手が見つかるまでは続けて手紙を出すつもりだ。
 何を思い、何を考えているのか、世界の若人よ。私はそれが知りたい。

 

年月日 曜日 日記本文
1960.8.26 Friday 1960.8.26(続き)

 昨日、榊原博君に電話を掛け、為永留美子嬢のことで冷やかしたり、励ましたり。彼はなかなか元気そうで、「エッヘッヘ」と笑っていた。
 そう言えば今日二十六日が彼ら二人の東京での最期の逢い引きの日になっているらしい。
1960.8.27 Saturday 1960.8.27

 今日二冊の本を買ってきた。「英文手紙の書き方」と「英語と私」。後者はNHKの英会話を担当する松本亨の著書。一気に読み終えた。140円。得るところは多い。
 前者の方を参考にして今日イギリスのMary Francis に手紙を書いた。十日以内には相手の手に渡るはずである。一体どんな返事が来るか興味深い。相手は17歳の少女。趣味は映画・レコード・読書だそうだ。楽しい文通 をしたいものである。

1960.8.29 Monday

1960.8.29

◆台風16号本土上陸

◆


1
闘魂は
今ぞ 極めり
惜しみなく
力競いて
掲げなん
勝利の旗を
淡青の
この空の下
おおわが東大
はえある母校

2
団結は
今ぞ極めり
逞しく
技をふるいて
開かなん
勝利の道を
淡青の
この空の下
おおわが東大
はえある母校

3
歓喜(よろこび)は
今ぞ極めり
ひたぶるに
務果たして
歌わなん
勝利の歌を
淡青の
この空の下
おおわが東大
はえある母校


今三十分ばかりで作ってみた。本年度の応援歌応募作品である。たいしていい出来とは思わないが、万が一のこともある。入選したらもうけものだから応募してみよう。もしこれが、神宮で歌われるようなことになったら、どんなに嬉しかろうとは思うけど、ね。

(注:現在この歌詞が東大の第一応援歌(作曲者:山中一由さん)として、神宮で歌われている。その後の推敲などにより、現在の歌詞は、以下の通 りとなっている。

『闘魂は』
1
闘魂は 今ぞ極まる
逞しく 力競いて
掲げなん 勝利の旗を
淡青の この空の下
おおわが東大
栄えある学府

2
団結は 今ぞ極まる
惜しみなく 技をふるいて
開かなん 勝利の道を
淡青の この空の下
おおわが東大
栄えある学府

3
歓喜は 今ぞ極まる
ひたぶるに 務果たして
歌わなん 勝利の歌を
淡青の この空の下
おおわが東大
栄えある学府
)


 

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