| 著者・編者名 | 書名 | 訳者名 | 出版社 | 出版日 | メモ2 |
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| エリック・フォスネス・ハンセン | 旅の終わりの音楽 | 村松潔 | 新潮社 | 1998.5.30 | タイタニックが沈没を始めてからも、演奏を続けていたという伝説的な楽団員の生涯を、想像力と史実を織り交ぜて描き出す。出航する朝、バンドマスターであるジェイソンが、安宿を後にするところから、この長編小説は、静かな文体でじっくりと動き出す。巨船のように。 |
| ジェイムス・ヘリオット | 生き物たちよ | 大熊栄 | 集英社 | 1993.12.20 | 同じ著者の「ヘリオット先生奮戦記」(All Creatures Great and Small,早川書房、1981年)に登場する獣医のヘリオットは、駆け出しだったが、この本に登場するのは、もうれっきとした獣医である。奮戦記が1972年の作品であることを思えば当然である。語り口の滑らかさ、つねに笑いとペーソスを漂わせ、緑豊かなヨークシャーという大地を背景に、純朴な人々と、命を持った動物を相手に奮闘する獣医としての経験を生き生きと描いて、飽きさせない。
冒頭に、蕁麻疹を病む大型の馬の治療を頼まれ、蕁麻疹の薬と、かねて試して見たいと思っていた新種の抗ヒスタミンの薬を同時に注射する話が出てくる。注射された馬が、しばらくすると「どさりと地面に倒れ、・・四本の脚を痙攣ぎみにばたつかせていたが、やがて全身がぐったりなった。もうどうにもならなかった。」 ここまで読めば、ヘリオット先生がいかに窮地に陥ったか、同情を禁じ得ない気持ちになる。ところが、馬はもぞもぞと動きだし、何事もなかったように主人のほうへ歩いていく。回復はあっけにとられた転倒と同じくらい速やかで、蕁麻疹の斑点もあらかた消えていたというのだ。 こうした実話が次々に出てきて、興味はいやが上にも盛り上がる仕掛けだ。 |
| フランシス・ジャム | 桜草の喪・空の晴れ間 | 手塚伸一 | 平凡社 | 1994.4.15 | 「ぼくはぼくの想いを少女たちにたとえるのが好きだ。
ぼくの想いにも少女たちのあずおずした脚のまるみがあり、 笑い声のなかの嘲るような心の昂りがある。 少女だけがぼくを退屈させなかった。
こんなにやさしい調子で、この第二の悲歌にしても、20ページも続くのだ。こんこんと詩情がわき上がって来る趣がある。読めば青春の日の想いが甦り、懐かしさで心が満たされる。 |
| 多田富雄 | ビルマの鳥の木 | 日本経済新聞社 | 1995.10.19 | 同じ著者の「生命の意味論」を読んだことから、購入してみたのだが、読みだしたら、その先が読みたくなる本だ。様々な詩誌に掲載したエッセイを集めたのだが、関心領域の広さと、また知識の深さに驚かされる。免疫学の権威らしいのだが、自ら能のシナリオまで、ものにする人なのだ。冒頭の5つのエッセイを読み終えたところだが、一つ一つが含蓄に富み、簡単にはものにすることのできない内容を湛えている。
「グランビーのねずみおばさん」は、実験医学の実験に使われている純系マウスの多くが、ミス・ラスロップという小学教員だった女性のねずみ小屋から生まれたのだが、地元ではすっかり忘れ去られていた。著者が、74年も前に死んだ彼女をグランビーに訪ねることから、地元でも、彼女の来歴を調べ、彼女を記念する奨学金を提案するする人が現れたというエッセイである。 「サンティアゴの雨」では、トウガラシの来歴を述べたところが面白い。インドのカレーも、朝鮮のキムチも、中米原産のトウガラシが、コロンブスによってヨーロッパに持ち帰られ、アジアに広まるまでは辛くなかったという話だ。 「ビルマの鳥の木」は、死が日常的なビルマの、泊まったホテルの前の大木に朝夕訪れる数万数千の黒い鳥の話だ。その圧倒的な鳴き声は、われわれ東洋人が共有している死の声であったと著者はいう。 |
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| 出久根達郎 | 古書彷徨 | 新泉社 | 1987.9.1 | 例によって古書一本の、切れのいい短編エッセイのオンパレードである。どれも似たり寄ったりであるが、切りどころを変え、構成に心を砕き、しかも、小太刀を思わせる文体で鮮やかにさばいてみせるので、つい読まされてしまう。 | |
| 桑原武夫 | わたしの読書遍歴 | 潮出版社 | 1978.8.25 | 「私はそうじてフェティシズム(拝物)を好まないが、書物に対しては特にそうである。アランはフェティシストと自称しているが、それはテクストについてであって、傑作の抄本、削除、誤植に堪えられぬというのである。そういう意味なら私もまったくフェティシストである。しかし傑作はどんなザラ紙に乗っても、やはり美しい。ラシーヌは五フラン本でもあくまで清純であり、パスカルは教科書版でも思想の深淵をのぞかせる。天のなせる美人は粗服にしてかえって美しく見え、そこに一種の風情すらあるといえる。傑作を験する一法というべきか。」194(p.13)
まあ、古本屋から、100円也で、この本も含め、色んな本をいそいそと買って帰る私にしても、フェティシズムを好む人士とは無縁のようだ。 |
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| アニー・エルノー | シンプルな情熱 | 堀茂樹 | 早川書房 | 1993.1.31 | 恋をする女性の心理と生理とが、簡潔な文体で淡々と描かれる。恋というより、性愛そのものに近いのかも知れない。二ページ程度の短文を積み重ねながら、読者をぐいぐいと引っ張って行く。
女性には、成人した二人の子供があり、五十近く、夫とは離婚している。相手の男は、年下だが、もう40に手が届く年輩。それほど知的レベルの高い男とも思えない。東欧の外交官らしいその男には妻がいて、彼女の方からは一切アプローチできず、ひたすら男からの電話を待つよりない。そういう情況に置かれた中年女性の焦燥感や性への渇望が、その息づかいまでわかるように描かれており、読みだしたら、巻を置くことができない。全編わずか100ページ程度だから、一気に読んでしまった。
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| ブルース・デイヴィス | ジェニーとの旅 | 香咲弥須子 | 青山出版社 | 1996.6.25 | いろいろなタイプの夢についての記述がある。
「まず、不安な夢があります。日々の生活で消化しきれていないエネルギーから生まれる夢です。覚めている間に自分で責任を負わず、未解決のままになっているエネルギーです。 強く感情が吹き出る夢は、深いところに潜んでいる声が、気付いて欲しがっているのです。 繰り返し見る夢は、ある一定の型にはめ込まれた記憶のようなものです。何か結論の出ていないものがあって、そこに心がとらえられているのです。 明るく透明感のある夢は、瞑想などで深く目覚めている時と同じで、魂と人生と肉体がしっくりかみ合っているときに起こります。 飛ぶ夢、身体が常識を超えたことをする夢は、いちばん重要なのだとドリスは言います。このような夢は、私たちの永続性や大いなる自己の表れなのです。」(p。23) なんとなく、そういうものかと思わせられる。 |
| 久世光彦 | ひと恋しくて | 中央公論社 | 1994.7.25 | 日経新聞に連載した80人に及ぶ人物評をまとめたものである。俳優、作家、画家、映画監督、作曲家、劇作家、作詞家、画家、装丁家、訳者、昭和天皇などなど、故人も現役のパリパリも出てくる。
「腰が浮きかけたり、目が泳いだり、情けなく口ごもったりする芝居をこの人ぐらい<本当に>できる役者は、後にも先にもいない。私の夢は、もう一度、卑怯者、裏切り者、嘘つき、女たらし、佯狂、アル中、それらをいとも簡単にやってのける師匠を見ることである。偉人、賢人は誰にでもできると言えば叱られるかもしれないが、生きていることの心細さ、まるで<屁>のような可笑しさ、頼りなさを私たちに見せてくれるのは、師匠、あなたしかいない。それをあなたがやってくれたら、相弟子の向田邦子もあの世で泣いて喜ぶことだろう。」 ここで、向田邦子と相弟子となったという師匠とは、森繁久爾である。 どの人物についても、なるほどと思わせるところで、良くまとまっている。たとえば中野翠の編。 「こういう子が、<いまの文化>の中にいてくれると、とにかくホッとする。・・・<いまの文化>の中に、しゃれた指定席を持っていて、しかもちゃんと祖先の墓前にたたずむことの心地よさも知っている、当節めずらしく賢くて感心な<子>なのである。だから、疲れた夜など、雑誌をめくっていて、ふとこの子に出会うとホッとする。 一度だけ会ったことがある。桔梗納戸の着物の肩が細い、影が薄くて頼りなげな子だったが、えてしてこういう子の肌はやわらかく、その中の骨はまっすぐで硬い」 文章がいい。 太宰治は好きだが、永井荷風は嫌いらしい。 |
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| 宮部みゆき | 本所深川ふしぎ草紙 | 新人物往来社 | 1991.4.5 | 才女宮部みゆきは、時代物でも頑張っているようだ。
第1話「片葉の芦」:一応推理小説仕立てだが、謎解きにウエイトがあるというより、人情話的内容に重みが置かれている。人の表面面と本当の人間性との差の大きさがテーマである。守銭奴と世間の評判の悪い大店の主人と、その娘で、親切心はあるものの、苦労知らずの、お嬢さんとの対比が、主人が殺されることで鮮やかに浮かび上がるところが面白い。 |
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| 藤水名子 | あなたの胸で眠りたい | 集英社 | 1994.7.25 | 中国時代活劇・恋愛小説という新しいジャンルを切り開いたという藤水名子の第二作。劇画的なスピード感ある展開で読ませる。 | |
| 藤水名子 | 風刀 | 集英社 | 1995.1.30 | これは「あなたの胸で眠りたい」が、面白かったら読もうと保険のつもりで買ってきた。 | |
| スー・サベージ・ランボー | カンジ | 加地永都子 | NHK出版 | 1993.3.25 | ボノボの「カンジ」が、言葉を理解する能力が高いことは、テレビでも、放映されたことがあるので知っていて、興味があった。この本はカンジを育てたランボー博士の日本人向けの書き下ろしである。
「このボノボは言語をコミュニケーション体系として、つまり人びとが互いに自分の考えを語り合う手段として理解することになった。それまで一度も聞いたことのない文を聞かされても、その意味を理解できた。さらに彼は印刷されたシンボル(図形文字)の読み方を覚え、シンボルを使って人と会話することを覚えた。
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| 坂崎重盛 | 超隠居術 | 二玄社 | 1995.7.10 | 私も隠居を考えなければならない年である。
隠居するからには、惨めったらしい隠居より、超隠居のほうが素敵だ。本の帯には「快楽的人生への招待状」となっている。「超隠居術」とは、「隠居術」の”オイシイ”要素を、年齢や立場に関係なく、自分たちの生きかたにバラ撒いてしまおう、ともくろんだものなのだそうだ。いわば「快・楽的生活のすすめ」の書であり、われわれの心や体を縛りつけている目に見えぬ縄から、なんとかくぐり抜けて、少しでも自由に身軽に生きるためのヒントを提供する意図の本らしい。自称平成の道楽者である著者にしたがって行けば、無事超隠居術なるものが身に付きまうやら・・・ |
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| 田中誠一 | ゴルフ上達の科学 | プレジデント社 | 1993.6.26 | 塩谷育代と金井清一のお師匠さんである。この二人の対談をベースにまとめた「パーフェクトゴルフ」なんぞを読んだことがある。この本はさすがにお師匠さんのものだけあって、わかりやすく良くまとまっている。
著者によれば、ゴルフでいいスコアを出すためには、「体力」「巧みさ(スイング)」「知的作業能力」の三つの技能能力が高くなければならないらしい。 運動能力として要求されるのは、全身持久力と柔軟性である。これを向上させることが、上達へのいちばんの近道らしい。ゴルフは歩くスポーツであり、エネルギーの実に92%は歩くことに費やされるのだ。 全身持久力は、次の四つの要素ー肺のガス交換機能、血液の酸素運搬能力、心臓の機能、血管の太さと弾力性ーから成り立っている。この持久力が高いと、歩く能力が優れ、疲れにくいので、ショットが安定し、最終ホールまで、集中力と知的作業能力を維持できるらしい。 要するに、スコアを良くしようと思ったら、ボールをたたくスキルだけをどれほど磨こうとだめで、体力を付け、全身持久力と柔軟性とを高めなくてはならないのだ。急がば回れ、今日からトレーニングを開始! |
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| 横尾忠則 | 彼岸へ往ける者よ | 文芸春秋社 | 1978.10.20 | 1976年11月から1978年7月までの日記のようなものである。最初はスペインのバルセロナで、ダリに会いに行く話である。
蟻が好きだという話も出てくるが(P.87〜)、ここのところは、きわめて常識的で新味に乏しい。 |
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| 松尾スズキ | 大人失格 | 光文社 | 1999.8.20 | 文体も構成もかなり独特だが、著者は、笑いのつぼを心得ているように思う。
林こぶ平とのトークショウで、こぶ平が「松尾さんとかがやっているような、過激な笑いに憧れて、たまにチャレンジしてみるんですけど、どうもうまくいかなくて」と言うのに対して、
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| 高橋秀実 | 素晴らしきラジオ体操 | 小学館 | 1998.9.10 | 都内に年中無休のラジオ体操会場は266カ所もあり、全国には3000万のラジオ体操人口がいるらしい。毎朝6辞0分、それこそ、雨が降ろうが槍が振ろうが会場に出掛けてラジオに合わせて体操をする自称「ラジオ体操人」がいるのだ。ユニホームは、帽子から靴まで真っ白、この服装で、海外のラジオ体操祭まで出掛ける。ブラジル、中国、オーストラリア、ハワイだろうが、これで、家からずっと飛行機にも乗り、機内食もこれで食べるのだ。
ーなぜですか? 「なぜって、あんた、ラジオ体操ですから」 何を訊いても、答えはここに行き着くらしいのだ。 「高齢化の著しい今日、年々、元気な新老人がラジオ体操人化しており、ラジオ体操の渦はますます拡大しつつ」(p.21)あるらしい。「ラジオ体操は共振現象なのである。」(p.26)「体操というより、むしろ日本人の習俗、競技こそないがまるで「宗教儀式」のようである。日の丸や君が代に何の感慨も抱かない私も、なぜかラジオ体操には共振してしまうのは妙なことである。」(P.27)「ラジオ体操は日本人全員に刷り込まれた集団暗示のようである。」(p.29) そこで、著者は、その正体を求めて、全国行脚の旅に出るのだ。日本人の行動様式を示すラジオ体操の奥を極めれば日本人をそして昭和を描くことにつながるのではないかと考えて。 |
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| 鈴木孝夫 | 日本人はなぜ英語ができないか | 岩波書店 | 1999.7.19 | この著者の著書はかなり読んだ。「ことばと文化」、「日本語と外国語」、「閉ざされた言語・日本語の世界」、「武器としてのことば」などだ。だから、今更、表題のような書物を読んでも始まらないと思ったのだが、買ってしまった。
最近も、日本人の英語力がアジアでも最低レベルであるというトーフルのテスト結果が出た。これまでの英語教育がしかるべき効果を上げていないことは、いうまでもない。しからばどうするか。 著者がいうように、これまでの受け身型の教育ではなく、発信型の教育が必要だろうし、中学時代には、もっと身近な日常生活に必要な単語力をつけるべきであろう。英国の土着英語へのコンプレックスを捨てて、日本人向きの英語を身につけることも、必要だろう。ぱらぱらとめくっただけだが、もう少しじっくり読んでみよう。 |