編集者のつれづれノート Editor's Note
皆様、良いお年を、新しい世紀21世紀を、お健やかにお迎えのこととお慶び申し上げます。ことしもよろしくお願いします。


 (2001/1/24掲載)

 目次(お辞儀の秘密、知的熟年ライフの作り方、教育ママ、レイリー郷、伊藤元重東大教授、player、IT革命)


 

playerの時代  

 ブルース・S・ファイラーの「お辞儀の秘密」(早川書房1995年)という本を 読んでいるが、日本にとってごく当たり前でことさら意識もしないような普通の 文化状況が、アメリカ人にとってはとても新鮮で異質で、ときには、呆然とさせ られるほど奇異に映るものであることが、手に取るようにわかって、とても面白 い。エンカイ、カンゲイカイ、カラオケ、オジキ、セイフク、ウンドーカイ、キ ュウショク、チョウレイ、ゴーコン、ラブホテル、カテイホーモン、ケッコンシ キ、シュウガクリョコウ、コウソク、シュウギブクロ・・・  

 

 著者は、栃木県佐野市の中学校に「生きた英語」を教えるべく文部省の計画の 一環としてアメリカから一年間招聘された経験がある。その時勤務した中学校で の経験を中心に描いているが、著者は後年ライターになるぐらいだから、人前以 上の旺盛な好奇心の持ち主であるだけに、ひとり中学校に留まらず、それを取り 巻く地方都市から東京まで触手を伸ばし、そこに生活する日本人の生き様の諸相 を、細部にわたってユーモア豊かに的確に描いている。

 長々と本の紹介をしてしまったが、本題は別の所にある。

 本の中で、著者が、日本人の生徒にとって、母親像が、必ずしも、慈しみ深い 温かいイメージより、アメリカでは教師に似た社会的地位を持ったかなりきつい イメージでとらえられているのに驚いたというくだりがある。いわゆる教育マ マ、ママゴンとしての母親である。

 地元の教育委員会で著者の面倒を見てくれている元教師が一緒に夕食を食べな がら、「家内が考えているのは入試のことだけです」(中略)「・・・ときど き、うちのかみさんはたった一つの言葉しか知らないんじゃないかと思うんです よ。ベンキョウ、ベンキョウ、ベンキョウ」と言ったことを紹介している。  その際、あなたはのお母さんはどう言っていたかと問われて「わたしが子ども の頃、母親はわたしに別の言葉をくり返した、とわたしは言った。『ボビー、ホ ビー、ホビー』と言って母は説教した。『宿題だけやってたんじゃだめなのよ。 自分が興味を持つものを作っておかなきゃ』と」(p.156)。

 日本で、子どもに、趣味、趣味、趣味とくり返す母親がいるだろうか。寡聞に して知らないが、いてもごく少数であろう。もとよりアメリカの実状は知らない が、日本よりは多いような気がする。言ってみれば、教育ママの対極に立つ母親 像である。わたしは、こういう母親に育てられたファイラーがうらやましい。子 どもの頃から、自分の興味の持てるものを作っておくと言うことは、とても大切 なことのように思うからだ。仕事中毒の会社人間が育ちやすく、趣味さえも会社 の許容範囲のものをほんの少ししか持たない人が多いのも、子どもの頃からの、 こうした家庭環境・教育環境の差が大きく影響してのことだろう。日本にも、一 人でも多くのファイラーの母親が出て欲しいものだ。

 私の母親は、趣味趣味とくり返す母親ではなかったが、幸いにして、ベンキョ ウ、ベンキョウとくり返す母親でもなく、わたしの好きに遊ばせてくれた。だか らこそ、多くの趣味を身につけることが出来たと感謝している。

 小山慶太の「知的熟年ライフの作り方」(講談社現代新書2000年)の冒頭にレ イリー郷の話が紹介されている。ところで、この著者だが、理科系ながら文学の造詣が深く、こ れまで「漱石とあたたかな科学」という著書を読んだことがある。

 レイリー郷は、1904年にノーベル賞を受けたイギリス貴族の物理学者である。 この人は、もっぱら屋敷にもうけた実験室で研究活動をした。科学実験は仕事で なく趣味の一つだったという。寺田寅彦の卿の評伝から「全く自分の楽しみのた めに学問をし、研究をした。(中略)彼にはいわゆる専門はなかった。しかし何 でも、手を着ければ端的に問題の要点に肉迫した。」という引用がある。

 小山はここから説き起こし、学問は楽問であり、「学問とは本来、強いられた 退屈な作業ではなく、知的好奇心をそそる面白い営みであり(純粋な意味で)大 人の心躍る遊びであるからこそ、それにのめり込み、すぐれた業績を上げる人間 が大勢いたわけである。職業や実利性とは無縁の俗事を離れたところで、学問は 花開き、発展してきた事実を見落としてはならない。・・・科学の研究が職業と して広く社会に定着したのは、やっと十九世紀に入ってからのことである。とい うことは、かつて学問は立身出世やパンを得る手段ではなく、アマチュアリズム に通じる趣味の対象、つまり楽問だったといえる。」(p.20)と主張してい る。

 話は変わるが、最近東大教授の伊藤元重教授の講演を聴く機会があった。その 中で、産業革命は、人間をlaborerからworkerへ解放したが、IT革命は、worker をplayerへ解放するという説があることを紹介した。

 これを聞いて、なるほど我が意を得たりと思った。従来から人生を愉しみから 愉しみへの旅としてとらえ、仕事も愉しくと趣味の延長線上で考えてきた私にと っては、ようやく、私向きの、願ってもない時代が到達しつつあるとの観を深め た。大歓迎だ。

確かに趣味をworkerとしてやるわけには行くまい。テニスやゴル フをやるのはplayであるように、趣味、楽問の類をやるのもplayでなければなる まい。わたしのこれまでの生き方は、playerとしての生き方だったのだ。

 私は今もって色んなことを学ぶことは大好きだし、趣味も多いので、いつもや りたいことがいっぱいだ。確かに、時間のやりくりには苦労はするが、どれも愉 しいことなので、それも嬉し悲鳴というものだと思っている。

 IT革命によって、単なる知能労働から人々は解放される。創造性豊かな知的活 動を人間は受け持つようになる。こうなるともうそこは心躍る楽問の世界であ る。趣味の世界との境界線もない。こうして、workerからplayerへの脱皮が進む だろう。一人でも多くの人が自覚的にplayerへの仲間入りを、一日も早く果た してくれることを願っている。仲間が多いほど、playは愉しいものだ。  


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