日記の部屋1956(01)/Diary1956(01)
 2000年7月2日:1963 日記に引き続き1956年日記を掲載することにしました。故郷の島原で、高校に通う17才、二年生の時の日記である。43年も前の、まだ世の中を何も知らない初々しさと、何ものも恐れない覇気とを持った少年時代の日記である。1963日記同様、大抵のものは時効であろうし、これを公開しても差し支えることはもうそれほどあるまい。引き続き、自分の半生の回顧と整理を兼ね、この部屋に掲載することにした。

もし、読まれて、登場する人物や言及されたエピソードなどに思い当たる人は下記に是非メールを下さい。
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年月日 曜日 日記本文
1956.10.1 Monday ◆人間は新しきものの前では謙虚である。
私がこの新たなる第一頁を開いて、さて、この日記の初頭を飾るにふさわしい種はないかと考えたのもこの新しきものに対する敬虔さを持つためであろう。自然が一年を、春夏秋冬を、一月を、一日を、与えたのも人間を知っていたからである。人が正月を、週を、ついたちを作ったのも新しさに対する人の気持ちの現れだと言えよう。
 しかし、この新しもの好きの人間が、この一日一日が全く新たであることを案外忘れている。もともと正月を持ちたがるのも人が日々を習慣上に考えていることの具体的な表現に他なるまい。この新たなる一日一日を私が泳ぎ進む時、その小さな飛沫や波がこの日記を濡らすであろう。私は全ての飛沫が、波がなるだけこの日記を濡らして欲しいと思う。
 しかし、補助者の私に力がないから、全然濡れなかったりすることも起ころうし、ほとんどが小さな波の一滴(しずく)の濡れでしかない場合で占めるものと思う。しかし点滴が岩をもうがち、大海をもなすようにその真剣な一滴一滴によって私は私を鍛え私の海を作っていきたい。
 長夜更けて庭に溢るる虫の声
1956.10.2 Tuesday ◆未来のあらゆることに可能性を信ずるように私の心は純心である。今、この純心さを喜ぶべきか喜ばざるべきかは決めかねる。それだけ経験のない証拠だ、純心でなくて単純なんだと決めつけられないこともない。他はともあれ、私としてはこの気持ちはいつまでも失いたくない。
 高校二年生ともなると自分の未来の設定を行う準備があってもいい歳だ。学習上の長・短もおおよそ見当がつき、自分の使命を悟るようになる。だからといって今直ちにあまりにも狭き道を自己の前に設計するのは損である。隠れた才をこれから後に発見しないとも限らないし、社会的に偏りすぎた人間ができぬとも限らない。
 我々は天才ではないのだから、自らの使命でさえ容易に見つけ得ない。それが人生六十年をその四分の一年で決定しようとするのだから、人生を賭けた大博打である。当たるも八卦当たらぬも八卦で済まされぬことはもちろんである。
 私の純心な心はこれを理由に、あらゆるものに可能性を信じて広い夢にときめいている。それにしても越さねばならぬ大学の門。これを考えるときばかりは純心な心も可能・可能とあまり強がらないようだ。ここに純心さの崩壊する芽が潜んでいる。
1956.10.3 Wednesday ◆今年の運動会のプロムナードは、先生が御趣向を変えられて、男と女が手をつないで行進するのでございます。こういうことが常日頃の学校もございましょうが、私どもの学校では全く180度の大変化でございまして、生徒にとりましては一種奇妙な気がしないでもありません。
 今日その練習がございました。男二人に女一人の割では女が可哀相(?)でしたが、どぎまぎしたのは男の方で女性軍のドキョウの良さを思い知らされました。
 二年生がこのプロムナード。一年生が男女一緒に違った体操をするといった凝った趣のもの。三年が全員で、三つの大きな輪を作って民謡の踊り。どれもこれも男と女を交互に配したところなど、先生の悪趣味、興味本位のものではないかと疑われます。男女共学の実を上げようと言うのが本意でございますならば、こんなみみっちいやり方でなく、もっと根本的な対策が必要なのではないでしょうか。どうも、私の学校では男女間が悠々行路心でありすぎます。
 私たちが異性に対して興味(以上の感情)を抱かなかったらかえって異常ではないでしょうか。そうでありながら男女の仲が隔たっているのは、どんな訳なんでございましょうかねぇ。
1956.10.4 Thursday ◆映画(6:45p.m.〜10:45p.m)失われた少年。黒い絨毯。
今日の映画「失われた少年」の中で少年の父の言葉に、
「君たちには未知の世界の冒険がいっぱいある。魔法の国の窓を見つけだすことのできるのは君たち子供だけだ」というのがあった。
 その父親は世界の名作の夢を子供に歌ってきかせる。なんだか私の失われ行く”少年”に響く言葉であった。大いにフランスの風物に注意したつもりだが得るところはあまりなかった。
1956.10.5 Friday ◆ある高校生の心理。
その高校生は私にこういった。人捜しなら人捜すふりをしてすぐに競技を止められる。もちろん運動会についてで、もう随分(20日位)前のことである。
 今まで、その生徒は極度にこういったものを嫌(ったふり?)い、実力は随分あるのだが競技には出まいとした。別に深い意味もなく単に賞品に淡泊であることを人に示そうとするようにも取れた。出るのが馬鹿らしいと考えているのかも知れないと考えたのだが、多分可笑しいという感情もあったであろう。
 ところがその生徒が、運動会の競技種目中最も難物のマラソンの出場を自ら思い立った。もちろん彼が嫌いなはず(であった?)の賞品も一番良いし、びりでも賞品はある程度の少人数だが、可笑しいという感情を抱くに十分な条件もある。マラソンを走るくらいなら馬鹿らしかったはずはなく、私の考えていた彼に対する推理は崩れてしまった。
 思うに彼は完全な名誉欲の男ではあるまいか。マラソンという随一の難物で上位入賞すれば大した栄誉ではないか。勉強も良くできる彼は、今ここに学と運動の両面で主導の位置に立たんかなと自分の力を信頼しつつ虎視眈々とスタートに立ったのである。
1956.10.6 Saturday ◆明日は運動会が行われる。天気もまず安心できそうである。母と姉は今弁当作りに大童。
 時がそうさせるのか、私には運動会といってももう大した感興も湧いてこない。そして、幼かった日の自らの姿にうっすらとしたおぼろげな哀しさを覚える。
 どんなことにでも、その時の自分の全ての思いを傾けなければならないと思う。他にこだわらず、自ら湧き出た嬉しさも哀しみもその対象に包み隠すことなくぶちまけてしまわなければならない。幼かった私が、どんなに精一杯の感情を運動会の前の日の寝床に持ち込んだことか。それを抱き締めつつ夢路にたどり着いた面影が、感興を覚えない、歳を重ねた現在の自らの姿に今激しい可憐な抗議を申し込んでいるのだ。
 時がそうさせるのか、私はもう幼き日を忘れようとしている。小学生の私は、マーク・トウェーンを読んでは、少年に無理解な世の大人に非難の眼差しを向けて、大人になっても決して今の自分の気持ちを忘れない、子供に理解ある大人たらんと考えたものだったが。その時の今が、大人になりつつある今と同じであることを考えていたかった。私はすでに弟の気持ちー私がその年齢ならば同然そう考えたであろうようなーさえ踏みにじってしまうことが多くなってきた。
 私はもう一度、現在の世俗的な、学問的な知識を全部投げ捨てて、ただ「早く大人になろうと思わないで、幼き日を十分楽しもう」という考え一つ持って、子供の世界に舞い戻りたい。しかし、子供にこういった考えがないからこそ真に子供らしく楽しい日を過ごすことができるのである。
 私は未だ若い。その私が、既に幼年時代に懐かしさを覚えている。もう一度繰り返す。私は未だ若い。過去を追憶するのも良いが、人生の遙か行く末に目を向け、いたずらに時に惑わされてばかりいてはならない。
 そうだ!私は未だ若い。若さに満ちあふれている。
1956.10.8 Monday ◆運動会も良い意味にせよ悪い意味にせよ波瀾なく幕を閉じた。
ところで、僕たち二年三年はタンブリンをやった。そこで困ったことが起きた。僕たちの仲間に一人の欠席者が出たことだ。しょせん、団体の技であって見れば一人の欠場でさえ演技に相当響く。場合によってはその仲間の演技中止さえ起こりうる。しかし、やむなき理由ー病気、事故ーがあるならば、仕方のないことではある。
 で、訊いてみると病欠ではない。呆れたことには、”おくんち”見物のための欠場であることがわかった。僕にとってはまったく言う言葉がないほど呆然とさせられることであった。今まで親しげに口を利き合っていたことでさえ忌々しかった。その笑顔が頭に浮かぶのさえ苦々しく思った。彼の頭は一体どんな構造なんだろうー頭の格好から”ダットサン”とあだ名されていたがー。
 彼には同情すべき点はない。真面目に”ピラミッド”の下で歯を食いしばり合った僕たちとおくんちを見物に行った彼と、どっちが利口者だろうか。どっちがあくまで清々した顔でいられようか。もちろん彼が私と公の務めを識別できないようなノンセンスなら話は別だがーある意味では彼は利口者かも知れない。土にまみれた僕等を上から無感覚に笑う立場にあるのかも知れない。
 しかし、彼がちょっと他人の非難の目でも意識するようだったらおくんちの美しい彩りも色あせてしまうだろう。いやいや彼の無神経には念が入りすぎているのだ。彼は一言、軽く「ほんてや」とにやりと笑うだろう。それで僕等が五人でやるものを四人でやり、彼に代わって初めてやった位置で僕が肘を擦りむいたことも終わってしまうのだ。おくんちに行く計画を立てながら運動会の最後の練習にまでご丁寧に出場した彼ではないか。
 あんな馬鹿らしい”奴”のことを仰々しく書き立てるこの書き手も馬鹿と言えば馬鹿であろう。しかし、こういったことが軽く思われる社会機構に何らかの欠陥はないのだろうか。上級生が下級生を殴ったといえば大問題にする我が校でも、こういった問題は取り上げない。罪の重さから言ってなんら両者に優劣の差は見当たらない。文明化が進めば進むほどこの暴力問題と公的義務の不履行は排斥せねばならないことである。
1956.10.9 Tuesday ◆私の考え方は狭い偏った物であろう。私がもし完全に自分自身を適当な位置に置いて客観的に見ることが常にできるような余裕の持ち主であるならば、私の日記にももう少し面白い幅のある物が書けるのではないだろうか。少しでもそう言った余裕を持てるように心掛けたい。
 私のこの日記がいたずらに私の考え方を固定化する傾向を見せるならば、私はこの日記をつけることを中止した方が賢いことになる。できるだけ自由な、幅広い事件について、それに対する考え方を記すのが本当の行き方である。

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