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1960.1.15 快晴
○午前九時開場の目黒区の成人の式に臨む。講師:大宅壮一。出し物:ジューク・エイシス。午後。映画「底抜け、ニューヨークの休日」
◆成人の日。この日の駒場寮には騒然たる空気が流れていた。夜八時に入ったころから、マイクはひっきりなしに我々に呼びかけていた。メガホンを通
しての、絶叫する不明瞭な音が、廊下を次々と通り過ぎていった。
寮生諸君!寮生諸君!安保改定の岸全権一行は、明朝八時に羽田を出発します。一刻の猶予もありません。既に羽田には、東大本郷の学生、北大の、九大の、北から南から全国からの多くの学生が集まっています。寮生諸君!我々もただちに羽田に駆けつけましょう。寮食堂の参加者大会に集結してください。出発は十時です。バスを連ねて、羽田に出発しましょう。
寮生諸君!一人残らず、羽田へ!羽田へ!
午後九時半、北寮わきの通路は、その暗い冷たい夜気を震わせる、若々しい歌声が充満していた。寮食堂から、北寮前、バス発車場へ向かう寮生の「インターナショナルの歌」は、生の緊張感を漂わせて自信と誇りに溢れるばかりであった。
北寮前に集まって下さい!
十時過ぎまで、メガホンの遠い叫びは、止まなかった。
バスの発車爆音が鈍く聞こえ、七台のバスは満員だとニュースが届いた。
十時十五分、我々居残った北寮二階の連中は、最後のバスに乗り込むように呼びかけられていた。
彼らは出発する。勝利感と、心に一点のやましさも感じない晴れ晴れとした気持に包まれて。
私は居残っている。この穏健な英語会の多くの連中の一人として。
その多くの連中が私に与えてくれる安心感も、罪の共負いとしてのみ、わずかなものであった。私の心のわだかまり、私を卑怯者だとバスの上の彼らは言うだろう。
私は何の行動も取れず、居残っている。
何の行動を取ろうと私は努力したろう?
ただ、私は最初から居残ることに決めてしまって、座りやすい自分の椅子にしがみついていたのだ。それが今日、成人式をすませた私の行動であったのだ。
午後十時半。静かな夜は、あらゆる騒音から解放されていた。だが私の心は、火をつけられた芝生のように黒くくすぶりを広げていた。
羽田に行くことが、はたして妥当最善の行動であるかということについて、私なりに色々と考えてはみた。私はそれに結論を下ろせないうちに、午前八時に繰り上げられた岸首相の出発に急襲されたのだ。
羽田に行くと言うことは良いか悪いかという価値判断に決定される筋合いのものではなかった。それは決定されると言うより、我が身の安全を思う心の尻込みがもたらす一つの状態が、結果
として、羽田行きのバスに乗っていないというのであった。
居残った連中にとって、すべてはあいまいに、決定されないままに残っていた。
状態としての居残りに留まらない、心の居残りがそこにはまたあったのだ。
だけど、私にとって、事態は、私がバスに乗ったとしても同じだったかも知れない。
私の行動は、その場合、他からの誘発に対する単なる追従でしかなく、どっちみち、私の意志は存在しなかったであろうから。
道路の上の寝ころび戦術、実力阻止などを全学連は行うと言っている。私は承服できないし、実際問題として、そういうことをやりたくない。岸政権の今度の安保改定の進め方には激しい憤りは覚えるけれど、手段を選ばない実力阻止はやはり受け入れかねる。
羽田に今夜集まるのはどの位であろう。一般通学生はよほど関心が強くない限り、夜の十時半の出発予定が朝の八時に繰り上がったからと言って歩調を合わせて、羽田に集結するであろうか。一部労働者は、はたして夜十時を過ぎて羽田に集まるほどに情熱的であろうか。
とにかくも羽田に四、五千集まったとする。それで一体何をしようというのか。という、敗北感が私の心の一部には巣くっている。
奇声を上げ、岸の面前で、安保改定反対を叫ぶ。それを知らぬ
顔に、一万の警察官と、自民党の連中に守られてあの国辱的と誰かが言った笑顔をカメラに向けて、岸は安全に米国へ飛び去る。四、五千の奇声が、彼の出発に逃げ去ったという形容を可能にするであろうか。あまりに不法行為を行って、これからの批准阻止の共闘を困難にしはしないか。
いろいろ懸念はある。
それにしても、日本の政治よ。あまりにも今日、私がその責任の一端を持つに至った日本の政治は嘆かわしい状態にありはしないか。あまりにも・・・
壁。新月の闇の中でそれをなぜ廻す私の身体にはあまりにも頑丈で広大無辺の社会の壁よ。いつの日かそれを打破し、満月の月の光を全国民の上に、美しく輝かせたい。
しかし、何と手の着けようのないことか。
(午後十一時五十分)
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