写真の部屋

三内丸山・八甲田山・奥入瀬・十和田湖・八幡平を巡る旅

(2001年12月11日掲載)


4.三内丸山遺跡

一度は見たいと思っていた遺跡を見る機会が

偶然やってきた。三内丸山遺跡についてはここをクリックしてください。

案内図↑

 

ここのシンボルともいうべき↑巨大木柱を復元したもの

 

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↑発見された巨大木柱の巨大な穴

底に材木質が残っていた

 

↑放っておくとすぐ水が溜まるという。それが木材が

長期間保存されたひとつの理由らしい。

6つの巨大な穴
残滓(ざんし)廃棄場。長期にわたり土器を捨てた場所らしく無数の片々がでてくるという  
その内部  
   
   
発掘された遺物の復元作業が続けられている 発掘された遺跡
ヒスイ 発掘された土器

■三内丸山遺跡

JR青森駅の南西3キロメートル、小高い台地上の縄文時代集落遺跡。北西に陸奥(むつ)湾、南には八甲田山が望める。1992年(平成4)、県営野球場建設に先だつ発掘調査で遺跡の重要性が判明、保存が決定した。遺跡はその範囲35ヘクタールという大規模なもの。集落の各施設−住居・墓・倉・残滓(ざんし)廃棄場が定められた地に、長期間整然と用益されている実態が明瞭となった。発掘資料から推察すると、集落の存続期間は縄文時代前期の末から中期末まで1500年間にも及ぶ、まれにみる長期間にわたることが判明、加えて発見された土器などの量はリンゴ用段ボール箱で約4万箱、既調査地面積は5ヘクタール、全掘すれば約25万箱と予測される膨大な量。しかも、質高く・多種多様・話題にこと欠かぬ豊富さ。遺跡規模・遺跡存続期間・遺跡包蔵物量ともに他の諸遺跡を圧倒・凌駕する大遺跡であると評価されるに至った。

三内丸山遺跡のもつ個々の情報−計画的な集落設計、道路と墓列、大規模な造成、埋葬と墓地、祭祀や供養、栗栽培、巨大木柱、朱漆やアスファルトなどが刻々と報道され、「縄文都市」という冠辞が三内丸山遺跡に与えられるに至った。現在、本遺跡をめぐっては考古学、文化人類学をはじめ諸学の援助をうけ生態系、環境系、食料栽培など広汎(こうはん)な分析が進捗しており、まさに「縄文学最前線」の観がある。三内丸山遺跡を熟視することで「都市」の概念を与えることの可否・長期間の連続性・膨大とされる遺物量の解釈がいっそう深められ、はじめて本遺跡の価値は定着するであろう。97年、国の史跡に指定。 (C)小学館

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