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日本の組織(=企業)は平等主義といわれるが実は極めて高度に発達した序列社会である。一見目立たないが巧みに序列がうめこまれており、その序列で労働者を巧妙に操縦する。それが、日本的経営の核心であり、日本企業の強さの源泉でもある。だが、それゆえ序列の末端に位置付けられた者にとっては、住みづらい。本章ではこの序列社会の実像に焦点を当ててみよう。
企業をはじめとする日本の組織には、江戸時代の士農工商ではないが、それに等しい序列が設けられており、それで成員ををたくみに操るシステムがビルトインされている。トップの会長、社長から、最下層の新入社員まで整然たる序列がある。より下位のものは、上位のものの気にいるように万事に気を使わなければならない。新入りは、あらゆる面で劣位におかれ、それこそすべての人の気にいるように振る舞うことが求められ、多くの場合先輩にしごかれ、一人前の扱いは受けられない。しかし、新入りにも心掛け次第で(つまりより上位のものに気を合せ同質化すれば)上にいけることを知らしめ(新入りの社員も、兵士が少なくとも一年我慢すれば初年兵から二等兵には昇進できたように、先輩になれる)、労働者の一人一人がその序列のすこしでも上にいこうという意欲を引出す一方で、誰にもウズ社会のより下層に属する人の存在を知らしめ(例えば正規の社員の下にパ―トタイマ―やアルバイタ―がいる)、自分よりすこしでも下のものに対して優越感を抱かせ、下のものの悲惨さからまぬがれているという安心感をうえつける。これを勤勉の原動力にしており、すこしでも上に行くため、上のものと同質化しようという意欲を忠誠心の拠り所としている。この上昇志向と同質化への意欲とがウズ社会に渦巻きを引き起こすモ―メント=力なのである。
ウズ社会の渦の流れのそれこそごく目立たない一条・一筋ごとが序列である。それを皆がすこしでも上位の、すこしでも内側の流れに入ることを目指して争う。そのためには、ウズ社会の渦の流れに完全に溶け込み歩調を合せ同質化しなければならない。渦の流れにすこしでも逆らってはならない。それでは前には進めない。渦の流れに沿い(=長いものには巻かれて)、流れに乗って一寸でも渦の最深部に近付くように心掛けなければならない。その結果、定年までの生き方、ものの考え方、定年後の身の振り方まで企業に委ねるようになる。委ねざるをえない。それがいわゆる企業への忠誠心といわれるものである。組織に対して、このような白紙委任に近い忠誠心を持つゆえ、企業に完全にコントロ―ルされることになる。つまり、企業は労働者各個人の完全な掌握機能を持つわけである。これこそが日本的経営の強みであり、日本の経済大国化を押進める一つの大きな原動力となったのである。
この様なまことにきめこまかな序列および成員の序列意識は日本組織(=企業)に固有なものであり、日本的経営はそれを巧みに取りいれ制度化している。年功序列制度がその代表例であるが、そのバックグラウンドには、序列に基づく様々なサブ・システムが機能している。年功序列制は、そういうサブ・システムをも含めた組織内の序列に基づく諸々のシステムの総称としてとらえることも出来よう。ウズ社会においてはその最先端へ至るきめ細かい序列が設けられており、その螺旋階段状の序列を長い年月を掛けて一歩一歩昇る。これがいわゆる出世である。年功序列制度の下では同期入社組はある時期まで同一のレベルの肩書きで横一線での出世を保証されているが、その期間の出世競争はウズ社会の中でより上の肩書を目指すというより、ウズ社会のより中心部・中枢部へ接近する競争である。肩書の差が出てくる以前にウズ社会の中心に近い位置まで出世していることが、その後の上位の肩書獲得の必須条件なのであり、もし、それに失敗すれば、その後は出世競争からとり残される。枠外に追いやられ、肩書の前に「万年」という蔑称を奉られるか、体よくお払い箱になる。
日本ではお稽古ごとでも免状があり、これが一歩一歩上の免状をとる仕組みになっている。碁、将棋、柔道、弓道、詩吟、算盤、生花、書道、お茶、踊り等あらゆるところに序列がある。この様に一歩一歩道を極めるのは日本人の楽しみ(=生きがい)であり文化的伝統でもある。その伝統が日本的経営の中にも取りいれられている。
一段でも、高い肩書を取ろうとして頑張るのが、言わば勤労意欲の源泉となる。しかも種目がお茶、お花と特定されていないため、つまり、従業員は専門家ではなくゼネラリストであることが求められることが多く、参加資格が限定されることがないため、常に全員参加の体裁がとられ、上に行けば行くほど限定されていくポスト=「肩書」を争うことになる。そこには常に余剰人員が存在するため、過当競争の色彩を帯びる。
およそ文化は世界に区別と差異(男か女か、兄か弟か、先輩か後輩か、管理職か平社員か)を導入することで成立し、差異の導入から生ずる関係の体系という面がある。例えば日本では、兄弟が二人いるといえば兄か弟かと聞返されるが、欧米では兄と弟の区別にはそれほどこだわらない。これも日本の文化体系が欧米のそれと比べ、年齢による区別や差異にことのほか敏感であることを示している。たった一年入社の時期が違っても先輩と後輩となり、この関係は一生ついてまわり、言葉遣いにも気を配らなければならない。日本語はこの序列意識の強さを写しだすとともに、文化的伝統として定着させる機能を果している。この様な区別と差異から生ずる体系は、社会生活を秩序あるものとして維持するために不可欠である。しかし、区別された者同士(男と女、先輩と後輩、管理職と平社員)がどのように関係付けられるかは大きな問題である。それが相互補完的な拮抗関係にならず、差別を生出すことがある。男女の区別が男女差別に、若者と中高年齢者の区別が中高年齢者差別になるように。
日本企業(=ウズ社会)では、この区別と差異が次に上げるような様々の概念で行なわれる。大学卒(一流大学・二流大学)・高卒・中卒。先輩・後輩。男・女。本採用・仮採用。常雇い・臨時雇い。新卒採用・中途採用。本社採用・地方採用。本社職員・支社(支店)職員。管理部門・現業部門。中枢部門(機能)・末端部門(機能)。成績優秀・成績良好・成績普通。主流の派閥、反主流の派閥。有力者の子弟(関係者)・通常職員。縁故採用・一般採用。親企業・関連企業・下請企業。正規職員・派遣職員・出向職員。管理職・平職員。若年労働者・中高年労働者等である。
これらの区別や差異が渾然一体となって労働者の序列をつける。この序列づけによっていわば気を合せる序列が決められる。職場の中の力関係で一見下克上のような体裁が見られる場合であっても、その背後にはこれらの尺度から見て当然な影の序列が存在することが多い。たとえ部長の肩書を持ち、見掛けの肩書は上でも、有力者の子弟で縁故採用で、一流大学卒で本社の管理部門に席を置き、エリ―トコ―スを走っていると目される課長の方がよほど発言力は強い。つまり、実質的な序列はそちらが上で、部長といえどもそれに合せざるをえない。要するにこの場合課長の方がウズ社会のより中枢部に近い位置を占めており、組織内での安定度・影響度は高い。
序列付は当然のことながら差別をもたらす。平等主義を標榜する以上、大儀名分としては、労働者を差別してはならない。皆平等に扱うべしと言うテ―ゼを認めざるを得ない。それを遵守しようとする意識が逆に、なんらかの基準で区別せざるをえない現実にぶつかると、だれにでも分りやすい明示的な基準、つまり大学卒かいなか、一流大学卒業かいなか、男か女かということ、を取り入れることを暗黙のうちに是認せざるをえなくなる。一方でこの意識を巧みに利用することが利益に繋がる層の定着を促し、結果として学歴社会(学歴による差別社会)、男女差別社会の形成を助長する。これには序列付によって歴然たる差別が生ずるゆえに序列付にたいして極めて敏感で、明示的な何か納得の行くもので序列を付けることしか受入れない面も預かっている。「やむを得ない」と思う必要があるのだ。しかし序列をそれによってつけたかどうかはぼやかしてはっきりさせない。
ウズ社会では「肩書が肩書を呼ぶ」ような人事がおこなわやすいのも明示的な基準で人事を行い「皆の納得を得よう」とする意識の現れでもある。「結局は、無難で、だれもが納得する人事になる」これは、ある都銀の頭取人事の際の前頭取の言葉である(1)。部下の気を合させるためには求心力の強さを重視する人事が行なわれる。そこでいわゆる箔=重み=一種のカリスマ=気力の元が重視される。その結果一度気にいられていいポスト=肩書きを手にいれるとそれが箔となり次のいいポスト=肩書を呼び更に箔がつくのである。重要ポストを歴任しほかと比べて差が開けば開くほど、相手を圧倒して気を合させやすい。こうして、「肩書が肩書を呼ぶ」形での人事管理がおこなわれる。これがエリ―トコ―スといわれるもので、実績より、肩書という明示的な基準に準拠した人事という点は同じである。こうしたいわゆるエリ―トコ―スに乗ると実力以上に偉くなり、人身を極めることになる。最初に与えられたポスト=肩書が低いと、そこでどれほど実績を上げても、評価されず、最初のポスト(=低い肩書)に相応しいポストへ回されるのが落ちだ。最初のスタ―トからこうして徐々に差が付いていく。一度気に食わないと思われ周辺へ追いやられるとなかなか敗者復活は難しい。抜擢人事は、必ずしもだれもが納得する人事にはならないので、ウズ社会では忌避される。
ウズ社会の中での序列は厳しい。肩書が上でかつ渦の中心(=中枢部)へ近い者ほど序列が上で、序列が下の者との間には、明らかな差別が存在する。序列が上のものにたいしては仕事上での責任の追及も緩かで、下のものほど厳しく責任を問われる。旧陸軍の陸大軍刀組(成績優秀者)への甘い軍規の適用と同様のことが今日も行なわれている。無謀なノモンハン作戦の実質的責任者であった服部卓四郎・辻政信両参謀はその敗戦の責任を問われ他の閑職に転勤を命じられても、その後いつのまにか中央の要職に返咲く。その後も更に大きな過ちを繰返すが、決して左遷されることはない(2)。こうして安全圏へ入ること(中枢部へ入ることすなわち陸大軍刀組と等しい序列を得ること)を目指して激しい出世競争が繰広げられることになる。
その反動として、渦の周縁(はじっこ)に位置する人への差別意識は強い。いわば制度として区別、差別をする。江戸時代のえた非人の代りとして、窓際族、パ―トタイマ―、女子労働力、下請労働者、臨時雇い、派遣職員、外国人労働者などが存在している。いわば差別が制度化されている。肩書は差別(序列)を再生産する。ポスト不足に陥った企業が様々な肩書を大量生産したが、これがラインのポストか単なるスタッフとしてのポストか、実質的に意味のあるポストか、鋭敏な判定に晒され、閑職を当てがわれたの従業員をなげかせる。また、その肩書・序列によって、給与・賞与はもちろんのこと、机、椅子、その配列の位置、制服、帽子、交通費、出張旅費、日当等でさえ区別する。社宅も序列によって入れる社宅が決っている。車の提供や交際費の支給にも差がある。出産手当しても、序列が上がって子供ができると手当が多くなる。これらの制度は、差別による屈辱感を一種のバネとし、猛烈な上昇意欲を掻立て、忠誠心を駆立てる。これが過労死にさえつながる過当競争を職場にもたらす。
肩書にこだわり執着するのも、これが序列をはっきりさせ、ある種の差別的取扱を受けざるを得なくし、一生つきまとうからである。つまり、日本では就職ではなく、就社といわれ自分の機能の一部を売ってその代価として給料を貰うのではなく、全人格的に会社に帰属して会社の求めに応じてあらゆる機能を提供して給料を得るがゆえに会社に全人格的に取込まれる。そのため、肩書は全人格的な優秀さを示す標識と化す。それゆえ上の者にたいして全人格的に頭が上がらなくなる。頭を常に下げておかなければならない。それがまた癪なので皆出世競争に血眼になるのである。序列が単なる機能分担を示すに止どまらず明らかに差別の要素を含むものであるだけに皆必死なのだ。言葉遣い、振るまいという極めて日常的な行為を通じて日々この序列は再確認されるだけに深刻さが増す。上下関係は命令する・命令を受けるだけに止まらず、威張る威張られる関係でもある。威張る行為はおよそ序列が上のものが下のものへ威張るのであって、その逆はありえない。威張るのは、いわば自分の序列が上であることを誇示する一種の示威行為に他ならない。
また、この肩書による序列は退職後もつきまとう。短い期間でも首相や閣僚を勤めると、その後一般の議員になっても、長い間成果を上げてきた国会の委員長より格式が上の人物として通用するように、序列意識の強い日本では短い期間でも、社長、重役、部長、管理職を勤めれば、大した実績はあげなくても、退職してからもその序列と等しい格式が上の人物として通用する。叙位叙勲も実績よりも現職時代の肩書や在職期間の長さに準拠して授与される。死後も、叙勲されることを考えれば肩書はお墓の中まで付纏う。出世にうきみをやつす筈だ。
先に述べたように、日本的経営は序列社会で、中枢に近い人ほど権利が厚く保護されているが、ウズ社会の周辺にいくほど、権利の保護は手薄い。これから、ウズ社会の周縁に追いやられ、言わば最下層的取扱を受けている中高年令労働者、中途採用者、女子労働者、外国人労働者に付いてその区別・差別の実態について見ていこう。今後、日本社会の高年齢化、日本経済の国際化、サービス経済化、女子労働力の就業化が進めば、むしろこうしたこれまで日本的経営の周縁に追いやられていた労働力が増大し、日本的経営そのものの変革を推進する機能を果たすことは間違いない。
まず、中高年齢労働者。労働者は、若いうちは実戦力として尊重されるが、一定の年齢に達し、管理職有資格年齢になると、厳しい選考が行われる。同期入社組でも全員に管理職のポストがないと、それを越える人数の分は厄介物扱いされる。今や高給とりとなり、その割には、働きが少ない、とされ、それまで営々として企業に忠誠を捧げてきても、ある日突然関係企業への片道切符の出向や解雇の対象にされないとは限らない。大手企業では、早く辞めてもらわないとコスト面で大変ですから、四十五歳で肩たたきを考えていると広言して憚らない人事担当者もいる。とくに産業構造の変革に遭遇して、労働者の削減に追い込まれた企業などにおいては、中高年令労働者が肩たたきの最初の標的にされる。年功序列賃金制度の下では定年まで働かなければ損することになるが、企業の方でもう必要とせず、むしろ高給とりとして厄介物として扱うゆえ、辞めざるをえない。円高不況に際して、重厚長大型産業から掃き出された中高年令労働者や旧国鉄の民営化に際して肩たたきの対象になった中高年令労働者は、自らの人生の一切を委ねていた企業から見離され、長年にわたる忠誠心の対象を失い、やり場のない怒り・不安から、精神的不調や自殺に追い込まれたケースも多い(3)。こうした中高年齢労働者をどうするかは国としても大きな問題である。 中高年齢者の処遇では、五二%の企業が一定年齢に達すると役職をはずすとしてる。その年齢では五五歳以上が五四%、五六歳以上が一九%、五七歳以上が一八%の順。しかも人事管理の一環としての関連会社への出向制度の運用では「出向させるが、また戻す」が八八%と多いものの「出向させてそのままになる」も四六%(複数回答)あり、半数近くの企業で出向を人員調節の手段としていることをうかがわせる(4)。進歩についていけない中高年齢者にとって関連会社への出向など処遇は厳しさを増している。
新卒ばかりに頼っていては、部門の分離や新規分野への進出、関連会社の設立など、新たな事業展開が難しくなってきた業界では、中途採用が増加している。中途採用を制度化する企業も現れてきた。これまで純血主義をとってきた一流企業にも、新業務への進出や、資質・能力の多様化のため、「即戦力」となる大卒者の中途採用に踏切る傾向が強まっている。その割合は五千人以上の企業の五八%等大企業ほど積極的で、第一・第二次産業(五三%)の方が第三次(二九%)より必要に迫られている(5)。また、最近労働者の意識にも、一社懸命主義から、むしろ適職を求めて気軽に転職することを是とする傾向も見え始めており、今後中途採用者も増大を続けていくものと思われる。
中途採用者は、新卒採用者に比べウズ社会では様々なハンディキャップを持つ。純粋培養の新規採用者に比べ、一度ほかの会社の気風に染まっているということで、ウズ社会では嫌われる異質性をすでに多少なりと身につけており、これを払拭しなければならない。
これまで中途採用者が嫌われたのは序列付が難しいことも大きな理由であった。多くの企業が決って新卒の採用をするのは序列付がしやすく最下層の初年兵として位置付ければ良いからである。これでこれまでの最下層の者は先輩となり多少は威張れるようになる。大学院卒が入ってきても初年兵に位置付けるが多少なりとも序列付に混乱をきたしかねないので敬遠される。年功序列制の中には先にも述べたように極めてきめこまかな序列が組込まれており中途採用者の陳入はその秩序を壊しかねない異質性を持っている。正社員にとっても、へたをすると長年営々と築き上げてきた自分の地歩を奪われかねない、自分の出世を邪魔されかねない。給与体系が完全に能力給であればまだしも、年功序列制に依存した給与体系であるため格付けが常に問題になる。給与についてみれば、高度な専門性を買われた中途採用者は、同等の生え抜きのものより高級で遇されているが、一般の中途採用者の給与水準はかなり下回る場合が多い。
ただ、給与表上での格付けよりもウズ社会の渦にどう溶け込ませるかがむしろ実質的な問題で、中途採用者は、多くの場合はその異質性のゆえになかなか溶込めない(溶けこまして貰えない)。どこかに差別が残る。合併企業においても出身母体が違う社員間の融和が進まず、なかなか実績が上がらない。日本では何年たっても「外人」扱いしかされないという外国人の悩みは、実は中途採用者の悩みでもある。
いずれにせよ、急速な産業構造の変化のなかで、中途採用は必要不可欠なものとなりつつある。従ってそのバックアップ・システムの整備を急ぐ必要がある。
八八年春の大学等の卒業後の情況調査(6)によると、大学卒女子が初めて十万人を突破、女子就職率は過去三十年間で最高の七五・二%に昇り、男子の七八・八%との差も一九五三年以来最小の三・六ポイント差になった。短大卒女子の就職率も八三%と過去最高を記録、女子の職場進出は男女雇用機会均等法二年目に一段と拍車が掛っている。大卒女子の就職者数は七万五千を超え史上最高で大卒就職者全体の二五・三%を占め昨年より〇・六ポイントアップした。
このように旺盛な女性の職場進出を反映して女性管理職がこの十年間に倍増する勢いで増加している(7)。職場で働く女性は、一九八七年には一六一五万人に達し、前年に比べ、三一万人、率にして二・〇%増加した。男性は二八一三万人で前年より一八万人、〇・六%の微増となっている。増加数、増加率とも女性が男性を上回っており、この結果、雇用者総数に占める女性の割合は前年を〇・三ポイントアップの三六・五%で三人に一人が女性。
このように旺盛な女性の職場進出を反映して女性管理職がこの十年間に倍増する勢いで増加している(8)。職場で働く女性は、一九八八年には一六七〇万人に達し、前年に比べ、五五万人、率にして三・六%増加した。男性は二八六八万人で前年より五五万人、二・〇%増となっている。前年に引き続き増加率は女性が男性を上回っており、この結果、雇用者総数に占める女性の割合は前年を〇・三ポイントアップの三六・八%で三人に一人強が女性。就業形態別にみると、正規の社員が全体の約六割に当たる千三十万人で、次いでパ―トタイム労働者四四六万人、アルバイト九三万人となっている。一九八七年の女子雇用者を学歴別にみると、高校・旧中学卒が五四%と過半数を占めているものの、短大・大学卒が二二%と、前年から一気に四ポイントも上昇した。こうした高学歴化を反映して女性管理職も増加し、約四万八六〇〇人と、五二年に比べ二倍以上に増えた。
これは雇用機会均等法の趣旨が社会に定着し、女性の能力や役割について、従来の固定的な見方や偏見の見直しが多くの企業で進んでいることを示すものではあるが、実態はまだまだ満足すべき状況にない。
女性は、これまで、男中心の社会の中でいつも劣位に置かれてきた。ただ女性であるということだけで能力にかかわりなく、採用、昇進、昇格、配置、仕事の内容等日本的経営の中で様々な差別の対象になっている。採用に当たっては、同じ大卒であっても、有名大男子優先の企業の壁は厚く、成績優秀な女子であっても後回しにされる。男子が幹部候補生として採用されるのに補助職としか扱われない。女子の場合は大半が縁故採用で決るケ―スも希ではない。採用されても結婚までのどうせ腰掛けだという意識で人事コストをさげるために研修教育には男子ほど力を入れず回転率でカバ―しようとする。もちろん男女同一条件採用の企業は増えたし、「総合職」制の採用によって管理職への昇進の道もこれまでより広まった。補助的事務職から総合職への転身も増えている。だがまだまだ少ない。その理由は、多くの人事担当者が指摘するように、総合職入社で将来を嘱望されていたのに一年で結婚退職したとか、転勤を拒否して退職したという女性自身の意識の問題に依存する面がないわけではないが、それだけの問題として片付ける前に反省すべき点を日本的経営自身が多く抱えている。
前出の日本人事行政研究所調査によると、職種別採用でみると、トップまでいける「総合職」として採用されたのは、一企業平均で男子四三人に対して女子は一人に過ぎなかった。そのうえ「一般職」、「その他」は女子中心で、男子はほとんどいないという結果になっており、女子への門戸は広がったものの、企業の体質はまだ女子排除の傾向にあることを示している。つまり男女雇用均等法は採用の時点で女子労働力を二極分化させた。また、「総合職」を選択するときの最大の鍵が「転勤の可否」にあったことも注目に値する。 日本は、今あらゆる分野で国際的な普遍性のあるシステムづくりを要請されている。人材の採用、活用にしても、男女の別、国籍の壁を超えた公平のシステムが求められている。現在の女子労働力の採用、活用のシステムはかなり膠着していて日本的経営の弱点となっている。女子労働力をいかに生かすかが今後の企業の発展にとっては大きな鍵となろう。
また女子の正規職員で女子労働者の権利拡張論者でありながら、同性のパ―トタイマ―への同情を持たない人もいる。つまりこの権利拡張論者自身が、差別の擁護者なのだ。つまり、日本的経営の中の無意識的な序列観から抜出しているわけではないのである。
「住友商事アメリカ」は男女差別問題をアメリカ人社員に訴えられ八年間の係争の結果、二百八十万ドルの和解に応じたという。ホンダのオハイオ工場、ヒュ―ストン・ニュ―ヨ―クの伊藤忠商事も労働問題で訴えられている。これは、日本の国内でなら通用する労働慣行が外国では通用しないことを示すものであり、この背景に日本的経営の無意識の序列意識、差別意識の存在が伺われる。
(3)野田正彰『生きがいシェアリング』中央公論社 一九八九年
(4)日本人事行政研究所調査「将来のあるべき人事管理を考えるための基礎調査」毎日新聞一九八七年五月五日
(7)労働省昭和六三年度および平成元年度版『婦人労働の実情』
[大卒の採用は事務職をすべて同一条件で採用する一括採用が最も多いものの職種別採用も増勢にあり特に大企業での採用率が高い。]
パ ― ト タ イ マ ― 日本的経営の中で極めて重要な役割を果しながら、権利はそれほど保護されていない。 外 国 人 労 働 者 外国人の単純労働者の受入れを認めるべきかどうか、議論はかまびかしいが、いっこうに結論は出ず、不法就労の急増という既成事実が積重ねられている。そのためウズ社会の最底辺に位置する労働者として、極めて劣悪な条件の下で働かざるをえないにも拘らず、法的な保護措置はとられない。いや、見付かり次第本国へ強制的に送還されてしまう。 いかに経済大国であろうと日本は世界の百数十か国の中の一国家に過ぎず、多くの民族と共存して生きている。日本の繁栄そのものがこれらの国々に依存してなりたっている。しかし、ウズ社会の住人であり、視野を渦で遮断されウズ社会の外へ向けることのない日本人は、ひたすら自分の経済、社会の安定のみをかたくなに守り抜こうとする。日本の輸出、海外投資によって、世界の多くの国々に様々な経済的社会的名混乱や摩擦を引起こしたことは忘れている。 出入国管理および難民認定法によって、外国人労働者の入国は、教授、芸術、工業等のほかは、コック等の熟練労働者、法相が特に認める特殊な技術・技能を持つ日となどに限られている。単純労働者については、五一年の閣議口頭了解で受入れしないとされている。「特殊な技術を持つ人」の場合でも、その職種が日本人で代替できるものは認めないとの内規があり、語学教師など一部以外原則禁止となっている。このため、特殊技術で 在留資格を得た人は六一年末で一万人に過ぎず、その四割は語学教師となっている。一方、円高に伴いアジア諸国から観光ビザ等で入国する不法就労が急増、1988年 6月末で推定七七万人に達している。また、就学名目で入国した不法就労組も加えると約十万人に達すると見られている。一方、不法就労で実際に摘発された者は、88年上半期だけで約七千二百人に及んだ。これは二年で倍増のペ―スである。摘発されたもののうち、男性で最も多い職種は「土木作業員」で四十%を占める。 単純労働者の大部分はその低賃金目当てに雇用されており(日本人の半分から三分の一、仕事中に怪我をしても労災が適用されない。)、日本の異常な国内高物価の下では極めて苛酷な生活を強いられている。 一部の産業の目先の経済的利益目当ての単純労働力導入は、日本社会全体に大きな負担とコストを強いることになりかねない。 外国人労働者に対し、少なくとも日本人と同じ労働条件と生活条件を確保することが必要だ。賃金、労働時間、労災補償、訓練、健保、医療、住宅、子弟教育を含めて同じ条件を提供する必要がある。 先の竹下首相訪中時に、中国がが建設労働者の受入れを要請したように日本への流入圧力が強まっていることに加え、国内の吸引力も強い。 建設業の大手では外国人単純労働者の雇用に消極的だが、孫請け以下の中小・零細業者の中には、日本人に比べ低賃金で雇える外国人をうかうケ―スが多い、といわれる。 外国人労働者問題は日本の中小企業問題であり、円高で生産コストの切り詰めを親会社から迫られる下請企業での雇用も多く、日本の産業を今や最底辺で支えるのは外国人労働者といっても決して過言ではない時代だという(1988年1月13日読売新聞)。 外国人労働者には、日本の年功序列制は恐らく理解困難であろうし、馴染まないであろう。したがって職種別処遇制度の導入等人事管理システムの感覚が必要となろう。(880424朝日新聞) 外国人の単純労働者の受入れを条件付きで認める人が過半数に昇ることが、総理府の調査(「外国人の入国と在留に関する世論調査」(全国の成年男女一万人を対象に1988年2月に面接方式で実施、回答率七六・五%))で分かった。調査では「単純労働者であっても一定の条件や制限をつけて就職を認める」と答えた人が五一・九%に達し、年齢別に見ると若い人ほどその割合が大きい。「単純労働者の就職を認めない現在の方針を続けるべきだ」とした人は二四・二%にとどまった。 観光ビザで入国した外国人がホステスや土木作業員として不法に就労していることに関しては「良くないことだがやむを得ない」との意見が四五・四%で、「良くない」は三九・四%だった。(1988年7月11日、日本経済新聞) 内海我提案するような、勤労留学生制度の導入も一案であろう(公研、1988年11月号)。これは大一時大戦後フランスが労働力不足を解消するため、設けた制度である。 外国人を仲間とし、労働システムも国際的にする必要に迫られている。