編集者のつれづれノート
目次
赤ん坊のこと(十一)
赤ん坊のこと(十)
赤ん坊のこと(九〜一)


「赤ん坊のこと(十一)」


 (2001/1/17掲載)

◆初孫のHは、この一月中旬に無事、満二歳になった。
 体重13キロ、がっちりしている。以前は、簡単に高い高いをやってあげれたのに、腰痛の身、慎重にやらないと腰を痛めかねない重さだ。
 身長85センチメートル。食卓の下を歩いていたのに、もう頭半分も出ている。
 ありがたいことには、根がとても明るくて健康体ということだ。時折、気管支が細くなり、激しく咳き込み、夜半、病院に担ぎ込まれ、点滴を受けたことも数度あるが(喘息ではないとの診断で安心した)、基本的には健康だ。気分が安定しており、にっこり良く笑う子なので、扱いやすい。

◆ 食欲が相変わらず旺盛(旺盛過ぎるほどだ)で、満二歳の誕生パーティの夜も、一通り食事を終えた後に、母親手作りのスポンジケーキを大人並に食べ、まだケーキが残っているのを見て、もっとくれとフォークで自分のボールを差す。まだ、残っているでしょと母親に言われると、残っているケーキを片目に見ながら必死に食べ終え、ボールを差し出した。さすがに、それ以上は追加して貰えなかったが、やったら、それも食べたことだろう。
 頭がテーブルより高くなったせいで、食卓の上のものがよく見えるので、こっそりかくしてお菓子も食えない。食べ物となると独特の嗅覚も発達していて、遊んでいても飛んできて、自分の椅子に座らせよ、前掛けを着けてくれとせがむ。同じテーブルで一緒に食べたいのだ。
 好き嫌いが少なく、とにかく、新しい食べ物でも、見つけると、くれくれとせがみ、大抵のものは食べる。白身魚のの刺身、貝の刺身、エビ、赤ピーマン、黄ピーマン、銀杏、各種きのこ、・・・
 先だっては、自然薯を摺り下ろしたすごくねばねばしたとろろいもにも、挑戦して、みごと食べきった。掬ったスプーンにとろろが糸を引きがばっと出そうになると、お椀まで首を曲げていって、食べられる分量にかみ切る。スプーンと口と腰を使って、誰にも手伝って貰わずに上手に最後までつるつると食べ尽くした。

◆この時期、頭はスポンジのように何でも吸収してしまうのだろうか、驚くほど良く覚えるし、良く覚えている。「ちょうちょちょうちょ、みーる(=見る)」とばーばの手をひいてピアノのところへ連れて行った(1/15)。ばーばは、何のことかと、思って、最初頭をひねっていたが、そうだ、と思い出した。もう、ずいぶん前に「ちょうちょ」の曲をピアノで弾いてやったことをてっきり忘れていたのだ。
 膝の上にだっこしてやり、弾いてやると大喜びだ。自分でも鍵盤を触る。しかも、そのとき、ピアノの蓋に、PIANOとあるのを、P(ピー)、I(アイ)、・・・と教えたことを思い出し、Hにこれ何と聞くとPピー、Iアイ、と覚えていた。

 このように、自分のやって貰いたいことや興味を持っていることを相手に伝える意味で、かなり、意志の伝達ができるようになった。
 
 Hの家は近いので誕生日パーティに招かれて、われわれ夫婦と、ひいおじちゃんとで出席した誕生のお祝いに、Hに金魚の絵本をやった。包装紙を破って表紙を見たとたん、「さえちゃんのー」と言って母親の顔を振り返った。母親の説明に寄ると、さえちゃんという、同じ日に生まれた女の子の家に遊びに行ったとき、同じ絵本があってそれをちょっと見たことがあるのだという(1/14)。
 とにかく、一度、教えたことを良く覚えていて、忘れないのには感心するばかり。
 自分で乗って遊べる玩具の自動車は「じっちゃんのー」、これはじっちゃん(=ひいおじいさん)が買ってくれたと言う意味である。一度説明すると、忘れないらしく、乗るたびに忘れずに言うのだそうだ。私が昨年1月中国から買って帰った帽子のことも「じーじのー」という。今年は寒い冬で一年ぶりに役に立っている。
 私の車を見るたびに「じーじ(=おじいさん)ぶーぶー」という。通りで、同じRVタイプの車をみかけると、じーじぶーぶーという。車は、トラック、バス、オートバイ、パトカー電車など全部区別がつき、一々、バス、トラックとやる。見るのも乗るのも、ミニカーの模型も大好きである。

◆ 動きがとても活発になった。「じっちゃんの」自動車に乗って、足で漕ぎ、狭い部屋の中、あちこちにテーブルの端やタンスの角が出ているのに、それを巧みに避けてかなりのスピードで自由自在に前進したり後退したりする。スプーンの巧みに操れるように、三次元の掌握が上手いのであろう。バックするときは、得意の「バックオーライ、ピーピーピー」をやりながら。こうした動きを見ていても、自分の家では、私の家に来たときに比べ、リラックスの度合いが違う。まったく肩の力が抜けている。表情もゆったりとくつろいでいる。

◆「じーじ、かいしゃ、いった」、というような、三語のからなる文章をほんの少しだが、言うようになった。これまでは、主語述語の二語どまりだった。
 助詞も少し使えるようになった。誰々のもの(所有)を意味する「の」(最初の子音に影響されて、発音は変化するが)。たとえば自動車を指して「じーじの」と言う。
主格の「が」も少し、使う。「ばーばがいないねー」
「みーる」は、テレビをみたいとき使うが、ピアノを弾いて貰いたいときにも、みーるを使った。少ない語彙を精一杯使って意志の伝達を図っているのだ。
おしまい。ご飯を食べ終わっても、おしまいだし、遊びがやめるときもおしまいだ。
なーい。ないねえ。ご飯がお茶碗になーい、おもちゃの箱に、おもちゃがなーい。
概念を掴むのがかなりうまい。
こっち、あっち、バック、こ(ここ)、などの方向の概念。
いや、という拒絶の意思表示。
◆単語の豊富な分野
食事関係:ちーず、ジュース、パン、りんご、みかん、もも(トマトもももという)、のり、ミルク、スプーン、フォーク、なっとー、・・・など
乗物関係:でんしゃ、ばす、とらっく、ぶーぶー・・・
人形、キャラクターの名前:シマジロウ、アンパンマン
家族関係:パパ、ママ、じっちゃん、ばーば、じーじ、けいこ
友達の名前:近くの公園での遊び仲間。中に、ちゃんと好きな女の子がいる。しかし、彼女は人気者でライバルが多いらしい。
テレビの天気予報が好きで:あめ、雪、ちず
動詞:あっこ(だっこ)、いた、いない、みーる、ついた(明かりが)、

◆口から出任せを叫んでいるように見えて、きちんと意味のあることを言っているのだ。たとえば、玩具の車に乗っかって「あーああーぱーんまー」とでたらめ叫んでいるようにみえるが、実はじっちゃんの玩具の車には、フロントにアンパンマンの絵が描いてあるので、「アンパンマーン」と叫んでいたのだ。という具合。
 何か訴えるように言うときは、でたらめを言っているとは思わず、耳を傾けなければならない。
◆食事を終えて、いつものお茶の容器が手元に出ていなかったら、タイミング良く「ちゃー」と叫んだ。「お前は亭主か」と母親。
 鳥の手羽先の料理を手で食べて、手が汚れたら手を拭いてくれ、と手を差し出す。きれい好きなようでも、落ちているものを拾っても食べる。

◆我が家に遊びに来ていたのだが、母親が帰ろうと言っても、いつもは言うことをよく聞くのに、その日は、無視して遊び続けた。とうとう、ばーばが乗り出して尻をぴんぴんして、帰らせた。ぴんぴんされたら、怒って泣き出し、何度立てといっても、絶対に立とうとしない。意地を張っているのだ。なんとか最後は機嫌を直して、わたしにも泣きあとの残った顔でバイバイして帰った(1/15)が、自我が育ってくるからこれから、ままます扱いにくくなることだろう。

◆大人の一挙一頭足を実に良く見ていて、誰がこんなことを教えたのだろう、こんな言い方をするのだろうと思っていると自分たちでしらずにやっていることだったりする。「もうおしまい」にしても、妻の口振りにそっくりだ。

◆二歳の誕生パーティの夜、じっちゃんには、長居は無理なので、われわれが早めに帰ろうとしたら、じっちゃんにとりすがる。ばーばや私を見上げて、全身をくねらせて、いやだ、いやだ、帰らないでくれと哀願するような目つきをする。もし帰るのなら、自分も一緒に行くから、防寒コートを着せてくれと盛んにジェスチャーをする。それでも帰ろうとすると、玄関先まで追ってきて、べそを書き、とうとう、声を出して泣き出してしまった。われわれは、なりふり構わず、大粒の涙を流して「いやだー」と叫んでいるHを後に、後ろ髪を引かれる思いで外に出ざるを得なかった。
 二歳の童子だが、もう、ここまで、感情面が育っているのだ。
 童子は、人間のたましいの原初的な現れという。聖なる存在ともいう。帰るなと追いすがって泣くHの姿に、そういうことを感じ、われわれの心もじーんとうずいた。
 我が家に遊びに来て自宅へ帰るときは、案外潔く、玩具を片づけ、コートを羽織り、帽子を被り、靴を履き、「バイバイ」と手を振って、帰るのだが、その内面には、こんな別れの寂しさを押し隠しているのだ。

◆Hは、乾杯を、もう半年も前に覚えたが、これがHは、大好きで、お茶の入ったプラスティック製の容器とわれわれのグラスとをかちっと合わせて「カンパイ」といって飲むのだ。時々思い出すと食卓にいる一人ひとりに容器を差し出してきて「カンパイ」を強要したりする。
 誕生パーティの時にもわれわれのシャンパンと水のジュースとでカンパイをやった。

◆それでは、Hの健やかな成長を祝って「カンパーイ!」


「赤ん坊のこと(十)」


 (2000/11/4掲載)             

(1)はじめに 

 孫が生まれて、1年と9ケ月になる。
 今回から、孫のことを「H」と呼ぶことにしよう。表題は「赤ん坊のこと」だが、もう、赤ん坊というのが、ためらわれるような、子どもらしさを、身につけてきた。体重は12キロを、身長は、80センチを越えた。体重は生まれたときの4倍である。
 身体能力という点では、自由に歩き回れるし、少し走ったり、階段を上ったり、ソファーの上に上がったり降りたりできる。また、結構重たいものも持って運ぶことができる。
 言語能力もなかなかついてきて、語彙も増え、主語、述語の二節の文章を話せるようになった。こちらの言うことはかなりの程度理解している。しかも表情や仕草をも動員してでも、自分の思いを伝えようとするようになってきたので、周りの人とかなりコミュニケーションができる。
 顔つきも、赤ん坊顔から、少し引き締まった子どもらしい顔になった。表情も豊かになり、個性も出てきた。感情の安定した、明るい子だが、何ごとをやるにもまずよく考え、慎重に始める。人前に出ると、少し、緊張しやすいタイプだ。特に全く初めての人だと、慣れるまでかなり時間がかかる。
 この私に対しても ほんの数日でも会わないと、「H君、久しぶりだね」と声を掛けても、ちょっと緊張気味でこちらの様子をうかがうように静かにしている。「どうしたんだい、H君、じーじーだよ、ほーら、ぱっ」などと両手を回したりしてふざけてやると、次第に緊張も解け、口元が少し緩んでくる。やがて得意のおちょぼ口をつくり、いかにも照れくさそうに笑い、ちょっと剽軽な表情をし、一気に顔全面で笑い出す。
 ただ、我が家に訪ねてくるときは、玄関先で「ばーばー」と大声で三度叫ぶ。家の奥の部屋にいても聞こえるほどの大声がでる。Hが来るとばーばーもじーじーも活気づく。ちょうど、スープが冷めない距離に娘夫婦が住んでいるので、われわれも、孫の顔が頻繁に見られて、幸せである。

(2)食べることについて

 相変わらず、食べることが大好きで、好き嫌いは少なく、大抵のものは食べる。
我が家では、同じ食卓に吊り掛け式の椅子を設え、それに座らせて一緒に食事をするので、われわれの食べているものがよく見える。おいしそうなものがあると、身を乗り出して、取ろうとしたり、「うーうー」とそれを指して、くれと要求する。やると、ぺろりと平らげてまた「うーうー」と言う。
 先日は、茄子とピーマンの味噌煮を指してくれという。家内が茄子をやるとそれこそぺろりと食べてまた「うーうー」と手に持ったスプーンで指す。ピーマンをやったら、口には入れたものの、まずそうに口をゆがめて、「ペッ」と吐き出し、茄子を要求する。ピーマンは、子どもの口に合わないらしい。
 茄子を小鉢ごとやると、スプーンで巧みに掬ってたちまち食べてしまい、残った煮汁を小鉢を両手で持ち上げ、すっかり飲んでしまった。
 ウナギの蒲焼きも大好きだし、納豆は、かき回さずそのまま、スプーンに掬ってカップ一人分を丸々食てしまう。

 手先、指先、舌先が本当に器用で、子どもにしては驚くほど、こぼさないで食べるし、頬やくちびるについたご飯粒なども、指先や舌先で探って、一粒残さず食べてしまう。スプーンの扱い方も上手く、分量をスプーンを揺すって巧みに調節するし、少々多めにとっても、スプーンを口の中でくるりと回してこぼさない。コップや瓶、小鉢などから、水などの液体を上手に飲める。また、ペットボトルの栓を開けたり閉めたりも得意とするところで、閉め方も栓を上から閉めるのではなく、瓶の口に栓を被せ、それを横合いから、親指と人さし指で回しながら、ねじに上手に合わせてうまく閉めるのである。

 食べ方もうまい。ブドウなども、もう二月も前のことだが(9/14)、生まれて初めて口にしたたときから、口の中で皮の部分だけをより分け、口から手で取り出し、皿に置いた。傍らで、わたしが、皮を口から「ペッ」と出したらすぐそのまねをして「ペッ」と口から出した。本当に子どもは、大人の仕草をよく見ていてそれを真似できるのである。妻から、Hが真似するからそんな食べ方はやめて、とわたしの方が注意を受けた。
 同じ頃、娘に煎餅の入った箱を持ってきて、中の煎餅を出してくれとねだる。娘が最初に取り出したのは、安い方の煎餅だった。いらないと首を横に振り、別のをくれという。確かに、その箱の中には、高価でおいしい煎餅も入れたあったのだ。それをちゃんと知っていて、おいしい方が出てくるのを待つのである。娘が取り出してやると満足そうに食べ始めた。

 例の吊り掛け式の椅子だが、もっと食べたいときに、この椅子から下ろすと、身体をそりかえして抵抗する。逆にお腹が空いて食べ物が欲しくなると、その椅子に座らせろとせがむ。

 それに、台所においてある小さな木の踏み台が、孫には専用の腰掛けになっている。最初は、傍らで台所仕事をする「ばーばー」から、お芋などの食べ物をもらった際に、それにちょこんと座って、食べることから始まったのだが、いまでは、本を読んでもらったり、お話を聞かせて貰ったりするときにも使う。最初は高さが、座るのもやっとこさだったのだが、今では、悠々安定的に座れるようになり、食べ物を椅子に座って食べたいときとか、本を読んで貰いたいときには、孫は自分で居間の方まで持ってくるようになった。

(3)言語能力

 言語能力もかなり向上して、かなりわれわれの言うことを理解しているばかりでなく(これはヒアリングが出来ていると言うことである)、発音を捉えて盛んに真似ようとする。もちろん、まだ上手くは発音できないが、あーん、あーんとしか泣けなかった赤ん坊がもうこれほど多種の発声が出来るようになり、ひたすら真似て色んな音を出そうと試みるのである。言語がどういうものであるかわかっているのである。しかも、ごく最近のことだが、主語、述語の二節の文章を話すようになった。Hを膝にだっこして、足を折り曲げ、Hの頭をぽんぽんとたたいたり、その拍子に私の頭にぶつけて、私が痛がるふりをするときゃっきゃ笑って喜んでいたのが、今日、私が痛がると、「じーじ、痛い」というのである。ボードの上に飾ってあった写真を見て、一人一人指さしながら、「じーじ、いた」「ばーば、いた」「ぱーぱ、いた」ともいう。
 しかも、我々に、向かって話し掛けようとする。
 単語は、知らないことについても、手振りや、口ぶりを使って、一生懸命話そうとする。こちらが、それは、こういうことなの、と推測してやると、そうでないと明らかに、そうでないという表情を浮かべる。われわれの推理が当たると、表情をやわらげ、満足そうな顔つきになる。
 この前は、両手を頭の上まで回して、「ぶーぶ、ぶーぶ」という。結局、その直前に車で帰って来たわたしが、車の中から、両手を大きく回しながら、Hに大きな声で「Hくーん」と呼びかけたことを話したかったらしいのだ。

 話せる語彙も結構増えてきた。まだ、発音は正確でなく、二音以上ある言葉だと、最初の音が発音しずらいらしく、「だっこ」、はあっこになり、雨はナ(マ)メになる。

 妻の話によると、つい昨日、寝室のオルゴールが偶然回りだしたら、Hが「ぐるぐる」という。見ると釘のような小さい棒の先が確かにぐるぐる回っている。Hは、ぐるぐるという言葉を、妻と一緒に、自分の身体をぐるぐる回しながら遊ぶときに「ぐるぐる、ぐるぐる」と言って覚えたのである。驚いたことに、回転するという共通点を抽象して、ぐるぐるという概念で捉えているのである。

 また、ある人に関係あることを、関連づけて覚えている。たとえば、私が座る椅子、私の乗るパジェロ、私が使うパソコンなどを指さして「じーじ、じーじ」という。私が、帰宅する音でがすると、すぐ「じーじ」という。あるシンボルに関連づけて記憶をする構造が、人間の頭の中にはあるものらしい。

(3)絵本のこと

 絵本が大好きで、妻が買い与えた、「いっすんぼうし」が、読んで貰いたくなると、本棚の中からその本を抜き出して持って来る。読んでやると傍らから絵を見ながら、「じーじー、ばーばー」と指さす。一寸法師は「い」である。
 気に入った頁を何度でも読ませる。最初は、一頁目が気に入っていたが、この頃では、少し後ろの方にも気に入った箇所ができてきた。この本には、折り込み式で扉が開いたり、一寸法師が大きくなったりする仕掛けが施されているので、それも面白いらしい。

 あるとき、訪ねてきた娘とHをおいて、夕食の買い物に出かけた妻が帰ると、娘はソファーでぐっすり寝ており、Hもその側の床に寝ていたという。その傍らにこの「一寸法師」があったのだそうだ。娘が寝てしまったので、この本を本棚から出して独りでめくっているうちに眠ってしまったものらしい。もう、読む楽しさを覚えたのだろうか。

(4)好きなこと

 車が大好きで、「ばーばー」に外へ連れて行けとねだり、早稲田通りに出て、そこに座り込んで飽きずに眺めるらしい。しかも、バスやトラックやオートバイの区別がつくらしくて、一台ごとに、あれがトラック、これがオートバイと指さして、いちいち、妻に確認を取るので、つき合うのは大変らしい。また、私が乗っているRVと同じ型の車を見ると「じーじ」という。

 車が好きなこともあってか、幼児用の小型四輪車の形をした乗り物を買って貰ったときの喜びようは格別だったらしい。それまでは、公園で友達のを借りていたのだ。しかも、大のお気に入りのようで、一旦借りると返そうとしないので、娘もいろいろ大変だったらしい。そこで、娘も奮発して買ってやったのだ。四輪車を買って帰ると、自分の専属のものだということがわかるらしく、喜びを内に貯めた表情で、娘が組み立てているときも、傍らでじっと待ち、さて出来上がって、乗って良いということになると、それこそこみ上げる喜びを抑えきれない面もちで、乗り込んだのだそうだ。

 玩具は、プラスティック製に比べて、木製のものが明らかに好きだ。わたしの息子がポーランドで使っていた、素朴なデザインの車の玩具があるが、それがお気に入りで、おもちゃ箱の中からいつもそれを取り出して、両手に持って遊ぶ。木の感触が、やはり良いのである。

 歯磨きも好きで、妻が、「歯磨きやろう」と声を掛けると、何はさておき、洗面所に飛んでくる。洗面鏡の前に踏み台を置いて、そこに乗って歯を磨く。大人のやるままに、最後にはがらがらぺっと喉をふるわせる。

 外が好きで、少々具合が悪くても外へ出たがる。我が家からは、ちかくの小学校の校庭や、早稲田通りなどに出かける。
 少し歩かなければならないが、汚水処理場に付設されているせせらぎの公園というのがある。芝生の広場があり、小池や砂場があり、四季の花が咲いているので、娘はHを連れて、良く出かけるらしい。そこは同じ時期に生まれた子どもと母親のたまり場になっていて、娘もそこで知り合いになった人が大勢いるらしい。夏にはその仲間の人の別荘に、子ども連れで四組の家族が出かけた。また、ここで多くの子どもに接することで、母親も、子どもにはそれぞれ特徴があって、身体の発達一つにして個人差があり、平均値というものがあてにならないことを知るいい機会になるらしい。Hと同じ時期に生まれた男の子で、9ヶ月から歩き始め、もう走り回ってジャンプする子もいれば、まだ掴まってしか歩かない女の子もいることを知って、安心するらしい。

 Hは、だっこが、大好きで「あっこ、あっこ」と両手を差し出してきてねだる。だっこしてやり、かなり、乱暴に身体を放り上げたり、揺すったり、頭から下に落とすような振りをしたりしても、これまでのようには怖がらなくなってきた。 ただ、体重が増えたので、腰痛持ちの身ではだっこしてやるのもかなりこたえる。

 だっこして我が家の庭を見せると、庭園灯火が点いている。それを指さして決まって「ついた」という。電灯が灯るとかならずついたという。

 音楽も好きで、妻が歌ってやると喜ぶ。音楽に合わせて踊る。踊るのも好きらしい。

 ビデオでシマジロウを見るのが大好き。ビデオも自分で扱えるらしい。

 パソコンを娘も私も打つので、わたしのパソコンの前に座って、打つ真似をする。キーボードの上で指をキーを打つように動かし、マウスをクリックする。聞くところによると、五歳児になるとアルファベットは覚えてしまうらしい。

 家中のありとあらゆるボタンを押しまくるのが好きなので、テレビなどの設定がおかしくなっていて、映りが悪くなっていたりする。あまり、いじって貰いたくないが、Hの好きなことなのでどこまで強く「ダメ」と禁ずべきなのか悩むところだ。
 玄関の回転式のロックも回せるようになったが、これも、内側から独りで回して、ちょっと外へ出たものが入れなくなったりしたらと心配である。

(5)情緒面などの能力

 情緒面での成長も著しい。その日(10/19)、妻専用のノート・パソコンを買って帰った。パソコン初心者の妻が、教えてというので、居間の食卓で娘と私が両側から付き添うようにして、あれこれ教えていた。ふと気づくとHは、例の台所の踏み台に座り、食器棚に伸ばした片手で身体を支え、こちらから表情が見えないようにしてじっと向こうを見ているのだ。反省するお猿さんそっくりなポーズで、いつまでも動かない。いったい、どうしたのだろうかと、私が近づいていき、背中をたたいて「H君」と声を掛けると、こっちを振り返り、悲しそうな顔つきの中にちょっとほっとした表情を浮かべ、思わず「ままー」と一言、口にし、両眼から、大粒の涙をぽろぽろとこぼし、両手を差し出して来たのだ。わたしが抱き上げてやると、すがりつくように、身体をすりつけてきた。
 自分が構って貰えないのが寂しくて、じっと耐えていたのだ。声を掛けられ、思わず、涙をこぼしたわけである。パソコンに夢中のばーばと娘のそばまで連れて行き、「H君、どうしたのよ」と声を掛けて貰ってやっと、いつもの快活さを取り戻した。

 目をつぶって寝たふりをしたり、そこにいない猫をいかにもいるように「にゃあにゃあ」と言って振り向かせようとし、うまく罠にかかるとくすりと忍び笑いをする。もう、遊びの基本である、ふりやごっこができるのである。

 妻の父は、身体を弱くしてつい最近入院してしまったが、まだ家にいた頃、二階から降りてくるとHが、階段の下まで迎えに行き、手を引いて居間のソファのところまで連れてきて座らせ、自分もその横にちょこんと座るのだ。わたしの「じーじー」と区別する意味で「じっちゃん」と言わせていたが、身体が弱っているのを知って、むしろ、いたわり保護するような感じで、Hは振る舞っていた。飼い犬は、家族の中での自らの序列を下から二番目に位置づけるらしいが、Hも二番目に位置づけてじっちゃんの手を引いていたのだろうか。今でも二階を指して「じっちゃん」という。二階にあがって、空いたベッドを見て「じっちゃん、いないねぇ」という。

 Hにも、猫ではないが、どの客の膝なら振り払われないで乗れるかと見分ける、本能的な勘が備わっている。そういう人を見つけて、両手を持って貰う。その両手にすがるような姿勢で、家中を歩き回るのが大好きなのだ。狙われたのは、長男の嫁と姪。ぐるぐるぐるぐる、それこそ飽きることなく、歩き回るので、お相手役に選ばれた人は大変なのだ。しかも、ちゃんとHは、その客が、そう簡単に断らないということを見越しているのである。

 空間を把握する力がある。狭い居間には彼の背丈ではちょうど頭をぶつけかねない机の角などのさまざまな障害物があるが、ぶつからずに巧みにすり抜ける。
 小学校の校庭にある、ジャングルジムの中を、今では、自由自在に歩き回れる。用心深いのでめったにぶつからない。
 
 見あたらなくなったおもちゃなども、「どこにやったのかしら」などと探していると、結構自分で置いたところを覚えていて、探し出してくる。
 

(6)病気

 それほど、弱いわけでもないのだが、乳児期の免疫がなくなり、空気が悪いところに住んでいるせいか、喘息の気味があり、心配している。ときどき咳の激しい風邪を引き、肺炎を起こしかけ、深夜などに二度ほど、救急病室に担ぎ込む騒ぎになった。咳き込んで、食事がとれず、体力を消耗したので、点滴を受けた。子どもの点滴は、血管が細いので手の甲から、長時間かけてやるのだそうだ。その間娘夫婦が、後退で抱いていたという。

(7)母親の存在など

 母親は、子どもにとって特別の存在だ。
 娘が、Hをわれわれに預けて出かけようとすると、出かける娘を追いかけて泣く(9/26)。泣きやんでいても、しばらく帰ってこないと寂しそうに泣きだしたりする。玄関からちょっとした音が聞こえてきても、すっ飛んで見にいく。娘でないとがっかりした表情を浮かべる。

 うちに遊びに来ていても、疲れると娘は、Hを放り出してソファの上で、昼寝してしまうが、その側でいつまでもHがなにやかやと話しかけている。

 父親も、子煩悩でよく面倒を見るので、父親との関係も良好でよくなついており、二人だけで外出したり、遊んだりも、よくやる。

 娘は、厳格で、Hには、甘すぎるものを与えないようにしているが、妻が時折、甘納豆などを与える。例の椅子にちょこねんと腰掛け、いかにもおいしそうに食べるのだそうだ。少し甘い祖父母が近くにいた方が、子どもは幸せに育つ。人間関係もうまくこなせるようになる。・・・に違いない。

「もう、おうちに帰るよ」と娘が一声掛けると、好きなぶーぶーで遊んでいてもすぐに止めて、さっと帰り支度を始める。置いていかれるのが心配なのだ。いつも母親が出かける気配にはとても敏感で、ごまかされないように気を配っている。いつぞや、娘夫婦が結婚式に出かけるときもそれと察知してつきまとっているので、私がだっこして必死に注意を逸らして出かけさせたことがある。
 おうちに帰るとなると玩具は玩具用の段ボールの箱にちゃっとしまう。靴下はというと、さっと持ってくる。この前、片手で持って来たので、娘が「あら、もう片方はどうしたの」というと、片手でちゃんと一足分持ってきているのだった。ジャンバーもすぐ着せて貰う。みんなに「ばいばい」といって、手を振る。ばいばいは得意の言葉の一つだ。

 ただ、Hは、乳母車の覆いが気に入らないらしく、どかそうとする。雨が降っていても嫌がる。帽子も嫌いだ。視界が遮られるのが嫌なのだろうか。それとも頭を上から押しつけられそうな感じが嫌いなのだろうか。
  
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 まあ、久しぶりなりなので、長々と書いてしまったが、一人の人間の成長の過程をつぶさに見られることは、本当に楽しい心躍る経験である。


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