日記の部屋1957(01)/Diary1957(01)

(1956/12/31〜1957/2/28)

 

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年月日 曜日 日記本文
1956.12.31 Monday 12月31日
 31日という文字を、12月の冠がついた今日の日付を、感慨深く書く。
 1月1日とともに、365もある日付の中で、最も書く気持ちを高ぶらせる文字である。12月31日という日付が持つ哀愁の情緒は365の中で一種独特のもので、あらゆる階層の人々が今日これに浸るのである。私が日付を書くとき、他のすべての日付に増して、今日の日付ほど、365日に1度しかない日付であることを考える日はない。それどころか、何と365に一回といった愛着の込められた日付はとんとなくて、日付を知らずに、ただその前の日付に1を超えたもの書いたり、大げさにひと月も、あるいは1日ずつずらせて、間違ったことさえあった。
 ともかくも、1956年が、あと1時間足らずで過ぎ去ろうとしている。1956年はあと1時間後にはすでに歴史上のものとなってしまっている。すべての新聞やすべての雑誌が、1956年を忘れるだろう。そして1957年という目新しい年を恥じらいながら、その表紙に飾りつけることであろう。
 私は1956年に存在した。そしてあと40何分かの後には1957年度まで生きた人の資格を与えられる。NHKの紅白歌合戦で白組男性軍が7-4で勝った、まさにその瞬間を私のペンはキャッチした。男性の勝利の歌が終わって今は蛍の光の大合唱が思い出深く胸に染み込んでくる。この瞬間が何であろう。私が、ペンを動かすその場で1956年の歌合戦のは終わってしまった。あと30分で、ー30分で、と書き終えた瞬間すでにあと30分でなくなる悲しさ、ー今年はもう去年で来年は今年となり再来年は来年に去年は一昨年になってしまう。

 今年と来年の間には時間はない。しかし人の気持ちの上では、それはどれほど長い時間に感じられることであろう。明日になってみれば1956年は過ぎ去った昔でしかない。なんだか遠い、今私が1955年を感じるようにもうろうとした霧の中に1956年の島影を見ることになってしまう。その気持ちの変化が今年の正月は、変であった。(あと20分になった)
 年が変わるといっても12月31日と1月1日は今日と明日であることに変わりはない。しかし、確かに普通の今日と明日、昨日と今日の関係以上のものであることは確かである。新しい年を迎えるに当たって私は過ぎ去っていく年に一抹の哀愁をたたえながら静かに「さようなら」と言おう。「さようなら」
 私は1956年が私にとってこんなに思い入れ深く感じられとは今の今まで思わなかった。
 人間なんて去りゆくものに悲しみを、新しきものに決意を、太陽の一周期ごとに見せながら、その実なんでもなかったようにして過ごしていく哀れな動物にすぎないといえよう。
 私が1956年にはこれだけのことをしたんだと見せることもできないし、今から1956年の仕事を増やそうとしてもどうすることもできないくらい押し迫った(もう10分足らず)。
 私がこうやって、ペンを動かしていてももう今年中に書ける字数には限りがある。
 

 ああ1,956年。過ぎゆく君に私は何をささげん
 除夜の雪を橋渡しに君は刻々と消え去る。
 君がすべての人の1年分の思い出を胸に抱いて
 今、二度と私が存在することのできない(ああ今、32年になった)時になろうとしつつではなく時になってしまった。
 もう32年なんだ。31年よ君が過ぎ去ったのは一瞬であった。ホントにひしひしと胸に迫る。
 君は永遠にその姿を消してしまった。
 君は日本人の胸の中に単に国連加盟実現の年としてしか思い出されない歴史の1ページに変わってしまった。
 私が昨年描いた最後の文字は「い」であり「あ」が昭和32年度の最初の文字となった。これすでに過去。
 昭和32年もかくして今年の12月31日まで、いたずらにその長さを縮めるばかりとなった。本当に今度こそ君ー去年君ーに別れをよう。さようーなら

1957.1.1 Tuesday 1957年(昭和32年)
1月1日
すでに一月1日も終わってしまった。何と1日のあっけないことよ。このあっけなき日の365重なればまた新しき年はくる。17回目の1月1日を迎える。私の人生50年とすればその34%の1月1日は済んでしまった。なんともはや、日ごろ目落してきていた1月1日がわずか人の一生には五十回しか与えられないとは気づかなかった。
 1年の計は元旦にあるというが、その元旦をむやみに終えて元昼となり、それまた寝て終わり遂に元夜、それをまたリンゴ2つ半獲得の大奮闘を演じたトランプであっさり過ぎっちまって2日の朝となってしまっている。元旦は済んじゃったからもう1年の計も立てられぬ。

 それで正月2日の計として向こう364日分の計を立てることにしよう。
1、1日1日を有効に使うこと。
1、今年は運命の年であることを深く認識し、あらゆる行為に妥当性を持たせること。
1、精一杯の力を発揮し、常に自分が力を出し切っているという自覚が持てるようにすること。
1、常に精一杯の力を発揮できるように体のコンディションを整えておくこと。(つまり暴飲暴食を慎むことを含む)
1、さらに精神力を鍛錬し少しのことに動揺しない人になること。
1、常に人間であること。
1、1度計を立てたことを破らぬこと。
1、まじめに、落ち着いて、考えて、着実に行動すること。
1、教養のある人間になること。
1、整理整頓し、人に迷惑をかけること。
1、独創性を失わぬこと。

 私は12月31日ー今年のーに、この日記帳に今年は正月2日の計の通りであったという反省録が載ることを期待しながらこのペン置く。

1957.1.3 Thursday 正月3日
うかうかと正月気分で3日を過ごしてしまった。全く勉強らしい勉強もしていない。また、正月2日の計を早くも破ろうとしている。何はともあれ学校が始まるまであと4日、これからは一生懸命勉強しよう
1957.1.4 Friday 1月4日
腹具合い悪し。昨日夜遅く食を取り、ベーコンを食べ過ぎたためだろう。
今、夜もう遅い。今日は勉強の途中から低い机で勉強している。昨日まで私がズボン下を穿かなくてよいほどあったかい天候が続いたが今日は嫌に冷える。風も少しある。
 今年の正月1、2、3日は全くすばらしい天気であった。同じ日本晴れの天気にせよ、こういった特定の日に、天気が良いというと人がたいそう喜ぶもので、天気は人から、1年に幾度となく晴れることを要求されていることになる。
1957.1.5 Saturday 1月5日
わが17回目の誕生日

私は今日より17歳。
昨日の私と今日のおれ、
どこがどんなに変わったか
分からないけど17歳。

17歳の夢を見る。
17歳はどんな年
どんな事件が起こるのか、
わからないけど夢を見る

夢は紅色七色の
楽しき思いもあるけれど、
今現実のわが胸は、
苦行のすべてに悩まさる

17歳のこの7が
ラッキーセブンの七ならば、
わが青春に光見え、
わが人生に幸ぞ鳴る

私は今日より17歳
17歳は私の
運命の年、苦行の日
堅き決意ぞ望まれる。

あああ、まだ17歳に
幸よあれ!!

 何はともあれ私は今日こに17歳の第一歩を踏み出さねばならない。私のも17歳の人となった。私1人を地に立たせ、傍観するとき感慨新たなものを感じる。私が17歳になったこの日私はこの運命の年を立派に生き抜いて見せるという強い決意をしなければならぬ。その立派さの程度が私のすべてを決定してしまうのだ。私が17歳で完成する立派さは中くらいの立派さであってはならぬ。最大最良のものでなければ。もし私がそれに少しのヒビでも入れようものなら支障たる神は私を炉の中に蹴り込むことであろう。私は大火傷を負って一生その醜い姿で世を渡らなければならなくなってしまう。
 私はこの17歳の私が半気違いになってしまうことを望む。学業に半気違いの精神ができてこそ真の立派さが作るようというもの。本当に胸の奥底ににしまった決意ではなく、私の胸、それが決意であってほしい。自粛して立派に生き抜いていきたい。

1957.1.6 Sunday 1月6日
もうあと1日で第三学期が始まる。いよいよ来年の入試まであと1年、押し迫りましたね、である。
大丈夫かいといっても、絶対に大丈夫、でないのである。肝っ玉が強いのかバカなのか、本当にたった1年で入試を突破しようとしているだからすごい。もう何を言っても泣き笑いである。いよいよわが心境にも迫るものありの感が大となった。笑いもできぬ、泣くこともできないところに来てしまったのだ。しかし、幸いなことにあと1年なる。どうかこの1年だけは君、辛抱して有効に使ってくれとわれと我が身に嘆願し、すがりつくより仕方がない。1年ぐらい浪人するつもりでのんびりとやろうと思う。浪人、これも人生の経験のひとつなり。
1957.1.7 Monday 1月7日
君を忘れたわけじゃない。しかし時を忘れたんだ。明日から学校がある。睡眠が足りなくちゃたまらない。で、これで失敬指する。
1957.1.8 Tuesday 1月8日
われわれの先生が愛とは何ぞや。「愛とは自分にないものを他に求めることなり、簡単なもんですよ」とお笑いになる。先生の頭が簡単なのかは知らぬが、われわれのクラスのものの大半は、なるほどという顔つきになる
1957.1.12 Saturday 1月12日
 先生が口をお開きなる寸前、どんな定義がおろせるのだろうか、説明がゴタゴタと長引くのではないかと、ちょっと不安になったが、案に反してごく簡単で不明瞭なものであった。
 私は現代数学における、定義は非常に簡単であるがゆえに非常に難解な意味をもっていることを岩波の「無限と連続」という本で学んだ。この定義がこの性質の一典型かもしれない。簡単ではあるが、果たして自分にないものを他に求めることが、愛し合っているつもりで実はこの定義をご存じない男女に実際に愛の定義だとピンとくるだろうか。少なくとも私はこの定義には不満である。それだからといって私が愛について多くを考えたことがあるかといえば、全然ないのだし、愛の定義で私が知っているのはこの「自分にないものを他に求めることなり」だけなのである。むろん愛といったものに定義があるー哲学者が自由に定義づけるのはいいとしてーとは今まで考えたことがなかった。
 だから先生が断定的にー先生とは普遍的に正しいもの教えるはずであるーこう定義を下されたのでは、面くらいもしないわけにはいかなかったたし、何か浅はかさを感じないわけにもいかなかった。
 なぜなら先生自らの哲学した結果到達したものではないことは明らかだからである。先生に独り善がりは禁物である。そうすればその定義の出所は分かってくる。先生が何か書物を読まれた。そこにかくもはっきりと簡潔な愛の定義があった。おお!生徒に教えることのできるものがある、感動が全身を流れた。かくてその定義は先生の職務遂行のための脳に暗記されることとなった。決して思索の結果洞察されたものではないであろう。
 と、すれば、あえて先生が国語の時間にこの定義をーわれわれ生徒にとっては聞かぬ方がよかったであろうと思われる定義をーわれわれに授けられたかはますますはっきりする。先生の性格上ー知っていることを話し、知らぬことは話さない。もちろん知らぬことは話されないだろうがーできるだけ生徒以上の力があることが必要なのである。そのためにはかくのごとく愛そのものを見ることなしに愛という国語を見て、いともたやすく、これから愛を知るべき53名の若人に国語流に解釈し、唖然たる表情のわれわれに、にたにたと得意の微笑さえ浮かべられるのある。
 愛がもしこの定義で片づけられるものならば、世の中で愛であるものが愛でなくなったり、愛でないものが愛になろう。この定義は私の感覚に響いてくる愛の持つ独特の雰囲気が全然感じられないばかりか、愛と反対の感覚さえも持っているように見える。
 自分にないものを他に求める。これは何だか立派そうだがあまりに漠然として、それじゃ強盗が他人の金を取りたがるのも、暗闇に待ち受けて女の肉体を求める男も、すべて愛の行動をしているといえるのかと反駁したくなる。親子の愛情、兄弟間の愛情、これを定義はうまく説明してくれそうにない。もし愛情がそういった定義で済まされるならば、世の中のほとんどの小説は何を追求すればよいのか行方を見失おう。
 なるほどこの定義は愛の本質性を全然外れてはいない。これで一応はなるほどと思うゆえんだろうが、もしそうだとすると愛とは何とわびしいものとなることだろう。世の中の人々が理想とする愛の世界はもはやエゴイズムの世界として存在しよう。ここには意志の通じ合わない愛しか成立しない。人と人との愛は自分の持てる所を相手の意志におかまいなく求め、用が済めばそれでよい。人格はおかまいなし、というものになってしまうだろう。
1957.1.13 Sunday 1月13日
 英語ができなくて大弱りだが、できないのは自分が悪いのだといわれると、どうも仕方がない。世界で1番難しい文法を持った日本語を話せる諸君が英語で困惑するのはおかしい。英米では3歳の子供も英語を話すではないか。とある英語のできる日本の人がおっしゃる。
 なるほどと思う。そしていかに習慣の力は素晴らしいかを考える。わたしの勉強法がいかに英語においてまずいかを憂える。英語を日常のものに取り入れて習慣上に覚える工夫が必要だ。
 私が来年試験を受けるとき、絶対大丈夫と自信満々な態度をとれないことは明らかだが、後残された1年間でいかにして合格できそうなところまで引き上げることができるかが私にとって大問題である。
 まず私にとって1番苦しいのはこの1年間で何もかもしてしまわねばならぬことだ。つまり二年生完了時においてはすべての課目が未完了の状態もまま、三年生に持ち越されることになるわけだ。英語、私はまだ単語の力が英米の三歳の幼児ほどである。国語、古文は全然ダメ、漢文、現代文もダメに近い。数学、解1、解2ともになかなか普通並みにも近寄れない程度だ。理科、全く理科に関することは私の頭の中にない。社会、歴史はだいたい2年で教科書は済むが、三年1杯であと一課目の受験課目を仕上げねばならない。とにかく多難を思わせる状態であるが、あと1年、男1匹どうにかしてもらいたいものである。
 次に健康の問題、私は私の不摂生のためにあまり健康でない。日ごろの心の健康も非常によろしくない。そして睡眠時間の問題がある。もちろん私には四当五落流でいえば完全に落第組みの睡眠を取らねば眠くて仕方がない。7時間でどうにかやっていけそうだが、時間の制限がないといつまでもよく眠り、それが10時間にもなって頭痛が少ししたり眠かったりする。完全な睡眠をとることに私自身が力を入れていないので、特にこの点、改めてとにかく寝足りた爽快な気分を目覚めに味わうことのできるようにしなければ。
1957.1.14 Monday 1月14日
昨年最後の3年生と合流の模試で国語と世界史が最高点だった。全科目受けてなかったので総合順位では17番ぐらいだったが、いままで悲観しどうしの私に一縷の希望を与えてくれた。もちろん他の学課は恐ろしく悪いんだか。
 私はもう1度ある金言を振り返ってかみしめねばならぬ。「努力に勝る天才なし」を。私はまだまだ努力が足りない。努力さえすれば少し以上に伸びることができるように思う。その望みと、そう落ちぶれてもいないという自信で少しずつピッチをあげていきたい。もちろん私の努力が天才に勝るようになれば奇跡に近いだろうけれど。
 
1957.1.24 Thursday 1月24日
 昨日より1センチ、今よりは1センチ、確実に伸びうる人間になれ。昨日よりは5センチ伸び、今日その伸びが止まるならばたとえ明日以降にどれだけ伸びようと、毎日毎日確実に伸びていく人間にはかなわないのだ。毎日毎日の反省に気持ちよく1センチの伸びを妥当として○をつけることができるようになれば、私はあらゆる困難に打ち勝てよう。
 人の心に焦りとうぬぼれができた時ほど危険な時はない。私の心は果たして完全にそうでないといえるだろうか。
1957.1.25 Friday 1月25日
 生きているということを知る時のぞくぞくするような歓喜と悲しみ。生が必ず未来を有するこの世において、生の自覚は悲しみを感じさせずにはおかない。
1957.1.26 Saturday 1月26日
 土、雨。黒インク30円 テキスト60円、90円。
 現在の私が過去未来一切を含んだ私であることを忘れてはならない。現在、このペンも動かしているのは、紛れもなく私自身で、この私以外には、過去にも未来にも私はいないのである。であるから現在において善であれば私は善であり、悪であれば私は悪なのである。
 たとえ過去にどんな素晴らしいことをしていたとしても、現在の私で私なるものは評価されるべきであり、いたずらに過去の業績を重んじてはならない。また、未来の私も、現在の私と違った私が存在するわけではなしに、常に私の現在の中に、蓄積されつつあるものであって、その現在は飛躍して未来になることはない。
 すべての評価、批評、努力家とか、善人とか、勉強がよくできるとか、そういったものは現在において努力家であり、善人であり、勉強がよくできるのでなければそれが間違ったものとなる。現在を立派に生きることはだから過去や未来において立派に生きることになり、過去において未来において自分を生かすことになる。
 現在を立派に生きることのできる人となりたい。
1957.1.27 Sunday 1月27日
口。それをは赤いバラの花びらよりも美しく軽やかで人を魅了する力を持っています。けれども時としてそれは災いのもとになりかねません。雄弁は銀にして沈黙は金なりと申しますが、それは時と場合によることは明らかでありまして、金になったとすれば、その金の持つ気位の高いまぶしい光沢に人はそれを敬遠するようになりましょう。やはり口4丁ぐらいが1番つつましくで感じが良いものです。

勉強する前に席に座ったら
自分は今から何を学ぼうとしているのか。
机の回りはきれいに整理ができているか。
勉強するためにはこれだけの道具で足りるか。
勉強するのに、生理的に1番適しているか。
を自問自答して否なる答えが出たならば早速直そう。
 自分のした勉強がなんであったかわからなかったり、整理不行き届きやのため気が晴れなかったり、必要な道具が見つからなかったり、慌てて便所に駆け込んだりするのは全く無駄な話である。
より能率的に。より合理的に。

1957.1.28 Monday 1月28日
 今日のような時間の使い方をすれば、大学には何年かけても合格できまい。映画の題名を間違って映画館の前まで行ったり、本屋でくだらぬ本をいつまでもぶらぶら読んでいたり、あげくはジャンケン勝負を繰り返していたのでは。しかも、決まって1時近くにならねば寝ないものだから、翌日の勉強時間が眠たい。
1957.1.30 Wednesday 1月30日
映画「愛しのシバよ、帰れ」
白い羽根55円、オックスフォードシューズ390円
1957.1.31 Thursday 1月31日
本格的な冬の寒さがやってきた。
ガラス窓を突き抜けて
私の全身にキリキリと切り込んでくる

ふと見上げた梅の小枝に
すでに咲き匂った白い花を
ああ、春はもうそこにいるだと
見つめて驚いたのは昨日だったのだが、、、

クーデターを行った寒さが
今や、王位につかんとして
そのキンキンした声を
張りあげている
張り上げている

何もかにもが
寒さの臣下になってしまって
北極星の光さえも
チカチカ凍っている

独裁王よ
振るえ振るえ
権力を振るえ
しかし僕は負けぬ

王よ、
君の天下は100日だ
独裁が滅びる
大革命の時がきっと来る

見よ!
独裁に虐げられた
枯れた木の梢に
小さくも
革命の反旗が翻っているのを

1957.2.4 Monday 2月4日(月)
私に今五万円あったら、あれも出来るこれも出来る。それで足りぬ時間の中から週刊朝日のボナンザグラムにせっせと投書する。1字違いが今のところ最優良だがまかり間違って私があたらぬこともないものである。しかし、こういうこともいつまでも続けていいものやら、怪しくなってきた。学業の本当の余暇だけをそういったものに充てるべきで、今の私のようでは、害がありすぎて益がない。益の私に下る率は十万分の1ほどであるが。
1957.2.5 Tuesday 2月5日(火)雨
この日記の日付の飛びで私の荒れ方がわかる。もう少し着実な歩みをしていきたい。
1957.2.6 Wednesday 2月6日(水)雨
私が私自身の過去にこんなことをしておけばよかったのに。あの時こんな考えがあることを知らず行動して残念だった。と悔恨の情を示すように、私の現在も未来において必然的に悔恨の的たることは免れない。
 だからといってすべてが悔恨の的であってはつまらない。それで私にとって1番悔やみの種になるようなものをなくしておくことが、私にある唯一の道である。
 私はいま非常に時間の制約を受けているので、そうやたらに未来の私の心を和らげることにのみ力を注ぐことはできない。仕方のないことが私にこの道を選ばせようというのだが、果たして1番悔恨の的になるものはなんだろう。
 ゆっくりでもなく綿密に考えなければと思う心の一方で、すぐさま挙手したものが言った。
「勉強する。身も心もこれに没頭することこそ未来に悔恨を残さぬ唯一の道と考えられる。」
 
 なるほど。悔やみの種の1番大だけを選ばねばならなかった時間を制約するそのものが悔やみの種の1番大になるとは。
1957.2.7 Thursday 2月7日(木)雨
 早いのを自慢にして詰め込む単語がいかに無駄なものであるかを私は知らねばならぬ。
 単語を覚えた瞬間が忘れへの第一歩なのだ。
 どうしてその第一歩を容易に踏みださせずに、少なくともその匂いだけでも残るぐらいに引き止めたらよかろう。
 答えは明確だ。繰り返し繰り返し出発点までひき戻ることだ。そのうちもう旅立つのが馬鹿らしくなって留まるようにでもなればしめたものである。
 私においてはあまりにも次を押し込むためにひとつとして泊まってくれない。だから私の旅館は営業不振で困っている。
1957.2.8 Friday 2月8日(雲あり)金
黒沢明監督「蜘蛛巣城」
今日黒澤明の蜘蛛巣城を見た。端的に言って共鳴するほどの感嘆を発し得なかった。凝りに凝ったという感じがするがやはり黒沢監督らしい重量感のある映画ではあった。日本映画らしからぬ映画であり、また西洋映画でもないところにある映画である。それは1種の乾きが影響するもので、日本映画のウエットさが大幅に吸収された感じだ。
 あまりにも意味を含ませ過ぎた場面が多い。三船のセリフは5割方聞き取れない。山田五十鈴はうまいと思った。
 能的な要素が目立つ。背景の簡潔化や、表情にそれが見られる。現実世界から切り離されたような雰囲気、それは映画の雰囲気以上に黒澤的な、の中で現実世界の人間でないようにして最も人間性豊かな人間像が織りなす血の匂いを乾かし切った絨毯の模様を怪しく胸をとどろかせながら見入るのである。
 黒沢は時の長さをそのまま画面の中で同じ長さに映し出そうとしたのだろうか。
1957.2.9 Saturday 2月9日(土)雨
「大学教授」という本の中で10年1日のごとく同じ講義を繰り返し、同じ洒落を言い、同じところで詠嘆し、黒板に向かっては左官のまねごとをしていながら、しかも大学教授に収まっている人の話が出ていた。
 私にとって興味もない話を2度繰り返されるほどすさまじく、片腹痛く、はしたなきものはない。まことに憎きものの中に入れるべし、だと思う。まして「それはもう聴いた話だ」と言えるような間ならともかくも、そういうこともできない時にはすさまじいものである。
 先生というものは二度同じことを繰り返す点では大先生である。1時間前の時間と同じ講義を、よくもこれだけ暗記されたことよと感嘆にたえないように、繰り返される。同じ洒落を言い、同じところで詠嘆されるところは、先の大学教授殿に右へ倣えである。ばかげた話を二度聞かなくてはならぬ生徒こそ、耳に流しながら、おかしくてしょうがないし、今度こんなシャレをおっしゃるとわかっているので大いに笑ってあげるべきかどうか立場に困るというものである。
 まためったに話もできないような人でそんなに別の話をして下さいいわれないような人が、同じ話をし出すのは本当に残念である。
 いつだったか、誕生会を開いたときも、そうだったので、貴重な時間が馬鹿らしいものとなってしまった。
 朝日新聞の論説委員の宮崎とかいう人が講演に再度島原に来られた。1回目の時は、少し面白かったが、2回目の時は全く興味どころではなくなり、1番前に座った席を持て余したものであった。なぜなら「いろいろ話がありますが、今日はこういう話をしましょう」とおっしゃったその話が全く前の話と違わなかったからである。なんとその講演者がピエロじみてって見えたことだろう。赤い大きな鼻をひくひくさせて「ハハン」とおっしゃるその顔が。
 ベッドそういう私にせよ、同じ話題を繰り返して座の空気を面白くないものにしているいないとも限らない。自分では大いに気を付けているつもりなんだか。
 もう一つ付け加えるならば、同じ論旨を自分の熱弁にかられて、何度も繰り返す大した奴がいるということである。自分では立派な話だと信じて疑わないたまらないやつである。こんな奴は早く話が終わってくれればと思っている被講者とっては殴りつけてやりたい奴なのである。
 
1957.2.10 Sunday 2月10日(日)
何もせず何も考えずに生きることは不可能だから、何か考え何かをしたと思い出そうとするが思い出せない。平凡の非凡を説く人に言わせれば素晴らしい日なのかもしれぬが、私などー若くそして受験生たる者にとっては、実にくだらない日を送ったような気がするものである。
 誇りをもってこれだけの前進的ことをやったと、毎日書けるだけの有益な日は来ないものか。おっと、来るのを待っていたのではいつまでたっても来はすまい。自分でつくり出す。このことが大切だ。
1957.2.11 Monday 2月11日(月)
母は紀元節はいつも大変寒かったという。
今朝の寒さは格別であった。粉雪がカチカチの土の上にうっすらと、1センチもある厚い氷が水の底の凍え死んだ鮒の鱗を白く鈍く透き通して、空気はつららの錐を持っていた。
 氷が1日解けずに残るのは珍しいことであった。
 珍しいことといえば、今日を紀元節といって社会が騒ぐことであった。私にとって紀元節の経験は皆無である。新聞や週刊誌やラジオなどでも、なかなか賑やかな論争が繰り広げられていて、おおよそのことがわかるといった程度の知識しかない。
 けれども私の心の中ではもう昔からそうだったように紀元節復活反対の気持ちがある。なぜだろうか。私はそこに私の弱点を見なければならない。私がそこに立っているのは私の心の中で論争が行われた結果ではない。ただ漠然と反対と思っているのだ。
 なるほど多くの記事などを総合して、私に不利でない方をとったのは確かだが、こんなことを考えるのがばからしいのなら話は別だが、一応理論的に反対の立場を明らかにすることが、反対一本槍でいくよりましなことは明らかである。
 もしインテリの多くが賛成の立場をとったときでさえ、紀元節復活には反対だと言い切る理論がほしいのである。社会が騒ぐと言ったが、ほんの少数人であることは、紀元節が寒かった頃としてしか話題にのぼらぬ人もあってみれば、明らかで、今さら復活する必要があるのだろうかと、議論を抜きにしても問いただしてみたくなる。
1957.2.12 Tuesday 2月12日(火)
自分自身で死にかかってしっかりやろうと思いながら、それでもしっかりやることができない私に、他人がしっかりやりたまえと忠告したぐらいでは、どうにもなるまい。忠告してくれるのなら、しっかりやらないならば殺してしまうぞ、ぐらいの忠告がほしい。世の中に私ぐらい死を恐れるものはないから。
1957.2.14 Thursday 2月14日(木)
    2月11日「人間嫌い」10日、11日
    2月14日「田園交響楽」13日、14日

 私はジッドの小説を読むと、身も心も清められる感じがする。何かしら新鮮なみずみずしさ。薄い水色のヴェールに朝早く蜘蛛の巣に水滴がかかっているような、そういった感じのもので包まれたみたいな感じがするのである。私にとっては、手の届かぬ世界の物語りであるのに、私は深く心ひかれる。本当に手の届かぬ世界なのだ。
 キリスト教の聖典の1句がすでに物語りである人と、私の宗教生活では比較してもお話しにならない。美しい田園の広がるフランスの田舎とこのゴミゴミした私の回りの美しさに欠けた世界とはこれまた同じ述語で結んで十分である。
 登場する2人の主人公が、たとえ作者の頭の中で作られた仮想の人々であるにしろ、日本においてああいう人々が物語りの主人公として特異に感じられないことがあろうか。
 あまりにも美しい物語りが展開されたので、それにうっとりと酔いしれている私には批評するどころではない。ただ感嘆し感謝するばかりである。

1957.2.16 Saturday 2月16日(土)
 今日は私たちの学校では全校あげての心身の鍛錬の日であった。校長のさながらわが名案と言わんばかりのあいさつに開けて、「S君はよく走った」という担任の話で家路についた。
 校長の名案とは、全校生徒がマラソンー長距離競争の意味ーするのである。男子が母校から秩父が浦公園入り口までの往復を10キロメートル、女子が母校ー北門ー大手ー農校の4点をめぐるのである。
 われわれの出発が9時40分であった。
 私は腹具合いが悪くて、昨晩の晩飯は抜き、朝の食事もお粥二杯に、みそ汁1杯を7時15分ごろに食べただけで、相当の疲れが出発前にあって、10キロメートル走ることがいかに無謀で、無理であるかは判り切っていたのだが、そう申し出て不参加にするにはあまりにも近付き難い担任であった。
 やむなく走り出したが、すでに300メートルと行かぬうちから、腹に力の入らないことがあらゆる面で不利で、湊広馬場までもつだろうかと考えたり、落後の場はと考える私にしていた。すでに大手広場を通過する時にさえ、やめてしまうのに十分な疲労があった。何度、先生に不参加を申しでなかったことを悔やんだかしれない。目標が心身鍛錬であることも、全然頭に浮かばなかったし、全レースを通じて走り通そうという意思を持たなかった。ただあるのは、悔悟と疲労と足の痛みと、どこでレースを止めるかということであった。
 あとゴールまで200メートルの所でさえ、走り通せるだろうかという気持ちが、走り通そうとする意志に勝っていた。
 走りながら今、自分が欲しているものはと考えるとき、それはあまりにも日ごろの私にとって自由な息を十分にすることと、休むことであった。私はレース後パンツのひもがレース前に比べて5センチもだぶだぶになっているのを見てわが身が哀れであった。それほどのエネルギーを消耗しただ。喘ぎつつ走る私の姿が商店のウインドーに見えるのも痛ましかったし、最後に疲労困憊した格好で、女生徒の垣の内を走るときはもうむしろ悲壮感さえあったであろう。
 われながら驚くことは10キロメートルの道のりを走り通したことにある。一体私は何で走り通したのだろうか。体力、否。精神力、否。とすると。
 どこかあきらめの伴った覚悟といったものが、仕方なしに私を10キロメートルを生まれて初めて走り通させたのかもしれないが、案外私においてさえ、心身の鍛錬の実が上がったかもしれないと思えるところがないでもない。
 私たちの組にSといって、もちろん私より好ランナーがいる。私なんか上位入賞者として期待していたのだが、途中で歩き出したた。横っ腹が痛かったかどうかは知らないが、どれほど私の苦しみに勝ったろう。S君は早いから少し抜かれると走らないというMの批評も的外れとは言い切れまい。そして私たちが教室で着替えている時帰ってきて、その時私が発しえたであろう声よりもむしろ生き生きとした元気な大声で「下から2番」と宣言した。
 その声の裏を見るならば、いかにも走りさえすれば上位入賞もできたといわのばかりの感じがする声であったし、態度であった。
 それは担任にS君はよく最後まで走り(?)通したとお誉めにあずかるべき美行であって、私が腹具合が悪く、且つまた、痛みこそ伴わなかったが、二三日前からふくらはぎがはれていたのを押して完走したことにも増して立派な行いだった。
 40数分間私を苦しみの中に閉じ込め通したこのマラソンは、心はいざ知らず、身において私にかえって悪い方向に鍛錬せしめたのではないかと思われる様子が現れて来つつあるようだ。
1957.2.17 Sunday 2月17日
 悲しいことに日本人たる私にも日本語でしか英語が理解できない。英国人なら左から右へさっと読み通せばわかる英文を、私は首を左右に回転させながら日本語に直して読み取るのである。思考は文字でしかできず、その文字が日本語でなければならない恐ろしいほど窮屈な宿命を持って生まれたものである。1日がかりでミルの功利主義についての書物のしかも序をわずか数行しかーそれもあやふやなものだがー読むことができないのだ。主よ、我に英語を日本語と同じように与えたまえ。
◆人生というような貴重なものでさえ、無駄に過ごす時と、有意義に過ごす時を人は適当に混ぜて過ごしている。いわんや金においておや。金が浪費のために使われることがなかったら、人生と同じようにその貴重さは減ずるであろう。
◆人が人生を知る時すでに人生は始まっている。
1957.2.18 Monday 2月18日
起こるべき悪い事態が分かっていながらそれでもいたずらをやる。その心理の微たるや、言わん方なし。
1957.2.20 Wednesday 2月20日
私は考える人になるべきだ。このごろの生活態度は、あまりに考えることのない、むしろを考えることを回避したように見える状態だ。ニーチェを理解できずして、考えることをやめるべからず。

◆女はなぜ自分を一刻も早く飽きられようと結婚するまで努力するのであろう。その努力のかいあってたいていの女は結婚後四五年で妻の座から転落する。
 すべての女は、お茶とか生け花とかが結婚生活に必要だと考える。しかし、それが有効なのも結婚後四五年で、それ以降は夫婦生活そのものにとっては有効でない。
 女が常によき妻の座にあるために、世の女よ、もっと勉強せよと言いたい。知性あふれた妻は単に肉体的な妻よりも男にとってはありがたいものとなろう。
 現在においては、学校を出た女は全く、結婚するまで退歩し続け、さらに理解なき夫のもとで飛躍的に退歩曲線のカーブを上昇させている現状である。

1957.2.21 Thursday 2月21日
 青年時代には逆説的な言い方を好むものだ。しかし、それがいつまで逆説的であり得るかが問題である。
 逆説的な言い方は誰からも好まれる。痛烈な感じがする。だから1部の人を除けば青年時代の大の逆説家が温和な人のいい状態になってしまい、逆説的な言い方はその人から消える。
 逆説的な面白さを好むのは、西洋の方が盛んらしい。私はそれを好む。
1957.2.22 Friday 2月22日
 他人の思いつき政策を非難するところではない、自分自身の思いつき計画の非計画性にあきれ果てねばなるまい。何と思い切ったボリューム感のあるバラエティーに富んだ計画であったか。それがなんと小さく実行されたか。最大の計画の下に最小の実行がある時、それが計画であり、実行といえるだろうか。計画に無理であってはいけない。幸い今までの体験がある、それによって計画を改正すべきである。断っておくが、この新計画は2月21日つまり昨日作成されたものである。
1957.2.24 Sunday 2月24日
 昨日映画を見に行った。カラコラム。あなた買います。。マリア観音前編。
 マリア観音は全くばかばかしい映画はかくもあれば言えようと思われるようなつまらない映画。
 あなた買いますは、56年度の名作。日本の映画としては見ごたえがある方だろう。
 カラコラムはよかった。私たちが存在する同じ地球上に、あのような国、風俗、風土が存在を同じくしていることを思えば、ただ唖然とするばかりだ。あのような風俗の国に行ってみたいものだと思う。非常に困難な撮影をしなければならなかっただろうに、大変色彩もよく、画面も整っていた。三会出身とかの林田重男カメラマンが後半の撮影者であってみれば、少なからぬ近親感を覚えた。
1957.2.25 Monday 2月25日
絶望すべきだ。今日のあの試験の様子は、一体なんだ。絶望すべきだ。あの雑念にとらわれた自分の心に。
1957.2.26 Tuesday 2月26日(火)
 精神力を養え、不勉強からくる精神の弱まりであることを知れ。精神力を培え。
1957.2.27 Wednesday 2月27日(水)
月日の移りゆく速さを何度嘆いたかしれない私が、2月27日という日付けに驚いている。もう今年も2カ月が過ぎてしまった。今さらながら過ぎゆく時と、それにもて遊ばされる私のはかなさが感じられる。正月二日の誓いが、誕生日の決意がどれほどその形をゆがめられ、踏みつけられて時の流れ中で私にあったかを見るとき、「これではいけない」という気持ちが私の胸を覆うのであるが、それまでが時の流れに押し流されてしまうのだ。
「何とかして、・・・」これが私の偽らぬ気持ちだ。「何とかして大学の狭き門を潜りたい」と。
 しかし、それがこの私の上に来春空気の抜けたゴム風船のようにしわくちゃになってへばりつくであろうことは、今までの2カ月間の生活態度からも推断できる。
 なんと、なんと、私は心の弱い男に生まれついたものよ。
 神を救いたまえ。
 いっそのこと、神よ、私から人間性を奪え。そして私を1個のロボットに、与えられた仕事にあくまで忠実なロボットにせよ。そうすれば、そうすれば、私はすべての雑念から解放され、すべての欲望から鎖を放たれ、文学本を読みたい気持ちは消し去られ、ただ一筋に、大学受験のための勉強に、ただガリガリと打ち込むことができるようになる。
 そこに歓喜が生じよう。しかし私はロボットだ。机にしがみついて勉強さえしておけばよいロボットで、既にあるのだ。ロボットにとって歓喜が何であろう。

明日から私はロボットになることに努めよう。
非人間になることに努めよう。
一切の人間臭を私の回りから追放しよう。

ロボット、ロボット
今だロボットでない私はこの言葉に感極まって涙が出るのだ。

私は明朝ロボットたるべく人間としての最後の床につく。

1957.2.28 Thursday 2月28日
 人間は1度固定した観念なり思想なり知識なりが出来上がってしまうと十分に自由がつかないようになる。必ずそれらにとらわれた思索が行われ、批判が行われる。それが愚だとはっきり言い切ることはできないけれども、私にとってはあまり立派なこととは見えない。それだからといってそういったことを私はしないとはいえない。たまたま以上にしでかしている。それは日記の中に見られることだと思う。
 私が今述べたようなことを言い、ある先生が、バルザックをパルザックと暗記してしまって、私には笑止に耐えないと考えるのも、ある固定観念に私がとらえられていることを示してはいないか。
 固定観念を1種の悪の意味で解釈するのも、その弊であって、立派なそれを持つことは決して悪いことでなく、もしそれがなかった時には、人間が人間としての確固たる行動はとれなくなる恐れがある。
 私は生活を利する永久的な固定律ができて、立派な生活が送れるようになることを恐れはしない


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