日記の部屋1959(09)/Diary1959(09)

 

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年月日 曜日 日記本文
1959.8.27 Thursday

1959.8.27 Donnerstag

◆7時間25分。ちょうど”東海”が名古屋ー東京間に要する時間と同じ時間の延着であった。昨夜東海9号に乗り込んだのが9時45分頃品川駅着が今日の午後1時頃、静岡県地方の水害の疵痕を眼下に見下ろしての車旅ではあった。すでに今もう東京での第一夜も午前1時を過ぎて、あたりは静かである。23日の朝
8時15分に島原駅を離れて、今やっと再び自分のベッドの上でやすらかならん眠りをむさぼらんかの時がやってきた。旅行中の様々の思い出はまた明日からでもゆっくり記すことにして、ひとまず眠りに陥りたい欲求に従うことにする。

◆重馬叔父さんの処へ、名古屋で買った金120円也の最中を届く。碁3勝3敗。

◆井の頭線で一人の美女を見出す。わたしについた日である。横顔がとってもきれいな人で最初彼女に気づいたのも彼女が私を見ていたからである。私の見ていることを意識しての目の動き、顔の向きも口の表情の様々な変化はとっても良かった。一人でも一日のうちに素晴らしい美女に会えるとその日一日が楽しくなるものだ。もう一目会いたい人ではあった。


1959.8.28 Friday 1959.8.28 Freitag
◆8月も28日。だが、午前中に34.2℃を記録する暑さ。今年最大の台風9号は沖縄海遠く発生したらしく台風接近ととともに秋らしい秋がやってくることであろう。
 秋。その想い。その姿。その香もゆかしく20年目の秋が、この私に訪れる。
1959.8.29 Saturday

1959.8.29 Sonnabend
◆以前から気づいていたことだが、その時理解できず、時の流れにまかせていたような問題なり、悩みなりは、少々の隔たりを通 してかえってより深刻になりやすいたちのものなのだ。
少しく収まるように見えながら、前以上の激しさをもってぶり返すたちのものなのだ。長い長い月日の間、その痛みは波のように引いては寄せ、寄せて引き、やりきれない気持ちにさせてしまう。あわてて取った解決策が同じような悩みを引き起こしやすい種類のものになりやすいのも時のみがその唯一の解決者であることを物語るのであろう。
その泥沼に踏み込んだが最後、あがき悶えても最後には地底の餌食と消えねばならない底なし沼のような苦しみは、人生という必ず通 らねばならない道のあちこちに無数に開口しているのである。遠く離れて無縁なものではない。何人といえども、幾度となくこの泥沼に足を取られて、人生の道を知ったのである。平たい危険のない登山路をやすやすと頂上まで登り得ても登山にはかわりない。同じ登山でも切り立つ絶壁を数百メートルも登らねばならぬ ものもある。
頂上に立った感激が前者と後者とでどれほど違おうと大した問題ではないかも知れぬ 。登山には下りがある。だが人生には下りはない。登り切りなのだ。
 マナスルの頂上に立っても下りる心配をしなければならなかった。だが人生の登山路には頂上もあり、はてしない行路はあっても帰路の心配は必要ではない。頂上での感激、それは自ずから違おうというものである。
 今日、私の胸のこの痛み。なかなか消えそうにもないけれど、やはり耐えて生きていかなければならないものなのだ。今日の状態を生み出した。過去の自分の行動は後悔の念で張り巡らされているけれど、心のどこかで激励の拍手を受けているに違いない。長い長い月日の後で、晴れ上がった心の中で、今日のこの胸の痛みを思い出すとき、きっと懐かしいに違いない。一つ余計に人生経験が出来たと言って儲けものでもしたような気持ちにもなるかも知れない。その日まで。その日までだ。耐えて辛抱強く生きていくのだ。

◆Die Zeit verwandelt das Haessliche ins Schoene.
時は、醜いものを美しいものに変える。
上の言葉はたまたま常木実著の
「入門ドイツ語」の中で午後10時45分に拾ったもので先の文章と何か関係ある意味を持っているようなのでここに書き記しておく。



◆試験課目
英。独(2)。数学。哲学概説。東洋史。保険体育。仏。

◆後20日もなく試験が始まるが全然手を付けていないと言った方が正確だろう。課目数は思ったより少ない。少々安心できるが語学の4課目は相当こたえる。数学も一夜漬けは効くまい。東洋史はほとんどレポートに近い試験なのでこれも調べておかなければならない。ああ、痛い、痛い。

1959.8.31 Monday

1959.8.31 Montag

◆買いたい辞書
英語○American College Dictionary
or
  ○Webster's New Collegiate Dictionary
独語○相良大独和辞典( 2500)
○Cassell's German and English Dictionary(1800)
仏語○Harrap's Shorter French and English Dictionary
or
○Harrap'sStandard french and English Dictionary

◆茅東大総長の不信任案についてのサークル討論が「英語会」であった。状勢を一方的に常任委員会からのみ聞いたに過ぎないから、正確に把握できないので何にも言えないのが実を言えばのところである。
 総長不信任案可決という新しい歴史的事実を作ることにおいて今日の四人の”役人”達がどれほど深く考えていたことだろう。生半可な気持ちで事実を歴史上に記すことは許されてよいことではあるまい。悪い先例は後世に多くの悪を残すであろう。造兵科設置反対が直ちに総長不信任に結びつくことも変な話である。最善の手段は何かということをもう一度謙虚に話し合う態度が委員の方にも、全生徒の側にもあってよいのではないか。自分たちの意見に従わないのでは不信任するではいくら総長がいても足るまい。
 自己反省、自己批判の余地のない程自らを高く評価しているとすれば僭越のそしりを免れまい。委員の再考を望みたい。学園の自治を自らの手で踏みにじるようなことのないためにも。

◆明日から授業が再開される。
約456日間の夏休みであった。
今日で終わると思えば寂しさも起きてくるが、またこの駒場がにぎわいを取り戻すことに対しての心のふくらみも相半ばするのである。
大学生活には確かに休みが多い。
だから休みの活用が」自分は下手なのだと高校生みたいなことを言っていたのでは大変なことになる。休みが多いと言うことから大学生活の本質を掴めるというものだ。
自分で学問する。
これがその本質に他なるまい。
だから休みと授業のある期間とがその観点からは決して不連続ではないのである。
自ら学問する者にとって休みがあろうと何であろうと構ったものではあるまい。
自分のペースを正しく保って、たゆまなく学問を続けない限り自らを大学生視する権利も得ることは出来ないし、本当に大変なこと、取り返しのつかぬ 事になるのである。
ある教授が言うように余りに一般が受験勉強型である点に多くの問題がある。
真の大学生活を送らんとする者には大学型の勉強法があってしかるべきものなのだ。
そういう点から言って、これまでの私は決して大学生ではなかった。まだ半年しか大学四年間のうちから失われていないことを不幸中の幸いとしなければなるまい。
真の大学生たるべく真の学問を始めねばならない。(9.1 1a.m)

1959.9.1 Tuesday 1959.9.1
○試験日程発表
       9時〜10時   10時30分〜
9月18日           東洋史
9月21日(月)山下独語    
9月22日(火)常木独語     数学
9月23日(水)多田英語
9月25日(木)        体育講義
9月26日(金)        哲学概説
      2時10分〜
9月14日 仏語

◆Es ist gut.「これでよい」。カントの臨終に際しての最後の言葉である。
 自らの生涯の終止符を多くの優れた人々は、また優れた言葉でうち下ろしている。一語の中に自らの生涯を語り、人生の夢を語った言葉なのだ。ワサビの利いたという表現がある。まさしくこれだろう。
 彼らの人生は、それにふさわしい臨終の言葉を持つことによってその偉大さを倍加するのである。最後の言葉がピリリッと全生涯を引き締める。その言葉がなくして彼らには人生はありえない。まさしく、画竜点睛とも言うべきものであろう。
 最後の一筆によって見事な芸術品とも称されうる生涯という作品を仕上げる腕のさえはやはり偉大なる人物しか持てぬ ところである。明日交通事故で死のベッドに横たわりながら私が"Es ist gut"と言ったところで笑止の沙汰であろう。
 人生をまさしく生きた人のみに許された特権と言うべきものだろう。最後の言葉で全生涯を語りうるのは。
1959.9.2 Wednesday 1959.9.2

◆人間には熱中してしまうと普段では想像もしなかった様なことをやらかしてしまう脆いところがある。笑止に乗りやすいと言えるのかも知れない。
 人間と言っても私の周りにいる人間は日本人である。だから日本人は、と言った方が他に弊を及ぼすこともない上により正確なことが言えるかも知れない。
 日本人全体がそうなのだから、我々の感覚では、極く普通のことに思われてしまうようなことも、考えてみるとお調子者と言わざるを得ないことが少なくない。酒に酔うと人間本性を現すとか俗に言う。自らが如何にお調子乗りであったかは、酒を飲んでみるのが一番いい。近頃では次第に厳しくなってきたけれど、かつての酔っぱらいに対する寛大さは他に類のないお国柄であった日本である。酔っぱらいを見ている方の人間までが、酔っぱらいのあまりの天真爛漫さに毒されてか、その呼気に酔っぱらってか、お調子乗り的なことをしでかしたものである。酔っぱらいを送り届けるという美風を行っているつもりの人までが、如何に酔っぱらっていたかは知る人ぞ知るである。
 政治家のみを外国人にやってもらうわけにはいかない。政治家のお調子乗りが国を売り、国を亡ぼすことにならなければ、不幸中の幸いとでも言うべきか。安保改定を実行するんだと力んだ時にすでに頭に来ているのである。それを見ている方も同じ日本人だから絶対改定には反対だと熱してしまう。その挙げ句両者が両極端に立ってとんでもないことばかりをやらかしてしまう。アイクとフルシチョフの相互訪問にまで発展している世界情勢にもう少し目を向けて欲しいものである。頭を冷やして欲しいものだ。

◆自らの美しさに気づいたとき、女は第二の誕生をする。女としての誕生である。

◆純粋な恋愛の可能性があり、純粋な甘美に泣くことの出来る青春の日は純粋な恋愛の物語を書いてみたいと若者は願わずにはいまい。
 女が美しく着飾ったままで存在し、その神秘のヴェールに包まれている間に若者は晴れ上がった淡青の空のような恋愛小説を自らの手で書いてみたいと思わずにはいまい。
 それは想像が最もうまく実を結ぶ小説だろう。その清純さ、その瑞々しい生気は、女のスカートの意味のない人々の想像上の純粋さを水と油のように異質なものとするだろう。けだし純粋な恋愛小説の書けるのは恋に汚れぬ 我らでなければ誰であろう。

◆「自由」その言葉の持つ魅力よ。ほとんど魅惑的なその響きよ。恋愛さえもが私にとっては自由の束縛を意味するようで重苦しい。私には長い恋愛は出来そうにない。息苦しくなって一刻も早く水面 に上りたくなるだろう。水底の真珠貝も珊瑚の枝も、私の息苦しさを除きはすまい。”長い”という形容詞がつくことは一応私には敬遠すべきもの。
 長い文通、長い交際、長い春、長い下宿、長い家庭教師、長い・・・おお、この長い試験の長い大学生活の息苦しさよ。
 自由。あらゆる束縛から逃れうるとするならば!今日の私はかなり満足している。恋愛もなく交際もなく、家庭教師もやっていない。今度の試験さえ終わってしまえば、である。
1959.9.3 Thursday 1959.9.3

◆既成事実に対して人間が如何に弱いものであるかをこれまで幾度となく見てきた。
 6.25のデモの時の話だが、リーダーがメガホンで叫ぶと行進中の我々がそれを繰り返して唱えるのであった。
「自衛隊の核武装反対!」とリーダーが怒鳴る。
我々も各々声を大にして同じことを叫ぶ。
「安保改定を阻止せよ」とリーダーが怒鳴る。
我々も各々声を大にして同じことを叫ぶ。
まあ、こんな具合である。
 だが面白いことにはリーダーの怒鳴る文句は常に『核武装反対』であり『安保改定の阻止』であった。その言葉の裏には核武装しない自衛隊なら認めてもいい、改定しない安保改定ならあってもいい、という意味合いが、欲すると欲せざるにかかわらずでてきているのである。開き直って問い質されれば、彼らのことだ、勿論、自衛隊は憲法違反ではないか、安保条約は破棄されねばならぬ とまくし立てるに違いないのであるが。
 だが、実際問題としてその場で現れる効果を思うなら彼らの真実の意志は反映されていないと言うべきであろう。なぜか?彼らにしろ自衛隊の設置が問題であった時自衛隊(勿論前身の名称は異なるが)設置反対と叫び安保条約が締結されようとする動きに対して安保条約締結反対を唱えたのには相違ないのである。現在、それをまた、スローガンとして掲げ、道行く人に訴えるのは、時代遅れというのであろうか。民衆の心にアッピールする力が足りぬ というのであろうか。常に歴史の先端に立ってそこにおける問題を取り組まねばならぬ 彼らにとってそういった問題はすでに意識外のものとなってしまっているのであろうか。
 既成事実の魔力がそこにあるのだと言いたい。
 既成事実となってしまったことに対して人間一般が非常に弱いのである。既成事実はそれに真向こうから反対できるものとして対象意識の中で把握されにくいものなのだ。反対してみたところで・・・という無力感さえ感じさせる程にその魔力は強いのである。
 政治家というずるい人種はこれを利用する。
 また、5年後デモのリーダーの叫びに注目するがいい。
 その日までに政治家は多くの既成事実を作り上げ、彼らの意識の届かぬ処のものにしているに違いない。自衛隊の核兵器による戦争反対などと叫んでいるリーダーの姿が目に浮かぶ。それが現実にならなければ幸いなのだが・・・
1959.9.4 Friday 1959.9.4 Freitag
◆茅総長不信任投票の動きは今暁その開始をみてじりじりと燻りだした如くだ。すでにジャーナリズムが取り上げ、朝日の朝刊にも出たし、ラジオニュースでも伝えていた。
 学生課の方では単なる嫌がらせとして事態を静観するとニュースは伝えているが、ことの成り行きを私個人としても静観する必要がありそうだ。
 不信任案が過半数の支持を得て総長辞任まで持っていけるかというと私はそうは思わない。投票そのものにしても、絶大な支持とまで行かず、せいぜいで4割も行けば上々と言えるのではないか。まあ3割と見たい。たとえ過半数の不信任投票があったとしても総長としては辞める必要はないし、その性格上辞めるべきではないと思う。
 自己の信念を貫き通せないような人なら元々総長になる資格のない人なのであり、総長に選出された以上、任期一杯を自己信念に徹してやり通 す勇気がなければならないだろう。不信任されても得意の”せせら笑い”ではね飛ばして結構だし、”死んでも辞めない”と得意のセリフを述べても結構である。
 総長というものの性格上茅氏が辞めることはないと言うものの多くの不満は私にもある。茅氏が社会科学系の人でない点、いくらか総長の職を務めるのに先の南原・矢内原名総長に比して遜色のあるのは否めないにしても、下手の横好き的なうまさ、かけひきに長じていたりして、食えないところが多いようである。
 入学式の訓辞で失望した私であるが、やはり総長にはもっと骨のある人が欲しいと思うのは、東大生一般 と変わりない。(9/5,1:30a.m.)
1959.9.5 Saturday 1959.9.5 Sonnabend
◆明日が日曜日である日、授業が始まってみて初めて、そのほっとした心情が味わえる。雲に一面 覆われた暗い空から時折雨の落ちてくる今日は土曜日、蝉の音だけは窓外に盛んである。

 音感のマンモス合唱で「草原情歌」と「シェワジヴェチカ(娘さん)」を少し習い覚えた。中国民謡とポーランド民謡なのだが、どちらもいい曲である。
 中国にも中国的音階があるのであろう。聞いた途端に中国の歌だなとわかる。本当に横笛でヒョウヒョウと吹き鳴らすと似合うような感じがする。中国服を着て軽妙に踊るとしっくりするような趣がある。民謡の良さはその国柄が素朴に出ているところにある。
 ポーランド民謡の方は、それを聞いてすぐどこの国のものだと私には言えない。だが、私が中国民謡をそれと判別 出来るように欧米の人々にとってはどこの民謡であるかを言い当てることはたやすいことであるのかも知れない。そしてそのポーランド的な風趣が彼らの心を楽しませることであろう。
 私が中国の民謡と判別出来たのはその音階によっぽど独特のものがあったからであろうか。確かに私はその音階が異なっている点で聞き分けた。即ちこれまで私の中国調に対する一種のごく僅かなものであるにはしろ、慣れというものが働いて聞き分けることが出来たのであった。何故にポーランド民謡を聞き分け得なかったか。慣れの欠乏もその大きな要因の一つであると見ていいのではないかと思う。
 音楽的素養と言ったものも、学問等と同様に一朝一夕にできあがるものではないようである。

○世界10月号購入120円。
1959.9.6 Sunday 1959.9.6 Sonntag
◆小雨がちの日曜日。
窓を閉め切ったままの一日を、暑いと皮膚がいらだつこともなしで過ごせるようになった。秋の気が一日一日ひしひしとあらゆるものの上に覆い被さってくる。36.4℃の日がつい先頃あったのが嘘のような日々が昨日今日と続いている。読書の秋、灯火親しむ秋が、その快適な条件を私には与えてくれるこの頃だが、どうも受験勉強の方へ身が入らない。このままで大丈夫だろうかと、心配になって来る。
 私自身に秋風が吹き、秋風が身に染みる結果を招来せしめることのないように、立ち直らなければ、と思う。秋の深まり行く過程は、頭の中で哲理を追い極めて行く奥行きとしっくりするような感じがする。秋が勉強の季節と言われるのも肉体に条件がいいということだけではなく、そういう点からもの話ではないかと思う。
 これから落葉樹が一枚一枚と薄着になって行き、駒場の銀杏は美しく色づくに違いない。赤レンガの本館とその対照が、また、今までに見せなかったような美しい光景を秋の透徹した空気の中に絵のように描き出すことだろう。私は秋が好きだ。その心に食い入ってくる悲哀を私は愛している。思想のある季節として、哲人のような風貌のある季節として、私は秋を他の季節より、より深く愛している。
 実りの秋としても秋は讃えられる。私の20回目の秋こそ私にとって実りの豊かな秋でなければならない。冬には成人となる私にして、何の準備が必要だろう。じっくりと考えて良き成人の日を迎えるために、この秋は私の秋としなければならない。
 移りゆくあらゆる自然の影は私の心に映えりて、今日秋の一日を静かな想いの中に終わる。
1959.9.7 Monday 1959.9.7 Montag

○秋の日は山の端近く霧深しねぐらに帰る鳥の声(ね)一つ

○我が思い君に明かすをすげなくも「嫌」と応えし君の心は

○忘れよう忘れてしまおうと思いしに君は何処で何をしおるや

○何ごとも終わりしものと心すも君に会いてはまた胸騒ぐ

○我が恋は終わりにけりと思いしに君の姿は何の徒なる
1959.9.8 Tuesday 1959.9.8

○第6次安保改定阻止行動日。教養学部でもデモ参加。
○浮泳テスト。バンドがはずれたため、平泳ぎのみで泳ぐ。

◆映画「les amants」本「notre epoque」。
Les Amantsの方は新鋭監督ルイ・マルの第二作。カット問題でもめたことは記憶に新しい。はっきり言うとあまり高く買わない。むしろ「二十四時間の情事」の方が優れている。筋らしい筋もなければ際立った性格らしい性格も登場して来ない。評判の良かったあの月光の射す庭の場面 の美しさは確かに秀逸である。だがその部分の前と後ろは何なのだ。何も語っていやしない。完全に死んでいる。
 あの優れた場面がたとえいかに優れていようと作品として一つものであるべき点で救いきれない拙い部分が多すぎるのではないか。
 ルイ・マルが優れた監督ではないとは言わない。感情の高まりの緻密な段階的描写 、音楽の美しさ、画面の構図、なかなか立派な感覚を随所に示しているのはいい。枯れに言わせれば映画というものは変わってきているのだ。筋以外に映画はある。と言うかも知れない。映画万年筆論の主流である彼だ。
 やたらに褒めちぎる芸術意識高い評論家と、フランスではルイ・マルなど問題にされていないと知ったかぶりでお高い評論家が、如何に良くこの映画を捉えていよう。映画も変わりつつある。

◆「Notre epoque」は大江健三郎のベストセラーズの一つ。戦争のない従って希望もなく、若者が老人と単に移り変わって行くに過ぎないと言うわれらの時代を新鋭が反抗精神に満ちて書いた一編。まだ「�氈vだけしか読んでいないが、主人公が冒頭から素裸で登場し、長い長い性交を展開するという意表をつく出だしの小説である。
1959.9.9 Wednesday 1959.9.9

今日という日が完全に忘れ去られていまうのが悲しくてこのペンをとった。午前1時5分、勿論10日のである。
 洗濯を東京に来てから初めてやった。私にとって今日(こんにち)労働力を要する仕事だ。何のかのと手のかかることおびただしい。取り込みだけでも三、四回行ったし、汚れた竿に干した洗濯物を洗い直したりいやはや大変な騒ぎ、大切な時間の消費だ。
 だからというわけで片づけられる問題でもないが、今日はほとんど勉強らしきものをやらずじまいだった。こういう日は何となく焦りが来る。焦ってしまうとお終いということもちゃんと知っているから明日からはと力んでいるところだ。そのためには早寝が望ましい。そのためにはである。こんなことを長々と書くことは邪道である、と断じて良かろう。従ってここでペンをおくことにしよう。
(認め印を入手すること、パンツを二枚買ってくること)忘るべからず!
1959.9.10 Thursday 1959.9.10

○Kenkyuusha's New Little Wnglish-Japanese Dictionary 200円購入
○新ロート目薬80円 購入
○認め印40円 購入
 以上が私の生活の支出である。
○一番上のは、ポケット用として英会話熟練のために役立てようというもの。
○次のは試験勉強で目が疲れすぎないようにするための遠望熟慮の策だ。
○最後のは、今日までで食費の払い戻しが打ちきられるので間に合わせに。軟庭合宿に行く気なら13日までにはもう一度役に立つであろう。
○今日は曇った一日。ドイツ語の答案は期待していったのに返してもらえなかった。期日までに提出しなかった私は期日までに返してもらえなくとも文句の言えぬ ところが、泣き所。しかし、これでおあいこですぞ。(2:20a.m.)
1959.9.11 Friday 1959.9.11
◆誰もがアジア人であることにいや気を覚えていた。黄色い肌を持っていることに対して激しい劣等感を覚えていた。黄色い肌に誉れを感じていると声を高めれば高めるだけちょうど劣等感の強さを示すようなものであった。みんなが心の奥で密かに日本人脱出を望んでいた。自分は白い肌に生まれても良かったのだと考えた。
 しかしすぐ、例え白い肌に生まれ得ていたとしてもそれはもう白人の誰かであって決して自分ではないという考えが跳ね返って来て憂鬱の度を深めるのみであった。自分であって白人であること、それは不可能なことであった。すでに自我に目覚めた彼らにとって自分というものは黄色い肌を持った日本人としてしか定着して来なかった。敗戦で悲惨の血にまみれ、白人を憎悪の目で睨んだ、過去が彼らの今日まで続いて来、彼らの自我を育んだのであった。
 アジア。その貧困と混沌。汚れた、臭気に満ちたアジア。白人を劣等感で憎悪し、アジアを優越感で憎悪する日本人。まるで洗礼を受けずに死んでしまった幼児のように天国にも行けず地獄にも行けず、宙ぶらりんで、酸素に飢えた金魚のように口ばかりパクパク開いている日本人。「日本人の評判」に極端に敏感で、その一挙一動にさえ欧米的mannerを必要とする日本人。まるで飢えた飼い犬のように、主人の投げる腐りかかった肉にさえ一生懸命尾を振り、しかも慇懃な笑いを忘れない彼ら。面 と向かって馬鹿にされなければどんな馬鹿にも平気でなってしまう彼ら。
 だがアジア人に嫌悪を感ずるのはこのためではない。

◆物理的意味での「Notre epoque」の読了。
今 その軽い疲労感が私を襲っている。
文体のエネルギッシュな輝きと主人公の痛々しい無気力との対比。大江健三郎の見る「われらの時代」。あちこちに無数に存在する性に関する言い回し、「この種の表現は精神の衰弱を示すものだ、健康ではない」と作者自身は言いきって、自己の衰弱を証明したかったのだろう。衰弱しきっていること、これはNotre wpoqueを生きるために必要条件みたいなものだ。衰弱しきったNotre epoqueを強烈なイメージのもとに浮かび上がらせて、作者はその強靱な精神で、風刺している。だが傍観者の立場にいるのではない。深い問題意識で現代の問題と取り組んでいるのだ。Notre epoqueの主人公にふさわしい南靖男。現代青年の大部分を抽象した我らの分身。八木沢は現代の活動分子を表象する。アラブ人。日本青年と異種のたくましいエネルギーを持った日本人のわれわれの時代には存在しない存在。非オッツの偶像。《不幸な若者たち》という不幸な若者たち。狂気にとりつかれなければ生きていけない《不幸な若者たち》。
 私は不本意ながらこんなに早く読了してしまった。試験が終わってゆっくり読むつもりだったのだ。我々を引きずり込んで離さない魅力。われわれがわれらの時代に生きようとする限り、われわれの時代の問題はわれわれを捉えて放さないであろう。(2.55p.m.)
1959.9.12 Saturday 1959.9.12
◆「おや」と彼は思った。「見かけない人だけど、東大にも割合きれいな人がいるんだなあ」
まだ、残暑厳しい9月のプールサイド。上は白のブラウス下は茶のフレアスカートの女の子。西洋人のように整った顔立ち。高くほっそりした鼻、頬のない細い顔、長い髪を右の方ではカールし、左の方ではふっくらとウェーヴさせた品の良さ。だが次の瞬間彼は気づいたのだ。
「あの女の子だ!」と。
そう彼と同じ予備校に通っていた女の子で、今年東大に一緒に入学し、しばしばカンバスでもすれ違ったりして、お互いに相手の顔を知り合っているあの女の子だと。
 だがなんと美しく、なんと大人びて見えることだろう。夏休み前の彼女と来たら!その白い長い顔を両側から彼女の黒い長い髪で覆い隠しているようなものであった。カールもウェーヴもしていない髪を肩に届くほど長く垂らし、まるで昔の女官の長い髪を肩のあたりでブッツリ切ってそれに櫛を丹念に入れたような格好だった。なんだか頭が重い感じで、彼女の少々長すぎる程度のスカートと相まって、鈍重な、美から少し離れたものを感じさせていたのだった。だが、今プールサイドに立っている彼女。
 その白い整った顔はようやく日の目を見たように解放され、ゆったりとカールした黒髪と調和して一種の軽妙な感じさえ浮かべているのである。
 ようやく彼女も女らしく成長したのかしらん。彼の方をちらっと見て少し赤らんだかのように見えた。9月の空はまぶしかった。
1959.9.13 Saturday le 13 septembre,dimanche
◆頭の冴えぬ日曜日。昨夜寝たのが四時近かったことによるらしい。明日はまず試験のトップを切って、仏語がある。第三語学だから、こんなに早い。優を取らなければ受けない方がいい課目なのだがどうもうまくない。発音がうまく出来ないと言うことが、こんなに勉強に差し障りあるとは思わなかった。とにかく、耳でおぼえることが出来ぬ のだから、つらい。[oe][Φ]とかいう発音はどう口を動かしてみても、それらしい音にならない。だからもっぱらvieuxはvieilleとなると綴りだけに頼って覚えている。難しい。
 仏語で一番やっかいなのは動詞の変化だ。まったく似ても似つかぬ単語が同じ動詞の活用形であったりする。vaisとallonsが英語でならI go,we goとgo一つで済むところのものなのだ。iraiさえもI will go のgo一つで済むところ。
 仏語を習い始めてから仏画は二回ほどしか見ないが、それでもその発音なり語のイントネーションが自分のやるのに少々似ているように聞こえるのは嬉しい。
 「恋人たち」の中で、ホッケー選手が《Vou?》という。するとジャンヌが《つい、丁寧になってしまうの、ごめんなさいね》と言う。勿論《Vou?》の訳語は字幕には出なかった。
 こんなところにフランス語をやったありがたさを見出して一人でにっこりしてしまった。ドイツ映画ではさしずめ"Sie?"というところだろう。やはりちょっとした努力で語学が修められるものならやっておくに超したことはないと思う。
 試験のお陰で少々語学に進歩があるとすれば、大した拾いものであろう。さあ頑張れ!

1959.9.13 Sunday le 13 septembre
◆今私が欲しているものは何だろう。と、考えてみる。
試験が全部すんでしまった時の自由な気持ちなんだな。と思う。束縛から解かれた時のあのほっとした気持ち。高校時代・浪人時代、何度あの気持ちを味わったことだろう。でもいつも良かった。急に身体のあらゆる関節と筋肉が解き放たれたようにのびのびとした感じで満ち、大空に向かって大きく躍り上がりたいような衝動が来る。そして自分に言ってみる、「自由になったね」と。そういう時なのだ。何か意欲的なことをもりもりとやってみたいと思うのは。
 今度の試験が終わるとすぐに軟式庭球部の合宿に入ることにしている。9月27日から10月2日まで島田市で、私としては初めての合宿を味わうわけだ。若い者同士がスポーツを通 じてがっしりと結びつくとするならそんなに美しいものはあるまい。多くの知己を得る機会となれば私にとってこれにすぐる仕合わせはないだろう。
 その約一週間、テニス一本に根の限りを尽くしてみるのも生き甲斐のあることだろう。
 確実に後13日たてば試験は終わっている。
 泣くも笑うもすべて13日間にかかっている。
 自分自身に問わねばならぬ「ベストをつくしているか」と。良心に恥じずに「yes」と答えられないのは寂しいが、後一日でも残っている限り今からでも遅くはないのだ。体育講義・仏語・独語・東洋史では少なくとも優を取るべきだ。もし、優が取れなかったとしたら、自分自身の能力に忠実でなかった私の努力が責められるべきであろう。
1959.9.14 Monday

le14 septembre


◆10km離れたところにいる「ハイ」の目玉を小銃で撃つことよりも難しい(西独の科学者の言葉)ことをついにソ連の科学者は見事にやってしまったのだ。午前8時のニュースを聞く私の耳にはそれはすでに完了した形でニュースとなっていた。
 午前6時2分24秒。
 人類の歴史はこの一瞬を永久に記録せねばならない。すでにソ連の第二号月ロケットは月の表面 への衝突によって消滅してしまったけれど、永遠に消滅しない歴史を創造した。
 ニュースは各国の賞賛の言葉を伝えていたが、最初の日到着予定時間が午前6時4分途中で6時 分に変更されたが、実際の時間が午前6時2分24秒であったというその驚くべき精度は確かに全人類を驚かすに充分であったはずだ。
 軍事研究とか国際的力の均衡とか色々複雑な状勢もさることながら、純粋に科学上の見地から見るなら、どんなに讃えても讃えきれない偉業ではある。
 地球以外の他の宇宙天体へ人類が有史以来初めて接触した記念すべき時代に生きつつある我々の誇りとよろこびは覆いがたいものがある。
 おお、わずか、   足らずの金属の塊がわれわれに与えた、可能性と美しい夢のなんと大きなことか。
 月世界旅行。旅行?そう!その楽しさを宇宙空間まで広げて。人類は必ずやその壮挙を完成しよう。
(8a.m.)

◆仏語の試験終わる。残るは9課目。仏語では大体『優』が取れると思う。
 今日は東洋史の解答を急いでいるがなかなかはかどらない。私が一時間にどれだけの量 を書くことが出来るかによって、その分量も調節しなければならぬので難しい。更に難しいのは、何か新機軸を打ち出さないことには優はもらえないということである。単なる事典なり、参考書の写 し書きではほとんど得点にならぬという。さもあろう。試験に先立つこと二ヶ月に、すでに問題が提示されているのであるから。立派な答案を作ろうと思えばどんな立派なのでも出来上がるというわけで、現にそういうやつがいることは疑いのない事実だろう。今頃から二、三冊のちょろい参考書をひっくり返して答案作成に青息を吐いている私なんぞには優を取れるチャンスはほとんどなかろうというものである。4単位 の課目だけにつらいところがある。せいぜいベストを尽くすことだがとにかく私なりの特色のある斬新な答案を書くことによって、優へ肉迫すべきであろう。
 何を主眼におくか。を真剣に考えて、人の真似のないものを実に創造せねばならぬ 。
 私の選んだ問題は「中国政治史における官僚の意義」である。意義の意義に対する肉迫こそ、斬新であり、優への肉迫ともなるように思われる。

1959.9.15 Tuesday

le15 septembre


◆私は今カゼの極めて初期の症状にある。まだ、ノドも痛くなければ鼻水も大して出ない。セキもなければ熱もない。だけど確かにカゼに発展するだけの条件を持っているように見える。一種の勘だが、今朝、鼻が少々つまり気味だったことと痰がいつもより多く粘っこく出たことなどはそれと知らしむるものである。すでに薬を55円分だけ今朝から飲んだが、熱が下がりすぎたためか、昼間に寒気を覚える始末。その時ちょっと仕事しただけですごく汗をかいた。かえってアダとなりはしなかと思うのだがカゼに進行するのはわかっているのに黙っておく手もあるまいと考えたのである。
 前にカゼをひいた時もいつもこんな具合だったと記憶する。そしてムルチンとかコルゲンとか躍起になって初期症状のうちに飲んだが、ついに私独特の鼻カゼになるのを防止することは出来なかった。
 面白いことには今度家へ帰るとき往きも帰りも汽車に乗った時は鼻カゼ気味であったということである。どちらも大して困ったことにもならず直ってしまったのはどうしたわけかしらん。家にいるといつも二、三日は続くのが汽車に乗ると一晩で大体直ってしまうのだから、愉快である。もっとも帰ってくるときは富山の薬を二、三服飲んだのであるが、それの効能かも知れぬ 。五五円というのは、富山の薬を飲んだ分で、20円のを二服、15円のを一服飲んだのだ。ムルチンなんかよりよっぽど高い。

I want to be such a sort of boy as not to take anything tragically.

1959.9.16 Wednesday le16 septembre

○今日から本試験が開始されている。
私の初日は18日、東洋史だ。

○フルシチョフ・ソ連首相、ワシントン訪問

○購入物   ルル     80円
       ちり紙    26円
       毛布    1200円

◆一日一日が性格のない灰色の日として、何の変哲もなく、まるでノズルに押し出される白い糸のように、過ぎ去って行く季節。試験期。その一日一日の中にさえも最後の学校生活は音もなく消費されて行く。試験期が何の変哲もないが故に、日頃の、遊びもスポーツも勉強も一緒くたにした日と区別 されて強く記憶に残り、やがて学校生活の思い出として懐かしい存在にさえなってしまう。
 銀杏の葉に秋を見る。まだあの濃い緑は衰えないが、一枚一枚の葉を注意深く見るなら、そこに秋の厳しい足音を聞くだろう。葉はすでに萎びたようになって生彩 なく、その緑は茶色じみた黄色で縁取られている。緑の葉の間に隠れているすでに真っ黄色に黄葉した捩れた葉が、ハラハラと垂直にこぼれ落ちていく。 台風14号は、台風の秋、第一番目のお客さんになるかもしれない。台風が一つ通 り過ぎるたびに秋はいよいよ深まっていくことだろう。
 若者の倫理観のように、そそり立つ絶壁のように、秋は峻烈な季節である。
年月日 曜日 日記本文
1959.9.17 Thursday le 17 septembre

○1研究室に村山啓介が曽田教授を訪ねること。五月
2教授の家に村山啓介を下宿させることにすること。
3教授の家を村山啓介が訪ねること。曽田夫人が村山正雄のことを思い出すこと。六月
4村山啓介が下宿を始めた当初。六月下宿
5曽田夫人と啓介の間の進むこと
6曽田明子と啓介のこと。→間の進展
7○曽田明子と村山正雄は異母兄弟であること。
○村山正雄と曽田健蔵とは恋敵であったこと
○明子の妊娠と結婚の話
○曽田美子の反対。
○曽田美子の告白と、明子の流産
8曽田教授の自殺。
9村山啓介と美子の結婚。
10明子の家出。

登場人物
○村山啓介    19歳大学生
○曽田健蔵    45歳大学教授
○曽田美子    37歳同夫人
○曽田明子    16歳高校生
○村山正雄    故人、啓介の父、戦死
○朝倉きょう子  啓介の女友人、女子大生(啓介と同郷)
○牧       啓介の友人、大学生
○鹿島美紀    明子の友人

『廃家』 
着手:10月上旬
脱稿:12月下旬

原稿用紙1000枚
     
1959.9.17 Thursday

le 17 septembre



○中秋の名月。
台風14号の余波か、曇った空のわずかな隙間から、月が忽然として姿を現した。午前0時を少し回った駒場のカンバスのほぼ真上で月はその美しくも青白く、哀しくも冴えた光を注ぎ始めた。その美しきものは、すでに人間の手の届く物になった今も、さながら昔の如く神秘な美しさをもって、秋の夜空に君臨していた。だがその光の色は、あんなに遠くの月までも可能性を伸ばし始めた人知の偉大さをもしみじみと考えさせる英知の色であった。
 考えてみると如何にも不思議であった。ああ、あの月に!ため息が出る。人間というものの計り知れない力に圧倒されんばかりであった。まるで人ごとのように高く高く輝いている月でさえも、やはり驚いたことだろう。たまげたことだろう。
 「月とスッポン」それは美醜の差を言ったものか。距離の差を言ったものなら、今やそれは人間の可能性の範囲に入ってきた。
 月に人間の手が伸びてから初めて見た月が、今夜の雲間に妖しく輝いている中秋の名月になった。
 誰しもあの日から月を見て、人間の偉大さを感ずるようになったことだろう。鑑賞の対象でのみあった
月が今やすべての人々の思想の対象になり始めた。

○寮は今や試験の匂いで充満している。あらゆる東大生が試験試験で頭が一杯である。話しているのは試験のことばかり、外にも出ないで家の中に閉じこもり切って、机の前ばかり座っている。今午前1時35分だが、試験期の寮の眠りは遅い。窓の灯はなかなか消えぬ 。私も明日は10時半から9大で東洋史の試験がある。今からその仕上げをする。土曜日には全然ないから少々無理が利く。明日のは優が取れると思う。これが計算通 りに行けば、仏語・体育実技と合わせて大体3つは確保できそうだ。

1959.9.18 Friday

le 18 septembre(vendredi) 快晴


○この世の中に美女がいると言うこと。あらゆる賛美の言葉で描写しても描き足りない美女がいると言うこと。小説の主人公がお決まりにそういう種類の女性であったからと言って誰が失望しよう。不美女の主人公に失望するより10倍は失望しない。小説家も人間だから美人の方に心惹かれるのは当然なのだ。
 思うに、この世の中で一番美しいものは美女である。花も鳥も絵も月も、はるかに及ばない。絵のように美しい、それは最高級の美くしさを意味しはしない。美女の如く美しい美女。まさに世界一の美女であろう。
 一人の美女の創造。それは考えるよりはるかに難しいことだ。イメージにありありと浮かんでくるように美女を描写 できるようになれば、描写力は大したものと言わねばなるまい。
 心憎いほどの美女にしばしば小説で出会うことがある。こんな美女がいてたまるものか!と思うものの、それ以上の美しい美女の存在も疑いきれない。
 美女が恋の虜になって頬を紅潮させてベッドの中で胸をかき抱くと言ったようなことを想像しただけで昂奮してくる。さては、快楽の絶頂にあって薄く口を開き、その間から真白い歯を光らせて、身もだえするというイメージに及べば、その昂奮は極まるであろう。全裸の美女と面 と向かって立ったなら、気絶しかねないだろう。
 いやいや、そんなワイセツじみたことは美女には必要ない。何を着ていても構わない。ただにっこりとほほえみかけられるだけで、私の心は大空まで舞い上がるであろう。
 美女よ。私の希望のすべて。憧れは君。我が命。我は君が下僕。我が姫君。我が月。と、何とでも言える。
 しかし、幾つこんな言葉を並べたところで間に合いはしないのだ。この言葉に勝る美女が、はたまた、確かに存在するのであるから。
 我が月という表現のニュアンスの豊裕さよ。後4,50年は聖処女として奉る意味を持つであろう。しかし、ソ連人が言えばキッス位 は出来る間柄であろうし、アメリカ人が言えば、まあ彼女の魅力圏内で座りあえる間柄だし、あとちょっとでキッス位 は出来るようになるかも知れない。そのほか大勢の国の国民には「あなたは高嶺の花です」というのと同じことになる。
「おお、すべての私の月達よ、我を忘るな」

1959.9.19 Saturday

le 19 septembre(samedi)

○東大3-4慶大で惜しくも逆転負け。
早大も5−2で明治に逆転負け。

○栃錦、依然全勝で22連勝(大相撲秋場所7日目)

○ひとりの少女がいる。小説はしばしば彼女に、ラグビーで泥まみれになった男の野性的な姿に強く惹かれる少女のことを教えてくれる。
「そうよ」彼女は言うだろう。「私は彼が好きだわ。あの泥まみれになって球に食いついていく彼の野性的な魅力ったら、たまんないわ。好きよ好きよ。大好きよ」と。
 だけど、その魅力の感じ方が小説によって開眼させられている時、無理に心に言いきかせようとするようなことはないだろうか。
 あまりにも真っ黒けに汚れたラグビー選手達に連れ添って一人の清潔な少女が歩いているのを見て。
 彼らが顔を洗い服を着た時、彼らの魅力は消滅するのかしら。

1959.9.21 Monday le 21.septembre(lundi)

○山下先生の独語の試験終わる。他の奴がよっぽど出来てなければ優が貰えると思う。想像よりは易しかった。難しいことは難しいが。
 昨夜(?)眠ったのは、4時を少し回っていただろう。今朝起きたのが、6時40分。でも案外頭は言うことを聞くものである。大いにこれからも無理をすべし。まあ、少々の無理は利く頑丈な身体を持ち、不眠症に陥らない馬力のある頭脳を持つ、そういう若者に私はなりたい。現に、今のところはそうだが。
 明日2課目。明後日1課目。まさに試験は中盤の白熱した様相を呈してきた。いざ進まん。いざ進まん。

○試験なんてものが出す側と受ける側の騙し合いみたいなものになってしまうと危険である。
 よく”穴”のある問題とか言われるものがある。とくに受験指導のベテランが何やかやと穴をわんさと指摘して見せる。ほら、そこに、ここにも、ほら、と。だから受ける側では穴恐怖症にかかる。穴を巧妙に探り出して、うまくやっつけることにのみ全力を注ぐようになる。その挙げ句、極めて簡単な問題が出来なくなる。
 「我々に」と彼らは胸を張る「こんな易しい素直な問題を出すはずがない。きっとどこかに穴があるに違いない」そこで「よし」ということになる。「よし、そっちがその気ならこっちも」というわけで頭をひねって珍妙なる解答をひねり出す。
 それもまた一つの穴かも知れない。ついに止まることを知らぬ泥試合が続けられることに相成る。しかも消耗度という点では受ける方がよっぽど激しいものだ。
 大学の試験はこんな嫌なところが余りない。正攻法で行けるのはありがたい限りだ。
1959.9.22 Tuesday le 22 septembre(mardi)

○今日も二つ減った。後三つ残すのみ。
今日の二つも、どちらも優が取れそう。楽天過ぎるかな。まあそのくらいの元気を持ってこれから以後も当たるべしというわけ。
 数学もついに終わった。これから二度と数学の問題にあんなに真剣ぶつかるということもないだろう。思えば感慨尽きぬ 。ああわれ文科系の人間なりせば。
 床に就いたのが午前4時過ぎ、実際に眠ったのが午前5時半過ぎだったろう。そして起きたのが8時。完全な寝不足なのだが、昼寝しようとしてもよく眠れない。
 それに例の嫌な野郎の安眠妨害も甚だしい。きゃつはもう試験が終わったのだ。私を睡眠不足に陥らせて、成績を下げてやろうという気持ちらしい。
 まあそこまで考えなくとも、恐るべき偏屈者であることは確かだ。まるで人間の常識を外れたことを平気でやってのける奴なのだ。もっとも典型的な利己主義亡者と言えるだろう。浪人生活三年はどんな人間にとっても長すぎるのだ。決定的な欠陥をその性格に彫りつけるのに充分すぎる時間なのだ。
 ついこの間初めて激しい口論をした。口論と言えば両者がしゃべるのが普通だが、おそらく私一人がその大半をしゃべった。彼はぐうの音も出なかった。徹底的にやっつけたのだ。もちろん向こうから仕掛けてきた喧嘩だ。喧嘩を仕掛けながら、こっちが反論するなどとは考えてもいなかったのだろう。理不尽ここに尽きたるはなしというような”命令”を私に下ろそうというのだから呆れる。根拠のない命令は私の駁論で彼にに恥辱のみを与えた。それでなのだ。このところ嫌がらせばかりするのは。
1959.9.23 Wednesday le 23 septembre

◆今日は多田英語。正直に言ってあまり期待できぬ結果が出そう。文��7D組と同じ教室で受ける。7Dにあの子がいる。この前会った(すれ違った)時は、色も白くなって見違えるように美しくなっていた。

◆後二課目で試験も終わる。で、試験後の勉強のプランを立てておきたい。もちろん実行に移すのは合宿後になるだろうが。秋休みに主眼をおく。

○英語
  読書   60分par jour
英会話   30分par jour
hearing FENのニュースを出来るだけ聞く   
○独語
     2時間par jour
     重点  単語力および読解力の増加。
         関口存男の独作文教程等の著書のうち一つを読破する。
○仏語 
     30分 par jour
重点 教科書の徹底的マスター

○露語
     30分par jour

○経済   近代経済学教室を購入したい
○法学   「法というものの考え方」「憲法」「法学概論」etc.
金の融通の利く限りの専門書の購入。
○教養読書
     Les Thibaut 読破
     The Brothers Karamazov 読破

◆アルバイト:週二回位の家庭教師を見つける。
   
年月日 曜日 日記本文
1959.9.24 Thursday le 24 septembre
(秋分の日)髪の毛を”分け”てみる。

◆ 試験を通して感じたことは結局東大生というものはまじめな勉強家で、大し
た違いはないということである。
 机の前にきちんと座って、いい点を取るために頑張ることはあくまでするタイ
プばかりだということである。彼らには本質的な違いがない。他人とちょっとば
かり違うことを見せるために、ほんのちょっとばかり違ったことをやりたがる。
 サボった記録が自慢だったり、試験の前の晩に映画を見たと言っては相好を崩
す。マージャンを徹夜でやったことが教室の中で大声で話され、全然勉強してい
ないんだ、可を取れればいいうちさ、と悦にいる。予備校で成績が良かったこと
を今もって自慢にしなければならぬものもいれば、人を見る目が現役一浪二浪で
ある長期浪人経験者もいる。どいつもこいつもきまじめでずるい。全然勉強がで
きていないとなるとワラ半紙両面にいっぱい、言い訳を書いて答案用紙と一緒に
差し出すずるさをもっている。
 先生を甘く見ると何やかやと質問しては答えのヒントをつかもうとし、ワイワ
イと話し合う。
「消しゴムに解答を書いてよこせ」とカンニングを強要する御仁もある。他人よ
り答案用紙をちょっと早く出して優越感を味わうもの。「提出せよ」と言われて
も、答案用紙にしがみついているもの。
 どいつも成績だけは良くしたいのだ。それは人情の自然であり、一般であり非
難するに当たらない。だが、あまりにもくそまじめでガチガチ屋で近視眼的過ぎ
れば、そこにある欠けたものを感じないではいられないのも人情の自然であろう。
 優等生だけの社会なのだ。あらゆる社会が劣等生を必要とするように、成績の
発表でもあれば、劣等意識に陥り二度とはい上がれない者もあるだろう。彼らは
負の補償を始めるだろう。やはり東大生らしい。

◆小説の題目『すっぱいブドウ』
彼にとっては、上流階級の生活等まったく無縁のものであった。母一人子一人の
家庭でほぞぼそと暮らしてきたこれまでの生活と、上流家庭との隔たりはあまり
にも大きなものがあった。上流家庭のボッチャンとして裕福に暮らしている自分
を想像して見たのも遠い小学生の頃である。今では反感のみが高かった。自分の
手の届かないものだった。たとえ大学を出て、いい職にありついたところで到達
できない山の上にあるように思えた。だから上流階級者の醜聞は冷ややかな満足
感を彼に与えた。上流家庭の子弟の腐敗・有閑マダムの不貞等が新聞を賑わすと
愉快だった。
「あいつらの世界は」と彼は思った。「決して憧れられるところじゃない」と。
 だが、教授の言葉は今までの彼の観念を、根底から揺すぶった。「私の家に来
ないか」という誘いは彼の心を魅了した。今まで手にとうてい届かないものと考
えていたからこその憎しみであり、反感であったのだ。それは圧倒されるような
喜びであった。あの明子とあの曽田夫人のいる家で毎日暮らすことができると考
えただけで顔まで赤くなってくるのだった。
 研ぎ澄まされた上品さ、金持ちらしい寛容さ、そういった素晴らしい彼らの”
もの”とこれから一緒に生活できる喜びは、少々不安はあったけれど、覆いがた
いものであった。昨日の灰かぶり娘が王宮に今日迎えられる、あまりにも激しい
生活の差が彼を不安にしたことは確かだった。
 着るもの一つだってそうだろう。あまりへんてこな物を着て明子達の前には出
られない。洗濯をやってもらうにしても、恥ずかしくて出せないようなものも彼
は持っている。
 が、やはり喜びの方が強かった。彼は、教授に電話した。
「うん、じゃ今度の日曜日にでも超してくるといい、手はずを整えて待っている
よ」教授は言った。彼の心は高鳴っていた。


1959.9.25 Friday der.25 September(Freitag)

◆今日だけはしくじった。完全にしくじった。保険体育にである。残念と言うほ
かにない。あわてたんだ。一行空けろという指示を完全に見落としてしまった。
びっしりつめて書いてしまった。せいぜい可しか貰えないことをしてしまった。
こんな課目で平均点を下げるため頑張るなんて、アホらしゅうてあほらしゅうて
かなわんわ。全くいやはやである。いやはや。

◆だが、試験の明日一課目残すのみ。なんだかファイトがなくなったみたいだ
が、最後の勇を奮い起こして頑張ろう。「哲学概説」(原佑先生)の試験なんて
てんで何が出るか予想が立たぬ。当たって砕けろでも能がなさ過ぎる。今から
「哲学概論」とかいった本を読むのには時間が足りぬ。何かごまかしでも書いて
いるうちに、最後のサイレンが鳴るだろう、本当に最後のサイレンが。
 いい点を取ろうと思う故につらいとのみ割り切れぬ試験のつらさがある。明日
の今頃どんな気持ちがするかしらん。晩には映画でも見に行きたくなることだろう。

◆「みんな経済学部に行くから俺も経済にするよ」と言っていた背広の男。一晩
も考えた結論を「みんな行くから」という理由で片づけたらしく見せかけようと
する嫌らしさ。いかにも独自性のない、またそれを誇っているような弱々しい衰
弱ぶり。
 「みんながやるから」、それは「家庭の事情で」と同じく頻発される理由付
け。和をもって尊しとしてきた日本人の魂にまで深い傷跡。

◆ある一人の乙女を愛しようとした記憶。ああ赤面するその考え。だが今日も愛
しようとして、愛し得ず、諦めようとして諦めきれず、彼女を密かに思い、密か
に見て、顔を合わせては、真っ赤になる、可憐なる我が心。

◆台風16号が本土接近。夕刊によれば週末は大荒れの由。我々の合宿が心配である。先に上京する際、あのあたりは洪水で大被害を受けたところだ。せっかく行っても雨ばかり降られたんじゃ合宿をする意義がない。一日400円もかけるのは丸損と言うことになる。本部の方でどう考えているかは知らぬが、参加者として台風は警戒する。万一のことがあるからだ。また東海道線不通にでもなって、一晩汽車の中で過ごさねばならぬようでは安心できないのだ。とにかく一応出発を見合わせるのが順当な策と思うが。如何。

◆おお!今日の日付を誰がこの私の日記に書いたのだ。どこかに隠れて笑っているお前か、それとも天の秋の神?
 ああ知らなかった知らなかった。今日が9月25日とは!9月が後わずか5日しか残っていない日とは。何時の間に過ぎてしまったんだ、9月よ!僕の大好きなお前。気づいたとき、お前はもう帰り支度を始めているなんて。お前がコッソリ、ドアを開けて入ってきたのは知っていたんだ。だが、いつものお前のこと、また例にように私の背後から忍び寄っていたずらし、私を机の前から引き離しにかかると思っていたんだ。
 今年のお前は違っていた。机の前にしがみついている私をほ放ったらかしにして、独りで思いにふけっていた。自分の存在を私にできるだけ知らせまいとするかのように。
 すぐ机の前を離れてお前と遊び戯れようと思いながら、そのすぐが25日とは。お前が私の日記に大書した5日の日付、成長したお前の心の哀しみを私に伝えてあまりある。おお、愛しい9月よ!

1959.9.26 Saturday 1959.9.26

◆今日の買い物
1.明解国語辞典       380円
2.近代日本思想史講座    360円(予約金360円)
3.憲法(有斐閣全書)    360円
4.Xの悲劇          120円
5.長靴           580円

◆試験終わる!!

◆家庭教師の職見つかる!!!
住所 世田谷区世田谷町四丁目651番地 (42)1636
   池上常六郎    池上啓子(中学三年15歳)
            小田金克彦(  ”)

庭の広い洋風2階建ての大きな屋敷。彼女は見た目には愛らしい少女だ。プワプワフワフワしているとのこと。克彦君の方には会わなかった。現在までのところ、感情を悪くするようなところはまだ見あたらぬ。どっちみち、これから続けてやっていくには多少なりの摩擦軋轢は覚悟せねばならない。一週三回月4500円、交通費別。条件としては大して悪くない。アルバイト委員会で粘って手に入れたものだ。
 だが、考えてみるとなかなか大変という気がする。26番くりあまでしか入れぬ学校に一番良くて50番にしかならぬ生徒を入れるために雇われたのだから。重荷はその男の子だ。なんだか、アルバイトが決まった途端に大切な自由が束縛されたみたいな気がする。月4500円は悪くないと思いながらも。
 4500円入るとずいぶん楽になることは確かだ。本だってもっと沢山買えるし、服だってもっと量を増やせる。だが勉強時間の減ることは何と言っても学生たる私には一番こたえる。 
 来年三月までで大体ケリのつく仕事ではあるが、それまでに一度試験がある。とにかくもう後には退けぬのだ。
1959.9.28 Monday der 28. September(Montag)

◆「日本の若者は」と彼は歩きながら考えた。「いつも排泄欲求に苛まされてあてどもなく歩いている。便秘したような朦朧とした頭でフラフラと歩いている。そしてなかなかやって来ないチャンスに巡り合うとまるで飢えた狼のようにそれに食らいつく。欲求が満たされない奴らは、考える力を完全に失ってしまって夢遊病者のようにフラフラと、あっちにぶつかりこっちにぶつかりしながら、歩いて行く。彼らは排泄器を探してうろつき廻る。汚れて湿った女陰の中にその思いを遂げ、臭いドブの中にその欲求を満たす。一人としてまともな排泄器を見つけだす者はいない」
 彼がちょっと俯いていた頭を上げると向こうから近づいてくる男がある。フラフラとオチツカナイ足取りで。まるで腹の中で回虫がのたうっているような顔をして。彼と男は猥雑な笑いを交わす。苦痛に満ちたその痛々しい笑い。二人の予期しない表情が笑いに見える。
「ああ、日本の若者は」と彼は考えた。「秋の空のように快活に笑うことも出来ない。排泄権を奪われて、借りてきた猫のように落ち着かないで、ウロウロとあっちこっち排泄口を探し回るために生きている。そしてそれに後ろめたさを感じないではいられない。思考中枢も感情中枢も、仕事着のように投げ出され、排泄中枢のみを一張羅のように着て最新モードに遅れまいとしている。日本の若者は自由な排泄権を奪われている」
 あちらこちらに人影が見える。すべて20歳前後の日本の若者ばかりだ。彼らはあらゆる便所の把手を押して歩き回る。そして一滴の水も出なければカスという音もしない水洗便所ーそこにはすでに臭い、腐った女陰のように臭い大きな塊がうずたかく詰まっているーを恨めしそうに眺めては、尻に時限爆弾を仕掛けられたように落ち着かない足取りで歩き始める。うろんな目をして。
 ここ三日間というもの彼らは断水状態に見舞われていた。
「日本の若者は虐待されている。健康な生活は我々に保証されていない」

◆27日付の日記を書かなかったので、ここに記す。
◆映画「ワーロック」「アパッチの猛襲」120円。新宿武蔵野館。
◆「ワーロック」なかなか面白い映画だったと思う。俳優陣はリチャード・ウィドマーク、アンソニー・クイン、それにヘンリー・フォンダ。
 私はヘンリー・フォンダが好きだ。これまで「戦争と平和」で見たことがあるくらいだが、その時以前からを言っていいかは知らないが、少なくともそれ以来ならずっと彼が私は好きだった。
 昨日の映画にしても、その歴史的制約を受けて彼の演ずるレスリーは決して尊敬に足るいわゆる大人物ではない。しかし、男というものをこれほど感じさせる人物はいないのである。たとえ客観的には小人物ではあっても大人物の風格を持っているのである。男の中の男という感じだ。石原裕次郎とか小林旭もこういう男の中の男と言う評語で現そうとするとちゃんちゃら可笑しいぐらいの重厚な男らしさがにじみ出ている。 多くの「見せ場」を持った映画だが、レスリーがまず最初の試練の場に足ったときのあの切れ味。グルリと彼を取り巻いている牧童連を軽く追い払うあたり、やはりヘンリー・フォンダの独壇場と言おうか、彼の人柄がなくてはやれぬところだ。彼を英雄に仕立て上げ、その英雄の従者的な立場に自分をおくことによって、びっこからの蔑視を克服しようとするアンソニー・クインの真理を分からぬではないが、この映画としての一番の弱さが彼を中心とする側にある。
 リチャード・ウィドマークもまた見上げた男だ。二人の男が決闘する最後の場面一瞬早く抜いてレスリーが撃たぬ。そして金の飾りの付いた左右の銃をカラリと投げ出してゆっくりと馬でワーロックを去っていく男レスリー。ジョージの方を振り返るなどと言う女性的なところのない「男同士の別れ」である。二人の心の中に相手に対する尊敬が深く深く刻み込まれたに違いない。なかなか優れた西部劇と言えるだろう。監督ドミトリク。

◆小説名「チャコールグレイの少女」
昨日一人の美しい少女に会ったことを記録にとどめておかなければならない。
午後5時半頃伊勢丹6階で。私はその少女を「チャコールグレイんの少女」と呼ぶことにしよう。なぜなら彼女のその天性の美貌もチャコールグレイのカーディガンがなければ、いよいよもって輝き出すという調和の取れた美しさを見せ得たかと思うからである。自分自身昨日の自分には満足していた。あらゆる鏡の中に健康でピンク色の顔色をした若々しい私の顔を、私の全身を、見出したからである。で、私が彼女を一目見た時彼女はまったく私にふさわしかった。一点のシミもないなめらかな白い顔立ち。あの気まぐれな創造の神が、美酒に心地よく酔って作り上げたようなやわらかな曲線のみで出来た不思議なほど整った顔造り。横顔のすばらしさ。ちょっと口を開き加減の時の彼女の顔ときたらまさに例えようがなかった。彼女を例えるのには彼女しかいなかった。男を思わず跪かせて「あなたは美しい」と叫ばさずにはおかない美しさだった。柔らかさ、豊かさ、そして何とはっきりと彼女は理性に溢れていたろう。それを問題とさせぬほど。
 背丈は普通ななみだろう。やや、ほっそりした身体付きは私のその頃の女性に要求するものと全く一致した。きりっと締めた腰バンドは全く美の要だった。彼女の後を30mぐらいつけた。二通路ぐらい横通路を通って。
 彼女達(7、8歳の妹を連れていた)はエレベーターの前に出た。私もそこに駆けつけた。彼女と私の目がぱっと合う。明らかに私の関心に対する好意的な目の返事。彼女は私のもたれている陳列ケースに近づいてきて私のすぐ横に立ちそこにあるサイフを手にとって見始めた。視線の交換。だがエレベーターがきた。しばらくそれに気づかずにいた彼女。
 私は彼女を追い抜いて一人で乗り込む気がしない。と彼女は「あらエレベーターが来てるわよ」
と妹の手を引いて小走りして乗り込んだ。
 その後を追って乗り込むことが私にはなぜかできなかった。彼女が乗った後エレベーターはなお、四五人が乗り込むのを待って、静かにドアを閉じた。私と彼女の関係も閉じた。
 私の側にそっと歩き寄ってきて意味もなくそこの陳列台のサイフをいじっていた少女。私の視線に少し頬を染めて、半ば口を開いて私に45度正面の顔を見せていた少女。その50センチと離れていない彼女の白い耳元に私が一口話しかける勇気を持っていたとしたら、これまで見たあらゆる少女の中で一番美しいと感じたその少女と私はお茶ぐらい飲め、以後のおつき合いを誓い合えたかも知れないのだ。いや、エレベーターの中へ駆け込む勇気さえあったら・・・
 後はどうなっていたかわからないのだ。彼女の家までつけて行って、住所を確かめ、電話番号を調べ・・・ああ空想は果てしない。だが現実は!ああ何と冷酷極まるこの現実よ。
「皆さまご来店下さいましてありがとうございます。高校2年生くらいのチャコールグレイんのお美しいお嬢様。伊勢丹6階で9月27日午後5時半頃お会いになられました方が探していらっしゃいます。電話(46)0309にご通知下さい」と全世界向け、いや、全東京向けだけでもいい、都内アナウンスができるものなら。
 だがこの世の無情よ!どれほど多くの美女に会い、どれほど多くの引きつけ合う心を感じようと、その一瞬の大胆な行動がなければ、永遠に失われなければならない厳しい掟。ああ、あの子が、どこかに住み、何という名で、今何をし、何を考えているのか。それは99年後も同じく答えられない問いなのだ。あああの美貌が憎らしい。
1959.9.28 Monday

1959.9.28(その2)


◆「目は知識の窓」という。しかし、これほど優れた窓はそうざらにあるものではない。
 私は昨日一日、外出したのだが、今もって昨日の経験談を語らずにあられないのは、私の窓が、正真正銘の知識の窓としていかによく働いたかを物語るであろう。私の外出は視野の拡大であり、視野の拡大は必然的に知識の増大をもたらす。思うに現代のマスコミの方向は知識の窓としての目に益々重点をおくかに見える。我々が外出によって視野を拡大する不便を除いてくれつつあるのだ。
 テレビという魔物は、もうごく当たり前の物として一般家庭に入りこんでしまった。本当に魔物だとつくづく思うのである。だが私の昨日の外出は、その魔物の極限の姿を見せてくれた。カラーテレビ!渋谷駅の人だかりの中に割り込んでいった私の目に、その驚くべき魔物が極めて印象的に飛び込んできたのだ。
 全くの驚異だった。後楽園球場の巨人ー国鉄戦の模様が「色ツキ」で映っていたのだ。思ったより色がよく出ている。色はあまり鮮やかではなかったがとにかく普通の写真のカラーグラビアがそのまま動いている感じなのだ。今までin black and whiteのテレビでは全然感じられない一種のgorgeousな感じさえある。今まで黒く見えていたところが赤であったり緑であったり茶色であったり、白っぽいところが、黄色かったり、青味がかったりグレイであったり、まるで人間の知識に対するコペルニクス的転回がそこにあるように見えたのだ。
 人間の力がついにここまで来たのかと感じた。知識の窓であるべき目も、in colorでなければその完全な役目を果たすことができなくなったと言わざるを得ない。

◆彼(村山啓介)=戦争はおれたちのものでない。
彼と同じ世代が思想を持っているか彼には疑問に思えた。既存の思想を頭の底に落とし込むだけで彼らは自らを思想のあるものとしている。たとえそれが内容と呼べるものであったにしても、彼らには方法がなかった。思想に方法的側面を欠くなら、思想と言い得ないのではないかと彼は考えた。

◆教授(曽田)

1959.9.29 Tuesday

der 29.September (dienetag)

◆合宿は台風のため、流失した。島田市における合宿のことでまた駒場で新しくやり直す。私にとっては好都合である。
27日の出発の予定であったのが台風のため東海道線不通で見送り。28日に日延べしたわけだが、マネージャーの小川さんが午後4時半頃東京に帰ってきた。島田の日清紡が水に浸かって合宿できぬと言うことだ。だが、先発隊は28日午前10自5分東京発の列車で予定より正24時間遅れて出発してしまった。練習やるところがないんだから、少なくとも今日まで帰ってこざるを得ないだろう。あわてて同行しなかった私に先見の明があったなどとは言えぬが昨日は午後は少々練習も出来たし、もうけものであったことは確か。初めての合宿だと期待していたのだが、台風15号は私とも結局無関係ではなかった。
◆【九月も残り少しである。また今年も残り少しである。】

◆人の世ははかなきものか明日をだに今日飛ぶ(鳴く)鳥の知らで鳴き(飛び)けり

◆潮焼けの黒さは失せて秋夜深し書物(ふみ)を読みつつ虫の音を聞く


◆二人してふと立ち止まり双葉なる藤の老い葉を二手に取りぬ
◆行きずりの人を恋うれどこの世にて二度と会えぬを秋風に恨む

1959.9.30 Wednesday der 30 September

◆今日は良き日なり。ラケットが思い切り振れた日はこう感ずるものだ。マメが2つできて、中指の方のはつぶれた。親指の方のは直径13mm、短径9mmもある大きなもの。思わずボールを打つとき、力が入ると内部を体液がズズと移動するのが感じられる。プレイに張りがあるというのは独りで悦に入るよりも誰か他人の目を意識している時の方が上である。今日の誰かが良かったのだ。文句なしの好打がピシピシ決まると嬉しくて仕方がない。今日は良き日なり。

◆これもこの前の日曜日でかけた時の話。
 東京人種が如何に物見高いかは、その行列が通る30分も前から人垣が出来たことからわかる。来もしない内から、ワーと道の真ん中まで人垣の帯が前進する。そんなことを何回もやっているうちにその車がやってきた。車の前方に約2mくらい隙間があるだけ。完全に取り囲んで紋付きを着た男に棋聖を投げる。女の子の騒ぎようったらない。車と一緒に走りながら一生懸命その人の名を呼ぶ。「若の花 ワカノハナー」と。
 まったく騒然たるもの。テレビの照明がギラギラまぶしい。だがその紋付きを着た男はなかなかの好漢であった。大嫌いなはずの私も30分間待っていた一人であり、車と一緒に走った一人なのだ。もっとも、声は上げなかったが。
 愛嬌のある声で秋場所優勝力士がしゃべっているのも聞こえた。大して大男でもなく柔和な顔をした若の花のいったいどこに強さがあるのかと思った。

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