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筆者、21歳〜22歳、大学三〜四年生当時の日記の
連載を始めます(2003年4月30日)
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ここには、「文芸日記1962」を掲載しております。
(2003/5/1~2003/8/5)。
(1961/12/20〜1961/12/24)(2003/5/1 掲載)
(1961/12/28~1962/1/1)(2003/5/8掲載)
(1962/2/1~2/2)(2003/6/13 掲載)
(1962/2/4~2/11)(2003/6/18
掲載)
(1962/2/11~2/14)(2003/6/19 掲載)
(1962/2/14ー2)(2003/6/25 掲載)
(1962/2/15〜2/18)(2003/6/26 掲載)
(1962/2/18-2)(2003/6/27
掲載)
(1962/2/19-2/20)(2003/7/1
掲載)
(1962/2/21-2/23)(2003/7/3
掲載)
(1962/2/24
-2/27)(2003/7/24 掲載)
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| 年月日 | 曜日 | 日記本文 |
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| 表紙裏に |
1962.1.17 |
22の歳を重ねて生きる日々の楽しきことも嬉しきことも |
| 日記扉に |
各人の中には、驚くべき可能性があるのだ。 君の力と君の若さを信ぜよ。 絶えず言いつづける事を忘れるな、 「僕次第でどうにでもなるのだ」と。 アンドレ・ジイド「新しき糧」より **************
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| 1962.2.1 | 木曜日 |
午後八時半 今日の社会心理学は、人間が置かれたその具体的な条件の下でいかなる行動をとるも のかを統計的客観的に明らかにしようとする。 例えば、A商品のCMソングを聞いて 一般人BC・・・がいかなる行動をとるか等。 そして人間が案外に同じような状況の下では同じような行動を取りがちなものであ ることを導き出している。例えば、ある男Aが、ガールフレンドB・Cに対し、同じ 時刻に手紙を送ったとする。受け取ったB・Cは、それぞれにどのくらいの日数の うちに返事を出せば、自らの親密さの程度を裏切らないで済むかを計算し、また何日 間かを考えて、そして手紙を書き始める。たまたまその返事が同時刻に投函され、同 時刻にAのところにやってくる。これも人間がおよそ同じような思考ルートを持っ ていることの証にはならないだろうか。 一月二十六日、同時刻に同じポストに二枚 の葉書を投函し、同じ消印のついた手紙を同時に受け取ったのは僕であり、返事をよ こしてくれたのは、三宅さんと鈴木さんなのだ。 Miss三宅の手紙の消印(中野、37.1.31午後0−6) Miss鈴木の手紙の消印(下谷、37.1.31午後0−6)
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1962.2.1
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木曜日 |
今日の午前中に千のつくものが二つ記録された。 一つは、この東京都がついに人口1000万のマンモス都市になったこと。他の一つ は、一月一日以来、交通事故による死亡者が、1000人を越えたということ。 どちらも、あまり感心できた記録と言えぬ。そして、両者が密接に絡み合ってい る。東京では交通事故で死亡する者も一番多く、全国平均を軽く上回っている。とに かく、一つの都市が一千万までに膨れ上がり、一日全国で平均して32人が交通事故 で死亡するのは正常とは言いがたい。 でくの坊と言う表現があるが、東京はまさしくそれだ。大男総身に知恵が廻りか ねだ。朝夕の交通ラッシュの激しさはどうだろう。空気の汚さ。街のごみごみとし た汚さ。その中に人間がうようよと住んでいる。肥大しすぎて、半身不随意になった 人間のようなものだ。いかに解決すべきか。これはまさしく大問題だけど、大して 有効な方策があるとも見えぬ。ついには完全な麻痺状態に陥らねばよいが。
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| 1962.2.2 | 金曜日 |
午後9時 学生センターに行ってハープストさんと色々と愉快な話をしてきた。勿論、ちょっ と行ってちょっと話すつもりの話だから、途切れ途切れの話題で、その中に一貫した 話の筋はないが、とにかく楽しい話をやってきた。やはり学生センターに行くのは 僕にとって一つの楽しみである事は確からしい。なんとなく行きたくなって、何とな く話し込んでしまう。 ハープストさんがまた、陽気な人だから話に飽きが来ない 。 ところで行ったついでと言っては何だけど、前から欲しいと思っていた讃美歌を買 って来た。僕の好きなと言っても、知っているのは全部好きなって言ってしまわざ るを得ないのだが、273Bとか158とかところどころにある。これもセンタ ーで習ったのが多い。習ったのは結構歌えるようになって、好きになってしまうのだ から、時間さ えあればもっと一所懸命に習いたいものだ。 どれも落ち着いていていい歌だ。歌っ ていると何となく心が純粋になってくるような感じがする。
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| 1962.2.4 | 日曜日 |
午前1時40分 私の好きな次のような言葉がある。 ーもし私が、私のために存在しているのでないとすれば、だれが私のために存在す る のであろうか。 もし私が、ただ私のためにだけ存在するのであれば、私とはなにものであろうか。 もしいまを尊ばないならばーいつというときがあろうか。 『タルムード』第一編「ミシュナ」より。 これは、E・フロムの『自由からの逃走』の巻頭にある言葉である。日々この言 葉がどんなにか私の弱い心にはげましとなることであろう。時には私自身に対する 激しい非難となって立ち現れ、私に深い反省を強要するのである。私は先ず何よりも 私自身のために存在せねばならず、しかも私自身のためのみの存在であってはなら ないのだ。そしてかかる存在たるべきものとして私は現在を尊ぶすべを知らねばな らない。人間にあって存在はこの一瞬を除いてはありえないのだから。 ー全く、手紙は親交を全うする目的には役に立たない。本人がいないと言うことは関 係の完全な中絶ではある。しかし二人が充分に知り合い愛の永続を望んでいれば愛 情を変わらず持ち続け、別れた時と同じ親しさで相会うこともできるのである。ステ ィーブンスン『若い人々のために』p.61 ー一人の人間が、生きている間中、自分自身の生活を自分に与えることを惜しみ、 す べてを決して見られない祝典のために貯えているのは、喜劇に近い、一種の極めて 愍むべき悲劇となる。(同p.81) ー人は一生のあらゆる段階においてその前段階が間違っていたことに気づくが、最後 には自分が結局どの段階においても間違っていないと言う驚くべき結論を引き出す 。(同p.88) ー私達は水の漏る船に乗って大きな危険な海を渡るのである。そして悲しい昔の舟 歌の文句を借りれば、私達はすでに人魚の歌を聴いたので、もう二度と乾いた陸地が 見られないことを知っている。老いも若きも、私達は皆、最後の航海である。若し 私達船乗りの間に一服の煙草があったら、何卒それを皆にまわして貰いたい。そして 出掛ける前に一服吸おうではないか。(同 p.82) ーしかし、悲しいかな! 心は人に見せられない。それは言葉で証明されなければ ならない。諸君は詩を綴ることを難しいことと考えるだろうか。そうだ。それは詩 をー最高のものではないが、一つの高遠な詩をー書くことなのである。(同 p.60) |
| 1962.2.4 | 日曜日 |
風邪にもひきかたがあろうってものだ。選りに選って今頃ひくなんて。試験は六 日から始まるっていうのに。つい愚痴がでる。 昨日、ほんのちょっぴり風邪ッ気があったんですぐ薬屋に飛んでったんだ。そのく らいでしたらこれで大丈夫ですってことで、アンプル入りの薬一本百円也と、明治 のトローチってやつ八十円也を、すぐさま身に投入しておいたんだ。ところで、大 丈夫なんてものではない。まず鼻水が出る。鼻血が出る。喉の痛さは加わる。一向 に効き目がない。 今朝起きたときはもっとひどい。黄色のたんと、洟がでる。鼻が詰まっていて頭 が痛い。そのくせ熱があるらしくってなんとなくフラフラする。雲の上を歩くって のはこんな感じなんだろう。 仕方がないので、昨日行った薬屋に出掛けて、どうも治りそうにないといったら 「では今度は」ときた。「二面攻撃で行っていただきましょう。今年の風邪はこう でもしないと治らないんですよ」。 またなるほどそういうものかと思い、いわれるままに薬を買って来た。スルファ ミン剤の一種のオムニボンとコルゲンコーワエイトである。金計290円也。 なにはともあれ、治ってくれないことには困るのである。一刻も早くピンピンと 元気良く勉強したいのだ。試験場で高熱の頭を抱えて、鼻水をすすりすすり試験を受 けるはめにでもなったら、まさに悲劇であろう。 でも、風邪には絶対有効な薬を発見したらノーベル賞が貰えるって段階だ。薬に もあまり期待できないのである。 ほらまた、鼻水が出てきた。
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| 1962.2.6 | 火曜日 |
午後7時 試験期になると世をはかなむのが僕のクセらしい。 なんてこんなくだらないもののために苦しまなければならないんだろう。毎日、毎 日、試験試験。いやいやながらそれでも、二時間、ないチエを絞り出して答案をひね くり出す。ろくなものが書けっこないじゃないか。変な問題出しやがって。 皆が皆血眼で「優」だ「優」だと狙っている。社会に出ると、会社や官庁で優一つ 違えば取り扱いが違う。一流会社や一流のポストを狙うには優が多くなくっては不 可能らしい。 人間の値打ちなんてものはそんなことで決まるものでもないんだろうけど、社会 に厳存する以上血眼になるのも無理はない。優が取れない奴はいわゆる落後者とな る。世のすね者となる。「優なんて」と言い出す。どちらにも言い分はある。 それにしてもここ一週間に毎日毎日一課目ずつ、まるで機械のように試験を受け なければならぬかと思うとぞっとする。 今日受けた”民法”はどっちみち”良”だろう。少々笑い出したくも叫び出した くもなるってものだ。 |
| 1962.2.9 | 金曜日 |
午後7時00分 試験は四つ終わった。でも今日のはとにかく失敗であった。つい今しがたそれに 気づいたような情けない始末なのだ。それもちょっと慎重さを欠く行為から、ほとん ど取り返しのつかない誤りを犯してしまったのだ。 これで以上四つ、一つとして優を取る自信がなくなってしまった。まあまぐれを 期待せざるを得ないようだ。しかし、ともかくも試験の最中である。明日は商法も あることだ。あまりくよくよしても始まるまい。元気を出して再出発だ。あと五つ 、好成績を収めれば取り返しもつく。
◇(10円切手:消印37−2−5.後0−6)鈴木紀代子さんからおそらく七日 に受け取った(手紙)もの。土曜日に事情ができて行けなくて悪かった。五百川さ んからよろしくなど。 |
| 1962.2.11 | 日曜日 |
午前1時05分 試験の間のしばしの読書と音楽鑑賞の楽しみーベートーヴェンの「第九」を聞き ながら、今日買って来た桑原武夫編の『一日一言』を読んでいる。一日一言は人類の 知恵と銘打つごとく、人類史上の名家の言葉が一年三六五日にそれぞれ採録されて いて、人さまざまの豊かな精神が各頁にあふれている。一日一言が原則なんだろう けど、勝手にあちこち拾い読みしては、深い感銘を受け、強く共感し、心を激しく揺 すぶられる。 「知恵は経験の娘である。その理論が経験によって裏付けられない思 索家の教訓をさけよ。最初に抵抗する方が、最後に抵抗するより楽だ。(レオナルド ・ダ・ヴィンチ) 各人の言葉が、経験に裏付けられた強靭なものだけに私の心に強く迫ってくるので あろう。 「私は信じた、真理はそれが普遍性をもつときに初めて真理であって、私に当て は まるだけでは決して真理でないということを。」(スメドレー)五月六日。 「日本人は・・・何事も深入りせぬ質ゆえ、したがって程のよい人間ができ、粋 (いき)ができ、通(つう)ができ、窃盗ができ、収賄者ができるのにてはあらぬ かと疑われ申候。」(二葉亭四迷)五月十日 「あなたの主要性質ーひたむき。あなたの幸福感ーたたかうこと。あなたがいち ばんきらう悪徳ー卑屈。(マルクスが娘に答えたもの)五月五日 「何よりもまず自分で自分をおどかすようなことをしてはいけない。つまり「た った一人じゃ戦争はできぬ」などといわないことである。心底から真理を獲得しよ うと思い立ったものは、すでに非常に強力なものとなったのである。」 (ドストイエ スフスキー)一月三十日 「自分の生きていく目あては、自分の名前を、われわれの時代の出来事に結びつける ことである。この世の中にいっしょに生きている人びとにとって、なにか有益なこ とに、自分の名前をつなぎつけることである。」 (リンカーン)四月十五日。 「自分の時代が作家の唯一の機会なのだ。時代は作家のために作られ、作家は時代 のために作られている。・・・・われわれは、われわれの時代の何ものをも失いた くない。もっといい時代はあるかもしれないが、これはわれわれの時代なのだ。わ れわれはこの戦争、あそらくこの革命のだたなかに、この生を生きるよりほかはな いのである。」(サルトル)十一月一日のウマル・ ハイヤート参照。 「もし生きるということが、自分の誤りを正し偏見を征服し、思想と心とを日々に 拡大するというためでないならば、それはわれわれに何の役にたとう。・・・われ われは毎日多少なりとも、さらに真理に近づこうとつとめているのだ。」 (ロマン ・ロラン)十二月三十日。 「俺の青春は雲一つない空のように、まだ青く晴れわたっている。偉くなりたい 、また金持ちになりたいと願うことは、嘘をつき、頭をさげ、へつらい、いつわるこ とを、みずから決心したことではないか。嘘をつき、頭を下げたことのある連中の 下僕に甘んじてなろうと、みずから承知したことではないか。・・・・いやだ。そ んなことは止めだ。俺は高く清く働こう。夜昼なく働いて俺の勤勉労苦だけで成功 をかちえたい。それは一番のろい成功となるかもしれない。だが、自分の生活を反 省し、百合のようにそれが清浄なのを見るほど、美しいことがまたとあろうか 。」(バルザック)八月十八日。 「私が「何をなすべきか」という問題にたいして、自分自身のために発見した答 えはこうである。第一、自分自身に対してウソをつかぬこと。たとえ私のいまの生活 の道が、理性の啓示する真の道から、いかほど遠くかけはなれていようとも、真理を 恐れないこと。」(トルストイ)十一月七日。 etc.
時間さえあれば、もっと記しとどめておきたいのだが、時間はもう午前二時に近 い。このくらいにしておこう。 以上書いたような言葉は私の心をどれほど、啓発してくれることだろう。何と心 の支えとなって私の日々の生活を意義高しめてくれることだろう。言葉の不思議な 働きによって、私達は古今東西のまさしく人類の知恵を汲み取ることが出来るので ある。 だが、これらの言葉が単なる知識にとどまるならばその意味は高くない。バルザ ックの言葉、トルストイの言葉にしても、激しく私に立ち向かってくるものなのだ 。ただ立派な言葉として感心しているだけでは何の役に立とう。自らの行動原理と して実践の中に生かされなければなんになろう。 二葉亭の言葉をがっしりと受けとめて、リンカーンの理想をもって、われわれの 時代のこの生を生きるよりはしかたがないのだ。ロマン・ロランのいうごとく、日 々多少なりとも真理に向かって「若い時には、わしもまじめに博士や聖者の所によ くいったものさ。あれやこれや大げさな議論。だがいつでも入ったと同じ戸口から 出てきた。」(ウマル・ハイヤート)ことにならぬ ためにも。
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| 1962.2.11 | 日曜日 | 1962.2.11日曜日午後7時5分 ◇最高気温24.5度とかで、五月下旬の暖かさだった。叔父のところに行って、碁を一番、一敗。 ■ 久し振りに礼拝に行く。久し振りに五百川さんなどにも会った。教会の雰囲気は嫌いではない。行っただけのことはある。Herbst先生にこの前戴いた 英文聖書のお礼を言ったら、またまた今度は使徒列伝の新訳を下さった。それにおまけまでつけて。おまけって。ウフン。英字新聞の切り抜き。Twist & La Pachangaの踊り方の載った。いつかちょっと話に出たもの。先生は義理堅い。 一緒に十人くらいで近くの中華店から一品五十円也の、たんめんやカレーライスなどを取って食べた。 一万円のタイプライターは安いかって五百川さんに訊いたら大いに安いそうである。買おうかしらんと思う。どっちみち必要なものだから。 教会を出て鈴木さんと一緒に東大に行った。彼女、退寮処分にあったんだそうだ。東洋女子短大に行ってるんだけど、相当に経営者の頭が古いらしい。試験が 終わったら下宿を探さなくっちゃという。相当に悩んでいるらしい。何かと力になってはやりたいが。一体僕に何ができよう。せいぜい励ましの言葉くらい。法 律的に言ってそういう場合はどうだっていえるくらい。これこれこうしたらなんて具体的は手段が助言できれば、大したものだけど・・・。 闘争っていかに難しいかを思い知らされる。日本国中の多くの階層が感じている壁が、こうした小さな片隅にも現れて、ただ、自らに誠実に過ぎない一人の女 性の前に立ちふさがっているのだ。多くの困難な問題ー私自身がいつかはそれと直接対峙せねばならぬかもしれぬ多くの問題がそこにはある。広いパースペク ティブがなければ安易な激励も、単なる気休めの言葉も言えないだけに苦しい。 「鈴木さん、あなたが置かれたその生をしっかり受けとめて、くじけないで生きて下さい」と言うより私には仕方がなかった。 私はこの言葉にも不満を感じる。私自身がそうした生を受けとめる立場に自分を立たしめうる自信もなくて、言っているのではないかと思われるから。安易な 生活は否定すべきであることを知っていながら・・・ |
| 1962.2.11 |
日曜日 |
1962.2.11 次に一覧表。チェリー豆ー2袋。不知火海苔ー2袋。明治チョコレート2本。ピーナッツー1袋。ぼんたん漬ー1袋(4
本入り)。平和糖。明治アソートキャンデー各1袋。明治即席しるこ-2袋。以上。食べ物ばかり。 冬休みから帰京するときも相当に食べ物を持ってきたんだ。お蔭で胃を悪くしちまった。せっかく送ってまでくれた
んだから、その気持ちを充分汲んで胃を悪くしないようにして、食べることにしよう。 実は今日もあまり腹具合が良くないからこんなことを言いたくなる。とにかく、幹大君をパパのところへ送り届けた
り忙しいときにわざわざ送ってくれたんだ。月々の送金だけでも大変なんだろうに、深く感謝しよう。 忘れるべからず最大はやはり父母の愛だ。僕一人でどうしてこんなに大きくなり、こんなに勉強することができたろう。 |
| 1962.2.12 |
月曜日 |
1962.2.12(月曜
日)午前1時50分 昨日五百川さんにも久し振りに会ったなどと書きながら、全然彼女について触れるところがなかったようなので、ここに少し素描を試みる。 彼女は、一口で言えば、とっても感じのいい人なのである。以前、まだ学生センターの受付にいた時、そこに遊び行ってたら小さな子供が窓枠にしがみつい て、僕らに話し掛けてくる。「××先生」「××先生」と子供たちが言う。最初は聞き取れなかったけど、家に帰ってから「キューピー先生」と言っていたんだ と合点が行った。 日曜学校の先生をしばらくやっていたんだそうだ。小さな生徒たちさえもが、キューピー先生の称号を奉ったのである。彼女はそんなに可愛いキューピーさん みたいな顔をしている。ほんとうにその顔があどけない微笑に満ちていないことがない。ちょっと特徴のある口元を少し開けて彼女はニコニコした目付きで、楽 しい話し相手になってくれる。 だからと言って、口が悪くないなどとは言ってはいない。ハープストさんなんかと一緒になって相当にからかってくるのである。 ワーク・キャンプにも一緒に行って彼女の面白い写真も撮って、それらを東京に帰ってからジャネットに渡して貰うために訪ねていった日が、そのキューピー 先生って愛称を聞いた日でもあり、我々が最後に会った日でもあったのだ。夏休みに帰郷する前日であった。 彼女は八月限りで学生センターを辞めて、電電公社に就職した。日曜日には礼拝に来ていると聞いてたけど、とにかく彼女に「久し振り」なのとちょうど同じ だけ礼拝の方も「久し振り」だったのだから、一回も会えなかった。今日本当に半年振りに会ったってわけ。 半年ぐらいで、人間変わってはたまらないもんだけど、やはり依然として、その感じの良さは変わっていない。愛嬌のある口元も、笑った時の細い八の字型の 目付きも元のままである。だから僕としても昔ながらの親しみをもって話し合えた。 「ずいぶんお久しぶりですね。お元気でしたか」別れる時にも何回となく「お元気でね」と言ってくれた。ニコニコと例の顔で。 |
| 1962.1.12 |
月曜日 |
1962.1.12(月
曜日)午後1時30分 ◇今しがた起きたところ ■この14日だったけが聖バレンタイン・デイだ。新聞の広告によれば、どうもチョコレートをプレゼントして恋人に愛情を告白する日ででもあるらしい。その 意味かは知らないけれど、昨日自宅から送ってきたのの中にチョコレートが二 枚入っている。「キメのこまかいタッチです。お嬢さん向きのしとやかな味です」と書いてある。だから僕に愛情でも打ち明けたいお嬢さんでもいれば、すぐに も利用せよ、との思いやりがあるのかも知れぬ。 ところで、お嬢さん向きかは知らないけれど、僕が食べてもとってもおいしいし、プレゼントするような人もいないし、試験中でもあるので、昨夜からすでに かじり始めている。こんな野郎がいるとはと聖バレンタインが嘆くかは知らないが、西暦270年頃これほど「純良なチョコレート」があったかわからぬではな いか。 小鳥が愛を交わし始める日だからって人間様が真似をすることもあるまい。とは言ってみても所詮強がりにすぎず、恋人でもいればとっくにチョコレートでも ハート型のハートでも送っていたはずである。 |
| 1962.1.14 |
水曜日 |
1962.1.14(水曜
日) ◇モーパッサン「水の上」 読了 ■ 私が恋することのできる女性はやはり私と同じ時代に生きている人でなければならない。 私と同じこの大気の中に息づいていて、私と同じこの目まぐるしい社会の中に生きていて、ある日私とフト巡り会う人でなければならない。 私は多くの美しい恋愛をした人々を知っている。もだえるような恋のために狂乱し、その果てに狂死した人びとをも知っている。自らのエネルギーのほとばし りを一人の女性に傾け尽くし、しかも報いられぬままに永遠と無限の空間とにその仲を裂かれてしまった人びとを知っている。 とはあれ、彼らが愛したのは、彼らと同時代の女性であった。彼らと同じ月光に浸り、彼らと同じニュースに心動かした女性であった。 私が恋することのできる人はやはり私と同じく現在に生きている人でなければならない。ある日偶然に私に巡り会い、私の心を震わせる人でなければならな い。私には古今東西の傑出した女性の中から自由にある人を選び出すことも、現在この世の中に生きているあらゆる人びとの中から思うままに選び出して恋する こともできない。私はある日忽然と恋に目覚めなければならないのだ。私の狭い視野の中に飛び込んでくる一人の女性のために、私の目はいつも注意深く開かれ ていなければならないのだ。恋に心捧げつくした多くの人々がそうであったように、私もまた、自らの心に忠実に恋人を見つけ出さなければならないのだ。 私は私の未来の恋人のことを思う。彼女もまた現在この世の中に生きていて、その白い胸を震わせながら静かに息づいていることであろう。彼女が今どこに い、何を思い、何をしているか私には知りうるすべとてない。しかしながら、確かに、今照り輝く朝の太陽の下にすこやかに息づき、伸び伸びと四肢を伸ばし て、可愛らしい瞳を輝かせているに違いない。 こう考えただけで私の心は膨らんでくるのだ。彼女も確かにこの時代に、この社会の中に、この厳しい生を、雄雄しく生きている一人の女性なのだ。19世紀 の女性が忽然として、私の前に立ち現れることは決してないのだ。あらゆる時代のあらゆる人々が、その時代の人びとを愛し、その人々との間に激しい恋の炎を 燃やしたのだ。 私はいつか巡り会うであろう私のための美しいその人のために密かに待ち設けておこう。今どこかに微笑んでいるかも知れぬその人のために、恋の炎を潜めて おこう。 |
1962.2.14 |
木曜日 |
すっぱい葡萄 配役 A:大学教授、評論家 45歳⇒戦中派⇒私の知的側面と学問的素養 B:その妻 40歳⇒罪を背負う⇒私の性的あこがれとその側面 C:娘 18歳⇒悲劇の中心⇒私の女性への憧憬 D:娘 15歳⇒中学三年⇒一番現代の囚われぬ魂⇒私の子供らしさとその 表現 E:Aの友人、Bの恋人、戦死⇒私のマイナス面のシンボル F:その妻で未亡人⇒私の田舎臭さとその表現、私の純粋さへのあこがれ G:息子 20歳、大学生⇒現代の逞しさ。⇒私の現実性とずる賢さ。功利性 *************** 荒筋⇒AとEはかつては親友で、恩師Hと娘Bの恋敵。BはEを愛していたが現実 主義的な判断でEを裏切ってAと婚約。Eは失意して、東京を去り、故郷(くに)で教師とな り、Fと結婚し、Gをもうく。 Aは、特別通信員としてビルマ方面に出征し、その 報を新聞で知ったEもまた同じ頃出征命令を受けていた。しかし、止むに止まれぬ 気持ちで上京し、Bを訪れる。ちょうど一週間前Aを戦地に送り出したBは、結婚 生活に失望していたが、やはり自分がEを愛していたことを知り、Eの愛を受け入 れる。初めて女の喜びを知り、一週間二人は狂った夜を共にす。 Eは出征し、その まま不帰の人となる。 Bは妊娠していることを知るが夫が帰るか帰らぬかはっきり しないまま、Cを産み落とす(昭和18年)。 昭和20年Aは復員し、次女Dができる 。 Aは戦後、評論家として活動し、一流の地位を獲得する。BはAとの夫婦生活にな んだか物足りぬものを感じ、女としてのあせりを感じている。 Eの息子Gは成長し 、大学受験のため上京し、T大に入学する。夏帰郷した際に偶然、T大教授Aがか つて父の親友であったことを知る。しかも、父とBなる女性との間に深い関係があ ったことを知る。 Gはそれを利用しようとたくらみ、巧みにA家に近づく。 GはDの家庭教師としてA家に出入りする。 Bは初めてGに出会ったとき、はっと 胸を突かれる。十八年前、Bの目の前に立ったかつての日のEとあまりによく似て いたし、Cとなんとなく似通うところがあったから。 AはGが何事か彼らのことを知っているらしいことを感じDの家庭教師として 、Gを雇い入れたのである。BはできるだけGを避けようとしながらも、何となく ひきつけられて行く自分を感じる。肉の疼きともいうべきものが彼女の奥深くで Gを求めるからである。 CはGに対し徹底的に無関心を装う。DはGにほのかな娘 らしいあこがれを感じている。 Gはその後、ときたまA家に泊まるようになる。Cは策略をめぐらせて、深夜のに じにGをBの部屋に呼び寄せる。BとGは、あってはならぬ仲になる。それをCは 知って返って激しい嫉妬にかられる。 CはGをある日、某所に呼び出して、GとBとの仲を知っていることをほのめかし Gを困らせようとするが、かえってGのために処女を失う。 CはひたすらGを愛す るようになる。DはそのCとGに対し、激しい反発を示す。 BはGとCとの仲をう すうす感じ始め、異父兄妹であることを考え、二人の間を邪魔しようとするが、か えってCは母親が自分のためにCの恋を邪魔するものと思い、CとGとの間は深ま るばかりである。 GはCを利用して、A家の財産を我が物にしようとしてCを妊娠させる。Aは事の 成り行きを冷ややかに見詰めている。 ある日、BとCがいさかって、Cは階段から転げ落ちる。Cは流産するが、Cの胎 内から排出された肉の塊の醜怪さはまるでA家そのものの醜悪のごとくである 。 BはAに罪を告白し、出奔する。Gは憮然として立ち尽くす。Cはベッドの中か ら弱弱しくGの愛を求める。Dは涙を湛えてGを愛していると心の中で叫ぶ。Aは 畢生の大作を残して忽然としてBの跡を追う。 ******** 発表の順序 第一章 Gの帰郷。父親のアルバム。上京。昭和35年。 第二章 GがA家に接近する。 第三章 GとBの会合 第四章 Bの回想。昭和十五年から昭和二十年。 第五章 A家におけるG 第六章 BとG 第七章 CとG 第八章 第九章 Bの告白 第十章 終章、大団円。 ********* 第四章 回想 恋が激しいものであればあるだけ、悲しいかな人間はその最初の幕開けを忘れ去っ てしまうものらしい。どんな恋にも、その最初の眼差しがあったはずのものなのだ (初めての語らいがあったはずのものなのだ)。 あの人と初めて会ったのはどこだ ろう。そして私達はどんなことを話し合ったのかしら。龍子は遠い二十年以上も昔 の彼女がまだ前髪を垂らしていた日のことを思い浮かべてみた。だけどどんなに一 所懸命になっても、信夫と初めて会った日のことが思い出せない。そんなはずはな いと半ば自分自身の心を疑ってみても、これはどうにもならぬものらしい。かえっ て、彼と彼女とが身悶えするような激しい抱擁に我を忘れたあのときのこと、あの 日のことが、目の前に大写しに浮かび上がってきて、初めての会った日を思い出そ うとす る考えを邪魔してしまう。 でも、昭和十四年には少なくとも私達はもう恋人同志だ った。人目を忍ぶ仲になっていた。戦争が近くって、男と女が、一緒に歩くことも 自由にできない世の中だったけれど、私達は、本当に、人目を忍んでは、二人きり になって色んなことを話し合った。どんなことを話したかは今覚えていることはな い。ただ、信夫さんはよく熱中してしまって大きな声をたてることがあった。そう だ。私はハラハラして聞いていたものだった。狭い信夫さんの下宿で、時局につい て大きな声で痛烈な批判を浴びせたりするものだから、誰かに聞きとがめられない かと私はハラハラしながら聞いていたものだった。 そういうときの信夫さんが私は一番好きだった。 あの日も、私は下宿のオバさんに さえ見つからないようにして、裏木戸伝いに、信夫さんの下宿に忍び込んだのだっ た。 部屋には信夫さんはいなくて、本が二三冊畳の上に投げ出されていた。下宿の部屋 は北向きだったから、静かに落ち着いた三月の光が、机の上に、なんとなく白白と 照り返していた。窓の前には、濃い緑色の椿が一本あった。椅子に腰をおろして 、信夫さんの愛読していた藤村詩集などをペラペラやっていたら、信夫さんが帰っ て来るらしい物音がしたので、ついいたずら気を起こして、押入れの中にこっそり 忍び込んだのだった。 ところが部屋に入ってきた物音が何故だか、信夫さんらしく ない。乱暴に部屋を探し回っている様子がする。仕方がないのでそのままじっと息 を殺していた。と、突然押入れが荒々しくがらりと開けたてられ、外の明るい光が 私の目に痛く差し込んできたのだ。 相手も突然思いもかけぬものが変なところから 飛び出してきたもので 驚いたのだろう。ややたじろいでいたが、 「何だ、お前は」 威猛々しく問い掛けてきた。立場が立場だものですっかり度を失ってすぐには言葉 も出ずに、相手をそれとなく確かめると、どうやら特高らしい。 「ハイ」 と思わず、泣き出しそうな小さな声で言って、押入れの中からこそこそと這い出し 、小さくなって特高の前に座り込んでしまった。 「お前は一体誰だ」 もういっぺん男は大きな声で言って、 「二宮の情婦(イロ )か」 半ばせせら笑うように訊いた。 私はイロという言葉に何故ともなく、恥ずかしさを感じながら、またこんな場合 にそんなことで恥ずかしさを感じたりする女心の馬鹿らしさに腹を立てながら、ま すます小さくなると、小さな声で「イイエ」と言って頭を下げた。男はしゃがみこ んで私の顎に手をかけて、私の俯いた顔を無理に真っ直ぐに向け直して、にらみ付 けてきた。 顔を赤らめ、下唇を噛んで今にも泣き出しそうな、お下げのまだ 十七、八の小娘らしい私にすっかり安心してしまったのか、尋ねてみても始まらな いと思ったのか、男は、 「二宮は危険思想の持ち主だから、あまり親しくするな」とか 「怪しい本を読んでたらすぐ連絡せねばダメだ」とか言って大威張りで、部屋を出 て行った。 私は突然の安堵感から、妙に悲しくなってしまってそのままそこにうつ 伏せて泣きじゃくり始 めていた。 両肩にやさしく手をかけられて、「どうしたの」と信夫さんに訊かれるまで、信 夫さんが部屋に入ってきたのも全然知らないぐらいだった。私は信夫さんが膝をつ いて私の後ろから心配そうに覗き込んでいるのに気づいた。と、急に恥ずかしさと 悲しみが混ぜあって込み上げてきた。私は突然向き直って信夫さんの膝に頭を押し 付けて、声を上げて激しく泣いた。私の泣き声は、あるときは嗚咽に変わりあると きはすすり泣きになってしばらくは止むところを知らなかった。 私がいつまでも大きく肩を震わせつづけるので、彼もすっかり心配になったらし く、「どうしたの、どうしたの」と背中をさすりながら、私の膝に押し当てた顔を 何度も覗き込んでくるのだった。 それまでも、信夫さんの下宿にちょいちょい訪ね て行ったりしていた。私は信夫さんに心密かに思いを寄せていたけれど、信 夫さんはそれまで私の手を握ってくれたこともなかった。 このときは二人ともごく自然に体を寄せ合い、信夫さんはやさしく私を抱きかかえ てくれ、私は信夫さんの膝に顔を押し当てて泣いたのだった。 私が泣きじゃくりながら、今まであったことを少しずつ話して聞かせると、信夫さ んは「なあに心配することはないよ。それにしても龍ちゃん大変な目に合っちゃっ たな。これからは押し入れなんかに隠れるようなお転婆をするもんじゃないよ」な んて少々快活に言った。私は私で泣きながらもお転婆なんかじゃありませんよとい う気になったりして、ようやく涙も乾き始めて来たのだった。 私はそれでもしばらくくすんくすんとやりながら、すっかり彼の膝の温かい心地 良さに自分の胸を押し当てていた。そうしていると嘘みたいに心が晴れて仕合わせ な気持ちに満ちてくるのだった。彼が、私の両肩にそっと手をかけて私のうつ伏せ ていた体を真っ直ぐに起こし上げた。私達は膝を突き合わせて座り合うような格好 になってしまい、私の泣きべそを書いた顔がすっかり彼に見られてしまった。私は 着物の袖であわてて顔を覆って涙をふきはらった。そんな私を「龍ちゃんが泣きべ そ書いているのは初めて見るね」信夫さんがからかった。私は恥ずかしくなり、涙 の目を少し上げると手の指の間から恕じるように信夫さんの顔に視線を走らせて 、「いや、いや」とかぶりを振りながら、あの人の胸の中かに自分から見を投げ込 んでいったのだ。 突然、私が激しくむしゃぶりついて来たものだから、信夫さんは少々後ろに仰け反 りそうになりながらも、私を両の手でしっかりと受け止めてくれた。私は信夫さん の膝の上に抱かれるような格好になり、二人の胸と胸とがぴったり合った。私は涙 でぐしゃぐしゃの顔を信夫さんの肩の上にそっと載せて大粒の涙をポロポロこぼし ながらしっかりと目を閉じ、「信夫さんの意地悪」って、つぶやいた。彼の手が最 初はややためらいがちに、そして次第にしっかりと私の体を抱きしめるのを感じな がら、私は、もうなんとも言えない恍惚とした気持ちに浸っていた。そして私自身 も手を彼の体の周りに巻きつけ、しっかりと抱きしめた。 私の心臓の鼓動と信夫さんの心臓の鼓動がドッキンドッキンと共鳴りするのが 、着物を通してさえ感じられた。 信夫さんの少々せわしない弾んだ息吹が私の右の耳たぶの上に次第に温かくかか ってきて、それはいい気持ちだった。かすれた甘い声で、「龍子さん」と彼がささ やいて、私の体をぎゅっと抱きしめたとき、私はほとんど我知らずに、小さな声を 立てていた。 「僕のこと好き?」 信夫さんが訊ねたとき、わたしはもうなんのためらいもなく、肩の上に載せた首を こっくりして信夫さんの肩に強く押し当てていた。「でも」と首を捻じ曲げて、信 夫さんの耳たぶの中に、自らの熱い唇を押し付けるようにして、「そんなことを訊 く人は嫌いよ」と言った。 その私の声が、まるで見ず知らずの女の人が言ったように変に甘酸っぱくかすれて 聞こえ自分ながら驚いた。 「龍子さん」 「信夫さん」 二人は互いに相手の名を呼び交わしながら、ますます激しく抱きしめあった。彼の 口唇が次第に耳朶から襟足を伝わって私の紅潮した頬を滑って来るのをあの官能の 世界で感じていた。私は今まで我知らずつぶっていた瞼を薄めに開けて、信夫さん の顔が私の目の前に大きく覆い被さってくるのをキラリと見たのだった。信夫さ んもまたその瞬間キラリと目を開けたと見えて二人の目がカチッと合った。その一 瞬、ピクリと震えるようなおののきが私達のしぐさの中を掠め去った。 私の涙で濡れた目の中にも、彼のキラキラした瞳の中にも愛情と欲望と同意とが絡 み合っていたことだろう。私は生まれて始めての口付けを、そっと目を閉じて、あ の瞼の裏の官能的な紫色の世界の中で震えながら待っていた。 信夫さんのくちびるがほんのちょっぴり私のくちびるに触れた。それだけでもう私 にとっては稲妻が体中を突き抜けたように思われた。全身が痺れうずくような快さ が私の身をぞくぞくと震えさせた。体がその重量感を失って空中に浮かび上がった ような感じがした。信夫さんは今度はもっと激しく私のくちびるを吸った。 それか らはもう二人とも夢中だった。すっかり我を忘れてしまってきちびるを求め合い 、悲しいまでの思いを込めてお互いの瞳の中を覗き込み合い、「好き?」「大好き 」とささやき合った。 女にとってその最初の経験がどんなに忘れがたいものであるかを私はつくづくと 思う。二十年以上も経った今でも、まるでまざまざとあのときのことが目の前に浮 かんでくる。そしてあのときの乙女らしい驚きと恥じらいに満ちたあの喜びさえ思 い出されてくる。あのときの私の気持ちから言えば彼のためなら身も心も捧げてし まってよいというところまで行っていたのかも知れない。 私はまだ十八歳だったけれど、信夫さんの腕に抱 かれることが重なるに連れて娘らしい欲望も目覚めて、信夫さんのためなら身も心 も捧げてしまってもと我を忘れるようなことがあった。彼も苦しんではいたようだ けど、やはり自制していたように思う。私は時折、純潔ってそんなに大切なものかし らと考えることもあ った。だけど私には純潔は結婚するまでやはり大切にしておくべきもののように思 われた。今考えてみれば少し考えが甘かったのかも知れない。ただ肉体的な純血だ けを守り通して、それでもって精神的純血の潔白までしようとしている自分自身の生 き方は卑怯だったと言えるのかも知れない。 信夫さんに精神的にはすべてのことを許しておきながら、もし私がある日誰か彼 以外の人と結婚することにでもなれば肉体的な処女をもって自らの精神的な処女ま でも証明しようというものであったし、信夫さんの欲望を高ぶるだけ高ぶらせてお きながら、肉体を禁断の木の実としてお預けにさせるのは酷いといえば酷いものだ ったろうから。 でもあの頃のことを考えてみれば、結婚前に良家の娘がくちびるを与え、あまつさ えその白く硬い乳房をたとえ肌着一枚上からにしても男に弄ばせることなんてこと は、言語道断のことであったのだ。今だってあまり変わっていないかも知れないけ れど、私は信夫さんと初めて口付けを交わすようになってから、何度となく後悔に 似た胸の痛みを感じ、もう決して彼の下宿には行くまいと思ったりしたのだった 。でも、やはり忘れがたい感覚が、耳たぶの後ろに、瞼の上に、そして、くちびる の上にも、私のまだ硬い乳房の上にも残っていて、つい知らず知らずのうちに下宿 まで行ってしまっているのだった。私はあの人を愛していると信じていた。いつか 二人は結ばれると信じていた。その結ばれたとき、私の禁断の木の実を二人で分か ち合っておいしく食べ ようと考えていたのだった。 私はそのとき十八歳。彼は二十三歳ぐらいだった。大学の三年に在学してして法 律を専攻していた。私の父は大学の法学部の教授だったので、学校に残ろうとして いた学生さんたちが、ときたま私の家を訪ねてきた。信夫さんや山下もその学生の うちの一人だった。山下は、信夫さんの親友の一人だったが、高名な科学者の子息 であり、ブルジョアの息子で、何事にも抜け目なく立ち振る舞う山下より私は信夫 さんが好きだった。家にグループで訪ねて来たりするとき、私は良くお茶菓子など を持って出ることがあった。当時私のことは学生の仲間で相当に評判だったらしく 、私の父のところに来るのも、父と話すよりは、私の姿を見るためだったのだなど と、山下から聞いたことがる。 学生時代の山下のお友達とこの頃も会合などで会うことがあると決まってこの話 が出て、山下の奴、うまいことやったなあと、その頃は言っていたものだと言って 皆さんが大笑いするのだ。私としても、自分自身の美貌がまんざらでもないと思う 娘心からと、皆さんの期待に背かないために、できるだけ母親に手伝って、お給仕 の役目を勤めたりしていたものだった。 そんなわけで信夫さんとは口は利かないまでも顔だけは知り合っていた。そして 、いかにも素朴で純情そうなおっとりとした信夫さんが私に最初から好印象を与え ていたように思う。 もう女学校を卒業していたとは思うからきっと買い物がお花を習いに行く途中だ ったのだろう。今も私たちが住んでいる、あの世田谷の街中はあの頃はまったく閑 静で、昼間でもあまり人通りはなかったのだけど、偶然に道中で信夫さんと会った 。彼はニコニコしながら、「先生はご在宅ですか」と尋ねた。私は少々なれなれし い彼の態度に少しつんとして見せて、でも頬が独りでに赤らんでいくのをいやだな と思いながら、「ええ、在宅しております。今からいらっしゃるところですの」と 尋ねた。 「いや、別に伺おうと思って訊いたわけじゃないんです。この道良くお通りになる んですか」 「ええ、お花に行く時はいつもこの道を通りますわ」 「そうですか、ほら、ここから見えるでしょう。あの二階建ての家、あの二階に僕 は下宿しているですよ。坂本って家です」 「あら、こんなにお近くに下宿していらしたんですか。少しも存じませんでしたわ 。坂本さんてのはあのお茶の先生をやっていらっしゃる・・・」 「そう、下宿のオバさんはなかなかのやり手でしてね。お茶もやれば生け花もやる 。小唄だってやりますよ。あなたでもお茶や生け花に興味ありますか」 「あなたでもってのは酷いですこと。私だった女ですもの興味ありますわ」 「じゃ一緒に習いにでもいらっしゃいませんか。こう見えても僕はオバさんのお茶 の弟子なんですよ」 「あら、二宮さんがお茶をおやりになるんですの」 「二宮さんがってことはないでしょう。アハハ、これで一本取り返されたかな。ま あ、近いことですから、おヒマがあったら遊びにでもいらっしゃい。お茶をご馳走 しますよ。僕も貴方がこの道を通ってお花にいらっしゃると聞いたんで、今度から 少々目を光らせておくことにしようかな」 「まあ、嫌ですわ。私他の道を通ることにしましてよ」 私はその日彼との間に交わした会話をちゃんと胸の中にしまい込んでいて思い出 しては楽しんでいた。彼と会釈を交わして別れてからも何かつぼみが膨らむような 楽しさが私の胸の中に芽生えていることを知ったのだった。そしてその日以降、お 花に行くたびに坂本家の二階の窓を何となく意識して通るようになった。彼が見て ないかと思いつつ、自分から見上げたりして、気にしていると思われるのは恥 ずかしいので、いつも前を向いたまま努めて平然さを装って通り過ぎるのだけど 、自分自身何故だかぎこちなくなっているのを感じたものだった。 いつか彼が窓から話し掛けて来はしないか、また、その途中で彼とぱったり会っ たりしないかと、半ば心配しつつ半ば密かに胸の奥では期待していたのだった。 彼に会ってから一月ほど経ったある昼下がりのこと、私は買い物の帰りしな、一 本道の遠くから学生服を来た男の姿が近づいて来るのが見えたので、もしもあの人 が二宮さんだったらどうしようかと小さな胸をドキドキさせながら、俯き加減に歩 いていった。すると突然頭上から「龍子さん」と、男の声が降ってきたのだ。時が 時だけに私は本当にびっくりしてしまって、思わず立ち止まり、慌ててふためいた 視線を振り上げてしまっていた。 「いや失敬失敬。嚇かすつもりじゃなかったんですよ」 二階のガラス戸を開 けて二宮さんが微笑みかけているのだった。私は胸を撫で下ろす感じで、それでも ぎこちなく、微笑を浮かべて、「今日は」と頭を下げた。「突然、頭の上からお呼 びになるので、驚いてしまいましたわ」と胸を撫で下ろすように言った。 「今ちょうどお茶が入るところですよ。お急ぎでなかったら、一杯いただいていき ませんか」 私は最初、 「用事がございますから」 と半ば口に出しかけながら、ちょっとためら って 「お茶の点て方教えていただけますの」 と尋ねていた。 「いあー、今オバさんがいないのでお教えするわけにはいきませんよ。でも道具だ けはありますから、やりたければ自分でもできますが。そうそう、故郷(くに)か ら送ってきたうまい茶菓子があるんですよ。ここいらじゃ、ちょっとない代物です 。それを一切れでも食べて行きませんか」 道の真中で立ち止まってしまったうえに、断るべき最初のチャンスを逃してしまったの で、結局上がりこむことになってしまった。 彼の部屋は二階の北に面した六畳ぐらいの広さで、道路に面した側はガラス戸に なってい、明るい感じがした。部屋の一面には大きな庭から伸び上がってきた椿が 、二階の屋根より一尺ぐらい高くまで来ていた。本棚があってびっしりと本が詰ま っていた。 「ずいぶんご本、お持ちなんですね」 「貴女のお父さんと比べたら物の数にはいりませんよ。いつも先生からは本を貸し て戴いているんですよ。ほれ、これも先日借りてきたんです」 と言って机の上の分厚い本を二冊大切そうにとり上げて、 「ドイツ語じゃ分からないでしょ」 と私のほうを振り返った。私は本棚の前に立ち 止まって、彼の本の表題を目で追っていた。父が法学部の教授だったので、我妻と か末広とか三猪、美濃部とかなじみの本も色々あった。でも彼の読書範囲がかなり 広いのに驚いていた。 「色んなご本をお読みになるんですのね」 「ただ色んなものに一応手を出すだけなんですよ」 と言って、彼も私と並んで本箱の前に立って、その中から一冊の本を取り出して、 「貴女は詩はお好きですか」 「ええ、大好きですわ。その本は何ですか」 「藤村の詩集です」 「私も藤村は好き」 「初恋って詩、ご存知ですか」 「ええ」 私は少々もじもししながら言った。なんだかこう直接的に恋などという言葉が男女 の間で話に上るものとは私にはついぞ考え及ばぬことだった。 「空で言えますか」 「ええ」 私の声はますます小さくなった。彼はガラス戸の方につと向き直り、私に背を向け て、静かに諳んじはじめた。甘くいい声だった。まるで芦の笛のような・・・。 「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり」 私もいつしかそれに和して、小さな声で一緒に吟じ始めていた。 「やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり」
白白としたガラス 戸の前で、黒々と浮かび上がった背を私に向けて、初恋の詩を吟じている二宮さん の姿を見詰めながら、いつか彼に道で会ったときに感じたあの好もしいという感情 が急速に膨らんでいってパッと花を開いたような気がした。 「わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな
林檎畑の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれ」
吟じ終わると彼は私の ほうに向き直り、少し勢い込んで話し掛けてきた。 「いいですね。藤村はいいです。僕は彼の詩は大方諳んじているですよ。良く夕方 には一人で声を出して諳んじるのです。なんとはなしに甘いいい気持ちになります 」 「本当に藤村はいいですね。藤村の小説はあまり好きじゃないけれど、藤村の詩は 一等好きです」 私が答えると、彼は我が意を得たりとばかり、 「藤村を好きな人は皆いい人ばかりです。貴女もきっと好きだろうと思った」 と言うと、私が何か言う間を与えずに 「やあ、自分勝手なことばかりしゃべって肝腎のお茶菓子を忘れていた」 あわてて部屋を飛び出して行った。私は彼が勧めていった椅子に腰を下ろして、窓 ガラスの外を見ると、その視野の中に私の家の二階が飛び込んできた。直線にする と案外近くにあるのだ。道路をちょうどぐるりと半周しなければならないので遠そ うに見えるのだけど、これでは双眼鏡ででも覗き込めば、お互いの部屋の中を歩き 回るのだって見えそうである。普段注意してなかったので気づかなかったけれど 、今度は自分の家の二階からでも注意して見てみようかしらなどと考えていると 、彼がトントンと階段を上がって来る音がした。急いでドアのところに飛んでいっ て開けてやると両手でお盆を持った彼が 「やあ、ありがとう」 と言って頭を下げた。 その日は、彼の故郷(くに)の名物とか言うぼんたん漬をご馳走になってそのまま 帰った。けれどその後、私の家で貰った珍しいお菓子があったのをお返しのつもり で持って行ってあげたり、彼から、ランボーの詩集や、シラーの戯曲集を借りたり して、かなり頻繁に彼の下宿を訪ねるようになった。 彼が私に卒論の清書を頼むようになってからは、それがいい口実にもなって、私 は母には二宮さんのところに行くとは言わずお茶を習いに行くといういうことにし て足繁く訪ねて行った。だから、オバさんとも仲良しになって、時には彼と二人並 ばされてお茶の点て方なども教え込まれるようなこともあった。 オバさんも筋がいいとか言って、熱心に教えてくれたけれど私の目的が何であるか を良く知っていて、時間を半ばで切り上げてくれた。 こうして、いつしか二人の間 には好意が刻み込まれて行き、彼も私のことを「龍ちゃん」と気安く呼ぶようにな り、私も「信夫さん」と言って、親が聞いたら嘆くような乱暴な言葉を信夫さんとは交わすようにさえなった。 年が明けて私が数えで十九になったあの年の三日、私と彼とはふとしたきっかけ
から、口付けを交わすようになり、本当の恋人同志と言ったほうがいい深い仲にな ったことは先に、述べた通りである。 |
| 1962.2.15 |
1962.2.15 (「すっぱい葡萄」、その二) あれは昭和十五年の四五月の頃だった。父が「龍子大切な話があるから後で書斎に おいで」というので、一体何の話だ ろうと思って少々心配しながらも、書斎のドアをノックした。 父は例によって、ま るで書物の中に取り囲まれたって格 好の書斎の北側の高椅子に腰掛けて、何やら物を書いているらしかった。私が入っ ていくと「おお、来たか」と言って 、微笑みかけ、「まあ、ゆっくりしなさい」と安楽椅子を勧めてくれた。机の上か ら、マドロスパイプを取り上げて、 ゆっくりと煙草を詰め、火をつけてから、「実はね」と私のほうに眼鏡越しにキラ リと目を光らせてから、机の引出し からちょっと分厚い封筒を取り出して「お前に縁談があるんだよ」と少々口元に微 笑を含んで話し始めた。 私は、「大切な話」と父から聞いたとき、やはり乙女らしい敏感さからきっとそ の方面の話に違いないとは思ってい た。私みたいな女の子にとって大切な話がそんなにあるわけがなかった。それでも やはり胸が早鐘を打つようにドキド キしてきた。 「お前も知っているだろう。相手は山下君だ。昨日、山下君のお父さんからそんな 話があったんだ。山下君が、お前の ことがえらく気に入って結婚するならお前以外にないと言っているんだそうだ」 私はそのとき、あのガッシリと肩幅の広い小柄な山下のことを思い浮かべていた 。ついぞ今まで山下が私に対して、特 別の態度に出たことは一度もなかったと言ってよかった。私の家に遊びに来る時も 一人で来るなんてことは一回もなく 、いつも二三人連れでやって来ては、応接間で二三時間父と何かと話を交えて帰っ て行ったり、庭に出てみんなと一緒 に騒ぎまわるくらいなもので、私が一緒にゲームに加わった時にも、みんなと全然 同じように振舞っていた。しかし、 そうした何でもない態度をとりながら彼のキラキラ輝く目が私の上に時折激しく襲 い掛かっていたのかも知れないと考 えると少し嫌な気がした。 ただ私が山下さんのことを良く覚えていたのは、父がい つも山下・二宮と二人を並べて対照 的に話していたからだった。どちらも稀に見る秀才として教授仲間でも評判が高い らしく、東の山下西の二宮と学生仲 間でも二人をライバル視していた。でも二人は親友と言ったほうがよかったろう 。おっとりとした二宮と、まるで才能 が地面まで吹き溢れてきたような山下とはかえって陰と陽の取り合わせよろしく 、気が合うところがあったらしく、二 宮さんとのお話の中でも信夫さんが、山下を深く尊敬している気持ちが窺われるこ とも良くあった。 「山下は今にきっと大を成す男ですよ。彼と話しているとつくづくこっちまで魅せ られてしまいますね」 と信夫さんが言ったことを覚えている。 『山下君の父君は人も知る、山下真男教授。日本ばかりでなく、世界的な大科学者 だし、悪くはない縁談だと思う。ま あ考えておいてくれ。何しろ社会の雲行きがおかしいこの頃だから、親にしてみれ 早く我が子が一人立ちした姿を見た いものなんだよ」 私は父の話が大してことを急いでいるらしくも思われなかったし、山下の父の話も 、料亭でたまたま会った席での話だ ったように受け取られたので、 「ええ、考えておきます」と言って父の下を引き下がったのだった。 ところが、話はそんなにのんびりしたものではなかったのだ。私の両親も、山下の 両親とも、その話に大の乗り気であ ったらしく、ただ私が承諾しさえすれば、式のほうも山下が大学を九月に卒業した らすぐにでも挙げてしまおうという ところまで、了解がついていたものらしかった。私はうかうかと術中にはまってし まったような形になり、誰一人のし て相談相手もないままに、私が「行きます」と言うか、「嫌です」と言うか、その 一つにすべてがかかっているという 苦しい立場に追い込まれてしまった。 私の母も山下との結婚には大の賛成で、一日 も早く私の花嫁姿が見たいらしくっ てかえって父よりもしつこく「お前、決心がつかないのかい。女ってものは誰に嫁 いでも結構同じもんなんだよ」とか 、「もう、こうなっては先方にお断りすると失礼に当たる」とか、何かと私の決心 を急がせようとするのだった。私は 信夫さんのことがあることを誰一人打ち明けるわけにも行かず、毎日自分の部屋で 女の悲しさを泣いたものだった。 信 夫さんに打ち明けて話そうかと思ったが決心がつかなかった。信夫さんはまだ学生 だったし、郷里から仕送りを受けて いる身の上だったし、実家もあまり裕福なようでもなかった。山下のほうは、学生 ではあったけれど、家がブルジョア だったから、私と結婚しても、生活費に困るようなことは考えられなかった。大学 を卒業しても大学院に残って悠々と 学究生活が続けられるだけの財力があった。そしておそらく、九月までに卒業して も彼は大学に残ることだろう。私は 信夫さんが、これから先どういう方向に進もうと考えているのかあまり詳しくは知 らなかった。彼も学問を続けたいと は漏らしていたが、それを充分続けられるかどうかわからないとも言っていた。 私に縁談の話があってから一ヶ月間ぐらい一度も信夫さんの下宿を訪ねて行かな かった。本当にどうしてよいかわか らなかった。両親に打ち明けるにも、信夫さんがはっきり結婚してくれるとまで言 ってくれていなくては、話になりそ うになかった。それで一月たったある日、信夫さんの家に訪ねて行った。 と、何と言う皮肉な運命の巡り合わせだったろう。ちょうど彼の下宿に山下が訪ね て来ていたのだ。私はそんなことを 知らず、例によってオバさんの目を忍んでそっと二階に駆け上り、信夫さんの部屋 の前で「信夫さん」と小さな声で部 屋の中に呼びかけていた。その声が何とうきうきと甘い声に聞こえたことだろう 。一月もの間、自分の部屋に閉じこも って、悲しい思いばかりに打ちひしがれていた自分が、こんなにも明るい声がたて られるかと不思議に思われるような 声だった。いつもの「信夫さん」という声と比べれば少しは緊張したものがあった としても、乙女が恋人を呼ぶあの甘 さとあの心細さが交じり合った声だった。 内からドアを開けて信夫さんが顔を出した。私は、もうすぐにでもその胸の中に飛 び込んで泣きたいような気持ちに駆 られて、信夫さんの顔を見た。と、その顔は赤く上気して何となくいつもと違った 緊張したものがあった。私も何か部 屋の中に人の気配を感じて、ちょっとしまった、と思った。低い小さな声で彼は 、今ちょうど山下君が来ているところ です。どうぞお入りになってください、と言った。その声の中にぶるぶる震えるよ うな怒りが含まれているように思わ れた。それにしても、何てまずいことになったのだろうと思って、軽率に信夫さん なんて部屋の外から呼びかけた自分 が悔やまれた。きっとあの声から、山下にもそれが私の声であることがわかったろ う。今更逃げ出すわけにも行かなか った。 私は心を締め付けられるような思いで部屋の中に入っていった。部屋の本箱の前 に山下が座っていて、如才なく私に お辞儀をした。 「ちょっと下に行って座布団をもう一枚借りて来るよ」 信夫さんは、部屋を飛び出して行った。私は今まで、信夫さんが座っていた座布団 を勧められたもののその前に座り込 んで小さくなっていた。 山下とたった二人きりの部屋の雰囲気がとても耐えられなくなって逃げ出したくな った。信夫さんが上がって来るまで の時間がとっても長く感じられた。事実信夫さんは下に長くいたのかも知れない 。後からの話で、あのとき、信夫さん が悔し涙を下でこっそり拭いていたのかも知れないと思う。 山下も、いつもの彼にも似合わず少々その日は如才ないところが欠けていたように 思う。そしてこんなヘマな質問を して自分自身を憐れっぽく見せたりしたのだ。 「ここには良くいらっしゃるんですか」 山下が訊いた。山下自身にしても口に出した瞬間しまったとその質問の意味にたじ ろいだことは良くわかった。私はそ れほど悪人ではなかったにしろまさか「ええ」とも言えず、「いいえ」と言ってし まったが、「あんまり」とつけ加え て、思わず顔を赤らめ、下を向いてしまい、冷たく堅い心のジンと痺れるのを感じ ていたのだった。 彼にはこんな質問 をするまでもなく、私と二宮との間のことを、部屋の外から一口「信夫さん」と呼 びかけたあの言葉からすでにわかっ ていたことなのだし、私がたとえ「いいえ」と言ったにしてもそれは何の意味をも 持たなかったろう。私達はついぞ人 前で「信夫さん」とも「龍ちゃん」とも言ったことがなかったのだった。 やがてお盆を持って信夫さんが入ってきた。私は彼の顔を見上げる気にもなれな かった。 「熱いお茶でも煎れようと思ってちょっと沸かしてきたんだ。それにひとっ走りし てお茶菓子も買って来た」 信夫さんは努めて快活に言ってのけた。 「龍子さんが来るとぐんともてなし方が違うね」 山下もそれに応じて快活に言った。私もできるだけ快活にしようと思って、信夫さ んが勧める熱いお茶を 「いただきます」 と言って、おいしそうに飲んだ。 でもその日のあの三人ほど、三人三様別々の思い に沈みながら、できるだけ相手に自 分の本心を見破られまいと思い、勝手に、可笑しそうなことを言って、勝手にアハ ハハと笑うと他の二人もさも可笑し そうにお追従に笑うと言うそのちぐはぐな感じと言ったらなかった。 話は一向に盛り上がらず、つながりのないものとなり、ただ重い空気のみがそこを 支配していた。 私は信夫さんが、私 と山下との縁談については何も知らず、ただ、私が妙なところに飛び込んできて 、甘ったれた声で信夫さんなんて言う ものだから、山下に対して気まずい思いをしているに違いないと思い、山下は、私 が信夫さんとかなり親しくしている ことに気づいて驚き、二宮には内緒で縁談を進めていることを内心びくびくしてい るのだろうと思っていた。でも、そ うではなかったのだ。 後で、山下と二宮から、それぞれ別々に聞いたことなどをつなぎ合わせるとこうな のだ。 その日山下が信夫さんのところに訪ねてきて、私と山下との縁談について洗いざら い話していたのだ。それも、かなり 希望的観測もつけ加えて、ほとんど婚約のところまで行っているらしく話したもの らしい。もちろん私と信夫さんの仲 を知らないとすれば山下は親友に対して、そんな打ち明け話をするのも同然だった ろうし、両家の間でかなり話が進ん でいることも確かだったから、婚約も同然のような話をしても、山下を責めること はできない。 責めるとすればむしろ信夫さんのほうだろう。なぜなら、私と信夫さんが深く愛 し合っていることを、山下を親友と 思うなら打ち明けておくべきだったのだ。そうすれば山下だって、親友の恋人を横 取りするような婚約を申し込んでく ることもなかったろうに。 信夫さんは、あの日訪ねて行った私をそれではどんな目で見ていたろう。きっと不 実の女、裏切り女と思って見ていた ことだろう。自分には一言も打ち明けないで、陰でこそこそ山下と婚約話を進める なんて。その心は怒りに燃えていた に違いない。私を蔑み、ののしり、あらゆる罵倒の言葉を心の中で叫んでいたに違 いない。女性に対する、いや人間そ のものに対する信頼の念さえ、根底から覆されていたに違いない。憎悪の炎がぶす ぶすと信夫さんの心の中で燃えてい たに違いない。私の小娘らしい横顔が純真そうに見えれば見えるだけ、まるで、悪 魔が仮面をつけて、この世に舞い降 りたもののごとく、思ったに違いない。私は心ならずも、この世の中で最も痛まし い裏切り者の烙印を、最も愛してい たあの人から押されていたに違いなかったのだ。 山下が、「俺は帰る」と言って立ち上がったのを潮に、私も立ち上がった。山下 の手前、後に居残るわけにもいかな かった。そして、二人一緒になって玄関を出た。信夫さんは、玄関まで送ってきた が、私たち二人を送り出して急いで 階段を上って行った。 もうすでに外は薄暗くなっていて、街頭の灯りが輝きを増してくる頃だった。お宅 までお送りしましょうと山下が言う のを私は振り切るように断って、一人で足早にその場を離れた。山下はそんな私を しばらく後ろにたたずんで見ていた が、私が最初の過度を曲がる頃、ちょっと振り返って見ると、その姿は薄灰色の春 の夕暮れの色の中を次第に小さく遠 く消えていきつつあった。 私は角をちょっと折れてからよほどそのまま引き返して、信夫さんのところにまた 行こうかと考えた。そして数歩引き 返してはまた思い直し、また引き返しては思い直し、その場で数分行ったり来たり していたが、折悪しく、誰かが信夫 さんの下宿の方から近づいてくるのが見えたので、重い心を重い足取りに載せて 、その日は自分の家に帰った。 翌日訪ねていくと玄関に錠がおりていた。その翌日は母とどこかに出かけることに なって、訪ねて行けなかった。そし て三日目、信夫さんの下宿を訪ねていくと、オバさんが玄関の前を掃除していた。 「信夫さんいらっしゃいます?」 「あら、貴女にはお知らせしなかったのかしら、信夫さん、昨日引っ越して行った んですよ。なんだか研究が急に忙し くなって、学校にもっと近いところがいいとかおっしゃって」 「それじゃ引っ越して行った先の住所を教えてくださいませんか」 我ながら、いいことに気づいたと思った。彼が引っ越して行った原因を一番良く知 っているのはこの私だ。と思ったけ れど、信夫さんが私と山下との縁談を知っているとは思わなかったから、やはり研 究も忙しいんだろう、それにしても 大人気ない、私が信夫さんと仲良しなのが山下に分かったからって、それほど怒る 必要もないじゃないのと甘く考えて いた。私はやはり信夫さんに私の本心を打ち明けて、山下との婚約を断ろうと、あ の日以来思い続けていたので、オバ さんが「郵便物が来たらここの送り届けて下さいって言って、こんな宛名を置いて 行きましたけれど」と 手渡してくれた、住所を頼りに中一日もおかずにそこを訪ねて行ったのだった。と ころが、そこには彼はいなかった。 感じのよさそうな中年の女の人が出てきて、 「ええ、二宮は私の遠縁に当たりますけど、下宿を変わったてのは知りませんよ 。時々私のうちに信夫さん宛ての郵便 物が舞い込むことはありますけれど、ちゃんと自分で取りに来て持って行くんです よ」ということだった。 私はその人に、信夫さんの住所がわかったら知らせてくれるように頼み込んで 、しょんぼりと家に帰ったのだった。 と私の家に親書が待っていた。私の親友の赤塚明子の名が認められていたので、そ のつもりで封を切ると中は信夫さん からの手紙だった。きっといつか彼に赤塚さんのことを話したことがあったのを覚 えていて、わざわざそれを偽名に使 った用心深さが私にはわかった。きっと本名で書いたので私の両親が訝しがると考 えたのだろう。 「龍子さん、貴女にはもう二度と会わない決心をしました。どうしてだか、それを 一番良く知っているのは貴女のはず です。僕はこれまであまりに人間を知らな過ぎたようです。人間が僕が考えている より、ずっと利巧なものだというこ とがつくづくと良くわかりました。人間は一人一人自らの幸福をつかむ権利がある のです。貴女がこれから幸福な一生 を送られることを僕は心からお祈りするだけ心の余裕はあるつもりです。でも、本 当を言えばそんな余裕がないと言わ なければならないのかも知れません。僕は今貴女をひどく憎んでいます。こんな心 で、幸福をなんてことはきっと言え ないことでしょう。 一切を山下から聞きました。近くご婚約なさるそうですね。山下にとっていい奥 さんになって下さい。山下家と浅岡 家にとってこれほどめでたいことはないでしょう。 さよなら 永久に アデュ 浅岡龍子様 二宮信夫 」 私はこの手紙の上にポロポロと涙をこぼしていた。あんまりひどいと思った。信夫 さんなんてそういう人なのか。私の 言うことを全然聞かずに、全部が全部誤解に基づいた手紙を遣すなんて。いつ婚約 を近くすると言ったろう。私は信夫 さんに私の本心を打ち明けて、山下との縁談を断るつもりだったのよ。信夫さんの バカ。永久になよならだなんて、な んて茶番じみたことを言うのよ。まるで喜劇の主人公じゃないの。バカ、バカ、私 の気持ちも知らないで。お便りに住 所も書かなかったのは、気を利かせたつもりなの。これじゃ私には何も言い訳でき ないじゃないの。私のことはどうな ったって知らないつもりなんでしょう。信夫さんがそんなつもりなら私だってもう どうなっても知らないわ。ええ、私 は山下のいい奥さんになりますわよ。何にだってなりますわよ。信夫さんを見返し てやるわ。山下のもとにぴったりと 寄り添って賢妻ぶりを発揮してみせるわ。私のその姿を信夫さんの前で見せ付けて やるわ。 私はその年の六月、山下と婚約した。 私はもうどうにでもなれという気持ちもあったし、周りの情勢から婚約を断りき れなかったのだ。 私が二宮と結婚すると言い出したところで、両親が許さなかったろう。当時は親 の言い分が大きな比重を占めていて 、その同意がなければ勝手に結婚するわけには行かなかった。それに二宮さんが私 のもとを去って行った今となって、 私に何ができたろう。彼を捜し出すにも、私には方法がなかった。まさか父や山下 に彼のところを教えて欲しいとも、 住所を探してくれとも言えなかった。事態が切迫していて、私の家より格が上の山 下家との良縁を父母はそれは心から 喜びもし、私が何の理由で承諾を渋るのかと毎日、何かかにやとうるさいのだった 。 私は諦めたようになって「山下のもとに参ります」と五月の末頃ついに母親に言 った。私はそう言った後で自分の部 屋に走りこんで長いこと閉じこもって泣いた。泣けて泣けてしかたがなかった。二 時間も泣いたろうか。さすがに涙も 乾いてきた。うつぶせた顔を上げて窓の外を見ると、涙で霞む目に二宮さんが前に 下宿していたあの二階家が見えた。 私はまたたまらない気持ちが胸の奥からこみ上げてくるのを感じた。西の空には美 しい夕焼け雲がかかっていた。あの 茜色の静かな夕暮れの色を今もはっきりと覚えている。女が自分自身の一生をある 決定的なものに預けてしまったとい う哀しみの心とその空の色は良く似合っていた。 自分から進んで行くのなら、どんなにかそれは美しく見えたことだろう。でも 、心の底から愛していた人とは結ばれ ることもできず、はたからむしろ強制的に嫁がされる女の悲しみがすでに明るさを 失った西の空の、黒々とした茜色に 融け合うものを持っていたのだろう。時はまさに夏にならんとしていて、辺りの木 々は緑も濃く、夕べの風にザワザワ と音をたてていた。私は涙の乾くのも忘れて暮れて行く五月の外界をしみじみと眺 め尽くしていた。
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| 1962.2.16 | 金曜日 |
午後7時47分 鈴木紀代子さんからお便りを貰う(切手消印:下谷37.2.15 後0−6)。 試験勉強にも飽きた午前四時二十分から五時十分までに書かれている。思いつくま まに。と断り書きがあるから一つに まとまってはいない。多くのことが書いてある。彼女が本質的にクリスチャンであ ることがわかる。私にも神を知って 欲しいという。私のために祈っている人がいるという。私はしかしまだまだ多くの ことをむしろ自由な立場から知らね ばならぬと思う。でも彼女の時折の手紙はやはり私には貴重だ。
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| 1962.2.18 | 日曜日 |
異常なことが多すぎる世の中だが、この頃は天候まで異常乾燥とかで、世の中の異 常さをますます煽り立てているよう に思われる。東京でも一月の降雨量が〇・〇二mmだったとか、平年に比べても大変 少ない量らしい。 空気が乾きに乾い ているために大方の人間が頭の中まで乾いてきて、イライラし始めている。乾いた 空気がノドを傷め、インフルエンザ がものすごい勢いで全都を覆い尽くしてなお全国に広がりつつあるという。私もそ の哀れな犠牲者の一人なのだ。 全都が痛い頭を抱えている。イライラしている。その中には度が過ぎて異常な振る 舞いに出る者が立ち現れる。放火魔 もその一人。このカラカラに乾いた木造の建物ぐらい面白いほどによく燃えるもの はないであろう。 「消防車が駆けつけてね、野次馬が集まってね。火がボンボン燃え上がっちゃてね 、面白くってたまんねえゃ」 と少々頭の乾いた奴が今朝もうろうろと深夜の街中で活躍したとニュースが伝えて いる。 頭が乾くと誰でもそうだが思慮分別がひどく鈍くなってくるものなのだ。おまけで 自動車事故もますます盛んなようで ある。土台いかれたような奴まで自動車の運転台にふんぞり返っていて人の一人や 二人轢き殺したってとうそぶいてい るというもの空気の乾燥したせいにでもしなければ常人には納得が行くまい。三歳 の幼児を轢き倒しておいて、病院へ 運ぶ途中で放り出して殺してしまった大変な奴まで立ち現れるに至っては、もう何 をか言わんやという気がしてくる。 頭が乾いているのはいわゆる我が”国民”の方ばかりではない。国会議員だってご 多分に漏れぬ。国会の答弁を聞いて みれば彼らがいかに異常乾燥に無防備かわかる。ヘチマダワシみたいに乾いた頭か ら、内容の豊かな質問も、内容の豊 かな答弁も出てくるはずがない。単なる舌の上の言葉のこね回し、ひねくり回しで 「それはそうでしょうけど、それは そうではない」といったような答弁が堂々と国会の中をまかり通っている。 近頃新政防法なるものも提出されかなない雲行きだ。一雨降ってからでも提出し たほうが、審議も実のあるものとな ろうと思う。選挙法もその改正案が選挙法審議会から出されているが、自民党側か ら内容に対して強く不満が出ている 。選挙法は従来四大ザル法の一つと言われ、自ら作った法を自ら踏みにじる頭の乾 き過ぎた連中が皮肉な法治国の現状 を晒していたものだけど、こんな異常乾燥の下でせっかくの改正案をひねくり回さ れたんでは、まったくのところ、ド ロボーに刑法を作らせるようなものであろう。 国会議員もドロボーになぞえられて、気を悪くするような気概のある人ばかりな ら頼もしい限りなのだけれど、中に はドロボーはおそか乞食同然のまでいて、ひたすら頭をペコペコ下げて、お恵みを 請い求め少しも恥じない連中が決し て少なくないだから、やっぱり国民としてはドロボーに刑法を作らせたくないのと 同様に、乞食にも乞食にだけ都合の 良い法律を作ってもらいたくないと思うのである。
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| 1962.2.18 | 日曜日 |
文化放送で週間ニュース特報みたいなものを今やっている。 私もうかつだったが 二月十一日といえば昔の紀元節であ る。そこで新旧対照の鮮やかさをまざまざとマイクが伝えてくれる。厚生年金会館で のものものしい儀式調と明治神宮 やジャズ喫茶店でつかまえた若者の発言との対比!一方が建国の精神に立ち返って とのたまい天皇万歳を三唱すると思 えば、明治神宮に二月十一日たち現れた若者、マイクを突きつけられて、二月十一 日って何ですか。紀元節だなんて全 然知らんですっていう。喫茶店の女の子は、私お休みは新憲法の下でのだけで十分 よ、変な古臭いのが復活してくるの はお断りだわ、やっぱり時代のずれってものを感じるな」という。聞いてて小気味 がよい。 時代精神というものを考えてみるとき、それが前時代に対する徹底的な批判でな ければならないと思う。「ならない 」といったような言い方は別としても、事実、前の時代の精神は、後の時代の精神 によって否定されて行くものなのだ 。なるほど我々にとって明治維新以後の精神に学ぶべき点が全然ないことはないで あろう。しかし、現代は敢えてそれ らすべての面を否定することによって成り立っているといってよい。我々には生半 可な態度は許されていないと思う。 なるほどなるほど、それもいいこれもいいと古き良き精神をあれこれと取り入れる よりも、貧しいなりに自らで自らの 時代精神を培って行くべきものなのだ。そこに創造がなければならぬと思う。 明治維新の偉勲者らがよしんば建国の意気に燃え、新しい国を作るのにどれほど 貢献したかを一歩下がって認めたと しても、我々は敢えて、現在に彼らの精神を必要としないのである。我々が事実彼 らの恩恵の中に浴していることも一 つの真実かも知れない。しかし、我々はその恩恵を受け入れないのだ。我々が生き ているのはまさしく現代に他ならず 、我々の課題はこの時代そのものの中のみにしかない。我々は我々自身の時代精神 を創造して行くより他はない。我々 が生半可に前の時代の恩恵を受け入れるならば、我々は遠く徳川時代の大名にも 、室町時代の将軍にも頭を下げなけれ ばならなくなるであろう。彼らもやはり日本国を今日まで存続せしめた偉勲に違い ないからだ。 しかし、今日の国民は 全く彼らの時代のそれと異なることを忘れてはならない。長い歴史の流れを通じて 、絶えず歴史の最下層にあった人民 が今初めて歴史の中に頭を現したのだ。この国民にとっては、明治維新の偉勲らも 否定されねばならぬ階層に属しているのだ。革命が、常に前の時代の治者を否定し 去り、前時代を徹底的に破壊しつくすように、今日、古い殻を破って新しく歴史の前 に登場した国民は、すべてのアンシャン・レジームを破壊しつくさずにはいないで あろう。それが例え壮麗な大建築物であっても、惜しみなく破壊しつくすがよい 。その廃墟の中に、自らの手で小さなバラックを建てて慎ましく住むほうが我々に は似合っているのだ。 8時08分
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| 1962.2.19 | 月曜日 | 1962.2.19月曜日 4時03分 明日、試験が一つある。例によって、準備が全然できていない。教科書を今のところようやく半分位読み終わったが、まだ150頁位残っている。これが二度 目ならともかく一度目なのだ。 一時間で18頁平均しか読めないから、後十時間は一回素読みするだけにかかる。覚えながら読むなんて言ってられない。今更昨日あんなにのんびりとだべっ たり、歩き回ったり、眠ったりしなきゃ良かったという気になる。わかっちゃいるけどは人間に通性のものらしい。 |
| 1962.2.20 | 火曜日 | 1962.2.20午後
11時45分 ◇Typewriter購入、ノイマン現代史」購入 ◇五百川嬢、探偵小説が好きだって言って、「樽」と「Xの悲劇」を借りてった。 比較政治論の出来は散々だったけれど今日は大して悔やむ気も起こらない。そんな感じの日だ。磯野君と出くわして色々と話し合った。三月初旬にでも小林先 生のお宅に伺うということになった。 六時半かっきり、五百川さんが来てくれた。時田さんからタイプライターを買おうと思って、その検分を彼女に頼んだのだ。色々と細かに調べて貰って一万円 でなら買ったほうが得よとの彼女の進言もあって、買うことに決めた。少々音が高いのが気にかかるが、決して無駄な買い物ではないと思う。 それが終わって彼女と喫茶店に行って、コーヒーを飲みながら十時半まで駄弁った。主にキリスト教について。色んな点で得るところもあった。 今帰る途中で開化丼とかを食べて帰ったところだ。 FENを聞くと、どうやらアメリカが待望の人間衛星を打ち上げたらしく実況放送が行なわれている。今日はノイマンの現代史(上)を買ってきた。試験の合 間に少々読みたいと思って。 |
| 1962.2.21 |
水曜日 |
1962.2.21
AM0.25 ちょうど、この日記を書き終えて間もないころだった。FENで、5,4,3,2,1発射!とまさしく記念的瞬間の実況を聞いた。時十一時四十七分。グレ ン中佐を乗せた人間ロケットは今やその第一回目の周運軌道を飛んでいる。一人の人間の生命と、全自由主義陣営の期待と、米国科学陣の威信とをかけて、人間 衛星は人間の頭上を高く高く飛んでいる。 ともあれ、無事回収と、グレン中佐の生還を心から祈らずにいられない。 |
| 1962.2.21 | 水曜日 | 1962.2.21PM12.
10 人間衛星成功のニュースを初めて耳にしたのは午前八時である。八時少々前に目を覚まして八時のニュースを心待ちに待ったのだった。すでに成功か不成功か はわかっているのだと思って少々どきどきしていた。だから、ニュースが成功を伝えた時、少なからず安堵の気持ちが私の心に満ちたのだ。 何事であれ成功することはうれしいものだ。それが今度のように人間の生命までかけられた実験ともなると、その成功を念じたくなってくる。事前に成功率が 五十%しかないとも言われ、度重なる延期はますます不安の念をつのらせていた。 この成功が多くの自由主義陣営の人々の心にほっとした気持ちを与えていることであろう。ソ連の強力ロケットの力にはまだ及ばないにしても、アメリカも相 当 なところまで行ったという気持ちを抱かせているに違いない。 それに彼らを少しく誇りに感じさせるのは、この実験が全くの公開の下に、行なわれたことであろう。何度かの延期もその都度発表され、故障発見による秒読 みの中断も、搭乗するグレン中佐も、一切が国民に明らかにされていた。そうした衆人環視の中に行なわれ、しかも、成功した点に多くの人々が誇りを感じてい るに違いない。 確かにこの点アメリカという国がソ連に対して誇りうる最大の美点の一つであろう。民主的という言葉が簡単にどちら側にあるとは言えぬとしても、この場合 はアメリカに軍配を上げざるを得ない。 一歩一歩完成に向かって前進する人間の努力の尊さをこの一進一退の下に行なわれた実験の成功が我々に示してくれる。科学的進歩はかくてこそあるべきだろ うことを示してくれる。 何と多くの人々の協力と努力が、一個のロケットを無事宇宙空間に打ち上げ、無事帰還させるために注がれていることか。あらゆる人間が自ら可能性の限界を かけて一個の実験の成功のために昼夜を分かたず取り組む、その真剣な態度が何よりも増して我々にとって教えるものを持っている。 とにかく、成功したことは良かった。 |
| 1962.2.21 |
水曜日 |
1962.
2. 21 午後10:35 七時十五分頃鈴木さんから電話があって、本を貸して欲しい、今から借りに行くとのことであった。 駒込駅前に迎えに行って、彼女はしばらく下宿にもやって来た。僕はお人好しだから日記などまであちこち見せたりしたが、結局僕が感じたのは彼女との違和 感だけであった。今がその絶頂にあるのかも知れぬ。大して深入りしたつきあいももうしたいとも思わなくなった。 私自身の本質を彼女から理解などして貰わなくたってよい。そんな気持ちだ。面と向かって「アデュー」とでも言ってやりたい気持ちだ。 自分の内面のみが彼女にとっては唯一の価値。ああ、その内面の尊大さよ!ツキアイキレナイヤ。 |
| 1962.2.23 |
金曜日 |
1962.2.23 ◇重馬叔父さんのところへ行き、碁一勝(四目) ◇八時五十一分。 人様々であれば、日記も様々なのは致し方ない。おのれの日記がこうだからといって、人の日記までその型にはめ込もうなんて考えてはいけぬ。そもそも、日記 なんてものはどうあるべきものではなくて、ただ日々つけられるという唯一の共通の性格から日記と総称されるに過ぎず、あれは日記だが、これは日記でないな んて誰にも言えたものではない。むしろ一人の人にとっては日記はおのれがつけているもの以外にないと言ったほうが適当かも知れぬ。世に人の数だけの日記が 存在しうるとしても日記として直に目に触れ、読み返しのできるのは自分のもの以外にはない。 したがって、日記は誰からも制約を受けず、誰からも模範を示して貰わず、自ずからその人の性格にピッタリした、身長に合った型を持つに至ると言えよう。 しからば、他人に日記なんてものを覗かせるのは大いに警戒するがよい。覗かして貰った当人も結局は理解できず、単なる失望をうるに過ぎないのだから。 日記を得々として他人に見せ、うれしがるのは愚の骨頂である。日記を見せてもらった当人とて少しもうれしく思わないであろうし、見せた本人とて、相手が 大して関心も興味も見せず、面白いわねとも言ってくれぬとあらば、自分の一番大切なものを見せたのにと大いに悔しがるに違いないのだから。 日記は自分自身のためにこそ書かれ保管され、愛されねばならぬ。 |
| 1962.2.24 |
土曜日 |
1962.2.24
(土曜日)午後8時45分 1957年7月1日の日記に次のような詩が あった。愛すべきものとしてここに書き記す。現在の私の精神に対する一滴の清涼剤、私の反省の具ともなろう。 かげろう 透き通った水色の羽をして 私の窓辺に訪ねてきたおまえは はかなきものの代表の如く 憐れまれている お前のその短い一生の貴重な時間を割いて よく私を訪ねてきてくれた 私も私の貴重な時間を割いて お前に歓迎のことばを贈ろう 今日と同じような雨の夜に 訪ねてくれたかげろうは お前の曾じいさんかい。 お前のように水色の羽をしていたよ。 耳を澄ますと雨の音はきれいだね お前の一生は暗夜の中でついゆるかもしれない しかしお聞き この天然の調べを お前の生命は この雨が止むときすでになかろう、しかし お前のたましいには この楽しみがいつまでも残っていよう お前の巡り合わせは 雨夜を愛でることができた 私の運命は お前と語り合えるのだ 17歳の私がある雨の夜、私の勉強机の灯を慕ってやってきた、薄水色の羽をしたかげろうにやさしく語りかけているのだ。 ああ思い出す。あの水色のかげろうの弱弱しい雨に濡れた羽の色さえも、あの夜の雨の音さえも、そして、少年らしい柔軟な感受性に満ちた、私の 幼い魂のおののきさえも。 やはり私にもこんな魂の詩が書ける日があったのだ。この頃の私には、あまりに考えすぎる精神と、理屈っぽい文章と、自分自身のひたむきさから遊離してし まった要領よさとが絡み合って、意味の乏しい文章を毎日毎日、原稿の升に埋めているに過ぎないのではないか。 魂の純粋さを決して失ってはならないと思う。 |
| 1962.2.25 |
日曜日 |
1962.2.25
(日曜日)午後8時20分 ◇10:30礼拝 ◇家から8千円送金あり。 ◇東大の入試には、松尾昌明君が文一に挑戦するらしい。彼は私の家の前に住んでいた。幼い日からの彼を知っている。新建には出来るやつが多い。 ■ 本当に久し振りに聞く雨の音だ。今しがた、ポツポツとまばらな音がしていたのだが、にわかに雨足が増して、あたりを覆い尽くすさんばかりの雨の音に変 わった。私のこの場所からは窓ガラスに打ち付ける雨も見ることはできないけれど、ただ窓打つ雨の音だけがパチパチと風の音に混ざって聞こえてくる。かなり 激しく降っている。これで一月以上も乾きに乾ききった大地が、しっとりと湿り気を帯びてくれるといい。 この雨くらい人々から待ち望まれていた雨はない。ラジオのお天気相談はこのところ毎日のように、いつ雨が降るかの情報ばかりを流していた。申し訳ないの ですけど雨はなかなか降ってくれないようですと一頃は言っていた。こうして人々が待ち望んでいた雨だ。この雨の音を、この久し振りの雨の音を、今、何と多 くの人々が、しみじみと聞き惚れていることだろう。 乾いた人の心にも、平安と安らぎを与える雨の音だ。まさしく、これぞ慈雨。また良し夜の雨の音。 |
| 1962.2.27 |
火曜日 |
1962.2.27
(火曜日)午前0時58分 ◇自宅に葉書。ご送金の御礼。近況報告。タイプライター購入の件。和夫激励。中山氏の件。松尾君の件。 ■私の下宿の前の家は金沢という。病院をやっているからその名を覚えた。ところで、両隣の家はおろか、筋向いも、ここいら一帯にあるどんな家の姓氏もはっ きりとは知っていない。これがほぼ一ヵ年同じところに住んでいたあげくのことなのだ。 このあたりはごみごみと小さな道が沢山あるが、学校に行く道と食事とお風呂に行くのに使う道との二つ以外一度も通ってみとあこともない道ばかりだ。 50mも先まで見通せる道もその先がどっちに曲がり、どこのつながっているかとんと知らぬ。どの家にどんな人が住んでいるかなどになるとこれこそ皆目見当 がつかない。私の下宿の部屋の真下にあって毎日水洗便所の音だけ聞かせてもらっている家の住人にしたところが、どんな人がいるのか全然知らない。 これが他ならぬ私の現状なのだ。 これほど東京は無関心な生活が出来、無関心を育てていく環境があるのだ。私は驚くべきことだと思う。そしてこの状態は一つところに何年住んでみても続き そうに思われる。 |
| 1962.2.27 |
火曜日 |
1962.2.27
(火曜日)午後12時50分 明日限りで試験も終わる。今から、そのときの解放感を考えてうきうきするしまつだ。色んな楽しいことを沢山やってやろうという気持ちと、試験が終わって もあまり浮き腰たたずに地道に勉強しなきゃだめだという気持ちとが、今私の心の中で明日の試験を跳び越えて、争っている。 しかし、どちらもうまく立てて行きたいというのが本音であろう。やはり、せっかく試験も終わったのだし、適当に映画も見、ダンスにも行き、文学書も読 み、碁も打って、楽しさを満喫することも必要だろう。 ところで、それも度が過ぎて、一週七日間来日も来日もそればかりでは、試験で少々締まってきた脳味噌がまた海綿みたいにフニャケてしまう。 試験中に読んだヴィーグラドフの評伝の次の一句でも絶えず頭にしまっていなければなるまい。即ち「出版された著作物は大小とりまぜて実に二六六 点、それは悉く、永い間毎日十二時間ずつ勉強したという努力家、フィッシャーをいう「巨人の労苦」Cyclopean toil をもって一生を貫いた学徒の苦心の結晶であった。」 ヴィーグラドフの天才にしてが一日十二時間勉強したのである。私は日に四時間も勉強したらましな方であった。少なくとも一日八時間勉強しよう。朝八時に 起きて、九時〜十二時まで三時間。夜七時から十二時まで五時間やれば一日八時間にはなる。その日の都合で時間割が変わることにまで窮屈な枠はまめる必要は ないにしても、少なくともそれだけの時間を勉強のために確保してから他のことはやることだ。 ヴィーグラドフはまた語学の天才で、十二ヶ国語読め、自国語を除いて五ヶ国語、話し且つ読むことができたという。私はまだ英語さえ話したり書いたり自由 に出来ない有様だ。この春休心して語学に精を出そう。 何事も最初が肝心なのであって、春休みが一月も一月半もあるなどと考えていると、気づいた時はすでに半ばを過ぎてしまっていたりすることになる。後半 は、前半何も出来なかったことのあせりばかりが先走って、ただその後悔にのみ時を過ごすことが、これまで毎度のことであった。だからくれぐれも最初が大切 ということを忘れてはならない。 明日試験が終わってしまうとその解放感から、ついなあに一日や二日遊んだってという気になりやすい。その惰性で休み全体を転がり落ちた苦い経験は今度こ そは生かされねばならない。明日になって心変わりしてからは、こんな文章はなかなか書きたくないものだ。今日のうちに認めておいて明日はこれを読み直すべ く手はずを整えているのである。 ーもしいまを尊ばなければいつとい うときがあろうか。 これこそ私の金科玉条でなければならぬものなのだ。タイプライターも買ったことだ。しっかりした技術をつけておく努力も怠るまい。私の本棚にうずたかい 未読の本も整理せねばならぬ。学校の教科書も目を通すべきものが多々ある。 まさにこの春休みはウカウカできぬのである。勉学と適度のリクリエーションとをうまくかみ合わせていかなければならないのである。 |
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