|
|
|
|
|
|
筆者、21歳〜22歳、大学三〜四年生当時の日記の
連載を始めます(2003年4月30日)
|
ここには、「文芸日記1962」を掲載しております。
(2003/5/1~2003/8/5)。
(1961/12/20〜1961/12/24)(2003/5/1 掲載)
(1961/12/28~1962/1/1)(2003/5/8掲載)
(1962/2/1~2/2)(2003/6/13 掲載)
(1962/2/4~2/11)(2003/6/18
掲載)
(1962/2/11~2/14)(2003/6/19 掲載)
(1962/2/14ー2)(2003/6/25 掲載)
(1962/2/15〜2/18)(2003/6/26 掲載)
(1962/2/18-2)(2003/6/27
掲載)
(1962/2/19-2/20)(2003/7/1
掲載)
(1962/2/21-2/23)(2003/7/3
掲載)
(1962/2/24 -2/27)(2003/7/24
掲載)
(1962/3/1 -4/15)(2003/8/5
掲載)*
************
| 年月日 | 曜日 | 日記本文 |
|---|---|---|
| 表紙裏に |
1962.1.17 |
22の歳を重ねて生きる日々の楽しきことも嬉しきことも |
| 日記扉に |
各人の中には、驚くべき可能性があるのだ。 君の力と君の若さを信ぜよ。 絶えず言いつづける事を忘れるな、 「僕次第でどうにでもなるのだ」と。 アンドレ・ジイド「新しき糧」より **************
|
|
| 1962.3.1 | 木曜日 |
1962.3.1(木曜日)
|
|
1962.3.2
|
金曜日 |
ソーレンソン先生がその前に一列立ち並んでいる信者の人達たちに対し、汝はキリストを神と信じるや」とか色んなことを訊ねる。「信じ るならしかりと答えよ」「しかり」。異口同音に、すべての問いに対し、「しかり」が答えられ、最後に、薄く小さなパン切れを、ツマヨウジの先に突き刺し
て、一人一人に対し「これはキリストの肉である」とソーレンソン師が、まるでツバメの親が子ツバメの口にエサを運ぶようにいちいち食べさせるのであった。 私はフキダシタクもなった。まさに、それは滑稽なあるものであった。立ち並ぶ全員が真剣な厳かな顔をしてその薄っぺらなパンの一片 を、少々持て余し気味に口先で操りながら口の中に滑り込ませ、もぐもぐと食べるのである。まさしく宗教的「儀式」以外の何ものでもなかった。そして私はフ
ト、ヒットラーに対して、差し伸べられた、幾万本もの腕、ハイル・ヒットラーと一斉に挙手する党員の手を思い出させたのである。そして、あの、カリスマ的
正統性という言葉をも。 私は三度ほど続けて礼拝に行ってみた。そして行く度に、私の肌に合わないもののあることを感じて帰ってくる。何度立ったり座ったりす ることであろう。そして、まるでお経でも唱えるようによく暗記されたコードが繰り返されることであろう。真面目腐った、「お父さま」という言葉が意味も無
く、人々の口先に上ることであろう。なんと、儀式化され、定型化されていることであろう。まるで機械人形みたいに、式典の順序に従って信者はおとなしく立
ち上がり、聖歌を歌い、信仰を告白し、教義を暗誦し、アーメンを唱え、献金する。 こんなことが、キリスト教にとって本質的なものであろうか。あのような儀式で、人々の心が、どれほど、神の御前に近づくずくことがで きるのであろう。どうして人々は、俯いた姿勢をいつもとらねばならないのであろう。暗誦される教義の一つ一つの言葉が、そこで述べられている瞬間に銘々の
心の中にどれほどの重みを持って存在しているのであろう。まるで、試験勉強の丸暗記のごとくオウムが人まねするがごとく、誇らしげに唱えられているだけに
過ぎないのではないか。告白する人達のその敬虔な言葉と態度にもかかわらず、彼らの心は、まるで聴衆の前で演説するときのような興奮に満ち満ちてはいない
のか。どうにかして教義に逆らわぬ言葉でもって、人々がなるほどと思うような、文章としてもあんまり可笑しくないものを作ろうとそっちのほうばかりに気を
取られ過ぎていないのか。どうして、その告白があんなへんてこな、重々しそうな、普段の声音と違った、音色で、しかも、作り出されて、なされねばならぬの
か。告白とは、内心でのみ行なえば良いことなのだ。人々の前で、これ見よがしに、語られるべき言葉ではないのである。 ある信者の人から手紙を貰った。その中にこんなことが書いてあった。「ワークキャンプでの私の小さなあかし、朝礼拝の時に話したこと をもう一度思い出して見て下さい」。 この場合、あかしと告白とでは意味が異なるのかも知れないにしても告白をする時にも同様の心理傾向があると言えないだとうか。 いつ何時、私は、「私の告白したことを、もう一度思い出してみて下さい」と言われかねないのではないかと思う。すなわち、告白する人 々には自らの言葉の中に、他人に価値を置くべく強要している点が見られるのである。 告白とは私にはそういうものとしては考えられない。それは自己一人に関することで十分なのである。他人がそのことをそのよう考えよう が、受け取ろうがそれは告白する人の念頭にあってはならぬものだ。神と自己自身との間のみに関することではないか。他人を意識し、他人が、自らの告白の上
に何らかの価値なり意味なりを認めることを期待している言葉がはたして告白と言えるであろうか。私はたとえそれが告白でなくてあかしであっても、「もう一
度思い出して見て下さい」と後になって言えるような心理状態の下でなされたものである以上、それを信じないのである。 そうした意味の無い告白を強要する礼拝。茶番じみた、聖餐式。信心深そうで、精神的冒険を回避し、自らのカラの中に閉じこもって安住 している人々。一週一度の礼拝のみで、自らの信仰が清められ、信仰生活が確立されていると信じている軽薄な人々。非信仰的なことについては、本来の自分自
身ではない面で、お付き合いしているのよ、と言った顔付きをしている人々。私には耐えられないことばかりだ。さっきの信者はこのようにも言う。 あなたのために祈っている人々があることも覚えていらして下さい。ミスH・S先生、Iさん、私。 こんな不遜な言葉ってあるだろうか。そしてまたこうした気持ちが、我々非信者に対する一般的な感情として教会そのものの中にあるので はなかろうか。この言葉から察するに、信者は我々が神を信じるようにとありがたくも祈っていてくださるのである。我々はその重圧の下に、耐え切れない圧迫
感を感じるのである。それが教会の空気の中にあって礼拝に行っても我々を伸び伸びとさせないのであろう。私は祈りというものは、やはり聖書の中に書かれて
いるように、人には知られないように、部屋の中に閉じこもって一人で祈るべきものと考える。「祈っていることを覚えていて下さい」というのは、まるで、
「お前のためにありがたいお守りを買ってきてやったから、ありがたく思え」と、信心もしていない、成田大明神のお札を強要するのと少しも変わらないように
思われる。祈ってやるんだってことを公言して、多少にもしろ他人に心理的圧迫を与えるようなことは祈りにはそぐわないものと考える。そして、そのような祈
りしかできないものを本質的なクリスチャンと認めるわけにはいかないのだ。 こうして祈りというような全く内面的であるべきことがらも、今では、その性質を失いつつあるように見えるのは、一週一回礼拝と称し て、教会に集まって、大っぴらに祈りあいをするための影響ではないのだろうか。いわば、自分ひとりでお祈りをする時間より、余計に他人の前で祈る時間が長
いのではないか。 それは激しい内面の葛藤と、精神的な、大きなエネルギーが費やされてなされるべきものが、「皆さん一緒に祈りましょう」という、掛け 声で、なにやら、俯いて、お決まりの内面的なルートを一回りするだけの、まるで「いただきます」と言って、おかずが毎日異なっているにはしても、一通り茶
碗を空にし、お皿をきれいにする一食のコースと同じようなものに形式化され、空虚化されているのではなかろうか。 単に清められるだけのためなら、礼拝の厳かな雰囲気も人々を酔わせてるであろう。 今日も、色々と楽しい談笑に一時を過ごしたのだが、よしみといっては編だけど、色んな関心事について、お尋ねしたり、意見を交換した り積極的に行なった。そして、参加した者、一人一人に先生が、記念に、キリスト教入門(赤岩栄)を下さった。ありがたく拝受し、その半分以上は一応読んだ
絵開けである。それに、僕が作詞した曲に川村さんが作曲してくれたのが出来上がっていて、彼がオルガンで皆にも弾いて聞かせてくれた。なかよさそうな曲で
あった。後で送ってくれるということだった。 そうして、全員が、まさに楽しく語り合い、ハープスト先生は、幻燈器で、アメリカのダコダから、シアトルまでの自動車旅行のステップ のカラーフィルムを見せて下さった。説明が英語だったのは、英会話のクラスのレッスンを兼ねたものであった。そうそう、アメリカから昨日届いたという、 レーズンの入ったお菓子やキャンディーもご馳走になった。
|
| 1962.3.3 | 土曜日 |
West Side Story 初めての70mm映画「ウエスト・サイド・ストーリー」。とってもすばらしい映画だった。それこそ息をつかせないスピーディさと、思 わずためいきをつかせる恋の甘味さとがおりこまれて、ほんとうに楽しい映画だった。ミュージカル映画の楽しさが満喫できたように思う。この映画のテーマソ
ングがまた胸をうつもので、あのマリアとトニーが見詰め合って歌うデュエットの情感は、胸を張り裂かせるほどであった。
|
| 1962.3.5 | 月曜日 |
「チャイコフスキー物語」読了 「チャイコフスキー物語」(岩波新書 園部四郎著)を読み終えた。今月 に入って初めて読み終えた書物である。今月は沢山本を読まなければと、いろいろと考えている。そしてその最初に読み終えたのが、この200ページ足らずの
音楽家の小伝である。 極めてやさしい調子で比較的読みやすく書かれていることも、最初に読み終えた理由の一つだろう。なにしろ、この二日に1ぺんに9冊も 本を背負い込んでしまったので、片っ端から片付けなければならないのだけど、前の理由にも増して、僕がチャイコフスキーの人柄に惹かれてしまったことが、
その9冊の中で一番早く読み終える本になった、最大の理由だと思う。 人間的な溢れるような情感−例えば自然の美しさに対する純粋の感動とか、子供たちへの深い理解や愛情とか、悲惨な人々への思いやりや 同情とかに現れた、人間的な情感が私を惹きつけたのだ。 そして、今や、彼の音楽を血の通ったものとして私は楽しむことができるようになったと思う。 |
| 1962.3.5 | 月曜日 |
「キリスト教入門」(文理書院 赤岩栄著)が、今月の二番目の読了本となった。これは、二日、宝珠山先生から贈られた本で ある。読了してみて、色々と教えられるところが多かったと言える。私が今までいわゆるキリスト教「信者」に対する不満として抱いていたものに対して、多く
の面で正当適確な批判がされていて、私にとってあるべき宗教としてのキリスト教と著者の立場はしばしば一致するのだ。 宗教的自由と政治的自由とは信者の中でもしばしば混同しがちであり、私はいつも、それを不満としていたが、著者はそれを明確に区別し て、しかも、両者の密接な関連性を指摘しておられる。 ただ論理的に言って、「物の必然」という用語の中で、不用意に、社会的法則の必然性と、自然的法則の必然性とを、混同して、一緒くた にしている点が、説得力を弱めているのではないかと思われる。 それから、やはり宗教的な問題を論ずるためにはつき物かもしれないが、論理的にスムーズに展開されているとは言いかねる点もあって、 私にはわかりかねる点も多くあった。 この本がそれでも優れた点を持つと言えるのは、単なる非キリスト教徒への入門ではなくして、すでに信者となっている人々に対する批判 の書としてかなり厳しいものを持っているからである。 たとえば「今のキリスト教は、「キリストのみ」ということを信仰の原理と考え、一切のことを排除して、最もよく見えるといいながらす べてのことに、盲目になっております。」という指摘は、まさに私が、キリスト教徒と見るとき常に危惧してきた点をついたものである。 日本においては、キリスト教徒はまだ少数であるために、まさに「キリストのみ」に凝り固まって、あらゆる社会的な現実に盲目な信徒を 生みやすい。だから彼らが、いかに「よりよき社会」をその教理として説いても、それが社会的視野を欠き、単に自己内部の世界に閉じこもった狭い精神的安定
のみを強調するのと変わらなければ、一向に、社会全体としてのよりよきものは生まれてこず、社会的権力からの操作に盲従して、それを神の思し召し信じ、そ
れを甘受していく、社会的には好ましからざる社会人を作り出していくことになっているからだ。 著者の言う如く「社会をよくしようとする場合、ただ、私たちの善意だけでは、社会は決してよくな」らないのである。著者の視野がこの ように、かなり広いものである故に、私にとってそれほど反発を感じさせるものが無かった。それ故に、私にも信仰に入るということの少々の自信はついたよう
に思う。 著者の立場とはまだ、納得行くまで一致するものでもないが、私なりのキリスト教を捉えて行きたいものと考えている。
|
| 1962.3.6 | 火曜日 |
午後10時34分 くちづけ
乙女の愛は ほの かにも み髪(ぐし)は黒き 初 春の
|
| 1962.3.15 | 木曜日 |
まるで馬鹿げているけれど、一番肝心なものを一番後回しにしたような毎日をこのところ送っているようだ。朝(これも単に起き出したと きをそう呼ぶに過ぎず午前中であるのはマレである)から十二時まで、できるだけくだらないことに時間をつぶして、ようやっと読書にとりかかるのはいつも午
前零時を過ぎているという始末だ。 だから遅々として読書ははかどらず、大部のものに挑むという楽しみは失われている。三月に入って読み終わったのは、どれもこれも、大 して持続力を必要としないものばかりだ。すでに日記に記した以外のもので、一応読了のリストに加えうるのは以下のようなものである。 �@社会主義入門(上下)(レオ・ヒューバーマン)岩波新書 3/12 大体二日に一冊ということにはなるが、どれも岩波文庫で行けば、星一つに相当するようなものばかりである。如何に読書すべき時間を無益 に過ごしているかがうかがえるってものだ。 十一日に鈴木さんの下宿に行ったが、彼女の話すところによれば、一日に二冊は普通なんだそうだ。起きればすぐ読書にとりかかり、寝る まで読書しっ放しなんだそうだ。私に今欲しいのはその持続力である。一日中、部屋に閉じこもって、敢然として、読書に打ち込むこと。これが私の欲する状態
だ。とは言え、私が読書以外の時間を、それほど徹底的に無駄にしたのではなかった。私は一応、タイプが打てるだけの技量もその間獲得したし、ハープストさ
んのアパートも二度ほど訪問して、それなりに有益なものを得てきたのだ。
|
| 1962.3.16 | 金曜日 |
午前0時42分 女がまだ燦々たる灼熱の太陽の下で美しくありえた時 ああ
|
| 1962.3.22 | 木曜日 |
1962.3.22木曜日 (1962.4.8 (日曜日)午前1時40分頃より書き継ぐ) ○ 1962/3/26 午前3時46分「モンテ・クリスト伯」読了 休み中に読んだ本 �@現代史(上) �A戦国若衆 �B悪霊の城 �Cモンテ・クリスト伯 �D空気男とペテン師 �E井伏鱒二短編 �FA・クリスティ短編 �Gコナン・ドイル短編 |
| 1962.4.10 |
○四月九日 井上靖著「風林火山」読了 ○四月十日 午前2時17分「悪の華」読了 ○今日、母校島原高校を訪ね、旧師に会う。 中村、有馬、佐々木、石本、管崎、荒木、熊野、清水、古川の諸先生ら、主とし て中村、清水、佐々木先生と話す。 ○一好さんから端書ありて、姉を迎えに加津佐に行ってくれと頼まれる。今日 (十日)の午前中にでも汽車に乗らんと思う。 ○映画「女家族」「日本のお婆ちゃん」「京化粧」山本富士子よし。
|
|
|
1962.4.14
|
娘時代最後の夜を、今静かに深い眠りの中に閉ざして、わが姉・啓子は、すでに 今日、嫁ぎゆく身なり。胸中や如何。
○失われた幼き日の私の面影をその白い胸の奥深くしまい込んで、九年の長い歳 月にも色あせぬ思い出をまたもや蘇らせてくれたあなたに私は愛しさを覚える。 |
|
| 1962.4.15 |
この日記の最後の余白を埋める日は、我が姉啓子の嫁いだ日となった。 なんとな く心の奥に悲しみのわだかまりがあって、今夜はしとりと静かに更けていくよう に感じられる。イヤイヤ姉の嫁いだことばかりが、私の心を悲しませているので はない。今夜が島原での最後の日でもあるあるせいも入っているのだ。姉が去っ て、なんとなく気の抜けたように寂しくなった我が家を跡にして、遠く東京に明 日は旅立つのだ。 自家もいつの間にか、本当に両親に和夫と祖母の四人家族に なってしまった。姉弟五人と両親、祖母八人が一緒に賑やかに寝起きしていた頃 が懐かしい。時の流れというものの恐ろしいまでの冷酷さが、びしびしと音を立 てて、染み込んでくるようだ。もはや還らぬものとなった多くのことどもがどん なにか私の胸裡に激しい思い出の渦を巻き起こすことさろう。 今日の婚礼式はなかなか盛会であった。もう滅多に一緒になることもあるまい 兄弟五人が、暇を盗んで写真を撮った。果たしていつの日、兄弟五人が、一緒に この日の写真を囲んで過ぎ去った日を懐かしむことだろう。 今ふと、その時が、両親の亡くなった日のような気がして、涙ぐんだ。なんと なく、今日の僕は湿っぽいようだ。でも思えば誰もがこんな経験をいつかは持っ たことがあり、いずれは持つのであろう。 日記に別れの言葉を一言。サヨナラ、と。 |
|
| 5月1日以来連載してきましたが、「文芸日記1962年」の連載は今日で終了です。長いことご愛読ありがとうございました。 (次へ)「私の日記1962年」へ |
|
|
|
|
|
日記INDEX
文芸日記1961
(1960/11/28〜1960/12/1)(2002/9/26 掲載)
(1960/12/2〜1960/12/6)(2002/9/27 掲載)
(1960/12/7〜1960/12/22)(2002/10/7 掲載)
(1960/12/22 -2〜1960/12/27)(2002/10/11 掲載)
(1961/2/15-2~2/28)(2003/3/28掲載)
(1960/1/8〜1960/1/10)(2002/7/28掲載)
(1960/1/11〜1960/1/15)(2002/7/30掲載)
(1960/1/17〜1960/1/27)(2002/7/31掲 載)
(1960/2/1〜1960/2/10)(2002/8/10掲載)
(1960/2/11〜1960/2/29)(2002/8/14掲載)
(1960/3/4〜1960/3/30)(2002/8/15掲載)
(1960/4/4〜1960/4/26)(2002/8/16掲載)
(1960/5/13〜1960/6/20)(2002/8/25掲載)
(1960/6/23〜1960/8/26)(2002/8/29掲載)
(1960/8/26〜1960/8/29)(2002/9/2掲載)
(1960/9/1〜1960/9/9)(2002/9/9 掲載)
(1960/9/10〜1960/9/17 -2)(2002/9/12掲載)
(1960/9/17
-3〜1960/9/22-2)(2002/9/13掲載)
日付index
日記1961(1960/11/28から1961/7/20)
| 1960年11月〜
12月 |
1960/11/28 |
1960/12/1 |
1960/12/2 |
1960/12/3 |
1960/12/6 |
1960/12/7 |
| 1960年12月 |
1960/12/9 |
1960/12/10 |
1960/12/11 |
1960/12/12 |
1960/12/14 |
1960/12/15 |
| 1960年12月 | 1960/12/16 | 1960/12/19 | 1960/12/20 | 1960/12/22 |
|
1960/12/23 |
| 1960年12月 | 1960/12/25 | 1960/12/26 | 1960/12/26-2 | 1960/12/27 | ||
| 1961年1月 | 1961/1/2 | 1961/1/3 | 1961/1/5 | 1961/1/6 | 1961/1/7 | |
| 1961/1/8 | 1961/1/13 | 1961/1/14 | 1961/1/15 | 1961/1/15-2 | 1961/1/18 | |
| 1961/1/20 | 1961/1/21 | 1961/1/22 | 1961/1/23 | 1961/1/25 | 1961/1/28 | |
| 1961年2月 | 1961/1/28 | 1961/2/1 | 1961/2/3 | 1961/2/5 | 1961/2/7 | 1961/2/10 |
| 1961/2/11 | 1961/2/15 | 1961/2/15-2 | 1961/2/17 | 1961/2/25 | 1961/2/26 | |
| 1961/2/28 | ||||||
| 1961年4月 | 1961/4/5 | 1961/4/6 | 1961/4/7 | 1961/4/13 | ||
| 1961年5月 | 1961/5/7 | 1961/5/7-2 | 1961/5/7-3 | 1961/5/7-4 | 1961/5/7-5 | 1961/5/7-6 |
| 1961/5/12 | 1961/5/22 | 1961/5/22-2 | 1961/5/24 | 1961/5/29 | ||
| 1961年7月 | 1961/7/1 | 1961/7/1-2 | 1961/7/5 | 1961/7/9 | 1961/7/10 | 1961/7/20 |
| これで文芸日 | 記1961の | 連載は終了 | です。近く | 文芸日記1962 | 連載を開始。 |
日記1960(1960/1/8から1960/9/22)
1