僕の日記1955年
1955年11月28日月曜日 天気:晴れ 起床:7時30分 就床:時分 
 

11月28日月曜日晴れ起床7:30就床

ついちょっと前に正月を迎えたと思っていたのに今日はもう11月28日になってし まっている。あと30余日だ。

ほんとうにこの一年間何を自分はやってきたか自問せざ るをえない。

高校生活というものは、まことにあわただしかった。そして、真に学問に打ち込む覚 悟のある者は実に少ない、と私の感想だ。課外がなければ喜ぶものが圧倒的だし、課 外を受けようとしない者が実に多い。私はもっと全員が一生懸命にやる学校に行きた い。

Sが今度、東京に行くとかなんとか。私だって行かれればこれに越したことはないと 考えている。Sとは中学以来ずうっと首席を争った仲である。一抹の寂しさもあり、 自分の恵まれぬ環境と照らして少し妬ましく感じぬわけではない。東京に私の強力な バックボーンになるような人が一人でもいてくれたらなぁ!

なにしろ、この物価高、居候は嫌われる。それほど無理してまで行く必要があるかと 思われる。島原からだって、東大へ行くことはできるのだ。ただ、赤門目指してまっ しぐらに、この地で勉強しよう。参考書は出来るだけ買うことにしよう。 さてと、もう書くスペースも尽きたようだ。

(叔父への手紙)

 日増しに寒さが募ってまいります。 先日ご結婚の式を挙げられたとか聞き、お二人のご幸福を祝福いたしております。

 私 もこの春幸い高校に入学いたしましてから7月、無欠席で通していますから、ご安心 ください。

 姉から重馬叔父さんが「東京にくるなら手紙ぐらいやらなくてはけしから ん」とおっしゃったと書いてよこしましたのを見て、長いご無沙汰を大変すまなく 思っています。

  小学6年と時だと記憶いたしております。叔父さんが当地にいらっしゃたのは。その 折、「お前は近眼の親父を持っているから、近視になりやすい、よく注意せよ」との アドバイスを受け、それ以来、本を長く読んでは遠くを見たり、朝清水で目を洗った りとを、実行してさいわいまだ四つ目にならずにすんでいます。今さらながらあの時 のアドバイスをありがたく思い、持つべきものは良き師、良き肉親なりと考えており ます。

  来夏九州をお訪ねになるとか。私も是非来年の夏休みには東京に出てみたいと思って います。それは受験のために東京へ行く下調べの意味と、そしてもっとも重要な点 は、叔父さんもご存知でしょうが、東大の夏期講習会があることです。

  島原にいたのでは、まったくそういう催しもなく、そして生徒といえばまったく自若 たる態度で試験の準備をやっているんです。それでそこから来る刺激はまったく0に 近く、東大入学者といっても毎年一人か二人で日比谷高校の108人ときいてはまっ たく足元にも及びません。

  大体毎年7月27日ごろから14日まであるようですが、ことらでたとえ僕が常にベ ストスリーに入ろうとそっちに行けば百位に入るのも難しいと思われます。そんなに この島原と東京との差といいますか、この地方差は大きいんです。

 今度私の級の人 で、その人は非常に出来る人ですが、東京に転校するとか、非常にうらやましく思っ ています。もし、私が東京の学校で勉強できたとしたらどんなにかすばらしいかと考 えています。しかし、それはできない相談です。

 叔父さんには全然興味のない話に なってしまいました。私が差し上げる手紙の内容として学校のこと以外には書くこと がありません。お返事をお待ちいたします。

 新妻和子様にもよろしく、お伝えくださ い。私なんか知っておられないでしょうが。

 それではお体をお大事に。

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