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1956年1月1日月曜日晴れ 人間の絆2完読 門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし 一休 昨年の年頭所感に前句を使って私が一個の人間として生まれるのは、満二十歳になってからであるから、冥土の旅と言っても当てはまらないというようなものを書いて、学校で放送した。あれから一年というものが過ぎた。 一年というものを今更短いと言っても始まらない。自分の認識不足なのだ。一年というものは、そう長いものではない。一年の長さを知らぬ ものがあっという間にとかまったく短いという。良く認識されないで批評されるものがかわいそうだ。 それは社会一般においても言える。 一年の計は元旦にありとか。元旦の意味が、元日の朝という意味にとると計らしい計もたてなかった。しかし、それを一般 に解釈して元日とすれば、まったく速い時も元日の計を今からたてようと思っている人のために約45分残しておいてくれている。 元旦の計の立て方という本でもあればいいのだけれど、あいにくそんなものがない。ところで、逆さまをしても、鬼は笑うまい。昨年を回想してみる。 まず、気づくことは努力が足りないと言うことだ。まったく自分ほど努力しないものはない。努力の上に油を塗っている。都合が悪ければもっと簡単な努力(?)の方へ滑っていく。そして、人をおそれる気持ちが強い。内心いつもびくびくしている。彼等がやってしまった努力をおそれて自分にはもうできないと思う。そして人の後ろから追って人のやった努力をしようとしない。そして何ごとも早くなるべく早く浅くできるだけ浅く広く、手の届く限り広くやろうとして、いつもあせっている。 それに反して自負心が強い。人一倍物覚えがよいぐらいに思っている。そして自分の考えがいつも良いと思う。他人に対して不親切だ。良く、その人の恩恵に沿わぬ 言葉をはく。そしてその人を悲しがらせる。 誉められれば増長する。自分に慢心している。 誰かが私はあの人のように大人っぽくなくて、子供っぽくて良いと言った。すると私 はいつも子供っぽく見えるようにした。するとますます良かった。高校に入ってから まで私は子供っぽい。もういい加減で子供っぽさから抜け出なければならない。 私はまた情事を好む。文学書を読みながら私は情事のところは眼を皿にして読んでいる。やがては知らねばならぬ ことではあろうが。 私は勉強が少しできるということに思い上がっている。私がもしこれから勉強がぜんぜんできなくなる、もしくは現在においてできないとすれば、私のどこが取り柄だろう。まったくつまらぬ 人間なのだ。 東大に入学しようと思っていながらその入学の喜びの代償たる努力を払わない。ただ不当の喜びだけを得ようとしている。私というものは、まったく快楽にのみ有頂天になる。まったく糞食らえだ。いやないやな人間だ。 今、私は歯を食いしばらねばならない。ほんとうにだ!勉強の鬼にならねばならない。歯を食いしばることは、言葉に注意するものも含む。まったくおれの口は人をいやがらせることしか言えないのだ。もっと頭(自分で良いと思っている)で考えた後で言わなければならない。ただし、感情的な頭で考えたのではあまり効き目がない。 元旦の計、この一年を努力していこう。
It is the first day in 1956. I have a great many things to do in this year.First.I hope I shall go to Tokyo in summer vacation and I shall learn at "Summer School"of Tokyo University. I will study hard through the year,and I wish to go Tokyo University after next year. Now I wish to buy books such as Kenkyusha's Kanyaku English-Japanese,Kojien and a good diary. |
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