僕の日記1956年
1956年4月5日木 曜日 天気: 起床:時分 就床:時分

4月5日

 長らくご無沙汰いたしております。人の弁解を聞くのは誰にとっても嫌なこと。それで弁解は一切抜きにいたします。

 4月。この月の名を聞けば、私はすぐに陽光、暖かいといった言葉を連想するんですが、私の16年の経験からしますと少し寒すぎます。 4月馬鹿が馬鹿馬鹿しく過ぎてしまいまして、あと5日もすると私も早高校2年生としてスタートすることになります。

 巡り来る2年後がこのような寒い春であれ、もし合格でしたら、身体のほてりと相殺して気持ちがいいでしょうがこれが不合格だった惨めです。その上に、怖い脅し文句があります。

「もし浪人にでもなるのだったら知らないぞ!!」

(陰の声。浪人が7割も合格しています。なにを言う、3割は入っているじゃないか。)

 姉が長らくご厄介になりご迷惑をおかけいたしましたが、その姉が伝えるところによりますと、とにもかくにもしっかりやれとのこと。今更ながら自分の意志の弱さにふがいない気持ちでございます。

  また、姉の言葉の変化に驚かされています。さっそく姉ぶりを発揮して。 「東京に行っても、初めは話きらないで、はあ、はあ言ってるだろう」と言って軽い調子で東京語ー標準語?ーを話しております。

 そちらに行けば朱に交われば赤くなるで、私も多勢に無勢で言葉を大いに変わるかと思いますが東京の言葉も一種の方言ですし、私だってこちらの方言で話しても良いはずです。はあ、はあ、ばかり言おうなどとは思ってもいませんが、ことわざにも言うことと実際は別 問題だとか。首根っこを押さえられて亀みたいにはあはあ一点張りでやらなくてはいけなくなるかも知れません。

 

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