僕の日記1956年
1956年8月23日木 曜日 天気: 起床:時分 就床:時分

8月23日月曜日起床時就床時

無事島原に着きました。

離京の折はわざわざお見送りいただき感謝にたえません。

在京中万事にわたり、お力添えいただき、感謝の念は言葉に言い表せないほどです。

  東京を21日に発って22日にはもう島原に着いていました。まったくひどすぎます。 東京に直に接したときにはなかった驚きが、今怒濤のごとく私の胸に迫ります。

 あまりにも島原は貧弱です。 景色も、人も、交通機関も。なぜあわてて東京を発ったかと思われます。 2日の汽車の旅では、東京と今、自分のいるところの差が実感を伴って現れません。叔父さんの顔も見たければすぐにでも見られそうで、東京から千キロメートルも離れたと実際に思われません。島原がまったく嫌になりつつあります。

 一年半後私は又東京に行くことができます。しかし、その一年半の間に無理して私はこの貧弱な島原の貧弱な高校で東大の入試に耐えうる実力をつけるという至難の事業達成に挑まなくてはならないのです。

  私の心はいま空虚に満たされています。東京、私はこの名を単なる田舎の青年が、夢見つつ呼ぶのではなく、本当に私の柄に合ったように感じて叫ぶのです。

  私が東京になぜこのような愛着を抱くか、私にもよくわかりません。東京に魅せられたのより叔父様に魅せられたのが強いかも知れません。しかし、次第に私の心は島原を離れつつあるのは事実です。私の友人には養子にまでなっても東京に住みたいというやつがいます。私はそうまでなろうとは思わないにしても、その気持ちは理解できます。 私が今東京に住める条件を与えられたら、それがたとえ最低の条件であっても、一応応募してみることでしょう。私は私の家ですら客人同然です。叔父様の家の方が返って伸び伸び出来ます。

 

前へ           目次へ             次へ