
それが、ぼくのことでもめていることは、よくわかっていました。 毎日、毎日、ご主人と奥さんが大きな声で議論をしているのです。ぼくは部屋の隅で小さくなり、尻尾を丸めて聴いていました。
「それはわたしだってチビクロは可愛いわよ。できることなら、一緒に連れていってやりたいと思うわ。でも、行き先が北海道や沖縄ならともかく、ポーランドなのよ、ワルシャワなのよ。この東京から一万キロメートル以上も離れた、地球の裏側にある国なんですからね。そこんところを良く考えなくっちゃ」
これは奥さんの声です。いつもはやさしいいい声なんですが、議論をするときはちょっと刺々しくなって、ぼくの繊細な耳にガンガン響きます。ぼくは奥さんが話すたびに、耳たぶを折り曲げ、音量を少し絞って聴いていました。
「でも、チビクロがぼくらの本当の子供だったら、それでも東京に残していくかい。ミコちゃんとひろしくんは一緒にポーランドに行くことになっているんだし、チビクロだけ残していけないよ。チビクロは、生まれた時からわが家にいるんだし、犬とはいいながら、わが家の一員みたいなものじゃないか」
これはぼくのご主人の声です。なんとなめらかで、どっしりと重みのある、いい声なのでしょう。ぼくは耳をピンと立てて聴きほれます。ぼくが口がきけたら、
「さんせい!」
と叫びたいくらいです。
それに、ご主人の鼻の上に輝いている金縁の眼鏡の立派なこと。ぼくは一生のうちで一度でもいいからあんな素敵な眼鏡をかけて大通りを歩いてみたいと思っています。そうしたら、道を行く人がみんな振り返って、
「なんて素敵な犬だろう」
と感心するにちがいありません。
時として、ミコちゃんとひろしくんがこの議論に参加することがあります。二人とも決まってぼくの味方なので頼もしい限りです。
「ママ、チビクロも連れて行って上げましょうよ。チビクロも一回くらい海外生活を味あわせてあげなくっちゃ」
これ小学一年生のミコちゃんです。ミコちゃんは、丸い顔で丸い目をした可愛い女の子です。でも、ぼくがミコちゃんの靴をちょっとかじったりするだけで、
「チビクロ、お止め!」
と大声を上げてぼくのことをにらみつけます。そのときは、顔が四角になり、目が三角になります。
「チビクロが行かないんなら、ぼくだってポーランドなんかに行きたくないな。ママはチビクロがかわいそうじゃないの」
これが、今年五つになるひろしくんです。ひろしくんは、色が白くて脚が長くて、なかなかかっこいい男の子です。いつもぼくにエサを持ってきてくれるのですが、時々
「オマチ!」
と言って、ズイブン長いこと待たせることがあります。そんなときには、すこし憎らしいと思うことがあります。
「いつもママだけが悪者にされちゃうんだから。ママだってなにもチビクロが憎くて連れて行かないなんて言っているんじゃないのよ。あんな遠いポーランドまで犬を連れていくのは、それはそれは大変なことだから、言っているのよ。それなのにだれもわかってくれないんだから・・・」
もう奥さんは半分泣き声です。目尻にうっすら涙がにじんでいます。ご主人は、困ったような顔をして黙ってしまいました。人間の社会には<泣く女と児童には勝てない> ということわざがあるようですが(ご主人が良く口にしますから)、ご主人を見ているとこれがもっともだということがよくわかります。