| 2001/7/22 | 2001/6/30 |
| 1999/9/9 |
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1999/11/19 | |
| 記入日 | 読書日誌(1999/6/9〜9/9) |
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| 99.6.9 | ◆通勤の地下鉄の中では、ウールリッジの遺作「夜の闇の中で」を読んでいる。いかにもウールリッジらしい、ねっとりとまとわりつくようなきめ細かな描写と、特異の視点からの叙述が、独特の物語世界に誘い込む。冒頭、自殺を図った女性が、誤って通りすがりの若い女性を殺してしまう。その女性に、なり代わって生きようという設定で、およそありえないような設定なのだが、独特のウールリッジ節で、ついつい読まされてしまうのだ。
◆トイレでは、「ブレイン・ヴァレー」を読んでいる。瀬名秀明の第二作だ。第一作「パラサイド・イブ」は、面白く読んだが、こっちのほうは、まだ、面白いと言うところまで行っていない。様々な謎を含んで物語は展開中というところ。そうした仕掛けが、うまく絡み合って、一気に、盛り上がるようならば、大したものなのだが・・・ ◆佐藤賢一の「双頭の鷲」は、このところお休み情況。 ◆読了した「啓太の選択」「日本人はなぜ日本が愛せないのか」「レクイエム」「忘れられた国ニッポン」「クリスマス・ボックス」「騎手マテオの最後の騎乗」「生命の船」「47人の刺客」などについて読書録をまだホームページにアップしていない。いろいろやることが、多いし、このところ風邪で疲れ気味なのだ。 |
| 99.6.11 | ◆池宮彰一郎「47人の刺客」を読んだせいか、NHK大河ドラマを、例年よりは、少し真面目に見ている。船橋聖一原作の忠臣蔵「元禄燎爛」をやっているのだ。しかし、「47人の刺客」の大石蔵之助のシャープさ、読みの深さに比べるとテレビの大石はどう見ても凡庸で、あれだけの難事業をやり遂げた人のようには見えない。 |
| 99.6.15 | ◆瀬名秀明の「ブレイン・ヴァレー」を読み終わったけれど、そのうち面白くなるだろう、せっかくここまで読んだのだからという期待も空しく、最後まで面白いという感じが湧き上がってこなかった。仕掛けはものものしいのだが、不完全消化で、不燃焼に終わった。最後の支離滅裂ぶりはひどい。がっかり。「パラサイド・イブ」のほうが数段上だ。力作をものにしようと大上段に振りかぶったものの、太刀が重すぎて、腰が砕けてしまった感がある。
◆以前読んだ「啓太の選択」という本も、そのうち、そのうちと思っているうちに、大して面白くならないまま終わってしまった印象が残っている。 |
| 99.6.17 | ◆地下鉄の中では、森嶋通夫の「なぜ日本は没落するか」を読んでいる。視野が広く、指摘が鋭く、的確で、面白い。将来を予測するのに、その世代がどういう教育を受けたか、という点に着目しているのは、卓見である。 |
| 99.9.9 | ◆昨夜、篠田節子の「ハルモニア」を読み終わった。二日で読んだことになる。面白かった。彼女は中編から長編の方が力を出すタイプのようだ。「女たちのジハード」はいわば中編の連作だし、この「ハルモニア」は、長編だ。この二作の間に「レクイエム」を読んだが、これは短編集で、いまいちの感じがして乗り切れなかった。「レクイエム」もそうだったが、「ジハード」と違って、オカルト的要素がこの「ハルモニア」にはあるのだ。スティーブン・キングの「ファイアスターター」のように徹頭徹尾オカルト的力にこだわるというほどではないが、けっこうテレパシーによって映像が人に伝わったり、念力的力でコップが割れたり、人が自殺に追い込まれたりする。しかも、それが作品の中で大きなウエイトを占めているのだ。だが、作品が長編で十分書き込まれているので、あまり唐突感や不自然な感じはしない。(「レクイエム」は少し書き足りない感じがしたのだ。)
◆ハルモニアとは、真の音という意味らしい。深刻な精神障害を持ち、世間から隔絶した施設に収容されている28歳の由希という女性が、たぐいまれな音楽的才能を持っていることがわかる。口も利けず、まったく表情もなく、他人とほとんど意味のある意志の疎通のできぬ女性なのだが、専門のチェロの演奏家である東野秀行が自らチェロ曲を弾いて教えると、楽譜は読めないものの一度聞くとすべて暗譜し、その通りに演奏できるのだ。彼女は音楽を通して自らの存在を主張しているようにさえみえる。短時日のうちに難しいチェロ奏法をマスターし、あまつさえ、教えた東野をしのぐような音楽性豊かな演奏をする。最後には、世界でも弾ける人は限られるバッハの無伴奏チェロソナタ第六番すら弾けるようになる。しかし、その奏法は、若くして自殺したルイ・メイという天才女流チェロイストのCDで覚えたために、そこから抜けられない。東野は、彼女には彼女としての、もっと素晴らしい音楽性があることを知っており、彼女自身の感性に即した音楽を弾かせようと苦闘する。しかし、彼女の才能に目を付けた音楽エージェントが、ルイ・メイのいわば亜流として彼女を売り込むコンサートのプランを持ち込み、東野の師匠で、女好きの山岡が彼女の才能を買って自ら指導に乗り出したりして、由希の平和な環境が損なわれて行く。彼女は自分の意に沿わないことを強制されると、それを強制する人に向かって負のエネルギーを投げつけるのだ。投げつけられた相手は、激しい頭痛を覚えたり、吐き気を催し、その場にいたためられなくなって、窓から身を投ずるような羽目に陥る。しかし、彼女の方でもそのエネルギーを出すことで、憔悴し、自らの生存自体を危うしかねないのだ。 こうして、彼女に、自らの音楽性を発揮させようとする東野と、天才女流チェロイストとして売り込みを図る音楽エージェントと、コンサート自体ををやめさせようとする施設側とが、三つどもえになって最後のコンサートの日を迎えることになる。彼女は、メイ・ルイの亜流ではない、メイ・ルイを越えた演奏を展開するのだが、メイ・ルイを求めて会場に来た聴衆には受け入れられない・・・ ◆冒頭に、少女のような小柄な女性を担いだ三十半ば過ぎの男が、陸中海岸の砂浜を海に向かって進んでいく場面が示される。ミイラのように干からびた女の顔には歓喜の表情があり、男にも憔悴した顔に不釣り合いな若々しい雰囲気がある。女は、やせ細った身体から、饐えたような匂いを立ち上らせながら、女の魂は至福の世界に飛び立とうとしているかに見える。男は再びゆっくりと海に向かって歩き始める。 ◆物語は、この冒頭の場面へ向かってぴったりと焦点が合うように構想されているのだ。篠田節子は、破綻を見せることなく、400ページに近いこの長編を描ききっている。音楽とはどういうものか、チェロ演奏とはどういうものか、音楽性とは、脳の機能とは、脳の手術とは、数えだしたら、キリのないような数々の難問に何の疑問を抱かせないように彼女は丁寧に答えている。よく、こんな物語を構想したものだ。 |
| 99.9.9 | ◆「ハルモニア」を読み始める前の日に、松本侑子訳のモンゴメリ作「赤毛のアン」を読み終えた。これは抜群に面白かった。訳もいい。昭和29年に発行された村岡花子訳も持っているので、松本訳を読んだ後、すこしつき比べて見たのだが、やはり、40年後に訳されたほうが数段いい。しかも、松本侑子は、膨大な訳者ノートを付けて、単なる少女小説ではない、縦横に英米文学のパロディを配した原作の奥行きの深さ、大人の鑑賞に堪える本であることを丹念に紹介している。彼女のホームページには、引用された原典やアンが暗唱したという詩句が原文で収録されている。この訳業にまつわることを記した二巻の本も出すというから、徹底した懲りようである。
人一倍おしゃべりで、何事にも好奇心を持ち、自分の信念を簡単には曲げず、そのために不利な目にあおうとあえて引き受ける。美しいものに対して天性の愛着心を持ち、心が広く、他人に優しい、元気はつらつとした少女。想像力が旺盛過ぎて、数々の失敗をしでかすけれど、人生の真実をいつも見つめている。そんな少女アン。 一読、心が洗われる思いがした。読んでいると涙が溢れて止まらないのだ。これには弱った。アンはわたしの心の同類である。 |