評論の部屋

My Opinion

since April 24,1997

これまで、雑誌、新聞などに発表した評論・意見など70編を収録しております。
どれも、決して鮮度は落ちていないはずです。

なお、この欄と同時に是非「日本文化・気まぐれエッセイ」も、お読みください。

NEW
2009/11/23掲載

下記の評論を pdf で掲載しました。

目次index

  項目別index(掲 載日別)
年度別index


項 目別index(掲載日別)

2006/5/11new 2004/5/3 2004/4/6 2001/12/2
1998/10/10 1998/10/8 1998/10/7 1998/10/6 1998/10/2
1998/10/1 1998/9/24 1998/4/13 1998/4/12 1998/4/11 1998/4/9











タ イトル
掲 載日
タ イトル
掲 載日
2000年の社会を展望する」(政府刊行物新聞昭和60年1月5日 掲載) 2006/5/11掲 載) 講演「自信を持て北海道」 (1988.8.16札幌ヒューマンハーバー212 2004/4/6掲載)
秋光 翔名義「日本的システムの総 点検」財団法人 通商産業調査会 1984年 「はしがき (2004/5/3掲載) 阿部毅一郎編「どう変わる国際経済 と日本」財団法人 通商産業調査会 1983年 「はしがき (2004/5/3掲載)

自信を持 て! 北海道 (「北海通産情報1988年8月号」)

(2001/12/2掲 載)

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強 気の論理とハードネゴシエーター(週刊財経詳報1989/6/20)

国 際問題を国政選挙の争点に(週刊財経詳報1989/7/25)

日 本バッシングと加害者意識(週刊財 経詳報1987/7/27)
清 原の涙と優越的地位の乱用(週刊財経詳報1987/11/28)
東 京 一極集中と潜水艦(週刊財経詳報1988/7/18)


1998/10/10 掲載)

ゆ と りある社会の建設と北海道民の先覚的意識(週刊財経詳報1989/2/28)
企 業牢獄に閉じ込められないために(週刊財経詳報1989/4/4)
「常 軌」の許容範囲(週刊財経 詳報1989/5/18)

1998/10/8掲 載)

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総 裁選と「個」としての議員の判断放棄(週刊財経詳報1987/10/19)
一 斉主義への反省(週刊財 経詳報1988/10/24)
正 しい自国へのパーセプション確立への努力を(週刊財経詳報1988/11/28)
土 曜閉庁は緒についたが(週刊財経詳報1989/1/23)
 
1998/10/7掲 載)

自 由な時間 と空間と(財経詳報1984/5/14)

飽 和時代の内需拡大 (財経詳報1986/1/20)

国 際化とナショナリズム(財経詳報1986/9/1)

年 賀状に一工夫を(財経詳報 1986/12/15)
1998/10/6 掲載)

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中 央官庁の自己改革ビジョン(週刊財経詳報 1988/2/1)

夫 として父親として(週刊財経詳報1988/2/29)
 

円 高・・・・されど円の実購買力は?(週刊財経詳報1988/3/21)
 

食 糧安全保障と農産物の自由化(週刊財経詳報 1988/4/18)

外 圧依存体質と反外国感情の醸成(週刊財経詳報 1988/5/23)

新 聞の「視聴率」(週刊財経詳報1988/6/20)

政 治的無関心派の増大とわかりにくい政治(週刊財経詳 報1988/9/19)
1998/10/2 収録)
「血 税』なればこそ国際的にも効果的な予算の編成を(週刊財経詳報 1984.1.23)
首 相、メモワールのご用意を(週刊財経詳報1987/6/29)
予 算編成作業の生産性と四週六休制(週刊財経詳報1987/8/31)
世 界経済システムを支えるものとしての自覚(週刊財経詳報 1988/1/4)
1998/10/1 収録) 社会の基 本設計の見直しを(週刊財経詳報1984/11/4)
リ メンバーパールハーバー(週刊財経詳報1984/12/17)
1998/9/24 掲載)

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国際研究協力 と創造的技術立国への道(週刊財経詳報1984/6/25)
国会審議の充 実と改善(週刊財経詳報1987/1/26)
生 かせぬ国際経験(週刊財経詳報1987/3/9)
国際摩擦と休 暇(週刊財経詳報1987/4/20)
なりふりか まわぬ日本でいいのか(週刊財経詳報1987/8/1)
円高時 代への対応(財経詳報1985/11/18)
羞恥のレベルの低下(財経詳報1986/1/20)
情報化と自由化(財経詳報1986/3/3)

1998/4/13掲載)

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「良く知 らされた国民」への道(財経詳報1985/4/22)
「家庭は銃後」観からの脱皮(財経詳報1985/5/27)
正論と賢さと(財経詳報1985/7/8)
休暇の効用(財経詳報1985/8/26)
愛社心への歯止め(財経詳報1985/10/7)

1998/4/12 掲載)
経済力に相応しい金融・資本 市場の自由化を(週刊財経詳報1984/3/5)
米国による技術情報流出規制問題へ適切な対処を (週刊財経詳報1984/4/2)
「ジャバントラスト」構想を成功させよう (週刊財経詳報1984/8/3)
貿易も碁の精神で (週刊財経詳報1984/9/24)
国際化時代にふさわしい教育改革を(週刊財経詳報1985/1/28)
歩みを緩め、考えるべき時(週刊財経詳報1985/3/11)
1998/4/11 掲載)

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1998/4/9掲 載)
 




年度別index
年度別index
1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992










1983年

1984年
「血 税』なればこそ国際的にも効果的な予算の編成を(週刊財経詳報 1984.1.23)

  経済力に相応しい金融・資本市場の自由化を(週刊財経詳報1984/3/5)
米国による技術情報流出規制問題へ適切な対処を (週刊財経詳報1984/4/2)
自由 な時間と空間 と(財経詳報1984/5/14)

国際研究協力と創造的技術立国への道(週刊財経詳報1984/6/25)

「ジャバントラスト」構想を成功させよう (週刊財経詳報1984/8/13)
貿易も碁の精神で (週刊財経詳報1984/9/24)

社会の基本設計の見直しを(週刊財経詳報1984/11/5)
リ メンバーパールハーバー(週刊財経詳報1984/12/17)
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1985年 1986年

「2000 年の 社会を展望する」(政府刊行物新聞1985/1/5)
国際化時代にふさわしい教育改革を(週刊財経詳報1985/1/28)
歩 みを緩め、考えるべき時(週刊財経詳報1985/3/11) 「良 く知らされた国民」への道(財経詳報1985/4/22)
「家 庭は銃後」観からの脱皮(財経詳報1985/5/27)
正 論と賢さと(財経詳報1985/7/8)
休 暇の効用(財経詳報1985/8/26)
愛 社心への歯止め(財経詳報1985/10/7)
円 高時代への対応(財経詳報1985/11/18)


飽和時代の内 需拡大(財経 詳報1986/1/20)
情報化と自由化(財経詳報1986/3/3)
羞恥のレベルの低下(財経詳報1986/4/14)
国際 化とナショナリズム(財経詳報1986/9/1)
年賀状に一工夫を(財経詳 報 1986/12/15)
1987年 1988年

国 会審議の充実と改善(週刊財経詳報1987/1/26)
生 かせぬ国際経験(週刊財経詳報1987/3/9)
国 際摩擦と休暇(週刊財経詳報1987/4/20)
な りふりかまわぬ日本でいいのか(週刊財経詳報1987/6/1)
首 相、メモワールのご用意を(週刊財経詳報1987/6/29)
日 本バッシングと加害者意識 (1987/7/27)
予 算編成作業の生産性と四週六休制(週刊財経詳報1987/8/31)
総 裁選と「個」としての議員の判断放棄(週 刊財経詳報1987/10/19)
清 原の涙と優越的地位の乱用(1987/11/23)
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世 界経済システムを支えるものとしての自覚(週刊財経詳報 1988/1/4)
 

中 央官庁の自己改革ビジョン(週刊財経詳報 1988/2/1)

夫 として父親として(週刊財経詳報1988/2/29)
 

円 高・・・・されど円の実購買力は?(週刊財経詳報1988/3/21)
 

食 糧安全保障と農産物の自由化(週刊財経詳報 1988/4/18)

外 圧依存体質と反外国感情の醸成(週刊財経詳報 1988/5/23)

新 聞の「視聴率」(週刊財経詳報1988/6/20)

東 京一極集中と潜水艦(財経詳報1988/7/18)

自 信を持て! 北海道 (「北海通産情報1988年8月号」)

政 治的無関心派の増大とわかりにくい政治(週刊財経詳 報1988/9/19)
一 斉主義への反省 (1988/10/24)
正 しい自国のパーセプション確立への努力を(財経詳報1988/11/28)


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  • 1989年
1990年

土 曜閉庁は緒についたが(財経詳報1989/1/23)
強 気の論理とハードネゴシエーター(財経詳報1989/6/20)
国 際問題を国政選挙の争点に(財経詳報1989/7/25
  • 1991年
1992年
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2000
年の社会を展望するnew

秋光  翔


1985.1.5 政府刊行物新聞掲載
(2006.5.11掲載)



展望の意義

 旧日本軍は、作戦 が失敗した場合を想定した作戦を作っておくことを、敗北主義的だとして排除した。そのため、ある作戦が失敗すると、たちまち予測せざる事態に陥ってしまい 必要以上の損失を招き、これが大敗に繋がったという。

 ところで、将来を 「展望」することの意義は、失敗の恐れのあることをあらかじめ的確に示して警鐘を鳴らすとともに、そういう失敗に陥らないための戦略を練る切っ掛けを与え るところにあるように思える。単に2000年の日本はかくかくしかじかになりますよとまるで空の上からの鳥瞰図宜しく美しいバラ色の未来図を繰り広げてみ たところで、それは絵空事に過ぎず、読者が自分でこれからの時代を考えるための武器を提供することにはならないだろう。

 

バラ色の日本型展望

 経済企画庁が経済 審議会長期展望委員会に諮って昭和57年に取りまとめた「2000年の日本」も、日本の政策が失敗したときを想定した展望を示していない。失敗する恐れが あるということも現在すでに失敗しつつある政策があるということも示していない。さりとて2000年に至る具体的な戦略や失敗しないための戦略が示されて いるわけでもない。世界情勢に大きな波乱もなく我が国の国際関係にもさしたる破綻もなければ2000年に日本は今以上に経済的な大国になり国民所得も世界 のトップクラスになると、現状の延長線上に楽観的なトーンの展望が示されている。

 そこには、国民に 悪い展望を示した政府の失政を攻撃されたり、国民に無用の心配を与えたりしないための配慮も働いているのであろうが、それよりもむしろ旧日本軍以来の作戦 の失敗を前提とした作戦を敗北主義として排する伝統が脈打っているように思える。失敗を想定することをタブー視する日本の組織の限界が提示されていると言 い換えてもいい。

 同書に掲げられて いる様々な政策課題はどの一つを取っても実現には多大の努力を必要とするものばかりであるが、相互の整合性もかならずしも良く考えられていないばかりか、 どの程度実現可能か不明なものが多いにもかかわらず、それがうまく行かなかった場合についてはほとんど顧られていない。従ってこの本を読んでも今国民の一 人一人が何をなすべきかについて示唆を与えられるということがない。

アメリカ型展望

 1980年にアメ リカ政府が纏めた「2000年の地球―21世紀の始まり」は、「2000年の日本」に比べるとかなり悲観的であり、かつ率直である。同レポートはいう。

「もし現在の傾向が 続くならば2000年の世界は、今よりももっと人口が多く、もっと汚染され、生態学的にもっと不安定で、バランスの崩れやすい世界となるだろう。

 人口、資源、そし て環境に対する重大な圧力が、将来にあることは明らかだ。物質の生産は増えるのに、世界の人々は多くの面で、今よりも貧しくなるだろう。

 世界の国々が、現 在の動きを変えるための断固たる行動をとらないならば」と。

 世界がこの様な難 しい課題をかかえているとき日本だけが独りバラ色の夢を実現できるだろうか。「2000年の地球」のひそみに倣っていえば、

もし現在の傾向が続くなら ば、西暦2000年の日本の社会は、今よりももっと高齢者の人口が多く、もっと、経済偏重化され、国際関係はもっと不安定で、バランスの崩れやすい社 会となるだろう。

 人口の急速な高齢 化、社会の一層の経済偏重化、通商摩擦の激化やそれらに伴う国際関係の不安定化、著しい技術の進歩から生ずる重大な圧力が、将来にあることは明らかだ。

 物的生産力の増 大、技術革新の伸展、社会のソフト化、高度情報化の進展はみられるのに、国民の生活は、質的に多くの面で今より悪化するであろう。

 日本人が、現在の 動きを変えるために確固たる行動をとらないならば」と。


断固たる行動とは

 現在の日本の社会 構造は、余りに経済に偏重している。端的にいえば、国民の意識や資源配分の面で、経済が何よりも優先され、その他のものが劣位におかれ過ぎている。「経済 のため」「ビジネスのため」「会社のため」「仕事のため」という呪文が罷り通っており、その他の一切が犠牲にされるか優先順位の下位におかれている。

 この様な経済優先 主義の日本型社会構造を筆者は「日本的システム」と呼ぶ(拙著「日本的システムの総点検」通商産業調査会刊参照)のであるが、これまでの日本経済の成功を 支えて来たのがとりもなおさずこの日本的システムなのである。

 しかし、この日本 的システムは現在では多くの面で見直しが必要になっている。このシステムの下では、物的にも豊かになりえても生活の質的な面では必ずしも向上が期待できな い。国民の生活を質的に向上させようとする視点が欠けており、経済の繁栄に見合った人間の幸福感がもたらされない。逆に経済が発展すればするほど生活面の 質的劣化がもたらされる恐れさえ有している。深夜まで残業し、日曜も接待ゴルフに励めば、確かに会社の業績は向上するであろうが、家庭生活はメチャメチャ になるのは目に見えている。

しかし、日本的シス テムには、この様な生き方に歯止めをかけ、人間らしい生活を復元するメカニズムは、本来組み込まれていない。その意味で現在の動きを変えるための断固た る行動をとることが必要になって来るのである。例えば、週休二日制の完全実施や、長期休暇制にしても自動的に時が経てば実現されるものではない。それを 欲し、必要とする人々の行動があって初めて実現されるものなのだ。

 以上述べたような 意味で我々が現在の動きを変えるために断固たる行動を取らない限り、2000年の日本も現在同様経済偏重の社会で、<いい成績、いい学校、いい企業、いい 肩書き=幸福>という全国民的規模の単純化された価値観が罷り通っており、たとえニューメディアによる情報が溢れ、マイクロエレクトロニクスやロボット技 術の導入によって生活の機能面における利便は増大していようが、国民一人一人の生活は、現在にくらべて質的には向上したものにはならないであろう。

行動を迫る要因

 国民に断固たる行 動をせまるのは一つには、現在の日本の在り方、日本的システムに対する国民の反省や不満であろう。

 そうした反省に基 づき各個人が多様な実践行動に移らないかぎり2000年の日本社会が質的に現在より高い生活を享受できる保証はどこにもない。といってこれまで通りのやり 方でやっていったのでは現状すら維持できるみこみは薄く、恐らく事態はもっと悪化するであろう。

 国民に行動を迫る もう一つの要因は恐らく高度化から来るプレッシャーであろう。資源小国日本が自由世界第二位の経済大国の地位を占めながらその地位に相応しい責任を担おう とせず、自由世界における「富めるアウトサイダー」の安寧をむさぼり続けることはもう他の国々の許すところではあるまい。どのみち破綻を招かぬ前にしかる べき手を打つ必要があるのである。この様なプレッシャーに対してももし的確な手が打てず、破綻を招いてしまえば、バラ色の未来図のごときは一瞬にして消し 飛んでしまおう。

 2000年と言っ てももうわずか15年もど先に迫っているのである。未来は決して予定調和的ではない。その意味で2000年の展望も今日からの各個人の行動に掛かっている のであり、これらの行動と無関係に蜃気楼のごとく空中に浮かんでいるのでは決してない。(完)




(2001/10/10掲載)

「北海通産情報63年8月号」巻頭言

自信を持て! 北海道

(札幌通商産業局長阿部毅一郎)

 毎朝,定位置と決めていた食卓の反対側の椅子に座って見ると部屋の様子ががら りと変って見える。いつも左側に座ることを決めていた通勤車の後 部座席をある日右側に座りなおして見ると,街のたたずまいがまったく趣を変え て見えてくる。このように日頃慣れ親しんでいた視点をちょっと変えるだけで見 えるものがまったく違った様相を呈する。これまで見えなかったものが見えてくる。

 

 東京を中心に据えて北海道をれば.北海道は北の果てであり,積雪寒冷の過疎の 地ということになる。しかし,最初から北海道を中心に置いて見れば,北海道こそ 北緯40度から45度に位置し世界的な近代国家の並ぶ帯の中にすっぼり収まってし まう。北海道の欧州諸国に良く似た快適な気候風土に比べれば.東京は高温多湿・ 人口過密の都市である。

 

  GNPという,戦後の日本がひたすら追求めた価値基準で見れば,北海道は東京に比 べ地域格差のある,成長速度の鈍い地域になる。しかし世界の人々が共有する, GNPだけではなく生活のしやすさとか文化・自然の豊かさをミックスした価値基準 で計れば,北海道のランクは日本でもトップクラスに踊り出る。逆に東京こそ北 海道に比べ地域格差のある地域に落込んでしまう。しかもGNPという基準で見て も,東京だけを相手にせずに世界の国々との比較という視点で見れば,北海道はそ れだけで優にスウェーデンに匹敵し,北欧諸国や多くの発展途上国を上回るる大 国である。成長の速度も平均より遅いわけでもない。

 

 日本は現在国際化が急務といわれるが,それはこれまで日本があまりにも自国 優先主義で,日本人だけの同質的社会をひたすら追求してきた結果,異質なものの 受入れが難しい体質になってしまったことへの反省を迫られているのだ。.日本 中を金太郎飴のような同質化に巻込む渦の中心は東京にあったため,幸いにして その周辺に位置する北海道は異質なものや多様な価値観を受入れやすい性質をま だ多く残している。その意味で多様な価値基準の共存する今後の国際化時代にお いては北海道にはその先頭を切れる素地がある。

 

 このように従来の固定した座標軸を少しずらして見ると北海道の良さがいろいろ と見えてくる。私自身,転勤で視点が東京から北海道に変わったために以上のよ うなことが見えてきた。だから北海道の現状がすでに理想的な状態にあるのだか らなにもする必要が無いというつもりはまったくない。ただ現状でもかなりいい 線をいっている。その現状をはっきり認識して,自信を持て,自信を持⊃た上で今 後の発展を図るべきだと,言いたいのである。

 

   思うに通産局長の役割は道内に向けては自身を持ってことに当たろうと人々の意 識を鼓舞し,道外に向けては北海道の魅力をPRすることだろう。文:化と経済の融 合した活力ある・住みやすい経済社会の建設に向けて道民の皆さんと力を合せて 取組みたいものだ。

「北海通産情報昭和63年8月号」


強気の論理とハードネゴシエーター
(週刊財経詳報1989/6/20)


 国際交渉の場における日本人の貢献はいつも少ない。相手国側から突き付けられる課題に優等生よろしく対応するのがやっとで、自らイニシアティブを 取り、国際的な懸案事項を片付けることは滅多にない。対外交渉における日本人好みの交渉者は決まってハードネゴシエーターである。

 各省や各機関・各団体の期待を一身に背負い、まなじりをけっして相手国との交渉に臨む。決して後にひかない。理は我になくても、頑強に抵抗して譲 らない。強気の論理だけで押し通す。GATTなどの国際機関の裁決を受け入れざるを得ないと分かっていても、態度を留保し、交渉決裂のスタイルで帰ってく る。それを皆して歓呼の声で迎える。よく頑張った、よくあそこまで抵抗した、と誉める。相手側のいい分を認めて帰ってくると、裏切りもの、腰抜け、と非難 され、組織から村八分にされ、排除される。

 もとより、日本のようにコンセンサス社会で、権限委譲を不得意とするシステムの下では、交渉当事者といえども、裁量できる権限は極めて小幅しか与 えられておらず、ちょっとした譲歩についても本国に訓命を仰がざるを得ない。本国からの返電も、かねてからの懸案の難問について短時間で関係者や関係各省 のコンセンサスなど取りつけるのは不可能だから、国益を損なうことのないよう、当初の対処方針通り頑張れとしかいってこない。その結果、日本には会議の流 れに即して自らの判断で日本の国益を守りつつ、積極的に賛否を明らかにし、会議参加者の信頼をかちとり、国の威信を高めるような良きネゴシエーターはまず 育たない。訓令の命ずるところ交渉当事者はいつも無残な最後の抵抗を試み、各国代表の失笑を買う。

 それでも、最近では影響力の大きい経済大国日本の主張とあらばある程度各国も尊重せざるを得ない。渋々主張を認めるにせよ、陰では呆れている。

 各省が出す対外関係の白書類にせよ、この日本流のハードネゴシエーターをきめこみ、非は相手国側にあるとの強気の諭法をふりかざし、自らの非は いっこうに顧みないのが多い。

 今年の通商白書が日本の不均衡是正努力を「国際協調型への構造調整」と自賛し、返す刀で米国にも構造調整努力を求め、経済運営の在り方に注文をつ けて「各国の不均衡是正努力を阻害している」といい切ったのもその類であろう。

 相手国側のいい分を認めれぱ組織の中で浮き上がりかねない。組織の強気の論理に媚びて、改めるぺき自らの体質については、ほほかむりをし、他国に 強く見直しを求めている。

 確かに日本のGNPは大きくなったが、労働生産性がG7の中では一番低く、支払わない趨過勤務手当によって利益を上げている企業体質など国際的に 見れば不公正といわれても仕方がない側面や、生産至上主義のもと輸出体質を改めようとしない日本企業については十分な分析を行っていない。

 そもそも簡箪に国際協調型への構造調整が進んでいるといえるほど体質転換が行われているのが疑わしい。このまま放置して、企業体質が改まり、貿易 黒字が滅少するとも思えない。

 こうした日本産業の実像や、今日本が問われている接待商談や談合など独特の商慣習や閉鎖性についてこそ分析し、日本自身の見直しを迫ることこそ急 務なのではないか。「今、必要なのは冷静に自らの産業の在り方を振り返ることだ」という通産省幹部の米国向けの言葉はただちに日本にはね返ってくる。

強気の論理と日本人好みのハードネゴシエーターが国を誤らせかねない。



 

国際問題を国政選挙の争点に

(週刊財経詳報1989/7/25)


 「大型間接税は導入いたしません」この耳に快い公約で先の衆議院選挙において自民党は大勝を博した。ところが、既にほころんでいた戦後の税制の抜 本的改正をはかる意味においても、消費税の導入に踏み切らざるを得ず、国民の大いなる不信を買った。

 農業の自由化についても、多くの議員は牛肉・オレンジの自由化、農産物一二品目の自由化を迫られたとき、断固阻止すると選挙区で演説した。しか し、結果はみえみえ、外圧に押し切られたという形で国際ルールに従わざるを得なかった。

 今回の参議院選挙においても各党とも国民の耳に快いだけの選挙公約を並ぺなかったろうか。国民の耳に快いものであれぱあるだけ、現実には実現・実 施はむずかしい。この時点では既に国民の裁断は下されているわけだが、今度の選挙で党勢を伸ばした党は、国民の信託を裏切らない形で自党の公約の実現を果 たし得るだろうか。

 耳に快い公約の中には日本がいまおかれている国際環境を無硯しているものが多い。先の農業の自由化問題しかり。農業自由化の推進は、ガット体制下 では先進国として避けられぬ義務であるが、そのことを勇気を持って農民に説得した議員は何人いただろうか。

 選挙公約をそのまま実施すれぱ、国際摩擦をいっそう激化させかねない。もはや、国際社会から孤立しては生きてゆけない国であり、むしろ自らの行動 が国際社会に大きな影響力をもつ国だけに、国政選挙が国際環境を無視したり、国際間題から遊離した論点をめぐって争われるのは、日本にとって、大いなる不 幸というよりない。与野党こぞって、相変わらずこうした内政優先外政無視の政策を公約に掲げその実現に走るならば、一時的な繁栄は可能だろうが、早晩国際 社会からしっぺがえしをうけ、長続きするまい。

 アルシュ・サミット経済宣言においても、貿易黒字国日本の構造調整と輸入拡大が要請されている。また、七月十四日のパリでの日米首脳会議において 構造協議の開始の合意が成立し、両国は国際収支不均衡削滅の障壁となっている構造間題解決を約束した。

 ここでは土地利用、流通制度、内外価格差等の間題が取り上げられることになろうが、具体的な是正措置まで踏み込むとなると、参議院選挙戦における 各党の公約に制約を受け、政府の思惑は通りにくくなる事態が予想される。

 つまり、これほど国際化の進んだ現状の中で各党とも選挙に勝つことにかまけて、国際社会の現状を視野に入れず、あるいは入れることができず、勇気 をもって国民に直言するより、むしろ国民の耳に快いことのみを公約に並ぺる愚を犯してきた。構造調整の推進には強力な政治的リーダーシサプが必要だが、参 院選挙の結果は、むしろリーダーシップの弱化をもたらすだろう。その結果、わが国はいわば外圧と内圧の板挟み状混に陥り、全く動きがとれなくなり、結果的 に国際公約を無視せざるを魯ず、一層孤立化を深めよう。

 せめて次の衆議院選挙では各党とも国際間題をあえて選挙の争点に持ち出す勇気を期特したい。投票する国民もまた、長期的な繁栄を真に願うならぱ、 そうした勇気ある政党を評価する目を持たなけれぱならない。



日本バッシングと加害者意識(週刊財経詳報 1987/7/27)
清 原の涙と優越的地位の乱用(週刊財経詳報1987/11/28)
東京 一極集中と潜水艦(週刊財経詳報1988/7/18)

日本バッシングと加害者意識

(週刊財経詳報1987/7/27)

 この頃、日本バッシング(叩き)なる言葉をよく見掛ける。世界の国々は日本をよってたかって叩いている、という意味だ。この言葉をテーマとする特 集記事も多いが背後に日本は理不尽に叩かれているとの被害者意識が強く感じられる。

 「このまま叩かれるのを放置すれば日本は本当の悪老にされかねない。日本はいうぺきことをいい、もっと日本の真意を理解されるように努めなければ ならない」といった類いの識者のコメントが決まってついている。

 それに反して、日本が現実に相手側の経済を叩いている、ある意味では叩き壊しているという意識、加害者意識となるとまるで薄い。加害者としての自 已認識に欠けれぱ、相手側からの正当な批判、ちょっとした非難もすべて日本叩きとなり、排撃、攻撃に晒されているとの被害者意識に陥りやすい。早急に手を うつぺしとの認識には繁がらない。

 日本には、もともと自已正当化の風土がある。たとえぱ一度組織の一員となると、その組織を批判的に見る目を養うことはむしろタプーとなる。それを 破れぱ組織の一員としての適格性を疑われ、組織からおいだされかねない。だから、だれもが組織のためならエンヤーコラ、ワッショイワッショイと御輿を担 ぐ。

 組織や、あるいは組織の一員として自分がやっていることを謙虚に反省し、悪いところを組織内で改善していく文化的伝統がない。

 内部批判をタプー視するぐらいだから、外部からの批判に対しても組織の成員が一致団結してはねつける。それが日本大に拡大された図が日本バッシン グに対する日本の対応振りだ。こうした加害者意識に欠けた被害者意識が日本を巡る現在の国際的な摩擦の大きな原因になっている。世界の要請は、日本は集中 豪雨的な輪出をしたり、休暇もとらずに働いたりせず、世界の中の一員としてもうすこし歩調を揃えて歩いて欲しい。金儲けだけにうつつを披かさず、自由主義 諸国の安全保障にも配慮して欲しい、ということだが、自らの加害者性を意識しない日本はそうした要請を日本叩きとしてとらえ、被害者意識から反発する。

 いい商品を提供してなにが悪い、勤勉性は日本の伝統だ、悪いのは日本ではなく、ろくすっぽ働きもせず、競争力のない商品を作る、相手側にある式の 議論で抵抗する。

 だが、商品の国際競争力が強すぎることは、攻撃性があり、加害性が強いことだ。急激な円高を引き起こしながら一向に輸出の衰えぬ経済構造、東芝機 械のココム違反事件、半導体協定違反事件にも日本の加害者的側面が伺われる。ところが、いつまでたっても自らの加害性には気付こうとしない。

 戦前にも中国や東南アジアヘ大東亜共栄圏構想という自已中心の大儀名分を掲げ加害者意識を欠いたまま侵攻した。これを非難する米英などの論調に被 害者意識から反発し、国際世論の中で孤立、戦争に突入した苦い経験を持つ。

 現在、日本企業の海外進出が盛んだが、日本的経営の中には相手国の労働者や、市民的権利に対する加害性を多面的に含んでいるとの自已認識を欠き進 出後摩擦を起こしている企業も多い。今後国際関係は一段と深まろうが、そうした認識を欠けば摩擦や対立は益々激化しよう。

 いずれにしても日本の組織が自ら加害性を持っていることを是認しにくい体質を持っており、このことがその除去にあたって大きな障害となることは目 に見えている。このまま推移するとき日本はなぜ日本のみが叩かれるのか分からぬまま、世界から本当に相手にされなくなる危険性を内包している。



 

清原の涙と優越的地位の乱用

(週刊財経詳報1987/11/28)

 九回二死なのに大粒の涙をこぽした西武ライオンズの清原選手。勝利はほぼ手中にあるとはいえ、まだ巨人が攻撃中のおえつだから、観衆のみならずテ レピさじきも異様な感に打たれた。あと一死で日本一という喜びは分かるが、それだけなら去年の対広島で経験済み。そこで、憶測が生まれた。

 六十年ドラフト会議のいきさつが影響しているというのだ。幼いころから巨人にあこがれ巨人も自分を指名してくれるに違いないと堅く信じていたの に、いざふたをあければ「早大進学」を表明していた同窓の桑田が指名を受けた。断わるかとみえた桑田はすんなり巨人入り。どうも最初から示し合わせた節が ある。その憎い巨人をあと一死で打ち破り。日本一…。これで巨人を見返すことができる。そこで思わず不覚の涙をこぼしたというのだ。

 いささか因縁諸めくが半ば真実が隠されているように思える。

 巨人といえぱプロ野球界で名門中の名門、歴史も一番古く、人気は随一。テレピ放送も巨人のからむゲームでなければほとんど取り上げないほど、他の チームからかけはなれた存在だ。その巨人が、その優越的な立場を利用して、いわば純真な若者の気持ちを踏みにじるような振舞いをした。

 しかもこれが最初ではない。一〇年前には江川の入団をめぐってもいわゆる「空白の一日」を利用して強引な契約を結んだことがある。

 常に勝たなければならない宿命を持たされたチームとして、いい選手を集めようとする気持ちは分かるが、プロ野球全球団が申し合せた事項を、最も優 越的な地位にあるチームが破るというのは、何としても釈然としない。弱小チームが同じことをやったらどうするのだろう。

 ところが世の中を見回してみると、この優越的な地位を、なりふりかまわず利用するものが案外多い。

 就職協定があってもそれを破るのは、決まって新卒に人気の高い大企業である。就職試験の解禁日など有名無実で、その日までにすでに一流大卒の成績 優秀者を内定してしまっている。みんなそれを知っていても抗議できない。中堅中小企業が抗議すればその優越的立場を笠に着て逆にやり込める。

 生産面でも、中小企業の分野にも大企業が進出して市場を撹乱する。親企業は下請企業にたいする優越的な立場を利用して、円高になれぱコスト切下げ のしわよせをする。看板方式あるいはジャスト・イン・タイムといわれる受注品納入方式は、大企業にとっては在庫をほとんど抱えずにすむので有利だが、下請 企業側では、変わりやすい交通事情のもと常にジャスト・イン・タイムに納入しなければならないのでむしろコストがかさむ。しかし下請側の不満はなかなか聞 いて貰えない。

 こうした優越的地位の裸の乱用はいわば強者の論理だ。日本ではこれが現在でも堂々とまかり通る。そのためその論理をほとんど悪いと意識せずに国際 的にも展開する。近隣のアジア諸国に対しては、長年にわたって貿易不均衡を改善しないまま放置し、進出企業が、その優越的地位を利用して、現地企業の市場 を奪い相手側を窮地に追い込む。

 アメリカに対しても半導体で見られたように集中豪雨的な輸出攻勢で、優位性を失った産業の市場を根こそぎにしてしまいかねない。つい最近もテレビ のブラウン管のダンピング容疑で日本の大企業がクロの判定を受けた。

 アンフェアといわれるやり方で入団した江川の選手寿命は意外と短かった。日本が優越的な地位を利用したアンフェアなやり方を続ければ、これまた因 縁話めくが、経済大国としての寿命も余り長くないのであるまいか。



 

東京一極集中と潜水艦

(週刊財経詳報1988/7/18)

 潜水艦に乗ったことのある人ならご存じだろうが、内部の空間は息苦しいほど狭く、閉所恐怖症の人ならたちまちダウンすること必定だ。その限られた スペースを最大限有効利用するため通路の壁といわず、船室の天井といわず計器類や配管類が所狭しと並んでいる。高級オフィサー用を除けぱ一般船員用の居住 空間は貧弱そのもので、蚕棚のような作りのベッドは横向きになってやっと寝れるほどの幅しかない。

 それに比ぺると、魚雷やミサイルの発射装置や弾薬庫等戦闘に直接関係するスペースは、船内の一等地にゆったりととられている。ただこれは潜水艦が 戦艦の一種であるかぎりむしろ当然であろう。

 現在の東京の姿はこの潜水艦に驚くほど良く似ている。都心の一等地はビジネス用のピカピカのオフィス・ピルが占め、住宅地はピジネス用地のはるか 後方にしつらえられている。しかも、最近の地価高騰の煽りでますます後退している。縁地や空間地の少ないマッチ箱のような住宅から、勤労者は朝夕のラッ シュに揉まれ、一時間半から二時間もかけて、都心のビジネス地区へ通う。ごく限られたピジネス一エリートだけが都心の社宅やきわめて高価なマンションに住 めるが、彼等にしても退職すれば都落ちを余儀無くされる。四〇年勤続しても、退職金では、今や億ションといわれる都心のマンションの一室ですら買えない。 相続税も高く都心の宅地は次第にビジネス用地に置き代わっている。

 要するに、東京は今もって、経済戦争を勝ち抜くための戦闘能力の高い布陣を取っており、ますます強固なものへと移行している。戦闘力を強めるため 日本中の有力企業が本社を東京へ集中し、あらゆるビジネス機能が都心へ集中したが、その勢いは今日でも衰えないばかりか、まだかなり根強い。

 ピジネス街では企業戦士たちは連日夜遅くまで戦時中さながら走りまわり、経済的戦闘に従事している。今も戦時中、戦闘中の感覚で仕事をしているの で戦闘員の居住空間は二の次三の次になる。企業戦士たちは、都心から遠いマッチ箱のような住宅にいわば仮眠を取りに帰り、直ぐさま第一線にかけ戻ってき て、戦列に復帰する。

 銃後の家庭は今もって「欲しがりません勝つまでは」の心境で戦闘態勢にある夫を後方から支え、父無き母子家庭での耐乏生活にもじっと耐えている。

 戦後一貫して持たれてきた価値墓準は、GNP一本やりの経済優先主義であった。現在の東京の構造や東京への一極集中は正しくこのGNP信仰の帰結 に他ならない。経済戦争を勝ち抜くために国民の居住空間をないがしろにし、ひたすら、経済戦争用の魚雷やミサイル発射装置や計器類用の空間を優先充実さ せ、日本全体をいわば大型の潜水艦へと改造してきたのである。

 その結果、GNPで見るかきり一人当たりで世界一の水準に達し、経済的には豊かになったものの、本当の豊かさが実感できないでいる。その意昧で東 京一極集中を改めるには、GNP信仰を改め、経済優先の単一的画一的価値観を改めるよりない。

 価値墓準の中に文化・社会生活・家庭生活・地域・墓本的人権の尊重などの多様なものを取りこまなければならない。こうした多様な価値が充足されて はじめて豊かさも実感できるのである。

 東京一極集中の是正策として政府が打ち出した一部の政府機関の移転などこうした面への洞察を欠いている。東京一極集中がそうした単純な方策でかた のつく問題ではないことに気付かなければ、解決への道は遠く険しい。
 


1998/10/8掲載)
ゆ とりある社会の建設と北海道民の先覚的意識(週刊財経詳報1998/2/28)new
企業牢獄に閉じ込められないために(週刊財経詳報1989/4/4)
「常軌」の許容範囲(週刊財経 詳報1989/5/18)



 
 



ゆとりある社会の建設と北海道民の先覚的意識

(週刊財経詳報1998/2/28)
 北海道民の約八割が、現在住んでいるところを「住み良い」と感じ、九割近くが今後も道内への定住を望んでいる。そんな調査結果が、北海道が先月末発表し た「六十三年度道民意向調査報告書」で明らかになった。

 北海道は、これまで基幹産業の座を占めていた造船、鉄鋼、石炭等が厳しい産業構造調整を迫られており、経済成長率も他の地域に比べ低く、有効求人 倍率も全国が一を越えている中にあってまだ○・七五に過ぎず、現在も人口の流出が続いている地域ではあるが、この調査結果は、道民にとって、北海道がなお きわめて魅力に富む地域であることを示している。

 しかも、同調査によれば、二一世紀初頭の理想的な北海道像については「精神的にも肉体的にもゆとりのある社会」との回答者数が、前回五十九年度の 調査でトップだった「産業と経済の活力に満ちた社会」に入れ替わって最も多い。これは、今後のわが国の方向を考える上で大いに示唆に富む。なぜなら、ここ には明らかに道民意識の徴妙な変化が映しだされており、しかも、既成の価値観を覆しかねない質的な変化の兆しが読み取れるからである。

 戦後、日本は経済成長優先の政策を遂行し、その結果、現在では、自由主義諸国第二の経済大国となり、一人当たりGNPは世界一のレベルに達した。 しかし、国民にはその実感は乏しく、労働時間ひとつをとっても、先進工業諸国の中にあって最長であるだけではなく、この好況の最中、まだ増加している始末 である。これでは産業や経済の活力に満ちた社会ではあり得ても、精神的にも肉体的にもゆとりのある社会とはいいがたい。

 その中で、道民が、経済的には必ずしも活力に満ちているとはいえない状況の北海道を往み良いと感じ、そこへの定住を望み、経済的活力よりも「ゆと り」を選好していることに、特段の重みがある。北海遺には、経済的に活力に富む東京や大阪などの大都市地域に比べ、広大な空間地があり、自然が多く、人口 密度も首都圏に比べ実に十三分の一である(全国平均の五分の一)。どの都市もおしなぺて、良く考えられた都市計画のもとに建設されており、自然が豊かであ る。人口十六○万人を擁する道都札幌にしても例外ではなく、道路は整然と碁盤目状に引かれ、郊外のみならず街中にも緑が多く、いわば自然と人間とが共生、 共存している。街路や郊外の道を歩いているとなにか幸福な気分にさせられる。

 生物である人間が生理的精神的に必要とする空間やゆとりが札幌(北海道)にはあり、それが自ずと満たされるので、なにか幸福な気分、満たされた感 覚が湧きおこってくるのであろう。

 先の調査は、道民が横並び意識から他の地域並になることを目指すよりも、北海道の持っている自らの利点や独自性を自覚し、それを追及することに重 きを置きはじめたという意味で画期的なのだ。地域の変革なくして、日本自体の変革はあり得ないのである。

 北海道は、こうした意味において日本の進むぺき道を先取している。他の地域も早晩北海道的な地域づくりを目指さざるをえまい。しかし、東京が北海 道に追い付こうとしてもそれは絶望に近い。そこにはGNPでは到底埋めがたい「地域格差」がある。

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企業牢獄に閉じ込められないために

(週刊財経詳報1989/4/4)
  四月  この月、企業が希望に満ちた新入社員を迎える陰で、定年退職していく人、あるいは自ら希望退織していく人も多い。こうして退職していく人々に とって、満足な職場生活だったのだろうか。その中には、数十年も前、新卒者として希望に胸を張らませて入社したものの、仕事の中身が自分の予想とまったく はずれ、どうしても興味が待てない。どこか他の職場に変わりたいが、転職は難しくまた不利である。仕方無く同じ職場にずるずると止どまる。日を重ねていく うちにますます転職が難しくなり、とうとう憲年退職の日を迎えてしまった。今さら後悔しても始まらない。といった人も少なくあるまい。

 こうした人にとっては職場は一度入ったが最後抜け出ることのできない牢獄にも等しかったろう。職場が牢獄になったらそれこそ悲劇である。今年も多 くの新入社員が、就職したが、彼等が企業牢獄に閉じこめられるおそれはないだろうか。

 日本人は、高い犠牲を払っても、表向きの平穏を維持しようとする性向が強い。低い転職率が示すように、一度、会社に入ればそこを自分の居所と決め て、滅多なことがないかぎり転職しない。これは、一つには、体裁を保とうとする慣習の現れでもあるが、多くの場合、転職自体がきわめて難しくかつ社会的に 不利だからでもある。

 給与が仕事の内容に応じて支払われる能率給ではなく、初任給が安く年功で給料が上がっていく。いわゆる年功序列制である。こうした給与体系のもと では、転職は明らかに収入減をもたらす。しかも、あらゆる職場が共同体化しており、上司に一度気に入らないと思われたら、一生うだつが上がらないばかり か、転職すれぱ余所者として、精神衛生面でも様々な不利益な取扱いを受ける。

 それとも関連するが、日本には転職や中途採用者のための大きなかつ自由な労働市場がなく、自由に就職先を選べるのは、新卒者に限られている。その 意味では、一生に一回かぎりの職業の自由選択権しかない。企業のメインストリートを歩もうとするなら、新卒者として入社するよりない。やりなおしが利かな いのだ。その意味では日本では就職はとてつもなく大変なことでもあるのだ。

 窓際族、強制的な他社への出向等、いわぱ「企業内離職」に近い就業形態がいろんな形で存在し、問題化するのも、転職が難しくまた不利なためであ る。苛められ、除け者にされてもその職場にしがみつかざるを得ない社会的条件があるからである。

 仕事は、本来喜びに満ちたものであるべきはずなのに、なぜこの様な不可解な状況が生じているのか、自分が興味の持てない職場にしがみつくことがだ れにも決して誉めるべきことではないことが分かっていながら、日本ではこの間題に真正面から取り組もうとしていない。

 とはいえ、すぺての労働者が、世間体や不利な取扱いだけのために、自分の気に入らない職場に止どまろうとしているわけではない。とくに若い人を中 心に、転職する人は増えつつある。中には、特定の職揚に就職しようとしない人々も生まれつつある。企業が若い人にとっても魅力的なものにならないかぎり、 こうした傾向は増大しよう。

 この動きは、日本的経営の特質とされる終身雇用制や年功序列制にも様々な影響を及ぼし、企業側としても安閑としてはおれない事態を引き起こすだろ う。いずれにせよ、国際化時代を迎えて、より自由な就職・転職が可能で、自分に合った職揚選択のできる労働市場形成への模索が続けられなければなるまい。

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「常軌」の許容範囲

(週刊財経詳報1989/5/18)
 日本人の行動原理の一つとして、常軌を逸しないように振る舞う。つまり世間並みでないことをしないようにする、というのがある。

 従って常に周りを見渡して、世間並の相場を探り、周りに合わせて行動する。世間とはいいながら、日本人はまた一所懸命の民族だから、その世間はそ れほど広くない。会社員にとってはその会社か業界、学生にとっては学校、財界人にとっては財界、政治家にとっては政界が彼等の認知する世間になりやすい。

 その限られた世間の中で通用する「常軌」なるものに従って行動する。逆にいえぱ、一般世間や他の世間から見れば常軌を逸することであっても、自分 の属する狭い世間で許容されるものであれぱ、それを常軌としてその限度一杯利用して揮らない。世間一般の常軌に照らして自主規制することはまずない。

 ところで、会壮にせよ、学校にせよ、財界にせよ、政界にせよ、日本の場合、閉鎖的で、異質性のある人を排除する性向を持っている。そのため、次第 に、同質性の高い人のみが寄り集まることになりがちである。その結果、片目でのみ物事を見るのと岡じ事になり、内部で自主規制する機能がなかなか働き難い システムになってしまう。このため、知らず知らずのうちに、一般世聞がら見れぱ常軌を逸したとかいいようのない行動原理や論理が慣習化しやすい。

 しかも、そうした慣習もそれぞれの世間が没交渉で閉鎖的なので、なにかよほどの切っ掛けでもない限り、一般世間の目には触れることがない。そのた め、一般世間の常軌を逸脱した行為が、ある限られた狭い「世間」では全く日常茶飯事として、誰はばかることなく行われることとなる。ところがこれがなんら かの切っ掛けでいったん表沙汰になると、一般世間の常軌からあまりにも逸脱しているので、非難の集中放火を浴びる。

 リクルート事件がその典型例である。政界あるいは永田町という狭い世間に通用する慣習や論理を世間一般に通用する常軌と思いこんで行動していたの が、いったん表沙汰になると一般世間の常軌から大いに逸脱しているとして、総理大臣までもが辞任へ追い込まれる事態を招くことになったのである。当初政界 人から、これは常軌を逸したものではないとの反発が多く出たのも、これがこれまで政界の常軌であったことを裏付けている。

 今後、このように「常軌」を逸した行為をしないようにするには、常に広く世間を見渡して当然と思える習慣や論理を見直す習慣をつけなければならな い。また、それがしやすい体制づくりを図らなけれぱならない。

 つまり、各々の狭い世間の閉鎖性を打ち破り開放化を押し進めるとともに、異質性のある人々の排除をやめる必要がある。こうして、片目でなく両目で 世の中を見れるようにすれぱ、常軌から逸脱しようとすれば気がつきやすい。また、国際化時代の今日、当然、その視野には、日本のみならず、世界的な複野が なければならない。証券のインサイダー取引に対する法規制も、世界的な常軌からの逸脱を是正する観点が含まれているように。

 今後、わが国が国として「常軌」を逸しないように行動するためには、国際社会における常軌との絶えざるすりあわせが必要なのだ。それをないがしろ にすれば、通商・文化摩擦は激化し、日本の孤立化に拍車がかかろう。リクルート事件は、日本の常軌に対する大いなる疑念を各国にうえつけたことを忘れては ならない。

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1998/10/7掲載)
総 裁選と「個」としての議員の判断放棄(週刊財経詳報1987/10/19)
一斉主義への反省(週刊財 経詳報1988/10/24)
正 しい自国へのパーセプション確立への努力を(週刊財経詳報1988/11/28)
土 曜閉庁は緒についたが(週刊財経詳報1989/1/23)
 
 



総裁選と「個」としての議員の判断放棄

(週刊財経詳報1987/10/19)
 自民党の総裁選がいよいよ最終段階に入った。筆者がこの原稿を書いている時点では、総 裁侯補「宮安竹」の「話合い」で決着がつくか、二十日の本選挙に突入するか、予断出来ないが、これまでの経緯を見ると、変革の時代・国際化の時代にふさわ しい総理大臣を選ぷという大所高所からの議論はなく、ひたすら派閥次元の取引に終始している観が深い。

 
というのも現在の政治をどう変えていくかの観点がそもそも三氏の「政権構想」には欠けて おり、三氏とも中曽根政治の継承を唱え、それにちょっぴり新味をつけくわえているに過ぎず、むしろ三人の考え方に大きな差異がないことを確認し合ってさえ いるからだ。

 政策が異なるから新政権を編成するのでなく、自民党の内部事情で、しかも年功序 列の順送り人事で交替というのでは、どうしてこの時期にやらなけれぱならないのか分からない。日本人にも分からなければ、外国ではもっと分かりにくいこと だろう。

 それに、政治路線の継承はえてして亜流に陥り易く、本人ほどに旨く行くはずもな いが、路線を継承しなければ政権がとれない状況では、新政権には、いま必要な思いきった改革は期待出来ない。その結果、自民党の自已改革能力はますます衰 えざるを得まい。

 三氏の中曽根政治の継承路線宣言が、総理にならんがためのリップサービスであれ ば、これこそ国民の利益や世界の要請を忘れ、派閥の利益優先・手段を選ばぬ戦術優先の思考というぺきであろう。

 総裁選の過程に一貫して見られるのは、「話合い」にせよ、「本選突入」にせよ、 ここには、各議員の「個」が全く登場せず、見事に集団の中に埋没してしまっているということだ。三氏の「話合い」で決着がつく場合、個々の議員や党員の判 断はどうなるのか。三氏の順送りたらい回しをも「話合い」で決めていいのか。

 決戦投票になればどの派閥とどの派閥が手を握るかによって、簡単に票読みが出来 る。議員の一人一人が自己の良心にかけて、派閥の申合わせから離れ、これからの日本を背負って立つにふさわしい人を選ぶという判断を放棄し、派閥の長ある いは手を握った先の派閥の長に自動的に投票するからだ。

 松山幸雄が「日本診断」(一九七七年)の中で、米東部有名大学の教授が「日本政 治セミナー」で、一九五六年の総裁公選を教材に「封建主義の生きた実例を知りたければ、日本の自民党総裁公選時の派閥のしめつけを見よ」と、学生たちに講 義をしたという話を紹介している(六三頁)が、三〇年経っても事情は全く変わっていない。

 一国の総理を選ぷ過程においてすら、議員一人一人の「個」は完全に集団の中に埋 投する。日常的な法案や予算の審議になればなおさらで、議員は野党を含め自已の所属する党のために自己の政治的判断を放棄する。一度党へ入り派閥の一員に なると自分の判断は党の大勢や派閥の申合わせの前に放棄するのが当然という構造が出来あがっている。

 これでは国会審議に盛上がりが欠け、裁決の投票に一片のスリルが感じられなくて も仕方がない。派閥の長からのあてがい扶持の恩義や論功行賞の期待で、貞己の良心まで売ってしまうというのでは情けない。だが、現状では「保守永久政権」 のもと、既得権が安定化してしまい、「個」はますます押しつぷされ、自由に動けないシステムになっている。一刻も早くこの様な状況を打破しないかぎり民主 主義が閉塞しかねないところまで来ているが、その改革を既得権を土台に出てくる新政権に期待するのは残念ながら無理のようである。

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一斉主義への反省

(週刊財経詳報1988/10/24)
スウイッチが入るとベルトコンベアーが一斉に動き出し、従業員は持場持場で部品を取りつ け、ボルトを締めるなど一斉に作業を開始する。ありふれた工場の朝の風最である。夕刻、ベルトコンベアーが止まれば、仕事はそれで終わり、従業員は一斉に 退社する。

 このように工場では、仕事はその性質上、一斉に始まり、一斉に終わる。そうでな くては効率が悪くてしょうがない。しかし、オフィスの仕事は必ずLも、一斉に始めて一斉に終わる必要がないものが多い。にもかかわらず、オフィスでも今 もって工場並の一斉主義が墨守されている。そのため社会的に大きな歪みが生じている。

 朝のラッシュ。毎朝繰り返される、非人間的な押し屋による電車の中への押込み。 車の渋滞。しかし、ラッシェに呻吟しながらオフィスに通う人のすべてが、あの時間に本当に出勤する必要があるとは限らない。従来からの惰性で会社の出社時 刻が全員同じに決まっているがために、やむを得ず通っている人も多い。仕事によっては、少し遅めに出ても差支えないようなものも少なくない。たとえぱ国際 的な業務に携る人はむしろ、相手国の時間に合せて出社するほうが能率が上がる。そうしたことをきめ細かに点検して、社員一人一人の出退社時刻を調整すれ ぱ、ラッシュは相当緩和されよう。現在では不経済なことに、ラッシュに対応するために押し屋を配し、車両の増強や道路の整備を進めている。だから、ラッ シュアワーが過ぎれぱ、それらの稼動率や利用効率はとたんに低下する。

 出退社時刻が同じなら休日休暇も一斉に取ることになっている。有給休暇の消化率 は今もって六〇%に過ぎず、土日に一斉に休み、ゴールデンウィークと盆暮に大型休暇を一斉にとる。

 そのせいで、ゴルフ場などのレジャー施設の料金も土日には、平日の二、三倍もす る。お盆や暮には高速道路に数十キロメートルに及ぶ車の渋滞ができ、駅や空港は人で身動きできなくなる。レジャー施設やリゾート地域は、ハイシーズン価格 を設定する。

 しかしこれは自衛策であって、稼げる時に稼がないとお客はいつも安定的に来ては くれないのである。平日はゴルフ場にせよテニスコートにせよがらがらのところも多い。もし、年聞を通して稼働率が安定すれば、料金ももっと安く設定できる だろうし、経営も安定するであろう。

 その意昧からも、もうそろそろ工場並みの一斉主義を改めていい時期であろう。幸 いにしてわが国の経済も現在順調であるし、環境は整っている。一斉主義をもたらしている様々な制度を見直すとともに、有給休暇は、病気と冠婚葬祭にだけ使 うべきで遊びには使うべきではないとの偏見を改め、社会金体として個人の自由時間を大いに尊重するように持っていく必要がある。

 個人が、悪しき一斉主義から解放され自由に自分の自由時間を持てるようになり、 それをレジヤーや知的生産に使えるようにならなけれぼ、たとえ一人当たりのGNPがいかに増えても、生活の「貧しさ」から解放されることにはならない。
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土曜閉庁は緒についたが

(週刊財経詳報1989/1/23)
 長年の懸案であった中央嘗庁の土曜閉庁がやっとのことで実現し、一月十四目から実施さ れた。といっても完全土曜閉庁ではなく、まだ、月二回、第二、第四土曜口に限られている。これで、現在二、一一一時間の一人当たり年間労働時間を、新経済 五カ年計画でうたった計画の最終年である九二年度までに一、八○○時間に短縮する計画にはずみをつけようというのであるが、果たしてうまくいくかどうか。 計画初年度に当たる昨年の実績でみるかぎり、労働時問は、短縮どころかやや増加しており、目標実現には早くも赤信号がともっている。

 たしかに日本の一人当たりのGNPは世界一になったが、競争相手である先進工業 諸国よりも年間二〇〇時間から五〇〇時間も長く働いた緒果であれば、それほど自慢できたものではないし、国民に世界一豊かだという実感が湧かないのも当然 だろ」う。他国の人々がのんぴり一〜二月の長期休暇を楽しんでいる時、日本人は汗水たらして働いているのである。

そろそろ、日本の現在の経済社会システムの能率の悪さに気付いて、大いに反省し、 システム全体の造直しに取り組むぺきときに来ている。一人当たりのGNPが世界一になったものだから、システムの効率まで世界一との錯覚がいきわたってい る。しかし、どう考えても、年間で一月から二月半も長く働かなげれぱ、他国並みの生産性を上げえないシステムが効率的とはいえないだろう。

 システムの造直しのためには、万事が仕事優先という風潮を改めなければならな い。個人の自由時間よりも常に仕事を先におき、それに従わない従業員を非難し、排斥する。その結果、職場が開いているウィークデーには、退社後の計画すら 自由につくれない。コンサートヘ行く。パーティを開く、友人と会うなどの約束さえできない。約束していても、仕事が舞い込むとキャンセルせざるを得ない。 これでは、個人生活は貧しくなる一方だ。

 サラリーマンの多くが、そういう生活を余儀なくされている。これでは日本全体の 文化の質の向上なだ期待できない。近代国家の市民が、二一世紀まであと一〇年チョットしかない時点で、自分の自由時間を自由に計画的に使えないという事態 は、言葉のあらゆる意味において、実に驚くベきことであり、悲しむべきことなのである。

 「豊かさ」あるいは「人間らしい生活」は、自分の自由時間を自由に計画的に使え るというところから出発する。

 「連続休暇一週間分の値段」についてニッセイ基礎研究所が調査したところ、在日 外国人ピジネスマンは、日本人ビジネスマンより一二・七倍も高い値をつけた。日本人ビジネスマンの中には「ゼロ円」と答えた者が一割もあったという。

 さて、目下、政府は平成元年予算案編成の真最中、中央官庁の灯は深夜まで煌々と 点り、土日を返上しての作業が続いている。この悪しき慣例を改めない限り、仕事優先の風潮も、労働者一人一人の非人間的な生活も改まることはないたろう。

 お祭り騒きに堕することなく日常的な事務の一環として、それこそ「粛々と」予算 案が編成される日は、いつくるのであろうか。
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正しい自国へのパーセプション確立への努力を

(週刊財経詳報1988/11/28)
 国際間のパーセプション・ギャップは要らざる摩擦や軋轢を引きおこし、国同土の不信感 や国民間の反目を招く。悪くすると、国際関係の冷却化すら助長しかねない。

 その意味で、パーセプション・ギャップをなくす努力を双方向から絶えず続ける必 要がある。その際、相手国側の日本に対する誤ったパーセプションを正す努力はもちろん重要だが、日本についての自らのパーセプションを絶えず検証して常に 正しいパーセプションを持つ努力を欠かしてはならない。

 日本自体についての自らのパーセプションが間違っているため、相手国側が間違っ ていると思うパーセプション・ギャップが一番始末が悪い。

 たとえば、日本側は自国市場は十分自由化されているというパーセプションを持っ ているが、これに対して依然日本を保護主義の国と見る国が多い。こうした際には、相手国側の主張の根拠を検証し、自らの実態を謙虚に振り返り自国について の正確なパーセプションを持った上で、お互い間のパーセプション・ギャップの是正に努めなけれぼならない。

 そうした努力をせず、相手のいい分に単に強硬に反対すれば、目本の将来にとって 禍根を残しかねない。

 自分自身の実像を正確に把握するのが難しいのと同様に、自国の実像を正確に把握 することは非常に難しい。むしろ外側から見た方が正確に把握できる面が少なくなく、相手側の見方に理があることも多い。

 国際間の交渉において、自らの国の実態に対する正確なパーセプションが欠けてい るために交渉当事者間のパーセプションに隔たりがありすぎると、相手国側なそれを意図的な欺瞞・ごまかしと思い込み、信頼に足る交渉相手として認めなくな る。こうしたことが、たび重なれば、わが国全体に対して、信頼できないずるがしこい国との評価が定着してしまう。

 これが国際間の真の友情が育つ妨げになるのはいうまでもなく、むしろ国際関係を 冷やし、やがてその決裂さえ招きかねない。それだけに一国を代表して国際交渉に当たる人にはこうした面での不断の努力が求められる。

 偉くなればなるだけ、周りからは自分の耳に快く響く情報のみが入りやすくなる。 だれも権力者の不興は買いたくない。怒りを買うような情報を上げるより、喜んで貰える情報を選り分けて伝えるようになる。それが続けば、日本の実態や四囲 の情況に対するかなり誤った認識を持つことになる。交渉当事者がそうした誤った認識に基づいて、交渉に当たれば、相手国側の不信を買うのは目に見えてい る。

 権力者は、耳に痛い惰報にこそ耳を傾けなけれぱならない。九九人がそういおうと 一人がいうことが正しいこともある。権力者は、自らの判断力に頼って、敢えてその一人と共に歩む決断をせざるを得ないことも少なくない。むしろ国民や取巻 きの誤ったパーセプションを是正する勇気と識見を持たなければならない。それが国民がら選ばれた選良の責務であり、使命である。

 その意味でわが国としては、自らの実像を様々な側面で厳密化する努力をこれから 長期的にうまずたゆまず続けていかなけれ収ならないし、そのための体制造りやそうした情報が国政を預かる人に的確に伝わるシステムの確立が急がれなければ ならない。

 わが国のように、エズラ・ボーゲルの「ジヤパン・アズ・ナンバーワン」が手放し の賞賛の書として受け入れられやすい風土ではこれはいうにやすく実規には多くの困難を伴うが、日本が国際社会で信頼に足る国として存続してゆくためにはど うしても不可欠である。

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(1998/10/6掲載)
自由な時間と空間 と(財経詳報1984/5/14)
飽和時代の内需拡大(財経 詳報1986/1/20)
国際 化とナショナリズム(財経詳報1986/9/1)
年賀状に一工夫を(財経詳報 1986/12/15)
 
 




自由な時間と空間と

(財経詳報1984/5/14)
 今年の大型連休は好天に恵まれ、余暇を満喫した人が多いことだろう。筆者は、浅間山麓の別荘地に出掛け、仕事から完全に解放された時間と、あらゆる騒音 からまったく遮断された空間の良さとをたつぷり味わってきた。こうした自由時聞と自由空間とは心身のリフレッシュと創造への意欲をもたらしてくれる。

 しかし、たっぷりとという表現には語弊がある。この程度の連休では決してたっぷりといえない。少々未練を残しつつ帰路についたのが本当のところで ある。

 世界の先進国の中には続けて一月も休みがとれる国がある。帰路、そういう国においてはどれほど、この自由時間と自由空間が充実していることだろう かと考えた。自由主義圏第二位の経済大国ではあるけれど、わが国の労働時間は先進国の中では飛び抜けて長く、週休二日制の実施比率もかなり低い。思うに現 在の日本人に最も欠けているのは、この自由時間と自由空間であろう。

 ここで自由空間とは、何人にも干渉されることのない、外部からのいかなる音の侵入もない、絶対的な広さのある空聞である。そこでは絶対的な静けさ を味わうこともできれば、自分の好きな音楽を自分の好きな音量で楽しむこともできる。

 人間は、生物である以上、生命体に必要とされる最小限度の自由時聞や自由空間の不足によって、必ずや、生命そのものへの損傷を被る。また、それら は間違いなく創造意欲の減退をもたらし、文化の質的劣化を引き起こす。近代人特有とされるストレス症状は、多かれすくなかれ、この自由時間と自由空間の不 足に起因している。父親が仕事に生活時間のほとんどを占拠され、家族と日常的な接触の少ない家庭から、非行少年も生み出されるのだ。

 自由時間や自由空間は、今や相当の元手をかけて獲得すぺき経済的な価値である。そのコストを出し惜しめば、長期的には、おそらくとりかえしのつか ないほどの損失を被ることになるだろう。これまでそういう面をないがしろにして来たことが、今日の非行少年や、家庭内暴力や、神経性の病気の多発につな がっている。

 今後わが国が目指すべき技術立国は、創造性豊かな先端技術製品の産出によって生きていく国になるということであるが、そのような創造性豊かな製品 を生産していくためにも、自由時間と自由空間の重要性が認識されなくてはなるまい。働き蜂の性向を有する日本人は、骨身を惜しまずよく働く。しかし、かつ てのようにただひたすら働くだけではもはや食っていけない時代に入りつつある。

 西ドイツでは、週三五時間労働が労働組合の要求項目に取りあげられている時代である。少なくともわが国において、有給休暇の完全消化を督励できな いものだろうか。そのためには特段の理由なく有給休暇を完全消化しないものには健康保険制度の適用を認めないというような発想の逆転が必要であろう。

 日本の資源は、日本人そのものである。その資源の、有効利用とメソテナンスのためにも、今や国を上げて、自由時間と自由空間の確保について真剣に 考える必要がある。
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飽和時代の内需拡大

(財経詳報1986/1/20)
 現在の外需依存型の経濟成長を内需依存型へ転換することはわが国の最大の政策課題だ。これ以上貿易黒字の増大を放置すれば、すでに火のついた各国の保護 主義に油を注ぎ、その猛火で日本経済は焼け落ちかねない。現在の自由貿易体制は、わが国にとって最良の体制なのだから、出来るだけ速やかに構造改革を行 い、その維持強化を図る必要がある。その意味で内需拡大策に脳漿を絞らねばならない時だ。

 国会での六十一年度の予算案審議もそろそろ始まるが、政府案がその期待に応えうるかはなはだ心許無い。政府の来年度の経済成長率見通しは四%で、 東京サミットを意識してかかなり高いが、国庫の経済成長に対する寄与度は相変わらず低率で、逆に、民間の各最終需要項目を最大限水脹れさせており、その実 現可能性はそれほど高いように見えない。国会ではその辺りを十分審議し、実効性のある内需拡大策を是非とも打ち出してもらいたいものだ。

 ところで輸出で稼いだ巨額の黒字は外債投資等を通して外国に流れている。これは国内に投資すべき適当な対象
がないためだ。内需を起こすには、需要を受け入れる余地がなければならないが、現在の日本は、飽和状態に近く、空間、時間、人間のどれをとってもすでにで ノで一杯、これ以上詰め込む余地がないほどだ。空間の方は、個人の住宅にせよ、都市空間にせよ、耐久消費財や住宅・建物が一杯だ。時間の方も勤労者は諸外 国に比べて年間数百時間も長く働いており、このところ自由時間は一向に増えないので、余暇や知的生産に当てる時間がない。また、人間一人ひとりのキャパシ ティにしても一日に食ぺうる量や身につけうる衣類の限界に近いところまできている。このようにすぺての面で現在は飽和時代だ。消費を盛り上げるにも現状で はお手上げに近い。

 とすれば、結論としてはこの際生活様式を変えるよりない。それで新しいモノやサービスを入れる余地を創出するのだ。その意味で労働時間をこの際思 いきって短縮し、自由時間をたっぷりとれるようにすれば、時間も空間も人間のキャパシティもそれぞれ大幅に増す。

 一例を挙げれば、レジャ−用の建設物、施設、備品、衣類、食物等々に対する内需も広がるし、企業戦士も職場外で過ごす時間が増えれば、都市環境や 住宅そのものの質的な向上に対する欲求をもつと高めよう。生活を変える気になればいくらでも内需は出てくる。また自由時間を増やすことは、国民の生活の質 的向上に結ぴつくことでもあり、諸外国からの働きすぎという非難にも応えるものだ。

 働くことは日本人の古来の美風であると開きなおり、これまでのように、ひたすら外貨を稼ぎまくるなら、ある日突然保護主義のABCDラインに包囲 され、これまでの経済的成果さえたちまち失わうことになるのは目に見えている。そんな愚をおかしてはならない。現在は第二次世界大戦前夜同様、わが国に とって今後の命運を決する重要な局面なのだ。二度と判断を誤ってはならない。
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国際化とナショナリズム

(財経詳報1986/9/1)

 
 
 

 他人の思惑など砂しも気にしないで自分勝手に生きることが出来れぱこれほど楽はない。この世はどれほど楽しいことだろう。

しかし、現実社会はそれほど甘くない。わがままが過ぎれぱお尻をピシリとやられることぐらい、三歳の幼児でも心得ている。一二歳の子供なら少々自己 中心的な振まいをやっても許されるが、一人前の大人がやれぱ独善として非難される。

 国際社会で生きていくには他国の思惑への配慮が必要なのは、現実社会と同じた。世界への影響力のほとんどない小国ならいざしらず、日本のような経 済大国ともなると、他国からとやかくいわれる前にそうした配慮が出来るようでなけれぽならない。いや、通商国家として国際社会の中でしか生きていけない以 上、たとえ経済大国でなくともそれ位の配慮は当然だ。

 ところで、最近、通商面のみならず、教科書間題、靖国神社への閣僚の公式参拝間題等、近隣諸国からいろいろと注文が舞い込んで来ている。注文をつ ける国にしても単に方便でいってくるのではなく、余りのことに業を煮やしていって来るのである。内政干渉として排除する前にそのあたりの事情を十分理解し ておかないと、それこそ、わが国は国際社会からつまはじきされかねまい。日本を国際化するということは、他の諸国と「共通のルール」を尊重しつつ友好裡に 共存する術を身につけることだ。

 少々摩擦があるのは一向に構わないが、しよつちゆう大きな摩擦を引起こすようでは、やはり問題がある。そこが国際化がまだ不十分なことの証左でも ある。つまり、こちら側に「共通のルール」に対する理解不足、理解しようとする意欲の欠如、あるいはルールの無視があるということなのだ。そうした自分勝 手、わがままな面を早急に改めなけ机ぱ、長い目でみて国際社会の中で列強に伍しつつ生き残っていくことは難しい。

 日本は敗戦後の焼け野原の中から見事に復興し、今日の経済大国を築き上げた。これは世界に誇りうる日本人の実績であり、その自信が、近年日本人の ナショナリズムを刺激し高揚させてもいる。しかし、復興の過程で世界の国々の大きな助けを借りたことも謙虚に認める必要がある。国際社会が提供してくれた 様々なシステムを使わせてもらいながら今日の経済大国になったのだ。

 ところで、経済摩擦の多くが、国際システムの使い方が必ずしも国際社会の共通のルール・マナーに則ったものでないこと、いわぱわが国の経済ナショ ナリズムの過剰な発露にもとづくものであることも事実だ。また、これまで経済大国になったことを契機として勃興したナショナリズムが、教科書に何を書こう と、靖国神社に閣僚が公式参拝しようととやかくいわれる筋ではないといわしめているのも事実だろう。しかし、こうしたわが国のナショナリズムは、国際社会 の厳しい現実の中で民族が生き残るという面への配慮をその中に十分組み入れたものではない。

 太平洋戦争の経験を風化させたいというナショナリズムの勃興こそ、日本のナショナリズムが国際社会の修羅場を十分経験していないことや、国際化の 試練をナショナリズムの中にピルトインしていないことを示すものだ。独立国家としてその国民がナショナリズムを持つことは当然であるが、「一億玉砕」の思 想に陥りやすい偏狭な、唯我独尊的なナショナリズムは排していかなければわが国は太平洋戦争への道を再び辿りかねない。太平洋戦争の敗北はわが国の偏狭な ナショナリズムの敗北でもあった。この事実を噛みしめ、国際社会で十分通用する息の長いナショナリズムを育む努力が今日何よりも必要だ。

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年賀状に一工夫を

(財経詳報1986/12/15)
 年賀状を書く季節になった。用意のいい人はもうすっかり書き終わったことだろう。筆者は毎年締切りぎりぎりになんとか潜込セーフを決め込むことにしてい る。

 昨年から、はやりの簡易印刷機で色刷の賀状を自分で刷って出すことにした。定型的な賀状が多い中で毎年決まって個性的な賀状をくれる人がおり、こ れはことのほか嬉しいもので、そのひそみに倣ったのだ。

 ところで年賀状のほかにも、退職された人や人事異動のあった人から挨拶状をもらうことが多いのだが、模範文例集から抜書きしたようなものが多く、 一向に面白くない。たとえぱ三〇年も勤めた職場を去るとしたら、もう少しなにか個人的な感慨があってもいいだろう。模範文例の丸写しでは少しも心情が伝 わってこない。それに最近では、結婚式や葬式に出掛けてもどれもこれも似たりよったりで、商業主義に毒されたようなものが多く、これも模範文例同様味気無 いことおびただしい。

 その人らしさというものが全く感じられない、定型的な挨拶文とか式典が日本にははぴこっており、近年社会が安定化するに従ってますますその傾向が 高まっているように思える。その背景を考えてみると、定型からすこしでも外れると、変わってますねえ、とすぐいいだしかねない世間の目がうるさいことがあ る。

 挨拶の仕方など一つ一つ自分で編み出していたのでは大変だし、皆に合わせておきさえすれぼ波風もたたず、無難ではないかという人も多い。長いもの には巻かれろの日本的精神がここでも支配的だ。たくさん出す挨拶状を印刷せずに一々書いていたんではやりきれないよ。第一こうした挨拶状を出すことそのも の淋、生活の定型化以外の何ものでもないという人もいる。

 ところで、そういうふうに考えること、あるいは、考え始めることが、個性の喪失や定型化に繋がる。日本という社会は同質性を組織の統合原理として いるので、定型に拠らないと異質牲を帯び、排斥の対象にされかねない。ということで、ほとんどの人が、冒険を恐れ、毎年決まりきった年賀状や人事異勘の挨 拶状を出し、うんざりする
ような定型化した式典を上げる。

 こうして毎年毎隼個性を喪失し、定型化した人間になっていく。その結果、社会そのものも停滞し、活気を失う。他人に合わせ「お堅い」人生を送るの も一つの生き方なら、自分らしい文章を書き、他人と一味違った生き方をするのも一つの人生だ。今後は個性の尊重される、活気のある社会にしていかねぱなら ない。後生大事に他人に合わせる生き方を守って行くこともない。ちよつとしたことでもいい、生活の隅々に自分らしい工夫をすることがほかでもない創造的な 自分らしい生き方に通ずる。

 これから日本が世界の中で生きていくためにはいろんな意味での創造性が要求されることになろうが、そうした創造性へ至る第一歩として、この暮、去 年とは少し趣の違った年賀状を出すことにしてはどうだろう。さいわい、現在、各種の簡易印刷機が開発され、コピーマシンも一〇万円を切り、ワープロが大変 な勢いで家庭にも入り込んでいる。その意味では、印刷屋のあてがいぶちの定型文から離れて、自分の創意をいれた年賀状を作るのに絶好の環境が整っている。
 

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中央官庁の自己改革ビジョン

(週刊財経詳報1988/2/1)
国会の定数是正の動きはきわめて緩慢だ。最高裁が許容できる限界とした一票の格差が一対三を上回っているにもかかわらずそれを放置している。違憲状況に なったところで定数是正法案を成立させ、国民の信を一刻も早く問い直すのが法治国家とLて当然の義務であろう。最高裁の判決もいわぱ現状追認に近い大甘な 判決であり、憲法の保証する国民の法の前の平等を全面的に保証するなら、せいぜい一対一・二ないし一・三程度までが許容できる限界であろう。国会が本当に 良識の府ならぱ、最高裁の違憲判決を再三再四にわたって受けることも、八増七減という姑息な定数最正を行いたちまち違憲状況に逆戻りする愚を犯すこともな かったろうし、一対一に近いところまで是正するのに本気に取り組むことだろう。今になって思えぱ、国会議員にその最大の権益ともいうべき定数是正を委ねた のがそもそも間違いなのだが、たとえそうだとしても、諸外国がやっているように第三者機関を設置し、そこに調整を委ねる方式ぐらい考え出すだろう。ところ が、それくらいのことは黙っていてもやるだろうという期待はことごとく裏切られ、やっぱり泥棒に自分を縛る縄を結えというのに等しかったかと諦めに近い感 情を今や国民が持つに至っている。

 国会もそうなら中央官庁も同じ穴のむじなで、自らにかかわるすこしでも不利益な改革は頬かむりして放置するか、やるにしてもぎりぎりまで引きのば してからやっと重い腰を上げるのが通例になっている。こういう状況を反映してか、中央官庁に対する内外からの風当たりがこのところことのほか厳しい。

 現在最大の懸案である国際化や自由化間題を取り上げてみても、今やその進捗を妨げる最大の癌は中央官庁にあるといわれている。農産物、建設、金 融、流通などの市場開放要求に対しても業界のみならずそれを所管する官庁側の思いきった自己革新がなけれぱ的確な対応はできないたもかかわらず、中央官庁 の対応はおざなりで、いつも後手に回っている。省益あって国益なし・・・等など。

 これらの批判が一〇〇パーセント正しいとはいわないが中央官庁に多くの改めるぺき点があるのは事実だ。戦後四○年以上もたちさまざまな既得権益 が、各省の現体制と分かちがたく結び付いており、国際的なルールに合うようにほんのすこし変えようとしても至るところでさまざまな権益と衝突する。権益を 失うところは当然反対する。それを押えて改革するにはそれこそ決死の覚悟が必要だ。こればかりは第三者機関に委ねるわけにもいかない。各省が自ら敢り組む よりないという意昧では、国会の定数是正以上の難問といえる。日本の組織はおよそ外部からの批判をよせつけず、身内だけで寄り集まり、権益の拡大に務め、 既得権をその内部で分かちあう、なあなあとまあまあの妥協の世界であり、前例尊重主義で自己革新能力がことのほか弱い。

 戦前日本を戦争に駆り立て国民に塗炭の苦しみを味わ世たのは自已の権益の拡大と擁護に汲汲として自己革新能力の乏しかった軍部であり、それを容認 し、自らも追随した中央官庁であった。その愚を繰り返してはなるまい。

 ところで、各省はこぞってピジョソを民間向けに示すが、これまで放置してきた自らの改革のピジョソ(機構、制度、意識、執務体制、業界との関係な どについて)づくりに取り組んではどうだろうか。それに、現在、新しい長期経済計画の策定作業が進められているが、この計画のなかに是非とも、各省の改革 (再編を含む〕を織り込んで欲しいものだ。現在の体制に多くの改めるぺきことがあることは事実であり、このままでは現在の順調な経済発展が阻害される恐れ がある。反省すべきは反省し改めるべきは改め、それこそ「世界に貢献する日本」を標傍するに相応しい中央官庁づくりが必要な時である。
 

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夫として父親として

(週刊財経詳報1988/2/29)
もう一度結婚するとしたら今の相手を選びますかー「はい」と答えたのは夫は五四・二%、妻は四三・六%、しかもこれが六〇歳以上になると失七〇・三%にた いし妻は半分以下の三三%まで落ち込んでしまう。これは明治生命の調査結果(東京新聞八八年一月十七日)だが、第百生命の調査によるとお父さんの権威もど んどん下がっているらしい(毎日新聞八七年十一月二十七日)。わが家に関しては、主婦の八一%が父親の権威を認めている半面、一般的な父親の権威について は五八%が「薄れてきている」と見、その理由は「家庭を妻に任せっきり」「家にいる時間が少ない」「ヨミュニケーション不足」をあげている。この二つの調 査結果を重ね合せると、不在がちで家庭をないがしろにする父親は自らその権威を失いつつあり、家庭における夫離れ・父離れは男が想像する以上に進んでいる 実態が透けてみえる。誠にうすらさむい。

 昨年一年で大企業の現職社長が一五人も死んだ。そのうち一人は、週日には朝七時に家を出、真夜中まで都心におり、週末は必ず仕事がらみのゴルフと いう生活だったらしい。だが、六一歳のその社長はそれを苦にするどころか楽しんでいたという。しかし、夫として父親として十分役割を果たしていた(来た〕 のだろうか。この社長の奥さんや家族は、会合のさなかに脳出血で「戦死」したとの知らせをどんな気持ちで聞いただろう。

 その他の社長の死因も、想像を絶するストレス、超多忙にあったらしい。正しく「死にたくなけれぱ社長にならないことだ」(岩田弐夫東芝相談役談: 朝日新聞八七年六月二十八日)。

 ある大手商杜の新社長は「私の夏休み」のインタビューで「八月二十日から三日間。とはいっても土曜日が入っているから、正味二日になる」、松江市 の旅館へ出掛け、そこヘベったりはりついて、小説でも読み、頭をからっぽにして、仕事を忘れるつもりと答えている。社員の夏休みはとの問いに「一週間はと れといっている。そのためには、社長が率先して休まねば、社員はとりにくかろうと思った。実は、今年は休みなしで済そうかと考えたこともあったが、やは り、そんな事情も考慮した面も多分にある」(目経産業新聞八七年七月二十九日)。
 
 社長がこれほど忙しく立ち働いている時、社員たるもののうのうと夏休みをとるというわけには行かない。ちなみに昨年の夏休みの平均は六・三四日で一昨年 の六・三八日を少し下回っている(目経連調べ)。完全週休二日制の普及率は欧米の九割程度に比ぺ、まだ二七%に過ぎず、自由時間の国際比較でも(八五年) 日本は年聞平均一人当たり一八五八時間で、米国の約二三○○時間、西独、フランスの二七〇〇時間よりはるかに少ない。

 件の大手商社の社長は、休み観を問われて「リフレッシュのためには、休みが大事だ。本来なら、個人がそれぞれ自由に、年間四○日ぐらい休日をとる のが望ましい」と答えている。休みの必要性を良く理解していながら、現実には正味二日の夏休みをとるのである。

 どうしてこれほど忙しく上から下まで働かなけれぱならないのだろう。その要因は、「人間尊重」の日本的経営そのものの中にあると考えざるを得な い。つまり日本的経営は従業員の全生活を会社の中に取り込み、全員が気を一にし、全社一丸となって邁進するのを基本方針としている。そのため、いつも皆が 一緒にいなけれぱならない。その結果、誰も休めなくなる。休むときにはこれまた気を合わせて一斉に休むよりない。

 こうした日本的経営の在り方に付いて再考し改善を急がなければ、家庭の崩壊現象や現職社長の急死事例は今後とも増大するた違いない。
 

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円高・・・・されど円の実購買力は?

(週刊財経詳報1988/3/21)
 三月初旬米国へ一〇日足らずの駆足旅行をした。帰国するとカメラや電機製品のデイスカウント店が軒並み色褪せて見えるようになった。いや、それだけでは ない。生活の万般にわたりどの商品も割高に思えて帰国後はすっかり購買意欲を失ってしまった。

 驚いたのは、カメラにせよオーディオ製品にせよ、日本製品が日本で最も安い店よりさらに安いのだ。日本のディスカウント店では、最新式の一二五〜 七〇・のズーム機能付きAFコンパクト・カメラは四万円強(標準価格は六万円近い)するが、米国では三万円強だ。CDやビデオのソフトも、日本での価格よ り数割安い。こうした工業製品のみならず、郵便代、航空運賃、電話、タクシー、食料品・農産物も日本での価格を大幅に下回っている。一流レストランで、蟹 サラダ、スープ、それに一ポンド(約四五〇グラム)ものステーキを頼み、ワインを一本飲み、動けないほど満腹しても、二人分で一〇〇ドル内で済ませ得る。 米国在住の日本人の感想では、二〇ドルの購買力が一万円に相当するという。つまり米国で二〇ドル使えば、日本での一万円分の購買ができるというのだ。現在 の為替レートでは一ドルがほぼ二二○円。とすると二〇ドル=二、六〇〇円=一万円というきわめておかしな等式がなりたってしまう。そのくらい円は海外では 強いが国内では弱い。強い円が実感できるのはたまさかの海外旅行の時だけで、日本にへばりついて生活せざるを得ない一般庶民には関係ない。円高にもかかわ らず日本人はその恩恵に浴しているように見えないが、ドル安にもかかわらず、米国内でのドルの強さは相変わらず飛び抜けているように見える。

 とくに円とドルとの実贈買力の差を感じさせられるの
は、土地や住宅である。それにレジャーのコストであろう。このあたりが一人当たりGNPでは世界一の金持ちになりながら、日本人がそれを実感できないこと と深く関わっている。

 サンフランシスコで会ったある日本人は夏休みを二〇日余りとりカナディアン・ロツキーに車で出かけ、六、○○○マイル(約一万・)も走ったとい う。ところがガソリン代は一リットル二五円程度、高速道路の通行料金は無料。宿泊はこれも格安のモーテルで済ませたので、驚くほど割安で家族ぐるみの夏休 みを楽しむことができたという。

 日本だとこうはいかない。ガソリン代金は米国の五倍近い。それに、高遠道路の料金がきわめて高い。ちなみに東京〜大阪間五二四・(用賀〜豊中イン タ−間〕で九、五〇〇円。東京から一、○○○・地点に近い山口県の小郡インターまで走ると一万七、二〇〇円かかる。これは途中下車しない場合の料金だが、 途中で名所見物をしたり、帰省ラッシュの渋滞に巻きこまれてインターを降りる回数が増えたりするとこの料金はさらに増える。モーテルやペンション、民宿も それほど整備されておらず、しかも夏場は割高ときている。となると、日本ではなかなか貰えない二〇日の大型夏休みをたとえ貰えたとしても、一万・の自動車 旅行を家族連れで楽しむわけにはいくまい。

 戦後、日本は世界一効率のいい経済システムを作り上げたが、生活・レジャー面となると、効率やコストの水準がまるで違う。そこには大いなる格差・ 不均衡がある。サンフラソシスコ近郊の緑豊かな住宅環境にある知人の家に泊めて貰い、日本がこういう面を含めて米国に追い付く日は一体いつくるのかと大き な溜息をついたことであった。
 

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食糧安全保障と農産物の自由化

(週刊財経詳報1988/4/18)
 現在、あらゆる面で、国際的な相亙依存関係が深まっており、いかなる国といえども、他国に依存せずに生存していくことは不可能に近い。わが国のように、 資源小国で、石油・食糧をはじめ多くの資源・原材料を外国に依存している国では、輪入が途絶えたらたちまち経済活動が麻痩し、国民生活は破壌される。正し く日本国憲法前文にいうように、わが国は「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」しているのだ。

 これがわが国の安金保障の基本精神であり、危ういといえぱ危ういが、自由諸国との友好的な国際関係なかんずぐ自由貿易体制への依存を抜きにして は、戦後の廃虚の中から、世界第二の経済大国となり、国民一人当たりのGNPで米国を抜く国になることなど不可能であったし、今更江戸時代のような自給自 足に近い鎖国経済に戻るわけにはいかないのだ。

 ところで、最近農産物の自由化を巡って、食糧安全保障論が識者の口に昇る。国民の食糧の自給率はカロリーで約五割、穀類で約三割であり、先進工業 諸国の中では最低で、これ以上自由化して自給率を下げると食糧安全保障が危うくなりかねないというのだ。しかし、これはいささか諭理の飛躍である。白由化 イクオール自給率の低下でもないし、なぜ現在のレペルを越えるとたちまち食糧安全保障が危うくなるのか。現在間題になっているのは、牛肉・オレンジの自由 化であるが、牛肉はともかく、オレンジと自給率とは直接関係あるとも思えない。
 

 また、たとえ牛肉を自由化しても米国からの牛肉の輸入はさほど増えないということで米国からの自由化要求に反論する人もいるが、米国が求めている のは、むしろ率先して自由貿易体制を守るぺき役割をになっている、日本の自覚なのだ。その体制からの最大の受益者である日本に原則を守れ、国際的合法性を 持てといっているのである。むしろ、日本の公正と信義とを米国は期待している。日本が自ら公正と信義を裏切りながら、他国にそれを期待するのは虫がよすぎ る。自由化後いかなる国から牛肉が輸入されようとそれは米国の知ったことではあるまい。

 自由化に対しては、食糧という人の生死に直接関係する物を、他国に依存しすぎると輪入ストップになったり、市場を奪われた後で価格を引き上げられ たらどうするのか、という反論がなされる。その議論は、すでに石油でもアルミニュームでも、レアメタルでも繰り返された。

 しかし、石油にしてもほぼ一〇〇%を外国に依存していながらなんとか旨くやっている。アルミ精錬からほぽ全面的に撤退してしまったがアルミ缶は巷 に溢れている。石油といえど食糧同様人の生命に関わっている。パナナやグレーブフルーツ、サクランポの自由化の時も事前に騒がれたほどの影響を被らなかっ た。むしろ競争力を持った農業に育っている。

 このことは、かたくなに自由化を阻止し、自国ですぺてを自給することによって自国の安全を保障しようというのでなく、自由化の中で国際競争力を持 つ農業を育てるとともに、むしろ諸外国と友好関係を保つことによって、不作・凶作の時に直ちに緊急輸出して貰える体制を維持・整備するほうが望ましいこと を教えてくれる。

 その意味で、自由化を率先断行し、最も信頼し依存すぺき米国をはじめとして、諸外国にたいして日本の公正と信義を示すことこそ、目本の最上の安全 保障であることを忘れてはなるまい。孤立してしまえば日本の安金保障はたちまち危うくなる。戦前のABCD包囲網は今も最良の教訓である。
 

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外圧依存体質と反外国感情の醸成

(週刊財経詳報1988/5/23)
 日本の組織ではあらゆる決定が全員一致方式で行われる。組織の中には反対者はいないとの建前が取られるので、一度公認された方針や政策を自ら変更しにく い。情勢を冷静に判断すれば方針変更はやむを得ないと分かっても、誰もいいだせない。いいださない。このためしぱしば外部からの圧力=「外圧」を利用し て、組織の方針変更、改革・改善を図る。その意味で日本の組織は外圧依存体質だ。過当競争に明け暮れる業界が自ら調整できず、政府の行政指導を仰ぐのもこ の体質の現われだ。

 国も例外ではない。国全体にとって都合の悪い方向への方針転換となると、外国からの「外圧」にもっぱら依存する。このため、国民の側では、国民に とって都合の悪いことを押し付けるのは外国だとの認識を持つようになる。これが反外国感情を醸成する。

 たとえば、米国からの牛肉・オレンジの自由化要請に対して自民党・政府、農民が口を揃えて「絶対反対」を唱えた。交渉当事者も周りが全員絶対反対 では下手な妥協もできない。交渉は決裂。その結果ガットに持ち込まれ、恐らく数年内に自由化に追い込まれよう。「米国も輸入規制しているのに」。国民の中 に反米的な感情が根付く。

 一方米国では日本は自ら率先してガット違反状況の改善を図ろうとせず、米国の正当な要請にも反対すると考える。これが反日感惰の形成を助長する。 こうして日米間に意図せざる反日酌な感惰が醸成される。これは双方にとって大いなる不幸であるが、長期的に見れぱ、総合的な国力で米国に及ぱない日本が、 一層深刻な影響を被ろう。対外経済摩擦の歴吏は長いが、日本はいつも外国の要請に対して国内対策上まず絶対反対の立揚を取り、相手が強く出ると無原則の妥 協を繰り返す。しかも、妥協した後でもなかなか円滑な実施に移そうとしない。

 こうしたやり口が、当初、しぱらく日本のやり方を見守ろうとの立場を取った米国の親日家たちまでも窮地に追い詰めめ、一人一人離反させることに なった。西ドイツのシュミット元首相が日本には真の友人はいないと断言しているように、国としての友人も、また日本に好意を持つ多くの友人すらも現在の日 本のやり方では失うことになろう。

 日米牛肉・オレンジ交渉が決裂したとき、これで選挙区に対して顔向けができると喜んだ政治家がいたそうだが、それではますます米国の信頼を失うこ とになることに気付かなければならない。政治家にとって選挙に勝つことは重要だろうが、それ以上に日本の長期的戦略を考え日本の自立性を取り戻すことの方 が重要なのだ。

 現在米国主導の世界システムが弛緩しつつあるのは誰の目にも明らかだ。日本は米国の覇権を揺るがす一勢力ではあるが、米国に取って代わる力量を 持っていないことも明らかである。思い上がった自己主張は危険である。といって過度の地域主義や民族主義への傾斜はそれ以上に危険だ。日本は。経済におい ても安全保障においても国際的な調整と協調の中に自らの役割を見出していくよりない。その様な立場に立つ日本が自らの立場や役割に無自覚で、既存の枠組み に「ただ乗り」するばかりで、なんら率先して新しい枠組みの形成に貢献しようとせず、今まで通りひたすら「外圧」依存でしぷしぶ国内の改革を図り、悪いの はすぺて「外」だという誤った民族主義に拘泥し、外国の反発をひたすら買い求める構図は誠に危ういといわざるを得ない。
 

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新聞の「視聴率」

(週刊財経詳報1988/6/20)
平日でも平均三時間以上もテレビを観て過ごす日本人のため、日本のテレビ放送システムは世界でも最も多様で、最も高度に発達している。

 東京では普通の受信機でも七チャンネルの受信が可能だし,UHFや衛星放送の受信設備を付け加えれぱ簡単に一〇チャンネル以上の受信が出来る。そ のため、各放送局間の競争は激しい。いかにして高い視聴率を獲得するか、各放送局とも血眼になっている。意欲的な番組も視聴率が悪ければ下ろされてしま う。こうして質の高さよりも、大衆衆受けを狙った番組が幅を利かすようになる。

 ところで、テレピが視聴率を気にするのと全く同じ意味で部数を数百万の単位で伸ぱした主要全国紙も読者のいわば「視聴率」を気にせざるを得なく なっている。これほど肥大した多種多様な読者の機嫌をあまり損じないような配慮をしつつ紙面を作らざるを得なくなれば、読者の嗜好に悪くいえばおもねた記 事を書かざるを得なくなる。それだけ新聞に期待される社会の監視役としての機能は弱まらざるを得ない。

 つまり、各紙とも、読者の口に甘く耳に快い記事へ傾斜し、農作物自由化などの難しい間題については、不偏不党の口実を設けて、はっきりした態度の 表明を差し控える。マイナーな案件についてのみ当たりさわりのないことを主張する。どれももっともらしいばかりで毒にも薬にもならない。

 また、広告のスポンサーになってくれる大企案を批判したり、刺激しかねない記事を掲載しなくなる。新聞には政府や国会に対する覚めた批判眼が必要 なことはいうまでもないが、情報の大きな提供元である政府や国会との友好関係を維持するため、批判するどころか、しばしば提灯持ちの記事でお茶を濁し、国 民から真実を隠蔽する。

 こうした新聞と現体制との共存関係の温床となるのは政府省庁、地方自治体、主要経済団体の施設内に設けられている記者クラプや政府首脳外遊時の同 行記者団である。各紙は、そこで当てがわれた情報をそのまま記事にする。その結果日本の主要全国紙の記事や政治的姿勢は申し合おせたように酷似することに なる。現政府とのもちつもたれつの馴合い関係が出来あがり、余り厳しい批判が出来ないのだ。例の田中元首相を退陣に追い込む切っ掛けになった記事も新聞社 の報道ではなかった。各社とも真案を知りながらこれ以上沈黙していては読者に説明がつかないという時まで自己規制して報道を差し控えていたのである。

 最近もイギリスのフィナンシャル・タイムズは前回の竹下首相の訪英が、いたく英国側を失望させたとの記事を掲掲 載したが、日本の全国紙で見るか ぎりそうした厳しいイギリス側の反応は伝わって来ない。各紙とも首脳外交は成功との記事を掲載し、「首相、外交に自信」と論評する。

 日本の新聞の質の高きは世界的にも定評のあるところであるが、余りにも部数を肥大化させてしまったがゆえに自らの本来的機能の放擲と、視聴率狙い の商品化を余儀無くさせられている。こうして連日の「成功、成功」の報道に安心しているうちに、戦時中大本営の戦勝につぐ戦勝との発表をうのみにし、いき なり敗戦の現実に直面させられたようなことにならなけれぱ幸いである。
 

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政治的無関心派の増大とわかりにくい政治

(週刊財経詳報1988/9/19)
政治はショーではない。しかしあまりに退屈だと国民がそっぽを向いてしまう。最近の竹下内閣に対する国民の支持動向を探る毎日新聞の全国世論調査によると 「関心がない」とする無関心層が実に五〇%にも達した。佐藤内閣以来のきわめて異例な高い数字だという(昭和六十二年九月八日号〕。その原因の一つに考え られるのが、竹下政治のわかりにくさであろう。

 とにかくはっきりしたことを国民にはなにもいわない。根回しや国会対策中心の政治で、国民にアピールしようとする姿勢がまるで感じられない。言語 明瞭意味不明といわれるが、明瞭なはずの言語も日本語としてどうも今一つはっきりしない。言語というより発声は明瞭だが、意味不明とでもいうべきもので、 ご自身でもいっていることを正確に理解しているのか疑間に思うことが多い。

 これは誠に困ったことで、一国の総理と、国民との間で正確なコミュニケーションが不可能となれば民主主義政治はおよそ成立しがたい。国民にその施 政方針を常に明確にし、国民の信を土台に政策を遂行するのが民主主義の要諦である。この世論調査に示された内閣支持率の薯しい低落現象(佐藤内閣以降の三 木、中曽根内閣を除いた歴代政権末期の低落傾向に近いという)も、意志の疎通がきわめて難しいという国民の感じを反映してのものだろう。

 率直にいうなら、もう一度日本語を勉強し直していただきたい。国会での答弁を聞いてもこれが一国の総理の使われる日本語かと思うと正直いってがっ かりする。ノーベル文学賞をとりたチヤーチルを目指せといわないまでも、お手本ならレーガン、サッチャー、ミッテラン、いくらでもいる。彼等は、わかりや すい言語を駆使して、国民のみならず外国人であるわれわれをも感銘させる。彼等の訪日時これこそ民主政治のリーダーかと感服させられたものだ。

 ポーツマス条約の交渉に当たった小村寿太郎外相は、日本にはもうこれ以上戦争を続ける能力がないことを熟知しており、国民の反発を覚悟の上で、賠 償要求を放棄して条約にサインした。日露戦争で「勝った」「勝った」の景気の良い話ばかりしか知らされていない国民は理解できず、小村を国賊と呼び、東京 では焼打ち事件を起こした。こうした国民の誤った熱気がその後第二次大戦へ向かう日本の運命を決定したともいわれている。

 このことは国民にはできるだけ正確にわが国の置かれている内外の状況を常に知らせておく必要があることを示すものだ。その際、総理の果たす役割は 絶大であろう。国内では税制改革、リクルート疑惑などを抱え、対外的にもさまざまな摩擦を抱えている。これからその調整を巡ってわが国は小村の賠償要求放 棄に等しい譲歩や方針変更をせざるを得ない局面に多く遭遇しよう。政治に対する関心はもっと高くて当然な時期である。

 こういう時に、景気の絶好調を隠れ蓑に、総理の言語不明瞭とわかりにくい政治手法で、政治的無関心層を著増させ、わが国の置かれている国際環境へ の無関心派を増大させるのは、好んで、焼き打ちの二の舞を招こうとするものだ。

 政治に対する無関心や不信をこれ以上助長することにならないよう、「わかりやすい政治」へ向けての真剣な取組みを期待したい。
 

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「血税』なればこそ国際的にも効果的な予算の編成を

(週刊財経詳報1984.1.23)

 
 
 

 目下、来年度の政府予算案の策定作業が精力的に進められている。厳しい財政難の折から、各省の要求に対して例年にないほどの厳しい査定が行われて いると聞くが、二つほど注文したい。

 第一に、実のある行政改革を堆進し、積年の制度的姪携から自由な国際化時代に相応しい予算案を是非とも作って貰いたい。

 わが国が世界の一割国家になつて久しいにも拘らず、国際的貢献はその経済力に比ぺると未だ十分ではない。昨今のわが国を巡る国際摩嬢が激化してい ることでもあり、国際協調関係の予算には最大限の考慮を払う必要がある。

 たとえぱ、経済協力費。GNPに占める政府開発援助額の比率も先進工業国の中では低い方に属しており、そのうえわが国の防衛費の比率が低いことも あつて、世界各国はわが国に対し一層の増額を求めている。これに対してわが国は、八○年代の前半において、その前の五年間の倍額を経済協力に充てるという 国際公約をした。

 しかし、大蔵省はこの分野も聖域とは認めず要求額の大幅な切込みをするという報道がなされている。それがほんとうなら、現状でさえ難しい公約実行 が益々難しくなろう。この際よしんば一部の経済協力費が少々無駄金になろうと、国際的な日本の声価を高からしめる観点から国際公約の実行を優先すぺきであ ろう。

 国民の「血税」を、無駄金と分かりながら投入するのか、という批判もあろうが、長期的にみれぽそれは決して無駄金にはなるまい。厳しい財政事情に も拘らず日本が国際公約を果たしたというのであれぱ、各国もそれを高く評価しようし、わが国としても、胸を張れるというものた。公約を破って、うしろめた い気持ちでいるよりどれほどいいかもしれぬ。

 「血税」意識も狭いナショナリズムに立脚し、国際的な視野を失なえぱ、それこそ百害あつて一利もないことになりかねまい。わが国の「財政難」も 「血税」も諸外国に比べれぱたかがしれている。

 第二に、予算を国際的な標準に照らして、出来るだけ使いやすいものにしていく努力を今後益々払つて貰いたい。

 日本の予軍の揚合、単年度制であることに加えて、国民の血税という意識も働いて、使いやすさよりむしろ管理しやすさのほうに重点が置かれている。 細部に渡り、その使途が規制されており、国際的な標準に照らすと、弾力的かつ効果的な便用がはなはだ難しい。

 そのため、たとえぽ、国際変渉に際し、時宜をえた対応が出来ず各国の顰蹙を買うことが多い。各国代表がその場でコミットする高々数百万円の金です らいちいち大蔵省にもちこんで承認をとらなけれぱならない。

 この様な制度的な不備のため、いらずもがなの国際的摩擦を長年に渡り繰り返している。これでは本当の国際的融和を計ることは難しい。確かに野放図 に弾力的な使用を認めるべきでは無いのはいうまでもない。

 しかし、当事者の判断力を信頼し、一定の枠内のものについては、その場で出すといえるシステムに改めた方がどれほど各国から高く評価されるかもし れない。

 日本はもはや国際的評価を気にせず、ひたすらわが道をいくわけにはいかなくなつている。とすれぱ、国民の「血税」なればこそ使い方にもうひと工夫 加えて、国際協調が可能でかつ、国際的評価もえられるような制度的改善を真剣に考える必要がある。

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首相、メモワールのご用意を

(週刊財経詳報1987/6/29)
民主主義国家の要諦は、国民が政治的判断をするに十分な情報を常に与えられていることだ。その意味では、なにも喋らない首相より、喋る首相の方が数段まし である。中曽根内閣の支持率が他の内閣に比ぺ相対的に高かったのは、国民にわかりやすく説明しょうとの首相の姿勢にかなり預かっているように思われる。必 ずしも国民が本当に知りたいことを率直に喋った訳でもなく、また、「知的水準」とか「不沈空母」など不用意な発言で問題を引きおこしたのは差し引かなけれ ばならないが、その姿勢自体は買ってよい。

 さて、その中曽根首相の任期も十月末で期限切れで、次期総理・総裁の椅子を巡って自民党内にはすでに激しい角逐が見られるが、望むらくは国民に良 く理解できる言葉を持った人が次の首相になって貰いたいものだ。その意昧でも、現在の自民党総裁選ぴの段階から、侯補者は国民の前にいかに自らの政策を展 開するかを、明らかにし、国民の支持を取りつけながら総裁選を戦ってほしいものである。

 とはいいながら、これまでの慣例を考えると事実上一国の首椙を決めるという最も重要なこの政治的行事も、今度も国民不在のまま政治の暗い闇の中で の派閥次元の駆引に終始する可能性が高い。本来はこうしたプロセスこそ透明度を高くすぺきであるが、日本の民主主義はそこまで成熟していないようだ。国民 は相変わらずつんぽ桟敷におかれたまま、いかなる政策を展開するかも分からぬ新首相の登場を指をくわえて見守っているよりない。自民党側でも、これでも通 ると考えてやっているのだから国民も嘗められたものだ。

 そこで、現首相にお願いしたいのは、引退後是非、任期中のメモワールを書いて欲しいということだ。良く喋ることで、一時期を画したのだから、また 新機軸を出していただきたい。それによって、闇から闇に葬り去られる歴史の実相が大いに明らかになろう。

 ところで、アメリカでは大統領になるとみんなメモワールの準傭にかかり、山のような資料を取っておく。引退後はメモワールを書き、出身地に記念館 を国費で建て、そこへすさまじいほどの資料を残す。これが歴史の空白を埋めることにいかに貢献しているか計り知れない。また、アメリカでは役所と役所のや りとりも、上司にたいして部下が意見を述べるときも必ず手紙の形式で残す。これにたいして、これまで日本には政治家がメモワールを残す伝統がほとんどな かった。役所間のやりとりや意見も文書にして残したりしない。そのため関係者が死んでしまえばなにも残らない。そのため歴史に大きな空白が生じる。

 最近では、ノソフィクション作家の活躍で、政治の真相が掘りおこされ、歴史の空白を埋める勢力が行われているが、範囲もごく限られているし、内側 の人が書いたものの迫力にはとうてい及ばない。

 世はまさにワープロ時代、首相も是非ものにされ、在任中の真椙を纏めて戴きたいものだ。最近も中国の要人から日本は中国が戦争の賠償を放棄した事 実を忘れていると指摘された。西ドイツのように自ら戦争責任者を法廷で裁くことなく、自国民の責任となるととかくうやむやにしがちな国民性を改めるには、 政策決定の過程を明確な文書に残し、責任の所在を明らかにすることから始める必要があるようである。

 この様な伝統が根付けば、歴吏を水に流し歴史から教訓を学ぴとらない日本人の悪癖の矯正にも役立ち、目本の民主化が一段と進もう。

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予算編成作業の生産性と四週六休制

(週刊財経詳報1987/8/31)
 中央官庁の六十三年度の予算概算要求案が今日(八月三十一日)大蔵省へ提出される。これから各省と大蔵省との間で折衝が行われ、十二月末に政府案(いわ ゆる大蔵省原案)として纏められ、翌年一月に国会へ提出される。

 これが衆参両院の審議を経て通常三月末までに成立し、来年の四月から施行される。原案作成から施行まで実に七月もかかっている。いや、各省では、 八月末までに予算案を纒め上げるためにすでにそれより三月も四月も前から作業を開始する。ほとんど丸一年がかりなのだ。

 国の予算はきわめて大切だ。しかし、これほど時間をかけるのはいきすぎに思える。経済状況に的確に対応できる予算とするためにも、各省の予算案提 出時期をもっと遅らせる方がいい。また、大いに夏休みを取るべき時期に、各省が来年度予算案を取りまとめなければならない必然性は薄い。二月遅らせれば、 それだけ正確に翌年度の経済予測が可能な上、夏休みを返上する必要もなくなる。国際的な「働き過ぎ」非難に応えて夏休みをもっと多くとるように指導してい る中央官庁が、厳しいシーリング枠に収めようとこの時期に徹夜で予算案編成作業をしているようでは、その熱意も疑われる。

 大蔵省は、各省の予寡要求案を、約四月もかけて査定する。国会における審議ですら、二月半程度しか予定していないのに、大蔵省原案作成に四月もか けるのは時間のかけすぎだろう。

 しかも、大蔵省の第一次内示が各省に行われるのが十二月下旬で、それから一週聞か一〇日でばたばたと文字通り深夜の「突貫工事」さながら、予算案 は編成される。これも、それまでの三月半に及ぶ折衝や審議が一体いかなる意味を持つのか理解しがたいやり方である。

 =第一次内示は、新規の予算要求項目について零査定となるのが通例となっている。したがって、各省は第一次復活要求ははぽ原案どおりで提出する。 その間にすでに徹夜の待機や莫大なコピー類の山が築かれる。その後、復活折衝が課長、局長、事務次官、大臣折衝とレベルを上げて行われ、五次、六次に及ぶ 内示が行われる。しかも、復活折衝の多くが儀式化しており、その大半は事務的な折衝でかたがついている。

 この間、中央官庁のビルは不夜城さながら、大きなエソジンがフル回転しているかのごとき観を呈するが、その実ごくわずかの人が働いているにすぎな い。徹夜に及ぷ待機、復活案作成のための夥しい積算、提出資料のコピーの山が公務員の疲労感を極限にまで高める。こうして政府原案が成立するが、その瞬 間、多くの公務員は大いなる満足感と同時に虚脱感にとらわれる。その後の予算案の国会審議でも、これと同様の空しい労力が例年割かれている。

 この予算案作成作業が、日本の事務所の作業の在り方を象徴している。勤務時間は驚くほど長いが、生産性はきわめて低い。たとえどれほど日程に余裕 があろうと最後の数日でそれこそ突貫工箏スタイルですぺてが片付けられる。工場の生産性は世界のトップクラスなのに、日本の事務所の生産性は無駄な作業等 で一向に向上しない。

 人事院から国家公務員の四週六休、土曜閉庁の勧告も出たが、こうした無駄な残業を減らし、事務の生産性を高めれば、「行政サービスの低下につなが る」との国民の根強い抵抗感を和らげ、その実現も可能であろう。日本ではなによりも行政府が率先して労働時閥の短縮に乗りださない限り、週休二目制の実現 や「働き過ぎ」の解消は難しいように思える。

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世界経済システムを支えるものとしての自覚

(週刊財経詳報1988/1/4)
 竹下政権の最初の対外政策が、農産物一〇品目に対するガット(関税貿易一般協定)裁定の先送りであったことは、日本の世界経済システムを支える当事者と しての能力及び自覚の欠如を如実に内外に示すものであった。国内的に難しい問題は自ら手を汚して調整しょうとはせず、いつも外圧に押され泣く泣く妥協した という体裁をとる戦略と体質。外圧が少しでも弱まるとそのまま放置し、自ら世界経済システムを支えるものとしての自覚に立ち、率先して白国の改革を図ろう とする意欲の徹底した欠加。これでは日本はますます世界から孤立するばかりだ。ガット総会(九五カ国)においては日本のいい分に対してASEAN六カ国を 含め一カ国の賛成もなかった。自由貿易システムの最大の受益者でありながら、それを自ら否定するような今回の決定は、どうみても大きく国益を損ねるもの だ。

 基本的なシステムの当事者でありながらその運営能力及ぴ白覚を疑わせる事例は日本の場合こと欠かない。

 たとえぱ現在景気の基調は強く、内需中心の経済成長に向かいつつあるが、内需を拡大することによって世界経済の牽引車になる心構えはなく、日本の みでそのメリットを独り占めする。国際公約の対外不均衡の是正も目に見えた改善はない。輸出企業は相変らず徹底した合理化で国際競争力の維持に努める一方 で、輸入にからむ様々な規制の撤廃、緩和は進んでいない。大企業を含めて税務調査をすればほとんど例外なしに脱税が発見される。立志伝中の経営者が脱税紛 いの手段で節税に務めている。政治家にしても国政を預かるものとしての自覚より、既得権の擁護、自らの票田の確保に専念する。誰もが国のシステムを支える ものとしての当事者能力や自覚を欠き、むしろ、そこからなにがしかの甘い汁を吸うことに汲々としている。

 政府自体が同様な意識から抜けていない。財政難に追い込まれるとなりふり構わず、国有地の高額払下げを策し、自ら地価高騰の種を蒔く。NTT株の 売却にしてもできるだけ高額で売るための策をろうして国民の投機熱を煽る。国庫奴入の確保という目先の利益に目が眩んで、経済システムや国民生活の安定に 対する配慮を欠く。きわめて局部的な、一部業界の利益、省の利益、党の利益を優先させ、国益への配慮どころか、日本全体のシステムを維持するという観点、 長期的な視点をものの見事に忘却する。

 こうした国を挙げての体質が、そのまま世界経済システムを維持するものとしての自覚の欠如に直結する。今や自由経済第二の実力者となりながら、身 勝手の許された小国時代と少しも変らない態度を続ける。国際経済システムを支えるものとしてのコスト、つまり税金を払おうとしない。これほどの大国になっ ても、世界経済システムを自ら構想してそれを引っ張っていくイニシアティプを発揮する気など爪の先ほどもない。図体だけは大きくなりながら、今もっておん ぶに抱っこスタイルを恥ずかしげもなく続ける。

 一九八八年、この新しい年は、日本が、本当に真剣に世界経済システムを支えるものとしての自覚ある熊度がとれるかとれないかを試される瀬戸際の年 になろう。もし、日本がそれに失敗すれば日本の孤立化はますます深まり、太平洋戦争に追い込まれた時と同じような深刻な事熊へと落ち込みかねない。自らが 依存せざるを得ない良好な国際関係や自由貿易体制を失えば、日本の前途はたちまち行き詰まるほど底が浅いことを常に胆に銘じておく必要がある。

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(週刊財経詳報1984/11/4)
社会の基本設計の見直しを
 

 今年になつて四度イギリスヘ行き、冬、春、夏、秋のそれぞれのシーズンのイギリスを見る機会があった。いくたぴにつくづくイギリスという国は豊か な国だと思わされた。経済は低迷し、炭鉱ストは泥沼の様相を呈し、IRAのテロは政府の要人の身辺にまで及ぷような国ではあるが、その国の中に一歩入り国 内を旅行すると、日本とは比較しようもないほどの豊かさを持つた国であることが実感を伴って迫つてくる。これはロンドン市内にも郊外にも、またいわゆるカ ントリーサイドにも緑が溢れ、どんな片田舎の町でもそれぞれに美しく装いが凝らされ、庭つき石造りの住宅が普通で、いわぱじつくりと生活を楽しむゆとりと いうものがどこへ行つても感じられるからであろう。

 イギリスはよく過去の遺産で食っているといわれる。確かに大英博物館に集められた夥しい数のそれこそ文字通り世界的な歴吏的遺物を見れぱ、太陽の 沈むことなき大英帝国時代があったればこそ、こうしたゆとりのある生活空間の蓄積も可能であつたのだろうと思い至る。ただ、忘れてならないのは、たとえど れほどの富を得ようと、それを長い歴史的な使用に耐えうる社会的な資本として蕃積するには、いわば社会の墓本設計ともいうぺき秀れたソフトウェアがなげれ ばならないということである。

 翻って日本を見ると日本は今やこうした良質の生活空間の蓄積が可能な段階に達している。都会では素晴らしいオフィスのようなビルが立ち並ぴ、道路 や地下鉄網の整備も進んでいる。地方でも公開堂やスポーツセンター等その豪華さに驚かされるような建物が建てられている。住宅にしても、この頃ではかなり 間取りにゆとりのある瀟酒なものが多くなった。

 しかし、日本の国内を旅行してみて、イギリスで感じられるようないわばじっくりと生活を楽しむゆとりというものを感じることは希である。どこへい つても緑は少なく、道路はごちゃごちゃと入組んでおり、建物はめいめいかってな方角を向き、高さも色もまちまち、地方の都市も個性のないぱ、ミニ東京的た たずまいのが多い。一つひとつの建物や住宅は立派でも全体としてみた場合、そこにはゆとりもなく、人を引きつける威厳も感じられず、これがこのまま定着し てしまうと大変なことになりかねないといつた、むしろ恐怖心が先立つよう空間がいかにも多い。

 これまでの日本は貧しく、長い風雪にたえうるような社会的資本を整備するゆとりもなかつた。三〇年もたてぱ、建て直し作り直すのが普通だつた。住 宅も一代かぎりのいわぱ仮の住いだった。これがいわぱこれまでの基本設計の概念だつた。しかし、今や歴史的な蓄積が可能な程日本は豊かになったのである。 いわぱ子孫に美田を残せる段階にようやく到達したのである。とすれぱこれまでどおりの基本設計でやっていては取返しのつかないような悪しき生活空聞ばかり を残すことは目に見えている。

 イギリスにしても、最初から豊か生活空聞があつたわけではない。あるとき気付いて、基本設計をやりなおしたのだ。わが国も、はやいとこ基本設計を やりなおさないと、今日の経済的繁栄の成果を良質な資産としては何も残せないこになりかねまい。
 

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リメンバーパールハーバー
(週刊財経詳報1984/1217)
 

 十二月八日は太平洋戦争の始まつた日である。その日、日本の連合艦隊は米国海軍基地であるパールハーバーを急襲し、かくかくたる戦果を上げた。し かしこの戦果は、きわめて大きな代償を伴うものであつた。つまり民主主義国のこととてなかなか世論がまとまりにくい国民に、「リメンバーパールハーバー」 という絶好の相言葉を与え、打倒日本のために立ち上がる大義名分を与えたのである。

 開戦をめぐり時の米国大続領ルーズベルトが日本側の暗号解読などにより事前にパールハーバー急襲を知っていたらしいということがいわれているが、 よしんぱ知つていたとするなら、日本はその面でもルーズベルトの巧みな戦術にはまったといってもいい。なぜなら、歴史の表面に現れているのはあくまで日本 側に一方的に非のある国際法違反のだまし討ちなのであり、対日戦争はもはや不可避との判断に立つ限り、これにより彼は世論をまとめ、卑劣な国から民主主義 国を守るという戦いの理由付けに成功し、戦争に逡巡していた国民を一気に戦揚へと駆り立てえたからである。

 戦後処理をめぐり、英国首相チャーチルが日本に無条件降伏を追るのはいきすぎと主張したのに対し、パールハーバーのごとき不名誉なことをやった国 にいかなる名誉が残つているのかとルーズベルトは答えたという。「リメンパー、パールハーバー」の相言葉の下、日本軍に当初弱体視されていたアメリカ軍が いかによく戦つたかは周知のとおりである。

 筆者がここで「リメンパー、パールハーバー」というのはパールハーバーを忘れるな、の意味ではなくパールハーバーを思い起こせとの意である。

 いつたん国民世論を敵にまわすとそれを軌道修正することはことのほか難しい。戦後四〇年ほぼ一貫して日米関係は安定し、これが日本の復與から今日 の経済発展を支えた最も大きな要因であったことは疑いない。現在も日米関係は多くの人々の努力で安定的のように見える。しかし、その安定がいつまでも続く という保証はない。

 最近は農作物や金融資本の自由化間題、貿易インバランス間題、防衛協力問題等をめぐりややきな臭いものが漂い始めているように思える。そうとうな 目配り、気配りが必要な段階に入って来ている。これらの問題に日本は常に米国民の世論を計算に入れつつ対処していかなければならない。

 今後は二度と米国民に「パールハーバー」を与えてはならない。国民世論は周知のように一面でかなりバランス感覚にすぐれているが、ある一面で感情 的なことも事実である。その意味で、日本側がたとえまったくフェアであつたとしても、対米貿易黒字のように年間三〇〇憶ドルを超すほど稼ぐ一方で、たとえ ぱ防衛努力には手を抜いた印象を与えるようだと、それ自体の中にやり口の汚さを読み取り、それが国民の感情を刺激することは十分考えられる。

 そしてこのようなことは今日なにも日米間のみに横たわっている間題ではない、日本との貿易関係において、実に長年にわたって赤字を続けている国が 近隣にも多いということを忘れてはならない。国際競争さえ強ければ、どれほど、いつまでも貿易黒字を続けて良いものでもあるまい。これらの国々の国民にも 「パールハーバー」という相言葉を与えないためにも、今後は益々わが国としては「パールハーバー」の歴吏的教訓を思いおこしつつ国家経営に当たる必要があ る。

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国際研究協力と創造的技術立国への道

(週刊財経詳報1984/6/25)

 わが国は、戦後外国技術の導入とその改良による生産技術の優位性を、バネに自由世界第二位の経済太国にまで急成長し、今もって先進工業国の中で最 も安定した経済成長を統けている。現在、世界経済の低迷が続く中で、このようなわが国にたいして、各国はその経済力にふさわしい国際的役割をはたすことを 求めている。このような要請に答えるには、わが国が世界に誇れる唯一の資源ともいうべき人的資源の活用による技術開発を通じて、世界の技術革新をリード し、世界経済の成長の核を提供し、もってその牽引者の役割を果たすことこそ最も相応しいといえよう。

 ひるがえつてみると、一九八○年代に入りマイクロエレクトロニクス、情報関連の技術の進歩は、従来の予想をはるかに越え、新素材、バイオテクノロ ジー等の新しい分野における技術革新の萌芽にも目覚ましいものがみられる。一九九〇卵代に花開くとみられるこれら先端技術の開発を巡って世界各国とも現在 熾烈な競争を演じているが、それはこの競争の勝者が一九九〇年代の世界を制するとみられるがらである。

このように現在は、いわば「技術革新の胎動期」というべき重要な時期にあたっており、今後「創造的技術立国」を目指すぺきわが国としては、各国の後 塵を拝さないためにも、これらの先端技術の開発に官民を上げて取り組む必要がある。

 しかしながら、周知のように、今日の技術開発は一層困難性が増しており、優れた研究者や技術情報の国際交流なくして実のある成果をあげることがま すます難しくなっている。昔から、発明・発見と国際交流は科学技術の進歩の車の両論であり、国際交流により、異なった文化に根差した異なった発想が火花を 散らしあうととろに創造的な着想が芽生え、これが新しい発見、発明を促し、新技術に結実していく。欧米諸国においてはつとにそのことの重要性に着目して国 際研究協力を日常化し、外国研究者の招聘事業をきわめて大規模に実施している。わが国の研究者にもその恩恵に浴した人は多い。

 同質性の高いわが国の場合とりわけ国際的な技術情報の交流、人的交流の必要性は高い。したがってこの際、海外からの研究者の招聘事業の抜本的拡充 を図り、産学官の研究所において国際的な共同研究を推進する必愛がある。

 これは、サミットにおいて世界経済活性化の観点から国際研究協力に対する要請が高まっているのに応える道であり、わが国自体の創造的研究能力を高 める道でもある。

 また、国際的な研究協力は限られた研究開発資源や今後ますます巨額化する研究開発施設の有効利用の点でも意義があるばかりでなく、先端技術を巡る 保護主義の台頭を押え、わが国の生命線ともいうべき自由貿易体制を維持するためにはむしろ不可欠な措置ということができよう。また、今後は開発した技術を 人類に役にたつ技術として開放することにも意を用いなければなるまい。技術開発とその成果の開放は、技術的障害のブレークスルーを通じて世界経済の活性化 に多大の貢献をなすであろう。

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なりふりかまわぬ日本でいいのか

(週刊財経詳報1987/8/1)

最近シュルツ米国務長官から倉成外相宛てに一通の書簡が届いたという。「ベネチア・サミットで会うのを楽しみにしているが、その際は先の訪米で説明 してもらった事柄について、より具体的な話を聞かせてほしい」と。

 中曽根首相、倉成外相が四月の訪問時に米側に伝えた「五兆円」の内需拡大策や、三〇〇億ドルの資金還流計画について、その中身をサミットできちん と示すよう念を押してきたのだ。

 実は昨年も日本は「三兆六、○○○億円」の内需拡大筋を国際的に大宣伝したが、民活等で水増しした中身の薄いもので、各国の失望を買った経緯があ る。今度は裏切らないでくれと先手を打ってきたわけだ。

 日本を巡る懸案問題を討議する国際会議が開かれたり、政府首脳が外国へ出掛ける度に、いわゆる「お土産」を大急ぎで取りまとめ、なんとかその場を 凌ぐのは、今や日本の常套手段になっており、各国に警戒感を深めさせている。いや、すでに大いなる不信を買っている。国際的には一旦約束しながら実行しな いことほどに信頼を失う行為はない。しかし、国内にはそれほど深く反省する色が見られない。これは一体どうしてだろうか。

 どうも、日本人の基本的な体質の中に、約束の無視を是認してはばからない面があることが、こうした国際的な局面にも反映しているように思える。

 小さなことでいえば、就職協定をしても、陰では各社とも平気で青田買いをする体質である。毎年脱税で摘発される企業の中にも多くの有名企業が含ま れている。商法違反と知りながら、総会屋に金を渡す大企業の幹部もいる。東芝機械は虚偽の申告でココム違反の工作機械をソ連に輸出していた。つい最近ホテ ルニュージャパンヘの判決か出たが、33人の死者を出した火災も経営トッが営利優先の立場から法の規定を無視し安全対策を意図的に手抜きして引き起こした 大惨事であった。

 もとより、法律違反の一切ない社会などありえない。だが、社会的な評価の高い一流の大企業ですら(もちろんその幹部も含め)金儲けのためなら、自 社の利益のためなら、平気で法違反・協定違反を犯しかねない体質を持っている点が問題なのだ。

 戦後金鰭けのためなら恥も外聞も捨ててなりふりかまわず生きるという生き方を是認したがためにその習性が今もって抜けず、嘘も方便の生き方が社会 の隅々にまで瀰漫している。国会にしても憲法違反とされる一票の格差を最正しない定数のままで頬かむりしている。

 中曽根首相が選挙公約を無視して売上税の強硬突破を図ったのも同じ体質・精神構造に基づくのだろうが、これはさすがに公約違反ということで国民の 猛反発を買い廃案に追い込まれた。

 国際的な例を一つ上げれば、今もって日本は動物密輸大国でワシントン条約(希少な野生動植物の国際取引を規制する条約、1973年成立、日本は 1980年批准)を骨抜きしているとして国際的な非難を浴びている。

 とにかく、冷静にわが身を顧みれば、上から下までなりふりかまわぬとしかいいようのない、誠に悲しむべき生き方が戦後四〇年たった今も続いてい る。国際的な信用を取り戻すにはこうした生き方をすこしずつ改めていくよりないだろう。

 さて、ペネチア・サミットも近いがシュルツ国務長官が満足するような「お土産」を持って日本は参加できるだろうか。国際的な信頼をこれ以上失いた くなければ、今回は中身の濃い内需拡大策を練上げ、「なりふりかまわず」実行する以外に手はあるまい。

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国会審議の充実と改善

(週刊財経詳報1987/1/26)
通常国会が再開され審議が始まる。今国会では防衛費のGNP1%枠突破や売上税の導入等をめぐり白熱した討議が予想される。そこで、本当に実質的な審議を して貰うために、二、三注文を出しておきたい。

 まず、予算委員会に全大臣を常に出席させるという無駄を省いていてもらいたい。行政の停滞を避ける意味でも、必要な大臣が海外へ出掛けて外交を進 める意味でも大臣を四六時中予算委員会に縛りつける慣習は改めるべきだろう。テレビで居眠りをしている大臣の顔を見ることほど興醒はない。最初からその質 間者の討議に関係のない大臣は出席しないでよいことにすれぱそういうことも大方なくなろう。もっとも関係があっても総理以下うつらうつらしているような中 身の薄い審議も結構多いが。

 質問者の方にも居眠りさせる原因がある。一般的に勉強不足の質問者が多いからだ。勉強不足なためについ二番煎じの質問をし、重箱の隅をつつくよう な質問や記憶力のテストをやるような質問でお茶を濁すことにもなる。

重要なのは国会をもっとフラソクに討議できる場にしていくことだろう。現在では実のある討議にほど遠く、質問する側と答える側とが判然と分かれてい るのみならず、質問されると役人の作った模範回答を棒読みする大臣がいかにも多い。俄づくりの大臣の俄勉強ではフランクな討議に耐えうるはずがない。
 
 ところでたとえ大臣が棒読みするにしても、そのための準備を関係各省とも国会開催中は深夜遅くまで職員を多数残してやっている。どんなことでも質間され れぱその場ですぐ答えられなけれぱならないというのも問題なら、前の晩どんな遅く入手した質問にも翌日答えなければならないというのも問題だろう。役所に 聞きたいことがあれば早めにその質間内容を示してきちんとした回答を貰うべきである。準備不足からのちょっとした失言や揚げ足取りをもって大いなる成果と するのであれば野党側も落ちたものである。

 現在の質問を前の日に示すのは行政側に対するサーピスであるという人もいようが、多くの国家公務員が夜おそくまで答弁づくりのために貴重な自由時 間をさいているという現実を見逃してはならない。個人の権利を擁護し、労働時間の短縮や行財政改革を計るべき国会の質間の準備のために労働強化が強いられ 超過勤務手当が脹らんでいるというのでは矛盾も甚だしい。国会ではカネや予算の無駄づかいとなると、目くじらをたてる人もこうした面の無駄づかいとなると 見過ごす。これはむしろカネ以上に貴重な価値なのであり、国会もコスト意識に目覚める必要がある。超過勤務時間に見合う手当を全額払うことにしたら国庫は たちまちパンクしてしまうこと請け合いなのだ。国家公務貫の個人的犠牲の上で国会審議もなりたっている。

 一方で来年度の予算案の中で国鉄の無料パスや半額が国庫負担という国会議員互助制度などの議員特権は手付かずで温存されているのだ。

 いずれにせよ、実質のある国会討議とはなにかをこの際与野党でじっくり話合って欲しいものだ。単に政府の在り方を批判するだけでなく国会そのもの の在り方をもっと真剣に討議してその改革を計って貰いたい。国権の最高機関たる国会が文字通り隗より始めよと範をたれることこそ今重要である。

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国際摩擦と休暇

(週刊財経詳報1987/4/20)

 半導体協定違反間題に端を発した米国の対日本制裁措置の発表があっても、世界のどこの国からも同情の声が聞こえてこない。いや、むしろ英国やEC それに発展途上国からもそれに同調するかのような厳しい封日要求が突き付けられている。これまでの不行跡が一挙に明るみにでて、まったく同情を失ったかの 観さえある。日本としては、この際、深く反省して対処方針を誤らないようにしなけれぱ、将来に大きな悔いを残すことになろう。

 太平洋戦争で廃虚と化した日本の国土を見た米国占領軍の要員はみな、誰一人として日本が再び米国に対して、なんらかの挑戦を行うときが来るなどと は夢にも考えなかったという(R・クリストファー『ジャパニーズ・マインド』)。それが半世紀もたたぬうちに自由世界第二の経済大国として様々な分野で米 国に挑戦している。まさに奇跡以外の何ものでもない。

 だが日本人の多くはこの現実に昨今ではいささか慣れすぎてしまい、これまでの発展の多くを米国を中心とした先進工業諸国の提供する国際的な公共財 に依存してきたことを忘れている。世界の各国が日本は自国が日本から受ける以上の利益を受けている、という意見を持っている。いわゆるフリーライダ−論で あるが、日本は残念ながらこれを完全に論破できない。率直にいって日本の国際社会への貢献度はまだ決して高くない。

 日本は経済大国になるにつれて、やや傲慢になつた、世界の世論に素直に耳を傾けなくなったともいわれる。世界各国はこれまで日本に対して口が酸っ ぱくなるほど輸出一辺倒の経済発展体質を改め、早く内需による成長路線へ切り替えるぺきだと警告してきた。しかし今もって国会も政府もこれに真剣に取り組 んでいるように見えない。

 財政再建は重要だろうが今後の長期的なわが国の発展を考えれば世界から反発を買う政策を維持するのは得策ではない。また経済界も輸出依存体質を改 めようとする気運に欠け、円高が急速に進んでも合理化による輸出価格の切下げで対応するばかりで、相変わらず、国際経済環境が厳しくなつた、「もっと働 け、働け」の掛け声が幅をきかし、賃上げも極力押える方向で事態に対処しようとしている。これでは内需拡大は期待できず、これまで以上に各国の報復措置を 引き出しかねない。

 さて、ゴールデンウイークも近いが、世界からの働きすぎの非難に応える意味からも、内需の振興を図る上からも余暇の在り方についてこの際真剣に考 えてみてはどうだろう。日頃の労働がやれ残業だ接待だと厳しいことも手伝って普通のサラリーマンの余暇の過ごしかたのトップは依然としてテレビの前でのゴ ロ寝である。これでは内需拡大には結び付かない。

 一方で、天下公認で休める正月とゴールデンウイークとお盆には行楽地には人が溢れれ、高速道路という高速通路が車で数珠繋ぎになる。ところが ウィークデイになると行楽地はガラガラ。したがって時間当たりの行楽の生産性はきわめて低い。労働生産性の方は世界の最高水準なのに余暇の生産性は利用す る側も利用される側も決して高くない。有給休暇が自由にとれしかも完全に消化できる体制が確立されていないのがその大きな要因である。

 余暇というと一見些細に見えるが、余暇を含めた生活様式の改革を真剣に考えない限り、従来通りの公共投資一本槍で内需拡大を図るのはすでに難しい 時代になっている。

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生かせぬ国際経験

(週刊財経詳報1987/3/9)

 経済活働の国際的な広がりに伴い海外で生活する人も増え、国際結婚も増加した。ところが得がたい国際経験をして日本へ帰ってきてもそれがほとんど 生かされない。生かそうにも寄ってたかって足をひつぱられる。そこでたちまち出国前の古い日本人に戻る。それがまだ悲しいながら日本の現実のようだ。

 海外帰国子女に対しても、それを温かく迎え入れる土壌が生徒どころか先生の方にもない。むしろ先頭に立って苛める先生すらいる。会社においても同 様だ。

 そのためせっかく海外で身につけた人間的ないい習慣も日本に帰るとたちまち捨てざるをえない。定時の退社退庁、長い夏期休暇にしても率先して持ち こもうとすると大きな抵抗に合う。海外での経験を話すだけでも、海外かぶれ扱いされる。

 海外では人間らしい生活をしてきた人も、こうして日本に帰るや毎晩接待等で12時か午前1時の帰宅となり、週末のほんのわずかの自由時間を奥さん と子供とに取り合いされる生活に逆戻りする。日本では、会社は家庭から主人を奪ってしまう怪獣だ、と「日本人の外国人妻の会」の山内クレア会長がいうのも むぺなるかな(日本経済新聞一1987/2/28〕。

 日本に帰ると主人はたちまち日本的になってしまうと奥さん連中が嘆くことになるのも、日本の社会が異質の者を排除する論理でなりたっているから だ。皆一緒でないと日本人は気がすまない。一人でも異質の者が紛込むと寄ってたかって同質化を図る。いうことを聞かなければ除け者にし組織の外に追出して しまう。このため組織は上から下まで金太郎飴のごとき同質の者だけの集団に化す。しかもこの集団はいまだ滅私奉公の世界である。こうして人間らしい生活が 送れるのは海外にいるときだけという逆転現象が生じる。

 中曽根首相の知的水準発言にはしなくも現れたように、日本は単一民族で、同質の者のみの集団のゆえに他国より優れているという思い込みがある。こ のため異質の者や、他民族に対して思いやりや配慮を欠く。日本が世界のリーダーになりえないのはそのためでもある。世界はそもそも異質な者の寄集めなの だ。アメリカが世界のリ−ダーたりえるのはアメリカそのものが多民族国家であるため、多種多様な民族の痛みに対して常に目を開いているからに他ならない。

 中曽根首相の知的水準発意はその意味でも世界のリーダーとして不適格性を世界に示したひとこまであった。同首相は決して日本では例外的人物ではな く文字通り日本人の代表釣人物であり、むしろ国内では国際派として通っている。ここに「単一民族国家」を標榜する日本人の限界がはからずも露呈している。

 日本が経済大国になり、政治的リーダーシップを要求される局面も今後増えようが、「単一民族国家」であることはその際決して利点ではなく、むしろ 大きな不利であることを肝に銘じなければなるまい。海外から帰国した人や国際結婚をした人々の経験が生かされないようではわが国の国際国家への道は遠く、 世界のリーダーの一角を占める見込みも薄い。

 国際経験の豊かな人にとっても住み易い国にするために、会社や学校の在り方をも含めて様々な面で考え直さなければならない。もしそれができなけれ ぱ、日本の国際化は失敗し、今度は逆にその余りの異質性や開鎖性のため世界から排除されることさえ起こりえよう。いずれにせよ、今日の日本のように、あら ゆる異質牲を排徐し、自国民のことしか考えない国の繁榮は決して長続きするまい。

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円高時代への対応

(財経詳報1985/11/18)

 各国の政府・金融機関の連携プレーで円高・ドル安がようやく定着しそうだ。たた、ドル高時代から経済のファンダメンタルズはそれほど変わったわけ ではないので、まだまだ油断はできない。引き続き日銀や関係諸国の積極的な円高維持策を期待したい。
 
 今回の円高誘導が急速過ぎて企業の対応が離しいとの批判もあるが、それほど望み通りの段階的な円高誘導などできるはずがない。日米の貿易不均衡はじめ通 商摩擦の元凶とされてきたドル高が、おそまきながらようやく取り除かれようとしている。むしろ大歓迎しなくてはなるまい。円高・ドル安がただちに現在の巨 大な貿易イソパランスを解消するものではないにしろ、黒字解消の第一条件であることは疑いない。これなくしてはほかのいかなる勢力もしょせん無駄骨を折る に等しい。ただ、円高直後はJカーブ効果が働いて一時的には黒字幅が拡大しかねない。その結果貿易摩擦がさらに激化する局面も予想される。そのような場合 にも円高維持のスタンスを堅持し、相手国にしぱしの猶予を求めながら、白らは積極的な内需拡大策を実施することによって輸入の拡大による貿易収支の均衡を 一日も早く達成しなければならない。

 今後、短期的には輸出の伸悩みと内需の不足のために需要の減退が予想されるが、これを出血輸出などの安易な輸出依存で乗り切るようなことは厳に慎 まなければならない。これからは輸出には輸入がつきものとの認識の下で企業は行動する必要がある。輸出さえすれぱいいという態度はもはや許されない。

 いずれにせよ、わが国経済はこれまではきわめて恵まれた環境にあり、それこそさしたる手を打たないでも、円安・ドル高を背景とする輸出の高い伸び に支えられてかなり高めの成長が可能であった。しかし、九月末以来ドルの独歩高が解消し、円高に転じるとともに局面は一変した。

 ただ、これがいわば正常なのだ。今後はこうした厳しい環境を前提としつつ適正な経済運営を図らなければならない。米国はじめ各国とのバランスに配 慮しつつ、迷惑をかけない範囲でぎりぎり高い成長率を達成することがこれからの政策課題だ。諸外国からヒソシュクを買ってまで高い成長を追ってはならな い、いや、そういうことはしょせん長続きせず、今回と同様の大きなしっぺがえしを食うことになる。

 翻って考えれば円高はわが国にとって基本的には望ましいことだ。円が高く評価されるということは、わが国の国力が高く評価されることに等しい。円 高時代こそわか国の体質を外需依存型から内需依存型へ切り替えていく好機だ。早く外需依存体質から脱しなければ通商摩擦が激化しわが国の生きる道が極度の 制約をこうむることになりかねない。現在はこれまでの恵まれすぎた時代から正常に戻りつつある時代であり、こうした厳しい制約の中で健全な経済運営をなし うるよう、まさに知恵を絞るべき時代なのだ。

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情報化と自由化

(財経詳報1986/3/3)
 情報化時代といわれ、各種のニューメディアが鳴りもの入りで喧伝されている。NTTのキヤプテンシステムもその先駆けとして華々しくデピューしたが、思 惑からほど遠い業績という。原因は金を払うに値する情報の不足に尽きるようだ。

 今日巷には、情報が溢れている。したがってそういう情報に比べ一段と価値の高い情報でなければ、わざわざハードのシステムを買い、キーボードを叩 き、金を払ってまで手にいれようと誰もしない。これはその他のニューメディアにも当てはまる。日本人はソフトよりも常にハード先行型でことを運ぴ、ハード が整備されればソフトは後から付いてくると考えているようだが、それは本末転倒だ。現在INS網やVANの整備、ニューメディアコミュニティ、テレトピア 構想等に熱を上げているが、これらはいわぱ、高速道路網のようなもので、それに乗せる価値のある情報やソフトウエアが開発されたいかぎり、ただのどんがら にすぎず、たとえどれほど技術革新性の高いニューメディアであろうと、それ自体は一文の価値もないのである。

 なぜ、価値ある情報が開発されにくいか考えると、価値ある情報を生み出そうとすると各種の政府規制に全部引っ掛かることに気付く。金を払い、 ニューメディアという即時牲の高いシステムを利用してまで欲しい情報とは、まさしく即時性があり、かつ、きわめて個別性の高い情報でなけれぱならない。

 売れる情報の一例をあげれば、たとえば、九州の実家の葬式に急に行かなけれぱならなくなったとする。まず、飛行機の確保。どの社のどのルートで飛 へば一番早く一番安く現地につけるか。空き席があるのか、ディスカウントの航空券はあるのか。これから飛行場までタクシーで駆けつけるとして、一番安いの は?その前に香典代と旅費に、現金が三〇万円ほどいる。借りる期間は次のボーナスまでとして、一番利子の安い金融機関はどこか。遺産として土地、家屋、現 金が手に入ったが、これをどう資産通用したら一番有利か・・・等々。この種の情報なら少々金を払ってでも買う、だろう。ところが、現在ではこの種の公共運 賃や金利は大方許認可の対象になっていて、どの社もみな一律か似たりよったり。これではわざわざ、ニュ−メディアに頼るまでもないということになる。

 このように売れる見込みのある情報は現在大方規制の対象になっている。情報化を図るということは、今日の統制的な一律主義を改め、社会システム自 体を自由化していくことと不可分なのだ。価値の高い情報の発生源はがんじがらめにしておきながら情報化を進めようというのは、入口を封鎖して高速道路を作 るようなものだ。

 電気通信事業の自由化ももちろん大切だが、ニューメディア熱に浮かされる前に、社会システムや情報自体の自由化についても関係者に一考してもらい たいものだ。

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羞恥のレベルの低下

(財経詳報1986/1/20)

国会で議員定数の改正問題が議論され始めて久しいが、まだ解決の目処は立っていない。最高裁の違憲判決を受けただけでも国会の権威は薯しく損われた のたが、その善後策がすぐとれないところに、日本の文化的な限界が感じられる。国権の最高機関である国会が、違憲状況にほほかむりしうるのは、日本人の恥 を感じるレベルが低下したことをシンボリックに示していると思われるからだ。

 日本文化は恥の文化であるといわれていたが、今やその伝統は失われたようだ。思いやりの欠けた、尊大と厚顔無恥がとって替ろうとしている。どこを 見ても、公共の利益や公正さよりも、個人的な利益や、自分の属する組織の利益が優先している。人々は恥を忘れ、自らの利益獲得に汲々とし、自分の組織のた めに恥をぶ。恥知らずの汚名も、組織や派閥や国のためということで癒されるかのようだ。

 白已の栄達や保身のためなら、憲法に違反していようが反対する。会社のため、商売のためなら腐敗した政権にも取り入る。裁判所で偽証もあえてす る。これらはすべて恥知らず以外の何ものでもないが、それらを容認するのが悲しいながらわが国の現実のようだ。

 常日頃汚いことぱかりやっていると感覚が麻痺して、汚いことが汚いとして感じられなくなる。異常とも思えなくなる。周りがみんなそういう人ばかり だと、自分がそうしないのが損に見えてくる。その結果、国際的に見て常軌を逸していても気付かなくなる。

 人間の内実が自ずと外部に現れるように、国内の恥知らずは自ずと国際関係にも現れる。今日日本の通商摩擦に対する対応振り一つについてもいつも後 手後手で誠実さに欠け、ことあるごとにアンファアといわれ、経済的成功を鼻にかける日本人の尊大さが近年とみに指摘されるようになったのもこのことと無縁 ではあるまい。

 恥を感じるレベルは人によって様々だが、その人の属する社会の文化によって規定される。国としての恥の意識もその国の文化の水準にかかわってい る。国も様々であり、恥を感じるレベル、対象は当然国により異なるが、国際的な常識から余り外れると顰蹙を買う。そういう国は、国際的な信頼をかちとりえ ない。むしろ、尊大であるとして、忌み嫌われる。

 「衣食足って礼節を知る」という諺があるように自由世界第二位の経済大国で毎年石油危機直後のOPEC並みの悪字を稼ぐ国が、かつての貧乏小国時 代と同じ振舞いをしたのでは各国から総スカンを食う。ところが今や日本は飽食飽衣の時代であるが「衣食ありあまって礼節を忘れる」国になりつつあるよう だ。

 国際的にも、日本が礼節のある国として考える国は益々減っている。マルコス政権と結び付いた汚い商売にも多くの商社が手を染めていたように、なに かあると、どこにでも日本の汚れた手が伸びており、恥を忘れた振るまいがあったことが露呈してくる。

 戦後四〇年、これまで何事も経済優先で、食うためなら恥も外聞も捨て、手段を選ぱずやってきた。それが今や悪癖となり文化に深く根を下すに至って いる。人間らしさや恥を知る心は片隅に追いやられようとしている。この世の中が確かに綺麗ごとだけでなりたつているものではないにしても、もうすこしなん とかならないものだろうか。

 飽食を維持するために恥を忍ぶというのは馬鹿げている。むしろ逆でなければなるまい。飽食からは遠くなっても恥を知る生き方もあることを思い起こ す必要がある。

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「良く知らされた国民」への道

(財経詳報1985/4/22)
 

 四月九日に発表された対外経済政策は、その中身の評価は芳しくないが、発表の仕方は評判が良かった。

 総理自らが説明用のパネルの前で片手に棒を持ちながら直接国民に向かって噛み砕いたような説明をしたのは前代未聞のことであり、それだけにそのよ うな伝統を持つ海外ではもとより国内でもかなり評価された。日本の総理も世界の民主主義国の首脳並に、国民に直接わかりやすくコミュ二一ケートする必要性 を認識し始めたという意味で画期的なことといってよい。

 これまでは、いかなる政策を決めようとそれを国民にわかりやすく説明するという努力がそれほど払われてこなかった。一連の対外経済政策にしても、 国民が読んでも分かりにくい表現で書かれており、それを理解することそのものが難しかったし、いわんや政策を決めた背景を理解することはさらに難しかっ た。今回のように総理自らがこのような政策を決めた背景を説明し、国民の協力を直接求めるというのはその意味でも前進である。今回端緒が開かれたこの方式 を今後は慣例にして欲しいものだ。

 民主主義の基本は、政府と国民との間の良いコミュ二一ケーションである。これまではその面の配慮が余りにも乏しかった。アメリカのレーガン大統領 にしても、しばしばテレビを通して国民に直接話しかける。サッチヤーやミッテランもしかり。

 彼等が来日したとき、あらゆる機会を利用して日本国民に話かけようとしたことは記憶に新しい。そのなみなみならぬ話術のさえに驚きを禁じえなかっ たのは筆者のみではあるまい。分かりやすい言葉で明確に自らの考えを説き明かす、その堂々たる態度にさすがは民主主義国家のトップであると感服させられた ものであった。

 それに引きくらぺ、これまでの日本の政治家はそのような努力が足りなかった。今回やっとその端緒が見えてきたように思える。何も説明しなくても怒 らない国民としてこれまで放っておかれた国民の中には、今回のやり方もいわぱ苦しい時の神頼みと同じではないかとして、余り高くかわないものもいる。確か に、いつも国民を良く情報を与えられた状態におく努力抜きに、このようなことを突然やっても効果は薄い。常日頃から総理が国民に直接話しかけているのでな けれぱ、むしろ不信が先に立つ。

 人間関係でもそうだが、やはり日常酌な付合いがあればこそ、一肌脱ごうかという気にもなる。今後は政府と国民との問のコミュニケーションを深める ための勢力が様々な面で必要である。何といっても、「良く知らされた国民」(informed public)の方がいざというとき頼りになることは歴史が証明している。

 そういう方向へ努力することが、諸外国が求める政策や政策決定過程の透明性の確保にもつながるものであろう。いずれにせよ、政策を密室 で決め、ある目突然分かりにくい表現のまま国民に押し付けても、国民の協力は期待しがたい。

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「家庭は銃後」観からの脱皮

(財経詳報1985/5/27)

太平洋戦争中、米軍が戦闘の合間にテニスをしているのに日本軍は大いに驚いたという、事実米軍はテニスもし、ダンスもし、休暇もとった。日本軍のい る島への艦砲射撃も夕刻には止め、たっぷりとした夕飯を取り、夜は十分寝て、翌朝また猛然と再開した。

 一方日本軍はテニスどころではなく全員戦闘にかかずり合い、昼間はもちろん夜も夜襲作戦で忙しかった。補給が不十分だったからろくなものも食えな いうえ、寝るのを忘れて戦闘に打ちこんだので、体力の消耗が激しく、多くの兵士が戦闘よりも病によって一命を失った。

 戦闘の合間にテニスをする米軍が信じられなかったように、会社勤めの間に「息抜き」をすることが今もって日本人にはさほど良いものとは信じられて いない。というとそんなことはない、今や余暇の大切さが広く認められ、大型連休中の人出は大変な数だし、日本にも確実にレジャー文化が定着したという反論 が返ってこよう。

 果たしてそうか。先進工業国のなかで今もって週休二日制が定着せず、有給休暇ですら完全に消化されず、労働時間は他国に比べ年間三〇日以上も長 い。戦闘のためには一切を犠牲にし、戦闘に役立つもののみ認めた精神構造は今も変わったとは思えない。レジャーにしても、会社勤めに役にたち、それに支障 のない範囲という制約がある。

 だから一斉連休ならともかくめいめい別々にとる長期休暇等もっての外だ。寝食を犠牲にして戦闘に没入したのと同様、一番大切な会社のためならば、 たとえ結婚記念日だろうが残業もし、同僚との融和や接待のためには午前様も辞さない。家庭やレジャーは二の次、三の次、職場に自分の家庭やテニスのことを 持ちだしてはならず、持ちだすようでは会社兵士として失格だ。

 その後ろで、家庭はこれらの会社兵士の銃後として黙って耐える。耐えるものだとの暗黙の前提がある。今もって「欲しがりません、勝つまでは」が生 きている。しかし、いつになったら「勝つ」のだろう。世界第三位の経済大国となり、貿易黒字がこれほど巨大になっても未だ勝つたといえないのだろうか。そ のうち負けることにならぬとも限らない。

 近年、中高年夫婦の離婚が増えている。昭和四十五年に比べ五十五年は倍以上だ。しかも妻からいいだす例が増えている。その多くが夫婦間の心の結付 きの稀薄さが原因という。

 夫を夜遅くまで職場に取られ、結婚生活とはいいながらほとんど心の通った会話もなく、家庭には寝に帰るだけ、共通の価値観も人生目的もない夫に、 妻の方が辛抱しきれず、ある日突然三下り半を突き付けるのた。

 日本軍が補給や情報や銃後を軽視し、戦闘だけにかまけて、結局戦争に負けたように、短期決戦ならともかく、これから長期的な戦いをしなければなら ない以上、こうしたロジスティック無視のやり方では日本の経済とてそれほど長くは強い戦闘力を維持できまい。今やむしろ家庭を戦争中の銃後同様、いかなる 無理もしわ寄せしうるとの考えを改めるべき時期であろう。家庭あっての会社であり、縁済なのだ。離婚による家庭巌壊後の男性の自殺率が女性の六倍にも遠し ていることを忘れてはなるまい。それに職場神経症も多発し、職場での人間関係などの勤務問題を理由とする中高年男性の自殺もここ五年で倍増しているのだ。

 少し兵士たちを休ませ、家庭へ帰してやる必要がある。高齢化社会はもうそこまで来ている。

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正論と賢さと

(財経詳報1985/7/8)
 今年に入り、日本の史上最高の大幅経常収支黒字幅を背景として、米国議会の対日報復決議やアセアン諸国の対日批判、EC首脳会議の日本を名指しで非難す るコミュニケの発表など、通商問題を巡りわが国に封する世界各国の風当たりはかつてないほど厳しい。

 それを緩和する意図で、日本政府は六月二十五日市場開放行動計画の一環として一、八○○品目の関税引下げ案を発表したが、国内的な事情で必ずしも 各国の要望に沿う内容とはならなかった上に、経常収支は依然として大幅黒字が続いているため、名国の非難はいっこうに収まりそうにない。

 今月末に発表が予定される包括的な日本の行動計画の内容がよほどドラスチックなものにならない隈り、これら諸国の不満を解消することは難しそう だ。

 しかし、行動計画はそれほどドラスチックなものになりそうにない。関税引下げのプロセス内容を見るかぎり、まだ、真の国益よりも個別業界の利益や 国内的事情が優先され、現在の日本の置かれている危機的な状況に対する認識が十分あるようには思えないからだ。この期に及んでも、まだなんとかなるさと いった、楽天主義がはびこっている。

 一種の甘えと聞き直りである。甘えというのは、日本がすでに自由世界第二位の経済大国であるにもかかわらず、今もって経済小国時代の生き方をする ことを認めてもらお弓とする甘えである。一人前の大人になったにもかかわらず、まだ学生気分が抜けず、学割の通用を認めよと甘えているのだ。開き直りとい うのは、国内的な事情の許す限りのことはやったのだ、それほど各国の要望に屈するわけにはいかない、これで不満ならば、どうにでもしてくれよ、よしんばこ のため国全体がおかしくなろうと自由貿易体制にひびが入ろうと、それは知ったことではない、それはそのときの問題だという態度である。

 確かにわが国の大幅黒字は、わが国だけの責任ではなく、高い米ドルにも責任はあるし、わが国はすでに世界一の低い関税国であり各国の売込みの努力 が足りないことにも原因はあろう。短期間に解決できる間題でもなく、わが国のみを叩けばすむ問題でもない。それゆえ、わが国としても正論で反論すべしとい う主張も繰り返されてきた。しかし、よしんばそれが正論であり、この正論で世界各国を黙りこませたところで、自らの生きる道を完全に閉ざすことになるとい うのがわが国の置かれている現実である。

 どうみても自由貿易体制が日本の利益のみにしかならなけれぱ、わざわざ自らの市場を日本に開放し統ける国がなくなるのは目に見えている。日本はど う転んでも貿易立国にしか活路を見出せない以上、この自由貿易体制は、金の卵を産む鶏である。開き直ってその鶏を殺す愚を犯してはならない。

 世界のなかで生きていくには正論をはくことより賢さが要請される。日本は正しいかもしれないが賢くないという海外紙の批判もある。

 米国議会の決議にしても、日本のやり方は自らの首を締める賢くないやり方であるとして、忠告してくれていると聞ぐべきだろう。忠告に耳を傾ける賢 さを失えば、日本の前途には第二次世界大戦前と同じ孤立化の道が待っていよう。

 今月末まで残された時間はわずかであるが、賢いと評価しうる行動計画を期待したい。

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休暇の効用

(1985/8/26)
 お盆を中心とした民族大移動のシーズンも終わって、都会には普段の雑踏が戻ってきた。最近、労働時間を短縮することに対する国民の意識も高まってきて、 夏休みの日数もほんのすこしながら長くなっている。ただ、欧米諸国と比較すると、まだまだ足下にも及ばない。

 なかなか続けて休みをとれず、長くても一週間止まり。そのためお盆にみんなが集中して休みをとることになり、お盆前後には決まって交通機関の大混 雑が繰り返される。

 その大混雑の最中、筆者は幸いにしていきかえりの航空切符を手にいれることができ、家族四人で九州の田舎へ帰りしてきた。ほんの短い間ではあった が、今も健在の両親の下に兄弟がそれぞれ配偶者や子供づれで二〇人も集まり、一つ屋根の下で生活をともにし、私たち夫婦も子供たちもそれぞれに忘れがたい 思い出をお土産に東京に帰って来た。

 都会にいるとついつい自分の育った田舎の生活さえ忘れがちになるものだ、が暫くぷりに田舎に帰り、思いのほか田舎も便利になっていることに驚かさ れた。道路も良く整備され、しかもそれほど混まない。どこへも短時間でいける。住宅も見違えるほど良くなりスペースもかなりたっぷりとしたものが増えてい る。文化施設や福祉・体育施設等も充実し、経済大国の恩恵が田舎にも及んでいる。

 にもかかわらず、田舎らしいよさというものも十分残っている。日中の温度はかなり高いが、爽かな風がそれをさほど感じさせない。緑が多く蝉の声が うるさいほどだ。海水浴揚に行ってもそれほど混みもせず、水も澄んでいる。夜になるとそれこそ満天の星。新鮮な野菜や魚。新鮮であることたけで驚くほどう まい。それも東京に此べると格段に安い。

 もちろん田舎の生活がいいことずくめではないにしても、都会の人間が田舎の生活を、田舎の人間が都会の生活を相互に知りあうということは必要なこ とだ。そのためには、もっとたっぷりと休暇がとれるようでなくてはならない。十分な時間的な余裕があれば、普段行けないような所へも出掛けていくことがで き、新しい知見を増やすことができる。様々な人々とも触れ合うことができ、相互に理解しあえる。時間的な余裕がないとどうしても、十分な理解に達せず古い 通念や先入観でものを見ることになってしまう。

 私たち一家にとってはかつての外国滞在時代の長い夏期休暇がどれほど貴重な多くの経験を味わせてくれたか想像以上のものがある。その体験を通して いえることは、長く休暇をとることによってしか味わうことのできない種類のことが、想像以上に多いということだ。

 仕事の合間や短い休暇を精一杯利用して分かったつもりになっていても、本当には把握できない種類のものがそこには潜んでいる。

 普段の生活では味わえない体験をするということは、子供だけでなく大人にも必要だ。いや大人こそ必要だ。会社人間が会社から解放され、生活の幅を 広げることが精神生活の安定と充実につながり、文化の幅を広げ創造性を増す原動力になる。新しい生活の仕方が新しいニーズやサービス需要を産みだし、これ が内需増大にも結びつく。そのためには十分長い休暇をとれるようにする必要がある。

 のんびりと休暇を楽しめると、こんなことをとりとめもなく考えるようになる。こういうことを考えるようになることこそが、休暇の効用というもので あろう。

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愛社心への歯止め

(財経詳報1985/10/7)
 マンズワインの有害物質(ジエチレン・グリコ−ル)入りワイン事件は、ついに操業禁止、司直の手が入るという事態にまで立ち至った。安全広告を出した後 に、毒入りパルク・ワインの混入がわかり、ひそかに回収に走っていたうえ、輸入パルクのタンクを国産品とスリ替えるということまでやっていたというのだ。

 これが「高くついた愛社心」という形で報道されたように、世間にバレるまで口をぬぐって隠し通そうとしたのも、おそらく、旺盛な愛社心のあらわれ なのであろうが、ここまでくれば愛社心も明らかに行き過ぎで、反社会性を帯びる。

 日本企業の強さは、いうまでもなく従業員の旺盛な愛社心に依存している。これがまた戦後の日本経済の成功の礎でもあった。しかしその反面、旺盛な 愛社心は、今回のような事件を惹き超こしやすい土壌をも形成した。滅私奉公の精神で、私を殺し、公たる会社のため全身全霊を打ち込むことこそ愛社心の発露 とされ、奨励されてきたため、社会的な常識や法律による規制の枠を踏み外してまで、会社のため尽くすことをよしとする精神が、知らず知らずのうちに、抜き がたい体質として多くの企業にしみつくに至っている。今回のワイン事件は、はしなくも輸入バルクに依存しながら、あたかも純国産であるかのような表示を行 う、詐欺マガイの商法をおくめんもなく続けていたワイン業界の体質をも明るみにしたが、このことは上述のことを裏付けるものだ。

 しかし、こういう体質は決してこの業界にのみ特有のものでもなく、日本的組織には多かれ少なかれつきものといってよい。その根はいずれも旺盛な愛 社心に求められるのであるが、自分の会社や業界を愛する心が、多くの国民をあざむくことを歯牙にもかけない精神と表裏一体となりやすいところに問題があ る。自分たちが損さえしなけれぽ、多くの人々が迷惑をこうむっても構わないというのでは、自分勝手もいいところ、社会性の欠けた幼児酌精神構造といわれて も仕方がない。

 こういう精神構造が、現在の通商摩擦への日本の対応にもあらわれている。ここでも、旺盛な愛社心、愛業界心、愛省心が、世界の迷惑や、長期的なわ が国の利益を無視して、大手を振って闊歩している。パレるまで口をぬぐって隠し通そうとするのと同じ精神構造が、これまで策定された数次にわたる対外経済 対策にも反映している。

 これでは、どれほど多く対策を策定しようと効果があがらず、通商摩擦がますます激化しても不思議ではない。

”外旺“がかかるたぴに、ただちに”安全宣言”をするが、次々と毒入りパルク・ワインの存在が明るみになり、あわててあらたな対策に走り回るのと同 じようなものだ。

 旺盛すぎる愛社心も、愛省心も、愛国心も進むべき道を誤らせがちなものだ。今後は、その限界をわきまえ、むしろ適切な歯止めをかけることにこそ意 を用いなければなるまい。

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経済力に相応しい金融・資本市場の自由化を

(財経詳報1984/3/5 )
二月二十三目、二十四目の両日第一回日米円・ドル委員会が開催された。その成果は、会議後のスプリンケル米財務次官の次ぎの言葉に要約されている。

「米国に次いで世界第二位の経済規模に成長したにもかかわらず、かなりの障害が残っている。当惑を感じざるをえない」(日本経済新聞二月二十五 日)。

 これまでわが国が、金融・資本市場の自由化に当たって示してきた態度は、世界経済の中できわめて重要な座を占める大国としてのそれでなく、むしろ 世界から孤立した小国の、国内的配慮のみを優先した振るまいというに等しかった。わが国は、自国の金融・資本市場の自由化を進めぬまま、世界の他の国々の 市場化にょってえられるメリットだけは精一杯利用して、世界第二位の経済大国にのし上がって来た。そうしたこれまでの政策のツケ、が今、「当惑を感じ」さ せるほどに、自由由化の遅れた金融・資本市場としてわが国市場がとりのこされていることに繋がっている。この当惑は恐らく米国のみの当惑に止どまらず、今 やわが国の政策担当者の当惑でもあるだろう。

 これまでのわが国の金融・資本市場の自由化は長期的な政策や方針が先にあったのではなく、常にいわぱ先行する事態への後追的な容認に近いもので あった。その脈絡からすれば、一九八五年は金融自由化の一つの転換期が好むと好まざるとにかかわらず訪れるものと考えられていた。それは、一九七五年以降 大量に発行された長期国債の満期別構成がここ二〜三年の内に漸次中、短期化し、それが市場実勢による投資物件として巨大なオープン・マーケツトを形成し、 八五年は、短期・長期市場において市場メカニズムが重視されざるをえなくなると考えられたからである。ところが、ここにきて、余りにも立ちおくれたわが国 金融・資本市場の自由化に業を煮やした米国が、早急な自由化を迫って来たわけである。

 大蔵省は、第一回の委員会の結果を踏まえて、おが国金融・資本市場の自由化について総合的な計画づくりを急ぎ、結論のでた自由化策は三月末の次回 委員会に示す考えと報じられている。

 願わくば、従来のような国内的配慮を優先するあまり、これ以上世界の国際金融界から取り残されるような計画だけは作ってもらいたくないものであ る。金融・資本市場の自由化の遅れは、将来の日本経済にとって重要な分野たる金融部門の発展にブレーキをかけるだけに止どまらない。貿易・投資・援助の諸 側面において主導的な地位に立つべきわが国が、世界の金融・資本市場においてその経済力に相応しい役割をはたすことが出来ないいぴつな姿を示すことは、わ が国の今後の発展そのものを阻害することになりかねないのである。

週刊財経詳報1984/3/5号
 

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米国による技術情報流出規制問題へ適切な対処を

(財経詳報1984/4/2 )

 技術を制するものが世界を制する。近年とみにこの認識が高まって来た。その背後には、米国の技術力の相対的な低下がある。

 米国の技術力が、他国に比して、圧倒的に高い時代には、そんなことがこと改めて問題にされることとてなかった。ところが、米国を代表する鉄鋼、自 動車産業の国際競争力の低下に引き続き、日本の追上げでマイクロエレクトロニクス分野においても、その競争力の減退が誰の目にも明らかになるに及んで、そ の認識がにわかに高まった。

 自由世界の守護神を任ずる米国にとって、とくに兵器と直結する先端技術分野での卓越性の動揺は、政治的に大きな衝撃であった。これが国外への技術 情報流出規制を実施する大きな契機となった。

 米国のナショナルセキュリティの失墜は、自由世界全体のセキュリティを損うとの認識がこの措置の背景にはあり、それは恐らく正しい認識であろう。

 しかし、今や、一国による世界制覇の時代ではなく、自由世界全体が結束してその繁栄と安全とを守るべき時代であり、技術は自由世界共通の財産とし て、その実現の原動力とすぺきものである。技術情報の規制は自由世界の技術力の低下を引き起こすことは必定である。それゆえにこそ、自由世界における技術 情報の自由な流通を確保することが重要であり、そのために日本としても最大の努力を傾けなければならない。

 周知のように、戦後の日本経済の急速な成長は、国外、とくに米国からの自由な技術導入によってもたらされた。近年日本の海外技術に対する依存度は 低下しているとはいえ、決して自前ですべての技術開発を賄えるほどにわが国の技術力は高くない。その意味では、今後とも世界の技術情報が自由に流れ込むよ うなシステムを確保することはわが国の存続にとって必須条件である。

 昨年末に、米国との間で武器技術供与に間する政府間の公文が交換されたが、米国のわが国にたいする不信の根は、日本は同盟国といいながら、武器技 術の供与一つにしてもそれに相応しい振舞いをしていないというところにある。

 つまり、日本はそのもてる技術を米国に供与しないのではないかという危惧と米国が技術を与えれば戦後米国が日本に与えた技術が巡りめぐって今米国 の競争力やナショナルセキュリティを脅かすことになったのと同じ事になりはしないかという危惧である。

 武器技術に限らず、日本が米国の欲しがる技術の供与を拒めばそれだけ、米国に技術流出規制の口実を与え、それはわが国のみならず自由世界全体に とっても大きな損失となることを忘れてはなるまい。

 わが国としては、戦後の恩恵にたいする報恩の意味合いもこめつつ、ギブアンドテイクの精神で米国に対応する必要がある。

 この問題に関しては米国の身勝手さを非難する意見も多いが、日本が商売上だけの損得や、あるいは国民の武器アレルギーを口実に、開発した技術の供 与を渋るようであれば、自らの身勝手さこそ反省する必要がある。

週刊財経詳報1984/4/2号
 

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「ジャバントラスト」構想を成功させよう

(1984/8/13財経詳報)
「アメリカにとって最良の産業政策は、寛大な移民政策にある」という説がある。今日の先端技術産業たるエレクトロニクスの分野でアメリカは
いまなお世界のトップを維持しているが、先端的なマイコンチップの多くは、たとえば世界の論理素子をリードするインテル社の社長がハンガリ−出身であるこ とが如実に示すように海外からの移民の発明に依存するところが大であり、その国籍も、インド、イスラエル、スイス等と多彩であるというのである (TRENDS一九八四年六月号)。
 
 確かに一理ある説である。昔から、秀れた科学技術の発明は、国際的な人的交流や情報交流に依存してきた。逆に、国際的な人的交流や情報交流のないところ に科学技術の偉大な成果がもたらされたケースは意外と少ないように思える。したがってこの伝でいけば、創造的科学技術立国を目指すぺきわが国としては、今 後大いに国際的な人的交流や情報交流を図らなけれぱならないということになる。とくに独創的な発明を不得意とするわが国としては、異なった文化に根差す 異」なった発想の研究着と接触し、いろいろと刺激を受けるということは何事にもまして必要なことであろう。
 
 異なった発想がスパークするところに、新しい独創的な科学技術の発見が生まれるように思える。同一民族、同一言語のわが国の場合、いかに発想が異なって いるように見えてもどうしても同質的になりやすくそのため従来改良型の発明は得意としてきた。しかし、多くの技術分野で欧米諸国にキヤッチアップを果たし た今日さらに一層の飛躍を図ろうとするなら、海外研究者との交流をさらに盛んにすることは真剣に考慮すべき問題であるように思える。

 ところで親聞報道によれば、通商産業省でそのことの重要性に着目して海外からの研究者を多数招聘するため、新しく国際研究協力ジャパントラストを 創設するという。これは、海外研究者の招聘事業に賛同する民間の篤志家の篤志を個人名を冠した公益信託として運用し、その運用益で招聘しようというもので あるが、大いに推進すべきものと信ずる。

しかもこの構想のいいところは、国が財政難の折から一般会計予算に依存せずに、民間の活力にその源資な求めたところにある。

 近頃民間にも公益的な事業のため金を出捐してもいいという人は大いに増えてきている。この四月、京セラの稲盛社長は私財二〇〇億円を投じて、ノー ベル賞を上回る五、○○○万円の賞金を秀れた応用科学の研究者三人に毎年授与されることとされた。また、欧米の大学に講座を寄附する大企業も近頃では珍し くなくなった。今後はこのような金の一部をこのジャパントラストの事業にも使ってもらいたいものである。

 米国のNIH(国立衛生研究所)やドイツのフンボルト財団は、いまなお毎年数千人のオーダーで海外から研究者を招聘している。わが国からの招聘者 の数は、そのうちいつもトップクラスに位置している。この様な海外からの恩恵を受けてわが国の技術のレベルもここまで来たのである。今後は単なる海外研究 者の頭脳利用という立場を離れて、こうした長年の恩恵に対する報恩の意味合いからもこのジャパントラスト構想の成功を祈りたいものである。

 

貿易も碁の精神で

(財経詳報1984/9/24)
 

 碁は、日本人の最も愛好するゲームの一つで囲った地の大きさを競いあうゲームなのだが、勝つコツは、相手にも地を与えつつ、自分はほんのすこしだ け余計にいただく所にあるとされている。相手に少しも地を与えまいとして頑張る人がときにはいるけれど、そういう人は大抵負けるとしたものだ。

 これは、国と国との貿易や経済関係にも当てはまるように思える。相手国にいわぱ少しも地を与えないような貿易を長いこと続けていると、結局は相手 国にそんな貿易を続けていく気をなくさせ、もう日本とは取引したくないというような所に追い込んでしまう。それでは貿易立国を旨とすべき日本が立ちゆかな くなるのは目に見えている。

 最近、貿易黒字定着論がにわかに脚光を浴びている。今年の通商白書や、経済白書がその論議に火を付けたのだが、とにかく今年の貿易黒字は史上空前 のものになりそうであり、ここ数年この様な黒字傾向は変わりそうにないので、これを構造的、発展段階的なものとしてとらえ、黒字分を海外投資に振り向け、 世界経済の活性化に役立てようというのである。

 ただ、この議論で気になるのは、当然図るべき内需中心の経済成長への転換の失敗を棚にあげ、外需中心の経済成長を安易に正当化する隠れ蓑に使われ かねない点である。貿易も国と国とのつきあいの一種だ。構造的か否かは別として自国は毎年大幅な黒字を計上し、相手国には大幅な赤字を押し付け、相手国を つきあいたくないような心境に追い込むようでは、失敗である。それでは友好関係は築けないし、そんな国は信頼もされまい。米国、西欧諸国のみならず、近隣 の韓国、タイ、マレーシア等からも日本非難の声が最近とみに高まっている。

 このように日本の国際関係は、どの繋がりを見ても誠に脆いものでしかない。それはこれまで自分ばかり地を稼ごうというようなやり方を長年にわたっ て繰り返して来たためである。

 今や、日本の生産技術は、世界のトップレベルに達している。ということは、大抵のものは、日本国内でできるということだ。

 日本から貿易インバランスの解消策の一つとして輸入促進ミッションなるものがこの秋にも米国や韓国へ派遣されるが、ミッションの団員に選ばれた人 が嘆くのは、相手国から員うものが何もないということである。これは、わが国が作れるものはすべて国内で作るという政策を取ってきたせいである。

 しかし、それではどだい貿易なるものが成り立つはずがない。日本の最大の輸出製品である自動車にしても、先進工業国はもとより、親興工業国ならも う大抵の国で作れるのである。長続きする貿易の為にはたとえ自国でつくれるものであっても相手国に譲る(地を与える〕という態度が今後はますます不可欠に なってくる。それが経済大国のとるべき姿勢のはずである。

 また、ブーメラン効果を気にする余り、技術移転に消極的なのも、いくいくは自らの立場を苦しくしよう。日本が戦後欧米からの技術導入で今日の経済 大国の地歩を築いたことはどこの国でも知っているのである。忘恩の国をどこが高く評価するだろうか。

 碁を愛好する日本人のこととて、今後は碁に勝つコツで貿易もやろうではないか。
週刊財経詳報1984/9/24号
 

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 国際化時代にふさわしい教育改革を

(財経詳報1985/1/28)
日本のような資源小国にとっては、自由主義経済圏第二位の経済大国という地位はかなり晴れがましいはずのものである。最近の数字は、一人当た
りのGNPも一万ドルを超え、いよいよ日本の地位は高くかつ安定的になりつつあることを示しており、日本人の多くはすっかりこの居心地のいい地位になれっ こになってしまっている。しかし、ここまで日本が発展してきたのは、国民の努力もさることながら、恵まれた国際的な環境があってのことであることを忘れて はなるまい。

 ところで、日本経済の国際経済に占めるプレゼンスが大きくなるにつれて、日本を巡る国際的な摩擦も大きくなり、かつ複雑になってきた。この様な国 際的な問題を旨く処理していかなければ、今日の日本の地位を保っていくことはできない。だが、現在の居心地のいい地位にすっかり安住している国民の多く は、国内的な繁栄の中に閉じ籠っておりさえすれぱ、いつまでも現在の経済的繁栄が続くかのような錯覚に陥っている。

 日本のこれまでの歴史を振り返ると、国内的な事項に専心している限りにおいては、大変な発展を遂げるのであるが、それが旨くいき国際的な強国とな り、複雑な国際関係を旨く処理しなけれぱならないような立場にたたされると、なかなか旨くこなすことができすに、行き詰まってしまうことが多かった。太平 洋戦争敗戦しかりである。

 近代に至るまで長い間国を閉ざし、一民族一国家を形成してきた日本人にとつて、国際関係というものは多くの場合「複雑怪奇」であり、一筋縄では手 に負えないものである。そのため、国際関係をうつちゃっておいてひたすら手慣れた国内事項にのみ目を向けがちになる。その結果、いつも手厳しいしつぺがえ しを国際関係から受けるのである。

 さて、最近、臨時教育審議会が設けられたことも手伝って、今後の教育の在り方が精力的に論じられている。教育の現状を見ると、いろんな所に行詰ま り現象が見られその手直しが必要なことは誰もがたやすく合点できることである。

 今後臨時教育審議会でも多くの改革察が立案されるであろうが、ただ、その際忘れられてはならないのは、国際的な視野である。国際的ないわぱしがら みのなかでしか生きていけない宿命を持つわが国にとって、真に必要な人材は、国際的な視野を持ち国際的な場において活躍できる人でなければならない。ま た、国民の一人一人が国際間係の重要性を十分認識しうるような教育が行われなければなるまい。その様な人材を生み出し、生徒の一人一人に国際的な視野をう えつける教育こそ今後のわが国にとって必須である。その様な視野を欠く教育改革案はたとえどのように優れたものに見えようと日本の進路を誤たせかねない。

 明治維新の元勲らが国際関係にいかに細心の注意を払ったかを夢忘れてはならない。明治維新から四〇年後に日本は日露戦争に勝利を収めたが、それか らちょうど四〇年後には太平洋戦争に敗れている。それからまた四〇年、日本は今繁栄の頂点に立っている。
週刊財経詳報1985/1/28号
 

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 歩みを緩め、考えるべき時

(1985/3/11)
最近の調査では、日本人の歩く速度は、世界一らしい。歩く速度が早いせいか、経済成長の速度も世界一のようだ。お蔭で今や自由世界第二の経

済大国となり、毎年大幅な経常収支の黒字を計上するようになった。このままでは、一九八三〜九〇年の黒字累計額はかつてのOPECにも匹敵する四、 ○○○億ドルの巨額に達するという(興銀試算)。このため、貿易摩擦が恒常化し、今やその対応に追われっぱなしの有様だ。

 さて、世界一の速度で日本人は歩み統け、一体どこへ行こうとしているのか。それが今ひとつはっきりしない。速度を上げるために、多くの国で常識化 した週休二日制すら犠牲にしているのだから。

 世界の国々の通常の速度をかなり上回る速度で歩み続ければ(また、続けることが出来れば)、恐らく日本は他の国々を遠く離してしまおう。その先に は一緒に語らう相手もいない、孤独の世界が待ち受けているのだろうか。

生命体のなかに正常な細胞に比べ著しく成長の早い細胞が発生すると、生命体そのものを危険に晒すので、その摘出が図られる。このガン細胞の発生は、 正常な細胞とのコミュニケーシヨンの欠如に基づくとの説がある。

 今の日本を称して世界という生命体の中のガン細胞であるという人もいる。これは聞き捨てに出来ない問題であろう。日本の成長は通常の国に比べ異常 に早すぎないか。世界名国と円滑なコミュニケーションが行われているか。国際的な摩擦はコミュニケーション不足を示すのではないか。日本という有機体を構 成する各細胞間に血の通ったコミュニケーションが確保されているか、など、常に自からチュックする必要がある。たとえば「問題が各省庁にまたがると現場は 自分の職場中心の堅い態度になりやすい。そこにネックがあると米側は不満を持っている」(大河原駐米大使一九八五年二月二八日◯◯新聞)との指摘は、その 必要性を示唆している。

 最近の英誌エコノミストは、東南アジアの森林資源が危機に瀕しているのは、日本人に責任がある。日本は自国の森林を守るため、将来の環境問題を考 えずに、東南アジアの木を大量に輸入していると指摘している(二月八日号)。今後東南アジアで原木を切り出すことが出来るのはマレーシアのサラワク州ぐら いらしい。

 アマゾン流域には、大群を成し、物凄い速度で移動を続ける蟻が住んでいる。その蟻の行くところすぺての生き物が食い殺されてなにも残らない。一匹 一匹の蟻には顔がなく、ただ自分たちの群れのために一生懸命働き続けて一生を終わるという。

 現在の日本とアマゾンの蟻とのイメージがタプつて来ないだろうか。確かに早く歩けばそれだけ経済効率は上がる。しかし、どこへ行くのかをしかと考 えずに歩き続ければ、自ら破滅の道を急ぐことにもなりかねまい。少し歩みを緩めて、「考えること」が必要な時ではないだろうか。人間が蟻と同列にされるの ではあまりにも悲しすぎよう。

 週刊財経詳報1985/3/11号
 

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摩擦解消に抜本的な産業構造転換を

(1983/7/11)
 
 五月の経常収支も、四月に引き続き大幅黒字となった。この勢いでは、今年度の経常収支の黒字幅は二○○億ドルを軽く突破しそうである。これを背景に、通 商摩擦が激化することが予想される。とくに、大幅な貿易収支不均衡の生ずる米・ECとの貿易摩擦は年末にかけて熾烈化しよう。

 この通商摩擦問題は古くて新しい間題で、ここ一〇年来、経常収支の黒字幅が拡大すると激化するというまったく同じパタ−ソを繰り返えしてきた。

 その対策としてわが国ではこれまでも内需中心の経済成長への転換が唱えられてはきたものの、なんらの抜本策が伴わなかったため、その実効は上がっ ていない。そのため、摩擦が激化すると、緊急商品輸入とか、関税切下げとか、輸入割当て枠の拡大等でお茶を濁さざるをえなかった。しかし、現状では、これ までのような百年一日のごとき対症療法的対策で時を稼ごうとしてももはや手遅れともいえるほど、事態は深刻化Lている。昨今の米欧の新
 
 
 

聞論調は、明らかに日本のこれまでの十数年に及ぷ「無策」ぶりを非難するものに変わってきており、もう同じ手口ではだまされませんよという強い姿勢 がうかがわれる。

 通商国家たるわが国にとっては、この通商摩擦問題は“オイル・ツヨック”におとらぬ大問でモあることを正確に認識したうえで、その解決のため、あ らゆる方策を傾ける決意をすべき、今は、その時ではないだろうか。

 日本がオイル・ツヨックに対して示した優れた適応力を、この際、貿易摩擦問題に対しても示すべく、官民あげて必死の努力をする必要があるように思 える。その努力を怠れば、西側陣営の一員としての責務を十分果たしていないとの非難をこうむろう。これによって西側陣営に亀裂が生じ、日本が国際的孤立と いう窮地に立たされるおそれさえある。

 わが国の産業構造は、世界の一割国家となった今も、NICs同様の輸出依存型であり、景気刺激を行うと、まず輸出ドライブがかかりやすい体質を 持っている。この体質を改め、今こそ真剣に内需依存型の産業構造への転換を図る必要がある。

 内需振興のためには、これまでの日本人のライフスタイルを変えるぐらいの発想の飛躍が必要であろう。会社人間を是とし、これまで通りの朝から晩ま で仕事一辺倒の生活を前提としていては新しい需要の喚起は無理というものだ。もうすでに会社人間の許容しうる空間・時間には、「モノ」にしろ「サービス」 にしろギッシリと詰まっている。思い切って、週休二日制や長期夏期休暇制を断行し、残業時間を大幅に縮減するような措置をとれば、国民の生活空間・自由時 間が大幅に増大し、新しいモノやサービスを受け入れる余地が生じよう。これが新しい様々な需要を生み出し、日本経済の成長の牽引力となるのである。このこ とによって国民の生活の質的向上も同時に達成されよう。

週刊財経詳報1983/7/11号
 

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コンセンサス方式で時代に対応出来るか

(1983/8/29)

今月中旬、新しい経済計画「一九八○年代経済社会の展望と指針」が策定された。関係者の苦心の作であり、その労を多とするものではあるが、正直なと ころもうひとつ胸に響いてくるものがない。それは、この計画が率直さに欠けると思われるからだ。総選挙向けに厳しいことはすぺて今のところ頬かぷりしたと いうのであれば、これは随分国民も嘗められたものである。しかし、もう時代は、国民に、いつまでもこの様な大して毒にもならないかわり、薬にもならないよ うな計画をあてがっておけぱすむ時代ではないはずだ。

 従来の計画であれば、高い成長率が、あらゆる国内的な矛盾を覆い隠してくれた。政策の羅列をしておけば、後は高い成長率の中にすべての矛盾が吸収 されたのである。しかし現在のように低成長時代ともなると、ほとんど大きくならないパイの配分を巡って、国民各層の利害が鋭く対立する。したがって、経済 計画には、その配分の哲学を明確かつ率直に示す義務がある。

 既成勢力や既得権に媚びていては新しい時代を切り拓くことが不可能な時代なのであるから、従来の政策を断固止めるということも明言しなければなら ない、その意味でこの様な時代においては、新しい経済計画が発表されれば、天下が上を下への大騒動になるくらいでなければ、その有用性は乏しいとさえいえ る。

 しかし、今のシステムの中でそんな有用な計画が出来るかということになると、残念ながら「否」といわざるをえない。周知のように、政府が発表する この種の計画は、民間の委員による審審議会の答申という体裁が取られているが、各省合議というスクリーンに掛けられたうえで公表される。したがって、各省 にとって都合の悪いことは、すべて、削られるか文章の手直しが施されている。こうして、国民が今一番知りたいことがうやむやにされることになる。

 今回の計画には数値らしきものがほとんど示されなかったことからも伺えるように、従来型の計画策定の手続きに限界があるのは明らかだ。今後の計画 は作成システム自体の見直しというところから手をつける必要があろう。

 国民ばもっと率直に語りかける計画を望んでいる。今後は、従来の官庁間のコンセンサス優先方式では、もはや、内外の山積する難題には有効には対処 しえなくなっているとの認識に立って、本当の意味での指針たりうる、いわば薬にもなるかわりに毒をも含んだ計画を作るシステムを作ることこそ重要であり、 それこそ計画策定官庁が取り組むべき最重要課題であろう。

 これは現在の政治、行政をも含めたわが国の全社会システムの見直しにつながる問題であり、一朝一夕に達成出来るものではないが、日本の危機管理能 力を高めていくためにはどうしても必要なプロセスではある。

週刊財経詳報1983/8/29号
 

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農作物自由化交渉に政治的決断を

(1983/10/10)
 十一月のレーガン米大統領の訪日をひかえて、日米通商交渉がこれからいよいよヤマ場を迎える。中でも農作物をめぐる交渉は、先に米側から大幅な輸入枠の 拡大を求める新提案が出されており、それにどう対応するか、日本側は苦しい決断を迫られている。

 ところで、国内では、農業関係者を中心として農産物の輸入自由化に反対する声が相変わらず強い。とはいえ、これまで同様の国内事情優先主義でこの 事態に対応しようとするのは長期的に見た場合国益に反することになりかねないように思える。

 農作物の交渉を含め国際的な交渉においては国内の政治力を駆使して、一時的に「勝った」としても長期的にみれば日本にとってきわめて不利な方向へ 舵を切ったのと等しい結果になる可能性があるからである。

 国民の多くは日本が戦前、国際連盟の椅子を格好良く蹴ったとき快哉を叫んだのであったが、歴史的にはそれは大きな過誤へ陥る第一歩に等しかったこ とは今日日本人の多くが認めるところである。

 その当時国際的な友好関係を最優先させるぺきであったのと同様今日においても国際的な友友好関係と自由貿易体制とをわが国は何よりも優先させるぺ きであり、これを失えば、日本の前途に直ちに暗雲が立ち込めるのは必定である。相手側の自由化要求をはねつけて快哉を叫ぷのはたやすいが、それによって保 護貿易主義の台頭に拍車を掛けることが必然である以上、この際うるものと失うものとの軽重を大局的な観点からじっくりと判断する必要がある。そのためには 大所高所からのリーダーシップが必要なのであって、事務当局は技術的な駆引のみにすぺてを委ね、政治的決断を回避することだけは避けねばならない。

 今日の事態がきわめて逼迫している背景には、日本のこれまでの自由化努力が、ほとんど実効を上げなかったために、日本の経常収支の黒字幅が最高の 水準に達し、日米間の貿易収支の不均衡がアメリカ側からの再三にわたる警告にも拘らず、今年度過去の最高額を更新しようとしていることがある。

 同様の事態はこれまでも幾度となく生じたのであったが、日本側はこれといった抜本策を講じるでもなく経常収支の黒字幅が減少し事態が改善されたと 見るといわぱ一過性の問題のごとく問題を放置してきた。

 仏の顔も三度という諺もあるが、いくら「大国」アメリカといえども踏付けにされれば本気で怒りたくもなるというものだ。交渉にあたって望みたいの は、自由化しても対外均衡の改善にはほとんど寄与しないとか、農業は製造業の犠牲になっているとか、農作物は国民の「生存」に直結するから別扱いにすぺき とかの、国内事情を知った人にしか通用しない論理や、相手側に同じ論理を使われれば直ちに手上げになるような論理を使わないということである。

いずれにしても、日本側に今や大国の度量が求められる時代になっていることをはっきりと認識する必要があろう。

週刊財経詳報1983/10/10号
 

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技術立国は創造性への評価を高めることから

(1983/11/21)

 技術の重要性にたいする認識が世界的にも最近とみに高まっている。これまでの最大のイッシューであったエネルギー間題が石油の需給緩和によってや やその緊迫感が薄らいだ後を受けるような形で、技術への期待が盛り上がっている。

 その背景には、日本の成功がある。資源小国である日本が、世界第三位の経済大国になりえたのは、加工組立産業やエレクトロニクス分野における強い 国際競争力の故であり、これが先端技術に根差していることに各国が気付くに及んで、にわかに技術への関心が高まったのだ。

 それに、石油危機にたいして、日本及ぴ各国が石油の消費量を削減し危機の乗切りに成功したのが、省エネルギー技術や代替エネルギー技術を始めとす る技術の御蔭であったことも、技術への関心を高めたといえよう。

 このような情勢を背景に、先端技術を巡り先進工業国の間で激しい競争が演じられるようになってきた。

 ところで、通商摩擦を引き起こしているわが国のいわゆる先端技術製品について子細に見ると、残念ながら、わが国の創造的開発技術に基づかないもの がそのほとんどを占めている。

 たとえば、ICにしても、原理は外国から導入されたものであるし、しかも日本の有力企業のICが米国企業製品のデッドコピーではないかとして係争 沙汰になっている。最近、IBMとの間で決着のついたコソピュータのソフトウエアを巡る争いにしても日本側にオリジナリティが不足していたことに起因する ものであったことは明らかである。

 これらのことは、日本は他国で開発された技術の製品化、つまり、生産技術の面では秀れているけれど、自らオリジナリティを発揮する技術、つまり開 発技術の面ではかなり弱体であることを示している。

 周知のように、開発技術と生産技術の間には同じ技術とはいえかなり質的な隔たりがある。生産技術はいわぱ解のある問題を解くようなものだ、もちろ ん解くこと自体が易しいとはいわないまでも、従来の日本式の集団志向型の研究体制で一人一人がすこしずつ改善案を持ちよって努力すれぱなんとかこなしう る。

 ところが、開発技術は、全く解があるかないかさえ定かでないところに自ら問を見付け自ら答えなければならない。まず、設問すること自体に他人と異 なる問題意識や独創性が必要なのだ。

 ところで、日本の精神風土には、独創性やオリジナリティを尊重する気風が乏しい。その裏返しとして、他人のオリジナリティを盗用することをそれほ ど忌避しない。

 同質化を旨とするわが国においては、猿真似も生活の知恵とされ、猿真似しうる才覚がなけれぽむしろ馬鹿にされる。確かにいつも二番手、三番手につ けておき他人のオリジナリティを真似するほうがずっと楽ではある。しかし、今後は急速にその様なことを許されるような環境ではなくなろう。

 いずれにせよ、日本が技術立国を目指さなければならないことは、明白である。その意味からも今後は、創造的技術開発のできる風土を作っていかなけ ればならない。現在の物真似を奨励するような学校教育や企業経営から脱して、わが国全体を創造的研究開発向きの体質へ切り替えていくのでなければ、技術立 国も絵に書いた餅に終わりかねまい。
 

週刊財経詳報1983/11/21号

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新しい時代へ向けての地域造り (pdfへ)      

   
(長崎県広報誌LINK1992年3月号所載
 島原市の出である私にとっては、雲仙の噴火は悪夢そのものだった。

 両親が患ったこ ともあり、その見舞いがてら昨年は四度ほど帰省したが、山紫水明の故郷が、火山灰を かぶり薄汚れ、美しい山容を誇った雲仙岳の山頂には不気味な溶岩ドームが、かさぶた のように覆いかぶさっている。被災した人々の多くは、仮設の住宅で不自由な避難生活 を、いまもって余儀無くされている。島原市や深江町の皆様には心からお見舞いを申し 上げたい。

 この二百年振りの噴火は事前にほとんど予測がつかなっかったため、多大 の被害と、犠牲者を出したが、事前に予測すべき事態を予測できないと、多くの犠牲を 強いられることになるのは、自然界のみならず、人間界でも同じことである。

 というのは、現在、雲仙の大噴火にも比すべき大きな変動が、日本の経済社会に生じ ているからである。その予兆は様々な局面に露出している。しかし、ほとんどは地下の マグマのように隠れていて、その実態を正確に把握するには相当な目利きを要する。こ うした動きを無視して、その上に経済社会を築くようなことをやっていると、いつ根こ そぎ崩壊の憂き目を見ないとも限らない。その時こうむる被害は、雲仙噴火の比ではあ るまい。

 第一の動きは、量的成長時代から、質的充実時代への移行である。今までの経済成長 中心経済から成熟経済への動きと言ってもいい。儲け第一の時代から、生活の充実、精 神的豊かさを追求する時代へ、価値観が大きく転換している。日本は今や経済的には世 界一豊かな国の仲間入りを果たした。従ってモノという点から見れば、世界一のモノ持 ちである。(長崎県の県民所得は日本ではむしろ低い方だが、それでも世界の中では、 極めて高い位置を占めている。)しかし、国民の多くは世界一豊かだという実感がない 、と不平を言っている。

 しかし、考えてみればモノが幾ら増えても、カネを幾ら稼いでも、それだけで、豊か さを感じられる保証がないのは当然のことだ。儲けや目先の損得に心が占領されていれ ば、豊かさを感ずる隙間(ゆとり)もあるまい。世界一の金持ちにはなったものの、周 りが、自然破壊、環境汚染、家庭崩壊、地域社会崩壊、教育荒廃、文化劣位では豊かさ を感ずるどころでもない。この意味でも、ひたすら物的拡大を目指す従来手法の地域開 発はもう終わりにきている。経済的発展と文化との融合を図らなければ人間らしい生き 方は実現できず、豊かさの実感は得られない。

 第二に、モノ・カネの時代から、これからはチエ・情報・知識の時代へと移っていく 。こうした知識・情報が、社会を動かし、価値や富を生み出す経済社会の基本材になる のであるが、カネやモノと違って、有限ではなく、人間が幾らでも生み出すことができ 、しかも、共有し、共用することが出来る。その特性が今後の経済社会の仕組みを大き く変えていこう。その動きに先鞭をつけて取り組むのでなければ、後塵を拝することに なりかねない。長崎県は、経済成長が他の地域に比べ遅れた分だけ、まだ良好な自然や 、空間が残っている。しかも、歴史的に培われた他の地域にはない優れた文化を有して いる。これらを出来るだけ保存しながら、新しい時代に相応しいチエ・知識を土台とす る産業の発達をこそ促すべきであろう。

 第三に、国内中心の時代から、国際化時代へ移行する。いわゆる一国繁栄主義は終息 し、共存共栄、相互依存主義の時代が始まる。地球の環境的な制約を考慮に入れなけれ ばならない時代でもある。その意味でも、周辺諸国に優しい国造りが求められている。 長崎県は、幸い地理的にも、歴史的にも、心理的にも、中国、韓国をはじめ、東南アジ ア諸国に近い。この特質を大いに生かして、大いに国際的に協力・貢献すべきである。 国際的な貢献の先覚的な県になれば、県民の威信も大いに上がり、満足感も得られよう 。技術・経営手法の移転、研修生の受入、市場の開放、共同投資、情報ネットワークの 構築など、幾らでも協力・貢献することはある。

 いずれにしても、長崎県の特質に深く思いを致し、じっくりと計画を練り上げるゆと りが必要だ。対症療法的に、折角の良好な自然や空間や資源(物的のみならず人的・文 化的なものを含めて)を食いつぶしていけば、あまり年月を経ぬうちに、過密地帯並み の荒廃した自然や地域社会、利用価値のないスクラップの類の山ができるだけだろう。

 単に経済的な豊かさを目指すより、住むことに誇りを持てる、従って心の豊かさの感 じられる県造りを目指すべきだ。決して第二の東京を目指すべきではない。東京は経済 成長第一時代の今や遺物であって、朝夕の通勤ラッシュひとつ考えても、まともな意味 では人の住める場所ではない。小型東京を目指す追随型から独自の方向を目指す自主選 択型の県へ、長崎県は先覚的な県になりうる多様性と適格性とを持っている。何事にせ よ、先取りするには勇気がいる。先行者の後に付いていった方が楽に見えるし、安全の ように見える。しかし、先行者自体が行き詰まりかかっているのに気付かず、後を追う のは決して賢明ではないだろう。

(長崎県広報誌LINK1992年3月号所載)

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ボーダーレス時代へ の対応              890911ZAIKEI-KENGEN
 世界的な規模で、経済のボーダーレス化、つまり国境無き経済への動きが、着実に進んでいる。国境という垣根が取り払われ、広く共通の経済ルールが、多く の国で採用され、モノ、カネ、ヒトが国境を越えて、自由に動き回る。日本は、このボーダーレスエコノミーの恩恵を最も享受している国の一つであろう。

 ところが、日本人の意識の中には、日本から出ていくとき、つまり、他国へ入るときには、ボーダーレスの恩恵を享受しながら、他国人が日本へ入って くるときにはそこにボーダーを設けて、その恩典を享受させようとしない性向がみられる。これは、鎖国政策をとっていた江戸時代の意識の名残である。

 自国が享受している以上、相互主義の観点から同等の恩典を他国にも享受させるのが当然であるにもかかわらず、今もって、鎖国政策を取り得るとの前 提での対策・議論が行われている。たとえば、外国人労働者に対する対策、議論がそれである。 

 江戸時代まで日本は四囲を海といういわば鉄壁で取り囲まれた島国であり、容易に鎖国政策を取り得た。陸続きの国であれば、鎖国政策を取ろうとして も、およそ不可能であった。火力の強い国が回りから入って来、干渉する。国境線自体がその都度人工的に変えられる。国境を接しながら独立を維持していくに は、戦力を整え、外交に知恵を絞り、絶えず隣国との融和に努めなければならない。隣国との付き合いでは、自国に都合のいいところだけをつまみ食いするわけ にはいかない。

 かつての鉄壁の城塞も、ジャンボジェット機や大型外航船の行き交う現在では、陸続きの国の国境とさして変わらなくなった。最近相次いでボートピー プルが漂着している。あんなボロ船でも数千キロの海路をやって来れるのである。観光ビザで入国した多くの外国人労働者が不法就労という悪名に甘んじながら 日本経済の底辺を支えている。これらはわが国にとって初めての経験だが、政情が不安定な国や、経済力の弱体な国と国境を接していれば、これが常態というも のであろう。

 中国すら逃げ込んだ多くのベトナム難民を抱えている。シンガポールにも五万人ものベトナム難民がいる。にもかかわらず、この富める日本が、今もっ て江戸時代同様の鉄壁の国境があるかのごとき錯覚のもとで時代遅れの対応をしようとしている。

 最近行われた日米構造協議においても、いわば日本がアメリカ国内で享受していると同等の扱いを求めるアメリカに対し、日本側はああいえばこういう 式で対応するばかりで、真にボーダーレスエコノミーを支え、その恩恵を今後とも享受しようという国としての自覚が欠けていた。

 外国人労働者や難民へどう対応するか。日米構造協議にどう対応するか。日本の対応振りを各国は多大の関心をもって見守っている。少なくとも江戸時 代と同様の物理的な鎖国を取り得るかのような錯覚に基づく政策は、早急に改善しなければなるまい。

週刊財経詳報89/9/11号

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                         891022ZAIKKEI=KENGEN
 
 








   Iと私と自己主張

 
































 英語の構文には、必ず主語があり、一人称の場合にはIが付く。それに対して、日本語では、主語が必ずしも表に出ず裏に隠れる。それゆえ、英語を話 す英米人の方が日本人に比べて自己主張が強いという説が日本では罷り通っている。確かに英語のIを日本語に訳すとき一々「私は」と訳すと、いかにも、「私 は」「私は」としゃしゃり出ているように感じられる。しかし、これは日本語の文脈の中でそう感じるのであって、Iを即「私は」と機械的に訳す方が間違って いる。日本語では述語が主語を含んでいるので、主語を明示するとかえってくどくなり、極めて自己主張の強い文になってしまうのだ。

 日本語では、文中にこの「私は」を入れるか入れないか、極めて慎重な気配りが払われており、自己は決して奥に引き籠もっているわけではない。むし ろ、過剰なほどに自己に拘っているのが、日本語であり、日本人である。だから、たとえ、主語が省かれていても、述語や構文全体から、我々には話手の自己主 張の強さが手にとるように感じとれる。

 一方、英語では、Iという主格を明示するのが普通なので、それを省略するとかえって目立ってしまう。それに省略しても主語の欠落を補う特別の述語 がない。英語にIが付き物だからといって、これだけで英米人が自己主張が強いと即断するのは、誤っている。

 日本人は、主語を省きながらも、言うべきことを言って一歩も後ろに下がらない。とくに組織や国の代表になった場合など梃でも動かない。相手の理解 を求めよという場合、一方的にこちらの言い分を相手に飲ませよと言うのと同義だ。これは、最近の、日米構造協議における討論を見ても、良く理解できる。

 日本語の構文を根拠にして、英米人に対して、自己主張が弱いという思い込みがあるため、言うべきことをもっと言えと言う主張が良くなされるが、言 うべきことを言うばかりか、相手の言うことにはほとんど耳を貸そうとせず、改めるべき点も改めようとしないのが日本ではないのか。長年にわたって、臆面も なく大幅な貿易黒字を続けていることが示すように。

 その言い訳に、毎度決まって持ち出すのが、長期的視野にたつ日本企業に引き比べ、米国企業は短期的視野から利益追及を行うので、今日の絶対的な経 済力の格差を招いたという主張だ。しかし、長期的観点から物事を見ることの出来る日本が、どうしてこうも長年にわたって黒字を出し続け、一向に改善できな いのだろう。同じ日米構造協議で問題になっている地価問題にしても、もう随分前から指摘されているにも拘らず、実効の上がる対策は一向に講じ得ない(これ も、日本人の自己主張が強くてその調整が極めて難しいことの証しでもあるが)。

 都合のいいところにだけ、自らの長期的視野を吹聴するのは、どう見てもおかしい。ところが、このような論理的な破綻にも日本人が自己主張に長けて いないとの思い込みゆえにか極めて鈍感で、恥じるところがない。

 いずれにせよ、Iと私の差異から誤った自画像を作り上げるに類した愚かさとはいいかげん手を切って、自己を正確に認識するとともに、世界に通用す る自己主張の術を身に付けないと、それこそ国際的な摩擦・軋轢を益々と強めてしまうことになるだろう。

週刊財経詳報89/10/22号

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    大本営発表と選挙公約

 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

             KENGEN900204-3
 一週間後に迫った衆議院議員選挙の投票日を目指して、選挙運動が真っ盛りである。与野党逆転の掛かった重要な総選挙ではあるが、国民に 選挙の本当の争点が明らかにされているようには思えない。外交面でいえば、激動する国際世界の中におかれている日本の現状をどう認識し、日本異質論や封じ 込め論を初めとして、最近ますます厳しさを増しつつある国際世論にどう対処しようとしているのかはっきりしない。内政面にしても、土地問題、税制、農政、 政治改革、衆議院議員定数是正、外国人労働者問題など重要問題が山積しているが、これらについて率直な現実味のある政策が示されているとは思えない。

 かつて大本営は、国民に真実を伝えると国民は気が弱く戦意を挫かれ兼ねないということで、常に日本軍勝利の情報を流し続けた。今もって国民はその 当時と変わらない気の弱いお人好しと見くびられているようで、各党とも口に甘く耳に快いことを並べるだけで、真実を率直に語り掛ける勇気に欠けている。国 民を真の大人と見ていない。真実を告げればへなへなとその場に崩れ落ち兼ねぬ気の弱い癌患者か、幼子でもあるかのような扱いだ。

 総選挙の公示日を前にして行われた五党首討論会にしても、五機の小型飛行機による航空ショーの趣があった。地上数千メートルの上空に五色に彩色さ れた、文字通り雲を掴むような抽象論・建前論でそれぞれに美しい模様を描き出してみせたが、それもしょせん煙幕にすぎない。たちまち風にかき消されてしま い、飛行機自体もやがて地上に降りてこなければならない。我々国民が聞きたいのは、地上に下り立った後の討論なのではないのか。空中に幾ら美しい模様を描 いて見せても、我々国民が今後直面しなければならない、厳しい現実はいっこうに見えてこない。
 
 








 もうそろそろ、地に足を踏まえてじっくりと討論をすべき時なのだ。何時までも利益誘導的な夢物語を繰り返すだけの政治が通用するわけが ない。国民はそれなりに日本の直面している難しい現実をわきまえている。そこで各党からその対策を聞きたいと思っても、確たる将来の展望も示さず、臭いも のには蓋、きれい事だけ並べ、難しい問題に踏み込めば火傷をするとの姿勢に終始するだけでは幻滅よりない。むしろ、国民には見えない厳しい現実や将来展望 を示し、それにいかに対処しようとしているかを明らかにすることが政党に求められる基本的な役割のはずだ。それが逆に甘い現実認識を示すばかりで、いざと なれば、なんとかなるとの精神論を繰り返すのではなにをかいわんや。

 
































 要するに政党側の国民に対する認識不足が目立つのだ。政策不在で「何卒宜しく」と名前を連呼するだけの選挙にはもううんざりだ。国民の反応は冷え きっている。ソ連・東欧での大変動を見れば明らかなように、世界のかしこで見くびられてきた民衆の反抗が始まっている。この現実を与野党ともはっきり認識 する必要がある。

 大本営発表を信じていた国民が、事の真実を知ったときには手遅れになっていたように、耳に快い公約を真に受けて、一票を投じ政権を預けたところ が、たちまち急転直下予期せざる難局に巻き込まれ、混乱の海に放り出されるようなことにならないように願いたいものだ。しかし、このままいけばかつての二 の舞必至のように思えてならない。

週刊財経詳報90/2/14号

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                      ZAIKEI-KENGE900318-1KA

    言葉の壁を越える壁 new

 現在の閣僚や与野党の要人の中で、米国を始めとする主要国の要人と気軽にヨコメシが食える人物が何人いるのだろう。閣僚でなくても、構造協議に参 加している政府高官でもいい。外国から要人が来日する。あるいは自ら外国に出掛ける。そうしたときに、公式のレセプションはともかく、親密度を高める場と なる非公式の夕食会を自ら設営したり、あるいは、招待されたら喜んで出掛け、夕食を共にして楽しく、これからも長く付き合いたいという気にさせ得る人物、 つまり相手にひとかどの人物として認められ、真の友人扱いを受け得る人物が何人いるのだろう。

 国と国との間の関係では、たとえ表向きの外交が、どれほどぎくしゃくしていても、そうしたいわば日常的な、ファーストネームで呼びあえるほどの親 密な間柄にある要人が一定数おれば、それほど深刻ではないと言われる。ところが、外国に出掛けても、ヨコメシは出来るだけ避け、日本人だけでタテメシを食 い、日本で外国人に招待されても「公務多忙」を理由に欠席する。

 例えば、モスバッカー米国商務長官とダンフォース上院議員が来日したときアマコスト駐日大使が主催した夕食会に主要閣僚が六人招待されたが、二人 だけしか出席しなかったように(『日本経済新聞』一九九〇年三月十八日)。

 米国を始め世界各国と持続的な友好関係を深めたいと、二言目には主張しながらその言葉の裏の現実がこういうことでは、国の長い将来を考えれば、む しろ、昨今の経済摩擦以上に事態は深刻なのかもしれない。なぜなら、これは決して言葉の壁だけの問題ではなく、もっと広範な一国の文化的な壁(=限界)の 問題だからだ。経済摩擦は、なんとか解決の糸口を見付け出すことができるかもしれないが、対等に付き合える人材の育成は一朝一夕にはいかないのである。日 本異質論は実にこうした問題にも起因しているのだ。

 夕食会に出席しても、関心領域が選挙対策や仕事だけで、にわか「勉強」の成果を自説のごとく繰り返すだけでは、相手を感服させることは出来まい。 論理的な討論になっても、なあなあとまあまあの国で育ち、日頃から討論になじんでいないので、話の節々に意図せざる論理性の欠如や、論理の飛躍、論理のす り替えを露呈してしまい、不信感を増幅する。自らの信じる理念に欠けておれば、理念の国の人である相手の納得は得られまい。

 個人的な親密な付き合いが成り立つには、理念に絡む話がもっとも深刻だろう。公式の場の討論ならば、建前論や、言いっ放なしでも凌げよう。しか し、一対一で個人的に話し合うとき、その人物の掛け値なしの世界観・見識・教養・論理性が問われるのだ。例えば公式的には自由民主党は自由と民主主義とい う理念を最大限尊重しているといっておけば済むかもしれない。しかし、実際の政策では、自民党は明らかに自由を抑圧している農産物の輸入制限や食管法の死 守を叫び、一対三という一票の重みの開きを放置している。そこに自由民主の理念はどう貫徹されているのか。そこに矛盾を認めるなら、その是正のため、いか なる実践活動をしているのか、と個人的に問われたらたちまち答えに窮してしまうだろう。

 党の方針だから個人としては従わざるを得ないと言えば、それこそ自由民主の理念にもとるではないかと論理の矛盾を突かれるだろう。これは護憲を掲 げる社会党や共産党の党員とて同じことだ。真の友人になるためには、口先だけでなく、日頃の実践的活動を通して、自らが自由と民主主義の真の信奉者である ことを示さなければならないのだ。

 今後、個人的なレベルで、遠慮のない論理的な意見交換を進め、真の相互理解を図る必要性はますます高まろうが、それを可能とするには、その前に立 ちはだかる言葉の壁を越えたこうした大きな壁の存在を認識し、それを乗り越えるため、それこそ地道で真摯な努力が必要なのである。

(週刊財経詳報90/3/18)

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  豊かさにおぼれ ない教育             zaikei-kengen900506
 日本のスポーツ界では、団体種目にしても個人種目にしても、国際的に通用する種目は極めて少ない。国民に人気の高いゴルフやテニス界を見渡しても、女子 プロゴルフの岡本綾子をのぞけば、世界に通用する選手はほとんど見当たらない。選手はどこかひ弱で、勝負所になるとからきし弱い。一九六八年のメキシコ五 輪で、銅メダルを手にした日本のサッカーにも昔日の面影はない。銅メダルの功労者だったD・クラマーさん(西ドイツ)は、請われて昨年から再度日本代表の 強化に乗り出しているが、当時の選手に比べると、今の選手は、精神力が不足しており、反則を受けると大した怪我でもないのに直ぐフィールドに寝たがる、な ど共通の「甘さ」が目につくという。

 これに対して、日本も豊かになって昔ほどハングリーじゃないからというもっともらしい説明が横行している。

 確かに日本が、豊かになったという点は間違いない。一人当たりのGNPも世界一の水準に達したし、ゴルフやテニス大会の賞金額にしても、世界の大 きな大会に比べても決して遜色なくなった。むしろそうした豊かな日本市場があることが、世界の厳しい風に揉まれたこともない温室育ちでも、ほどほどにやっ ていける事につながり、逞しい選手の成長を妨げている面もあるのは事実である。だが、ハングリーでなければ強くなれないとしたら、貧乏に戻らなければなら ないことになってしまう。

 いかなるスポーツにおいても、試合に負けるのは敵の強さにではなく、自分の甘さに負ける要素が大きい。先週のフジサンケイクラシックゴルフの最終 日、最終組で優勝の最短距離にいた二人が、最後の3ホールで短いパットをことごとく外すなどボギーを連発して、一時間も前に5アンダーで上がっていた尾崎 将司に簡単に二年連続優勝を許した展開など正しくその事を裏付けるものだ。だが、テレビで観戦しながら、欧米では、こうやすやすと連続優勝を許しはしない だろうという気がしてならなかった。これではせっかくの尾崎の才能もスポイルされ、真に世界に通用する選手になる道をむしろ険しくするだけだろう。

 昨今の物質的な豊かさが、ひ弱さ、甘さと関係があるのは確かだろうが、スポーツで何かを達成するのは結局本人の心の持ち方次第なのだ。最後は、人 間としての実力、人格の勝負なのだ。基本的には、貧しさや、豊かさとは関係ない。むしろ、豊かさにおぼれて、日本の教育や回りの環境が、勝負所で踏ん張れ る日本人を育てて来なかったのではないのか。これからもその気がないのではないか。そのことがよほど心配である。

 スポーツが国際的に通用しないことと、日本や日本人に国際性がないこととは、決して無関係ではない。政官財界に世界の檜舞台で対等に渡り合える人 物がどれだけいるだろう。どれも結局、国際的に通用する人格の形成に日本が成功していないことの現れにすぎない。子供に有り余るほどのものをあてがい、甘 やかし、その半面で、世界に通用する人格の形成にはほとんど気が回わらず、自分勝手で、思いやりがなく、身内の損得ばかり考える学校や家庭や社会からは、 決して強いスポーツ選手も、国際性豊かな、世界から尊敬される日本人も育まれることはないだろう。

週刊財経詳報90/5/6号

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    政治三流の証明

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

          ZAIKEI-KENGEN900617
 経済一流、政治三流といわれて久しい。しかし、一流といわれる経済はむしろ三流の政治に乗っかって現在の経済大国の地位を築き上げ、今もその地位を保っ ているのだ。というのも、政治家の主たる仕事が、国益の擁護より、部分利益の保護に集中しているからである。つまり、国会議員から市町村議員まで族議員化 し、自分の贔屓の産業界の利益の拡張と、既得権益の擁護にかまけている。農業族が、常に農産物の輸入自由化絶対反対を唱え続け、現在もコメの自由化を求め る国際世論を相手取り「一粒もいれない」と大合唱しているように。

 ウルグアイ・ラウンドの交渉期限を間近に控え、自由貿易制度の最大の受益者たる日本が、食糧安全保障論なる国際的には通用しない論理を振りかざ し、自らの経済力の最大の拠り所を自ら突き崩す愚さえ犯している。

 国際社会では、どう見ても正論といえないことを、この方式で、これまでも無理やり押し通してきた。今もって押し通そうとしている。その結果が、日 米構造協議に象徴される経済摩擦の構造化であり、日本バッシングの激化であり、日本異質論の台頭である。各国の日本への不信は根強く、日本の孤立化は予想 以上に進んでいる。政治家は、こうした国際的不興の見返りに、業界から票や政治献金を提供され、パーティ券を買ってもらう。

 要するにこうした「三流」の政治へ依存しつつ経済もこれまで大きくなり、「一流」と自画自賛する域に達したわけであるが、いわばそうした体質ゆ え、両者の癒着構造の中には、一流の政治に不可欠の自国の国際的な地位や国際世論・他国民への配慮、その経済的地位に相応しい責任感や役割意識、高邁な 「世界観」が入り込む余地がない。

 現在、ベルリンの壁の崩壊に象徴される「東欧革命」によって戦後の冷戦構造が一気に崩れるなど、国際政治環境が激変するなかで、こうした政治三流 的状況が厳しく問われている。これまでアメリカの尻馬に乗っていれば良かった日本の政治が、にわかに表へ引っ張り出され、この新しい環境への処方箋を求め られている。自力で旨い処方箋を出せなければ、日本の経済的地位そのものが怪しくなりかねない。

 戦後の冷戦構造の中では、日本の経済力は西側陣営にとって大きな財産であった。それゆえ、上述のように多少の我が儘は大目にみて貰えた。ところ が、冷戦構造が変わってみると、ソ連の軍事力より日本の経済力をより脅威と見る諸国民の意識は、日本にとってたちまち現実的な脅威になる要素を孕んでい る。いまや世界の市場を食い潰すだけで、自らの市場を閉ざした日本は厄介者扱いを受け、新しい国際秩序の中で共通の敵とされ、攻撃の標的にさえ転落しかね ない。

 最近、若手国会議員を中心にまたしても安易な集金パーティが開催されている。これは、若手にも、真摯に政治改革を断行し、政治一流への覚悟を新た にする姿勢がないことを示すものだ。新風を送り込むどころか、国際社会で問題児になりやすい体質への反省や危機意識もなく、先輩政治家の尻馬に乗って旧態 依然たる政治を展開すれば足りるとの認識に基づくとすれば、政治一流への道は遠い。金のかからぬ政治はもちろんだが、激変する国際環境の動向を見据えて、 日本の将来を誤らしめない政治家を生み出せるような政治改革が成し遂げられなければ、世界から孤立し、せっかくの経済一流もたちまち三流化しよう。

週刊財経詳報900617号

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   公共投資に利 用者の視点を 
 
 
 
 
               KENGEN900726KA
 今年の夏は大変な猛暑だ。エアコンや扇風機が飛ぶように売れ、据え付け工事をする業者が連日走り回ってもさばききれず、据え付けは注文から三週間も先に なるらしい。首都圏では、電力消費量も連日ピークを更新し、東京電力は大手メーカーなどに節電依頼をする事態に追い込まれている。カラ梅雨、猛暑と続き渇 水の心配も日増しに高まっている。少々天候異常が続くと、直ぐあちこちにほころびが出る。我々の生活が極めて脆い基盤の上に成り立っていることに気付かさ れる。

 先日、この猛暑の中、都内から中央高速道路を使って山梨のリゾートへ行った。たった百五十キロメートル走るのに七時間もかかった。すんなり高速道 路に乗るのさえ難しい。一般道路は狭く捩れ、渋滞している上、道路標識が、驚くほど不親切ときている。

 主要道路の曲がり角にさえかならずしも主要な行き先の表示がないなど、標識の仕方・位置などに統一した思想がない。一般道路と高速道路の標識の間 に連携プレーがない。設置位置の悪さ、タイミング遅れや、必要な情報の欠けた標識など、せっかく設置しながら、ドライバーを迷わせ、不安にさせるだけのも のや、道を良く知らなければ役にたたないものがいかにも多い。

 日本人でもこれ程迷うのだから、外国人だったらどれ程困惑していることだろう。ヨーロッパを夏休みに六千キロメートル近く走ったことがあるが、 迷ったことはほとんどない。分かりやすい標識が多く、しかも陸続きのせいもあって多いところでは六ケ国語で書かれていた。日本ももう一度こうした優れたシ ステムをイロハから学び直す必要がありはしないか。

 やっと高速道路に乗ると、最初から渋滞の連続。猛暑の中、のろのろと走るとエンジンがオーバーヒートして、エアコンも止めなければならない。いら いらが高じて路肩を走る車が出てくる。くたびれてパーキング場に寄ろうとしても、数が少ない。やっと辿り着くと、車が溢れていて、中にさえ入れない。順番 がきて中に入ると駐車の場所がない。さんざ待って車を留め、トイレに行くと外まで人が溢れている。男性用のトイレに女性が入り込んで来る。目的地に着いた ときにはもうへとへと、暑く長くうんざりした一日だった。

 これが経済大国日本の夏の現実・レジャー風景なのだ。底の浅さに改めて唖然とする。

 日米構造協議は、アメリカの要請をいれ公共投資額を増やすことで話がついた。アメリカ人には日本社会の至る所にこうした歪みが目につき、内政干渉 にも近い要請を突き付けざるを得なかったのだろう。

 欠陥公共投資が大手を振って歩いているのは、縦型の官僚組織や文化の浅さもさることながら、全体システムをコーディネートする思想、それを実施で きる人材が不足しているからだ。個別の専門家がいくらいても、こうした構造的な歪みは是正できない。公共投資をしても欠陥だらけの、利用者に難儀を強いる モノばかりが増える。従来の縦割りの公共投資から、今後は相互に良くコーディネートして行う方式に変えなければ、せっかく増額することにしたものの、金を ドブに捨てるのと何等変わるまい。

 これから各省は来年度の予算要求原案造りの最終段階に入るが、公共投資のぶんどり合戦だけに頭をつかうのでなく、せっかく投資するなら、それが相 互によく調和し、利用者が喜ぶ、利用者の立場にたった使い方にこそ頭を絞っていただきたいものだ。

週刊財経詳報90/7/30

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    本性の確認と反省こそ急務
 
 
 
 

                 KENGEN-900911
 思いも掛けないショックを受けたときほど、人は本性をさらけ出す。これは国とて同じ事だ。 

 トイレットペーパー騒ぎや狂乱物価に明け暮れた第一次オイルショックのときの日本がそうであったように。今回のイラクのクウェート侵攻に際して も、日本の本性が様々な側面で露呈している。

 まず、こうしたいわば危機的な状況に対応するための体制がほとんどできていない。危機管理のための法律、制度、手続きなど何もない。そこで慌て て、泥縄を結うことになる。 

 「中東貢献策」にしても、自発的にこの際是非とも国際社会に貢献したいという発想ではなく、アメリカに強く求められ渋々まとめたにすぎない。渋々 だから国際世論を満足させるものなど出来ない。タイミングは失する。緊急事態だと言うのに、首相のリーダーシップは乏しく、相も変わらず官僚主導型の政策 決定に終始する。国際社会の一員であり、しかも中東地域に、他の国に比べ格段に高く依存しているという意識や、国際社会のシステムを利用して経済的繁栄を 享受しているという意識は見事に欠落している。

 実際、中東情勢がこれ以上悪化したら、原油の七割をこの地域に頼る日本はたちどころに息の根が止まってしまいかねないのに、あたかも非当事者然、 傍観者的に振る舞っている。これでは各国が苛立つのも無理はない。日本は自ら好んで国際的孤立化の道を歩んでいる。

 また、石油製品価格の値上げを巡る一連の動きにも、日本の本性がかいま見える。各国が、おしなべて、原油価格の高騰にリンクして石油製品価格を値 上げしている中で、日本のみが、強権的な行政の介入で値段を据え置き、やっと九月七日、閣議の了解を得、通産省の通達によって解禁措置をとった。それを 諮った最初の閣議(九月四日)では、現行の在庫評価法である後入先出法の見直しなどを求める閣僚に押されて、差し戻されさえした。しかも、今後当分の間 は、通産省が毎月各元売りからヒアリングして、価格を監視するという。

 ここにみられるのは、価格への行政の安易な介入にほとんど無頓着に近い政府・官僚の体質・感覚である。確かに、物価の安定は重要な政策目的たりう るし、そのために便乗値上げを阻止すべきことは理解できるが、自由経済を標榜するわが国としては、安易な行政介入を避けることもそれに劣らず重要な政策目 的たりうるはずだ。

 一次、二次の石油危機のときの過剰な行政介入が石油製品価格体系に極めて歪な構造を残し、これが今もって重要なエネルギー供給を担う石油各社の財 務体質を脆弱なものにしている。今回も、行政の要らざる介入が、需要を抑制すべきときに仮需を引き起こしている。しかも、値上げの先送りのためなら、会計 原則さえ、行政の介入で変更を強いることも厭わないという意識があることも問題だろう。これは、自由主義諸国と分かち合うべき民主主義、自由主義経済の大 原則すら、閣僚や政府高官さえまだ十分信奉していないことを露呈するものだ。

 昨年来のソ連・東欧経済の地滑り的な破綻は、価格統制経済、非民主的経済の失敗でもあった。これを他山の石とし、非常時に露呈する上述の様な日本 の本性についてこの際大いに反省・点検し、今回のイラク侵攻を、真に自由主義圏の一員に相応しい、主体性のある国造りに向けての一歩を踏み出すための奇貨 としなければなるまい。

週刊財経詳報90/9/13

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       世界に通じる言葉の欠如         
 
 
 
 

KENGEN901029
 最近の内外の事象を見ると、日本の世界との連帯感の欠如が際立っている。経済面での日本のプレゼンスが大きく、その一挙一動が目立つだけに、せめて世間 並に振る舞おうと努めているにも拘らず、思惑通りには振る舞えない日本の孤立感は深く、その修復は容易ではない。相変わらず、身勝手な論理や世界に通用し ない言葉、カネの論理のみの行動が多く、世界の一員として話すべき共通の言葉に事欠いている。

 日本に今、世界に通じる言葉で話せる人がどれ程いるのだろうか。言葉を論理、哲学、価値観と言い換えてもよい。政界、財界、官界、学会、文壇、映 画界など、どこを見渡しても、人材不足は覆いがたい。

 政界では、泥縄を結うような国連平和協力法案の国会審議が示すように、世界の常識から遠く隔たったところで生煮えの論議が繰り返されている。今後 世界の中で日本が過去の歴史を踏まえた上で長期的にどういう哲学で、いかなる具体的な政策を講じて世界と連帯しつつ生きていくか真剣に考えた上での論議か らほど遠い。

 その一方で、法と人権を守る立場の法務大臣が人種差別的暴言を吐き、米国で辞任を求める動きが盛り上がっても、国内的には頬かぶりで押し通す。こ れは日本人の国際性の欠けた利己的な体質を露骨に示すものだ。こうした有様では世界の人々は日本を理解出来ず、不信を増すだけだろう。

 最近のガット・ウルグアイ・ラウンドの政府交渉でも、自由貿易体制の最大の受益者でありながら、率先して交渉を成功に導くイニシアチブを取る心構 えはなく、食糧安全保障論なる身勝手な論法を振りかざし、交渉成功の成否を左右するコメの自由化に対して、かたくなな態度を取り続けている。交渉期限を間 近に控えながら、相変わらず受け身の待ちの戦術に徹するだけだ。土壇場の政治的判断で無原則に後退すれば失笑を買うだけだろう。

 財界を見れば、利益一位の銀行のトップが退陣を余儀無くされたことが象徴するように、儲け一辺倒で倫理感に欠けた経営者が跋扈している。作家・知 識人の世界でも最近行われた日独知識人によるシンポジウムが示すように外国の知識人と共通の問題意識で、普遍的な問題について話し合える人が意外と少ない ようだ。一様に私小説的な個別に執着する視野狭窄症に陥っている。これが、日本文学や映画の輸出の少なさの真の原因でもあろう。

 国際的に通ずる言語、普遍的価値というと日本人はすぐ、自由とか、人類の平和といった抽象性の高い言葉でしかも感覚的な議論をしがちだ。確かに、 自由、結構、平等、結構。民主主義も個人主義も世界の平和も結構だろう。だが、さてそのためになにをするかという具体的な政策、行動(act)のレベルに なると、いつも日本人は沈黙してしまい、受け身の対応(react)に終始する。要するに本当にそうした価値を信奉し、深く思考を巡らし、自らなにをすべ きかを選択し、日頃から実践しようとしない。

 自由貿易、結構という言葉の裏で、コメの輸入自由化は一粒たりとも許すべきでないと、なんの論理的な破綻も、良心的な苦痛も感じないで言う。言え る。世界の平和、結構といいながら、自ら汗を流すことにはそっぽを向く。こうした思考・行動を日本人は容認してきた。しかし、これが世界に通用する論理・ 言葉でもなく、世界との連帯感を増す行動でもないことをはっきり肝に銘ずる必要がある。このままでは日本の孤立化が進行するのは目に見えている。 具体的な政策・中身がなく実践が伴わない。日本の限界がそこにある。

 

週刊財経詳報90/10/29号

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        余暇について              KENGEN901210K.ABE
 師走、師も走る忙しい月である。こういう時にこそ余暇について考えてみる意義があるのではないだろうか。

 国語辞典で余暇を引くと広辞苑にも、「あまった時間。ひま。いとま」程度の語義しか載っていない。これでは、西洋文化を支えている基礎の一つと言 われる余暇(ヨゼフ・ピーパー『余暇と祝祭』講談社 1988年)の本質を伺い知ることは出来ない。

 同書によると、ドイツ語で余暇はMusseであるが、その語源はギリシャ語でスコレー、ラテン語ではスコーラ、ドイツ語でシューレ(学校)とな り、ドイツ人が教養、あるいは人格形成の場をさすのに用いる言葉自体が、余暇を意味しているという。

 日本語にそうした背景を示唆する適当な訳語がないことこそが、わが国の文化の中に占める余暇の位置を明白に示している。以下同書によりつつ、余暇 について考えてみよう。

 ギリシャ語やラテン語では週日のれっきとした「仕事」を指す言葉がなく、ただ「暇なし」という否定形があるだけだという。ところが現代社会では労 働と本当の意味の余暇が占めるべき位置がさかさまになっている。労働が絶対視され、余暇はなにもしていないこと、怠惰以外の何ものでもないと見なされる。 ところが西洋中世の人生観では「余暇の喪失」つまり「余暇を実践する」能力の喪失こそが正しく怠惰に結び付けられている。余暇と怠惰とが結び付くのでな く、せわしなく働くこと、「労働のための労働」をモットーに休みを知らずに働くことが怠惰のしるしだとみなされている。つまり、「怠惰」とは、人間が彼固 有の尊厳にふさわしい生き方を放棄してしまうこと、と当時は考えられていた。

 余暇は一つの精神的態度を指す言葉であり、休憩時間、自由時間、週末、休暇などのように「そこにある」ものとは違う。現代において余暇のための空 間、つまり、人間が、何物にも脅かされることなく、真実に人間的に生きることのできる空間を保持することができるかが問われている。つまり、人間がたんに ある社会的機能をはたすだけの“労働者”になってしまうことを阻止できるだろうかということが問われていると著者はいうのだ。

 さて、ひるがってわが国の現状を見ると、日本人の労働時間は相変わらず長く、労働のための労働をモットーに休みを知らずに働いている。自由時間に さえも、職場の付き合いが持ち込まれ“労働者”から解放されるわけではない。真実に人間的に生きることのできる空間を保持することが出来ず、「勤勉」では あっても「怠惰」な生活を送っている。人間には、労働の義務、家庭人としての義務、地域社会の一員としての義務の三つの義務があるといわれるが、多くの成 人男性は労働の義務だけは果たしているだろうが、それ以外の義務は放棄している。その意味でも「余暇を喪失」しており、「余暇を実践する」能力は著しく低 い。労働者はいても、市民も、真の家庭人も少ない。つまり人間固有の尊厳にふさわしい生き方をしている、本当の人間らしい人間は少ない。

 今年も慌ただしく暮れようとしている。自由時間を忘年会に充て、すべてを忘却するのも結構だが、たまには余暇が本来占めるべき位置について考える 時間に充ててはどうだろう。それこそ余暇と呼ぶにふさわしい時間になるのではなかろうか。

週刊財経詳報90/12/10号

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       ルール違反と手段としての戦争
 
 
 
 

        KENGEN910212
 湾岸戦争は、長引いており、日本のいわゆる「貢献策」の国会審議や実施は相変わらずもたついているが、日本としては、この戦争からせめて教訓を読取り、 この戦争の後にくる状況に備えなければならない。なかでも、今回示されたルール違反(国際法侵犯)に対するアメリカの断固たる措置を、今後の日本にとっ て、貴重な教訓とすべきであろう。

 平和的解決の最終期限とされた一月一五日からほとんど間髪を入れずアメリカが戦端を開くという事態を日本の多くの識者が予測出来ず、最後まで平和 的解決を予測していたのは、今回のアメリカのビヘイビアが、日本人のセンスからまったく掛け離れたものであったことを示している。この点では日本もまた、 フセインとともに、誤算を犯したのである。

 なぜ、このような誤算を犯したのか。

 「平和ぼけ」もその一因であったろうが、基本的には、ルール違反に対する無感覚がその背後にある。伝統的な喧嘩両成敗の思想、足して二で割る現実 主義、ルールよりは話し合いを優先させその場を丸く収めることを優先させる機会主義的体質がその原因である。つまり、ルールがあっても、自分の都合によっ て遵守したり、無視したり、軽視したりし、その場の状況に応じて、うまく、悪くいえば、ずるく利用する。この点が、これまでも国際的にもアンフェアと非難 されてきたのである。

 例えば、ガットのルールにしても、戦後一貫して最大限に享受し、経済大国にまで登りつめながら、いざ自国が不利な立場に置かれると、農業や建設業 や金融業のようにローカル・ルールを主張して譲らない。中東貢献策に対して憲法を盾として反対する論者も、衆議院の定数問題や、選挙権の不平等、自衛隊の 存在など、憲法違反状況を放置している。事態を丸く収めることを優先するあまり、常に問題先送りで、これまでその経済力や国際的な地位に相応しい、国際 ルールを遵守できる国に改革することを怠ってきた。

 それに対し、アメリカはルールの遵守を最重要視し、そのため必要ならば戦争という手段にも訴えることを辞さない。ルール破壊に対しては、足して二 で割る妥協を排するのだ。

 開戦後、日本国内では、戦争反対の動きがあちこちで起こっている。とにかく戦争を早く終わらせよ、平和を取り戻せという主張である。これも、日本 人の上述の基本的な考え方と同根である。ルールや原理・原則の尊重よりも、事態を丸く収めることを優先させる考え方だ。問題先送りで基本的な解決とはほど 遠くても平穏を尊ぶのである。その背後には、ルール破壊よりも、戦争を悪と見、平和(たとえ見せかけの平穏にすぎなくても)を善と見る見方がある。

 これは伝統的な、喧嘩両成敗の思想の延長線上にある。何のための喧嘩か、あるいは、ルールに照らして、どちらに理があるかを問わず、喧嘩そのもの を悪と見て、両者を等しく罰するのである。

 現在日本は戦後の問題先送りの結果、国際ルールへ適合して来なかった科を痛切に支払わされている。しかも、事態の改善への努力は遅々として捗って いない。湾岸戦争の片がつき、東西融和が進んだ暁にも、日本が今のままの状況で臨むならば、日本は、アメリカがルール違反に対して断固たる手段に訴える国 であることを思い知らされるであろう。そのときになって、泥縄を結っても遅い。

週刊財経詳報91/2/12号
 
 


       

共存共栄の思想new
               阿部毅一郎 
 「世界とともに歩む日本」-これが竹下政権の新経済運営五ケ年計画のスローガンであ
る。戦後四十年たち、長期経済計画でも世界の中の日本を意識し強調せざるをえない時代
になった。この背後には、日本の今後の発展・存立は国際社会との調和的な関係なしには
ありえないとの認識-むしろ危機感に近い-がある。ただ、この認識が国民一人一人、企
業一社一社の共有するものとなっているかといえば、まだまだ不十分のようだ。
 中曽根政権時代の経済計画「八十年代経済社会の展望と指針」でも世界の中の日本は意
識されており、対外不均衡の是正がうたわれたが、結果は全く裏目に出た。不均衡は先の
計画期間中増大の一途を辿った。国際経済摩擦が激化したはずである。新計画では同じ目
標を表看板に押し立てたが、今回もお題目に終わらせたら国際的な不信を一層煽りたてる
ことになろう。笑いごとではなく、国は無論のこと、大企業も中小企業も頭を絞ってその
是正に取り組まなければならない。そのためには大いに内需を拡大するとともに,国内市
場の自由化、海外投資、技術の対外供与などを率先して実行しなければならない。
 こうした自由化や国際化の被害者は常に中小企業だという見方をする人も多い。しかし
、中小企業の中にもすでに国際的に大活躍している企業も少なくない。国際化や自由化を
発展・飛躍のチャンスとして大いに利用するぐらいの発想がこれからは必要だろう。子供
にしてもいたずらに保護するより冷たい風に当てたほうが強く育つものだ。戦後の一連の
自由化や石油危機、円高の中で日本経済はここまで成長・発展してきたのである。
 ところで、円高を背景にわが国の海外直接投資が近年急増している。これは、対外不均
衡是正のためにも、また世界経済にとっても望ましいことだ。世界各国とくに近隣諸国は
日本の中小企業の技術や経営法の移転を求めている。そうした要望に出来るだけ前向きに
応えていくことによって、今後は「共存共栄」を図らなければならない。一国で利益や富
や技術を独占する一国繁栄主義の時代は終わった。これを続ければ様々な面で反目を招く
ばかりか、自らも長く繁栄を続けることは不可能だ。近隣諸国が窮乏すればどれほど立派
な製品を生産しようが買ってくれる国がなくなってしまうわけだから。「共存共栄」の「
共」の中に日本のみならず世界の国々を等しく含める度量・覚悟ほど「世界とともに歩む
日本」に、今必要なものはない。

商工金融(1988年)

 


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