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筆者、21歳〜22歳、大学三〜四年生当時の日記の連載を始めます(2003年4月30日)
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ここには、「文芸日記1962」を掲載しております。
(2003/5/1~2003/8/5)。
(1961/12/20〜1961/12/24)(2003/5/1掲載)
(1961/12/27)(2003/5/7掲載)
(1961/12/28~1962/1/1)(2003/5/8掲載)
(1962/1/5~1/6)(2003/5/13掲載)
(1962/1/7~1/14)(2003/5/15掲載)
(1962/1/14~1/21)(2003/5/27掲載)
(1962/1/22~1/29)(2003/6/5掲載)
(1962/2/1~2/2)(2003/6/5掲載)
(1962/2/11~2/14)(2003/6/19 掲載)
(1962/2/15〜2/18)(2003/6/26 掲載)
(1962/2/18-2)(2003/6/27
掲載)
(1962/2/19-2/20)(2003/7/1 掲載)
(1962/2/21-2/23)(2003/7/3 掲載)
(1962/2/24 -2/27)(2003/7/24 掲載)
(1962/3/1
-4/15)(2003/8/5 掲載)*
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| 年月日 | 曜日 | 日記本文 |
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| 日記扉に |
いい加減で安心するな。 各人の中には、驚くべき可能性があるのだ。 君の力と君の若さを信ぜよ。 絶えず言いつづける事を忘れるな、 「僕次第でどうにでもなるのだ」と。 アンドレ・ジイド「新しき糧」より |
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| 1961.12.20 | 水曜日 |
今僕があなたの前に立ってどんなに心ふるわせているか、あなたはわからないだろう 。僕があなたを一目見た時、一番最初に思ったのは、家に帰ったら、精一杯、抱擁 してあげたいということだった。懐かしくって胸を押しつぶされそうになりながら あなたをここまで運んできたのだ。 僕はあなたのことを何と長い間思い、慕い続 けてきたことだろう。そして僕のこの弱い心が、ついにあなたなしには生きていけ ないと身悶えを始めた折りしもあなたに巡り会えたのだ。 僕は本当に寂しかったんだよ。あなたがいない間僕はまるで生きていないみたいだ ったんだ。アッチにウロウロ、コッチにウロウロ、薄ら暗い濡れた夜の路を、ヤケ ッパチになってさ迷い歩き、あなたを見失った心の空虚感を何とかして充たしたい と思ったものだった。あなたを捜しあぐねて冷たい木枯らしの中を肩をすぼめてう ろつき回り、心の中では涙を流していたんだ。 今あなたを目の前にすると、僕はあなたに取りすがって、しみじみと泣きたいほど の気持ちがしてくる。電灯を消して真っ暗な夜のしじまの中に、あなたとしっかり 抱き合ってしみじみと語り合いたいのだ。 夜、一切を包む夜のとばりの中で僕らの 心が、しっとりと融け合い、あらゆる束縛から自由に、思いも願いも欲望も、洗い ざらい語り合えたらどんなにか素敵だろう。 ああ、今日から僕の心の中にあって常に生きる喜びを与えてくれるあなたに幸多か れ! (4.35pm)
■ 鈴木紀代子さんからのクリスマスカード。消印は19日京橋、6−12p.m
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1961.12.21
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木曜日 |
私という継続的存在の中において現在の私という時点の占める重要さは、いくら 強調してもし過ぎることはないのだ。私の今日この時点における行動は、まるで強 烈な光源のごとく、私のこれからの行く道すがらのあらゆる空間を、充たすものと なるであろう。私がその光源に、どんな色彩を入れるかによって、私の人生は赤く も青くも暗くもなるであろう。もはやこの時点を除いてこの光源の色彩を自由に置 き換え得る時点はあるまい。もって、銘すべし。
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| 1961/12/21 | 木曜日 |
■今学校から帰って来たところなんだ。やっぱり君が恋しくって君んところへ最初に駆けつけて来たってわけ。君を見ないと僕の心は落ちつかない。君を見ないと僕の心は変になってしまう。バカゲタことばかりやらかしてしまう。 いわば、あまりに自分の欲するままになってしまう。抑制が利かなくなってっしまう。フラフラと精神が落ちつかない。バカゲタことをやっては後悔することも、急いで言ってみれば、折れかかった枝にぶら下がってブランコをやっているみたいなもんなんだ。
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| 1961.12.22 | 金曜日 |
◆今日は「冬至」 ◆ 私が、時間さえあれば一日でも二日でもブットウしに日記を書きたいと密かに思っていたのも、長い間日記を付けなかったために非常に沢山のことが頭の中に堆積したからに他ならない。 一日というわずかな時間は、まことにあっけないものであって、それが日記にでも記されていない限り、あっさりと我の脳裏から霧散してしまう。何月何日に何をしたなぞとどうしてこの小さな頭脳の中に蓄えておくことなど出来よう。 後日、あああの頃は何をし、いかなることを考えていただろうと思い返してみても、皆目見当がつかない。あいまいな記憶だけが残っていても、誰それとどうしたとか、あれは大したことでもなかったなどとその詳細は日記でも見返さなくてはとうてい分かるものではない。 それに日記というものはすべてのことを記しておかなくても後になって読み直してみると、それに関連したこととか、その日にやった他のこととか、種種様々のことが次から次へと思い出されてくるものなのだ。 私は日記を読み返し始めると、つい夢中になって何時間も読んでしまうのが常であるのだが、これもこうした様々のイメージが日記に記されていることを越えて、浮かび上がってくることに多く帰因していると言ってよいと思う。 私が日記を一日も二日もブットウしに付けたいと思ったのも、所詮は、今まさに頭の中から忘れ去られ永久に私のものでなくなる怖れのあるものが、無数にあり、私がそれらをひとしお愛おしく思い、後々まで大事に蓄えておく手段を講じたいと思ったからに他ならない。 北海道旅行のことども、ダンス・パーティで会った三宅さんや石田さんや赤塚さんのこと、学生センターでのクリスマス・パーティ、その他種種様々のことが忘れないで欲しいと、正当な人権を主張しているのである。 こうした色々な思い出話を、これから時間さえあれば、この日記に書き付けて行きたいと考えている。しかし、今日はすでに午前1時25分近くになった。眠らせて欲しい。
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| 1961.12.22 | 金曜日 |
◆田中称子さんからお手紙 ◆中山秀雄さんから葉書 ◆ 僕の本質として潜むものは、いたって楽天的な陽気なものであるらしい。暗い憂鬱なことことを考え考え歩いているうちにいつしか僕の足の方ではスキップを開始している。思わず引き込まれて、唇がリズムを刻みだす。手振りが加わる。全身を軽く調子に合わせて踊り出す。 もはや、先ほどの憂鬱の元が何であったかさえ思い出せない。僕は一人いるといつしか自分独りでセリフ回しをやっている。自分の心の中で滑稽なことを言い合っている。
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| 1961.12.23 | 土曜日 |
◆(この日午前四時頃遠く島原では弘子姉さんが第一子を出産していたのである。このことは26日、家に帰ってから知らされた。) ◆ 川村さんは柏葉会の指揮者をやっている人で、こと音楽に関する限り、スゴイ人なのである。とってもおとなしいタイプの人で、ハデなところとか軽佻といったようなところが少しもない。十二月十五日のクリスマス・パーティで、準備を一緒にやっていた時、彼も僕の応援歌の選考メンバーの一人だったとかで、話が僕が歌詞を書いて送りますというところまで進んでしまった。仕方がないので二つばかり作ったのがこれである。
◆知らないの
知らないの知らないの わたしの思いを知らないの あなたの隣で震えてる 恋知りそめたこの胸の ときめく思いを知らないの ああ この密やかな私の思いを 誰かにそっと打ち明けたいの
知らないの知らないの わたしの涙を知らないの あなたの便りに我知らず こぼしてインクを滲ませた 清らかな涙を知らないの ああ この密やかな私の涙を 誰かにそっと打ち明けたいの
知らないの知らないの わたしのほほえみを知らないの あなたの視線にうつむいて そっと浮かべた幸せの あふれるほほえみ知らないの ああ この密やかな私のほほえみ 誰かにそっと気づいて欲しいの
知らないの知らないの わたしのため息知らないの あなたの面影夢に見て 夜半のベッドで独りつく 乙女のため息知らないの ああ この密やかな私のため息 誰かにそっと打ち明けたいの
◆然別湖 1. 一人はるばる 訪ね来し 然別湖に秋の日の 沈むを見れば乙女子は 胸のハープを震わせる ポロロンロンと竪琴の 深く静かな弦の音は 紅葉に淡く色染めし 湖の上流れゆく
2. 心淋しい旅の夜は 然別湖に初恋の 思いを潜め乙女子は 胸のハープを震わせる ポロロンロンと竪琴の 甘く切ない忍び音は 青い月夜の銀色の さざ波の原滑りゆく
3. 色こそ深き藍色の 然別湖に思い出の 汲めども尽きぬ乙女子は 胸のハープを震わせる ポロロンロンと竪琴の 思い妙なる楽の音は 千古の夢の影落とす 白雲山を越えてゆく
4. 深山隠れに静まれる 然別湖にさまよいの 別れを告げる乙女子は 胸のハープを震わせる ポロロンロンと竪琴の 心淋しい弦の音は 水面に映える山々の 紅葉の色を深めゆく
◆川村さんは作曲もするという。僕の歌詞に曲を付けてくれるというのである。自分の歌を自分で歌う。これはとっても愉しいことだ。どんな曲が付いてくるか楽しみにしている。 来年の一月下旬に会う機会もあろう。その時是非聞きたいものと思っている。きっと学生センターのオルガンで弾いてくれるだろう。ハープスト先生とか鈴木さん達も一緒に聞いてくれるといい。乙女心の唄なんて少々テレてしまいそうな歌詞ではあるが。
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| 1961.12.24 | 日曜日 |
今、明日帰省するための準備をやっているところである。午前七時六分の臨時の雲仙に乗ろうと思うのだけど、はたしてうまく行くかどうか。いつものくせで帰るときには沢山本を持って行かないと落ちつかない。それで大きなミカン用の段ボールのボックスを買ってきて、あれやこれやと詰めてみているところである。明日持ち物をできるだけ少なくするためにも、この日記も一緒に送ろうかなと考えている。そうなるとしばらくお別れとなる。
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| 1961.12.27 | 水曜日 |
昨朝九時四十九分島原着、母、洋次郎、それに中山秀三郎氏(中山秀雄氏の父君 )の出迎えを受ける。 車中はきわめて快適であった。旅は「道連れ」が東京駅からの長い旅程を、ずいぶ んと短いものに感じさせてくれた。臨時の第二雲仙のしかも第一便を利用したのは 何と言っても作戦の成功であった。通路に立つ人が一人もいない”雲仙”にはめっ たに巡り会わせぬものだが、折りも折り、この年末近くの混乱(ラッシュ)期にあ ってはまさしく奇跡的なものと言わざるを得ないものなのだ。何となれば、すでに 午前六時近くには十二時三十分発の雲仙に乗るために並んでいた人がいるというの だから。 六時四十分に東京駅のプラットフォームに現れて七時00分発に悠々と座ってき たというのはまさしく要領のよさの最たるものであろう。我ながら得意であった。 ボックスを埋めてた四人がまたそれぞれに話し好きで、ミカンやウデタマゴやセ ンベイやらを配ったり配られたりしながら、車窓の一日を、日の出から日の入り 、日の入りから日の出までを眺めやって、終日飽きることがなかったのだ。 中村嬢は東京駅の見送りの人には「なかなか帰らないわ」とか強気なことを言っ ていたが、四年ぶりの島原鉄道沿線はあまりに田舎臭く見えたものらしい。東京に 帰りたくなったわ、すぐ帰ろうかしらと心細さを曝け出し始めた。北有馬までの彼 女とは島原駅までずっと一緒、車窓からサヨナラと手を振る彼女に別れを告げると 、母が心配そうに待っている。僕に気づかなかったと見えて「ただいま」と言うま であらぬ方を見ている。 隣に小さな好々爺さんがいらっしゃると思ったらその人が、中山秀三郎さんであ った。わざわざ駆けつけてくださったとか。家に帰ると、この二十三日に生まれた 名無しの権兵衛君が待っていた。植木一好・弘子夫妻の第1子、我が両親にとっては 初孫。我々姉弟にとっては初甥の栄誉を担って登場したホープ君である。まだなん だか顔の形が定かならぬようで、じいさんじみたところもあり、顔をしかめたり 、欠伸まで一人前にやって、泣くときは大声を上げる。 赤ん坊とは言いながら下界三日目の赤ん坊君、少々まだ「可愛い」と言うよりは「物 珍しい」「奇妙な」存在ではある。 イヤハヤ一ヶ月近くも家中の「今か今か」の待望の中にお腹の中に悠々と居座って いて、モッタイブッて生まれてきた剛の者ではある。体重3400グラム、身長 52センチメートル胸囲34センチメートル頭周り35センチメートル、臍の緒は まだ取れていない。そのうち、ニコニコと笑い顔を身につけて、家中の人気を独占 する存在とはなるであろうが、世話が焼ける点では、すでに家中の手を独占してい るといってもいいのかも知れぬ。いやここに我なる新たなる世話の焼ける存在が現 れ出でて、ますます、内は年末の混乱を呈するのであろう。 急行列車の中から読み続けていた「グリーン家殺人事件」を昨夜は五時近くまで かかって読み終わった。 今日はモチもつけて来た。暮れも二十七日ではある。
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| 1961.12.28 | 木曜日 |
賑やかな我が家も今は寝静まって起きているのは僕一人、民法を今まで読んでい たが、なかなか進まぬ。明日( といっても起きた後の二十八日の意味)は頑張ろうと思う。 ■女の子と男の子を比べれば女の子が概して文字はうまいように思える。彼女たち は、文字の練習などに力をより 多く注ぐように思われる。確かに美しい文字は魅力的ではある。だけど文章の優れ た手紙の魅力には、文字だけ美 しくて内容のない手紙は及ばないのだ。彼女たちは一心に文字の練習はやっている ようだ。しかしそのうち果たし て幾人が文章のうまさ、内容の豊かな手紙の書き方、ユーモア溢れる手紙を書くこ とに力を入れるであろうか。僕 はしばしば味も素っ気もない手紙に嫌気を覚えたことがある。それがどんなに美し い文字で書かれていたにしても 。文字は美しいに越した事はない。しかし、それはその人の内面の美しさ豊かさま でも証明するものではないのだ 。 僕はこういった点にも、男性と女性との差を感じるのだ。一方がより内面を重視 するのに対し、女性はより形式 を重視するように思われる。彼女たちは文字が汚いことを非常に恥じる。そのくせ 文章の拙劣、味気ない手紙をそ れほどまで恥じようとしない。それはちょうど、お化粧法には精通して、一時間も 二時間も費やす女性たちが、「 忙しいのよ」と言っては教養書一つも読まないのと大同小異、相通ずるものである 。僕は決して男性の文字の拙さ を弁解しようとしているわけではない。しかし、こうした精神面における内容はな くても、まるで孔雀のように美 しくありたいと願う女心と、一般的に男性を対比してみると以上のようなことが大 体においては言えそうに思う。 形式に走り過ぎても、内面性にばかり重きをおきすぎても、結局は過ぎたるは及ば ざるごとしと、古諺に耳を傾 ける事になるのであろうが、そうした、一種の本質的な差異に挑戦して、良く両者 に精通した人が、やはりヒトカ ドの者たり得るのである。 美しい文字で、流麗に記された、内容豊かな女文字で書かれた手紙の清冽な魅力 を思え。思わず頬付けをしたく なるような、人を魅する力がそこにはある。かくして、その手紙を貰った人の心の 中にその女性は、一人の生きた 人間として鮮やかに浮かび上がる。その印象を消しがたいものとしてしまう。 美しい文字を書ける女の人はもっと手紙を工夫して書いて欲しいと願い、内容が 良い人には文字を美しくと願う のは、女の人がすべて好もしいものであって欲しいからだ。女の人が、粗野だとい う印象を人に与えることほどに 私にとっては天を欺くものはないように思われる。美しく賢しくあれ全女性よ!こ れはすべての男性の願いである 。(午前四時0二分)
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| 1961.12.28 | 木曜日 |
今日は寒い。寝不足で頭が少々ボンヤリしている。悲しいかな我が家は、すでに 一人前の五人の兄弟と、父母の 祖母、それに生まれたての赤ん坊、計九人にとってはあまりにも手狭なものとなっ ている。我が安心して勉強する ところとてなし。
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| 1961.12.30 | 土曜日 |
二十九日を今日のことにして書くことにしよう。人間の頭は安らかな睡眠を間に 置くことなしには、今日と昨日 のけじめをつけることができないものらしいから。従って二十九日から三十日の午 前四時まで起き続けていること は分かってもらえるだろう。 ・・・今日は、賑やかな一日だった。植木一家が午前中にはやってくる。夜には 、中山秀三郎氏がやってくる。そ れに年の瀬が、目の前にやってきた。赤ん坊君の七日目ではある。産婆さんがやっ てくる。 昼食は総数十五人で、赤ちゃんの七日目、命名日を祝う。名前は植木幹大と決ま った。小さな時にはミキオと読 み、大きくなり次第、カンダイと呼べるすこぶる、融通のきいた名前だ。皆がそれ ぞれに「ナカナカイイ」「雄大 だ」「ユニークだ」「メズラシイデスネ」「出世スル名ダ」と賛辞を惜しまない。 少々飲みすぎ食べ過ぎたので昼食後は昼寝、眼を覚ませばすでに外は暗くなって いる。六時に近い。 中山氏が、美しいカブラとキクを土産に訪ねていらっしゃった。そこで全員で写 真を二枚記念にパチリパチリ。 植木家の四人が退散。中山氏とそれから延々午後十一時半まで炉辺談話。 さて、勉強にとりかかったのは十二時過ぎ。民法をやったけれど一向にはかどら ぬ。むべなるかな、午前四時ま でのわずかな時間に、オニギリを五個も食ったり、プレハーノフの「歴史における 個人の役割」を読破したり、カ ントの「純粋理性批判」の序文と緒言をかじったりしたのであるから。またまた例 によって例の如くだが明日こそ は、民法の債権法のところだけでも読破しようと、決心(?)して今や寝床に向か わんとしているところなのだ。 四時二十五分。 あたりはシンと静まり返り、すでに、火の気も消えてしまった。だが大して寒く はない。オニギリの食い過ぎで 胸が焼けるのが気にかかる。正月までもう二日も厳密に言えばない。早く寝ろと自 分に言い聞かせつつ、今日の日 記のペンをおくことになった。
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| 1961.12.30 | 土曜日 |
■理髪 ■午後九時五十五分 理髪店に行く。島原と東京都で理髪店はどう違うか。比較理髪店論。 違うところ以上に共通点のほうが多く目に付く。テイネイという点ではどこの床 屋に行っても少しも変わらない 。今日の例をとって言えば、顔の髭を剃るのに少なくとも三、四回は石鹸を塗った り、温めたり、剃ったりである 。洗髪の順序が少々違っていたり、肩を叩いてくれたり、しなかったり、本当にど こに行っても、同じ町内の二軒 の床屋ぐらいにしか違わない。
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| 1962/1/1 | 水曜日 |
1961年はもう二度と帰らぬものとなってしまった。1962年はすでに始ま っている。結局1961年の大 晦日にはこの日記をつけずじまいになってしまった。でも例のごとく現在を三十一 日と見立てても良いかも知れぬ 。とはいえなんとなく躊躇せざるを得ないところが間に除夜の鐘を挟んだ年越しの 壁の厚いところかも知れぬ。 新しい年の抱負や目標は初日の出を迎えてから書くのがやはり似つかわしいよう だから、ここでは時間も時間だ から簡単に昨年を振り返ってみよう。(初日の出とは言ったけれど外は雨が激しく 降っている。) 昨年は、僕自身にとって決して満足のいった年ではなかった。むしろ失敗の年と 言った方が適当かも知れぬ。新 年の抱負だけは毎年良いものだ。しかし、その失敗の年の翌年はその失敗の重荷を 負わざるを得ないということを 忘れてはならぬ。決して除夜の鐘を108つ聴いいたところで去年のシルヌグイた できるものではない。去年の失 敗の累積が新しい年にも、しつっこく付きまとうことを心せねばならぬ。人間の性 格と言うものは着物を取り替え るように簡単に変えうるものではない。人間は、結局、自らの性格の重さを、一生 背負っていかなければならない ものなのだ。一年の間に性格は多少は進歩もし、変わったものにもなる。矯正もさ れ、悪化することもある。性格 は単に負わされたものではなく、自ら作っていくものでも、一面、あるのだけれど 、今日自分の性格に作用し得る ものの力はしれたものである。性格を地球に例えればそれはその上に蠢く人間の営 みに似ている。二千年もかかっ て人間は地球の上に自らの文化を築いてきた。しかし、それが地球そのものをいか ほど変えてきたか。 この例が少々適当でないとすれば、それは人間の意志のごとき存在が、地球対人 間の中には介在しないことだ。 人間には意思がある。それをどんなに低く見積もっても台風か火山爆発くらいには 評価できるのではないだろうか 。地球上の人間はそれを自由に利用できないけれど、人間の性格においては意思と いうものをある程度まで自由に 利用できるのである。 人間が二千年もの間コツコツと築いてきた文化は確かに堅固であり、用意に大変 革をもたらし得るようなもので なかろう。だが関東大地震を想起するがよい。幾多の大台風を想起するがよい。彼 ら人間の文化を徹底的に破壊尽 くしたではないか。人は言うかも知れぬ。結局は東京は立ち直ったし、台風の被害 を受けた大小の都市も多かれ少 なかれ復旧していると。だが果たして復”旧”したのだろうか。人の言うように 、怪我した疵口がまた元通りに癒 着したのと同じなのであろうか。破壊されたと今日の焦土の上に建てられたのは 、より優れた建築物ではなかった か。耐震、耐火に一段と勝ったビルディングではなかったか。とはいえ、こうした 建築技術の進歩はやはり、二千 年の文化を土壌として育ったものの開花に他ならないのだ。我々は性格における意 思の役割も結局そうした点にお かなければならないのであろう。 私について言えば、生後二十年間に形成された性格の重みは抜きがたいものがあ ることを率直に認めた上で、私 の意思の力でその上に大きな切開手術を試みるのだ。もちろんそれを如何にうまく 癒着させようと意思だけが躍起 になっても仕方のないものだ。それこそ身体における疵口のごとく、二十年間の体 力がその傷に適当に反応して、 新しい細胞を分裂させ、粘液を出していつかは元の皮膚と少しも変わらぬものに同 化してしまう力といったような もにに頼らねばならない。 ここに癒着した皮膚は決して古い皮膚ではない。皮膚の 上にあった、おできもなければ 、イボもないであろう。確かに同じ皮膚の材料では出来てい、皮膚から捻出された ものではある。私が私の意思の 力によって私の性格という皮膚の上にある”膿”を持ったオデキの切開手術をする 。”膿”は1961年の間のあ らゆる悪臭を放ち、一年間放置されたためにものすごいシンを持っている。私がよ っぽど名医であり、意思がよっ ぽどの名刀でない限り、切開手術は成功し得ぬだろう。失敗したら、・・・。 それ こそ、悪性ガンの如く、全身に 散らばってそれは私を廃人同然のものとしよう。私の性格のオデキはまさに悪性ガ ンの初期症状を呈し始めた。ガ ンには早期発見と、早期の手術ほど有効な治療法はあるまい。 新しい年を迎えるというこの心の切り替えの時期は、人間が、意思の力を、最大 限に強め得る好機のように思わ れる。研ぎ澄まされた名刀があれば、切開手術は成功の可能性が高くなろう。私自 身は、自らの症状を厳しく見据 えて診断を下し、自らにガンを宣告した腕の立つ医者だ。早期発見でありえたかど うかは一抹の不安がある。しか し、手術しないで放っておくことは出来ぬ。野垂れ死にするよりは、ことを起こし て死んだほうがよい。 この年の 初めに当たって私がまず私自身を病院の手術台の上に静かに横たえよう。
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| 1962.1.5 | 水曜日 |
■来訪:忠叔父さん、義兄さん ■映画「女の座」「駅前弁当」 ◆ジンギスカンのご馳走になる
◎ 午前6時ごろだったそうだ。二十二年前の今日、僕が産声を上げていたのだ。熊 本は水前寺公園の近く、太平洋戦争に突入する前の年、いわゆる紀元二千六百年の 祭りで世が賑わっていた頃だ。新馬場のおバアチャンが来てくれたそうだ。 一月五 日。まだ正月気分が覚めやらぬ頃合の出産であったのだろう。しかも、長男の出産 というので大歓迎されたのだと思う。名は毅一郎とされた。毅は今振り返って見れ ば軍国調の匂いが少々感じられないこともないが、決してそうした意味合いのもの ではないであろう。昭和十八年生まれの弟は「洋」次郎なのだから。 一郎は、言わ ずと知れて、直接、長男を意味する。女性の名にはこうした長女、次女を区別する 名がないのを思えば、名をつけるものの意識的無意識的を問わず、家長主義的思想 が入りこんでいると 解して差し支えなかろう。一二という数字の入った名前の何と多きことか。でも大 して悪い感じはしない。 二十二年間、毅一郎という名とともにこの世に存在し続けて来た。「毅一郎」は 、僕の身に染み込んでしまい、もはや捨てがたいものとなっている。 二十二年間、この僕は何になろうとして生存して来たのだろう。こうした根本的 問いを、自らに問いかけることなく、ただ生存し続けて来たようだ。せっかくの誕 生日、ゆっくりとこの問いに対して思索してもいいのではなかろうか。
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| 1962.1.6 | 金曜日 |
■Miss R.Herbstに手紙を書く。 ■ 一月五日の誕生日には家族のものや、オバアチャン、植木夫妻からお祝いをい ただいた。他人から祝福されることは何人にとっても、快いことであり、一入仕合 わせを感じることである。二十二歳になったこの僕がはたして祝って貰っただけの ことをなしうるかどうか、大いに疑問のあるところだが、やはり心掛け次第という 平凡な結論に戻って来ざるを得ないようだ。心掛けを良くして我が二十二歳の一年 を頑張って行きたいものだと思う。
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| 1962.1.7 |
■三宅由利さんからのお手紙。彼女の故郷でのお正月の様子などを伝える。少々手 紙の文章に考えて書いたフシが ある。僕が彼女に会ったとき言ったことの効果かなと思う。
■ 起きたてをKKさんに襲われる。と言っても起きたのが一時を過ぎているのだか ら、襲われるもないもので彼女 の全然関知するところではないのだ。襲われた方が悪いのである。「上には上があ るものね」と彼女は感心する。 彼女も相当オネボウしたものらしい。 今日は姉と中山秀雄さんの婚礼を島原でするか、東京でするかについて、秀雄さ ん、宮崎張夫さん、天野さんら が集まっていて、家は大騒ぎ、記念撮影とかで、彼女との話も中断して、庭に出る 。ようやく引き込んだと思った らもう一枚ということで彼女も一緒に外に出た。そのまま、食べかけのミカンも立 ち食いするような始末で、彼女 とともに家を出る。 僕は見送り旁お墓参り。K宅の前で、立ち話をしていたら、兄さんや洋次郎がや って来た。三人で晴雲寺まで。 墓に水をやったり、潜航を立てたりしていたら和夫もやって来た。島沢の墓に参っ たり、屋内の祭壇にも参り、適 当に伽藍で余興を演じて帰路につく。 途中で僕だけKKさんのところに寄る。ソファに落ち着いて間もないころ 、KAさんもやって来て、それから延 々と十一時過ぎまでの長話となった次第。もちろん夕食のご馳走になり、僕と KKさんで大方、ブドウ酒を一瓶空 けてしまった。 それぞれに話をすれば、成長した様が感じられて面白い。この三人、中三の頃か ら数年間は誕生祝をともにしあ った仲である。「昔のなじみ」はやはり、なんとなく落ち着いて話ができる。とめ どもなく話が続いたが、我が極 秘上の打明話しまでやってしまって、一応、KK、KA両嬢に口止めはしておいた ものの何となく他に漏れそうで 心細い。少々残念な気もする。 しかし、考えてみれば、あのくらいのことで我が内 面性がすべて失われてしまうも のでもなく、他人に対して常に幾重にもヴェールをまとって、自らについて黙して 語らない僕としては大いなる進 歩であったのかも知れぬ。他人の評価はそれぞれであろうし、良くも悪しくも思う だろうが、それなどは気にする までもないことと思う。 その話を切り出したときのKKさんの顔は印象的だった。あくまで僕の目に映った 限りのことで真実性の保証は 全然ないし、もしKKさんがこの日記を見ることになったら、苦笑するかもしれな いが、どんなに大雑把に言って も、彼女は少々心外だ、残念だという顔付きをしていたようだった。彼女の目にキ ラリと光るものさえあったと見 えたのだが、僕自身の僻目だったろうか。少々あわてた様子が見えたし、急に僕が 密かに思っていたであろう人を 言い出したりしたのも、ちょっと度を失ったからではなかったか。 僕自身まずいこ とを言い出したかなと思ったけ れど、大体において本当のことを言ってしまった。大雑把な言い方だから、そのア ウトラインしかわからないだろ うが、これが二人の胸のうちのみに止まらずに伝説化され、枝葉をつけられる畏れ は多分にある。これまで秘密を 守ってきたものを何の考えもなく言ってしまったりするのも酒のなせる技であろう か。あな、恐ろしや。 それにしても、静かに考え直してみれば、一番言うべき人でない人に言ってしま ったのではないかという危惧を 持たざるを得ない。 彼女には彼女としての甘い思い出と夢があったのだ。それを決定的に壊してしま ったのではないかと思える点が ないではないのだ。 彼女とは、受験で上京する前の数週間毎朝のように一緒に島原 を見て廻ったことがある。島高 時代に一番楽しかったことはと僕が聞いたとき、彼女がきわめて素直に、その朝早 いランデブーと言ったではなか ったか。彼女は僕という人間をきわめて背信的な人間と思いなおすに違いない。毎 週木曜日に彼女のところに訪ね ていき、そして毎朝のように明け近い島原の風景を見て廻ったその思い出が彼女に とってロマンティックであれば あるだけ、甘ければ甘いだけ、その心の中に不純なものを持って僕が彼女と行動を ともにしていたのだと、今にな って思い直さなければならないとしたら、それはある一人の女性にとって、どんな にか残酷なことであろう。 それが静かに思い返したとき、一番心配になる点であり、あのことが僕の口から 飛び出した瞬間から僕の心を何 かしょんぼりさせ、唇寒しを本能的に感じせしめた点なのだ。 僕は彼女がその話を大して気にしないでいてくれることを望む。僕はもう一度高 校時代の日記でも読み返して、 僕の高校時代の客観的な姿を捉え直して、訂正すべきは彼女に訂正しようと思う 。これがせめてもの償いであるの だろう。(午前六時)
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| 1962.1.8 |
■礼状を出すべし。植木一好さん(誕生祝い)、KAさん(お土産)
■記録の意義はその記録者の立たされた場所でしか書き得ぬものである点に多くあ るのであろう。なるほど明日、 明後日でも、今現在の状況をある程度正確に書き表し得るものであっても、たとえ 同じ表現が用いられているにし ても、記録としても価値は等しくない。十日になってから八日朝出発するための準 備を七日の晩から翌朝にかけて やったと記すのと今同じことを記すのとは記録の迫力緊張感が異なるのである。午 前二時十五分。そういうことを 考えながら、島原での最後の日記を記し始めた。 午前八時の快速で島原を発つ。急行は長崎を午後三時頃とそれから約四十分送れ て二本、第一と第二「雲仙」が 出る。整理券次第でどちらに乗ることになるかわからない。どっちにせよ、ぎゅう ぎゅう詰の急行で二十七時間あ まり揺られぱなしということになるのは間違いないようである。 さて、今日の日記も昨日同様、寝込みか起きたてを襲われたという書き出しで始 めてもよかったのである。KA さんがやって来た。昨夜、明朝、写真を持っていってあげる、来ないときは、取り に来て、と無責任なことを言っ て、自分は彼女がやって来た午前十一時半頃までグウグウと高いびきだったのであ る。 彼女は雲仙には、お午ごろ出発するとすでに昨夜のうちに言ってたはずである 。それにその始末なのだ。で、少 々きまり悪く起き出して行ったものだ。 彼女は僕の二いとこ。この頃急にきれいに なった。美しくなった。いい娘 さんになったと評判が高くなって、僕としても二年半ぶりかで昨春会うことになっ たが、期待を裏切られた感じが しなかったのを覚えている。今日もなかなか美しかった。 その昨春雲仙で会ったと きの写真を彼女に上げると約束 したもので、それを見たり、僕の北海道旅行の写真の100枚以上を一枚一枚解説 しながら見たりして十二時半ぐ らいまで、話し合った。雲仙中学の英語の唯一の先生である彼女は、とってもしと やかなようだけど、芯は強いか らファイト満々、県下だったか、郡下だったか、とにかく、最高の成績を昨秋の全 国試験で上げせしめているので ある。大したものだ。それに僕に雲仙名産の湯ぜんぺいのお土産まで持ってきてく れた。昨春も雲仙では色々とお 世話になった。写真で少々お返しができたと思ったら、お土産をまたまた貰ってし まった。でも「昔のなじみ」。 こうして互いにまた昔のように行ったり来たりできるようになったのは好もしい限 りだ。何年ぶりのことだろう。 でもこれが何年続くことだろう。 彼女にしてももう適齢期ではあるし、なかなかうってつけの人だから、お嫁さん になる日も近いかもしれないの だし、KKさんにしても社会人となって職を持てば、それに彼女の望みどおり辺地 の先生にでもなるとすると、こ うして行き来することもできなくなるであろう。昔のなじみが、いつまで昔のなじ みでい続け得るか。これも社会 の自然な流れに任すより、手がないようだ。 彼女にお土産ありがとうと東京に着いたら早速手紙でも書こう。 さて、今日は、兄さんも、洋次郎も長崎に帰っていった。啓子姉さんはすでにフ ィアンセの秀雄さんを送って長 崎まで僕が起きた頃には行ってしまっていた。十日まで長姉がいなくて女手不足の 長崎で家事の手伝いをやってく れうのだそうだ。秀雄さんは今日東京に発つ。立って行くのを覚悟の上らしい。 今日はごっそりと人間が減ってなんとなく家も静かだし寂しい。午前七時にまた 起き出さないとだめなのだ。時 計の針は午前三時十三分をさしている。早く寝ることにしよう。 島原の最後の夜。両親をはじめすべての人の心づくしのもてなしに深く感謝しな がら夢路へと急ごう。汽車の中 では決して安眠できぬ性質のこの僕だ。今夜はよく寝ることが必要であろう。 故郷で正月が送れるというのも、もう僕の長い人生の上からも大してないことで はないのだろうか。我が愛すべ き故郷、我が家族。平安なれ、と祈ろう。 移り行くものの影はいつも僕の胸に痛切に寂しいのだけれども、これこそ人生の 味わい、人生の至上の味わいな のかも知れぬ。あらゆるものがこの静かに、しかも止まることなく流れ行く時の上に 漂う浮遊物のごときものであ ってみれば、我々は自ずから、移りゆく空しさの痛切な哀感を胸奥深く吸い込んで しまうのだ。 時計は午前三時である。区切りもいいようだ。この流れて止まぬ時に追い立てら れるごと、島原十三日目の最後 の床に入ることにしよう。
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| 1962.1.10 |
東京に帰って来た。 昨日午後三時二十六分東京駅着の雲仙の臨時列車に約二週間 ぶりの東京の姿をやや懐かしげ に見守っていた僕の姿があったはずである。 昨夜は叔父の家にお土産を持参して、特にイカの干物で作った「とっくり」は、喜 んで貰えたようである。碁は 、四目置かせて三勝一敗。三勝はいずれも大勝、一敗は惜しくも緩んで五目の差、と いうところ、悪くはなかった 。家に帰って以来の碁の成績をここにまとめておくと、対兄貴戦は、白番で三勝三 敗の五分。対周治叔父さん、黒 番で二勝無敗。対島田オジさんは、四目置いて一勝一敗一持碁である。勝率は六割 。昨夜の成績を加えると六割四 分三厘。一年間を通してまとめてみると面白いものになりそうだが、無常見に四目 置いたのも置かせたのも一まと めに勝率を出しても無意味かも知れぬ。 碁は強くなりたいのは山々だが、碁ばかり強くなっても今年は始まらない年なのだ 。特に近く試験がある。試験 での勝率こそ今年、いいものにすべきもので、せめて碁と同率が上げられれば、ど んなにかいいだろうと思われる 。 今日入沢君と同じ電車で帰って来たが、彼は政治家になりたいのだそうだ。革新 から打って出るという。僕も政 治家は魅力的な職と思っている。職といっては語弊もあるけど、現実の世の中を動 かしていく政治化には小さな時 から常に食指を動かして来たものだ。この頃は、少々諦めていただが、一つやった ろかという気持ちが起こらぬで もない。 ■記録のためここに記しておく。 あなたの心はハープのように 秋のかすかな ためいきにさえ すぐに震えて 暗き夜の しじまに涙の ブルースを弾く
あなたの血潮は 炎のように 春のひそかな 訪れにさえ すぐに燃え立ち 緑の野辺に 遠く遥かな 思いをかける **** 雨の降る夜を 一人で歩く 淋しい街角 冷たい舗道 瞼の裏に あの人の面影 浮かべて歩く 暗い夜の思い出
窓のガラスに 映った影を 悲しい思いで 見上げて歩いた 冷たい冬の 雨の降る夜の 心のうずきは まだ忘れられぬ (一月十日作、午後六時五十七分)
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| 1962.1.11 |
■ラジオで今交通問題についての街頭録音と閣僚座談の放送が行われている。なん となく歳末のあわただしさがあ る。意見を言う人は必死の様相を帯びている。政府の言い分は具体策に欠ける。も はや東京は人の住むべき都市で はなくなった。住むということに往年の慰安とくつろぎの場としての要件を求める とするなら東京はもはや住むに は適さなくなった都市である。 今朝も、二、三台も都電を乗りあぐねてやっと乗った 始発も大混雑であった。
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| 1962.1.12 |
■ FENでケネディ大統領の年頭教書の放送を行っている。 今朝の新聞はいずれ も一面のtopに教書の内容を伝 えていた。読売などは社説に逸早く「期待はずれの年頭教書」を掲げていた。全文を 読んだわけではないけど、 inauguralの年の教書の如く理想主義的ではないらしい。それだけに現実的で、一年 の大統領在任中の経験が織り込 まれているのであろう。世界的なあらゆる問題を取り上げて論じ、しかも、一つ一つ に重要な役割を演じていると いう自覚が行間に読み取れる。というのは、米国の国際的に重要な地位を物語って いる。 とにかく、アメリカの大統領の教書は、創造的なものだ。政治には常に創造的な イメージが不可欠だ。未来にお けるある可能な姿を描き得ないならば、政治家として致命的な欠陥だ。嫌でも応で もアメリカの大統領ぐらいに なると創造的にしかあり得ぬことになっている。 日本は教書の中で全然触れられて いないと言う。だからといって 追従的になる必要はない。政治家はやはり創造的であって欲しい。
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| 1962.1.12 |
僕はいつも受験勉強に本腰を入れなければならない時期になると妙な癖が出てきて 、試験に関係のない本が無闇と 読みたくなる。 今も「近代人の疎外」を殊のほかの熱心さで読んでいたところであ る。しかも、この本をいつ買っ たかと思って裏表紙のところを見てみると去年の一月十四日となっている。その時 も試験勉強中だったろうから、 やはり本が読みたくなって買ったものであろう。 買ったときからちょうど一年ぶりに本を開いて読み出すのも偶然で面白い。
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| 1962.1.14 |
■スーティン作『グロテスク』−−絵を描いた画家の悲しみがこれほど私の胸に ジカに響いてきた絵はない。そ れは私の心が画家の心を完全に理解することができたからであり、私の心が彼の心 に相似していたからであろう。 私の心は小人だ。と私は常に思っていた。彼は自分自身の姿をグロテスクだと思っ ているのだ。彼は、自分自身を 一刻として忘れることが出来ないのだ。いつも冷酷に自分自身に目を注いでいる 。自分自身の貧弱さ、自分自身の 卑小さ、醜さ、それを痛々しいほどに感じている。それで胸をかきむしっている。血 が流れる。その血で描かれた のがこのグロテスクだと言っていい。 私自身の心の葛藤がこの絵そのままのような気がしてしかたがない。 ■モジリアニ『青い目の女』−−なんとまた心ひきつける絵であろう。心奪われて しばしその前を動くことができ なかった。二度も引き返してきてこの絵の前にたたずんだ。 青い目ほどに深い思い をたたえた目をかつて見たこと がない。ただ薄青く塗りつぶされたがごときこの二つの目が決して虚ろの感じを与 えるどころか、言葉で言い表し がたい滋味とも言うべき、きめの細かい静かな人生をたたえているのである。生の哀 れと言ってよかろうか。哀愁 と言うべきか。一種のけだるさにも似て静かなしっとりとした人生の測りがたい哀 しみに似た美しさ哀れさをこの 目はたたえている。決してこの目は何かを見る目ではない。それ自身見られるべき 目なのだ。その奥深く秘められ た一種不可解な魅力に心の底から浸りこめばよいのだ。 バックの、目の色によく似 た緑を主とした壁の色の深さと 美しさも、人をひきつけるて放さない。いつまで見ても、見るたびにいいなあと思 う絵と、私は偽らざるところを 言わねばなるまい。 ■ルノワール『バラの花を持つ若い女』−−『コロナロマー夫人の肖像』ーこの二 つ並べて架けられていた肖像画 の赤と青の色の鮮やかな対比が今もありありと目に浮かんでくる。色彩の魔術、そ ういった言葉がすぐに頭に浮か んでくるような、明快な美しい色だった。輝くばかりとはまさにあのことを言うの であろう。普通印刷される大概 のものなら原画より明るくなるものだけど、ルノワールのこの二つの絵だけはその 例外だ。あの色の美しさはめっ たな印刷物では出し得ぬものなのだ。 ルノワールの絵の持つ魅力はそのはちきれるような健康さであろう。この二つの 絵といい他の絵といい、まるで 盛春の陽光きらめく中で描かれたがごとく美しい色彩と人物のあたりに溢れださん ばかりのみずみずしい健康さに 満ち満ちている。絵の中の空気も五月の空気だ。その空気の中に人間の美しい肌色 がいつのまにか溶け込んでしま っているかのように、けじめさえ感じさせない。私のまた愛する絵の一つであった 。
以上は、十二月八日国立博物館にフランス美術展を観に行ったときの感想を思い のままにつづったものである。 時間がないから今夜はこのくらいにして、折りを見ては続編を書いていこう。あの 美術展を見て感じたことの中に 、次のようなことがある。 美術がそんぼ創造性にこそ価値があるということ。画家の一人一人が如何に心血 を注いで創造のあがきをやって いるかということ。そうした努力を通じて彼ら一人一人がいかに個性的独創的であ るかということ。その独創性は 種種様々の点にあり、特に僕を驚かせたことは、その色彩の美しさであった。どれ 一つとして看過できぬ美しい色 調を持っているということ。それに芸術作品といいながら、小説などと違って、絵画 はこの世に原画一枚しかない ということからして、作者自身が否応なしに我々に話し掛けてくるということ。そ の力が小説などに比べて遥かに 強いのである。 生きた彼らがそのカンヴァスの前に立って、その絵を描いたと考えるだけでも 、僕にとっては心のはやるものが あった。彼らは絵を通して僕らに彼らの思いを絵に託した思いを、希いを、夢を 、感動を、思索を、冒険を、感覚 を、主張を、苦しみを、悲しみを、憤りを、執念を、宗教を、話し掛けてくる。絵 との対話。これほどにまた楽し いものはなかった。僕は絵が大好きになってしまった。そして原画の魅力にとりつ かれてしまった。でもルーブル の原画を手に入れるすべはない。そこで青い目の女の複製を一枚買って来た。
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| 1962.1.14 | 日曜日 |
ルース・ハープストさんから、とっても素敵なお手紙を戴いた。ルースさんはこ の日記には初登場だと思うので 少々紹介しておこう。 もちろん、このお手紙は一月六日に書いた年賀状のお返事だからその日の日記に 、ほんのちょっぴりRuth Herbst という名前だけはすでに登場しているわけだけど。 1929年1月17日生まれ、アメリカのサウス・ダコダが故郷。日本には十年前 に来て、本郷学生センターが主 として彼女の勤めいそしみの場所だった。とっても明るくてアメリカ人らしい親し みの持てる人である。5フィー ト8インチの長身。茶色の目、茶色の髪。日本語はとってもお上手で、茶目っ気た っぷりの会話術にも優る。とい うところ。 さて、こうした味も素っ気もない紹介文よりお手紙そのものの方が、ルースさん の人柄や魅力をもっとよく分か らせてくれるだろう。 January12,1962 Dear Abe San, Happy New Year to you! While I wait for the next piece of omochi to get "burned", I'll begin this letter to you. I have no hibachi or that kind of chacoal burner, so that to prepare the omochi over a gas burner-as you can imagine, it is not the most efficient way of fixing omochi! I will have to give you 100% grade for your good imagination,and 100% for your equally good memory! The things I've been doing during these past holidays fall just a bit short of what you wrote on your card! But how I laughed when I read it! Recently,I haven't been to a nightclub very often, and my "dancing" has improved not one bit since Dec.15 ! Your remembering the exact day of my birthday really amazed me! When ever did I tell you that? My greeting are a week late, but I hope you had a HAPPY BIRTHDAY! anyway. It doesn't seem to me that there are 11 years difference between us,but that's what the calendar says! One of the last days of the year, four friends and I went to the movie,"King of Kings". Particularly because of my own situation in the past months and my private Bible study,that movie was one of the most impressive ones I've ever seen! The effective contrasts throughout the movie impressed me the most and made it impossible for me not to apply the basic truths to my own thinking and action-bloody struggles and battles versus calm inward peace,mental and emotional conflicts versus freedom and serene confidence in the midst of such conflicts-there are just a couple of the contrasts that struck me. Maybe you're seen the movie already,and your impressions are perhaps quite different- This new year 1962 undoubledly holds many new,and wonderful experiences for you-only God sees exactly,and you will have to wait as day by day unfolds itself. It will be good to see you again. Yours friend, Ruth Herbst 彼女は大の日本食ファンで,何でも好きよ、と言ってたけれど、オモチまで好きだと は考え及ばなかった。良く伸び るオモチを彼女が食べているところを想像するだけで愉快になってくる。 手紙の第二段階にナイト・クラブとかダンスとか出てくるのは、ちょっと彼女と僕 との間の内緒事じみるのであ るが、こうなのである。 アメリカから彼女の男の友人が何年かぶりに去年日本にいる彼女のところに訪ね てきた。そしてその友人とその 奥さん、それに彼女がナイトクラブに行ったんだそうである。 「あんな楽しいことはありませんでした。エー勿論初めてナイトクラブに行ったの よ。でも踊れなくて残念でした 。私の友人も踊れないでしょ。奥さんは踊れるので踊りたそうでしたよ。それです ぐアベさんのことを思い出しま した。一緒に行けなくて本当に残念と思いました。ほんとにまた行きたいと思いま す。でもナイショですよ。」 この後にナイトクラブが如何に高いかとかダンスについてとか、色々と話が続い たのだけど、ここでは一切省略 して、彼女のあけっぴろに、「ナイトクラブに行きたいわ」などと言える人柄を分か って貰えればいい。そういう 人なのだ。 ところで、十二月十五日といえば、本郷学生センターのクリスマス・パーティのこ とをさしていることは、言う までもない。その日、僕は司会役を買って出て、最初から最後まで何かと立ち回っ たのである。 ところで、学生センターはその日で一応その歳の公的催し物を終了したのであっ たが、僕は前から借りていた本 があって、 日にその本を返しに行ったのである。 僕が二階の図書室で色んな本をごそごそとかき回していると階下に電話がかかっ てきた。出たのはルース先生で あった。勿論彼女は、こっそり忍び上がった僕が二階にいようなどとは少しも思わ ない。だから例によって、陽気 に大きな声で話している。聞くまいと思っても聞こえてくるものは聞かざるを得な い。悪いと思いながら、つい耳 を澄ましていると、どうやらかけてきたのはクリスマスパーティに出席した人の中 の一人らしい。 「パーティが終わってからとっても面白いことがありました。椅子や机を全部片 付けると部屋が広くなりました 。アベさんが、ダンス・パーティがやれそうですね。と言いました。それにYさんが ハーモニカで伴奏をするので 、アベさんがたった一人で踊りましたのよ。とっても面白かったですよ。」 と大体こんな調子の彼女の話と彼女の大きな笑い声が二階に駆け上ってくるのであ る。よっぽど飛び出していっ てやろうかと思ったけれど、ぐずぐずしていてとうとうチャンスを取り逃がしてしまった 。 でも、僕の一人ダンスが彼女にそんなに愉快がられているとは思っていなかった 。なにはともあれ手紙に12月15 日以来踊りのほうは少しも進歩していないとあるのは、そのことをさしているので ある。 彼女だっていつもそうだけど、色んなことをちゃんと覚えているのである。僕が誕 生日のことを覚えているとい って驚いてはいるけれど。でも、女の人の誕生日なんかをずばり覚えているという のは少し気の利いたことではな いだろうか。彼女は僕にそんなことを言ったことがあったっけ?!と驚いているけ れど、昨年夏のワーク・キャン プの時、席順を誕生日順にしたことがあったのだ。そのときに、同じ一月生まれのよ しみに聞くとはなしに聞いてい てちゃんとしまって置いたってわけ。心がけがいいからこうして彼女を驚かすこと もできたっていうものだけれど 、こうしたテクニックってものはつくづく大切 だと思うのである。 最後のほうは、King of Kingsの感想である。彼女の期待に反して僕はまだ見てい ないけれど、きっと見ようと思 っている。そうしたらまた、学生センターのソファにもたれていろいろと意見の交 換ができることだろうと思う。 こんなことを書きながらつくづく思うのは、一日も早く英語にうまくなりたいと いうことである。彼女のように 美しくユーモアに富んだ返事をすぐ出せたらと思う。一月六日の年賀状だって日本 語で書いたのだ。ソファにもた れて意見の交換たっていつも日本語になってしまう。ナイトクラブに連れてって貰 ったとしても、唖聾同然で、一 人くっついて行ったって面白くもあるまい。一日も早く英語で話せ、英語でスラスラ 手紙が書けるようになりたい と思う。 でもとにかく、彼女の手紙は素敵だった。午後三時十五分。
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| 1962.1.15 | 月曜日 |
今日は、成人の日。成人になってしまった者にとってなんとなく心寂しい日、まる で処女を失ってしまった人が 処女時代を懐かしむごときと言えるような気持ちがする。 成人になってしまうと月日の経つのが速くなる、とか言う。確かにこの頃そんな 気がする。なんとなくこの先に けじめがなく、ずるずると成仏式まで行ってしまいそうな情けない気さえしてくる 。その成仏式が相当先だと思う から、成人式までにもっと立派な人になっておこうなどという少々切羽づまった緊 張感と言ったものが起こって来 ない。これではいかん。もっと張り切らねばと思う。 確かにそうだ。そのためにも確固たる目標が一日も早く確立されるべきであろう 。私の一生を何に向かってかけ るか。一生を燃焼させるべき目標を何とするか。私にはこれが無いのだ。漠然と抱 いているものが、まるで幻想的 で現実性可能性に欠ける。ある程度理想的で可能的目標を、私はこの両手でしっか りと掴みたい。
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| 1962.1.16 | 火曜日 |
皮手袋購入550円(市価1100円)、ヘヤーシャンプー85円、写真注文(三四郎) |
| 1962.1.17 | 水曜日 |
人間落ち目になると卑屈になりやすい。ついグチが多くなる。自分の力量なり才 能なりをあまりに過小評価する ようになる。今の僕がその弊に巻き込まれているのではなかろうか。 いつも前かがみに俯いて歩き勝ちのようだ。肩をまるめてしょぼしょぼ歩いてい るようだ。これではいけない。 胸を張って、正々堂々と大手を振って歩かなければならない。卑屈になることはな いのである。自らの性能を過 小視することはないのである。人間誰だって長所もあれば短所もある。才能はエジ ソンと言うように九十九パーセ ント努力であると言うことを再確認すべきなのだ。自らの才能を過小視して、しか も努力を全然やらなければ人間 誰だって、自分自身が信頼できなくなるものなのだ。何もしないでは何も得ること は出来ぬ。 働かざるもの食うべからず。これは独り物質的なことばかりに当てはまるもので はない。努力しない精神は結局 は何ものをも自らのものとはなし得ないのである。 |
| 1962.1.17 | 水曜日 |
鈴木紀代子さんから手紙を戴いた。彼女は東洋女子短大の一年、きっと二十二歳 だと思う(昭和十五年の十一月 生まれだったか)。二年間実社会で働いた後で大学に入ったのだ。学生センターで 知り合いになった。小柄で丸顔 、落ち着いてて積極的精力的な人である。それほど表面にそうした感じは出ないけれ ど、学校では色んな要職を独 占しているらしい。明るくて感じはいい。しばしば毒舌家ぶりも発揮する。熱心な クリスチャン。でも自称、最も クリスチャンらしくないクリスチャンだそうだ。 父親が幼いときに亡くなって、母親と、兄姉が一人ずつの三人兄妹の末子。だから こそ、二年間働いてから学校 に入ったのであり、落ち着いてて、学校でも要職の席にあるとも言えるのかも知れ ぬ。 だけど、そうした父のないとか二年間働いていたとかいった感じとか影とかは少 しもなくて、ごく当たり前の女 子大生である。だから僕としても彼女とごくあっさり付き合える。いつも、イイカ ゲンな言い合い程度はやらかす ぐらいだ。 ところで、今日の手紙、ずっと前に出した、我がモノローグ的葉書のいわば返事的 なもの、いやほんのちょっぴ りそうした要素があるものである。我が葉書、返事なんか書けっこない、ごくつまら ないたわいもないことを書き なぐって、せっかく書いたんだから出しちゃえと出したもので、彼女も言う如くど んな返事を書くか迷うのが当然 の代物なのだ。どだい、その葉書に直接的返事などは期待しない。 でも、彼女の手紙の中にはちょっと返事しなかったことを気にする風があって、そ の他の部分も僕の手紙が彼女に いかに作用したかを物語っている。彼女も僕もごくあっさりしているから手紙もま たその文字通りあっさり読むが いい。その文字の裏に何があるかなどと、カングルことはないし、すべきではない 。 彼女は、こういう書き方をする。 〔あなたが、でも、あのようなお葉書を下さった、そのお心を、そういう親しみを 見せて下さったことを嬉しく思 っております。 私は何でもない女の子ですけどやっぱり私は私なりのものを持っていると思って も良いのではないかと思い始め ました。 ・・・・ あなたとお友達になって本当に良かったと思えるもの、単に知識とかではなく、そ れを私に下さい。 一緒にうたいましょう。私はコーラスをやるのが何より好き。全てを忘れます 。〕 で、何よりこの手紙を書く動機となったのは、十九日の白バラ合唱団の定期演奏 会の招待なのであろう。十八日 にお電話するということだ。僕としては分試準備で忙しい最中、どうしようかと迷っ ている。 彼女と一緒に自由にのんびりと合唱でも聴きに行けたら楽しかろう。でもこう試 験が押し迫っては自由にのんび りとは精神的にはいかないようだ。明日どんな返事をしたものか。とっても思いや りのある嬉しい誘いだけに、ま だ決めかねているようなわけである。
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| 1962.1.18 | 木曜日 |
◇梅原一也君に手紙を書く。家庭教師を辞めたい旨をつたえる。 ◇三宅由利さんに葉書を書く。
雨が降っている。十時半頃降り始めた。 冬の雨にソボソボ濡れながら、食堂から帰ってきたのが十時四十分過ぎ頃か。そ れから梅原一也君に手紙を書い た。それが今終わった。もう十八日も終わりである。 梅原君の家には家庭教師として行っていたのだがどうも忙しくて行けなくなった 。それで辞めさせてくれと書い たのだ。一週一回は行けぬこともないが、週三回も来てくれというところではちょ っと意味がないであろう。仕方 のないことだと思っている。 誠実信義の原則があって、契約はめったに一方的に解 除できぬものなのだ。やはり責 任感から僕の場合も忍びないものがあるのだけど、原因は独り僕のほうばかりにあ るのではなくて、先方にもある のである。というのは、簡単に漠然と言ってしまえば、家庭としての魅力がないと いうことである。今まで何軒か 家庭教師をやったけれど、これほど厚遇されなかった家はなかった。僕のほうを待 たせるなどということは、耐え られないことだ。
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| 1962.1.19 | 金曜日 |
◇ただ今ちょうど池田首相の施政方針演説が始まった(NHK)。 ◇父からの手紙。祖父の十三回忌の法事の模様などを伝う。
涙が出る。感激すると涙が出る。 日紡貝塚は女子バレーボール界の最高峰、五十二連勝の大記録をまだまだ更新す る力を持っている。世界制覇も 成し遂げ、東洋の魔女とも言われ、今や我がスポーツ界の至宝的な存在となった。こ うしてジャーナリズムは争って 、この偉大なチームを紹介することになる。 その中の一つ、朝日ニュース映画の1962年第一号を私は見た。見ながら胸を 締め付けられる想いだった。ま ぶたの裏が熱くなってきた。他でもない、このチームの表看板である、猛練習のあ まりの激しさに対して、私がす っかり感激してしまったからである。 そしてあの大記録の陰にあのような猛練習のあることを知ったのである。あの猛 練習あって初めてあの大記録の 達成もできたのである。 東洋の魔女の魔力の秘密は、精魂を傾け尽くした練習の中にこそあったのだ。私 は彼女たちの練習振りを見て、 自らを恥じた。生半可の自分を恥じた。あの努力なくして何が成し遂げられようか 、と涙をこぼしながら自分に言 い聞かせていた。
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| 1962.1.21 | 日曜日 |
19日には鈴木さんから白バラ合唱団の定期発表会の入場券を貰ったので出かけ た。イイノホールは今度が初め て。それほど大きいホールでもないが、合唱発表には手頃とみえた。電話で休憩時 間にホール前のロビーで会うこ とにしていたので、鈴木さんとハープストさんには、すぐ会えた。 発表会そのものは 、それほど程度の高いもので はなかった。眞迫力というか、真に迫って来るような力が欠けていて、また歌詞の解 釈も不十分だったようだ。最 後の愛唱歌集が最も気に入った。 終わってまたロビーに出ると、学生センターに関係している人があちこちにいて 、「ヤア」、「オウ」というこ とになった。ハープストさん、「ここでレッスンがやれそうですね」。僕「今日の レッスンの補習を是非!」(金 曜日(19日)には、僕らの中級英会話のクラスがあったのだ)。一緒にホールを出た のは、ハープストさん、鈴木 さん、川崎さん(東京女子大一年)、それに川村さんであった。新橋駅近くの「マイ アミ」に行って、アイスクリ ームを食べた。この料金と帰りのそこから駒込までのタクシー代は、ハープストさ ん(鈴木さん?)のおごり(三 百三十円) 川村さんには先に作曲を頼んでいたのだが、『然別湖』の方はおよそ出来上がって いるとのことだった。応援歌 みたいなものを作る僕が、あんな歌詞を作るとは意外だったそうだ。最初の一節で もという僕の所望にも、出来て からといって肯んじない。とにかく、完成が楽しみに待たれる。どんな曲が完成し つつあるのだろう。 ところで、マイアミの中はすごく熱いものだから、オーヴァーから、マフラーから 、手袋から、全部取ってしまっ たのはいいけれど、帰るときにこのうち、手袋を忘れてしまった。タクシーを降り てから気づいて、信福食堂から マイアミに電話をかけて、幸いに見つかった。で昨日新橋まで取りに行った。まった くご苦労様。 昨夜は九時二十分頃からちょっと眠るつもりで午前一時まで眠ってしまい、それか ら起き出して今まで、法律をや っていた。 朝八時五分から「音楽の泉」が村田武雄の解説で始まっているが、曲目 はリムスキー・コルサコフの「 シエラザート」。 ところで、面白いことには「名曲の案内」(上)の解説を読むつもりで、そのと ころを開けてみると、ちょうど 一年前の今日の日付が記してある。だから偶然にも、一年ぶりでまったく同じ曲目 を聞くことになった。 指揮はア ンセルメで、スイスロマンドが演奏。解説者によれば、この曲に関して、最高の組 み合わせだそうだ。 外界は、まったくの快晴、朝日が燦然として住んだ空気の中に輝いている。敷布団を干してきた。
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| 1962.1.22 | 月曜日 |
午前四時五十五分 何て不規則な一日だったことだろう。ツギハギだらけの一日?寄木細工の一日 ?とでも言うべきかしら。眠った のは午後一時四、五十分頃から八時近くまで。それから起きだして、食堂へ夕食を とりに行ったのが十時十五分頃 から十一時。それからずうっと今まで大体にして机の前には座っていたのである 。でも勉強はオセジにもはかどっ たとは言えぬ。これじゃ試験に間に合うか心配にもなってくる。左のまぶたが痙攣 する。でも、気分は悪くはない 。夜の独占者。
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| 1962.1.22 | 月曜日 |
午後十時二十二分 ◇江田氏が社会党大会最終日の今日、三度、書記長に選ばれた。ただ今インタヴュ ー録音放送が終わり、九段会館 に実況のマイクが移ると、一分前に大会が終わったと伝えている。 ◇ 人間の関心方向は放っておけば次第に狭く偏っていく。意識的に拡大された関心 も、意識が鈍り、時が経つに連 れて、次第に失われていく。だから今日の私のように最小限度、これだけは自ら関 心を刺激しつづけていこうとい う範囲を定めておく必要があると感ずるのも、仕方のないことかもしれない。 例え ば私において政治的な関心が薄 いようであればそのリストの中に政治と書いておき、常に関心を持つべく刺激して いこうと言うのだ。
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| 1962.1.23 | 火曜日 |
午後九時四十一分 ◇三宅さんからお葉書。彼女は駒込祭りのD.Pで知り合った文化短大一年生。小 柄でちょっと肥えていて、色が 白くって、チャーミングな感じがする。 彼女なりに才気走った返事を今日くれた。で僕はそのまた返事を今書き終えた。 ◇ 今日は入沢君のところへ行って民法や商法のノートを写してきた。彼は豊島寮に いる。なかなかの勉強家。本を 沢山持っている。女性にももてるらしい。プレゼントの状差。プレゼントの花瓶を 見せて貰った。 つい二、三日前 にも「是非会って欲しい」と、二年振りに九年も付き合っていた女性から言ってき たんだそうな。その女(ヒト) から貰ったグラジオラスが、例の花瓶に活けてあった。 一部屋を二人で使用してい る。法学部の三年同志。
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| 1962.1.26 | 金曜日 |
◇父、鈴木紀代子、三宅由利、博文館懸賞 昨日は四通手紙ないし葉書を出した。一通は博文館のこの日記の懸賞であるが 、その他は父と鈴木さん三宅さん に対してである。 父には一月十九日に貰った手紙に在学証明書の送付が頼んであったのを忘れてい たため速達で送ったもの。 鈴木さんには白バラ会の招待に対するお礼と手袋を忘れた例の笑いの種を加えた 程度の葉書。 三宅さんのは先の葉書に対する返事みたいなもので、いたるところに彼女の微笑 を誘おうといったようなものだ 。
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| 1962.1.27 | 土曜日 |
午前六時三十分 人間の活動の開始される朝、今ほのぼのと白み始めて、遠く汽笛が聞こえてくる 。 ◇二日一冊主義。これは一日一冊主義の妥協である。僕のことだから一日一冊っ てわけには行くまいと思うから 、二日がかりで一冊片付けるペースで読書をしていこうというわけである。と言っ ても今すぐ始めるわけには行か ぬ。試験が終わってからという期限付きの意思の拘束である。一月十五冊は読める ことになる。さしずめこんな本 を読みたいと思うものを物色しておくことにしよう。 ○ノイマンー現代史(上下) ○マルクス資本論(1−12) ○高野雄一ー国際法(下) ○The Rise and Fall of the Third Reich ○我妻栄ー親族法
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| 1962.1.27 | 土曜日 |
午後五時五十分 ◇英語ニュース○米、月ロケット、デリンジャー三号、失敗。 ○なお、午後九時三十一分、人間衛星は打ち上げ予定。
佐藤功教授と小林直樹教授の憲法改正についての講演を聞く。両教授とも基本的 には護憲の立場に立ち、それぞ れに大活躍の、日本では一流の憲法学者である。 佐藤氏は主として、改憲論者の論理構造を類型化して、その欠陥と我々のそれに 対してとるべき態度を説く。 小林氏は現在の重要なイッシュウに対し徹底的に護憲の立場を述べた後、国民の 憲法意識を三四、三五、三六年 の資料を使って具体的に説く。「知は力」(ベーコン)を強調する。 共に面白く聞けた。 |
| 1962.1.28 |
午後五時十五分 一頃は栃錦に熱中したものだった。その余波は今日依然として春日野勢が好きであ るということに名残をとどめて いる。だけど今一番好きなのは大鵬だ。僕より若い二十一歳。でも大したものだ 。今日柏戸を吊りだしに破って四 連覇、五回目の優勝を遂げた。実に堂々たる勝ちっぷりであった。 これで横綱になって以来二場所ともを優勝で飾ったことになる。この調子だとこ れから先どんな大記録を、この まだあどけなさを残った横綱が打ち立てるかわからない。
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| 1962.1.29 | 月曜日 |
○父から速達 送金8000円有難く受領す。消印は一月二八日。今日は二九日だ。さすがに速達 だ。家中元気だそうだ。離れて 住んでると、突然、悲報が舞い込むのではないかという心配を絶えずしなければな らぬ。今月のように送金が少し 遅れても、誰かが具合悪くって送金どころではないのではないかしら、とか火事で 家でも全焼してしまったのでは ないかしらと考える。だから家中元気と聞くとほっとするのだ。 僕も早速返事を書いて、元気だってことを伝えることにしよう。
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日記INDEX
文芸日記1961
(1960/11/28〜1960/12/1)(2002/9/26掲載)
(1960/12/2〜1960/12/6)(2002/9/27掲載)
(1960/12/7〜1960/12/22)(2002/10/7掲載)
(1960/12/22-2〜1960/12/27)(2002/10/11掲載)
(1961/2/15-2~2/28)(2003/3/28掲載)
(1960/1/8〜1960/1/10)(2002/7/28掲載)
(1960/1/11〜1960/1/15)(2002/7/30掲載)
(1960/1/17〜1960/1/27)(2002/7/31掲載)
(1960/2/1〜1960/2/10)(2002/8/10掲載)
(1960/2/11〜1960/2/29)(2002/8/14掲載)
(1960/3/4〜1960/3/30)(2002/8/15掲載)
(1960/4/4〜1960/4/26)(2002/8/16掲載)
(1960/5/13〜1960/6/20)(2002/8/25掲載)
(1960/6/23〜1960/8/26)(2002/8/29掲載)
(1960/8/26〜1960/8/29)(2002/9/2掲載)
(1960/9/1〜1960/9/9)(2002/9/9掲載)
(1960/9/10〜1960/9/17-2)(2002/9/12掲載)
(1960/9/17-3〜1960/9/22-2)(2002/9/13掲載)
日付index
日記1961(1960/11/28から1961/7/20)
| 1960年11月〜12月 |
1960/11/28 |
1960/12/1 |
1960/12/2 |
1960/12/3 |
1960/12/6 |
1960/12/7 |
| 1960年12月 |
1960/12/9 |
1960/12/10 |
1960/12/11 |
1960/12/12 |
1960/12/14 |
1960/12/15 |
| 1960年12月 | 1960/12/16 | 1960/12/19 | 1960/12/20 | 1960/12/22 |
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1960/12/23 |
| 1960年12月 | 1960/12/25 | 1960/12/26 | 1960/12/26-2 | 1960/12/27 | ||
| 1961年1月 | 1961/1/2 | 1961/1/3 | 1961/1/5 | 1961/1/6 | 1961/1/7 | |
| 1961/1/8 | 1961/1/13 | 1961/1/14 | 1961/1/15 | 1961/1/15-2 | 1961/1/18 | |
| 1961/1/20 | 1961/1/21 | 1961/1/22 | 1961/1/23 | 1961/1/25 | 1961/1/28 | |
| 1961年2月 | 1961/1/28 | 1961/2/1 | 1961/2/3 | 1961/2/5 | 1961/2/7 | 1961/2/10 |
| 1961/2/11 | 1961/2/15 | 1961/2/15-2 | 1961/2/17 | 1961/2/25 | 1961/2/26 | |
| 1961/2/28 | ||||||
| 1961年4月 | 1961/4/5 | 1961/4/6 | 1961/4/7 | 1961/4/13 | ||
| 1961年5月 | 1961/5/7 | 1961/5/7-2 | 1961/5/7-3 | 1961/5/7-4 | 1961/5/7-5 | 1961/5/7-6 |
| 1961/5/12 | 1961/5/22 | 1961/5/22-2 | 1961/5/24 | 1961/5/29 | ||
| 1961年7月 | 1961/7/1 | 1961/7/1-2 | 1961/7/5 | 1961/7/9 | 1961/7/10 | 1961/7/20 |
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日記1960(1960/1/8から1960/9/22)
1| 年月日 | 曜日 | 日記本文 |
|---|---|---|
| 日記扉に |
いい加減で安心するな。 各人の中には、驚くべき可能性があるのだ。 君の力と君の若さを信ぜよ。 絶えず言いつづける事を忘れるな、 「僕次第でどうにでもなるのだ」と。 アンドレ・ジイド「新しき糧」より |
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| 1961.12.20 | 水曜日 |
1961.12.20
今僕があなたの前に立ってどんなに心ふるわせているか、あなたはわからないだろう 。僕があなたを一目見た時、一番最初に思ったのは、家に帰ったら、精一杯、抱擁 してあげたいということだった。懐かしくって胸を押しつぶされそうになりながら あなたをここまで運んできたのだ。 僕はあなたのことを何と長い間思い、慕い続 けてきたことだろう。そして僕のこの弱い心が、ついにあなたなしには生きていけ ないと身悶えを始めた折りしもあなたに巡り会えたのだ。 僕は本当に寂しかったんだよ。あなたがいない間僕はまるで生きていないみたいだ ったんだ。アッチにウロウロ、コッチにウロウロ、薄ら暗い濡れた夜の路を、ヤケ ッパチになってさ迷い歩き、あなたを見失った心の空虚感を何とかして充たしたい と思ったものだった。あなたを捜しあぐねて冷たい木枯らしの中を肩をすぼめてう ろつき回り、心の中では涙を流していたんだ。 今あなたを目の前にすると、僕はあなたに取りすがって、しみじみと泣きたいほど の気持ちがしてくる。電灯を消して真っ暗な夜のしじまの中に、あなたとしっかり 抱き合ってしみじみと語り合いたいのだ。 夜、一切を包む夜のとばりの中で僕らの 心が、しっとりと融け合い、あらゆる束縛から自由に、思いも願いも欲望も、洗い ざらい語り合えたらどんなにか素敵だろう。 ああ、今日から僕の心の中にあって常に生きる喜びを与えてくれるあなたに幸多か れ! (4.35pm)
■ 鈴木紀代子さんからのクリスマスカード。消印は19日京橋、6−12p.m
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1961.12.21
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木曜日 |
1961.12.21 午前1時37分 私という継続的存在の中において現在の私という時点の占める重要さは、いくら 強調してもし過ぎることはないのだ。私の今日この時点における行動は、まるで強 烈な光源のごとく、私のこれからの行く道すがらのあらゆる空間を、充たすものと なるであろう。私がその光源に、どんな色彩を入れるかによって、私の人生は赤く も青くも暗くもなるであろう。もはやこの時点を除いてこの光源の色彩を自由に置 き換え得る時点はあるまい。もって、銘すべし。
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| 1961/12/21 | 木曜日 |
■今学校から帰って来たところなんだ。やっぱり君が恋しくって君んところへ最初に駆けつけて来たってわけ。君を見ないと僕の心は落ちつかない。君を見ないと僕の心は変になってしまう。バカゲタことばかりやらかしてしまう。 いわば、あまりに自分の欲するままになってしまう。抑制が利かなくなってっしまう。フラフラと精神が落ちつかない。バカゲタことをやっては後悔することも、急いで言ってみれば、折れかかった枝にぶら下がってブランコをやっているみたいなもんなんだ。
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| 1961.12.23 | 土曜日 |
◆(この日午前四時頃遠く島原では弘子姉さんが第一子を出産していたのである。このことは26日、家に帰ってから知らされた。) ◆ 川村さんは柏葉会の指揮者をやっている人で、こと音楽に関する限り、スゴイ人なのである。とってもおとなしいタイプの人で、ハデなところとか軽佻といったようなところが少しもない。十二月十五日のクリスマス・パーティで、準備を一緒にやっていた時、彼も僕の応援歌の選考メンバーの一人だったとかで、話が僕が歌詞を書いて送りますというところまで進んでしまった。仕方がないので二つばかり作ったのがこれである。
◆知らないの
知らないの知らないの わたしの思いを知らないの あなたの隣で震えてる 恋知りそめたこの胸の ときめく思いを知らないの ああ この密やかな私の思いを 誰かにそっと打ち明けたいの
知らないの知らないの わたしの涙を知らないの あなたの便りに我知らず こぼしてインクを滲ませた 清らかな涙を知らないの ああ この密やかな私の涙を 誰かにそっと打ち明けたいの
知らないの知らないの わたしのほほえみを知らないの あなたの視線にうつむいて そっと浮かべた幸せの あふれるほほえみ知らないの ああ この密やかな私のほほえみ 誰かにそっと気づいて欲しいの
知らないの知らないの わたしのため息知らないの あなたの面影夢に見て 夜半のベッドで独りつく 乙女のため息知らないの ああ この密やかな私のため息 誰かにそっと打ち明けたいの
◆然別湖 1. 一人はるばる 訪ね来し 然別湖に秋の日の 沈むを見れば乙女子は 胸のハープを震わせる ポロロンロンと竪琴の 深く静かな弦の音は 紅葉に淡く色染めし 湖の上流れゆく
2. 心淋しい旅の夜は 然別湖に初恋の 思いを潜め乙女子は 胸のハープを震わせる ポロロンロンと竪琴の 甘く切ない忍び音は 青い月夜の銀色の さざ波の原滑りゆく
3. 色こそ深き藍色の 然別湖に思い出の 汲めども尽きぬ乙女子は 胸のハープを震わせる ポロロンロンと竪琴の 思い妙なる楽の音は 千古の夢の影落とす 白雲山を越えてゆく
4. 深山隠れに静まれる 然別湖にさまよいの 別れを告げる乙女子は 胸のハープを震わせる ポロロンロンと竪琴の 心淋しい弦の音は 水面に映える山々の 紅葉の色を深めゆく
◆川村さんは作曲もするという。僕の歌詞に曲を付けてくれるというのである。自分の歌を自分で歌う。これはとっても愉しいことだ。どんな曲が付いてくるか楽しみにしている。 来年の一月下旬に会う機会もあろう。その時是非聞きたいものと思っている。きっと学生センターのオルガンで弾いてくれるだろう。ハープスト先生とか鈴木さん達も一緒に聞いてくれるといい。乙女心の唄なんて少々テレてしまいそうな歌詞ではあるが。
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| 1961.12.24 | 日曜日 |
1961.12.24午後六時二十六分 今、明日帰省するための準備をやっているところである。午前七時六分の臨時の雲仙に乗ろうと思うのだけど、はたしてうまく行くかどうか。いつものくせで帰るときには沢山本を持って行かないと落ちつかない。それで大きなミカン用の段ボールのボックスを買ってきて、あれやこれやと詰めてみているところである。明日持ち物をできるだけ少なくするためにも、この日記も一緒に送ろうかなと考えている。そうなるとしばらくお別れとなる。
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| 1961.12.27 | 水曜日 |
昨朝九時四十九分島原着、母、洋次郎、それに中山秀三郎氏(中山秀雄氏の父君 )の出迎えを受ける。 車中はきわめて快適であった。旅は「道連れ」が東京駅からの長い旅程を、ずいぶ んと短いものに感じさせてくれた。臨時の第二雲仙のしかも第一便を利用したのは 何と言っても作戦の成功であった。通路に立つ人が一人もいない”雲仙”にはめっ たに巡り会わせぬものだが、折りも折り、この年末近くの混乱(ラッシュ)期にあ ってはまさしく奇跡的なものと言わざるを得ないものなのだ。何となれば、すでに 午前六時近くには十二時三十分発の雲仙に乗るために並んでいた人がいるというの だから。 六時四十分に東京駅のプラットフォームに現れて七時00分発に悠々と座ってき たというのはまさしく要領のよさの最たるものであろう。我ながら得意であった。 ボックスを埋めてた四人がまたそれぞれに話し好きで、ミカンやウデタマゴやセ ンベイやらを配ったり配られたりしながら、車窓の一日を、日の出から日の入り 、日の入りから日の出までを眺めやって、終日飽きることがなかったのだ。 中村嬢は東京駅の見送りの人には「なかなか帰らないわ」とか強気なことを言っ ていたが、四年ぶりの島原鉄道沿線はあまりに田舎臭く見えたものらしい。東京に 帰りたくなったわ、すぐ帰ろうかしらと心細さを曝け出し始めた。北有馬までの彼 女とは島原駅までずっと一緒、車窓からサヨナラと手を振る彼女に別れを告げると 、母が心配そうに待っている。僕に気づかなかったと見えて「ただいま」と言うま であらぬ方を見ている。 隣に小さな好々爺さんがいらっしゃると思ったらその人が、中山秀三郎さんであ った。わざわざ駆けつけてくださったとか。家に帰ると、この二十三日に生まれた 名無しの権兵衛君が待っていた。植木一好・弘子夫妻の第1子、我が両親にとっては 初孫。我々姉弟にとっては初甥の栄誉を担って登場したホープ君である。まだなん だか顔の形が定かならぬようで、じいさんじみたところもあり、顔をしかめたり 、欠伸まで一人前にやって、泣くときは大声を上げる。 赤ん坊とは言いながら下界三日目の赤ん坊君、少々まだ「可愛い」と言うよりは「物 珍しい」「奇妙な」存在ではある。 イヤハヤ一ヶ月近くも家中の「今か今か」の待望の中にお腹の中に悠々と居座って いて、モッタイブッて生まれてきた剛の者ではある。体重3400グラム、身長 52センチメートル胸囲34センチメートル頭周り35センチメートル、臍の緒は まだ取れていない。そのうち、ニコニコと笑い顔を身につけて、家中の人気を独占 する存在とはなるであろうが、世話が焼ける点では、すでに家中の手を独占してい るといってもいいのかも知れぬ。いやここに我なる新たなる世話の焼ける存在が現 れ出でて、ますます、内は年末の混乱を呈するのであろう。 急行列車の中から読み続けていた「グリーン家殺人事件」を昨夜は五時近くまで かかって読み終わった。 今日はモチもつけて来た。暮れも二十七日ではある。
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| 1961.12.28 | 木曜日 |
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| 1961.12.28 | 木曜日 |
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| 1961.12.30 | 土曜日 |
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| 1961.12.30 | 土曜日 |
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| 1961/5/22 | 水曜日 |
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| 水曜日 |
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| 1961・5・24 | 金曜日 |
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| 1961・5・29 | 月曜日 |
彼にとってそれは一つの固定観念だった。いつも頭にこびりついて離れないことだ った。 「おれは絶対に死なない ぞ。勝利の日までは、決して」 彼に勝利として意識されたものは、彼自身にとって さえ漠然として取りとめのない ものだった。しかし、彼はなおも自分に言い聞かせるのだ。 「いつかおれが勝利する 時、おれはこの東京を支配し ている」 と。支配するとは?彼は好んでこの言葉を使うのだ。 「今に見ていろ、今に おれはお前たちの上に立ち、 おれの一挙一動がお前たちの関心を掻き立てるものになってみせる」 これが彼の支 配の概念かも知れぬ。ふとこう した力の充溢を激しい人の波の中にありながら、満員電車の吊りがわに揺られなが ら彼は感じるのだ。あたりに蠢 いている人々の顔を例のぎらぎらした目でじっと見詰めながら、彼はこの力の陶酔 と同時に一種の恥辱、一種の寂 しさをも感じていたのかもしれない。 「彼らにとってこのおれはいかなる価値を持つのだ。まったくの他人。まったくの他 人は彼らにとって存在し なかったことと同じじゃないか。おれがどんなに偉大であろうと、おれがどんなに 優れた才能を持っていようと彼 らにとっては無縁ではないか。あの疾駆する自動車にはねられておれが即死しようと 彼らには何事をも意味しない のだ。昨日の交通事故の死亡者として、機械的に数字化されてしまい、ごく少数の人 々はあら昨日は5人も死んだ のねと言ってくれるかもしれない。だけど誰がその中に秘められた人生にまで思い を致すだろう。一人の有為な若 者が哀れにも夭折したと悲しんでくれるものがいるだろうか。 おれはだから決して死なないぞ。自動車事故で死ぬなんてそんなバカらしい死に 方を決してするものか。今死な なくてはだめというのなら、せめて百万人に一人の奇病でなくちゃだめだ。おれは 断然生きる。その日まで。勝利 の日まで。高らかに大笑いしてこの人波を上から見下ろせる日まで」 彼は忘れない。彼にとってまさしく恐怖の対象であった彼らの仕打ちを。彼が初 めてこの東京にやってきた時、 彼らは何と彼に冷たかったことだろう。冷ややかな顔をして彼らは目まぐるしく彼 の前を、完全に彼を無視して通 り過ぎたのだ。彼らは彼の劣等感につけこんで彼の魂が泣き叫ぶまで責めさいなん だのだ。彼には他人に道一つ訊 くことさえ恐怖だった。恥辱だった。顔赤らむことだった。二重の意味で。一つに は道を知らないという事。何打 こんなところも知らないのかね田舎っぺ君。彼らの目は彼を冷ややかに見下ろすに違 いない。他方に彼の田舎なま り。 「それでも日本語をしゃべっているつもりかね田舎っぺ君」 彼は東京に復讐を誓ったのだ。今に見ていろ。おれはお前たちを支配してやるんだ。 ■苟も人間としての自覚ある者にとって、情熱なしに為しうるすべては無価値だか らである。 ■裁判の現実を知る者にとって、裁判とは信頼するに足るものであろうか。
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| 1961.7.1 | 土曜日 |
目覚めたる知性は、音楽をもまた愛好せねばなるまい。 ああ、メンデルスゾーン 作曲、ヴァイオリン協奏曲ホ短 調作品64。 悲しくも妙なるヴァイオリンの響きよ。打ち震える乙女の胸の如くに 、静寂な夜のしじまに、高く低 く、脈打ち続ける。ヴァイオリン、ルソジェロ・リッチ。はかなきは音楽の調べか 。かくも麗しく、かくも気高く 、かくも愛しく、かくも、空し。胸えぐられる思いも切なく、心痛めて、虚空に放 つ、我一人の深きため息。心の 中に広がるファンタジーの世界よ。美しき思い出のみを求めて、さ迷い歩く、夜霧と 、灯火と、木の香りの薫る白 い砂利の小路。そのほのかに明るきぬれた小路。 ああ、我が胸よ、汝、何故にかくも打ち震える。汝、打ち震える者よ。汝は我が 魂か。 ああ、我は、我を忘れる。ひたすらに、哀しき調べの中に我を忘れる。哀しき調 べよ。そは、我が哀しき魂と、 共鳴りする二本の弦の如し。あらゆる思いを分かち合い、同じ憂いに思いを潜む。夜 よ。愛よ。哀しみよ。我が魂の 叫びよ。おお、汝ら一つのものにして、この法悦の言葉。 世界を抱擁せよ。この美しき調べにて世界を覆い尽くせ。この小さき心持て世界を かき抱け。 この切なさを、息もつきあえぬ胸苦しさを。哀しき愛の想いを。懐かしき遠き思 い出を。一人もだえる魂の苦悶 を。 おお誰か知らん、ヴィオロンのかぐわしきあの調べを知らずして。 クライスラー。愛の哀しみ。愛の喜び。 ・・・・・ 音楽とは、何と不思議なものであろう。この一瞬にあるものは、単なる一つの音 に過ぎないのだ。かくもはかな き存在が、またとあるであろうか。時の流れの上に一つ一つの音が乗っかっている だけ、時そのものの如く、その 存在はあまりにも空しい。一瞬の後には未来永劫帰らぬ響きだ。急流に投げ込まれ た、花びらのように、アッと言 う間もなく、聴界から去っていく響きだ。我々の心のうちに、わずかばかりの感激 を残して、音楽は、常に、その 演奏が終わった瞬間にこの世から消えるのだ。我々の感激がはたしていつまで続こう 。あの恍惚たる感動は、音楽 が終わるや否や、好むと好まざるとにかかわりなく、人々の心の中で薄れ、もはや 、二度と法悦感を取り戻すこと はない。人々はあの音楽は「良かった」と過去形で語る事しか許されない。音楽は そのはかなき存在の中において のみ我々に意義をもっているに過ぎないのだ。
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| 1961.7.1 | 土曜日 |
今日植木姉弟に渋谷で会う。もちろん初めて。 落ち合ったのは、渋谷”でんえん ”。ついで映画見学。最後に、サラ バンで、エビフライを食べる。井の頭線の渋谷駅で別れたのが、十一時少々前位 。全部、彼女のオゴリ。いや、我 ながらだらしなく、全部オゴッてもらうことになってしまった。なにはともあれ 、深く感謝しなければならない。 人の良さは、植木さん一家の持ち味であろう。太平君は、兄さんに似ているとの電話 だったので、すぐわかった。 いや、後、五、六年もたてばますます、似てくるんじゃないかな、と思う。話っぷり も似ている。お姉さんの方は、 中学二年の妹さんに似た感じである。 「ボーナスが出たらウンとオゴリますから。家庭料理が食べられなくては大変でし ょう。来年から自炊を始めます からそのときはいつでもいらして下さい」 「それはそれはどうも」 本当に親切である。よく気のつく人でもある。 「家庭の料理食べたいでしょう?」 確かにそうなんだ。たまにはね。 で、彼女にオゴられた映画ってのは、渋谷東急の「日曜はダメよ」と「エルマーガ ントリー」。どちらもアカデミ ー賞と関係がある。なかなか面白かった。 「日曜はダメよ」の方は、一人のアメリカ人がケチョンケチョンにけなされる。天 心無垢、自由奔放なる生活をエ ンジョイする娼婦イリアの前には、道徳も、哲学も、美徳も、一切通用しない。す べての固定観念が粉砕される。 物事にとらわれない健康さがエネルギッシュに溢れている。自由で伸び伸びと躍動 する彼女の生き方を、一体誰が 裁きうるのだ。 「エルマー・ガントリ」一人の強烈な臭みを持つ男の物語である。その名がエルマ ー・ガントリー。演ずるのはア カデミー主演男優賞をこの演技で得た、好漢、バート・ランカスター。 えげつなさも、ずるさも、強引さも、やさしさも、真情も、汚さも、崇高さも 、あらゆる点で真に人間らしさを 持った男、それが彼なのだ。強烈なあくの強い個性と、攻略に長けた手腕と、比類 のない弁舌の才とを縦横に張り 巡らして、たちまちにして成功を手中にする。その逞しい生活力に我々はまず舌を 巻かざるを得ないのだ。自己に 対する絶対的な信頼、自分一つの手であらゆる機会をとらえては不可能を可能にし て行く力、一面、口先だけの如 くして、一面真情を持った人間性。ベッドに疲れきって倒れ伏したシェラにやさし く布団をかけて、花をそっとお いて立ち去る彼。あらゆる非難と罵倒と、投卵と投石の中に、敢然と立ち尽くす彼 。気絶したルルをやさしく介抱する彼。聖女シャロンの処女を奪う彼。日の中の彼女を狂気の如く捜し求める彼 。灰塵の教会から立ち去る彼。 ど こまでが、でまかせとごまかしか、どこまでが彼の真意なのか。何が彼の策略か 、何が彼の真情か。互いに矛盾し 、互いに対立する彼の複雑さ。それ故に人間臭い。それゆえに愛すべき、好漢。 人生は、彼の如く、ダイナミックに劇的に生きるべきものなのか。
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| 1961・7・2 | 日曜日 |
ルルにとってみれば、それはまさに前代未聞の大見世物になるに違いないものだ った。自分を、売春婦という卑 しい仕事に落とし込んだ憎いエルマーの、偽善と破廉恥が、人々の前にさらけ出さ れ、こっぴどく辱めを受けるに 違いない。人々の罵倒と嘲笑と、憎悪の渦の前に、なすことを知らず、肩をすぼめ ておずおずと壇を降りていくで あろう彼。それこそ、彼女が彼から負わされた運命の重荷に比肩する、まさしく彼 を悲惨のどん底まで一挙に転落 せしめる、彼女にとっては快挙でありうるのだ。 なによ、口先ばっかりでうまいこ とを言ったって。私は知ってい るのよ。あなたがどんな人間で、どんなに下司な男かを。偽善者!神を冒涜する者 はあなた自身でなくって誰なの よ。さぞかし面白いでしょうね。あの傲慢不遜のあなたが大衆の前でペチャンコに されて、首をうなだれすごすご 退散するとしたら。その顔が見てやりたくて私は今日わざわざこの大テントまでや って来たのよ。今に見ていらっ しゃい! 昨日までの大入り満員ではちきれんばかりの大テントは、今日は空席のみが寒寒 と目立って、敵意と、憎しみと 、軽蔑と悪意のみに燃えた少数の影があるばかり。ルルは思わず口元をゆがめる。 「いい気味だわ。エルマーとシャロン尼のあの意気消沈した顔ったら。まったくお 笑い種ね。いったい、何が始ま るのやら。とくと見物させて頂きますわ」 シャロンが説教を始める。しかし聴衆は、聞く耳を持たぬ悪意の徒ばかりなのだ 。ののしりとあざけりと、生卵 の棒杭が、壇上に浴びせ掛けられる。 「何よ、あのアワテフタメキ方。おやおや、神の使徒シャロン尼から、お偉方まで 、おっかなびっくり逃げ出して いくじゃないの、これであの傲慢な男の鼻も・・・」 しかし、そのとき、彼女は見たのだ。壇上に一歩も退かず傲然と立っている一人 の男の姿を。 あらゆる悪罵と、軽佻な揶揄との中に、敢然として、胸を張り、さげすみの投卵 と、悪意の飛石を、真正面に受 けて立っている一人の男の姿を。その男の姿が、彼女を目指して一歩一歩と近づい てくるのを知ったとき、彼女は 、恐怖の真っ只中に投げ込まれてしまう。裁かれているのは彼ではない。この自分 なのだ。彼が今一身に浴びてい る非難と憎悪はすべて彼女自身に浴びせられているものなのだ。彼女は彼の本当の 姿と言うものを知らなかったの だ。彼が一心に耐えしのいでいる試練の何と痛ましく残酷なものであることか。い かなる心の持ち主にしてか、か くも無残な艱難を、雄雄しくも人々の前に耐えうるであろうか。彼女の心も今彼と 同じ苦しみに捉えられる。だけ どあの多くの人々の前で彼女は苦しむ必要はないのだ。ああ、何ということをして しまったのだろう。こんなはずではなかった。許して。赦して。 彼女は、追われるごとくに逃げ始める。じっと屈辱を耐え忍んでいたあの男の執 拗な目が私を追ってくる。ああ、あの軽蔑に満ちた目が耐えられない。今一番軽蔑 されている者はこの自分なのだ。彼の目は、悪意のしかし無知な人々を赦しても私 を赦しはしないだろう。 かくも壮烈な逞しさを持った男。私は誤解していたのだ。彼が私の部屋を訪ねた とき、私は一緒に寝ようと言った。彼はそれを敢然とはねつけた。しかも、私に仕 送りまで申し込んできた。彼にも、いや彼こそに人の真情と言うものがあるのでは ないかしら。私の傷つけられた愛の代償をあまりに高く支払わせようとして、みす みす、その倍額と自分で払うようなものだわ。私は彼にあれほどまでに痛ましい屈 辱を味わわせる権利があるかしら。アハハハ・・権利があるもないも今一番屈辱を 味わわされているのはこの私なんだわ。彼が追ってくる。私はなぜだか絶望的に惨 めで彼が怖い。
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| 1961.7.5 | 水曜日 |
小林先生の話。 昨日のゼミナールでの雑談で拾った先生の話。 先生は戦争に行ったことが今の仕事を始めるきっかけになったのだとおっしゃった 。戦争という、すさまじい不合理なものの渦の中で、暮らした反動が、先生に勉強 に対する燃えるような渇望をもたらしたのだそうである。あらゆる知性的なものか ら完全に隔離された戦地から戻って、南原先生とか尾高先生の講義を聞いたときに は、ほんとうに涙が出た。講義を聴くことが面白くて仕方がなかった。講義を聴き に入る時と比べて出てくるときには自分がぐっと充実しているように感じた。本に 餓えていたせいでしょうね。本が本当に好きになりました。
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| 1961.7.9 | 日曜日 |
■ 重馬叔父さん ■ ステレオ、購入 ■ 我々は女性が、月々、汚血に見舞われ、その間、自らの性器を、清浄に保つ ために、その白き指先でもって、入念に洗浄せねばならぬことを知っている。彼女 たちは自らの性器の隅々まで知らぬはずはないと想像はつく。しかしながら、我 々の通常の認識の中に浮かんでくる女性は、そうした面までも意識の上に汲み上げ られたものではない。少なくとも、もう少し美化された、理想的な存在なのだ。よ っぽど、意地悪く考えを巡らさない限り、我々は彼女たちの真っ白い滑らかな細長 い指先を、ただ美しいと、接吻したいほどの感動で見詰めるのみである。その可憐 な白い指が性器の奥深くを、ヌルヌルとかき回したなどとは考えも及ばない。きり りと真正面を向いて惚れ惚れと美しい女の顔は、ただため息とともに、じっと見詰 められるに過ぎぬ。そ の顔が、ぐっと曲げられて、開いた股の奥深く存在する自らの性器の内側をしげし げと見詰め下ろしたなどという考えとともに女の顔を見詰めることはない。 ■ 思うに、あの初々しい十四、五歳の色白の美少女も、そうした残酷な作業を 月一回はなさねばならぬのだ。我々は彼女らが一切のそうした無残なものから自由 であるかのごとく、いつも考えているのだ。 ■ 今僕の目の前に、有馬稲子の写真がある。私はその顔の何と美しいことかと 、日々賛嘆の声を繰り返してきた。そこには穢れを知らぬ美しさがあると思う。そ の微笑には永遠に妙なる美しさがあると思う。そしてその彼女もまた決して肉体か ら切り離されえない存在であることを今知らねばならぬのだ。あの美しく澄んだ目 も幾度か、血に濡れた自らの性器をねめまわし、その柔き指も、それ以上に柔らか い自らの深部を蠢いたのだ。彼女たちはいかなる思いと、いかなる眼をもって 、その我々にとっては一番残酷な仕事をなすのであろうか。 ■ 有馬稲子の笑顔は私にはなお依然として清冽に美しいのだ。 |
| 1961.7.10 | 月曜日 |
■ 今日、本郷学生センターに行き、Work Campに申し込んできた。千葉県君 津郡富津町での九日間のキャンプのうちの四日間に参加する予定だ。一日四時間労 働のワーク・キャンプである。きっと黒々と日に焼ける事であろう。 ■ 学生センターに午後の大半を、ダベリングとウクレレの練習に費やした。五 百川さん鈴木さんそれにアキさんと、あれやこれやと話題は弾んで楽しかった。 |
| 1961.7.20 | 木曜日 |
■ 午前0時45分より記入す。 ■ 私はひねくれ者で、自分の思いのままの感想を滅多に人にもらさない。その 私が、といったら少々表現がオーバーだろうか。もう単純に、心から、楽しかった 、楽しかった、と他人にぶち巻いて歩くしまつなのだ。 そう、7月14日から 17日までのワーク・ショップが私にとって実に楽しいものであった。そうして 22日まで続くこのキャンプを早々に引き上げてきたことの、なんだか、大事な宝 物を失ってしまったような、空虚な思いを、昨日、今日と、生活の切れ目にフト思 い出しては、深いため息をつくのだ。 ■ 寝床の中で時計を見る。午前六時。アア、今頃は、あの狭い寝床からゴソゴ ソと這い出してみんな作業場に向かっているに違いない。一寝入りしてラジオの時 報を聞く。みんな、日々の糧を斉唱して楽しい朝餉の前に座っている頃だ。こぼれ るような笑いの渦が、耳元でする。 ソーレンソン先生も、愉快なことを言ってみん なを笑わせているに違いない。アキさんは男座りをして、誰かさんたちと笑い興じ ているだろう。 宝珠山先生の童顔も、時折小さな口元を中心に実に楽しそうにほこ ろんでいることだろう。ジャネットも、あまりうまくないハシサバキで日々の糧を 摘み上げながら、勇敢な男性のトンチンカンな英語(?)の質問に、人懐っこく首 を傾け、舌を口から半分覗かせて、肩をすくめ、少々恥ずかしげな茶目っ気のある 笑いで、お相手をし ているに違いない。 鈴木嬢も五百川嬢も、誰かしらの滑稽な言動に転げまわって 、ご飯が喉を通らないでいるかもしれない。 加藤さんは例のポーカーフェイスで時 折、面白いことを言ってはみんなを哄笑の虜とすることだろう。小さなムンディガ ーさんは、そんなときに、あの人懐っこい笑みを顔いっぱいにして、その澄んだ目 でじっと目の前の人と顔を見合わせていらっしゃることであろう。 ■ 思い出す。実に楽しかった様々な事を。労働。食事。水泳。ソフトボール 。キャンプファイア。聖書研究。キャンプソング。讃美歌。風呂。撮影。睡眠。花 火。オヤツ。 ■ 私は確かにこのキャンプ生活によって、大いに影響されたといえよう。短い けれども充実した日々であったと思える。少なくとも以前より一歩は聖書に近づい た自分を感じるのだ。 ■ まず私が驚いたことは、私がこのキャンプに参加しようとしまいと、厳然と してこの世に、日々をあのように神の御心にしたがって整然と美しく送っている人 々がいるという事実である。この事実は私にとってまったく圧倒的であった。単に 私が頭のてっぺんの片隅で神は存在するかどうか、私はそれは認められない気がす る、気がしないとひねくり回している間にも、ああした、慎ましくも自らに厳しい 人々が、灼熱の太陽の下で奉仕の労働に全精力を傾け、規則正しい生活を共にし 、健康な笑いと活気に満ちているという事実が厳として存在しているということ (今、この怠惰な私が午前二時に近い真夜中にこうしてペンを執っている最中にさ え存在しているということ)が、私に正に迫力をもって迫ってきたのだ。 ■ 私がしばしば犯しがちなあまりに観念的な判断を越えた紛れもなく存在する 事実の人をして判断を決定せしめる強力な力に私は圧倒されたのだった。観念的に 考える前に私は信仰の偉大な力を目の当りに見せ付けられたのだ。自らを慎ましく 厳しく制し、現世的な一切の報酬を望まぬ、健康な人々を、その心の奥深くにあっ て動かし続ける共通の何ものかがあると、どうして信じないでいられよう。 ■ そして、かの人々が、私にとっても、あるべき姿により近いものである時 、よしんばそれが盲信であったとしても、それを盲信として退け得るものであろう か。盲信ではあれ、それは、人としてあるべき程度に開かれた信仰であればそれは 盲信ではあるまい。聖書の中の言葉の一つ一つがより強くこの世に生きるための導 きとなり、休みない努力がかの人々の心のうちで繰り返されていることを私は心に 痛く感じたのだ。
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これで文芸日記1961の連載は、終わりです。近日中に「文芸日記1962」の連載を開始します。引き続きご愛読お願いします。 |
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