短編小説の部屋

 二通の手紙    山 羊 男  七つ泣き虫  ある官僚の死 

                                          

ある官僚の死



目 次

1  2  3  4  5  6  7


1983.2.16 から2.22執筆・2007.3.6掲載


(解説) つい先 日、ファイルの中から発見したので、ここに収録することにした。大学ノートに一気に書き下ろされたものであるが、今日でも興味深く読むことができるように 思う。
 
”官僚もの”ということで、「山羊男」と併せて読ん でいただければ幸いです。(2007年3月6日記す)


 

1

 どこへ行こうとし ているのか、佐山直には、良くわかっていた。踊り場には、常夜灯が灯っていたが、足元は暗かった。足がまるでひとりでに動くように、佐山は階段を一段一段 ゆっくりと上っていった。この時間でもエレベーターはまだ動いているだろうが、乗りたくなかった。誰かと顔を合わす危険性があった。このまま誰とも顔を合 わせないで、一刻も早く屋上に出たい気持ちが強かった。が、足の方は相変わらずおぼつかなげに一段一段を確かめるようにしか動かない。手すりに寄りかか り、4階 から5階 へ、5階 から6階、 足音を忍ばせながら佐山は階段を上って行った。

 いつのことだろ う。こうして屋上へ上って行く日が来るに違いないと思い込んだのは?1月前?1週間前?それとも2日前?ひょっとしたら、ついさっきだったかも知れない。ずっと昔のことのようでもあり、 ごく最近のようにも思える。しかし、どちらでもよかった。結局佐山には良くわかっていたのだ。これが前から予定されていた行動であることが。

 

 この年は、異例の 年末予算編成ということで、大蔵原案が各中央省庁に対して内示されたのが12月25日深夜、第一次復活要求、第一次査定を経て、佐山の所属する商務省が第二次復活要求書を 大蔵省に提出したのが12月27日、そしてその第二次復活要求に対する回答が来たのが、12月28日の午前2時過ぎだった。

 

 佐山が全精力を注 いで来た国際技術協力推進費に対する大幅復活が認められていた。激化する一方の貿易摩擦の解消のために、欧米先進諸国と共同して先端技術開発の推進を目的 とするものであったが、財政難のあおりを食って一般歳出予算は対前年度比マイナスになるという厳しい査定方針が決定されており、この予算のように全くの新 規要求は、極端に厳しく査定され、最初の内示の時も、一次復活要求に対する内示でもゼロ査定だった。通商局の中にも一時は悲観論が強まったが、局の筆頭課 長である佐山が頑張って、しぶる局長・次長らの局幹部と大臣官房の官房長・会計課長らを説得して、一次復活要求額とほとんど同額の2次復活案をまとめあ げ、大蔵省主計局へ持ち込んだのである。

 商務省担当の主計 官と通商局長折衝用の綿密なシナリオを作り上げる一方、自民党商工部会関係代議士や有力財界人にも陳情用の資料を配って歩き、側面的な援助を要請した。そ の甲斐あってか、二次復活要求がほぼ満額認められたのだ.査定内示が各局より遅くれていたこともあり、やや弱気になっていた局長も、内示を見ると満足げに

「いやー、佐山君が 背水の陣で戦えちゅうもんだから、主計官にはずいぶんと嫌みを言われたけれど、まずはめでたしめでたしの結果だな」

と相好をくずした。

 その後、早速局長 ともども大蔵省へ手打ちを兼ねてお礼参りに行き、帰省したのが、午前2時半。局長室で、予算折衝がほぼ順調に落着したのを祝って、局長・次長や残った課長連ら と簡単にビールで打ち上げの乾杯をし、総務課の部屋に戻ったのが午前3時。毎晩佐山とほとんど行動を共にしている課長補佐の向城が、

「課長、今夜は帰宅 されたがいいですよ。4夜連続、庁内ホテル泊まりではお疲れでしょう。タクシーを呼びますから」

 というのを、

「いや、いいよ。こ のソファーもまんざら寝心地も悪くないし、明朝といっても、もう今日なのだけど、まだ機構・定員関係の話が少し残っているしね。今から家に帰って出直して くるより、この庁内ホテルの方が楽だからね」

 佐山はそういっ て、次女が生まれたばかりで、ろくすっぽ顔を見ていない向城を無理矢理帰宅させたのだ。

「大体、予算折衝も 峠を超したんだから、明日は、少しゆっくり出て来てもいいよ、赤ちゃんの顔をじっくり見てくるんだな」

 部下を全員帰した 後、佐山は、背広のまま、一旦、ソファーの上に横になり、灯りを消し、毛布をかぶって目をつぶった。しかし、寝付けない。疲れがどっと襲ってくる。そのく せ目は冴える。背中の神経が、琴の弦のように張りつめ、直接素手で逆撫でされ、全身がゾクゾクと震え出す。電気ショックを受けたときのような身震いが出 た。一瞬神経の高まりが収まる。五秒もすると背中には重たい鉛の重しがぶら下がり、神経を引っ張り、怖気が体中を駆け巡る。

 誰もいない広い事 務室。天井には、シャッターを漏れて入ってくる街灯の光が、縞模様を作っている。大きな商務省の建物も、今はひっそりと寝静まっている。物音一つ聞こえて こない。

 <眠らなければだ めじゃないか。高が三日、四日、徹夜作業が続いただけで参るようなオレではなかったはずじゃないか。早く眠らなければ、明日も仕事が待っている。よく眠れ ないからオレは一日中イライラし、疲れ、ビクビクし…>

 耐えられないよう な苦痛が波状的に襲ってきた。佐山はひっきりなしに身震いし、自分自身の牢獄の中から逃げ出そうとしてもがいたが、逃げ道はどこにもなかった。

 佐山には、わかっ ていた。結局恐れていた日がとうとうやって来たのだ。2月半前、出向先の地域公団から、今のポストへの転勤辞令を貰ったとき、漠然と胸の中に広 がった不安が、今こうして具体的な形を取ろうとしているのだ。

 特殊法人地域振興 公団の企画部長のポストには二年半もいた。そのポストも決して楽なポストではなかった。着任早々、公団の職員が、工業団地造成補助金の便宜を与える見返り に、業者から賄賂を受けていたことが発覚し、その善後策のためほとんど徹夜に近い日が二ヶ月近く続いた。担当の部長ということで、警視庁にも参考人として 幾度か呼び出された。狭い取調室で、長時間にわたって取調官の粘着質の質問に答えるのは苦痛だった.徹夜した頭で、部下に不利にならないように、前言との との食い違いを突かれないように、一言一句に神経を使いながら答えるのは、骨の折れる仕事だった。佐山が商務省から出向しているエリート官僚であることが 取調官にとっては、格好の攻撃材料だった。

 「そんな机上の空 論じゃ、世間は渡れませんよ」

「東大の法学部出 たっていうても、この世の中、六法全書に書いてある通りに動い ている訳ではありませんからね」

 その頃から、佐山 は、不眠に悩まされるようになった。疲れているにもかかわらず、寝付きが悪くなっていった。背中にいつも重たい鉛の板がこびりついているような感じがあっ た。神経が張りつめていて、ほんのちょっとした衝撃でも、今にも切れんばかりに激しく振動するのだ。

 夜、よく眠れない せいか、記憶力が目に見えて落ちてくるのが、自分でもわかった。初めて聞いたような話なので、部下にもっと早い時点で報告してくれなければ困るじゃないか というと、二日前に指示を仰ぎに来ましたが、と相手はいぶかし 気な顔をする。理事長や理事に、「あの件はどうなっている?」と電話を貰っても、とっさにあの件が思い浮かばない。冷や汗をたらして、「今ちょっと立て込 んでおりますので、後刻報告に参ります」とその場を繕い、あの件を思い出すために必死に頭を絞る。

 記憶力が落ちて来 たので、何でもメモすることにしたが、今度はメモの置き場所を忘れる.資料を貰うと無くさないようにと、せっせと整理するけれど、綴じ込んだところが思い 出せず、資料を無くしたのでと頭をかきかき秘書にもう一枚資料を取り寄せさせる。

結構、来客の多い多いポストで、会議やパーティで外へ出る機会も多く、短時日のうちに、 名刺がうず高く溜まっていくが、名刺と顔とが全くと言っていいほど一致しない。

「やぁ、この前は色 々お世話になりまして」

 パーティで突然親 しそうに声をかけられても、何時、どんな用件で会った人か思いつかない。一日一日、自分の過去が消えて行くのがわかる。無理に思い出そうとすると背中の神 経が張りつめ、ビンビンと鳴る。その苦痛は想像以上だ。

 部内の会議に出て も、他人の発言について行くのが次第に大変になってきた。ふと気づくと、会議の流れからまったく離れて、意識は全く別なところをさま よっている。あわてて、耳をそばだてるけれど、前後の脈絡がなか なかつかめない。会議の最後に、部の最高責任者として結論を出す際になっても、どっちつかずの意見でお茶を濁すよりない。部内はそれで通っても、理事長や 理事も出席する会議では、そんなことでは通らない。そのため、佐山は、こめかみに手を当てて、矢継ぎ早に煙草をふかしながら、他人の発言に耳を傾ける。意 見を求められる際にも、こめかみに手を当てたまま、一言一言に全神経を集中して発言した。そうしないと、しゃべっている間に、自分が何について話している か忘れてしまうのだ。こうなると人前に出るのが怖くなる。いつ、どこで、取り返しのつかない失敗をしでかすのではないかという恐れが、佐山の自由を奪い、 佐山は、一人部長室に閉じこもりがちになった。

 それでも出席しな ければならない会議の数は結構多く、その都度全神経を集中しなければならない佐山は、たいして長くもない会議でもぐったりとし、疲れきって部長室に戻ると 大量の栄養剤を飲み込んだ。

 汚職事件が一服す る間もあらばこそ、今度は、臨時行政調査会との攻防が始まった。臨調の担当部会が、地域公団の民営移管論を打ち出したのである。対応策を巡って、理事長以 下連日深夜に及ぶ会議が続いた。その結論を持って、親元にあたる各省との根回しをするのが、佐山の仕事である。地域に関係する公団であるため、親元にあた る関係省が5省にも及び、各省の思惑も錯綜しており、簡単には、すっきりした結論が出ない。まるで、モグラたたきのようだと言った部下がいたが、佐山もそ う思った。A省を押さえ込むとB省がむくれ、B省を納得させると、C省が反対した。調整に次ぐ調整で、佐山の精神的な疲労は限界に近づいていた。

 

 通常、商務省の人 事のローテーションは、長くて1年10月。上の方になると大体1年毎に異動する。にもかかわらず、佐山の場合、2年が過ぎ、2年半になろうとするのに音沙汰 がなかった。すでに同期生の何人かは本省各局の総務課長に栄進している。オレはやっぱりだめだったか。2年を過ぎたことから、佐山の心 に、焦りが生まれていた.このままオレは、出向先で塩漬けになって、他人の出世を指をくわえて見ていなければならないのか。その惨めな気持ちを佐山は誰に 打ち明けることもできず、じっと耐えていた.落ち込んでいた彼のところに、通商局総務課長への栄進の話があったのは、発令日の4日前のことであった。(トップへ)

 

2

 

「それでは、課長、 今夜はお言葉に甘えて今夜は失礼します」

佐山課長を一人残 し、部屋を出ようとして、ドアのところから振り返ると、佐山課長は、向城の方を気の抜けたような顔で見ていた。放心したような焦点の定まらない目。

<課長もずいぶん疲 れているようだな。それにしても、ちょっとおかしいな。>

向城は頭をかしげな がらドアを閉めた。

 タクシーの中で も、課長の放心したような顔が眼前に浮かんでは消えた.各局の筆頭課長は入省してすでに24〜5年になる。年齢的には、46、7歳、中には50歳近い人もいる。それが4日続きの徹夜。通称「庁内ホテル」と言っても、ホテルとは名ばかり、クッションのさして 良くない応接用のソファーの上で毛布一枚にくるまって眠るだけ。そこで、ほんの数時間仮眠しては、局内に11もある各課から持ち込まれる 難しい案件をさばき、次長、局長に上げる。自ら大蔵省へも出向かなければならない。その合間を縫うように大臣官房を始め他局との調整の第一線に立たなけれ ばならない。体が幾つあっても足りないほどの激務である。

 ただでさえヘビー スモーカーの佐山課長の喫煙量がこのところ急カーブを描いて上昇しているのが向城にはよくわかった。煙草を吸わない向城は、その臭いが好きではない。すぐ 隣の課長席からひっきりなしに紫煙がなびいて来て、このところ向城は喉や目の調子が思わしくない。

<日本の予算編成方 式もなんとかならないものだろうか>

 向城はいつもよく そう思う。佐山課長より10歳若い向城にしても、入省してもう15年になり歳も37歳。連日の徹夜は応えるし、このところ回復力がとみに衰えているのが自分でもよくわかる のだ。今年の場合、年末編成ということで25日夜の大蔵省原案の内示。30日には閣議決定ということで、例年に比べれば、短期決戦の方である.普通の年だと1週間から10日に及ぶ予算折衝が行われ る。まず、大蔵省から各省に対して内示が行われる。それが各省の原局に届くのは決まって午前12時過ぎになる。それから局議を開き、大まかな復活要求方針を定め、各課では翌朝までに第 一次復活要求案を作り上げる。総務課長が陣頭に立って各課の調整を行い、原案をまとめ、それを大臣官房にもちこみ、省としての調整を受ける。そこでうまく 関門を通って初めて、大蔵省に持ち込める。その説明に行くのがまた各局の総務課長である。

 第一次復活要求に 対する大蔵省の回答をじっと待つ。いつ回答があるかわからないが、出たら即刻同じプロセスを経て第二次復活要求案をまとめあげなければならない。例年なら この復活要求が、三次、四次に及んだけれど、今年の場合は、事務経費は、ゼロ・シーリングであったこともあり、二次復活の段階で局長折衝に持ち込まれ、例 年に比べれば若干楽であったと言えば言える.しかし、もう暮れの29日の払暁である。例年なら12月28日が御用納めで、本来なら今日から1月3日まで休みのはずである。それが、午前3時過ぎだというのにこうして高 速道路をタクシーで飛ばしているのだ。

<これが異常でなく て何が異常だろうか>

何年前だったろうか。大蔵省の主査が予算編成の最中に飛び降り自殺したことさえある。向 城が日本大使館の一等書記官として滞在したことのあるヨーロッパの多くの国では、予算は、デーリーワークの中で片付けられていた。正面切っての議論で予算 は決められており、いわば、あの手この手の働く余地は全くなかったと言ってよい。ところが日本では、徹夜につぐ徹夜の交渉とあの手この手とが結びついて、 一種異様な予算編成劇が例年繰り返される。予算を取れるか取れないかで、局長や課長の、いや課長補佐の力量さえも評価される。そのため、骨身を削るような 努力が繰り返されるのだ。8月末までに各省は次年度予算の要求案を提出し、その後は、予算の内示を貰う時期まで、主 計局との連絡をスムーズにするためにいわばご用聞きに回り、資料を要求されれば、できるだけ速やかに届ける。大蔵省に対して影響力のあると思われる人に対 し、側面的な助成を頼みに回る。代議士の応援団を作る。

 こうした日頃の努 力が報いられるかどうかは、大蔵省原案の対各省内示から閣議決定までの間に凝縮される。査定された内示を見て、脈がある項目と全く脈のない項目とにふるい 分ける。その感触は、内示前の大蔵省との接触の中からおおよそ類推できる。そのヨミの的確さを課長は要求される。脈のある項目については、どの程度削って 復活要求すれば相手が飲んでくれるかの判断が必要になる。その上で、復活要求案を作るとともに、案件によっては、しかるべき筋へ依頼する。いわば政治力を 使うのだ。しかし、その借りは何らかの形で帰さなければならない。それをうまくやらなければ、来年から応援してもらえないのは当然として、表に立った課長 が、本人の人事異動への干渉、担当する国会提出法案への嫌がらせなど、様々な意趣返しを受けることになる。

 予算編成を巡って は、毎度のことながらどす黒い思惑や駆け引きが霞ヶ関界隈で渦を巻いているのである。それに耐えられない神経の持ち主は、脱落せざるを得ない。こうして、 いわば体力の限界と政治的な駆け引きの限界の調和点のうえに、予算編成は成立しているのだ。

 11月末に田岡新内閣が成立し て、国会は直ちに今年度の補正予算案の審議に入り、予算原案内示の直前までは、国会対策に追われ、今年は年内編成は見送りの公算大という見通しも一時は有 力になっていたのだが、年明け早々の首相訪米を控えて、どうしても年内編成したいとの首相初め党幹部の意向で年内編成が行われることになったのである。

<人事院勧告凍結 で、給与は前年並みに据え置かれたままで、公務員は実に良く働くなぁ、自分を含めて…>

向城はやや自嘲気味 につぶやき、窓の外を見た。窓ガラスに、佐山課長の放心しきった顔が浮かび上がり向城はぎょっとした。

 向城が気になるの は、佐山課長の様子がちょっとおかしいと思ったことが、このところ、二三度あったからだ。佐山課長は2月半前に総務課に転勤して来た。一緒に仕事をするのは初めてである。佐山課長が来るとい うことで、どういう人ですかと、前任の大山課長に聞いてみたところ、

「バランスの取れた 良くできる人だよ。麻雀は強いし、酒も結構強いし」

ということであっ た。

 確かに良くできる 人で、着任後あっという間に、仕事の内容をマスターし、局議でも各課長に鋭い質問を浴びせる。といって、人柄がいいせいか、刺々しい感じを与えない。6時過ぎると、庶務の男の子に ビールを出させて、片手にコップを持ちながら仕事をする。麻雀も好きなようで、少しでも暇ができると、お声がかかるのを待っている様子だ。
 
 向城は、ここ
1年来ほとんど麻雀をやっていない。それには理由があった。

 入省した3年目の課で向城は体を壊した経 験があるのだ。そのときは無茶苦茶だった。今になってもそう思う。課長を入れても、わずか5人の手勢で、条文が100条にのぼる公害対策法案を作り、12省庁に及ぶ関係省庁との調整・根回し、法案の法制局審議・国会対策だけでも手一杯なの に、法案がらみの予算要求、新しい税制の創設、財政投融資予算も要求した。審議会を週一回の頻度で開催し、公害国会と言われた国会の公害担当部の主務課と して答弁案を取りまとめなければならなかった。それこそ、一日ニ三時間しか眠れない日が、連日続いた。家に帰れるのは決まって午前零時過ぎ、ひどいとき は、午前4時。それで9時半までに出勤しないと、課長から叱責された。当時は、通勤に片道2時間もかかる所に住んでいたに もかかわらずにだ。

 その課に1年10月いた。まだ25歳だったけれど、体はガタガ タになっていた。いや、それ以上に神経がまるっきりすり減ってしまっていた。視力が落ち、眼鏡が必要になったばかりでなく、焦点を調整する筋力が麻痺して しまい、左右の目の焦点が全く合わないのだ。文字を読もうとすると、左右の眼が、別々のところに焦点を結んでしまう。特に六法全書などの細かい文字は2重にだぶって見えた。しかたが ないので、片手で片方の眼を押さえて読み、時々左右の眼を入れ替えながら、条文を作ったのだ。

  スポーツで鍛えた25歳の若者が、階段を下りるとき手すりにつか まらないと、足元が不安で下りられない。眼をつぶると泥酔したときのように、体が空中に、ジェットコースターのスピードで舞い上がった。くたくたに疲れて いるのに、夜眠れない。記憶力が衰える。一日中イライラし仕事のやる気が全く起きない。

 電車の中でも何か に取りすがっていないと立っておれない。自分というものが、わからなくなる。次第に自信が失われて行く。

 

 四六時中神経が高 ぶっていて、息苦しい。プラットフォームで電車を待っていると、入ってくる電車に飛び込みたくなる。その方が、自分が抱えている苦しみに終止符を打つこと ができずうっと楽になるに違いないと思えるのだ。

 自分で袋小路に 入ってしまっていることがわかるのだが、どうやればそこから抜け出せるかわからない。苦しみを抱えながら、同じところをグルグルぐるぐると歩き回っている 感じだ。

 歯を磨きながら鏡 を覗くと、げっそりと頬がこけ、全く生気がない。自分の顔に笑いかけようと右の眼をつぶり左の眼で見てみる。逆をやってみる。左右の眼がまったくあらぬ方 向を見ているのが、わかる。自分の顔に笑いかけようとしても、筋肉が引きつって笑えない。あの課長の放心しきった眼。ーーー向城自身が12年前、鏡の中に見いだした自 分の眼と同じではないのか。

 おかしいと思った のは電話のことである。このところ佐山課長は、やたらとあちこちへ電話をかけていた。

「臨調に知り合いの 人がいるということだが、どういう風にアプローチしていいか、教えていただけないか」

といった類いの電話 を、地域公団の係長のところにかけるかと思えば、
「会計検査で問題があるんだけど、どう対応して行くか、ちょっとヒントをいただきたい」

 これは、他省の審 議官のところへかけた電話である。どちらも、省内にわんさとベテランがいるし、大体の対応方針は、局議で決まった後のことである。中にはすでに片付いた案 件も混じっている。それに役人は、他省に自分の省の弱みを見せ ることをまずしない。

 退庁時間後、ビー ルを飲みながら雑談していても、話の辻褄の合わないことを言う。酒は強いというふれこみだったが、何となくたちまち酔っぱらったような感じになってしまう のだ。

 課長は、新しいポ ストで張り切りすぎて、ちょっと体調を壊しているのではあるまいか。向城は、いつもより強い不安が胸をよぎるのを覚えた。

(トッ プへ)

 

3

 

 階段を上りなが ら、佐山は幾度か引き返そうと思った。どこへ?考えてみると、この自分から抜け出せない限り、引き返すところはどこにもないのだ。前に進むしかなかった。 屋上まで行けば、そこには救いがある。この苦しみから、この自分から抜け出すことができるのだ。佐山は手すりにつかまりながら、薄暗い階段をフラフラと 上って行った。

 入省して24年、こうして一歩一歩階段を 上って来た。

 官僚の世界は厳し い競争社会だ。一歩踏み外しても、たちまち、置いてけぼりにされる。24年前、一線上に並んでいた同期生22人が、今ではかなり差がついている。ポストの優劣は省内では暗黙のうちに認められてい る。本省各局の筆頭課長はいわば優のポスト。劣のポストといえ ば、他省や他の政府機関、海外など、出向先でのポストだ。局の筆頭課長の中でも佐山も含めて大局と言われる局の総務課長は、最優のポストと言ってよい。こ れは、一応いわゆる出世コースに乗っていると見なすことができる。この中から更に絞られて次の人事異動の際、大臣官房の人事、総務、経理の三課長が選ばれ るとみてよい。その選に入れば、ほぼ部長・局長への切符を手に入れたに等しい。場合によっては、官房の最高ポストである事務次官への道も夢ではない。佐山 の前任者の大山は、商務省の200人にも達する課長ポストの筆頭ポストである人事課長に抜擢されている。

 いずれにしてもも う一息のところへ来ている。この24年間、佐山が心の中で、願っていたことが、実るか否か、もう一年も経たぬうちに決着がつ く。今がまさに勝負時なのだ。それにしても、今のポストに就けたのは何と言う幸運だったのだろう。前のポストが2年半にもなって半ば諦めかけて いた時に味わった苦い思いが胸に蘇った。

 このポストをうま くこなせば、更に上位のポストへの道が自ずと開けてくるはずだ。各 局の筆頭課長ポストから、それ以上出世するのは、まさしく激烈な戦いなのだ。

 商務省のOBを見ると、現役時代の最終ポ ストで、その後のコースが決まっているのが良くわかる。上位のポストに行けば行くほど、いい天下り先が用意され、その後の華々しい活躍の場が用意されてい る。何としても、偉くならなければ。オレは賭けて来たのだ。オレの能力の全てをかけて、これまで頑張って来たのだ。故郷の両親も、それに妻の美佐子も、口 にこそ出さないがオレの出世を願っている。仕事のためにほとんど家庭を顧みなかったけれど、美佐子もそれを認めてくれていた。長男の勇が自閉症になったの も、長女の奈津子が最近ややぐれ出したのも、オレが偉くなるための踏み台なのだ。何としてもオレは偉くなり、オレがダメ男ではなく、能力もあり、実力もあ る男であることをみんなに認めさせなければならない。そのためには肩書きがいるのだ。

 日本の社会では、 すべて肩書き次第なのだ。同期生の中にも、肩書きよりは中身だ、実力だとうそぶいていた男がいたが、その男にしても今では、結局は肩書きに恋々としてい る。でも、彼は気づくのが遅すぎた。今は地方の出先機関の閑職で冷や飯を食わされている。歳を取るに従って、日本の社会の仕組みが良くわかってくる。わか ればわかるほど、肩書きの有り難みがわかってくる。自己の充実などと言う甘っちょろい言葉に迷わされて、自己満足しても始まらない。男同士の厳しい勝負の 世界に生きているのだ。その勝負に勝つ足がかりをやっとつかみかけたのだ。もう、踏み外してはならない。こうして一歩一歩踏み外さないように確実に上って 行かなければならない。

 そのためにも、こ の今のオレから何と言っても抜け出さなければならない。このままのオレでは、元気な他の同期生と争っても、勝負にならない。以前のような健康を一刻も早く 取り戻して、頑張らなければならない。今が勝負なのだ。もう、そろそろ10階まで上って来たろうか。後、3階上れば屋上だ…(トッ プへ)

 

4               

 

佐山美佐子はなかなか寝付けなかった。もう4夜連続して、隣の布団には夫の 直は眠っていない。隣に夫が眠っていないと、安眠できないのだ。結婚して16年、それが習慣になっている。しかし、外国に赴任した3年間を除いて、予算編成期にな ると、いつもこうだった。長いときには10日も帰って来ないときがあった。

しかし、美佐子はいつも布団を敷いた。信じられないような時刻にひょっこり帰って来て は、ほんの数時間、仮眠を取り、簡単な食事を済ませてそそくさと役所に出かけることも、これまで何度かあった。そのときのための布団だった。

<今年は短期決戦だ から大したことは無いよ>

夫は言っていた。新 聞報道によれば、30日にも大蔵省原案が閣議決定に持ち込まれるということだから、長くても、今夜と明晩だけ の辛抱か。このところ何となく疲れ気味の様子だったのが気になった。夫も46歳、4夜連続での役所泊まりでは大変だろう.元気にやっているだろうか。食事はちゃんと摂って いるだろうか。食事には全くかまわない人だから、野菜はちゃんと食べているだろうか。栄養も偏っているのじゃないかしら。

 今、思い出して も、一番幸せな生活と言えば欧州で過ごした3年間だったという気がする。あの頃は、ほんとうの家庭生活があった。勤務先の大使館と住 居も近くて、夕食を家族水入らずでとる回数も格段に多かった。それに夏期休暇が長く取れた。家族5人で決まって自動車旅行に出た。20日間に6000km近くも走り回った。ほとんどの国に自動車で行った。ホテルは予約せず出かけ、主として民 宿に泊まった。夫は大きな都市より田舎が好きで、全く言葉の通じないような片田舎の民宿にも、平気で泊まった。そして予定された休暇日数の終わる日の夕 刻、気づいてみるとちゃんと自宅前に車は着いているのだった。こ れが美佐子には不思議だった。
 旅行中の財布は、全て夫が管理しており、家に着くと残っている のはほんのわずかの小銭ばかりだった。いつの間にかちゃんと綿密な計算をして、家族の一人一人の欲しがる土産品を買い、美佐子に「最後のお願い」の金の腕 輪も買い与え、たまには上等なホテルに泊まり、フルコースを食べたいという家族の要望にも応え、最後のガソリン代を残して、期日までにちゃんと自宅に戻る のだった。

 日本人でありなが ら、外国での生活こそほんとうの生活だったというのもおかしいのだけど、同じ公務員宿舎に住んでいる他の外国生活の経験のある夫人たちも、みんな同じ意見 だった。日本に帰ると国会待機と予算編成があって、子供が夫の一緒に夕食を食べるのは、年に数えるほどしかない。夏休みもせいぜい続けて取れるのは4日か5日止まり、それに今の安月給で は自動車旅行というわけにもいかない。

 国会待機というの も、おかしな制度だと思う。夫の話では、翌日開かれる国会の委員会で質問に経つ議員から、前日のうちに質問を取って置き、回答を、全て用意しておくという のだ。そのため、質問が取れるまで関係者は役所に釘付け。議員が宴会などに出かけて掴まらないときには質問が入るのが夜の11時というようなことさえあ る。

 それから、各局で 手分けして回答を書き、回答をする大臣や局長のところまで届ける。前日に質問が入り、翌日答えなければならないというのも、おかしな制度だ。正確な政府側 の回答が欲しいのなら、あらかじめ早めに質問を出しておけばいい。誰もエンサイクロペディアではあり得ないのだから、その場で聞かれたことにその場で答え られる人がいるはずがない。何も記憶力のテストをやるのが、国会でも委員会でもあるまい。国会待機のためにどれほどおびただしい人間のエネルギーが浪費さ れていることだろう。しかし、これが一向に改められる動きがない。全てガマンなのだ。結婚以来、この国会待機とやらで、夫の帰宅が午前零時過ぎることがど れだけあったことだろう。

 つい最近も、補正 予算案をめぐる予算委員会を審議で主人もずいぶん遅い日が続いた。テレビで予算委員会の模様を放映していたのを見たけれど、その程度の低さににはあきれる ばかり。どの質問者も、似たり寄ったりのことを何度も何度も尋ね、その度、総理大臣がいちいちマイクの前まで歩いて行って答える。しかも、質問内容と関係 のない各省の大臣がずらりと後ろに陣取っている。ここにも、人間の限界を超すガマンの実験所がある。日永一日、よくあんなところに黙って座っておれるもの だ。よくもまぁ、こんな非人間的な制度が堂々とまかり通っているものだ。まるで非能率を絵に描いたようなことをやっていて国政は大丈夫なのだろうか。こん な茶番劇をやるために、夫は午前様までして働かなければならないのだろうか。これがGNP世界第三位という経済大国で、国民の目の前で行われているというのも馬鹿らしさを通り越 して不思議でさえある。国会議員にはこんなやり方をおかしいと思う常識がないのだろうか。それこそ、こんな茶番劇を見せつけておけば、代議士は、国のため に一日熱心に審議をしていると、国民が思うに違いないとでも思っているのだろうか.それなら国民はずいぶん舐められたものだと思う。

 それに答弁書を書 くため毎晩遅くまで居残りさせられている国家公務員だって、そのための犠牲になっている家族だって、ずいぶん舐められたものだ。国家公務員と言えば、予算 委員会にもどきどき各省の局長が、政府委員として答弁に立つこともある。見ていて気の毒になるほどペコペコして、質問者が裁判官なら、政府委員はまるで被 告人扱い。質問者が言いたい放題、無理難題を吹っかけても、ひたすら低姿勢で、答えている。あれが国家公務員の一番偉い人かと思うといささか泣けてくる。 よくまぁガマンできるものだ。

 ああ、何と言うガ マンの行列。私にしたって4日も続けて、こうして独り寝をじっとガマンしている。結婚して16年間、ガマンガマンガマン…

 夫もいろいろガマ ンしていると思えばできるガマンである。夫にしてもみんながガマンでいているから、更に上司がガマンしているからと思ってガマンしているのだろう。こうし て一億総ガマンの体系がいつまでも温存されて、世の中はストレスや不満が鬱積して行く…

 私だって、たまに はヒステリーを爆発させたくなる。訳のわからないことを叫びたくなる。家族のことでいろいろ相談したことだっていっぱいあるのに、せっかくの暮れと正月ぐ らい家族水入らずで過ごしたいと思っていたのに…

<あなた、私だって そんなに強い女ではありませんのよ>(トッ プへ)

 

5

 

 ちょっと待ってく れよ。あと1階で屋上というところで佐山は立ち止まった。あの件を局長にまだ報告していなかったの じゃなかったろうか。新総理大臣が来月早々に訪米するというので、そのとき手土産として、関税引き下げや輸入検査手続きを中心とする市場開放策を商務省で は、佐山を中心として取りまとめていたのである。すでに前内閣のときにも、一連の市場開放策を打ち出しており、各局とも、もう種切れですよと渋るのを佐山 が一生懸命に督促して、新総理大臣の訪米土産として恥ずかしくないものを、まとめあげたのだ。そのため、一週間近く徹夜もした。局長もその結果をずいぶん 気にしておられた。あんな大切なことを局長に上げ忘れるとはオレもどうかしている。

 佐山は、腕時計を 見た.午前4時近かった。今から局長に電話したものだろうか。しかし、ちょっと時間が時間だ。それな ら、次長に電話したものだろうか。佐山はちらっと、鼻眼鏡をかけてさんばら髪の次長の顔を思い浮かべて、胸の動悸が高まるのを覚えた。

 佐山は、次長の徳 田が何となく苦手だった。どうもしっくり来ないのである。次長と言っても年次から言えば2年先輩でしかない。次長は、思ったことをすぐ口に出して言うタイプの男だった。佐山のよ うに思っていても黙っているタイプの人間にとって次長は明らかに物を言い過ぎるように思えた。それに平気で人の悪口を言う。

「あの局のA課長はひどい男だね。この前、 俺のところに陳情に来たが、言っていることが支離滅裂じゃないか」

「あの局長は、局長 の器じゃないよ。おっしゃる通り一筋で偉くなった典型だよ」

次長は、こんなこと を平気で言える、灰汁の強い、自信満々の男である。佐山が、今のポストに来て間もない頃、局内のノンキャリア組の処遇問題で相談に行ったときのことであ る。鼻先に落ちかかった眼鏡越しにギョロリと眼を剥いて、

「佐山君よ。君も案 外心臓が弱いんだね。こんな案件、いちいち僕のところまで相談に来なくたっていいのよ。君のところで適当に処理して、ポーンと代決のハンコを押しときゃい いんだよ」

と言われたことがあ る。それ以来、佐山はことあるごとに次長に相談に行くべきかどうか悩んだ。その後しばらくしてとある案件を次長に相談せず、佐山のところで処理した。局長 には、ちょっとしたついでがあったので、結果を口頭で報告していた。

 ところがである。 ある日突然、次長が総務課の部屋に入って来て、

「佐山君よ。俺を すっ飛ばして、局長と直取引は止めてくれよ」

 課員のいる前で例 の大声を張り上げたのである。何のことかわからず、佐山がきょとんとしていると、自分の知らないことを局長が佐山から聞いて知っていたというのである。

<そうだ、次長を飛 ばして局長に上げてはだめだ。うっかりするところだった。早速、次長に電話しなければ>

 佐山は、階段を二 三段下り始めた。

<しかし、待てよ。 あの件は…>

大蔵省の予算内示の 日、確か閣議へ報告したはずだった。そうだ、あの件は、もうすっかり片付いていたのだ。局長が、よくやってくれたとお礼を言ってくれたのではなかったか。 こんな時間に次長に電話をしたら、それこそ、

<佐山君よ。何を寝 ぼけているのかね>

とやられるのが落ち だろう。佐山はほっと安堵の息を漏らして、再び階段を上り始めた。

 

6

 

佐山勇は、ベッドの上で夢を見ていた。どうも学校のようだった。周りに大勢の子供がい た。どの子も色とりどりの鮮やかな洋服を着て、思い思いにしゃべっている。

「ヘイ、イサム。ホ ワット、アーユウ、シンキング、オブ?」

 誰かが背後から声 をかけて来た。振り返ると勇が好意を持っているマルガリータだった。

「君のことだよ」

勇が言うとマルガリータは、ぽっと頬を染めた。

「静かにしなさい」

突然、教壇から誰かが大声を上げた。見ると日本人だ。アメリカンスクールのはずなのに、 いつもの優しいミス・ヘレンの代わりに怒ったような顔をした日本人が立っていた。よくよく見ると父親の直だった。

「おしゃべりを止め なさい。ちゃんと宿題をやってきましたか。今から先生が一人一人調べますから。最初に佐山君。君は宿題をやってきましたか」

勇は、大急ぎで鞄からノートを取り出した。昨夜遅くまで頑張って、英語の単語を999文字書くようにという宿題 をちゃんとやったのだ。父親も誉めてくれるだろう。勇は、得意げにノートを開いて父親の前に差し出した。ところが、きれいに書いたはずのノートが、どこも かしこも真っ白だった。

「何だねこれは。お 前はまた宿題をさぼったな。こんな風にいつも宿題をさぼっているんだろう。罰として廊下に一時間立っていなさい」

勇は一生懸命に事情を説明しようとした。しかし、言葉が出てこないのだ。代わりに涙があ ふれた。いつまでもいつまでも涙があふれた。

<お父さんは、ぼく のことを少しもわかってくれないんだ。ぼくは一生懸命やって来たのに…お父さんとぼくとは話が通じない…>

「ウー」

苦しそうに勇がうなった。隣の部屋で寝付けないまま悶々としていた美佐子が、そのうなり 声を聞きつけてそっと勇の部屋に入って見ると勇の枕は涙でぬれていた。

 

美佐子の胸はうずいた。このところ勇はうなされることが多い。涙を流すくらいだから、 きっと怖い夢か、悲しい夢でも見ているのだろう。

 

 欧州で通ったアメ リカン・スクールでは、勇は快活そのもので、成績も良かった。自発性を重んずる校風が、勇には合っていると見えて、クラブ活動も理科の実験クラブ、柔道ク ラブ、英語劇クラブなどいろいろなクラブに積極的に参加し、指導に当たる教官が、

「イサムは、何を やっても、会得するのが実に早い」

と感心するほどだっ た。

 友達も沢山いて、 バースディパーティには、同じクラス以外の生徒からもよく招待された。よくスリープ・オーバーと称して友達の家に泊まりがけで遊びに行ったり、逆に自宅に 招いたりした。今でも、その頃の生き生きとした表情の写真を見ると美佐子はよく涙をこぼした。3年間の欧州滞在を終えて帰国し、小学3年生で、日本の小学校に編入し た。

 入校した最初の 日、勇は、みんなの前で挨拶させられた。日本語がそれほどうまくなかった。そのうえ、ときどき英語の単語が飛び出した。聞いている生徒はゲラゲラ笑いこけ た。

「日本語と英語とが チャンポンだ」

誰かが叫んだ。

「チャンポンだ、 チャンポンだ」

みんなはやし立て た。それ以来、勇にはチャンポンというあだ名がついた。

 自由な雰囲気の中 での勉強になれた勇にとって、固い椅子に座りっぱなしで、先生の一方的な話をただひたすら聞く授業は堪え難いものだった。反省会のとき、

「そんなに先生ばか りしゃべらないで、ぼくたちにも考えさせてください」

と勇が言った。

担任の中年の女の先生は、自分の授業に対して、生徒から批判されるなど、夢にも思ったこ とがなかった。それ以来、勇に対して、ことある毎につらくあたった。

 これまでの楽しい 思い出についてみんなが話し合う会があったとき、勇がヨーロッパにいたときの自動車旅行がすばらしかったことを話すと、

「勇君。ヨーロッパ にいたからって、そんなに鼻にかけるものじゃないわよ。日

本人なんだから、日 本で楽しいことの一つぐらいあるでしょ」

 勇は、次第に学習 に対する意欲を失っていった。顔から生気が消えて行き、家でもあまり口を開かなくなった。日本に帰ってからというもの、父親と勇の会話の時間がほとんど取 れなくなった。朝は、直が起き出す前に、勇は学校へ出かけ、勇が寝てから直は帰宅した。

 成績は、期を追う に従って悪くなって行った。

「勇、だめじゃない か。やる気を出さなければ。お父さんの小さい頃はね、兄弟が多くて勉強部屋もなかったけれど、ちゃんと勉強したんだぞ」

 たまに父子が顔を 合わせると、いつも、決まって直は、勇へ小言を言った.最初は静かに言っているつもりでも、勇が黙って、直の顔を睨み返すものだから、いつの間にか直の声 も厳しくなった。

「小さいときから ちゃんと勉強しておかないとろくな人間にはならないぞ」

美佐子も、急にやる 気をなくした原因が分からずに、

「勇、どうしたの よ。あなたはやる気さえ出せば、ちゃんとできるのだから。頑張るのよ。勇がそんな意気地なしとは思わなかったわ。あなたは英語のエの字も知らないで、アメ リカン・スクールに入ったのに、2学期目からは、オールAが取れたのよ。日本の学校で、いい成績が取れないはずはないわ」

 勇が、どんなに深 く心の傷を受けていたかがわかったのは、それからずいぶん経ってからだった。同じクラスの女の子の母親から、うちの子供が

「勇は可哀相、みん なにいじめられて」

と言っているという 話を聞いたとき、美佐子は愕然とした。母親の自分にさえ黙ったまま、小さな心で、勇は必死に耐えていたのだ。チャンポンというあだ名や、担任の女の先生が ことある毎に、勇につらく当たることなど、いろいろ事細かに聞かされて、美佐子は自分の母親としての至らなさを恥じた。しかし、どういう風に勇に接してい いかわからず、夫に相談した。

「しばらく放っとけ ば直るのじゃないかな。子供の適応力は大きいんだから。英語を知らなくてもすぐ、アメリカン・スクールになじんだぐらいなんだから。まもなく新学期になれ ば、担任も変わることだし」

夫は楽観的だった。

しかし、勇はますます自分の殻の中に閉じこもるようになっていった。ある日、学校から、 勇がもう3日も続けて登校していないが、何かあったのかいう電話がかかって来たとき、美佐子はうろ たえた。気違いになったような思いで、勇を探しまわった。2時間も探しあぐねて、とぼとぼ我が家に引きさえそうとしていると、勇は、自宅の近くの公 園のベンチにぽつんと一人座っていた。

 あのとき以来、勇の自閉症的症状は一進一退を繰り替えしていた。

 

7

佐山はやっと最上階にたどり着いた。屋上に出るためには、あと二折れ階段を上ればよかっ た。佐山はノロノロと階段を上り続けた。そのあたりの灯りはことのほか暗くて、暗黒の闇をめがけて上って行くような感じだった。薄気味が悪かった。そこを 抜ければ、屋上に救いがあることを知らなければ、

「もう止めた」

と言いたいような不 気味な暗闇だった。

<もう止めたか…>

佐山は心の中で、その言葉をつぶやいた。仕事がつらく、体調が思わしくないとき、佐山 は、「もう止めた」と言って、一切を放棄したい衝動に何度囚われたことだろう。これが麻雀なら、いつでも降りることができた。手が悪ければ、そのときは降 りる。ツキが回ってくるまで待つこともできた。しかし、仕事はそういうわけにはいかなかった。もう止めたと言った途端、これまで20数年間、営々と積み重ねてき たものが、一切フイになってしまうのだ。20数年間、文字通り毎日が息の抜けない勝負だった。ちょっとでも気を抜くと、たちまち下ま で転落してしまう。ちょうど、この階段のようなものだ。重心を失ってしまえば、地階まで転げ落ちてしまう。役人生活なんて、まったく自転車のようなもの だ。必死にこぎ続けていなければ、すぐ倒れてしまう。誰も同情をしてくれない。あの男は、それだけの男だったのだ。振り返ろうともせず、みんな通り過ぎて 行ってしまう。これからいよいよ、天王山の戦が始まろうとしているのに、今のオレには、戦うだけの体力も気力もない。それがよくわかっている。しかし、 ちょっとしばらく待ってくださいとは言えないのだ。すでに戦いのゴングは鳴っている。リングの上で倒れるまで、戦い続けなければならない。倒れるまで戦っ て、はじめて、人々は勇者として認めてくれる。相手のパンチを怖がってリンクから逃げ出せば、みんなが、弱虫だ、敵前逃亡だと言って軽蔑の眼で見るだけ だ。

 ゴングが鳴った以 上どんな苦しくとも、どんなに気力が萎えていても、最後の一振りまでグローブを振り回し続け、相手のパンチでリングにブッ倒されるまで頑張り続けなければ ならないのだ。しかし、今のオレには、タオルが欲しい。誰かタオルを投げ込んでくれないものか。自分の方から「もう止めた」とは死んでも言えないけれど、 誰かタオルを投げ込んで欲しい。もう、オレはブッ倒れそうなんだ。苦しい。

 佐山は真っ暗闇の 中で、屋上へ出るドアのノブをまさぐり続けた。

 いったいノブはど こにあるのだ。早く、早く見つけなければ、おれは苦しい。

 やっとのことで、 佐山はノブを探り当てた。ドアを開くと、冬の午前4時過ぎの冷気がさっと佐山をつつんだ。佐山は身震いをした。

 その夜、東京地方 は快晴で、空には星がきらめいていた。しかし、佐山の眼には、星は映らなかった。屋上から周りを見回すと、各省の建物が目に入った。どの建物にもまだ所々 灯りが灯っていた。大蔵省の灯りが一番鮮やかだった。みんなまだ頑張っているのだ。

 だが、オレはもう いい、十分過ぎるほど頑張った。ここらで、自分のために自らタオルを投げ込んでやることにしよう。この耐え難い苦しみからも解放され、待ち望んでいた休み がやっと取れるのだ。すべては、休んでからだ。

 佐山は、残ってい た気力・体力を絞り出し、屋上を囲った金網のフェンスをよじ登り始めた。

(完)

ご愛読ありがとう ございました。

 二通の手紙    山 羊 男  七つ泣き虫  ある官僚の死