日記の部屋1958(03)/Diary1958(03)

 

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(2001/12/24掲載)




 

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年月日 曜日 日記本文
1958.2.1 Saturday 1958.2.1
さて今日は二月である。もうずいぶん前から梅の花も咲いていて自然の歩みは正常さを思わせる。宗谷丸もどうやら自力で氷海から抜け出ることができるらしい。
アメリカは遂に人工衛星の打ち上げに成功した。なんといっても自由諸国にはこの上ない喜びだが、まだまだソ連との差は大きい。今後の精進が良くソ連に対し得るようになることを期待しよう。
外界は雨で今日は割りと暖かいのであろう。猫の恋する声が大きく聞こえる。やかんの水蒸気の音で雨の音は聞こえてこない。今日は学校登校日だったが午後一時の制限時刻にようやく間に合うようなふがいなさ。起床が正午であった。
二月は二十八日。二十二日には卒業式がある。二十四五日頃はもう車上の人となっているかも知れない今月である。最後の土壇場で人の精髄は見られるという。私にどんな精髄があるか。乞う、ご期待。
1958.2.2 Sunday 1958.2.2
確かに考えてみれば、この世に男と女の二つの性があるということは、生殖上の必要がもたらした結果に相違ない。人間の発生時においては二つの性は生殖器を分担している二つの生き物に過ぎなかったろう。現在においても、このことは最も重要なことには変わりないが、それ以外の多くのものが二つの性の存在を意義づけているように思われる。
 女らしさ、男らしさというものは生殖に関係のあることから生じてきたものであるが、現在の社会構成の上に非常に重要な存在となっている。もちろん、男女が中性化しつつあると嘆かれる状態もあるが。
 私にとって女らしさというものはいわば理想化された状態で憧れの的となっている。柔らかいフカフカした感じを女らしさに感ずるのである。女らしさを私は賛美する。もちろん、封建制下での女を女と思っている世の大人の頭の中にある女らしさとそれは違っていて結構である。
1958.2.3 Monday 1958.2.3 節分
 私は中島さんから”皮肉屋さん”というありがたい呼称をいただいている。
 皮肉の楽しみというものは、くすぐったい、こみ上げてくる忍び笑いである。皮肉というものは非常にその時の情況によって支配される。人の話をあくまで正統的に解釈してかかろうとしている人にはめったな皮肉も言えない。ある程度両者間に親密さがなければ誤解の種になるばかりで、悪口を言われたと勘違いされる危険が十分にある。
 皮肉が相手に通じた時の喜びは大きいもので、相手と自分との共通の場の広さは皮肉の通じる範囲で測ることもできよう。
 手紙などでの皮肉は、相当冒険物で、話すときとは違って、ちょっとにやりとして見せて真正直に取ろうとした相手にその真の意味を分からせたりすることができない。
 皮肉というものは確かに話を活気づけ、面白くする一つの技法である。
1958.2.4 Tuesday 1958.2.4 立春
人間の進歩には時間的なものと、空間的なものとあると言われる。
1958.2.5 Wednesday 1958.2.5 午前四時十分
 自分の小さな頃のことを思い浮かべてみると、確かに空想的であったという気がする。今でも空想はしないこともないが、はるかに空想の質を落とす現実味を帯びている。
 私の小さな頃の空想は「超」・・・とつくようなものばかりである。たとえば、スーパーマン的に水泳がうまかったり、柔道や空手が強かったり、超科学の粋を集めた自動車兼ロケット兼ヘリコプター兼寝室兼食堂兼勉強部屋兼遊び室、超モダン建築、物を倍にも無限にも増やす機械、などを使ったり、購入したり等々・・・
この同じ脳みそで空想したことだから思い出せば切りもなく出てくる。私の幼い空想には微笑まずにはいられない。
1958.2.6 Thursday 1958.2.6 宗谷丸46日ぶりに氷海脱出に成功!!
◆人は自分にファンがいることを”悪くない”と思うものだ。
◆私が大江健三郎やジェームス・ディーンに似ている、と表する女性がいることを思うと、まさしく人によりけりと思わざるを得ない。その考え方が、行動が何と種種様々なことよ。
我が愛するジェームス・ディーンに似ていると言われては、ご本人が似ていないと知りながら悪い気はしないから妙だ。もっとも顔つきやスタイルからだけの意味で言ったのではないかも知れないが。彼はひどく乱暴な話し方をやっていたそうである。
◆もっとも大江氏に私が似ているというのは百万円の賞金と十万円の賞金を考え違いするようなところにあるそうだ。
◆女性に「貴女はキレイだ」と私が言うのなら話は正常なのだが、女性から「キレイ」と言われては変な気持だ。人の噂を聞いてみると、この大学入試に全然自信を持っていない私の話さえ大学に入ってしまったような口振りに聞こえるとか。
◆ああ、人の数だけ考え方には種類があるのである。
1958.2.7 Friday 1958.2.7
「・・・日本はたしかに世界有数の工業国だが、人はパンだけでは生きていない。日本はアジア諸国民の先覚者としてその歴史的使命を果たしたのである。」と西独のフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング紙(12月24日)---日本(三月号)---は決めつけている。
 歴史的使命を果たしたということは「”日本”、国家の終えん”といった見出しは悲観的にすぎるようだ。」と述べるところからして、明らかに、日本を国家としての終えん、にあると見なしていることがわかる。
 おそらく”悲観的にすぎる”というのも、述者には、無理して意味を和らげる気からの付け足しに過ぎないのであろう。まさしく「レッテルなどというものもない、異なった意見が共存しているというより、意見というものを持合わせていない、この方向を失った」「独特の統一された生活様式というものは失われ」た、「荒地」、日本に「国家の終えん」との題を付けることをこの述者は論旨としているのである。
 現在の「生活力と活気にみちた日本国民」九千万の歴史を舞台として繰り広げる大演劇の題は”国家の終えん”と他国民には見えるのである。私達には自ら大演劇に名を付ける自由はある。しかし、「この方向を失った」「意見というものを持ち合わせていない」我が国民に他国民を納得させるにたる題をつける力があるのであろうか。現在の日本にはないと言いたい。
 されば「方向を失った」と言われる日本の未来にはなおさらその力は失われ、”国家の終えん”の結末にただずるずると滑り落ちていくのが所詮日本の歴史的運命であろうか。
 私はこの述者の現在における日本に対する評価を肯定しないわけにはいかない。そして未来に対する彼の予想を打ち破ることこそ我々の歴史的使命であると信ずる。なるほど「日本人はなにを吸収すべきか、お手本をどこに求めるべきか分からない」状態にあることは確かかもしれないし、「敗戦はすべてを根こそぎにし、軍国主義ばかりでなく一切の伝統を破壊した」のも事実かも知れない。そして我々に残されたものと言えば、我々の生命力だけに過ぎない、と言いうるかも知れないのだ。
 現在、それほどの日本人が国家の終えんを意識して生活しているであろうか。皆無に近いらしいことはわかる。我々が自らそのことに気づくときは明らかに終えんの時は避けられぬに違いないのだ。
 思うに「パンだけでは生きていない」と説くごとく述者の名付けた日本の歴史的方向を変えうる唯一のものは偉大な思想家の登場に他ならぬ。それも大団円に近く現れるよりもできるだけ早く現れることが望ましい。現在の持てるエネルギーが終えんの方向に失うエネルギーの力によって、一個の思想家を出現させることはありうることだと思われる。
 あらゆる低迷、混沌は、ある一瞬に美しい結合を見せ、不世出の大偉人を生む例は我々が過去の歴史の中に見いだすところである。
 「日本人は欧州のようにもはや歴史の主役ではなく、強国の間にはさまれた一存在にすぎない」ことを我々は恥じる必要なない。むしろしっかりと認識することだ。
 日本人に欠けている物に対する正しい認識の力は、それを得ることによって、やがて莫大なエネルギー源となることは火を見るよりも明らかのことだし、我々が生きていく限り、我が国民の民族的優秀さは失われることはないのである。
 我々が未知なる資産を開発して行くことに日本の運命はかかっていよう。日本の進む道がこれからますますどんなに苦難に満ち満ちて来ようとも我々は屈してはならない。歴史は百年やそこらで終わるものではない。永遠に、およそ生物の進歩過程における人類の繁栄期間として与えられた間だけは少なくとも続くのである。
 未来なき国と言われる我が国がもっとも必要としているのは、やはり”未来”に他ならないのである。日本は「未来」に生きねばはらぬ。
1958.2.8 Saturday 1958.2.8
「人の振り見て我が振り直せ」というこの諺は私にとってあまりに辛辣すぎてその功徳の一切を受け入れかねている。
 他人のことを云々することはまことに易しいことだ。他人の欠点は見えすぎて見える。私はそれを、その場でまかせに一、一批評する。そして、相手を十分に中傷して、自分の存在を高めたぐらいのいい気持ちになってしまっている。
 私は、その他人のしでかしたことを無意識的に自分もやっていることに気づいた後でさえも、ただ私に対する批評が追い被さってこないことをいいことにして、一層強引にやり通してしまう。
 私のこの傍若無人な態度は、私に一片の進歩も与えまい。批評するよりも「他人の振り」を「我が振り」を直す糧にすることこそ、私に今必要なことなのだ。
年月日 曜日 日記本文
1958.2.9 Sunday 1958.2.9
彼女は彼を非常に思い詰めていたけれど、一言も口を利いたこともなければ、話しかけてみようともしなかった。もっぱら彼の現今のガールフレンドを通じて、きわめて素朴に彼女の愛を感じさせる彼についての批評や考えを彼に話しかけてくるのだった。彼のガールフレンドにしても少しも話してくれと頼まれたこともなければ、彼に彼女の話したことをありのままに話すことをためらうようなことはなかった。彼のガールフレンドと彼女は大の仲良しだった。彼は、彼女も、ガールフレンドも好きだった。いやもっと他に多くの好きな女性がいた。彼もその女性たちに一言も口を利いたこともなければ、話しかけてみようともしなかった。彼にガールフレンドができたのは彼女が話しかけてきたためだった。彼はどんな女性に話しかけられても、素敵なボーイフレンドになれる素質を持っていた。彼は知的だったし、思ったことはずけずけ言った。話は常に大きく飛躍して、留まることを知らなかった。ユーモアもあり機知にも富んでいた。
 その彼にその地を去る日が近づいて来た。一口も口を利き合うこともなく、思い思われた間柄の彼と彼の女性たちに、永遠に別れねばならない運命が迫ってきた。
 お互いの忘れられぬイメージを胸に抱いて別れのあいさつもすることなく、両方がふいふいといつとも知れず別れてしまっていた。そしてそのイメージだけが淋しく両方の胸の中にやるせがらせて、浮かんでいた。それがすべてであった。
1958.2.10 Monday

1958.2.10

私はあまりに思い出のために力を入れすぎるのだろうか。後で振り返ってみて、楽しく思い出せることならと何でもしでかす。
 私は今日答辞を読むように言われた。もちろん自分で今から書く答辞をである。断っても断り切れぬことは明らかであるから、どっちみち受け入れるのならはいはいと素直に受け入れようと言う気持もあったことはあったが、それ以上に答辞を読む経験に対する未来の日の楽しかるべき思い出が私を支配していた。高校を去るに当たって答辞を読む経験者は一校に一人なのである。ただ”起立””着席!”で卒業式の初めから終わりまで、腰の往復運動ばかりしていることより少しは思い出も深かろうかと考えたからであった。

1958.2.11 Tuesday 1958.2.11
今日が問題の日なのだそうだ。
紀元節復活、いや反対と、去年もそうだったが、また今年もやかましいことである。自分の誕生日にこれまでどれほど力を入れたお祝いをやって来られたのかは知らないが、復活せねばと、躍起になった唱道者の声を聞いていると哀れにさえ感ずる。まったく馬鹿らしいと思わざるを得ない。
 第一紀元節を知らずに成長する国民がこれから次第に多くなって来るのは事実である。後、数十年後には、今頃復活委員長ぐらいの人はおそらくあの世行きの飛行機にでも乗り込もうとしているに違いない。冥土の土産に紀元節復活をついにいたしました、と彼らが言うだけのことに紀元節がなくとも全然不自由を感じない私たちの成長層の国民が協力できないのは当たり前である。
 時の流れに任せれば、自然復活派の勢力が弱まるのは見えているが、なかなか毎年毎年を無事に乗り越えるのは骨が折れることだろう。


◆未来を生きるためには、今日を生きねばならぬ。
         Kiichiro Abe

◆単語を引いているとノックの音がした。
「暑いでしょう?」
と、盆の上にジュースをのせて、和服を薄く着た夫人が入ってきた。
窓に寄り添うと、やや暮れかかった窓を眺めながら、二言、三言、言葉をかけた。夫人は両手を後ろに廻して窓にもたれながら彼を見つめた。
 彼は夫人から見つめられていると意識すると、ひどくうろたえて、上唇を噛んだり、首をひねったりしながら、俯いた顔を上気させていった。夫人の何か遠くを、自分の顔を通って更にその奥を見つめているような、濃い瞳の色を見ると、まったく我を忘れて目を書物の上に注ぎ込むのだが、血の多すぎる頭には二度も三度も同じところを読み返しても分かりにくく、それでも、仕方なくページをめくっていった。今まで、そういったときには、何か甘えたいような感傷が走ることがあった。そして今の場合、それは何か異様なまでに高調した、彼のまだ知らぬ生々しい雰囲気で覆われていた。
 夫人は今の今まで自分は彼を、遠い昔の忘れがたい思い出の中に躍動させてロマンティックな夢にふけっているだけに過ぎないのだと考えていた。しかし、それは見せかけに過ぎないことを知って愕然とした。しかも喜びさえした。
 追憶の瞳は愛欲の瞳の単なる見せかけに過ぎなかったのかも知れない。男---一番彼女の手近にいる男として、彼は、女の満たされない愛欲の日々を補う役目をさせられようとしているのだ。餌食を目の前にした、女の肉体の身震いが、妖しく、彼を取り囲み、息苦しさに窒息しそうになりながら目を本の上に注ぎ込んでいた。
 つと、女は立ち上がると、柱に寄りかかって思案顔に肩で息をしながら、柱のスイッチの上にそのしなやかな両手を重ねた。そして体重をそのスイッチの上にかけた。何でたまろう。明かりは音を立てて四散しスイッチは夫人を跳ねとばした。と、彼の上にしなやなかに投げ飛ばされていた。
 よろめいたようにして彼の上に身を投げ出し、しなやかな手で彼の顔をしっかりと包み込んで、火と燃えた赤いくちびるを彼の火照った顔の上にどことなく降らせながら、かすかにおののく息づかいは彼にすべてを忘れさせ、女は男をベッドの上に押し倒した。
 漆黒の中に狂おしい女の手は彼を探り彼を抱きすくめ、身を彼の上に覆い被せて身体を激しくすり寄せながら、なよよかな誘いの手は彼から着物をはぎ取っていった。くちびるの離れた一瞬が、理性を取り戻す気になるのを恐れるように女のくちびるは粘っこく吸い付き、彼の口を噛み、彼の頬に熱く燃えて。女の誘いにすべてを自分に承諾した彼は、その哀れな女体に激しく襲いかかって行った。あの慎ましげな夫人が情欲に狂って、歯の間からもらす歓喜の頌に、女を虐げたい男の欲念は、目を覚まして。
 酔いしれて。探り合う、素足の生暖かさ。求め合う口のささやき。一寸でもと相手を手元に近づけたがる手のしびれ。むせ返るような夫人の臭いの中に歓喜は激情を呼んで思わずすすり上げる脆き二つの性の会合。その一瞬、彼が初めて知ったその一瞬、朝の大河に日の光の煌めくがごとく一瞬の緊張が、彼の身体をどおっと通り過ぎ、女はああっと彼をきつく締め付けた。
 知保家ほど神の祝福を受けた家庭はないように思われる。天賦の美しさともいうべき、女性的な美をこの母娘に惜しみなく与えている。だから今日彼が東京駅で娘の美子に初めてあった時ほど、彼が驚きもし、戸惑いもし照れたことは一度もなかった。九州の片田舎から丸一日、汽車に揺られてやっと着いた東京駅にスーツケースを降ろして肩をぐっと後ろに引きつけおもむろに横を向いたとき、彼女がそこに立っていたのだ。
 視線が合うとちょっと下に下ろしてすぐに向き直った彼女は口許にはくすぐったいほほえみを浮かべて「後前さんですか」
彼がうなずくと
「お迎えに参りましたの」
と、その滑らかな光沢のある軽く弾んだ声がぴちぴちと赤いくちびるの間から彼の耳に快く飛んできた。
長身ですらりとした身体の上に輝くような美しい顔を見たとき、確かに彼の東京は一度にその大きさを増したように思えた。
 汽車が東京に近づくにつれて彼と彼の故郷との縁は遠くなっていくのは事実だったが今こそその絆がぷっつりと切られたかのようであった。すでに彼の心には、あらゆる旧世界が消えてしまっていた。そして新しい世界はすでに始まってのだ。しかし、何と小さい世界であろう。不案内ものの常として彼の目には何ものも映っていない。まだじっくりと目を落ち着けて一つのものを見るにはあたりはあまりにも暗すぎる。
1958.2.11 Tuesday

1958.2.11 答辞(注:2月22日の卒業式に読んだもの。2月11日に原稿を書いている)

 寒さのうちにも春の薫りがほのかに感ぜられる今日の佳き日来賓各位ご臨席の下 に盛大なる卒業式をお挙げ下さいましたことは私共身に余る光栄で心からの感激 を覚えずにいられません。

  只今は教育委員会殿の御告辞、来賓各位の御祝辞並びに校長先生の御懇篤なる御 訓辞、在校生諸君の心からなる送別の辞を頂きまして、この仕合わせの瞬間にわ きあがる感奮の情おさえがたいものを覚える次第でございます。
 

  思えば私共が本校入学の喜びに胸躍らせ憧れのこの校門を潜ってから早や三歳あ るいは四歳この不可思議な時の流れは私共をして否応なしに今や卒業という現実 に立たせているのでございます。 卒業という現実に直面いたしまして(私共は今更のように)懐かしい思い出の数 々・・・それがどんなにささいなことであっても、思わず抱きしめたいほどの愛 着を感ずるのでございます。

  この良き私共の郷土。西に秀麗なる普賢の峰、東に清浄なる有明の海。このすぐ れた環境に恵まれた私共の学び舎。上に御熱心な諸先生方、下に活気あふるる在 校生諸君。思えばまことに仕合わせな私共であったと言わねばなりません。

 しかし、その私共の高校生活も今日限りと思えば喜びのうちにも哀愁の情をを催さ ずにはいられません。 本校での青春の日々は永久に思い出として私共の人生のあらゆる日に美しい心の よりどころを与えてくれるものと存じます。 諸先生並びに在校生の皆様本当に有り難う御座いました。私共は今日を限り勇気 をふるってこの学園を船出いたします。

 果てしない時の流れの一瞬において奇しくも三年または四年の間、学び舎を共に した私共卒業生一人一人は、明日から実社会へ、上級学校へ、或いは家庭へとそ れぞれ異なった道に一歩を踏み出さねばなりません。 しかし、常に本校卒業生としての自覚とほこりとを持って自らの道に邁進する覚 悟で御座います。
 

 私共の前途には洋々たる希望の大海が広がっています。しかしながら、明日から の人生行路には幾多の嵐が立ちふさがっていることでしょう。ある時は宗谷丸の ように氷に閉じこめられぬとも限りません。私共は本校で得た能力と体力とを もって自らの力で困難を乗り切るよう努める覚悟であります。 しかし、宗谷の大船にしてバートンアイランド号を要しました。どうか在校中同 様の御鞭撻と御指導とを賜るようお願い申し上げます。

  私共の存在が本校の歴史に果たしていかほどの足跡を残しえたかと思うとき、まま ことに心許ない思いがいたします。在校生の皆様。どうか良き先生方のご指導の 下、明日からの本校によりよき発展を遂げるよう希望いたします。惜別の情綿々 として尽きませんが、東天に昇る朝日のように、勇躍処女航海に出帆いたします。

 では校長先生はじめ諸先生方並びに在校生の皆様の御多幸と弥栄(いやさか)を 切にお祈り申し上げます。 卒業生一同に代わり蕪辞をつらねて答辞といたします。

昭和33年2月22日 長崎県立島原高等学校            卒業生総代                                               阿部毅一郎

1958.2.12 Wednesday

1958.2.12

 いよいよ卒業ですね。卒業式はもう済みましたか。私の学校では二月二十二日です。ところで卒業式が近づくのを一番嫌がっているものをご存じですか?
「えっ、分からないですって?」
 お忘れですか、あなたの解析��の教科書。ほら、お友達と卒業式に破ってしまうと約束された。可哀相な教科書のために私は目にいっぱい涙を溜めています。後ろで生木を燃やしながら。
 あなたの優しいお言葉に心を動かされましたが、どうも私の十八歳は幸福な年に終わりそうにありません。と言うのは、私の大学の落第率がきわめて安定した高率にあることです。ですから、一年しかたなく浪人する覚悟です。しかし、こういうときには早生まれは得ですね。つい先頃十八になったばかりですもの。もっともあなたから見れば私は満十七歳にしか見えないようですけど。

1958.2.13 Thursday 1958.2.13
あらゆる人間が照れている。自分の現在の位置は期せずしてそうなったものだから。××らしく見せるために、○○らしい人間であるために。
私は二人の弟の兄貴であるし、後二三年もすれば叔父さんになれるかも知れないのである。十八歳だから夫の座にももう這い登れる。

◆あなたが最も女性的な心理の動きとおっしゃった、あの月夜のベランダのナターシャやダンスの場面の彼女がワレワレ男性にとって最も魅力的な存在であることを白状すれば、あなたは創造の主の御力に改めて賛嘆の声を上げられるに違いありません。悔しくて仕方がないとおっしゃるときのあなたが私にはとても可愛らしく思えます。
「可愛いだなんて私はあなたより年上です。」
とおっしゃられても、私は
「しかし、創造の神様が・・・」
とこのときだけはあなたに反駁するでしょう。あなたにとっては創造の神は信仰の対象かとも思いますので。あなたには効果が強かろうかと。もっとも
「私の信仰の主をこういうところに登場させて怪しからぬ」
とでもおっしゃれば、私にはもう出すべき神様は存在しないんですけど。
1958.2.14 Friday 1958.2.14
 人にとって自分の弱点を握られることはどんなにか嫌なことに違いない。そしてその弱味に付け入ろうと、常に策している相手であれば、その嫌さは頂点に達しよう。
 女の中にはそういうタイプのものが多いような気がする。ちょっとした弱味も彼女らに見せることは禁物である。もっとも彼女らにとって唯一の実力手段が男の弱味に付け入ることなのであるかも知れぬが。
 私は直行型だから、弱味を相手に提供して、その駆け引きを楽しもうなどという気持ちが起こらない。弱味に付け入ったような奴はどこまでも嫌な気持でしかつきあえない。

◆驚いたことだが、ご自分でご提出なされた問題をお解きになれない試験官に私はたまたま出会う機会を得た。もちろん、我が愛すべき学校の一教諭であらせられる。---そのお方は。
 しかも、その先生の依怙贔屓ぶりには今までしばしば驚かされてきたが今度は完全に私には暴露されたも同然、明らかとなった。
 物理学の計算では、勝手に解答にまで自分で勝手に設けた定数とか、変数を用いることは御法度であることは不文律みたいなものである。普段ならば解答法の注意として力説されるはずの---その先生にとっては解答をやるより諸注意事項をやらせた方が適している---ものでも、一人の愛すべき先生の申し子の為には、敢えて”いや、構わないです”とおっしゃる。そして一点の減点もなければ、一点も加えてやるような不正な真似もされずに厳格に満点をおつけになっていられる。まことにあっぱれと申すべきだと私は言葉も出ないほどの感心(寒心?)を感ずる。しかも、ご自分にも正解の分からないところでも、私のには私心なく×がついている。
 不完全だということは分かっていても決して完全な間違いではないところが私には三カ所ほどあるにもかかわらず、常に厳正な採点者であらせられる先生は美しき0点をお付けになっていらっしゃる。
 先生とお別れできる幸せを私ほど心から感ずるものもあるまいが、面白き先生として今後のいやさかをお祈りする次第である。天下は広いからこういった先生は粗製濫造の折から数多いることであろうが、おそらくこれからは出会うことはあるまいと思えば、ほっとするのである。
1958.2.15 Saturday 1958.2.15
◆私はかつて悪意というものを持ったことがない。
◆十四日がわずか二週間であることを知るがよい。そしてその二週間が試験日までの残された日数であることを。
 今、一秒を無駄にすることは一年を無駄にすることになりかねない。真剣に、焦らずに、ベストを尽くすこと。
 私は今日ですら漫画本を三、四冊、本屋で立ち読みすること一時間。日記を書くこと半時間。等の大無駄をやっている。嘆かわしい、嘆かわしい。
1958.2.16 Sunday 1958.2.16 中島光恵さんに第九信
 親が自分は子供に愛されていると信じこむ大胆さはこれに匹敵できるものがない。それ故、愛される親であるよりも愛される社会人、愛される職業人であろうとする。
 すでに彼らは自分たちを愛される親だと決め込んでいるのだから、そっちの方向に××たらんとするより愛される範囲を広くした方がましだというのであろう。
 あにはからんや、子にとっては親ほど嫌いな人種はないものだってあるのである。自分の家(うち)で窒息しかかっている子供に遠くに行けば我が家が一番懐かしいものになるものだと教えたところで、信用されまい。懐かしみの対象たるべきものの建設を怠った親にどういう懐かしいみを抱けというのだろう。
1958.2.17 Monday 1958.2.17
◆良いことならば目的はいかなるものであれする価値がある。

◆青年にとって恋愛意識と性意識がともなわないことを知らぬことは危険である。

◆年中黙りこくっていてたとえ口を開いたときどんな立派なことを言おうと、決して面白い人間とは思わない。それは口を持った人間によりも、時々引っ張り出して読む愛読書にでも任せるべきタイプである。

◆お前に後百年間の寿命をやるから、自分に必要なだけ取れ、お前の好きな日に死なせてやろうと言われたとする。やはり百年ギリギリ目の二月十六日を死ぬべき日に指定するだろうか。
 後何年生きるにしても、自分の死ぬ日がわかっていない方が良さそうだ。
 ---実際はそうで、それが明日とも限らないのであるが、少なくとも後四十年は生きたい。
1958.2.18 Tuesday 1958.2.18 特別急行券購入(300円)
旅には憧れていても、今の私には思うに任せない。色々と行ってみたいところを思ってみたりもする。
 今までは多分にロマンティックに無理にこじつけたりして外国ならスイスなどと言っていたが、今ではあまり興味がない。それよりもアメリカとかイギリス、フランスなどに行ってみたい。
 まず、ロンドン、パリ、ニューヨークが私の行きたいと思うところである。
 私たち日本人は外国旅行というと大したことに考えがちだが、余所の大方の国々が、陸続きであることを忘れている。彼らにとっては、歩いてでも隣国へ行ける。一メートル向こうが外国だというところもあるのである。
 私たちが東京へ行くのと同じくらいの気持で外国旅行を楽しんでいるのであろうか。うらやましいと思っても、それが直接に生活感情に結びつかないくらいに私にとっては外国は遠い存在ではある。
1958.2.19 Wednesday 1958.2.19
△人の一生を誤らせるのは認識力の欠如である。

▲誰からも好かれることは誰からも嫌われることに必ずしも勝らない。

▽青春期にあるすべての男女は心の中におおよそ”あの人”となら結婚しても良いと思っている。あらゆる利害関係を抜きにした純粋さを持って。

▼人はまったく孤独である。たとえ抱擁の瞬間でも、快楽の頂上にあっても、その感覚を、激しいまでに孤独の一人、一人になって味わっている。あらゆる他人から隔絶した己れ自身が二人の愛情の結ばれた瞬間にさえ、孤独の殻をあえて脱ぎ捨てない。
 ある時、そんな私に淋しいと思った。

○自分の意志以上の力が自分自身にあるのを、少なからず恐れている。

◎あらゆる物が、最も美しく見える角度を持っている。できるならその最も美しく見える方向から物を見つめたいと思う。
 人をまさか肛門から見ようとする人はなかろうが、えてして顔などの一番見にくい方向から見て、ケチをつけたがるものがいるものだ。その一番美しい顔ですべてを評価して、損なことがなぜあろう。
1958.2.20 Thursday 1958.2.20 K.Kさんのところへ行く

◎あらゆる人々が感情を丸出しにする世の中はいったいどんな性格を持つだろうか。
この世に住んでいる我々には絶対想像もつかない。
全部が違って来よう。
それほど我々は感情を抑えているのだ。
好きな人にも好きだとは言わないし、嫌いな人にはほほえみかけてすましている。

○さて、卒業式は明後日、二十五日は島原を発つ。来月の三日は一次試験で、八、九、十日にはもし一次を通れば苦しみの最中というところ。
重大な一日一日であることをしっかり肝に銘じ落ち着いて進んでいこう。
1958.2.21 Friday 1958.2.21 猛島神社にK.Kと散歩

○憂きことのなおこの上に積もれかし、限りある身の力試さん

福島先生の中学時代からの愛歌だったという。
 今日この歌を私たちは送別として貰った。この歌には、少なくとも現在までの福島先生の歴史が含まれている。ただ単なる現在の思いつきの歌ではない。
 これからの私の人生航路、それは憂きことの連続であるかも知れぬ。しかし、その中でこそ私は憂きことのなおこの上に積もれかしと歌うのだ。限りある身の力を試すために。
そして逆境の日の福島先生が得られたこの歌の力づけを私がまた得ることができるとすれば、師の力の生命を私は感ずることであろう。 
1958.2.22 Saturday 1958.2.22 卒業式
◆霊宮公園へK.Kさんと散歩

◆卒業式と書いた後しばらくペンをとりかねた。
私の脳裏を色々な感情が流れてとめどもないのだ。
◆私にはまだ”卒業”したという感覚がない。明日からの時の流れが、それを養ってくれるであろう。
◆だから、今日まで私のかたわらにいた友人達とも明日から顔を合わせることもない、ということがはっきりした悲しみをともなって私に迫って来ない。
◆しかし、そういうことを考えるとやはり漠々としたものではあっても、何だかやるせない心持ちにならざるを得ないのである。
◆ただの一言も言葉を交わすこともなく、別れていった多くの友人(?)達。今日も大きな声で、しゃべりまくっていた可憐な女達。明日から彼らの姿をいったいどこに求めたらよかろう。永久という私の知らない時の彼方にすべてが去ったのである。去ったのである・・・。
◆人は独りでは出来上がらぬ。あらゆる環境の総合的な抽象性を少なからずその人格に宿すものである。この私は島原高校での三カ年の間のその一瞬一瞬を胸深く呼吸している。私の上に占めるこの時代は決してわずかのものではない。
◆校長先生は立派な式辞を下さった。昨日までの校長と見間違うようであった。誠実、知性、健康。常に留意せねばならぬ。肝に銘じて忘れまい。
◆思い返すと、ほんとうに素晴らしい高校生活を送ったと我ながら満足である。
◆確かに今日までの私は人生の祝福されたるものであった。明日からの私の人生には幾多の嵐が行く手を立ち塞ぐであろう。私はむしろそれを歓迎する。うち寄せる波頭に立って私はその決意を宣言したい。私は自分の限りない生命力に絶対の信念を持っている。あらゆる難関にうち砕かれ、絶望の淵をさまよう日よ、私に来よ。絶望の日こそ、私の明日の力だ。
◆私は今日、優等賞と、教育委員会賞で二つのアルバムを貰った。その二つのアルバムに、今までのわずかな私の過去と、これからの遙かな未来のある瞬間が私の人生を物語ることであろう。
◆親しくご指導を受けた先生方と、一応は別れた。またある日、懐かしい思い出と化した今日までの高校時代を話し合える日も来ることと思う。
◆あらゆるものを支配する時よ。御身こそは世界の王。私にこういう日記を今日はつけさせた。そして明日からも、永久に御身の僕たる私に。卒業の喜びの乾杯のために、美酒をなみなみとつぎ与えよ。そしてまた明日からの我に試練の日々を与えよ。
◆私を今日あらしめるすべての人々に感謝の念を奉る。
◆第3949号。これが私の卒業番号だ。
◆島原にいるのも後二日。美しき我が故郷よ、平安なれと祈る。毎朝六時に起きて、島原の様々な景色を脳髄深く焼き付けている。今日は霊宮公園にK.Kさんと行った。
1958.2.23 Sunday 1958.2.23
◆六時十分前起床。
雨の中、朝の暗きに、本光寺に散歩(?)。
◆草野先生宅を訪ねる。
午後二時頃わざわざ先生自ら電報を持ってきてくださる。激励を受ける。
◆整理して、持っていくものと残すものを分ける。迷うことしばし。机の中も空っぽになった。
◆勉強できぬ日続くこともう幾日、頭の中も空っぽになった。
◆夜、板倉周治、直人叔父さんと、祖母の来訪を受ける。思い出話に花咲き、談笑尽きず。
◆卒業祝いを四千二百円ほど全部で貰った。
植木忠 1500 古瀬善子  1500  松本勝  200  板倉周治 500 阿部鈴哉 300 板倉かつ  200 阿部弘子 セーター(3000) 高橋 200 乾 200
記憶し、恩を忘れるべからず。
1958.2.24 Monday 1958.2.24
○写真40円
○K.Kさんのところに行く。0時半→3時。
○乾さんところへ行く。
◆後少々で最後の島原の夜を夢路にたどることになる。
去る身、となってやはり感慨新たなるものがあるのは、人一般のことか。
またいつの日、島原に帰えりくる日やある。
私の今日までの時日を全部費やした島原。
別れの言葉を言う。さらば、さらば、
私の人々よ、さらば、幸福に生きて生きて。
◆人生の転機というものが、場所の変化によってもたらされることを知る。人為的に場所を変わることによって、私の人生に一時期を画し得るすばらしさ。不思議な悲しさ。
◆後十二時間島原の土の上にいる。しかし、いずこに行こうと私は島原の人ではある。人生の門が汽車にたくして、未開の道に私を通す、汽車に乗ることがそのまま人生の再出発を意味する面白さ。
私は明日汽車に乗る。
◆いざ進まん、いざ進まん。
◆人生、ただ前進あるのみ、常に若かれ、常に!(十一時八分記す)

1958.2.27 Thursday 1958.2.27
渋谷に行く。東横デパートで買い物。
目黒区平町178番地を歩きあてる。
外食だけで一日に百五十円はかかって少し痛い。なかなか東京を歩いてみると美人が多い。勉強時間が極度に少なくて頭が鈍った感じ。まだまだ田舎者の劣等感はなくなりはしないが、少しく平気になる。東京はやはり動きが激しい。生き生きとした足取りでまるで方向を持った急流があらゆる角度で入り交じって流れているような人の群れ。自動車の群れ。自分自身の内に向かった存在より、外界との接触する表面だけでの存在のような感じがする。外を歩く時には。

 



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