日記の部屋1958(04)/Diary1958(04)

 

(1958/3/10〜1958/5/2)

(2002/1/8掲載)




 

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年月日 曜日 日記本文
1958.3.10 Monday 1958.3.10 午前一時四十五分
東大の入試終わる。
結果は芳しからぬものになりそうである。
一年浪人せねばならぬと思うといかにも憂鬱である。
今日は良く歩いた。
お茶の水から飯田橋駅まで、同じところをぐるぐる廻ったり、やっとこさで出たいところに出たり、悪戦苦闘の末に白百合学園を発見したり、すっかり疲れ果てるまで歩いてしまった。汗が出るくらいだったが、ラジオによれば最高気温15何度かで四月半ばの温度とか。
1958.3.22 Saturday 1958.3.22(その1)
 東大の入試の結果がわかった。”落第”。
 君にこんな報告は本当はしたくなかった。しかし、もう時は逆には流れっこない。”落第”これが今日の私に下された宣告であってみれば、隠しておくわけにもいくまい。ついでにありのままを知らせれば、現役で島高から受けた三人の中の僕以外の二人はストレートで見事合格していた。もちろん心からのお祝いを送れる心のゆとりはあるつもりだ。
 さて、いよいよこれから後一年の僕のやらねばならぬことがはっきりして安心した。
 来年の今日、”合格”と君に報告できるように努めることだ。すばらしい目標が昨日までの漠々たる中から生まれ出たのだ。
 ストレートで入ることと浪人して入ることの価値判断は誰にでもできることだ。もちろんストレートで入るに越したことはない。それは非常に価値のあることだ。今となってはそれが私の手に届かなくなったことを悔やみはする。やはりストレートで入るべくもう少し頑張れば良かったと言う気持が起こってくるのは当然だと思う。確かに私には悔やむべき多くのことがある。そしてそれを悔やむのは今が一番適しているようにも思える。ところが私の心は今さらというのかそっちの方には見向きもしない。そして男らしく、けなげにも女々しい心の成長を抑えつけようとしているのだ。
 一撃”ガン”と打ちのめされたその傷が、私の心の全神経をまるで三味線のバチで弦を叩くように、うち鳴らしている。じんじんとまるで沈み行くような重たい振動だ。
 とにかく、落ちるだろうとは覚悟はしていた。だからと言って、その決定的瞬間の傷の痛みを全然受けずにはおれぬものである。その傷を細かく調べてみれば、あらゆるものに対する複雑なコンプレックスが絡み合ったものであることが分かるだろう。今急いで解きほぐすにはあまりに複雑なようだ。
 私は君に来年は確実に合格すると約束しよう。そして、本当に昨一年間を通しての私の煮え切らない態度からおさらばする。私は二言目には浪人する浪人すると言っていた。そしてその本望を遂げたわけだが、決していい気持はしない。やはり心に絶対に合格してみせるぞという意気込みを持たねばならなかった。
 一年。それは人生が余分に分けてくれたものではない。人生、そのもののやはり貴重な一年に変わりはない。だからもし私が浪人生活というものを意味のないただ入試のために犠牲とされたものと考えるならば、常に人生を真摯に生きるべき私の信条にもとることになる。あらゆる一瞬を私は真摯に生きねばならない。
 人間の価値判断はその人生の質によって決定されるべきものである。そして人生の質がなんら大学入試の合否に影響されるものでないと私は確信する。ストレートで入ればそれでよし、浪人を何年やろうと、それでよし、人生は与えられたものである。それをいかに優れた質たらしめるかが我々の問題なのである。
 私は今日浪人生活に踏み出す。言うならば今日は新しい人生展開の初幕の開く日なのである。ただその日をぼんやりと過ごし去るより、ここにこうした文章をつづることは何と意義のあることであろうか。新しい第一歩を踏み出さんとするには、固い決心が、意志が、必要である。
 私は、天は、私に浪人生活を与えた。なんでこの好機を逃してたまろう。その一分一厘までも完全に利用しきってやろう。
 ストレートで入ったもの、浪人はしても今日めでたく合格をつかんだもの、彼らには彼ら相応の心境が今、展開していることであろう。そして、今ここに、一人、浪人という一つの経験に突入した私が、ある心境を味わっているのだ。私にはストレートで入った人の心境が分からないように、私の気持は彼らには分かるまい。その点で私にはすこぶる貴重に思える。私はこの経験を丁寧に取り扱って、後日のために益あらしめたいと思う。
 『生あるもににはなお生を与えたまえ』だ。
 確かに発表の行われる前の私に比べて、今の私の方が生の密度は濃いように思う。私は張り切っている。決して、挫けないぞ。これからの一年をものの見事に生き抜いて見せるぞ、と。
 私は中島光恵さんから貰った言葉を思い出して何と確かな頭脳の持ち主だろうかと先ほど賛嘆したばかりである。
「貴方の発表の日が、一時に明暗をはっきり決定させるものではないことを願っています」と彼女は言ってくれた。私はこの言葉のためにも、今日を暗と考えまいと努めている。
1958.3.22 Saturday 1958.3.22(続き、その2)
 うずく心も今はすっかり落ち着いた。私は鏡の中で紅潮している。歯を食いしばって決意している。不死身、おれは不死身なんだと叫びたいくらいだ。
 一年は長い、ともすれば中途でぽっきり折れてしまわぬとも限らない。あまりにも張りつめすぎた鋼鉄は折れやすいことぐらい先刻私だって知っている。しかし、その鋼鉄が大きさを増すとき、それは確かに強くなる。私は、その大きな鋼鉄のビルディングの中央柱並の精神力を今日ほど私の中に感じたことはない。殴られながら、よろめきながら、ついに最後の一打で相手をぶち倒すファイトのボクサーでありたい。ロビンソンを破ったバシリオのように。
 私がもし東大に入っていたらえらいことになっていただろう。今こそ、このいい加減だった過去の私を客観的に観察できる立場に私はいると思う。全く、貧弱きわまる学力の東大生ができなくって感謝したいほどだ、その厳密な採点ぶりに対して。英語力、笑わせちゃ困る。外国の小説を一編だって読んでいない東大生ができてたまるものか、単語を3000語も知らない東大生が果たしていつ生まれただろうか。
 あまりにもいい加減だった私に対して振り下ろされた試練の鞭、私は裸身でその振り下ろされる方向と逆に身を持っていってその痛みを精一杯味わいたいところだ。
 人生がそう易々と運ぶものだと言うことに、私が慣れっこになったとしたら私は一生浮かばれない男として終わる公算が50%は高かったろうに。
 確かに私の勉強が社会的でなかった欠点は敗因の一つではある。社会が、私を東大生として認めるには、私の三倍の学力を持った私を提示すべきであることなぞにはてんで注意しなかった。ただ、いい加減に行き当たりばったりに、人にこびた勉強をこれまで続けてきたのだ。
 私という肉体的存在物は昨日も今日も少しも変わりなく、生物的に生きている。そして、そのことが何はともあれ一番大切なのだ。私は生きているのである。あらゆる未来を秘めて。
 まだまだ死の十字架までには長い年月がわたしのものであるはずだ。
 あらゆる人は、私以外の一切の人はなるようになれ、である。
 私の人生を、あるものを得る人生に私は神に誓ってすることを宣告しよう。それは、私の浪人生活を抜きにしたら確かに得られないものであるはずのものだ。我が浪人生活に幸あれ。
 いざ進まんか、我が新しき日々を!!
1958.5.1 Thursday 1958.5.1 メイデー
◆もう五月です。毎度のことながら、月日の流れを矢に例えた古人の賢明さに驚かされます。
 私が二月二十六日に東京に着いてからもう二ヶ月がたってしまいました。私を今急に田舎の環境に逆戻りさせたとしたら水と油のように弾き合う何ものかが、すでに私の中に形作られているでしょうか。
 毎日毎日をまるで時間に追われて生活しています。予備校生活もまだまだ私には本物になっていないようです。朝のラッシュアワーのものすごいことも、すでに経験しました。あらゆるものが私には新しく、今では慣れた駿台までの行き帰りのコースから一歩でも出れば、それはまさしく私の処女地に他ならないのです。私がやがては活躍すべき、我が東京はまだまだ私には南極大陸以上に未知な存在なのです。このことは私にとってすこぶる興味あることなのです。私は今、東京を吸収しています。

◆今日、池袋駅で白百合学園の制服の女生徒の後ろ姿を、ホームの最前列に見いだしました。
獅子文六が白百合の制服を見ると懐かしさを覚えるとか「娘と私」のなかで書いていましたが、私にもこの気持が湧いてくるのが当たり前なのでしょう。その女の子の後ろの列に並んで新宿行きを待ちました。
 電車が滑り込んできます。人の列がどうとドアの部分に分かれます。降りる客を待って一瞬でも早く乗ろう待ちかまえの体勢をとります。全部降りてしまいました。「だっ」と二人乗り込みます。しかし、そうまで混んでいません。人を押すことはありません。他人を押し分けることはありません。各々がさっさっと乗り込みさえすれば全部乗れそうです。私は女の子を見ていました。
 するとどうでしょう。彼女の右手はその隣の男の人を押し分けるように何度も何度もストロークするではありませんか。かえってそのために乗れないみたいなものです。一回その手が外れて・・・その瞬間だってパッと乗りさえすれば他人を無理に後ろに押すことはないくらいでした。その女の子はまたもその右の手で隣の男の人を何度も払いのけるようにするのです。それには男の人も呆れたように見えました。と、彼女はさっと乗り込み、すばやく電車の中程まで走って行きました。
 女の子と言ったっておそらく高校生でしょう。私はなんだか情けなくなったのです。そしてその女の子が憎らしくてしかたなくなりました。私が白百合の女生徒に期待するもっとも最後のものをまざまざと見せつけられては、懐かしい感情をその子にそう長く持ち続けることはできないではありませんか。白百合にこんな女生徒がいる!ついぞ夢想だにしなかったことでした。
 なるほど彼女だけを悪くは言えますまい。あのラッシュアワーのものすごい混雑にいつもいつももまれれば無意識ののうちにも反射的に電車の乗るときは右手で相手を後ろに押し戻すくらいのことはやって終いかねないものでしょう。
 しかし、やはり、見たくない光景ではあります。知らなくてよい光景です。我々が少しでも注意すれば、今少しはそういう嫌な光景に出会うことが少なくて済むことでしょう。電車が混まなくなればと言っていたのでは間に合わないでしょうから、少々、まるで知らない人の前だからと言わず、お上品な---そう、白百合という語感から感じられる、その上品な---態度をとるように努めたいものです。
1958.5.2 Friday 1958.5.2
「働かざるもの食うべからず」
 うまいことを言ったものです。今の私にとって必要以上に疲れることは致命的なものになりかねません。なぜなら、そこにはもう働く意欲も働く力もないでしょうから。ただ餓死していく自分を感ずることだけしかできないでしょう。
 自分で自分の食事を作らぬ限り私は一口のご飯も食べることができないのです。疲れたからと言って食事を作らないと腹はふくれません。するとますます疲れてまいります。疲れたからと言って食事を作らなくなります。ますますまいります。悪いことは更に悪くなりがちなものです。十分に計画のある生活を送らないことには私はまさしく死に直面させられるでしょう。ちょっと病気にでもなった時のことを考えますとぞっといたします。
 今の私はあらゆるものをなおざりにしてはおれません。食事のちょっとしたアンバランスは私の健康を害するでしょう。洗濯をちょっとやらないでおけば、私は江戸時代の薄汚れた”浪人”と少しも変わらなくなってしまうでしょう。それも健康にはよろしくありません。私のしょせんちょっとした・・・が私の命取りであることをはっきり認識しておかないととんでもないことになりそうです。
 張りのある生活というのでしょうか。このような生活をとにかく「全力を出してやっているな」と感じられる自分を見ることほど喜びはないものです。
 一日を、一日を、気力に満ち、健康に満ちて、規則正しく、暮らしていきましょう。
 私の生活が希望のある生活であると言うほど私に明るさを与えてくれるものは他にありません。
 今日もまた一歩、明日に向かって進みましょう。
あの私の希望の明星が明日はまた一段と明るさを増すことをお祈りしながら・・・・


五月二日記す:私の愛する日記よ。君とも今宵限りお別れだね。私の人生のある日の姿を、私のこれからの人生のある日に、思い出深く物語ってくれることを望みながらお別れする。
さようなら。

 



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