筆者、20歳、大学一〜二年生当時の日記の連載を始めます(2002年7月26日)
日記の部屋1960-05/Diary1960-05



 

(1960/1/8〜1960/1/10)(2002/7/28掲載)

(1960/1/11〜1960/1/15)(2002/7/30掲載)

(1960/1/17〜1960/1/27)(2002/7/31掲載)

(1960/2/1〜1960/2/10)(2002/8/10掲載)

(1960/2/11〜1960/2/29)(2002/8/14掲載)

(1960/3/4〜1960/3/30)(2002/8/15掲載)

(1960/4/4〜1960/4/26)(2002/8/16掲載)

(1960/5/13〜1960/6/20)(2002/8/25掲載)

(1960/6/23〜1960/8/26)(2002/8/29掲載)

(1960/8/26〜1960/8/29)(2002/9/2掲載)

(1960/9/1〜1960/9/9)(2002/9/9掲載)

(1960/9/10〜1960/9/17-2)(2002/9/12掲載)

(1960/9/17-3〜1960/9/22-2)(2002/9/13掲載)

 




 

日記の部屋1956〜1959indexへ

1956(01)へ 1956(02)へ 1956(03)へ 1956(04)へ 1956(05)へ 1956(06)へ
1956(07)へ 1956(08)へ 1956(09)へ 1957(01)へ 1957(02)へ 1957(03)へ
1957(04)へ 1957(05)へ 1957(06)へ 1957(07)へ 1957(08)へ 1957(09)へ
1957(10)へ 1957(11)へ 1957(12)へ 1957(13)へ 1958(01)へ  1958(02)へ
1958(03)へ 1958(04)へ 1959(08) 1959(09) 1959(10) 1959(11)へ
1959(12)へ 1960indexへ 1960(1) 1960(2) 1960(3/4) 1960(5/6/8)
1960(9)へ
1960(11/12)へ   1963へ  

 
日付index

日記1960(1960/1/8から1960/9/22)

1960年1月
1960/1/8 1960/1/9 1960/1/10 1960/1/10-2 1960/1/11 1960/1/12
  1960/1/14 1960/1/15 1960/1/16 1960/1/17 1960/1/18 1960/1/20
  1960/1/21 1960/1/22 1960/1/23 1960/1/27
1960年2月
1960/2/1 1960/2/4 1960/2/7 1960/2/8 1960/2/9 1960/2/10
  1960/2/11 1960/2/13 1960/2/15 1960/2/17 1960/2/18 1960/2/21
  1960/2/23 1960/2/28 1960/2/29      
1960年3月
1960/3/4 1960/3/14 1960/3/14-2 1960/3/23 1960/3/30  
1960年4月
1960/4/4 1960/4/12 1960/4/26      
1960年5月
1960/5/13 1960/5/20 1960/5/30 1960/5/30-2
1960年6月
1960/6/3 1960/6/7 1960/6/7-2 1960/6/8 1960/6/13 1960/6/15
  1960/6/16 1960/6/16-2 1960/6/20 1960/6/23 1960/6/23-2 1960.6.28
1960.6.28-2          
1960年8月
1960.8.5 1960.8.20 1960.8.20-2 1960.8.20-3 1960.8.26 1960.8.26ー2
  1960.8.27 1960.8.29        
1960年9月
1990/9/1 1990/9/3 1960/9/7 1960/9/9 1960/9/10 1960/9/11
  1960/9/13 1960/9/14 1960/9/15 1960/9/16 1960/9/17 1960/9/17-2
  1960/9/17-3 1960/9/18 1960/9/19 1960/9/20 1960/9/21 1960/9/22
  1960/9/22-2 この日記はここで完了        

日付index
日記1961(1960/11/28から1961/7/20)

1960年11月〜12月
1960/11/28
1960/12/1











 

1959年8月 1959/8/7 1959/8/8 1959/8/10 1959/8/11 1959/8/12 1959/8/13
  1959/8/14 1959/8/15 1959/8/16 1959/8/17 1959/8/18 1959/8/19
  1959/8/20 1959/8/21 1959/8/27 1959/8/28 1959/8/29 1959/8/31
1959年9月 1959/9/1 1959/9/2 1959/9/3 1959/9/4 1959/9/5 1959/9/6
  1959/9/7 1959/9/8 1959/9/9 1959/9/10 1959/9/11 1959/9/12
  1959/9/13-1 1959/9/13-2 1959/9/14 1959/9/15 1959/9/16 1959/9/17
  1959/9/17-2

1959/9/18

1959/9/19 1959/9/21 1959/9/22 1959/9/23
  1959/9/24 1959/9/25 1959/9/26 1959/9/28 1959/9/28(2) 1959/9/29
  1959/9/30
1959年10月 1959/10/1 1959/10/2 1959/10/3 1959/10/4 1959/10/5 1959/10/6
  1959/10/10 1959/10/11 1959/10/19 1959/10/20 1959/10/21 1959/10/22
  1959/10/23 1959/10/24 1959/10/25 1959/10/28 1959/10/29
  1959/10/30          
1959年11月 1959/11/2 1959/11/3 1959/11/4 1959/11/5 1959/11/6 1959/11/11
  1959/11/13 1959/11/19 1959/11/25
1959年12月new 1959/12/1 1959/12/12 1959/12/17      

年月日 曜日 日記本文
1960.9.1 Thursday 1960.9.1

日中の暑さはまだかなり厳しい。だが、朝夕はめっきり涼しくなった。今夕も雷雨が激しく、その湿りを含んだ風が肌寒いくらいに部屋の中に吹き込んでくる。
今日から秋。
--秋はいい。私は好きだ。さえ渡った空の爽やかさを私の頭はいつも欲している。夜空も一段と美しく星をちりばめることだろう。人類共通 の空への憧れ、エコー衛生は今度も我々の頭上を巡っている。名も知らぬ、数々の星座。今年の秋こそは、星座表を手に神秘な星の世界への探検をやってみたい。
 天馬ペガサス、王女アンドロメダ、王ケフェウス、王妃カシオペア、ペルセウス、すばる、etc.
夜空の星は、我々を遠いギリシャの神話の世界へと誘い込み、はたまた、最も最新の科学の世界への橋渡しをする。
 宇宙の壮大さを思うとき、五尺の身の悲哀は尽きない。何と計り知れぬ神秘に充ち満ちた宇宙であることか。自らの知に溺れた傲慢を星くず一つでさえもが吹き飛ばしてしまう。
1960.9.3 Saturday 1960.9.3

C'est aujourd'hui le Samedi 3 Septembre. J'ai Tu as Il a Nous avons Vous avez Ils sont
◆北野恵子さんより手紙、写真四葉同封。

◆災害は忘れた頃にやって来る、という。
 忘れた頃にやってくるのは災害ばかりではない。もっともこれは一種の災害に属することかも知れないが・・・。
 すなわち、ある事実に対する、その最も本質的なところをわざと避けた非難である。人々がその事実に対して一応冷めてしまって、その事実の中にあっては正確に判断しうる資料に不自由しなかったのに、今となってあの事実はこうだったのだと歪曲された資料を突きつけられて、もっともらしく非難されると、そうだったのかと思ってしまう。
 こういう現象が昨今の安保反対闘争に対する評論の中に見られるようである。ずるいやり方だが、これは非難されるべきものが相手にばかりでなく、こっちにもありそうである。こういう巻き返しは当然予想される種類のもので、あの激しい闘争の渦中では黙して語らなかった者の口車に容易に乗せられる国民の側にこそ責任があるのである。
 事実は長く記憶され、尊重されなばならない。
1960.9.7 Wednesday 1960.9.7

C'est aujourd'hui le mercredi 7 Septembre.

生活設計を立てる上で、睡眠の占める位置は特異なものである。
 凡そ人間の生活の上で、体内の不随意筋と同じ位置を占めるのがこの睡眠であろう。不随意筋が止まっては命が危ない。消化が悪いから腸の筋肉を適当に加減して動かそうたって出来るものではない。睡眠は取りたいから取ろうと言って努力したところで、簡単にいくものではない。睡眠ができなくなってはそれこそ人生はお終いである。
 不随意なるかな睡眠。
1960.9.9 Friday 1960.9.9

◆ 間違いにも色々とある。間違いという以上、大抵しないで済むようなものであるが、人間が人間らしくあるためには大いに間違わなくてはならないものらしい。
 だがいくら間違うにしても、ユーモアのある程度で収まらない間違いは邪道である。往々にして取り返しのつかない間違いなんてのがある。間違っている方じゃ大いに人間性を発露できて愉快かも知れないが、間違わされている方じゃそれこそ人間性の否定である。
 ちょっとした間違いで9を7と書く。これで9月15日締め切りの原稿が7月15日に間に合わずに放棄される。努力を水の泡にした挙げ句9月15日間近になって本当の締め切りを知らされたんじゃ二重の落胆である。その原稿に掛けられた望みが大きければ大きいだけ落胆の度合いも大きい。主催者側では締め切り日以前に書き直しさえすれば罪は逃れられると思う。大して気にもしやしない。
 ああ、ちょっとした間違いよ。人の一生なんておよそ間違いの連続に過ぎないのだろう。

◆二人で本を読み合ったこともあった。「権利のための闘争」とか「社会科学方法論」とかの堅苦しいものから、シラーの戯曲をお互いにルイーゼになり、フェルディナントになり、カルロスになり妃になりながら、読み合ったのだった。あまり熱中してしまって、二人とも思わず張り上げてしまったセリフにアパート中に聞こえてしまいはしなかったかと顔を見合わせたり、お互いの俳優的才能に驚いて、涙さえ流しながらルイーゼの悲劇を演じたのだった。
「それじゃ、人からも神からもわしは見捨てられたのだ」と叫ぶ宰相の哀れさが時々彼らの頭に現実との酷似を思い出させ、皮肉な笑いを覚えさせるときもあった。
 二人でダンスパーティに行ったこともあった。背のすらりと高い彼女はその仕草がいかにも優雅で柔らかく、メロディのムードに軽々と乗るのだった。ジルバの激しいリズムは如何にも彼女の軽快な動きを際立たせ、ブルースの青い月の静けさは、彼女の、目の奥深く輝いている燃えるような情熱を思わせるようなものだった。
 二人で卓球をしたこともあった。
 彼女はあまりうまくなかった。けれども、持ち前の熱心さからたちまち上達して、彼も時とすると激しいスマッシュにたじたじするようなこともあった。
 だけどやはり彼らの上に強く支配していた空気は、今は出来るだけ社会的状勢を知るべき時であって、うかつに安易な時を送るべきでないというものだった。
年月日 曜日 日記本文
1960.9.10 Saturday 1960.9.10
C'est aujourd'hui le samedi 10 Septembre.
Sonnabend,den 10.Sept.
Saturday,10 Septembre

◆ 自分自身に少しでもかかわらぬものになると無に等しい関心しか示し得なくなる傾向は各人に強いものである。それが直接的な利益の有無のみに規定される傾向ではなく、当然待たれるべき関心が、各人の見落とし、不注意、例えば一冊の本を読んだか読まなかったかというような些細なことによって、芽生えることなく終わってしまう。
 人間の意識が活躍する範囲は考えてみると大変狭いものであって、それが各人に各人の性向となって現れるものであろうが、一つの関心の対象を増やすと言うことは、とりもなおさず、人間的な幅の増大として結実するであろう。
 関心の対象を増やすという作業は単に間口を広げることのみを意味するのでなく、奥行きも問題とされねばならない。
 自然科学の大家はよく人間的幅広くあり得るし、モンゴル史の大家にも同じことが言えるであろう。
 我々としてなすべきことは、できるだけ間口広く関心を持ち、一つのことについては関心を越えた情熱を注ぎ込むことである。

◆
1
肩を組もう    僕ら若い仲間
足並みをそろえ  緑の野辺を
行く手を見つめて 前進しよう
ああ若い春    若い足音

2
舞いを舞おう   僕ら若い仲間
ドラムを叩いて  真夏の海辺
全てを忘れて   踊り狂おう
ああ暑い夏    熱い血潮

3
歌を歌おう    僕ら若い仲間
リズムに合わせ  紅葉の山路
心を一つに    合唱しよう
ああ澄んだ秋   澄んだ歌声



4
スキーに行こう  僕ら若い仲間
雪煙上げて    白銀のスロープ
シュプール描き  滑り降りよう
ああ厳しい冬   厳しい試練

5
共に語ろう    僕ら若い仲間
暖炉を囲み    吹雪の山小屋
真を見つめて   語りあかそう
ああ厳しい冬   厳しい理想

6
山に登ろう    僕ら若い仲間
足場固めて    白銀の峰
心を合わせて   登り極めん
ああ       高い理想


1960.9.11 Sunday 1960.9.11
C'est aujourd'hui le dimanche 11 septembre.

 我ながらうまい思いつきだと思うような名案が今日この頃みたいな日には不思議と湧いてくるものである。今日この頃みたいというのは試験を間近に控えていて滅多なことには時間が使えないような状況を言う。だからたとえどんな名案であるにせよ、この時間不足故に試験後に回される。
 たとえば、これから日曜日毎に英語の説教のある教会に行って生きた英語を聞く機会を持とう、とか、この英語の本を百回位 読み返して暗記してしまおうとか、一日一冊必ず、本を読もうとか言った名案までが試験後に回されるのである。
 ところで、思い付きの良いものは忘れっぷりも良いものだからであろうか、それともこの頃特にこの種の名案が浮かんでくるところにその真の原因をまさぐるべきなのであろうか、これらの名案は試験が終わってからも一向に実行に移されない傾向が著しいのである。
 この名案の浮かんだ瞬間は今すぐにでも実行に移したいような意欲を多分に見せながら人間とはなんとまあ薄情なものかと名案諸氏はぼやいていることであろう。
1960.9.13 Tuesday 1960.9.13
C'est aujourd'hui le mardi 13 Septembre.
MARDI 13 SEPTEMBRE

今日教務課に行って法学の成績を貰って来た。『優』であった。法学ほどに私が自信をもって優を期待し得た課目はあまり類がない。試験の時、まさしく快調な答案が書けたと思った。我ながらうまく行ったと思った。試験が終わってからも、その時の名文句が幾度か頭に浮かんできた。そして実際わくわくするぐらいの期待で法学の成績を待ったのであった。ところが五月に発表された成績の中には、法学だけが抜けていた。答案未整理とのことだった。少々がっかりした。今日クラスの連中が教務課に行けば教えてくれると言っているのを聞きつけて、早速飛んでいった。期待に違わず、『優』だった。嬉しかった。
 こういう時の嬉しさというものは、自分の思想なり、考え方なりに対して、またそういったものの高さに対して、社会的に正当であるという保証を受けたという点に存するもので、またとないものなのである(社会的通 用性のない思想は、思想ではないのだから)。
 それにこの法学という課目が私の目指そうとする課目であり、その課目で優を取ったということが、嬉しさを更に増してくれるのである。法学部に行く以上、ここで優を取ったということは、出発点において祝福されてようなもので、なんだか前途に明るい望みを覚えるのである。経済学は先学期「良」であった。法学が「優」であり経済学が「良」であるから、法学部へ行くといったような選択方法は置くとしても、そこには、少し象徴的なものが感じられる。
1960.9.14 Wednesday 1960.9.14
《好きな曲》ベートーベン、ト長調のメヌエット(チェロ:カザルス演奏)

◆今私に病気が襲ってきたとしたらどうであろう。あらゆる希望が一瞬にして消え失せてしまいかねないであろう。なんとなれば、十六日から三学期の試験が始まる。その試験が受けられぬ ことになるからだ。些細な病気のために、私自身の未来の道向が著しく曲げられてしまうであろう。病気は一体如何なる原因で始まるのか。たとえそれが不可抗力的原因で始まるにせよ、今だけは、それを始まらせてはいけないときなのだ。
1960.9.15 Thursday

1960.9.15
 他人の文章を読むときしばしば感じることなのだが、一人合点の文章が多すぎるようだ。特にこの教養学部内で発行されているような、各種のビラだとかパンフレット類には、文章として如何にも読みづらいものが無数にある。

「・・・なのである。」と大見得を切った文章で、その内容も貧弱なら、文章のうまさも拙劣なのがなんと多いことか。駒場祭ニュース第一号の第一ページに、「委員企画について」という阪本哲郎という人の文が載っかっている。私にはこの文が非常に幼稚なものにしか思えない。全く書きっぱなし(例えばこの日記のような)の無責任さが目立って、これじゃ駒場祭委員会なるものに大した期待も寄せられそうにないと言う気がしてくる。例えば、次のような文章がある。

「本部企画はスローガンないしは統一テーマとよばれる基本態度に従って企画されるもので、このスローガンないしは統一テーマが重要な問題となって来るのである。」

 この文章、一個の読点がほぼ文の中央にあって、「・・・ので、・・・である」という形をしている。この「ので」という表現は前段で理由を示し、後段でその結論を述べようとする形式なのであるが、この文章にあっては、少しも、前段の「理由らしさ」、後段の「結論らしさ」がはっきりしない。両者ともに強調されないままに放り出されている。この文章のまずさは、どうして「重要な問題になってくる」かが、重要な問題であるにもかかわらず、如何なる場所において重要なのかを示すべき前半の文章を安易に「・・・ので」で受け、後半の文章を空回りさせている点にある。

 この阪本君の文章は、前に引用したものとほぼ同様の長さの文章が、一節を形作りながら、あまり緊密でない関係で後段につながっていく形式を有している。題は、「委員企画について」であるけれども、一向にその委員企画らしきものは現れず、阪本君個人の物の見方とか考え方とかが、主として現在の政治情勢、学生は如何にあるべきか等に対して述べられているに過ぎない。

 最期の部分の
「現在我々に課せられている問題は多く、難しい。
 その一つ一つを裏の裏まで究明することが、今なさねばならない我々の義務である。 
 以上が今考えている本部企画の基本態度であり、大体この線にそって企画して行きたいと思っている。」
 は、一応、題にそぐわしい結論をつけてみたつもりなのだろうが、「大体この線」と言われても、何がこの線なのか一向に要領を得ないのだ。

 「学生という身分は現社会体制の下では、必然的に支配階級の側に立つようになっている。ここに大きな悩みが存在し行動に踏み切れぬ 点となっている、が逆に考えると同時に無限の可能性をもっている。」(下線、筆者)

 一体逆に考える、とは如何なることを意味するのか。この後の文章をいくら一生懸命読んでもなんとも説明されていない。それに文法的には、最期の”もっている”の主語が何なのか答えられない欠陥がある。

「学生たる者、大学祭の本質は反権力的な批判にある。これは学生という何らの権力に拘束されない自由な立場から生まれるものなのである。」

 この引用文の冒頭の一文が、短いにもかかわらず、阪本君の頭の中の混乱を如実に示しているものとして興味深い。学生たる者の本質は云々と言う予定だったのに、急に大学祭を思いついて挿入してしまったところにこの文章のおかしさがある。あまりに意気込みすぎた結果 として、学生たる者、と仰々しく叫んでしまい、他のすべてのことを忘れてしまったのであろう。

 それに続く部分は、もう一つ前に引用した文との関連において見る時、「学生という身分」としては、「支配階級の側に立つ」ものでありながら、「学生という何らの権力に拘束されない自由な立場」と持つというのは、どういうロジックなのか分かりかねる。

「必然的に支配階級の側に立つ」という時、「それが何らの権力に拘束されない」ならば、一体、「支配階級の側に立つ」とは如何なることを意味するのか。

 その他、「政府の良い所・・・」云々から始まる文章にしても、自ら提起した問題には答えずに、「民主政治の根本」を持ち出して意味のない独断に終わっている。

 以上、自分自身の文章のまずさを棚上げにして、少々長々と書いてみたのも、つまるところは、自分に返ってくる問題があると思ったからである。決して、一人合点の文章も、論理の矛盾も、独断も他人の問題ではなく、私自身の問題なのである。

 阪本君の文章に見られる、総合的な見方の統一がなく、観念的な論断がばらばらに述べられている、欠点というものはとりもなおさず、私の文章の欠陥なのである。立派な文章が書けるように、常日頃努めていきたいものである。
(三時半)

明日の試験準備を開始する。

1960.9.16 Friday 1960.9.16

 神の存在を私は今日疑うことが出来なくなった。
 私は暗い夜の銀杏並木で、神の恩恵を全身に受けて、歓喜に身を震わせたのだった。思わず、《神よ》という言葉を発していた。このあまりにも至らぬ ところの多い私の、その至らないところを、はたして神の恩寵以外に何ものが補ってくれるというのであろう。神が私を至らなく作り、そしてそれを今日あまりにもはっきちと補ってくださった。ああ、私の人生は救われた。
1960.9.17 Saturday

1960.9.17
Sept.10 ,1960

Dear Kiichiro

My friend Mary Francis has already got a Japanese pen pal so she asked me to
write to you. I'm 171/2years old and have light brown hair and blue eyes.
I have a brother two years younger than me. I have just left Grammer School and I don't mind ball room danncing but I prefer modern dancing and....music best but I do like some crassical music and Joqy.

Grays is a medium size town very near the port of Tilbury which works in conjunction with the port of London which is only 20 miles from us.

My father works as a electrician in the docks.

We also live on the frenges of the cereal growing countries of England.

I see that Japan has gained more gold medale in the Olympic Games than Britain did ,so you can imagine that the great talking point here is why we did so badly at the Olympic Games.

Do you have Television we do?

What's the weather like is it hot all Summer or is it changeable and are the winters cold?
My favorite sports are swimming and tennis but like you I am a poor swimmer.

Your English is very goood indeed and I suppose it is a compulsory language taught in the schools.

I believe Tokyo is larger than London and must just like London be a mixture of the old and new.

With my next letter I will send you my photo and post cards of Grays.

I hope to hear from you soon.
Your pen pal

Alma
Address:Miss Alma Hancock
213.Ledge Lane,Grays,
Essex,England

***************
Today,Ireceived a letter from an English girl.It is an answer to my letter,which I sent on 29th Aug.

1960.9.17 Saturday 1960.9.17

今日で試験課目は三つ減った。成績の方は三つともあまり芳しくない。
第二語学がおよそ75点、人文科学の外文がおよそ70点、地学が75点程度であろう。
語学は共に応用で馬鹿な失敗をやってしまった。最初に考えたものを、次第に蚕食していくのが、自信のなさだろうけれど、元のままにしておけば少なくとももっといい点が取れたものをと思われる。
とにかく試験と試験課目を間違えて留年してしまいかねないことをやらかしての奮戦だ。後半で取り戻して行こう。

予想
独、良
外文、良
地学、良
年月日 曜日 日記本文
1960.9.17 Saturday

1960.9.17

◆ 日本にはいまだ真の国民的文学がない。
 ”我々のシェイクスピア””われわれの最大の詩的作品ゲーテの《ファウスト》”というような表現が可能な作品がはたしてあるだろうか。

 国民としての共通の財産として作家なり作品なりが存在していないのだ。国民がこぞって読み、国民のすべてにとって幾分なりとも精神的糧を与えうる作品、文学の最も本源的なものに還ろうとする時常に思い出されるような作品、しかも、全国民の前に最も広く開放されて文学の入門の役目もする作品。そんな作品が待たれる。

◆自分自身が如何に心の狭い男か、私の体中で今燃えている怒りを思えば、思い身につまされるものがある。これくらいのことでさまで心を乱されないでおれないものかと思いながら筆を執った。一つの鎮静剤のつもりでこのペンを動かしている。
 少しも怒る理由のないことを分析的に明らかにして怒りを静めてしまいたいと思う。でもこの怒りの最中で冷静な分析などできそうにない。ただペンは怒りの波間に彷徨うのみのようだ。

 

1960.9.18 Sunday

1960.9.18

◆ 他人の教科書を借りに来る奴がいる。私は主義からして貸し借りは好まない。そやつの弁やよし。
「ここんところ授業に出なかったから『書き込み』を見せてくれ」

 授業に出ないのが悪いのであって、それをあわてて試験間際で間に合わせようと言う根性からしてすでにいただけない。しかも、書き込みと来る。まるで先生がここんところは重要だから書き込みなさいと指示したがごとく、平均的重要性しか持たぬ 位に取り扱われる。授業を受ける側の主観的選択は全然考慮しない言だ。

 それに試験間近ともなれば更に詳しく調べもして自らの貴重な時間を割いての努力の結晶たる書き込みもある。むしろ私の教科書ではそれが多いくらいだ。書き込むためには厚い辞書を一々引いてやるのだからちょっとやそっとの努力で片づくものではない。少なくとも二晩がかりの努力がそのわずかかも知れぬ 書き込みにはかけられているのである。
 

 他の課目だって調べたいのは山々の貴重な時間を二晩もつぶしたまさしく汗の結晶なのだ。それを、
「授業に出なかったから書き込みを見せてくれ」
と来られたんじゃ頭に来る。しかも、自分がその教科書を見る権利まで剥奪しようというのだから、凄まじい。
「二課目あるんだろう、もう一つの方をやっててくれ」
で三時間以上も持っていってしまおうというのである。もちろん相手の要する時間はそれを書き写 すわずか 三時間半ぐらいで片づく。私が費やした貴重な二晩を他の課目に傾注して、その課目でもいい点を取るであろう。しかも、わずか三時間半の努力でこの課目でもいい点を取るであろう。

 浮かばれないのは私である。まず、貴重な二晩を他の課目に回していたらどうであろう。三時間半も他人に教科書を貸してやって、自分の思い通 りの勉強も出来ず、この課目でも悪くなる。

 それに私において一番問題なのは、以上のような理不尽に対して心が激しく乱れてしまい、その待たされる三時間半はもちろんのこと後々まで、勉強の意欲を欠いてしまうことだ。

 だからその影響するところはまったく甚大なものなのだ。もちろん、ノートや本の貸し借りの好きな連中にとっては何でもないことであろう。しかし、何にも私に利益をもたらさない変なやろうが飛び込んできて、ノートを本を貸してくれという。貸してやらないということも出来ず、渋々貸してやる。その結果 、私はノートだけでなく、記憶力も冷静な心もすべて持ち去られてしまう。残されるのは、疼くような不愉快な怒りのみである。
 

1960.9.19 Monday

1960.9.19

◆ おやおやと思ってみても今日はもう九月も十九日であり、例によって例の如く、我が、時間的認識力のフガイナサを嘆かざるを得ないはめに追い込まれる。さてさてと思ってみても、心が晴れないのは、今日もまた「良」以上の成績が取れなかったからであろうか。

 これはこれはとうなずけるのは試験ずれした私の感覚の図太さだけである。心が晴れずとは言いながら、なんとまあ落ち着いていることか。頼もしがるべきや否や。

◆予想
英語(梶木):良
社会思想:良(可に近い)

1960.9.20 Tuesday

1960.9.20
le mardi 20 Septembre

 17日の日記を見ればわかるように、あの日、イギリスの一少女から、先月27日に私の出した手紙に対する返事が来た。メアリー・フランシスに出したのだが、彼女にはすでに日本のペンパルがあったためにアルマ・ハンコックさんにその手紙が(私が要求したように)passされ、彼女から返事が来たのだった。

 17歳六ヶ月、薄茶の髪、ブルーの目をしたお嬢さんである。この次の手紙には彼女の写 真を同封してくれるそうだから今からそれを楽しみにしている。

 もっとも、彼女が見るからに貧相だったり、スタイルがおかしかったりだったら、それから先、文通 を続けていく勇気がなくなってしまうかも知れない。でも、早速写真を送ると行って来たぐらいだからそれほどそちらの方に気を回す必要もないとも考えられる。こういった懸念は彼女の方にもあるのかしらん。

 私は今度の返事で早速自分の写真を送ろうと思っているのだけれど、彼女の方で文通 の意欲を失ってしまったんじゃ、とんだやぶ蛇になってしまう。

 最初の手紙だけではほとんど相手の性格がつかめない。もちろん文通 の相手として不足な点は感じられないが、どんな話題が彼女にとって興味あるのかわからないから、返事を書く上で相当知恵を絞らなければならないだろう。

 彼女は現代ダンスが好きで古典的音楽やジャズが好きだという。それにスポーツは水泳にテニスが一番好きらしい。こういった点にのびのびとあらゆることをやっている少女のイメージを描くのだが、”あなたと同様私も好きだけど泳ぎはあまりうまくない”と言ってくるあたりに少々の才気が感じられる。

「あなたの英語は本当にすばらしい」と喜ばせておいて、「英語は学校で強制的に教えられているんだと思う」と来るあたり、悪くはない。

 とにかくこの返事に遙かなる海の彼方の匂いがある。青い目の少女が、この手紙に直接触れて書いたのだ。自らの手で糊付けしてポストに入れたんだ。遙か彼方の日本を思いながら、期待に胸をときめかしながら、そっと手紙を押さえてみて、静かにポストの中に落とす。
 

ある現実の一人の外国の少女の行動と言葉と、広くは英国を背景に持つ手紙なのだ。何かしら今まで遠くにあったイギリスという国に、親近感が湧いてくる。彼女もイギリスの現実そのものに他ならないのだ。二人が文通 を通してお互いのことも、お互いの国のことも、お互いの国の若い人たちの考えることも知るようになる。

 末永く美しい文通を続けて行きたいものだ。

1960.9.21 Wednesday

1960.9.21

今日は試験はない。
予想番付

1.絶対に「優」が取れないと」確信するもの。

○梶木英語(単位 1)・・・・・・・・結果(優)
○山下独語(単位 1)・・・・・・・・結果(優)
○岩淵独語(単位 1)・・・・・・・・結果(優)
○道家独語(単位 1)・・・・・・・・結果(良)
○地学  (単位 4)・・・・・・・・・結果(優)
◎社会思想史(単位 2)・・・・・・・・結果(優)

(○は良の可能性、◎は可に近い)

2.優の可能性はあるもの
経済学  (単位 2)・・・・・・・・結果(良)


◆残るは後一課目のみ。語学は全滅のピンチか

(注)結果は後日、赤鉛筆で書き込まれたもの

 

1960.9.22 Thursday

1960.9.22

 筑摩版、世界文学大系のうち、メルヴィルの『白鯨』を購入した。
 かねていつかは読みたいと思っていた書物である。この本に関する批評や、評論を、ことある毎に読んではますます読書欲を駆り立てられていた。

 おおかたの批評がーその批評が今日存在しうる条件であるかの如くー絶賛を惜しまず、大傑作のトロフィーを、この『白鯨』の上に与えていた。いつも持ち出されるのが、そのスケールの大きさであり、その海洋的叙事詩性であり、深遠なる思想であった。メルヴィルの全思索が、この書の中に注ぎ込まれているとは良く言われていることである。そしてあらゆる書評が、必読の書、最高傑作の一つとして推薦する時、私の、肺臓のように充血した弱々しい読書欲が、容易に肺臓ジストマに食い破られたのは、全く当然だったであろう。

 私は今期待と昂奮に身を震わせ、この書の戸口に忍び寄ったところなのだ。はたして私の期待は充たされ昂奮は激しい感激に変わるだろうか。

 

1960.9.22 Thursday

1960.9.22

 さて、私のこの日記も終章を書くときが来たようである。
 この日記をつけ始めたのが一月八日だから、今日まで約九ヶ月半の私の生活が記されたことになる。

 この日記の最初の部分は私が成人したころの新鮮な感情が吐露されており、中盤から終盤にかけては安保闘争に関する記録が多く見られるようである。

 思えばこの日記、私の二十歳時代の劈頭という重要な位 置を占めている。そう言う意味でこの終章を書くことは、私の二十歳台の半ばという時点からの反省という意義を有するであろう。

 成人という人生の一つの大きな岐路に立ったと言うことが私の行動や思想の上に如何なる反映をしているであろうか。

 運命論を克服する一つの手掛かりとして、人間が自らにその理想像を実現しようとする存在であり、一つの行動を行う場合において、常に、たとえ、そこに神の摂理があったとしても、自らの意志の決定に従っているという事実が考えられる。

 しからば単純に、今日の私が選択された理想像であると鵜呑みに出来るであろうか。私は常に私の意志の最終の決定者たり得たであろうか。一つの選択によって他を捨てることは確かに私を理想像化する一つの要因たりうる。しかるにその選択の中に、正しい価値判断と事実認識が欠けるならば、今日の私という存在そのものはある意味で確かに理想像的存在ではありうるけれど、私にとってはなお理想に遠い存在と言わざるを得ない。

 正しい価値判断からなる理想像への努力をたゆまず続けていくことこそ私のなすべき課題といわなければならない。

(昭和三十五年九月二十三日午前一時記す)

 

 

トップへ

1960年日記目次へ

前へ

次へ

ホームへ