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Mystery
(1998/9/21開設)
(Opened on September 21,1998) |
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やっとのことで「ミステリーの部屋」の開設にこぎ着けた。作品は30年前のものである。当然フローピーディスクに入って いない。残っていた古いコピーからOCRで読み込んだのだ。OCRソフトの識字力がいま一で、ほとんど入力し直すほどの手間ひまがかかった。また、時代背 景があまり食い違っているところには若干手を加えざるをえなかった。
最初に収録した『遺書は風に散った』は月刊誌「オール読物」(文芸春秋社)の推理小説新人賞(第10回、1971年9月号)で最終候補作5
篇に残った作品である。当時は、ミステリー作家も夢見ていたのである。そのときの顛末は「エッセイの部屋」の「単身赴任者の愉しみ」の『マニアからの転落』に詳しい。
ご愛読をお願いしたい。
この『情 事のたしなみ』も1972年「小説サンデー毎日」(毎日新聞社))の推理小説新人賞で最終候補作5篇に残った作品である。OCRで読み取りながら、順次掲 載していきますので、ご愛読下さい。
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その朝、私は普段より早目に目を覚ました。おちおち自分の部屋で寝ていられないような、浮き浮きした気分だった。しかし、もしそのとき、私が自分 の置かれているほんとうの立場を察知していたとしたら、おそらく、私は全く別の意味でおちおちベットに寝ころがってなどいられるはずはなかったのである。
夏の朝は早く、すでにまわりは、すっかり明るくなっていた。太陽は、もう相当高く昇っており、朝風がそよぐたぴに、庭一面の木もれ日が、芝生の露 に映えてキラキラとまぷしいほどにきらめいていた。しかし、軽井沢の有藤邸は、まだ眠りから覚めていなかった。ただ、小鳥の鳴き声ばかりが、主のいない屋 敷のようにシーンと静まりかえった邸内にあふれるぱかりにふりそそいでいた。
夏とはいえ、軽井沢の早朝の空気はひんやりと肌寒く、毛布の掛け布団のぬくもりが、ちようどここちよいくらいだった。私は、ベッドの中で寝返りを 打ち、皆が起き出すのを待ちながら、昨夜のしあわせの余韻の中に身体ごとすっぽり浸り込んでいった。
弥生は、まだ自分の部屋でやすらかな夢路をたどっているのだろうか。それとも私のように、早々と目を覚まして、昨夜のことを思い出しながら、ベッ ドのぬくもりの中で、しあわせのひとときを過ごしているのだろうか。
私は、とりとめもなくそんなことを考えていた。それというのも、私と弥生とは、昨夜初めて、この部屋で、結ばれたばかりだったからである。
そういえば、このベッドからニメートルも難れていないあのソファのうえに、弥生が座っていたのだ。懐かしいダンス音楽を流していたFM放送の曲目 が、「小さな花」から「魅惑のワルツ」に変った。弥生は、ダンスの中では、ワルツが一番好きだし、得意でもある。私が、
「踊らない?」
と云って両手を差し出しながら立ち上ると、弥生は、
「ええ」
と云ってソファから立ち上り、私の方を思いつめたような目差しでじっと見つめたのだった。私がたまらなくなって近よリ、弥生の瞳をのぞきこむと、彼 女は、私をつつみ込むように見開いていた瞳をとじ、そのまま、私の腕の中に倒れ込んできたのだ。私は、彼女のやわらかい体を両腕でしっかりと抱きかかえ、 目をとじて仰向いている彼女の、白い肌にすきとおるように赤いくちぴるに、そっと、私のくちびるを重ねたのだった。
私が弥生と婚約したのは、一月半ばかり前のことである。婚約のきっかけになったのは全く偶然の邂逅だった。
今年の正月、私は、大学時代の友人で東洋銀行に勤めている柴崎徹の家に遊びに行った。柴崎の家は、国電の荻窪駅から歩いて十分程度の、東京でも閑
静な住宅街にあった。そこで女子大に行っている妹の万里子のクラスメートだと言って柴崎が引き合せてくれたのが、弥生だったのである。私は、あまりの偶然
に驚いて、
「有藤弥生さんじゃありませんか。私のことを覚えていらっしゃいませんか。緒方肇です。ほら、四年前まで、あなたの従弟に当たる辻信夫君の家庭教師 をしてい緒方です」
と、やや興奮ぎみに自己紹介をした。弥生の方でも、私のことを覚えていた。
「私も、先程お庭で、徹さんとゴルフの練習をなさっていらしゃると
ころをチラッとお見かけして、緒方さんじゃないかと思っておりましたの」
そう云いながら弥生は親しみをこめて、ニッコリ笑いかけてきた。四年振りに見るる弥生は、すっかり一人前の女になっていた。その笑顔ひとつにも、 どことなく男をひきつけるしながあった。私は、弥生に再会した瞬間、なぜか、長い間捜し求めてきた女性にやっとめぐりあったような愉悦を覚えたのである。
私と弥生が知り合いであることがわかると、柴崎は大仰に驚いてみせて、
「こりゃ-驚いた。先刻お二人がお知り合いだとはね。さあ、今夜は、お二人の、再会を祝して我が家で盛大なパーティと行きましょう」
と言った。その夜われわれは柴崎家の好意で、御両親も一緒に、すきやき鍋をつつき、ジョッキ傾けながら、夜遅くまで大いに歓談した。それがきっかけ となって、私と弥生とは交際を始めることになったのである。
弥生に会ったのはじつに四年振りだった。しかし、十八歳から二十二歳までの四年間という歳月が、女性というものをどれほど変えるものであるかとい うことを、私はいやというほど見せつけられた思いだった。
私は、四年前まで、弥生の従兄弟に当たる辻信夫の家庭教帥として週二回、辻家へ通っていた。信夫の母親の久子と、弥生の父親の恭蔵とが実の兄妹 で、同じ吉祥寺(の三丁目)に居をかまえていたせいもあって、辻家には、弥生やその妹の若菜がよく遊びに来ており、私たちは自然に面識ができていたのであ る。
あの当時弥生はまだ高校生だった。私が、家庭教師に行く道すがら、ときたま会ったりすると、弥生は道路のはじに寄りながらはずかしそうにほほえ み、私に深々とおじぎをするのだった。青いオーパーコートに黒のストッキングをはき、おさげをたらした女子高校生姿は見るからに清楚そのもので、白い頬を パッとバラ色に染める様子が可愛くて、私も、思わずほほえみを返したものだった。
弥生の叔母の久子は、なかなかの社交家でクリスマスや正月には、親戚の若い連中を集めてよくパーティをやっていた。一人っ子の信夫が小学五年にも なり、あまり手がかからなくなってみると陽性そのものの久子にとっては、こういう催しものをやって賑やかに騒ぐのが生きがいのひとつになっていたのであ る。大学二年のときから三年間も信夫の家庭教師をやっていた私は、辻家では当時家族同様の扱いを受けており、そういう席には欠かさず招かれることになって いた。
辻家のパーティに集まる十人近い従兄弟仲間の中でも、弥生姉妹はとぴぬけて美しく、私もまたこの姉妹をお目当てに、呼ばれれば欠かさず出席したも のだった。とはいえ、私と弥生との間はそれだけの関係でしかなく、二人切りで話し合ったようなことは一度すらなかった。当時、弥生が十八、若菜が十六だっ た。どちらかと云えば、弥生の方が性格的にもおとなしく、地味な感じだった。もっとも芯が強く、しっとりとした女らしさという点では弥生の方がまさってい た。
若菜は、高校一年生だったけれど、背丈はすでに小柄な弥生よリ大きく、はっきりとした目鼻立ちをしておリ、叔母の久子に言わせれば、吉祥寺の界隈 で、すでに美人のほまれ高く、勉強よりは、ボーイフレンドと遊び回るのが好きといったタイブの女の子だった。学校の成績も、弥生が常にトップクラスで、女 子大にも第一志望校にすんなりと合格したのにひきかえ、若菜は、その当時通っていた二流どころの私立女子高でさえ落第しかねない成績しかあげえないでい た。
家庭教師として辻家に出入りしていた三年間というものは、そういう意味あいからも、私にとって楽しい時代だった。それに久子という女性の一風変っ た性格も私を大いに楽しませてくれたのである。
と言うのは、私はひそかに彼女をエロチック・マダムと呼んでいたように、セックスについてもじつにあけっぴろげで、大学生の私をつかまえては、主 人が亡くなって「チャタレー夫人」みたいな立場にたとえ置かれるようなことがあろうとも、アタシは、絶対に不貞をはたらくようなことはやらないというよう な話を、大いにまくしたてたりするのだった。もっとも、久子の主人の健蔵は、久子よリ一回りも年上の痩せた貧相なサラリーマンタイプの男で、体躯も堂々と して当時三十一、二の女盛りだった久子が、あるいは満たされぬ閨房の思いを、ウブな大学生相手のそうした話でまぎらしていたとしても不思議ではなかった。
息子の信夫は、母親似で、小学五年生といいながら百六十センチメートル近くもあり、多分に、教育ママ的色彩の強い久子に抵抗して、その当時勉強よ りはむしろ野球や昆虫採集に精力を傾注していた。久子は、
「緒方さんは、信夫がもっと勉強するようにしつけて下さらなくっちゃ」
と非難めいたことばをよく口にしたが、田舎でのんぴりと少年時代を送った私にしてみれば、そんな信夫に無理じいの勉強をさせる気にもならず、むしろ 勧奨する側に回っていたのである。そのことが理由で、久子と私との間には、一時相当険悪な空気がただよったりしたのであるが、信夫の成績は、私の指導よろ しきを得たためか、勉強時間の割には、逆に少しずつ上っていったこともあって、私は、大学を卒業するまで、解任されることもなく、無事勤め上げたのだっ た。
私は大学を卒業するとすぐ、今の勤続先の日本産業新聞社に入社した。入社すると同時に私は自分の郷里に近い長崎市に赴任し、そこで三年近くの間、 新聞記者としてのイロハをたたきこまれたのである。
三年近い見習い期間を終えて東京に帰った後、私は、挨拶がてら訪ねて行ったのも含めて、二、三度辻家へ遊びに行ったりしたものの、久子から、弥生 や若菜がますますきれいになったなどといううわさ程度のことを聞くことはあっても、弥生姉妹とは一度も顔を合わす機会はなかったのである。
私は、柴崎徹のうちで四年振りに弥生に巡り会ったとき、弥生が私の期待通り、心の底に美しさをたたえたようなうるおいのある女性にみごとに開花し ているのを知って、なぜかほっと胸をなぜ下ろすのと同時に、心の底の方で無意識のうちにそれまでずうっと弥生にひかれていたことに気づき、我知らず、顔を 赤らめたのである。
それまで私は、二、三人のガールフレンドと、それこそ上手につきあってはいたものの、いずれも結婚の相手としては帯に短したすきに長しの感があ り、なんとなく物足りない気持ちを抱いていた。ところが、弥生に巡り会って以来、私の他のガールフレンドに対する興味は急速に冷めてゆき、弥生に対する思 いだけが、なぜか日増しに高まってゆくのを覚えたのだった。その不思議な気持ちを自分自身ですらうまく説明することができずにいた。
そしてそれが結局、愛という感情だったと気付いたとき、私は何のためらいもなく弥生に求婚したのである。弥生はその場で、私のプロポーズを受け入 れてくれたのだった。
私達の結婚には、私の、両親はもとより、弥生の両親も大いに乗り気だった。久子が、緒方さんなら絶対に保証すると大いにPRしてくれたのも、弥生 の両親の心証をよくするのにあずかって力あったものらしい。そういうわけでプロポーズして半月もたたぬ六月末の大安の日に結納をすませ、式の方は、十月中 旬に挙げるという話がとんとん拍子でまとまったのである。
弥生の父親の恭蔵は、太って体躯の堂々とした久子と実の兄妹と思えぬほど枯れてひょうひょうとした好人物だった、銀座で産婦人科を開葉しており、 初体面の私に向かって、
「私は、もう三十年近く女のお尻ばかり見てるってわけですよ、いささかうんざりしますな。ハハハハ」
というような話を、何の屈託もなく話せるような人柄だった。母親の律子は、恭蔵より三っ年下で、色の浅黒い、ちょっと目つきのするどい感じの小柄な 女だった。私に対しても、ゴザイマス調の非常に丁寧な口のきき方をした。私は、その馬鹿丁寧な口振りに半ばとまどいながら、以前辻家へ家庭教師として出入 りしていた頃、久子から、義姉のひどく丁寧な口をきくところが、じつは曲者たる所以で、家庭の中では、新婚旅行の車の中から兄を尻にしきっぱなしである。 義姉は、以前大学病院で看護婦をしており、兄は、恩師の引き合せで結婚したのだが、兄も恩師の推薦ということで断わり切れず、一生貧乏くじを引くことに なったというような話をきかされたことがあったのを思い出していた。おそらく、久子と律子とはあまりうまく行っていないものとみえる。
結納の席上で、恭蔵は、是非、軽井沢の方へ出かけてくるようにと口を酸っぱくして私に奨めてくれた。話によると、夏の間は、ここ十年というもの軽 井沢で病院を開業することにし、家族全員、軽井沢に居を移すことにしているとのことであった。
私は、間違いなくお伺いすると約束はしたものの、仕事の関係でなかなか休暇が取れず八月も半ばを過ぎた頃になって、やっと軽井沢へやって来たとい
うわけだった。しかも、休みは一週間しか取れなかったので、実をいうと、私と弥生にとって昨夜が、軽井沢での最後の夜というわけだったのである。そして、
そのことが、ゆうぺわれわれの感情をあそこまで昂らせた原因でもあったのである。
一週間前、この屋敷にやってきたとき、私は、そのあまりの立派さに驚いたものだった。堂々とした二階建ての、酒落た洋風造りで、赤い屋根に白いペ ンキ塗りの窓枠がひときわ印象的だった。広い庭には、落葉松やブナの巨木がうっそうと繁っていた。
軽井沢駅まで車で出迎えてくれた弥生から、今、家には、有藤一家の四人のほか、叔母の辻久子と信夫の親子、若菜の恋人の立川浩、それに看護婦の三 好由利の八人が一緒に寝起きしているという話を聞いたときには、有藤家の都合も確かめず、自分の都合だけでやってきたのは、ちょっと軽率だったと思ったも のであったが、屋敷の構えを見たた途端この大きさならば、私一人増えたとしても、大して迷惑になることはあるまいと、妙な安心をしたものであった。
ここに弥生が書いてくれた有藤邸の見取図があるが、この図を見ていただけれぱ、有藤邸の大凡の大きさが、ご想像いただけるものと思う。
有藤家の玄関口で、私が弥生の車から降りるか降りないうちに、車のエンジンの音を聞きつけた信夫が玄関から飛び山して来、
「先生、いらつしゃい」
と元気な声をかけてくれた。私のことを今もって先生と呼ぶのである。高校一年になって背の丈も百七十センチメートルを越えており、私とあまり違わ ないほどになっている。私の手を取らんばかりにして玄関口へ案内しながら、信夫は、
「先生、今夜、野鳥を聞きに行きませんか。夜の野鳥の鳴き声はとっても面白いんですよ」
と云い、ガレージに車を入れて戻ってきた弥生に向って、
「ねえ、お姉さん、先生と一緒に今晩車で碓氷峠の近くまで連れてってよ。あそこには、ちょうどいい場所があるんだ」
とせぴり始めた。
「信夫君は、この頃は野鳥にこっているのかい」
「そうなのよ。信夫君たら、近頃は、昆虫党から野鳥派へ転向したみたいなのよ」
「遠うよ。今、虫と鳥とに二股掛けているんだ。昆虫の研究が進めば、それを食べる野島に関心を持つのは当然じゃないか。ねえ、先生、今夜是非一緒に 行きましようよ」
信夫が、玄関のドアを開けながら、私の同意を求めるように私の方へ撮りかえった。と、
「信夫ったら、緒方さんがお見えになったがならないうちに、そんなことを云うもんじゃありませんよ。緒方さんは、弥生さんに会うためにいらっしたんですか
らね」
久子の例によって大きな声が、玄関の内側からきこえてきた。玄関のドアを開けると、玄関口に、有藤夫妻はじめ、一家総出のお出迎えなのである。私 は、少々照れてしまった。恭蔵が、みんなを代表して、
「やあ、肇さん。いつお見えになるかと思って待っていたんですよ」
と、ニコニコと笑いながら、目尻に人の好さそうなシワをつくって歓迎してくれると、弥生が、初対面の二人を紹介してくれた。初対面なのは、若菜の” お友遠”という立川浩と看護婦の三好由利だけだった。
立川浩は、私と同年輩の男で、丁大の法学部大学院のドクターコースにいるとのことであった。真白いタートルーシャツのポケットに赤いブリント模様 のハンカチをのぞかせたいかにもお洒落な感じの男で、私より幾分小柄だった。女性としてはかなり背丈のある若菜と並んで立っているとなおさら貧弱に見え、 私の立川浩に対する第一印象をあまり良くないものにした。それに簿いくちぴるのあたりにエリートにありがちな尊大なうぬぱれがただよっているようで、どこ となく軽薄な感じさえするのだった。
それにひきかえ、三好由利の方は、生真面目一方といった感じのする女性で、まだ顔にニキビの跡がボツボツあるところから推して、二十前後に思われ た。顔を赤くしながら、私に挨拶した言葉に若干東北なまりがあった。そう思っていると、弥生が、由利さんは、二年前岩手の水沢から出て来たばかりだと教え てくれた。
私が有藤家に着いたのは、夕食も近い時間だったので、私は早速あてがわれた二階の一室で旅装をとき、ダークグリーンの半袖のポロシャツに着替えて 下の応接室に降りて行った。この部屋が、有藤家の団欒の場所になっているらしく、そこには、家族全員が顔をそろえていた。高い背もたれのある大きたソファ のうえに、めいめいがゆったりと腰を下ろし、明日はどこそこへ行こうなどという話をしていた。
私が部屋の中に入っていくと、
「緒方さん、明日、照月湖までドライブに行こうという話なんですが、御都合はいかがですか」
立川が私に声を掛けてきた。
私は、空いたソファに腰を下ろしながら、
「軽井沢は、とにかく初めてですから、とこへでも喜んでお伴しますよ」
「それじゃ、明日は、僕のフォルクスワーゲンに、信夫君、久子叔母さん、それに若菜さん、弥生さんのブルーバードに、お母さんと緒方さんという組み 合せで、照月湖までドライブに行くことにしましょう。お父さんと由利さんは、お仕事があるので、例によってお留守番を頼むことにしましょう」
立川が、ちょうどキャンプのリーダーよろしく大きな声で言った。すると恭蔵が茶目気たっぷりに、
「ああ、また、俺は留守番役かい。誰か、俺に代って、一日お医者をやってくれる者はおらんのかい」
と、悲しそうな声音をつくって云った。
「お父さん、あの美人のミセス・グリーンは明日診察に来るんですか。それなら喜んで代理を勒めますよ」
立川がちゃちゃを入れた。立川という男は、T大法学部大学院の博士課程に在籍しているわりには、世俗的な身軽さを身につけているように思えた。恭蔵 は、それには答えず、しぱらくニコニコ笑っていたが、何か思い出した風に、
「ところで明日ドライブに出掛けるそうだがみんな自分の血液型は知っているのかい。事故でも起したら大変だから明日ドライブに出掛ける前に、私が
サービスしてみんなの血液型を調べて上げることにしよう。血液型に関する新しい学説も出ているので、前に調べたことのある者も明日は一応念のために調ぺさ
せてくれ」
と云った。
そこで、私の血液型は一体何型だろうかとか血液型と性格とは関係がある、いや、無いといったような話題にひとしきり花が咲いた。
その夜は、私たちの婚約を祝してという名目で、旧軽井沢のメーンストリートにある中華料理店に全員そろってタ食を取リに出掛けた。私は弥生とテー ブルの中央に並んで坐らされ、みんながからお祝いの言葉ともども、お酒をどっさり飲まされてすっかり酔っ払ってしまった。弥生が自分につがれた分を私に飲 んでくれと頼むもので結局二人分を一人で飲んだというわけである。
すっかりいい気分になって家に帰ったのは、もう十時半近かった。私がべッドに入ろうとしているとドアにノックがあった。私は、てっきり弥生かと思 い、心をはずませながら急いでドアを開けた。と信夫が片手に最新式のMDの録音再生兼用のプレイヤーをぶら下げて立っていた、今夜、一緒に野鳥を聴きに行 く約束を守らなかったのだから、せめて、録音した野鳥の鳴き声を聞けと云ってきかないのである。こういうところに一人っ子のお坊ちゃん育ちのところがあ る。私は野烏の鳴き声を聞く前から、すでに頭の中がピーチクパーチク云っているような気分だったけれど、止むなく聴かされるはめになってしまった。さすが にデジタル録音だけあって、本物の鳴き声と区別がつかないほど良い音色だった。もっとも、最後まで聴かないうちに眠り込んでしまったらしく、翌朝、信夫か ら、
「先生は、赤ん坊よりも寝つきがいいや」
とからかわれたものである。
おそちく、一生のうちでも婚約時代ほどに夢多き時代ばないだろう。婚約者と同じ屋根の下で起き伏しを共にするこの一週間の軽井沢生活が、ともすれ ば、あわただしい実生活に追いまくられ、すり切れかかっていた私の神経をすっかり元に戻してくれた。
照月湖に行き、私は弥生と一緒にボートに乗った。旧軽の落葉松の並木道を、手を取り合ってそぞろ歩いた。ある夜は、信夫にさそわれて碓氷峠の近く まで野鳥の鳴き声を聴きに行った。ベビーゴルフ場へ行き、マスターズ・ゴルフよろしく白熱のデッド・ヒートを演じたこともある。
この一週間、私はいつも弥生と一緒だった。もちろん、われわれ二人が一緒に行動できるようにと他の人が気を配ってくれたおかげでもあった。昨夜 も、われわれにとって、最後の夜であるという思いやりからか、いつもは十時過ぎまで応接室で団欒に打ち興ずる面々が、八時にもならないうちにそれぞれ都合 があると云って部屋を出て行ったのである。
信夫は、近頃野鳥を聴きに行く絶好の相手役として三好由利を見つけたものらしく、昨夜も、夕飯が終るとすぐに二人で出掛けていった。三好由利の方 でも、覚えたばかりの自動車の運転が面白いらしく、信夫から誘われると、弥生に車を借りる口実が出来ると見えて喜んでいるふしがあった。
立川浩と若菜もドライブに行くと云って、八時頃応接室を出て行った。有藤夫妻は、普段でも八時前に自室にひきこもるのであるが、とくに昨夜は、お 目当ての巨人・阪神戦が七時からテレビ中継されるとあって早々とひきこもってしまった。
二人ずつペアになって部屋を出てゆくのをそれとなく見ていた久子は、ゆっくりとソファから立ち上がると、
「あーア、私も、主人と一緒に来れば良かった。不出来な亭主でもいないよりはましだものね。お二人の邪魔にならないように、アタシも自分の部屋でミ ステリーでも読むことにしましょ。緒方さんは、松本清張の、”ゼロの焦点”読んだことあるの。いったい最後に佐知子はどうなるの。いいえ、ほんとうに教え てくれなくたっていいのよ」
と云いながら、ゆっくりと部屋を出ていった。応接室に私と弥生だけが残った。私は、応接室では落着かなかったので、自分の部屋に弥生を誘った。弥生
は、初めは、渋っていたものの、私が強く誘うと、それ以上何にも言わず付いて来た。そして、われわれは、当然それを予測していたかのように、ごく自然にこ
の部屋で結ばれることになったのだった。
踊りながら、キスすると、弥生は、私の腕の中で力を失い、ぐったりともたれかかってきたのである。私は、弥生抱きかかえるようにしながら、ベッドに倒れ
こみ、その狂おしいほどに甘く柔らかい秘密の蜜を、心ゆくまで吸った。信じられないほどの愉悦の中で二人は同時に頂点に達した。
その瞬間、もし時間が永久に止まってくれたとしたら、われわれはどれほどしあわせだったかしれない。…
私は、ベッドに寝転びながら、前夜の弥生の女らしい肢体を思い描き、しあわせで胸がうずくのを感じていた。
陽は、ますます高く昇って行った。私はもうベッドに寝転んでおられなくなり、起きだしたのだった。時刻は八時を回っていた。その日はあいにく日曜 日だったので、皆の起き出す気配はなかった。
有藤病院の平日の診察時間は、朝九時から十ニ時までと、午後二時半から五時までだったので、平日には、大体八時までに全員起き出すのであるが、日 曜日は休診日とあって朝食も九時過ぎることが多かった。
私は、ひょっとすると弥生が起き出しているかもしれないといという期待もあって、階下に降りて行った。しかし、まだ誰の姿も見当らなかった。私 は、仕方なく応接室へ入っていった。ドアを開けた途端、プンとクロロホルムのにおいが鼻をついた。どの病院へ行っても、クロロホルムのにおいがするもので あるが、応接室も一晩しめきっておけば、クロロホルムのにおいが立ち籠もるものらしい。私は、そう思いながら部屋の中へ入って行った。
見るとソファの白いレースのカバーが床に落ちており、ソファの位置がほんの少し動いた形跡があった。昨夜応接室を出たときにはそんなことはなかっ たはずだったがと思いながら、それを元通りに、直していると、背後から、
「あら、肇さんじゃございませんか。今期は馬鹿にお早うございますのね」
と声がした。振り返ると割烹着姿の律子が、入口に立っていた。朝食の準備を始めるものらしい。食事は、律子が中心になって作っており、ときどき久子 や弥生が手伝っている。看護婦の由利はともかく、若葉は、炊事はいやだと逃げ回ってほとんど手伝わない。ただ食料の買い出しには、自動車の運転の練習を兼 ねて若菜も由利もよく行っているようである。九人分の食事となると買い出しだけでもなかなか大変のようだ。ましてや、料理するとなるとなおさらのことであ る、私はそう思いながら、
「お母さんも朝早くから大変ですね」
と挨拶を返した。
律子が、台所に姿を消すのと入れ代りに若菜が応接室に入ってきた。入ってくるなり若菜は、
「浩は、まだ起きてこない?頭にきちったなァ、もう。昨夜ねえ、肇さん。一緒にドライブに行ったでしょ。浩ったら、私を追い返さんばかりなのよ。身 体の調子が悪いとか云ってさ。だから、私怒って二平橋のところから一人でてくてく歩いて帰ってきたのよ。そうしたら。まだ、家に帰って来てもいないで しょ。もうあんな奴とは絶交だわ」
とまくしたてた。若菜と立川浩とは、いつも喧嘩したり仲良くなったりしており、別に驚くことはない。エロチック・マダムの久子からの情報では、二人 の間はもう’出来ている’のだそうだ。いや、若菜は以前に立川浩以外の男性とかなり深い仲になったことがあるらしい。
私は、その話を久子から聞いたとき、久子に、一体若菜と立川浩とはどうして知り合ったのかと尋ねたものだが、久子は、いつもの彼女らしくもなく急 に言葉を濁して答えないのである。そういうわけで、二人の関係がどうして始まったのかはとうとうききそびれてしまったのである。
若菜が立川浩の悪口を並べ立てている間に、ポツポツ全員の顔がそろってきた。ところが肝心の弥生の姿が一向に現われないのである。弥生は、昨夜あ んなことがあったので、私と顔を合わせるのが気恥ずかしくて、なかなか自室から出て来れないでいるのだろうか。
律子が、朝御飯ですよ、と皆を呼びに来た。われわれは、ぞろぞろと食堂に向かった。ところが、席についてみると、いつもの弥生と立川浩の席が空い ているのだ。
「もう時刻は九時を回っとるじゃないか。肇さんは今日帰るんだから、若菜、弥生を起しておいで」
恭蔵が言った。
「それじゃ、僕が、浩さんを起してくる」
そう言うと、信夫が若菜と連れだって食堂を出ていった。サラダ用の木鉢に山盛りになったアンチョビーとアボカド入りのやさいサラダに生唾を呑み込み ながら、われわれは二人が現われるのをしばらく待っていた。
「お母さ-ん」
若菜の声がした。同時に、ドタドタと階段を駆け降りてくる足音がして信夫が食堂に飛込んで来た。
「浩さんの部屋のドアにいくらノックしても返事がないよ」
と云うのである。
そのとき、また、
「お母さーん、早く」
と叫ぶ若菜の声がした。私は、胸さわぎを覚えて廊下に飛び出して行った。
若菜が、弥生の部屋のドアをドンドンたたいている。私がそばまで駆けつけると、
「いくら、ノックしても返事がないのよ」
若菜は、目を皿のように大きくして私を見つめた。私は、ドアをげんこつでドンドンたたき、
「弥生さん、弥生さん」
大声で叫んだ。それでも返事がない。いつの間にか家族全員が私のうしろに立っている。ドアは、内側かちノブを押せば簡単にロックがかかる仕組みになってお
り、皆も休むときには、鍵を下ろすことにしているのである。
「お母さん、合い鍵はないんですか」
私が云うと、
「私が取ってくるわ」
若菜が食堂の方へ飛んで行った。合い鍵が来るるまでのしばらくの間、われわれは、不安ともいらだちともつかぬ複雑な思いで廊下に立ちつくしていた。
前夜初めて結ばれたばかりのフィアンセが、翌朝、他の男の胸に抱かれて心中しているのを発見したとしても、あなたは、以前のまま、人間の真心とい
うものを信じうるだろうか。
若菜が持って来た合い鍵でドアを開け、一歩部屋の中へ足を踏み入れた途端、私は見てはならぬものを見てしまったのである。
弥生が、立川浩の胸に顔を埋めるようにして眠っていた。いや、眠っているのではなかった。もうそのときは、ほとんと虫の息だった。立川浩の方は、 素人目にも完全にこと切れているのが見て取れるほどだった。
そのありさまを一目見た途端、私は脳天をいきなり鉄鎚で打ちのめされたようなショックを感じた。それが現実とは信じられず、呆然とその場に立ちつ
くした。
若菜は、
「ワッ」
とその場で泣き伏すと、両手で顔を押えたまま小走りに部屋を出て行った。律子は、弥生のそばに走り寄り、
「弥生、弥生」
と狂ったように絶叫した。
恭蔵は、最初は色を失ったものの、さすがに医者らしく、弥生の脈を取リ、瞳孔の具合を確かめると、
「まだ脈がある。すぐ酸素吸入と胃の洗浄の用意をしてくれ」
と三好由利に命じ、弥生を手術室に運ばせた。恭蔵は、部屋を出て行きながら、呆然とつっ立っている私に向かって、現場保存のため、全員を部屋の外へ 出し、警察へ連絡して貰えまいかとおだやかな口調で頼んだ。私は、頼まれた通りやりはしたものの、あまりのショックに、全員を部屋の外へ追い出したあと も、ぼんやりと部屋の中に一人つっ立っていた。
いや、厳密に云えば私一人ではなかった。私の目の前のペッドのうえに、立川浩のすでに青白く変色した死体があった。その顔は蝋のように青ざめ、日 頃、しょっちゅう軽口をたたいていた軽薄な薄いくちぴるも、ほとんど血の気をとどめておらず、すでに、死の威厳が、生前の軽薄さに取って代ろうとしてい た。
私は、立川浩を憎む気になれなかった。死んだ立川を憎んで何になろう。彼はそうした人間的な感情の支配するところからはるか遠くへ行ってしまった のだ。生きとし生ける者が一度はくぐらねばならぬ死の関門を、この軽薄だった男も雄々しく通り越してしまっているのである。
私は、ぽんやりとつっ立ったまま、そんなことを考えていた。と、ベッドの足元のところに白い小さな紙切れが落ちているのが目に入った。私は、何気 なぐそれを拾い上げた。見るとアルファペットと、十(プラス)ー(マイナス)を組み合せたような記号がいっぱい書き込んである。
K+O, R+A, Y-A, W+O, H+O, N-A, O-B, T+O, M-B
私は、その紙切れをポケットの中にしまい込んだ。ふと、枕元の小さなテーブルの上を見ると便箋らしいものが置いてある。気が動転して いて今まで誰も気がつかなかったものらしい。手に取って開いて見るとそれは、弥生の両親宛ての遺書だった。
「御両親様
私にはこうするより他に道があリませんでした。立川さんをどうしても忘れることができなかったのです。私は立川さんの後を追ってあの世へ参ります。不孝
な私をどうかお許し下さい
弥生」
私の恐れていたことが、今や決定的な形で現れたのだった。私は、弥生が立川に抱かれて死にかけているのを目のあたりに見ても、それが、真実とは信 じられなかった。何か背後に隠された事情があったに違いない。昨夜あれほど堅く愛を誓ったばかりの弥生が、まさかその翌朝、私を完全に裏切るようなことを やらかすはずがない。私はそういう考えに今の今まで、自分自身でも半ば凝いながらも取り縋っていたのだった。ところが弥生の遺書は、私のそうした一縷の望 みさえも、無残に打ちくだいてしまったのだ。私は精も根も尽き果てて、よろよろとテーブルの前に置いてあった椅子のうえに座り込んだ。
と、私のうつろに開いた眼に、枕元に置かれた注射箱がうつった。良く見るとそれは、アンプル入りの睡眠薬の箱である。箱の中には、すでに使用済の アンプル数箇と注射器が一本入っている。
これが二人の心中の手段だったのだろうか。二人は、お互いに睡眠藥を注射し合って心中したのだろうか。しかし、一体どうして、どういう理由で心中 しなけれぱならなかったのであろう。私には皆目見当がつかなかった。
私や若菜に対する気兼ねや思惑が心中の原因だったのだろうか。しかし、二人が本当に愛し合っていたのであれぱ、他人への思惑などから心中したりな どはせずに、正々堂々と愛を全うすれば良かったのである。私にとってそれが如何につらいことであったとしても、弥生が立川浩を選ぶと正直に言ってくれさえ すれば、私は潔よく身を引いたことだろう。それは若菜としても同じことだったに違いない。ただ、突然こうした形で、掌を返したように裏切るようなことをさ れれば、話は全く別というものだ。全く私の立場はないようなものではないか。今の今まで、弥生が心の底から私を愛してくれているものと信じ込んでいた自分 が迂闊だったなどと言える種類の問題ではないのである。そこまで相手を凝ってかからなければならぬとするなら、およそこの世に愛の育つ土壌などありようが ない。私の胸の中で、前夜しあわせに涙で瞳をうるませた女性の胸にさえ、常に裏切りの影をするどく見抜かねぱならぬとしたら、人間というものをそもそも信 じない方がましというものではないか。私にこれほどまでに、人間に対する不信感を植えつけても少しも意に介しないほど、弥生は、私を軽んじ、私の存在をな いがしろに思ってっていたのだろうか。
とは云いながら、私は弥生の容態が気がかりで仕方がなかった。そこで、手術室へ行ってみた。手術室のドアを少しあけてのぞきこむと、看護婦の由利 があわてて飛んで来、
「まだ、中に入っちゃだめですよ」
と、小さなきつい声で言った。
「弥生さんの容態はどうなんですか」
私も押し殺したような小さな声で言った。
「なんとか一命だけは取り留めることができそうです。先生がそうおっしゃっています」
私は、由利のその言葉をきいて、ほっと胸をなで下ろした。たとえ弥生が私を裏切ったとは云え、私はまだ弥生を愛していた。死んで欲しくなかった。 それに弥生が死にさえしなければ、真相を聞きだすことができるというものだった。弥生の口から、少しでも納得のいく話をききださない限り、私自身死んでも 死にきれぬ思いだった。
応接室へ行こうとしていると、玄関のブザーが鳴った。私が大急ぎで玄関口に出ると、そこには、制服の警官二人と私服の刑事らしい男が二人立ってい た。私からの通報を受けてかけつけてくれたのだ。私服の太った男が、区検察庁の池下検査官であると名のった。私が先に立って弥生の部屋に案内するとさすが もの慣れた様子で現場の取り調べが始まった。
私は検察官に尋ねられるまま、昨夜弥生と別れてから、今朝心中を発見するまでのいきさつを物語った。だが、二人がこれまでどういう関係にあったの かと尋ねられτ私はハタと窮してしまった。私には、二人の関係についてそれこそ何の知識もなかった。弥生の遺書に
「立川さんをどうしても忘れることができなかったのです」
とあるのが私には理解できなかったのである。しかし、ああいう風に書きさえすれば、両親は理解してくれるであろうという前提で、弥生が例の遺書を認めたこ
とにはまずまちがいなかった。
とすれば、二人は、以前恋愛関係にあったのだろうか。いや、そうとでも考えないと逆に辻褄が合わないと言うものだった。私は、そこまで考えたと き、いつぞや久子に対して、立川と若菜がどうして知り合いになったのかと尋ねたとき、久子がいつもの彼女らしくもなく急に言葉を濁してしまったことがある のを思い出した。
そうだ。そうだったのだ。立川は、以前、弥生の恋人だったのだ。そしてそれが何らかの原因で、弥生と立川の関係が切れ、立川と妹の若菜とが愛し合 うようになったものに違いない。いやそれも表面上だけのことで、弥生と立川とは陰では依然として愛し合っていたに違いない。そして、その不実な恋を清算す るため、二人はこうして心中したのではあるまいか。私はそこまで考え、むしろ今までのもやもやがふっ切れた思いだった。
私は検察官に自信をもって答えたのである。
「立川と弥生さんとは以前恋人同士だったのです。ところが、弥生さんの妹の若菜さんが、立川を好きになったため、弥生さんは自ら身を引き、止むを得
ず私と婚約したのです。しかし、弥生さんと立川とは、お互いがどうしても忘れられなかったに違いありません。そこでこういう形で全てを清算したのでしょ
う」
池下検察官は、私の説明に深くうなずいていた。
私はその日のうちに有藤家を辞した。私には、もう有藤家に滞在する何の理由もなくなっていた。手術着で玄関にかけつけた恭蔵が、
「緒方さん、ほんとうに申し訳ないことをしました。どうか弥生のことは許してやって下さい」
目に涙をためて私に言った。皆もしんみりと私を見送った。もうニ度とこの人達と会うこともないだろう。私はそう思いながら玄関を出た。来るときに は、あれほど希望にみちあふれていた同じ道が、まるで死刑台へつながる道のように暗く陰惨に思われた。私は重たい足をひきずりながら駅までやっとの思いで 辿り着いた。
東京行の急行に乗ってからも涙が頬をつたわり落ちて仕方がなかった。
ー弥生は、私など愛していなかったのだ。妹に恋人を奪われた腹いせに、たまたま巡り会った私と婚約したまでのことだったに違いない。すっかり有頂天 になっていた私は、そんな弥生の気持を見抜く余裕さえなかったのだ。すべて私の一人勝負に過ぎなかった。昨夜、弥生を抱きしめながら、私が胸をときめかし ているときでさえ、弥生は、私の胸の中で立川のことを思い浮べていたのに違いない。そして、おそらく弥生が立川を愛し続けていることを家中の者がうすうす 感付いていたのに違いあるまい。少なくとも、立川と弥生とが恋愛関係にあったということは、私以外の者は全員知っていたのである。
恭蔵が別れに言った、
「弥生を許してやって下さい」
という言葉がそのことを如実に物語っている。皆が、私と弥生のために、あれほどまでに気を使ってくれたのもそのためだったに違いない。
「知らぬは亭主ばかりなり」とは良くぞ言ったものだ。私は亭主になる前からコキュにされていたのである。私ともあろうものが、とんだ道化役にされて いたものだ。弥生が心の底から私を愛してくれていたものと今朝の今朝まで信じ切っていただけに、私の胸は、切り刻まれるような痛みで張り裂けんばかりだっ た。とめどなく流れ落ちる涙を私は拭こうともせず、広々と広がる緑の田畑を車窓からぽんやリと幾時間も眺めていた。
東京に着く頃には、車窓は暗くなり、私の頬につたわる涙が、窓ガラスにキラキラと写るようになっていた。
私の心の痛手は大きかった。しかし、愛するに値しない女性との失恋のために会社まで休むのは、なおさら私のプライドが許さなかった。私は、痛む胸 を押さえながら、翌朝から会社へ出勤した。出社すると同じ職場の同期生の右近が、
「一週間も続けて休みを取りやがって、フィアンセとずいぶんいい目をしてきたんだろう」
とからかった。私は心の中で下唇をかみしめながらも、つとめて笑顔を作リ
「まあね」
と応じた。とにかく私は弥生に関することを一切忘れてしまいたかった。そのため、仕事に没頭しようとっとめた。例の心中事件に関する新聞記事さえ一切無視
しようとした。しかし、だめだった。どうしても落ち着けなかった。心の中に、あれほど不実な弥生のまぼろしがいくたぴか浮び上り、澄んだ瞳で私をじっと見
つめるのである。
「それほど、あなたは私を信用していなかったのですか」
と言わんばかりに。私はとうとう我慢しきれなくなり、昼休みになると早々と、例の事件を報道している新聞をかき集め、新聞社の近くにある行き付けの 喫茶店に直行した。
中央紙は記事の片隅に「軽井沢で心中事件、女性助かる」といった程度の十行足らずの扱いしかしていなかったが、さすがに地元の新聞はかなり大きく 報道していた。
ーー昨日朝九時頃県下軽井沢町旧軽井沢、有藤恭蔵氏(五三、産婦人科医)宅の一室で、長女弥生さん(二二)と立川浩さん(二六、T大法学部博士過
程)が心中しているのを家人が発見し、軽井沢署に通告してきた。弥生さんは発見が早く一命をとりとめたが、立川さんは死亡した。死因は、睡眠薬であるが、
立川さんが、静脈注射したのに対し、弥生さんがアンプル入の睡眠薬をそのまま嚥下したためあやうく一命をとりとめたものらしい。解剖の結果立川さんの死亡
推定時刻は、前夜十一時から午前一時頃と見られている。なお、枕元に弥生さんの認めた遺書があり、筆跡も弥生さんのものに間違いないとこらから覚悟のうえ
での心中と見られる。
立川さんと弥生さんは依然恋愛関係にあったのであるが、立川さんが妹と親しくなったことから、弥生さんは最近他の男性と婚約したばかりだった。しかし、
結局二人とも思い切れず、婚約者や妹さんに対する思惑から心中して二人の間を清算したものと見られている。
警察では弥生さんが意識を回復するのを待って更に心中の動機などについて詳しく取り調べる意向である。なお、解剖の結果立川さんはエイズに感染し ており、このことが二人を心中に追い込むうえで拍車をかけることになったのではないかとみられているーー
その記事の終わりには、エイズが全国的に蔓延しており、気をつけなければならないといったようなローカル調の解説が付けてあった。
エイズという記事を読んだとき、私は”恥の上塗り”とは良くぞ言ったものだと思った。私が全身全霊を打ち込んで愛していた女性が初めての交わりの ぬくもりもさめきれないうちに、エイズにかかった男のもとに走り、心中を演じよううとは!しかし、私は逆に気が軽くなったように思った。そもそも弥生とい う女性が私が恋するに値しない軽薄な女性だったと思い込めれば、それだけ私は容易に彼女のことを忘れ去ることができるというものだったからである。
私は喫茶店を出ようとして半ば腰を浮かしズボンのポケットから財布を取り出した。と財布のはしにくうしゃくしゃになった白い紙切れがひっかかって いるのが目に入った。私は何気なしにそれを広げて見た。それは、昨日の朝弥生のベッドの近くで拾った紙切れだった。私は、それをすっかり忘れていたのだ。
このアルファベットや、+、-の記号に何か意味があるのだろうか。私は上げかけた腰をもう一度降ろしてその白い小さな紙切れをしばらく眺めてい た。
K+O,R+A,Y-A,W+O,H+O,N-A,O-B,T+A,M-B
おそらくこの記号は、横にK+O,R+Aという風に読むのであろう。しかし、KにOを+(プラス)するというのは、どういう意味だろ う。YからAを引くとは・・・ところで一番右側の行は、OとAとBしかない。これが何かの鍵になりそうだ。このOは数字のゼロではなくおそらくアルファ ベットのOなのだろう。
O、A、B、O、A、Bと二、三度頭の中で繰り返してみた。この三種のアルファベットで表されるもの・・・そうだ。血液型だ。・・・とすると、最 初のアルファベットは、人名を表しているに違いない。私は、軽井沢の有藤家の名前を片っ端から当てはめていった。合う、合う。ぴったり合うのだ。
Kが恭蔵、Rが律子、Yが弥生、Wが若菜、Hが久子、Nが信夫、Oが緒方、Tが立川、Mが三好。これでぴったりだ。Oの緒方のところを見ればBと なっている。私は、大学二年のとき、交通事故に合った友人に供血するために血液型を検査してもらったことがある。そのときもBだったからまず間違いない。 とすればこの紙切れは、血液型を検査した結果をまとめたものなのだろうか。
そういえば、私が軽井沢へ着いた日の夕方、恭蔵が突然、明朝血液型を検査してやろうと云いだしたことがあった。何でも血液型に関する新しい学説が 出たとかで、以前検査したものも全員検査するように勧められ、翌朝みんなして検査してもらったことがあった。この紙切れは、おそらくそのときの結果をまと めたものなのに違いあるまい。とすると、これは、K(恭蔵)は、+O(プラスオー)というように読むのだろうか。そしてこの+Oとか-Aとかいうのが新し い血液型の表示法なのであろうか。たしかに私が大学時代に血液型の検査を受けたときには、耳朶からほんの少し採血されただけなのに、あの朝は、新しい血液 型の検査に必要という理由で、腕の静脈から5ccほどの血液を採られたのである。そういうことを考え合せると、この+Oとか-Aかいう符合は新しい血液型 を意味しているのであろう。
私はそう思ってひとまず喫茶店を出た。しかし、新しい血液型という点になんとなく割り切れぬものを感じたので、その足で、社内の医務室に立ち寄っ た。
医務室には、J医大からパートタイムでやってくる野崎という若手の医者がいるので念のため確かめておこうと思ったのだ。
案の定野崎医師は、のんびりした顔で看護婦とおしゃべりをしていた。風邪を引いたとき薬をもらいに行ったことがあるので若干顔なじみでもある。童 顔で太っており、決して笑顔をたやさない。言ってみれば生来医者向きのタイプの男である。
私が、早速新しい血液型にブラスO型とかマイナスA型とかいうのがあるか尋ねると、そんな学説はきいたことがないと云うのである。私は例の紙切れ
を取出して野崎医師に示しながら、一番左の行が人名を意味し、右端の行が血液型を意味するらしい。この0ーBというのは、緒方がB型であるということを示
しているらしいのだが、その間にある一(マイナス)や+(プラス)というのが良くわからないと説明すると、野崎医師は、意味ありげに私を見てニヤリとし、
どういう方法で採血したかときくのである。私がありのまま答えると、その医師の専門は何かという質問が返ってきた。私は、若干面はゆかったものの、
「産婦人科です」
と答えた。と、若い医者は、クックックッと笑いをかみころしながら、
「それじゃまず間違いなくこれは、性病の判定ですよ。おそらくエイズか何かのね。十が黒。一が白。緒方さん、あなたのところは一になっているからあ なたは白というわけだ。しかし、それにしても、どんな集団を相手にして検査したのか知らないけれど九人のうち五人までも感染しているというのはすさまじい ね。緒方さんも気をつけないとほんとに身を亡ぼすことになりますよ。今、日本国中に着実にエイズが浸透していってますからね」
”性病”と聞いたとき、立川がエイズに感染していたという新聞記事が、私の頭の中にひらめいた。とするとこのメモの中の十(プラス)は、ほんとうに エイズにかかっているということを意味しているのだろうか。しかし、私には信じられなかった。あまりにもひどすぎる。KもRもWもHもTもすべて十(プラ ス)なのである。こんなことがありえようか。産婦人科医の恭蔵までがエイズだとは!
いったいどうしてこんな悲惨なことになったのだろう。
それにしてもどうしてこんな紙切れが、弥生の部屋に落ちていたのだろう。それに、この紙切れを書いたのは一体誰だろう。恭蔵が、血液型の検査にか こつけて性病の血液検査をやったことはまず間違いない。とすれば、この紙切れを書いたのも恭蔵だろうか。それとも、うすうす血液検査されたことに気がつい た立川が、こっそり診察室に忍び込み、検査の結果を書きうつしたのだろうか。自分がエイズだと知った立川が自殺を決意する。それに同情して弥生が……
だが少しまてよ。弥生は本当に自ら進んで心中したのだろうか。無理矢理例の遺書を認めさせられたうえで道連れにされたという風には考えられないだ ろうか。
私は今の今まで、弥生が自ら進んで遺書を書き立川の心中の相手役を勤めたという風に考えていたけれど、立川から無理心中を強いられたと考える余地 は充分ありそうである。立川だけが静脈注射をし、弥生はアンプル入りの睡眠薬を嚥下したというのも、弥生が暴れるので静脈注射ができなかったのではあるま いか。それに、ある新聞には、枕元にあった注射器には弥生の指紋しか発見されなかったとあるのは、立川が自分の指紋をふきとり、すでに意識を失っていた弥 生の指紋を押しつけたという風にも考えられよう。
つまり、それは、実際の順序とは逆に弥生が立川に注射をした後で睡眠薬をのみ、例の遺書にもあるとおり、「立川さんの後を追って」死んだと見せか けるためのトリックだったのではあるまいか。そこまで考えて私は幾分気が軽くなったように感じた。と同時に、弥生が意識を回復するのも待たずに有藤家を飛 び出して来た私が少々軽はずみだったようにも思われ、下唇をかんだ。弥生が完全に無実だったとして、意識を回復したとき、もし私が枕元にいなかったとした ら、弥生は、私のことをどう思うだろう。
あの夜、くちづけを交したとき、私を包み込むように見つめていた弥生の澄んだ瞳が目の前に浮かんできた。私はその美しさを頭から否定し去ろうとし
ながらどうしても否定しきれない思いだった。
私は、午後一杯、ああでもないこうでもないと思案しながら過した。そんなわけで、まったく仕事に手がつかなかった。退社時刻も近くなったころ、庶 務係の女の子が、応接室にお客さんがお見えになったと知らせに来た。この時刻に一体誰が尋ねて来たのだろう。私は、小首をかしげながら応接室のドアを開い た。
驚いたことには、そこには、昨日別れたばかりの恭蔵がソファのはじにちょこねんと坐っていたのである。
私が応接室に入っていくと、恭蔵はあわてて立ち上り、私に深々とお辞儀をした。私は、恭蔵を見た瞬間、不吉な考えが脳裏をかすめるのを覚えた。も しや弥生が・・…・
「緒方さん」
恭蔵はしんみりと口を切った。
「今更こんなところにのこのこ姿を現わせた義理でもないんですが、ひとつ私の頼みをきいて下さらんでしょうか…・」
私が半信半疑のおももちでいると、恭蔵は言葉を続けた。
「実は、娘の弥生のことですが、どうにか一命はとりとめる見通しはついたのですが、うわごとでしょっちゅう緒方さんのお名前をお呼びするんです。意 識もはっきりしないまま”緒方さん、すみません”と言っては、涙をこぼしたりするんです。それで、はなはだ勝手とは思いながら、もう一度軽井沢までお越し いただいて、ほんの少しでも結構ですから娘の傍にいてやっては貰えまいかと思い、こうして参上したような次第です。せめて娘が意織を回復したときだけでも 結構です。あのうわごとの様子から察して、もしあなたが東京に帰られたとでも知ろうものなら、それこそ、そのシヨックで娘はそのまま死んでしまいかねませ ん。はなはだ無理なお願いで恐縮千万なのですが、どうか娘を助けると思ってこれから軽井沢まで私と一緒にかけつけては下さらんでしょうか」
そういいながら、恭蔵は、目に涙を浮かべ、肩を小さく丸めて私に何度も頭を下げるのだった。わかりました。喜んでご一緒いたしましょう、と私が云 うと、恭蔵は私の両手を握りしめ、両の目 から涙をポロポロとこぼした。小さく丸めた肩がこきざみにふるえていた。
上野駅から軽井沢へ向かう車中で、私は、いささか、不躾とは思いながらも、これまで私が凝問に思ったことをあれこれ恭蔵に問いただした。
私がまず例の紙切れを示して見覚えがあるかとうかたずねると、恭蔵は全く見覚えがないというのである。私は、そこで、この記号が何を意味している かわかりますかと尋ねた。恭蔵は、はてなというように首をかしげて見ていたが、次第にその顔が苦痛にゆがんでいくのが傍らからもはっきりと見て取れるほど だった。
「一体、この紙切れをどうして」
恭蔵はうめくような声で私に尋ねた。
「あなたには、この記号の意味がおわかりになったのですね」
私が尋ねると、恭蔵は、苦渋と恥辱とで顔面をピクピクけいれんさせながら、力なく首を縦にふった。
「この+、-は、あなたの検診の結果と合致するのですね」
私は念を押した。恭蔵は、もう一度力なく首を縦にふった。
「実は、緒方さん。こんな恥ずかしい話はしたくなかったのですが、あなたが軽井沢にお見えになる数日前でした。私は自分の脚のつけねのリンパ腺に妙 なしこりを発見したのです。まさかと思いながらも一応自分で血液検査をしてみたところ、エイズを発病させるウイルスであるHIVの抗体検査の結果が陽性と 出たのです。私は驚きあわてました。なにしろ私は妻以外の女性と接触したことがなかったからです。感染源は妻以外に考えられません。私は、しかし、直接妻 に向って血液検査をしろとは云い出しかねていたのです。そこであなたがお見えになった日に血液型を調べてやろうという口実で、全員の血液検査をやってみた のです。結果は全く恐ろしいことになりました。妻も娘の若莱も、妹の久子も、それに立川さんまでが陽性という結果が出たのです。もちろん、HIVの抗体検 査の結果が陽性と出ても、これがただちにエイズを発病するというわけではありません。10%から50%は発病までにはいたらず、HIVのキャリアになるの です。私は、その結果を誰にも知られないように診察室の机の引出しにしまいこみ、一体どういう処置を講じたものかと思い悩んでいたのです。その翌朝と云っ ても昨日の朝のことですが、弥生が立川さんと心中事件を起こしてしまったのです。それが原因で、私はまだ誰にもこのことは話していないのですが、明日から でも、各人の治療をしたいと思っておったところです。産婦人科が専門の私ども一家がこういうていたらくで、全く、面白ありません。」
「そうすると、あなたのほかには誰も今度の血液検査の結果は知らないはずだとおっしゃるのですね」
「私は、今の今までそう思っていましたが、ただこの紙切れが・・」
「あなたが、診察の結果を書いたカルテは鍵をかけた机の引出しにしまっておかれたのではないのですね」
「ええ、別に鍵をかけなくてもまさか盗み見るような者はおるまいと思いまして…・」
「ということは、誰か忍び込んで見ようと思えば見ることができたということですか」
「まあ忍び込んで見ようと思えば見れたでしょう。それほど厳重にしまい込んでいたわけじゃありませんし」
「とすれば、立川さんが忍び込んで見ることも可能だったわけですね」
「まあ、立川さんに限らず、一応家の中の者なら誰でも可能だったでしょう。ただ、金く性病や血液型についての知識が無ければ、カルテルを見ても、こ の紙切れに書いてあるようにまとめることは出来なかったでしょうがね」
「ところで、警察では、この事件を心中事件と見ているのでしょうか」
「おそらくそうでしょうな。一応家中の者の前夜の行動について、簡単な尋問をやっただけで引き上げていきましたから。もっとも、弥生が一命をとりと めそうだというので、意識が回復したら、尋問したいので連絡してほしいということでした。たしかに弥生からきけば、真相は全てはっきりすることでしょ う」
「ところで、ひとりひとりの前夜の行動に閑する証言はお聞きになったのですか」
私がこう尋ねると、恭蔵は所帯主ということで警察の尋問にはすべて立会ったので、大凡のことは覚えているということだった。恭蔵が私に話してくれた各人
の前夜の行動をまとめてみると次のようになる。
一、恭蔵は、あの夜、巨人・阪神戦のテレビ中継があるので、七時ちょっとすぎに、妻の律子ともども自室にひきこもり、十時過ぎには、ベッドに入っ た。十二時頃尿意をもよおしトイレに立ったが、無性に冷たい水が飲みたくなり、台所の冷蔵庫で冷やしている水を飲みに行った。自分の部屋に戻ろうとして、 応接室の前まで行くと応接室の入口のドアが半開きになっていたので、ドアをきちんと締めて、部屋に引き上げた。部屋には、妻の律子の姿が見えなかったが、 二、三分すると帰ってきた。そのまま朝の八時半近くまでぐっすリ眠った。
二、律子は、大体、恭蔵と同じ行動をとり、十時すぎには、べッドに入った。恭蔵がトイレに行った物音で目をさまし、自分も行きたくたくなったのでト イレに立った。廊下では恭蔵に会わなかった。自室に帰ると、夫はもうペッドの中にいたので、一緒に寝た。朝の八時までぐっすリ眠った。
三、久子は、八時頃、応接室を出、二階の自室で、松本清張の『ゼロの焦点』を読んでいたが十一時頃ベッドに入った。信夫が、十二時頃帰ってきて、ガ タガタさせたのでちょっと目をさまし、「お帰り」と声を掛けたが、そのまま朝方まで眠り込んでしまった。
四、若菜は、八時頃立川と一緒にドライブに行ったが、立川が体の調子が悪いからもう帰ろうかなどと意地の悪いことばかり言うのでカッとして二平橋の ところから歩いて帰ってきた。家についたのはかれこれ十時近くになっていたように思う。ガレージには、立川のフオルクスワーゲンも、信夫と由利が乗って いった弥生のブルーバードも見当らなかった。応接室でしばらく立川の帰るのを待っていたが十時半になっても帰ってこないので馬鹿らしくなり自室にひき上げ ベッドに入った。うつらうつらしながら車の音をきいたように思うけれど、眠たくて起き出していく気にもならずそのまま眠ってしまった。
五、由利は、信夫と碓氷峠の近くまで、弥生の車でゆき、十一時近くまで野鳥の啼声をきいていた。屋敷に引き返してきたのは十一時半近くだと思う。立 川さんの車はガレージにあった。玄関口で、信夫と別れ、自室にひきこもって眠った。疲れていたせいか翌朝の九時近くまでぐっすり眠った。
六、信夫は、由利と同じように十一時半近く屋敷に帰って来た。二階の立川さんの部屋の前を通るとき、立川さんがギターを弾きながら歌っている声をき いたように思う。緒方さんの部屋の前で緒方さんと会って、おやすみの挨拶をし、母の久子と同じ部屋で朝方までぐっすり眠った。部屋に入ったとき、物音で久 子が目を覚まし、「お帰り」と声を掛けたのを覚えている。
以上が、恭蔵からきいた各人の前夜の行動である。まったく残念なことには、(そしてまた当然なことではあるが)立川と弥生の証言がない。もっとも 弥生の方は、意識を回復しさえすれば証言が得られることになる。しかも、それですべてが明らかになるというわけだ。警察が、他の人の証言にあまり関心を示 さなかったというのも生き証人が息を吹きかえすというあてがあったからであろう。ただ念のために私の前夜の行動を補足しておこう。
前にも書いたように弥生と私は連れだって八時頃応接室を出、私の部屋で十二時近くまで一緒に過ごしたのだ。私は十時四、五十分頃と十一時半頃車の 音をきいた。各人の証言に照らしてみると、おそらく最初の方が立川の車で後の方が信夫たちの車だったのだろう。弥生が私の部屋を出るとき、他人に見られた くないというので、あらかじめ私が廊下の様子をうかがった。と、ちょうど信夫が階段の方からやってくるのを見つけたので私は、
「いま、外から帰って来たのかい。野鳥はどうだった」
と声をかけた。自室に弥生をかくまっているので、寄って行くとでも言われはしないかと気が気でなかった。信夫が
「うん、なかなか面白かったよ」
と言いながら、あっさり、奥の部屋にひきこもったので胸をなで下ろした。信夫が部屋に入ったのを見届けてから、私は弥生を二階の階段ぎわまで送って いき、そこで、おやすみのキスを彼女の額にそっとしてやり別れた。
自分の部屋に引き返しながら、立川の部屋の前を通りかかると部屋の中から立川がギターを弾きながら歌っているのが聞こえてきた。それは、信夫の証 言にある通りである。あれが生前の立川の声を聞いた最後ということになる。立川はなかなかいい声をしておりギターももうまく、よく夜更けまで歌っているこ とがあったので、私は別段気にもとめず、自分の部屋に戻り、ベッドにもぐりこみ、幸せの余韻にひたりながら、いつしか寝入ってしまったのである。
しかし、その後で、二人にいったい何が起こったというのであろう。
私が、弥生のベツドの傍にかけつけたのは、もう深夜近かった。しかし、まだ弥生の意識は戻っていなかった。薄暗い証明の下で見る弥生の顔は一段と 青白く死人のようにさえ見えた。左の腕にはリンゲル液の太い針がささっており、透明の液が一滴一滴管を通って弥生の体内に流れ込んでいた。枕元には律子が やつれた顔をして坐り込んでいた。いつもの浅黒い顔色が疲れで一段と黒みをおび、目の周りに大きなくまができていた。私が恭蔵と連れだって病室に入ってゆ くと、律子は、あわてて立ち上がり、いくども腰をかがめて、礼を言った。私がベッドに近付いた途端、弥生の全身がピクリと脈打ち、唇がかすかに動いた。律 子は弥生の上に覆いかぶさるようにして、
「弥生、弥生」と耳もとで名前を呼んだ。弥生はまぷたをとじたまま、唇を弱々しく動かした。
「オガタサンゴメンナサイ。ヤヨイノコトヲユルシテクダサイ」
一語一語くぎるようにして弥生はそう言っているのである。私は、我を忘れてベッドのそばに跪き弥生の耳元に、
「弥生さん、僕です。緒方です。ずうっとあなたのそばにいますから、元気を出して下さい」
と叫んだ。と、弥生が、今までとじていた目を薄く開いて私の方をばんやりと見たのである。目尻から涙がすうーっと伝わり落ち枕を濡らした。弥生は、 私の顔を確かめるかのように、その力のない瞳をこらして見つめていたが、
「オガタサン」
と小さな声で言うと弱々しく口元にほほえみ浮かべ、
「ワタシウレシイ」
と言い、また、きぷたを閉じた。涙がしずくになって両の目から流れ落ちた。そして右手を私の方ヘゆっくりさしのぺた。私はその手を両手でしっかりつ つみこんでやった。それは冷たく、やわらかい、如何にも弥生という女性らしい感触だった。そのとき私は、弥生をなおも愛し統けていることを強く感じた。
私が手を取ってやったので安心したのか弥生はそのままぐっすりと眠り込んでしまった。その夜一晩私はつきっきりで弥生の看病をした。午前四じ頃、
弥生は少しうわごとを言った。かなり大きな声だった。私はうとうとしかけていたがその声にあわてて弥生の枕元に飛んで行った。弥生は自分のうわごとに驚い
て目を覚ましたかのように、パッと目を開いたが、私がそばにいるのがわかると、安心したようにまた深い眠りに陥っていった。
その日の午後になると弥生の意識は次第にはっきりしてきた。しかし、まだ、人と話せるような状態にはならなかった。警察から、弥生の尋問をしたい がどうかという問い合わせせの電話があったが、恭蔵が、医者の立場から、あと一日待って欲しいと言うとそれでは明日にしましょうと警察の方では簡単に了解 してくれた。
そういう訳で、事件が発生してから三日目の朝十時、軽井沢警察署の警部二人が、弥生の尋問に現われたのである。二人とも以前、有藤家に取り調ぺに 來たことのある警部で、私も顔に見覚えがあった。
尋問ということで、私が弥生の部屋を出ようとすると、弥生が「一緒にいて下さい。ね、おまわりさんん、一緒でもいいでしょう」と言った。そう言っ たときの弥生の目にほ、青白く燃え立つような決意がこめられているのがうかがわれた。本人さえ良けれぱ、という警察側の意向で私は尋問に立ち合うことにな つた。
尋問は、弥生と立川がどういう関係だったかというところから始まった。弥生は、記憶の糸をたぐりよせるようにしながら、一語一語ゆっくりと答え た。唇がぴくぴくと震えており、声にも全く力が無かつた。まだ弥生には尋問は無理なのではあるまいか。私は、傍から気をもんでいた。
弥生の話は、ゆっくりと続いていた。
「二年前、私と立川さんは父の恩師に当たる方のとりもちでつきあうようになったのです。半年位つきあった頃、私は立川さんのプロポーズを受けました。しか
し私はまだ二十になつたぱかりだったし、まだ大学在学中でしたので、もうしぱらくご返事するのを待って欲しいと頼みました。それからも、交際は続けました
が、立川さんの態度になんとなくよそよそしいものがあるのに私は気づいていました。
「ちょうど二年前、やはり今年のようにこの別荘に立川さんも一締にやって来ました。そしてある日の夕方、裏庭の一番奥の落葉松のかげで、立川と若菜 が接吻しているのをたまたま見てしまったのです。私と立川とはそこまではいっていませんでした。私はそのとき妹のために立川をあきらめる決心をしたので す。立川は、私の態度が急によそよそしくなったと、それ以来私を非難するようになりました。しかし、私の口からは立川と妹のことについて何も話すわけにも いかず、私は、いかにも立川が嫌いになったように振る舞わざるを得なかったのです。しかし、妹の方は、いつまでも私の蔭にかくれて立川とつきあうのが嫌に なったのでしょう。ある日私に、『立川さんを愛している』と告白したのです。私は、その日立川に、あなたが嫌いなわけではないけれど、妹のために私は身を 引くことにしたとはっきりと伝えたのです。
「その頃私はここにいる緒方さんと四年振りに偶然お目にかかり、綿方さんのお人納にひかれて今から二月ほど前正式に婚約致しました。しかし、先月初 め、私たち一家が、この軽井沢にやってくると、立川も若菜に呼ぱれてすぐやって来、同じ家の中で起き伏しを共にすることになったのです。立川は折あるごと に蔭で私と結婚したいと迫るのです。私が緒方さんと婚約したと言って強くはねつけても立川は執拗に粘るのです。私もとうとう立川の熱意に動かされ、妹に隠 れて、夜遅く密会したりするようになりました。つい十日前、紺方さんがこの別班にお見えになったき、私の心は申し訳なさで張り裂けんばかりでした。私は昼 間は緒方さんと行動を共にし、夜になると陰でかくれて立川とあいびきを続けていたのです。
「しかし、そういう関係を続けてゆくことを私の良心が許しませんでした、緒方さんが帰られる予定の日の前の晩、私と緒方さんは初めて結ばれたので す。緒方さんが、私を心から愛してくださっていることがよくわかりました。しかし、その時ですら、私の脳裏からは立川のことが消えてはいなかったのです。 何という不実な女でしょう。私は、自分という人間がわからなくなりました。自分で自分のことがこわくなってきたのです。私はそういう自分自身のいやらしさ や、これ以上、緒方さんを裏切り続けることに耐えられなくなり、一切を清算するつもりで緒方さんと別れて階下に下りていったのです。
「私は自室で自殺するつもりでした。以前から、こうした不愉な関係を清算するために自殺することを考えていましたので、父の診察室に行けぱ睡眠薬の 注射液があることを確かめていました。そこで私は、父の診察室に行き睡眠薬のアンプルを持ち出して来ました。私が遺書を認めようとしていると立川が私の部 屋に入りてきたのです。
「気が動転していて鍵をかけるのを忘れていたのです。私はすばやく机の上に置いてあったアンプルの箱をかくしました。しかし、立川に見付かってしま いました。と、どうするつもりだ、と立川はききました。私は泣きながらこのままの関係を続けることは、私には耐えられない。婚約者の緒方さんや妹の若菜を 裏切り続けるよりは、いっそのこと死のうと思っていたと告白しました。すると立川は一緒に死のうと云い出したのです。私は最初冗談かと思いました。しかし 立川も本気で言っているのです。そこで私は最初立川に睡眠薬の注射をし、眠り込んだのを見届けてから、私はアンプル入りの睡眠薬を飲んで後を追ったので す」
話しながら弥生のまぷたから、とめどもなく涙があふれ出た。話し終ると、涙に濡れ青白いほどに澄んだ瞳で私をじっと見つめた。何という多くの感情 がそのまなざしにこめられていたことだろう。許しを乞うような、それでいてなおも、私を信じてほしいとでも言わんばかりだった。
「あなたは、立川がエイズだったことを知っていたのですか」
と警部が尋ねた。弥生は、えっという風に警部の顔を見上げた。これは明かに驚いた顔付だった。
「いいえ、知Oませんでした」
「立川が一緒にに心中する気になりたのは、おそらくエイズにかかったのを悲観してのことでしょう。もう相当症状が進んでいるような話でしたからね。 いや、お話は良くわかりました。いずれどういう扱いになるか署の方から連絡しましょう。あなたも二日二晩死ぬ目に合ったのだ。まあ、悪いようにはならない ように取り計らってあげましょう。あなたもエイズの男を追いかけ回すよりは、ここにおられるような、立派な婚約者と結婚したらどうですか。もっとも、緒方 さんとおっしゃいましたか、あなたの心一つではあるんでしようが」
そういうと警部は帰って行った。
警部が病室を出ていつた途端、弥生は、べッドにうつ伏せになって大声で泣きじゃくり始めた。私がなだめようとしても、取りつく島もなかった。弥生はその
日一日泣き続けた。
私は、最愛の女性にこっぴどく裏切られたショックで軽井沢にいるのさえ耐えられないほどだった。私は、よほど、その日のうちに軽井沢を立ち去ろう かと思った。しかし、何か割切れぬ感情が私の胸の底で渦を巻いていた。弥生と立川が心中する動機があまりにも薄弱に思えて仕方がなかったのだ。一応辻褄は 合っているもののそれはまさしく一応合っていると言うだけのことで、二人の男女が死を選ぶに至るすさまじいまでの情念が感じられなかった。
それに、私が弥生と一緒に過したあらゆる時間が、すぺて偽りだったなどとはどうしても信じられなかった。くちづけを交した後のあの乙女らしいうい ういしい恥じらいさえ、すぺて弥生の演技だったなどとどうして信じられよう。私と交した会話、私と見つめ合った瞳、今も私の心の中にくっきりと残っている そうしたシーンのすぺてが、みんなまがいものだったなどと今さらどうして信じられよう。
私は、翌朝、弥生の病室に一人で入って行った。枕元で看病していた由利に席をはずしてくれるように頼み、二人切りになったところで、
「弥生さん、僕にだけ本当の事を話してくれませんか。どうしてもあなたが私を裏切っていたとは信じられないのです」
と頼み込んだ。
弥生は、私がそう言っただけで、もう両の目に涙を一杯溢れさせ、私にとりすがってきた。
「緒方さん今さらこんなことを云っても信じて貰えないかも知れませんが、私が本当に愛しているのはあなただけです。どうか、このことだけは信じてい
ただきたいのです」
と言った。しかしそう言う弥生の顔には、依然としていたましいほどの苦痛のかげが浮かんでいた。
「弥生さん。あなたは何かを隠しているに違いない。そのことで苦しんでいるのだ。それだったら何もかも隠さずに私に話してくれませんか。二人で苦し みを分ち合いましょう。その方がずっと楽になりますよ。弥生さん、僕を信じて下さい」
仰向けに寝ている弥生の手を取リながら、私は頼み込んだ。弥生は嗚咽に身を震わせると、
「緒方さん、私のことはもう不実な女だったと忘れて下さい」
と涙声で言った。そう云いざま、私の腕をふりほどき、べッドに身を投げ出さんばかりに泣きくずれた。由利が泣き声を聞きつけて病室に入ってきた。
「緒方さん、どうしたんですか。弥生さんはまだ病人なんですからそっとしておいてあげなきゃだめじゃないですか」
由利は顔を強ばらせながら私に言った。私は、何も言いたくなかったので、そのまま黙って部屋を出た。
今度こそ、有藤家にお別れするときだと私は思った。時刻を見ると折よく東京行の急行に都合のいい時間だった。私は着替えを小さなパッグに丸め込 み、玄関先で遊んでいた信夫に別れを告げただけで、悄然と有藤家を出た。
軽井沢の駅までは歩いても二十分かそこらしかなかった。私は既にプラットホームに入っていた東京行きの急行列車に乗り込んだ。
発車のベルが鳴り終わろうとしたとき、私はどこかで誰かが
ーー緒方さーんーー
と絶叫している声を聞いたような気がして、あわててプラットホームに飛ぴ降りた。その途端、急行はガタンと動き出した。
見れぱ、髪を振り乱した弥生がプラットホームをおぼつかない足取りで転がるようにかけてくるではないか。私があわててかけよると、弥生は私の胸の 中によろよろと倒れ込んで来た。弥生は私にとりすがるなり、
「緒方さん、行っちゃいや、行っちゃいや」
と、二、三度激しく慟哭し、そのままぐったりと気を失ってしまった。私が抱きかかえるとはだしのつま先から血がにじんでいる。私の後を追ってそれこ そ死にもの狂いで、ここまで素足のままかけて来たのに違いない。駅員があわてて飛んで来、タクシーを拾ってくれた。
帰ると、有藤家では、弥生の姿が見えなくなったので大騒ぎをしている最中だった。タクシーを降りる頃には意識を取り戻していた弥生は、家族の者に は無理にほほえんで見せ、
「もう、元気になったので、そろそろ散歩でもしようと思って」
などと、場違いの取り繕いを精一杯するのだった。
その夜、二人切リになるのな待っていたかのように弥生は私にすぺてを告白したのである。
告白するに先だって弥生は、これは二人だけのことにしておいて欲しいと何度も念を押した。これから話すことをきいても、無理なお願いということは 分かっているけれど、あれこれせんさくすることだけは止めてもらえまいかと云うのである。私は、弥生が迷惑に思うようなせんさくは絶対にしないと約束し た。
弥生が話してくれたのは、実に驚くべきことだった。弥生が話し終えたとき、私は弥生という女性のけなげさに打たれ言葉も出なかった。話の内容は大 凡次のようなものだ。
弥生と立川は、二年前恭蔵の恩師に当る安岡K大名誉教授の引き合わせでつき合うようになった。弥生は、T大法学部大学院の博士課程にいるという立 川の肩書にひかれて一応つき合ってみたものの、最初のデートのときから立川にはどうしてもなじめないものを感じ、それほど積極的になれなかった。しかし立 川の方は熱心で足繁く有藤家に出入りするようになった。
ところが、つき合いだして半年目頃、女子大の午後の授業が休講のため、いつもより早めに家に帰ったたことがあった。家の中があまりに静かなので、 母親の律子は昼寝でもしているのかと、音をたてないようにして母親の寝室のところまでいってみると、中から立川と母親の話し声が聞こえてくるのである。し かもそれは、単純に母親とその娘の恋人の間のやりとりと云うより、云ってみれぱ、男と女の痴話とでも云うぺき種類の話だった。そして次第に弥生がきくに耐 えないような、激しく男と女とが睦み合う物音へと変っていったというのである。
それ以来、弥生は立川を避けるようになった。しかし、立川の訪問は止まなかった。しかも、とうとう妹の若菜にまで手を出し、いつのまにか若菜の恋 人の座におさまってしまったのである。手練手管にたけた立川に若菜はいいようにあやつられて、すっかり夢中になり、弥生がいくら忠告してもきき入れようと しなかった。逆に、お姉さんは私に立川をとられたので妬いているのでしょうという始末だった。
よっぽど父親に相談して立川の出入りを禁止して貰おうかと思ったけれど、母親の情事を娘の口から到底言い出しうるものではなかった。だから立川と いう男を憎みこそすれ、今までこれっぽっちも愛したことはなかった。私が愛するのは緒方さん、あなただけです。あなたが、叔母の家に家庭教師にいらっして たときから、私はあなたを秘かに慕っていたのです、と弥生は云うのである。
「あの夜、緒方さんに初めて抱かれたとき私は何としあわせだったことでしょう。本当にあのままこの世の終りまでじっと抱かれていたいほどの気持でし た。私はしあわせに胸を震わせながら階段を降りて行ったのです。ところが、私は階段の途中で見てはならぬものを見てしまったのです。今しも父が応接室から 出てくるところでした。父は、階段の上から私が見ているとも知らずすたすたと自分の寝室に引き上げてゆきました。今時分応接室に何の用事だろうと不審に思 い、私は、応接室の灯りをつけて中に入って行ったのです。
「私は一瞬息をのみました。ソファの上に立川が仰向けになって死んでいたのです。見れぱ、テーブルの上にアンプル入りの睡眠薬の箱があり、注射器 が、床に転がっていました。
「私は父が立川を殺したのだと直感しました、確かに自殺らしく見せかけてはありましたが、警察が調べればすぐ見破ってしまうに違いありません。それ に自殺ならぽ自室でやるのが普通というものでしょう。
おそらく父は、母親や若菜と立川のことに気付き殺す気になったのでしょう。それに、昨日の警察の方のお話では立川はエイズにかかっていたというこ
とですし、父はそれを知ったうえで、立川が有藤家の中で傍若無人に振る舞い、家庭の平和をすっかりめちゃめちゃしたのを許しておけなかったのに違いあリま
せん。
「私は、立川の死体の側で、がたがたふるえながらいったいどうしたものだろうと思案しました。よほどそのまま知らぬ顔をして自室に引きこもろうかと も思いました。しかし、駄目でした。私は、父を愛しているのです。愛する父をこういう立場に追い込んだのは、結局私がいけなかったせいだと私は思いまし た。私が初めから立川とつき合いさえしなけれぱよかったのです。立川の肩書や巧みな言葉遣いに最初は私も少しは迷わされたのです。それに母親とのことに気 付いた時に、父にとにかく立川の出入りを禁止してくれるように強く頼むぺきだったのです。
「しかし、そんなことを今さら悔んでみてもどうしようもありませんでした。目の前で立川が死んでいるのです。早く何とかしなけれぽ誰かがやってくる かもしれません。私は、そのときとっさに父の身代わりになることを決意したのです。このまま放っておけば、父が犯罪人としてしよっぴかれるのは火を見るよ りも明らかでした。とうしたら身代わりになれるだろう。私は思案しました。私がたとえ自分で殺したと主張しても信用してもらえるでしょうか。大の男に睡眠 薬を注射して殺したと言っても疑われるに決まっています。
「私はそこで立川と心中したように装うことを思い付いたのです。私は大急ぎで立川の死体を自分のベッドに運びました。必死になっていましたのでそれ ほど重いとか気味が悪いとも思いませんでした。とにかく誰にも見られないように注意しながら、自分のベッドの上に運び枕元に例のアンプル入りの睡眠薬の箱 を置き、注射器を転がしておいたのです。もちろん指紋の付いていそうなものはきれいに拭き取り、代わりに私の指紋を付けておいたのです。そうしておいてあ わてて遺書をしたため、アンプル三本分の睡眠薬を一気に口から飲み込みました。立川と同じように注射しなけれぱ疑われるかも知れないと思いましたが、自分 ではうまくやれる自信があリませんでした。とにかく私は、体中小きざみにブルブル震えていましたし、落ち着いて注射できるような状態ではなかったのです。
「薬を飲んでも私はすぐベッドに入る気になリませんでした。そのうち私は眠たくなってきました。そこでいやいやながらベッドに入り、愛したこともな い立川に私は一所懸命にとりすがっていったのです。薄れていく意識の中でできるだけ心中らしく見えるようにしなければならないと思いながら……。
「これがほんとうの話です。私は一生誰にもこの話をしないつもりでおりました。私はあの時死ぬ覚悟をしたのですから、たとえ、どんな不幸な目に合お うと、一生押し黙っているつもりでいたのです。でも駄目でした。息を吹き返してみると、やはり、私はあなたなしでは生きて行けないことに気付いたのです。 何度あなたのことをあきらめようと思ったかしれません。
「しかし、どうしても駄目でした。あなたが今朝家を出ていったということを知ったとき、私は我を忘れてあなたの後を追いかけていたのです。いくら目 分に言いきかせようとしても、駄目だったのです。自分でも知らないうちに、もう病室を抜け出し街頭を走っていたのです。もしも東京行きの急行に間に合わな かったら、私はそのまま線路に身を投げて死ぬつもりだったのです。プラットホームにあなたの姿を見付けたときのうれしさを何にたとえたらいいのでしょう。 私はむしろうれしさのあまりあなたの腕の中で気を失ってしまったのです。
「でも最初にもお願いしたようにどうかこの事件については、これ以上の詮索はしないでいただけないでしょうか。警察の方からも実は先ほどこの事件は 不問にふすという連絡を受取ったばかりなのです。これですぺてがうまくおさまるものなら、緒方さん、お願いですからそっとこのままにしておいてはいただけ ないでしょうか」
弥生は語り終ると私の方を哀願するような目で見つめた。私はいとしさにかられ、思わず弥生の唇に私の唇を押し付けていた。それは、あの夜のキスよ
りも、もっと甘く私の官能をくすぐった。
その夜自室に引き取ってから私は一人眠られぬ夜を過ごした。弥生に詮索しないで欲しいと頼まれはしたものの、あれが心中でなかったとすれぱどうし て立川は応接室で死んでいたのだろうという疑念までは完全に頭の中から払拭するわけにはいかなかった。それが新聞記者特有の習癖なのかもしれない。とかく 新聞記者というものは事件の臭いをかぎつけると、たとえからっぽのごみ箱の中にさえ鼻をつっこみたがるものなのだ。
立川の死因は、他殺だろうか。立川は本当に恭蔵に殺されたのだろうか。それとも弥生は立川が自殺したのを恭蔵が殺したと早合点したのではなかろう か。しかし立川の死因が自殺だったとしても、あの夜恭蔵が応按室から出てきたところを見たという弥生の証言が、正しけれぱ、恭蔵の態度には依然疑問が残る わけだ。その部屋の中に自殺している立川を発見したとすれば家長として当然何らかの措置をとるべきであって、そのまま黙って自室に引きこもったというのは どうも腑に落ちない。とすれば恭蔵がやはり立川を殺したのだろうか。立川を殺しておきながら、娘の弥生が自らを犠牲にして偽装心中を演出したのに便乗し、 のうのうと知らぬ顔をきめこんでいるのだろうか。
しかし、日頃の恭蔵を知る者にとってはそれは十分説得的をはいえない。たとえ、治療と偽って、立川に、睡眠薬を注射するに一番やりやすい立場にあ
る人物ではあるにしても。
私はそのとき恭蔵があの夜台所に水を飲みに行き、その帰リに応接室のドアが半開きになっていたのでそれをしめたと証言したのを思い出した。とするとちょ
うど恭蔵がドアをしめようとするところを弥生は目撃したのではあるまいか。実際は、恭蔵は部屋の中には入らなかった。だから立川が部屋の中で死んでいるの
を知らなかった。ただ半開きになっていたドアをしめたのにすぎない。そういうことなのではあるまいか一。
とすると・…
立川の死因が自殺ではなく他殺だったとして犯人になりうる可能性のある者はいったい誰だろう。私は、これまで私が知りえた情報を整理し犯人の割だ しにかかった。
暁の昭光が東の空をほんのりと染め始めた頃、私の脳裏におばろげながら、意外な犯人の姿が浮ぴ上ってきたのである。
私は、明方になってうとうとしたものらしく、目を覚まして時計を見るともうお昼近くになっていた。私が起き出してゆくと応接室から賑やかな笑い声 が聞こえてきた。中に入って行くと、弥生が、座の中央でにっこりとほほえんでいた。今日から、そろそろ起き出すことにしたというのである。顔色もすっかり 良くなって、二十二歳の若さがにおうようである。みんなが私にもやさしいほはえみをなげかけている。きっと弥生が予定通り今秋結婚式を挙げることにしたと 言ったからだろう。昨夜そういう話にしておいたのだ。
有藤家にもやっと平常な日々が巡って来たかのように見えた。まさか人を殺すような犯罪人が、この明るい顔付きをした人達の中にまざっているように は思えないほどだった。
午後になって、私と弥生がベランダの藤椅子に腰を下ろして話し合っていると、信夫と由利が連れだってやってきた。野鳥をききに行きたいが、弥生の ブルーバードを貨してもらえまいかと言うのである。
「この頃も二人で野鳥をききに行っているのかい」
と私は尋ねた。
信夫は由利と顔を見合わせると、
「あの事件があった夜以來一度も行きませんでした。だってお姉さんが病気じゃね、行く気にもなんないですよ」
「ところで信夫君、この前野鳥の録音を聞かせて貰ったけれど、あの録音したMDはまだあるかい。あったら、今急にききたくなったんだけと、聞かせて くれないかい。弥生さんにも聞かせてやりたいんだ」
私がそう云うと信夫は、二階からMDプレイヤーをもってきてくれた。小型のプレイヤーだけと野鳥の声を録音するため特別性能のいいやつを買ったん だ、といつぞや信夫が自慢していただけあって、しらふで聴くと本当に澄んだ美しい音色がした。私がスイッチをあれこれいじくりながら、何度も巻きもどし て、赤城山で早朝録音したというカッコウの鳴き声をきいていると久子もやってきて、
「まあ、今日は随分鳥の声にご執心のようね。それじゃ今夜でも、信夫と一緒に野鳥の声を聴きにいったらどう」
と横合いから口をはさんだ。
「信夫君、今夜僕を連れてってくれるかい」
と私は尋ねた。信夫は、
「うん、いいよ」
と気軽に答えた。弥生も一緒に行くといってきかないので、結局四人で二台の車に分乗して出掛けることになった。
その日の夕食が終わったのは、六時だった。七時から出掛けようということだったので、七時少し前に、私はカーデイガンを一枚余計に引掛けてゆこう と思い二階の自室に昇っていった。と、私の机の上に真っ白い角封筒が置いてあるのである。
「一体誰からだろう」
と不審に思い、私は急いで封を切った。
紙面に目を通すや否や私の顔色が変わってゆくのが自分でも分かるほどだった。
そのとき、自動車のエンジンの音がした。私は、窓側に走り寄って外を見た。
暮色立ちこめた庭木の間を、今しも、白いフォルクスワーゲンが猛然と街頭へ飛び出して行くところだった。
私は、脱兎のごとく階段を掛け下り、玄関口で、
「弥生さん、弥生さん!」
と大声で叫んだ。弥生があわてて自室かち飛び出してきた。
「弥生さん、今、フォルクスワーゲンが旧軽の市街地の方へ出て行った。あの車を追跡してください」
私は夢中で叫んだ。私の語気に、ことの重大さを感じたらしく、弥生はあわてガレージまで飛んで行った。
本道に出る曲がり角でフォルクスワーゲンはつかえていた。しかし我々の車が追い付かぬうちに、再び走り出した。旧軽の街中を猛スピードでふっ飛ば し、白糸ハイランドウェイに乗り入れた。相当なスピードだ。ついていくのがやっとである。しかも、先行車があると、カーブの多い道にもかかわらず、無理な 追い越しをかけるので、接触事故を起こしかねないあぷなっかしい運転をしている。鬼押出しに向う〃鬼押し出しハイウェイ”に入ったところで背後からパト カーのサイレンがきこえてきた。止むを得ず我々の車はスピードを落とした。フォルクスワーゲンは、一向にスピードを落とさず、たちまち闇の中に消えて行っ た。サイレンの音をうならせながらパトカーがその後を追って行った。
そこから、十分ほど車を走らせたところでパトカーが路肩に止まっていた。赤い点滅灯があわただしく回っている。その近くに四、五台の車が止まって おり、人垣が谷側をのぞき込んでいる。我々もその近くに車を止め、あわてて飛び下りた。パトカーの側でトランシーバーを使っている警官に、
「どうしたんですか」
と私は大声でどなった。
「まったく今どきの若い者は無茶をするね。白いフォルクスワーゲンがわれわれの制止もきかず百二十キロを超す猛スビードでふっ飛ぱしたあげく、この 急カーブを曲がりきずに、ガードレールを飛ぴ越え、崖下に突出している岩のところまでフッ飛んで行った。中に乗っていた二人とも二目と見られぬぐらいメ チャメチになっているよ。もちろん即死だね」
私は弥生の手を握りしめながら、ゴツゴヅと岩肌の出ている急な崖を一歩一歩下りていった。涙が目に溢れ、前がかすんで良く見えなかった。もっとも たとえ見えたとしても、この暗闇では大して変りがなかったことだろう。やっとのことで崖下につくと前半部がぐしゃぐしゃにへしまがったフオルクスワーゲン が夜目に浮かび上がった。その傍のむしろの上に、血まみれになった遺体が二つ並ぺられていた。そのあまりのむごたらしさに私は思わず顔をそむけた。弥生は 泣きじゃくりながち私にすがりついてきた。
夏ももう終ろうとしていた。浅間山から吹き降ろす風は夜に入り一段と冷たさを加えていた。いったいどうしてこういうことになったのだ。涙がとめど もなく私の頬を伝わり落ちた。その涙を冷たい風が吹き払って行った。
私は胸のポケットから先ほど私の机の上に置いてあった二人の”遺書”を取り出すとズタズタに引き裂き、空中高く放り投げた。それは桜の花ビラのよ うに夜目にも白く一瞬パッと浮ぴ上り、風に煽られたちまち闇の中に消えていった。
おそらくこれてすぺてが闇から闇へと葬り去られるのだ。私は涙を拳で拭いながら、哀しみとも安堵ともつかぬ深いため息をついた。しかし、あの浅間 山下ろしの風に散った遺書の中身を私は一生忘れることができないであろう。私はその一字一句を今もはっきりと記憶している。
「先生
先生には誰が立川を殺したかおわかりになっているはずです。実は昨日先生のポケットの中に、僕たちが事件当夜不用意に現場に置き忘れた紙切れを発見したと
きぼくたちは半ば観念していたのです。しかも今日の牛後先生がMDプレイヤーをきかせてほしいと言われたとき、僕たちにはもう逃げ場がないことがいよいよ
ははっきりとわかったのです。先生にはおわかりのように立川は、僕と由利とが、二人で力を合せて殺したのです。
一月ほど前のことでした。僕は、夜野鳥を聴きに出たのですが途中で腹痛を起したのでいつもより早目に家に帰ったことがありました。ところが母が部 屋にいないのです。僕は、変に思い家中を探し回ったのです。どこにもいません。最後に残ったのは立川の部屋だけです。まさかと思いましたが、立川の部屋ま で行って見ました。ドアがぴったり閉ざされていたので、悪いとは思いましたが、ドアに耳を押当てて中の様子を伺いました。間違いなく複数の人の気配があり ました。だが、いきなりノックするのをためらわせるような雰囲気が感じられたので、ぼくは家の外に出て、立川の部屋が覗き込める大きな山手欅の木によじ 登って、部屋の中をうかがったのです。小さな電灯しかついていませんでしたが、ベッドの上でうごめいている人影が見えました。母と特定できたわけではあり ませんが、その夜、部屋に戻って来たとき、僕がすでに部屋に帰っているのを見つけたときのあわてぶりや表情から、僕は母が立川の部屋にいたのは間違いない と思いました。ぼくはそのことについて何も云いませんでしたが、その後もそれとなく二人の様子をうかがっていると、二人の間に普通でないものがあるのを感 じることがありました。母はいまでも、二人の関係を僕が疑っていることなど知らないでいることでしょう。
僕は母を誘惑した立川を憎みました。由利と親しくなって一緒に野鳥を聴きに行くようになったある夜、由利が立川という男は本当にいやらしい男だと いうのでその理由を尋ねたことがあリます。由利が言うには盛んに由利までも誘惑するというのです。しかも由利は、立川が若菜さんはともかく、律子伯母さん とも関係しているらしいと言うのです。何という男だろうと僕は思いました。
あの日、由利が伯父のカルテを盗み見したのだと言って、伯父夫妻をはじめ、僕の母も、若菜さんまでがエイズにかかりておリ、その元凶は立川に間違 いないと教えてくれたとき、僕は立川の奴殺してやると口走った。と由利も一緒にやるというのです。泣きながら由利が云うには、立川におどかされてとうとう 二、三日前体を許してしまったと云うのです。血液検査の結果が出る前だったので立川がエイズだったとは知らなかった。きっと私も感染しているに違いないと 言うのです。
「由利が脅されたのは、先生が軽井沢へ來られた日の翌日、みんなが照月湖に出かけたあと、昼休みに由利が伯父と二人だけでくっついているところを、 立川に見られてしまったからです。もし立川に体を許さなかったら伯父との関係を伯母にバラして、病院から迫い出してしまうと脅かされたのだそうです。由利 は、伯母が伯父に対して極端に冷たいので伯父に同情しているうちに伯父が好きになってしまい、二人切りになったとき自分の方からしがみついていったところ を、たまたまハイキング先から、車で、ツリ道具を取り戻っていた立川に盗み見られたのです。立川のことですから、二人の間がうすうすあやしいと思い故意に 二人だけを毎日別荘に残し、秘かに監視するためにわざわざ遠いところを自分だけ引き返してきたのでしょう。
そういうことで僕たちは立川を殺すことを決意し、昼間の内に計画を練っておいたのです。
あの夜、由利は、こっそり立川に、特別の話があるので十一時に応接室で会いたいと伝えておいたのです。僕らは、野鳥を聴きにいくと見せかけ、近所 の林の中に車を止めておき、十時半に応接室の灯りが消えるとすぐに、それを待ちかまえていたように応接室に忍ぴ入リました。十一時になると立川がやって来 ました。僕が由利と一緒にいるのを見ると若干驚いたようでしたが、今一緒に夜の野鳥の鳴き声を聴いて帰って来たところだ、などと気軽に話していると立川も 例によってすぐ打ちとけてきました。僕は十一時十分過ぎには、もう眠たくなった、おやすみと言って応接室を出ました。誰も応接室に近付かないないように見 張るためです。
由利は、立川と二人切りになると例の紙切れを出して立川に見せたのです。そして立川さんはこんなひどい人とは思わなかったと泣きくずれたのです。 立川は由利が大きな声を立てようとすると少しあわてて、泣かないでくれとなだめにかかりました。そこで由利は、この結果は恭蔵先生もご存じなのだからあな たは明日にでもこの家から追い出されることになるだろう。しかし、もしあなたさえ良かったら私はあなたにどこまでも一緒についていくつもりですと言いまし た。と、立川は由利を信用したのか、それとも持ち前の自惚れから、女はいつも自分の意のままになるとでも思ったものか、それではそういうことにしようと 云ったのだそうです。
そこで由利は、お願いだからエイズの治療を真面目にやって、これ以上症状が進まないようにして欲しい、最近の研究では早めに治療すれば、症状の進 行を止めることもできるようになってきた。などといいながら、じつはここに、最近開発されたエイズの特効薬を用意してきたので注射してあげましょうと言う と、立川は何の疑いももたず左腕を差し出してきたのだそうです。由利はその腕をクロロホルムで消毒し、致死量の睡眠薬を静脈に注射したのです。
たちまち立川はぐったりソファの上で眠りこけてしまいました。僕はドアにに耳を押し付けて中の様子をうかがっていたのですが、由利が中から合図し たので、僕も中に入り立川が自殺したと見せせかけるために注射器に立川の指紋を押し付け、床の上に転がし、テーブルの上にはアンプル入りの睡眠薬の箱をお きました。しかし二人ともあわてていたので例の紙切れを忘れてしまったのです。おそらく立川はズボンのポケットにでも入れていたのでしょう。応接室の灯り を消し、私はその足で立川の部屋の灯をつけ、MDプレイヤーをセットしました。以前盗み取りした立川のギター演奏のMDをかけて、立川が部屋の中にいるよ うに見せかけたのです。それから二人して忍び足で玄関から外へ出、近くの林の中に止めておいた車に乗って、みんなに今帰ったと思わせるため、エンジンをわ ざとふかしながら玄関口につけましした。
由利はそのまま自分の部屋に直行しました。庭から見たとき、先生の部屋の灯りがついていたので、僕は先生の部屋のドアにノックして、『いま野鳥を 聴いて帰ったところです、立川さんは夜遅くまでギターを弾いていますね』とでもいうつもリだったのです。
ところが階段を昇ったところで先生と、パッタリ会ったのでじつは胆を冷やしました。ぽくが先生に『おやすみ』を云って自室に引きこもったのは先生 もご承知の通りです。部屋に入ったら母が僕が帰ったのをベッドの上から『お帰り』と迎えてくれました。
MDプレイヤーは演奏が終われば自動的にスイッチが切れるようになっていますので、十二時十分頃にはもう演奏が終っていたことでしょう。とにかく 私のアリパイさえはっきりしており、由利も口裏が合ううようにしておきさえすれば疑われずにすむと思っていたのです。
ですから翌朝弥生さんが立川と偽装心中しているのを見たときは本当にぴっくりしました。捜査にやってきた警察も初めから心中と思い込んでいるらし く少しもわれわれを疑う様子がないので実はほっとしていたのです。しかし、ほっとしたというのは語弊があります。
人一人を殺すということはそんな生やさしいことではありませんでした。日に日に心の上に重圧となってのしかかってくるのです。由利とても同じこと でした。僕達は、すぺてを白状してしまおうかと話し合ったことも幾度かあります。しかしどうしても駄目でした。しかし、今日先生がMDプレイヤーを持って 来てくれと言われたときに、僕らの心は決まったのです。へたなアリパイ工作をやったために逆に犯行があぱかれるというのも皮肉な話ですね。
人を殺した以上死んでお詫びするよりほかにありません。僕らはこれから死にに行きます。しかし、先生、僕らの最後の勝手なお願を聞いていただけな いでしょうか。このことは、先生だけの胸の中にしまっておいていただきたいのです。この手紙は読み終えたら、焼くなり破くなりして捨てて下さいませんか。
僕らが殺人犯人だったと、両親や皆さんに知られたくないのです。
僕らはおそらく交通事故で死ぬことになるでしょう。運転のへたな若者が、無謀運転で死んだということにしておいて欲しいのです。
先生、それではお元気で、さようなら。ぼくらの後を絶対に追わないで下さい。
辻信夫
三好由利」
あなたは、この部屋への1998/9/24日以来
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