遺 書は風に散った | 情事のたしなみ|遺書をしたためる間に|ジョギングシューズ|浮気の報酬|二重の環|
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(ミステリーの部屋)

遺書をしたためる間に

(1970/8/25完成)namikoeye.JPG
(1999/3/22~1999/5/24連載)
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(1999/3/22掲載)

 これは、わたしの処女作である。

 1970年8月、長男が生まれる少し前、妻の実家に妻ともどもお世話になっていた頃、夜中、布団の中で、このミステリーのプロットが 突然浮かび、起きだしていって、メモをとった。

 それまで、完成した作品がなかったので、今回だけは、とにかく、終わりまで、一気に書き上げようと努めた結果、長男が生まれて3日後 の8月25日までに180枚の原稿を完成することができた。その顛末は、「マニアからの転落」に書いた ので、参照していただきたい。

 当時はワープロなどの便利なものがなかったが、ある人が好意で和文タイプで打ってくれた。それを、ガリ版印刷の業者に頼んで100部 ほど刷ってもらい、友人、知人に配ったのだ。その一部が手許に残っていたので、今回連載することにした。
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遺書をしたためる間に


目次1
まえがき 1 2 3 4 5 6 7 8
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 パレスサイドホテルの八階からは眼下に広がる美しい皇居の緑が眺められる。

 私は遺書を書き始めた。自殺用の遺書というやつを。こんなに美しい景色を眺めながら、ようやく三十になったばかりの若さで自殺用の遺書を書くはめ になろうなぞとは、私自身夢想だにしなかった。まったく人生には予想もしないことが多い。時刻は、いま午前十時四十分過ぎだ。予定の十一時まではまだたっ ぷり時間がある。

「父さん、お母さん先立つ不孝をお許し下さい・・」

 どうもありふれていて面白くない。書き慣れぬ遺書をいかにも遺書らしく仕上げるとなるとなかなか骨の折れる仕事だ。しかし、十一時までにはなんと かなるだろう。

 それに自殺用の遺書というやつは、完成してはじめて自殺の証拠となりうるのだ。だから自殺用の遺書を書いている間は、確実に生命だけは保証されて いる。

 まあそういうわけだから、つい七五日前までは中央官庁のエリート官僚として、エリートコースをひた走りしていた私が、どうして、こんなところで自 殺用の遺書なぞ書くようなはめになったのか、私が遺書をしたためる間に聞いておいていただくことにしよう。


    一



「一夜眼がさめるや、私は有名になっていた」とは、イギリスの詩人バイロン卿の有名な言葉である。バイロン卿にならった言い方をすれば私の場合「二日二晩 生死の境をさまよったあげくやっとのことで意識を回復するや私は一躍有名になっていた」とでも云えるだろう。しかし、バイロン卿が得たのが名声と栄誉で あったすれば、私が得たのは無理心中の生残りという悪名だけであり、しかも、私は意識を失っている間に自分の社会的地位や名誉の全てを失っていたのであ る。

 私が意識を回復したとき、私の担当医は、「これは奇跡だ」と言ったそうだ。あと数十分発見が遅れていたらそれこそ完全に駄目だったらしい。

 意識が回復していく過程で、私は何度も、母親の声を聞いた。泣きむせぶような声で、「淳しっかりしておくれ、淳・・・」と私にとりすがって泣く母 親の声を。母親というのは、いつも決まって泣き役で登場するものだ。私は、ぼんやりした意識のなかでそう考えていた。

 ところが、意識が回復したとき私の枕元にいたのは、妹の真理子だった。医者は、「妹さんの献身的な看護がなければ、回復は無理だったかも知れな い」と私に言った。

 母親は、私の枕元に一度も姿を見せなかったというのだ。おそらく母は、不名誉な姿で発見された私を見捨てたのだ。それも見栄張りの母にとってみれ ば当然のことだったかも知れない。

 私が意識を回復したとき、軽井沢の柏陽病院のロビーには少なくとも十人以上の新聞雑誌の記者やテレビのレポーターが待っていた。私と記者会見をす るためである。

 医者は、新聞記者連の扱いに慣れていなかった。報道の自由を振りかざして、私に早く会わせろと激しく詰め寄る記者達の前に、意識を回復して間もな く、疲労困憊の極にある私を、ひきずり出すことを止むなく承知させられてしまったのだ。それでも、医者は、私が意識を回復してから、記者会見までに、約三 時間の時間的余裕だけはなんとか取ってくれた。

 「記者会見」と聞いたとき、私は、何のためにそんなことが必要なのか皆目見当がつかなかった。いや、自分自身が、どうして、こんな病院のベッドの うえで意識を回復し、九州の田舎から、妹までがわざわざかけつけて看病にあたっているのかさえ何もわかっていなかった。言ってみれば、私は、自分の置かれ ている状況について皆目チンプンカンプンだった。

 「三時から記者会見だって?一体俺が何をしたのだ。真理子、教えてくれ」

私は、まだズキズキする頭を押さえながら妹に言った。

「それでは、お兄さんは、なんにも知らないっていうの?こんなことをしておいて。お父さんもお母さんも、今度のことではひどくおこっていらして、と うとう看病にも来られなかったぐらいなのよ」

真理子は、呆れたというような口のきき方をした。

「おれはなにも知らないんだ。いったい何がこのおれに起こったんだ」

「それでは、この新聞を御覧になれば、自分が何をなさったか、お分かりになるはずよ」

ちょっぴり皮肉めかして言いながら、妹は、ベッドの枕元に置いてあった新聞の山の中から一部を引き抜くと私の目の前に広げて見せてくれた。

『女優の吉野菜美子、エリート官僚と心中』

新聞の三面トップにデカデカとこんな見出しがあるのがいきなり私の目に飛び込んできた。しかし、新聞の日付けは、まちがいなく昨日付けのものだ。私 はむさぼるように記事を読んだ。

「有名な女優の吉野菜美子さん(25)が、今朝八時頃、彼女の軽井沢の別荘で心中死体となって発見さ れた。死因は睡眠薬によるものである。発見者は、吉野さんの別荘の隣に住んでいて、吉野さんの知人である上原芳夫氏。

 上原さんの話では、その朝七時三十分頃、吉野さんのマネージャーをしている吉野さんの実姉、田村善 子さんから電話があり、吉野さんに是非とも連絡したい事柄があって別荘に電話したが、一向に電話口に妹が出ないので様子を見てきてくれと頼まれ、吉野さん の別荘に出向いたところ、内側から鍵がかかっており、様子がおかしいので、近所の人にも連絡のうえ、台所のガラスをやぶって邸内に入って調べたところ、吉 野さんの寝室に睡眠薬による心中死体を発見したものである。なお、心中の相手は、宮山淳さん(30)であることがわかった。宮山さんは、貿易産業省のエ リート官僚で東大法学部卒業後直ちに同省に入省し、現在は万国博関係の課長補佐をしている。三週間ほど前、某週刊誌に”吉野さんと婚約か”というような記 事が載ったことがある。なお、宮山さんは、重態であるが、生命をとりとめる可能性が出てきた模様である。枕元に吉野さんの署名入りの遺書があり、書体も吉 野さんのものに間違いないと関係者は語っており、覚悟のうえでの心中とみられる。

 吉野さんの遺書(原文のママ)

『菜美子は、もう生きる望みを失いました。演技にも限界を感じます。愛する宮山さんと結ばれることも できそうにありません。わたしたちは死を選びます。吉野菜美子』

 実姉の田村善子さんの談話。

「妹が心中したなんて信じられません。心中の原因について、わたしは何の心当たりもありません。日生 劇場でのハムレット(吉野さんは主役のオフェーリア役)公演をあと一月後にひかえて、どうして死を選んだのでしょう。宮山さんという方には、万国博関係の お仕事で、菜美子は

二三度お目にかかったことがあるくりだと思いますが、二人の仲がこれほど深くなっていようとは、マ ネージャーのわたしでさえ全然気が付きませんでした。

 某女性週刊誌に、「吉野菜美子、エリート官僚と結婚か?」という記事が出たときも、相手の方がお気 の毒だと言っていたぐらいでしたのに。こんなことを言っては、何ですが、宮山さんの方から無理矢理心中に誘われたのではないかという気がします。根が純情 なたちですから、何か宮山さんに同情して、こんなことをやってしまったのではないかとも考えられます。昨日、久しぶりに休みが取れたというので、心の洗濯 をしてくると大喜びで軽井沢の別荘に出かけたのですが、今になって考えると、一人でやらず、いつものようにわたしがついていってやれば良かったとそればか りが心残りです。そうすれば、こんなことにはならなかったでしょうに・・・」

 貿易産業省の宮山氏の上司万博担当監理官由沢氏の談話。

「宮山君は、きわめて優秀な役人で、同期生の中でも光った人物です。今度の万博の企画自体が彼のアイ デアによるものだし、現在も万博の渉外関係の仕事を一手に引き受け実に手際よくやってくれていたので、私も、全幅の信頼をおいていたのですが・・・例の週 刊誌の記事が出たときも別に気にしている様子はなく、天下の美人女優の相手役に自分ごときでは、全くの役不足で、申し訳ないなあなんて、笑い飛ばしていま したよ。心中する原因ですか。さあ、私は、彼のプライバシーについて全く知りませんので、何の心当たりもないと言わざるをえませんな。しかし、日頃職場を 同じくしていて彼が心中をするような人物だったとは信じられず、ニュースで知って本当に驚いているところです。彼が三十にもなって独身だった理由ですか。 別に深い理由なんて何もないでしょう。役人の結婚は一般的に遅いし、現に彼の同期の連中のうちで半分以上がまだ独身ですよ。私も結婚したのは、三十になっ てからですから」

 そのほか新聞記事の中には、吉野菜美子の死亡推定時間は午前二時頃らしい、とか、女優としての吉野菜美子を悼む各界の名士の言葉とかが出ていた。

  わたしは、新聞記事を読み始めるや、クラクラとめまいを覚えた。信じられなかった。どして、わたしがこんな立場に置かれることになったのだ。運 命の女神は嫉妬深いとは言うが、日頃のわたしにも似合わぬ、ほんのちょっとした気の緩みが、わたしをこんな抜き差しならぬところに追い込んだのだ。

 記者会見の時刻は迫っていた。わたしは、心を決めた。できるだけ当たり障りのない受け答えをしよう。天下の美人女優、吉野菜美子の心中の生き残り が、マスコミにどのように扱われるか、最初からわかっているようなものだった。たとえ、わたしが、二日二晩の悪戦苦闘の末、やっとのことで意識を回復した としても、わたしはどっちみち、天下の美女吉野菜美子を無理心中に誘い込み、彼女を殺したばかりか、自分だけはのうのうと生き残った悪者扱いされるのが、 オチというものだった。とすれば、わたしがいくら申し開きをし、この際身の潔白を申し立てようと、マスコミはそうは書いてくれないだろう。日本人の心情に 媚びた、心中の生き残りの煮え切らぬ態度に対する厳しい侮蔑の論調が、どっちみちマスコミの主潮になることだろう。わたしは、できるだけ、そういう愚者に なることを避けなければならない。そのためには、できるだけ本当のことを話さないようにすることだ。わたしは、まだ痛む頭を抱えながら、そう判断した。
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   二


記者会見を始める前から、記者の頭の中には、ちゃんとした記事の構成が出来上がっているようなものだ。会見者の一言半句を、自らのつくったいたス トーリーの中に適当にはめ込んでいって、一般受けするいかにももっともらしい記事に仕立て上げるのが、記者の腕の見せ所でもああるのだ。渉外関係の仕事を やっていると、そのあたりの感覚だけは強くなる。

 翌朝の朝刊に載ったわたしの記者会見の模様は、大体次ぎのようなものだった。

『宮山淳氏、意識回復ーー心中の真相を語る』

 宮山氏は、青白いひどくやつれた顔で待ち構えた報道陣の前に現れた。足許はふらついており、目には 一切の生気もなく、まだ頭痛と吐き気がするようすだった。しかし、その割には、宮山氏の発言は、強気のものであった。医者の注意もあり、われわれの会見時 間は、二十分に制限された。一問一答は次の通り。

「心中の理由は何か」

「理由は、彼女の遺書にある通りだ」

「ということは、彼女と結婚できないことを悲観して心中したのか」

「そうだ」

「いつ頃恋愛関係になったのか」

「今年の初め頃からだ」

「どうして、結婚できないと考えたのだ」

「彼女は、女優、私は、国家公務員。あまりに境涯が違い過ぎる」

「彼女は、演技に限界を感じたと言っているが、そんなことを話し合ったことはあるのか」

「彼女は口癖のように、美しいということだけで、お人形さんみたいな役ばかりやらされるのは、いやだ と言っていた。きっと、もっと演技派になりたかったのだろう」

「ところで、どうして知り合ったのか」

「それは、記者の方々の方がよく御存じのはずだ」

「それでは、四日前に、軽井沢行きの急行列車に乗ったときから一緒に死ぬつもりだったのか」

「そんなことはない。軽井沢に着いてから決心したことだ」

「どちらが先に言い出したのか」

「菜美子のほうだが、私もすぐ同調した。こんな美人と一緒に死ねるなら何の思い残すこともないと思 い、すぐ同調したのだ。あなたがたの中にも、彼女となら死んでもいいと思う人があるはずだ」

「どちらが先に薬を飲んだのか」

「心中するときは、一緒に飲むものだ。先に飲んで、一人だけ死んだのでは心中にならないからね」

「ところで、あなた一人だけ生き残って、菜美子さんに対して良心の呵責を感じないか」

「菜美子には悪かったと思っている。しかし、私も二日二晩、生きるか死ぬかのメに合ったのだ。いっそ 一思いに死んだ方が楽だったかも知れない」

「吉野菜美子のファンがあなたが菜美子を殺したのだと怒っている。なにかファンに対してお詫びの言葉 はないか」

「私は、生き残ろうとして生き残ったわけではない。私が憎い気持ちはわかるけれど、生き残ったからと いって、私から、彼女のファンにお詫びする筋でもないだろう」

「ところで、あなたは、貿易産業省に以前通り勤務するつもりか」

「あなたがたジャーナリストのおかげで、私は意識を回復する前にすっかり悪名のみ高くなった。どちら さんの記事だったかは忘れたが、宮山氏の職場復帰は無理であろうとの予想記事まで書いてある。私も、こういうことになったからには、今さら前の職場に戻る つもりは全然さい」

「それでは、今後どうするつもりだ」

「あなたがたがすっかり有名にしてくれたので、タレント候補として、参議院選挙にでも打って出ます か」

 その記事の一番最後に、警察は、本事件を心中事件として扱い、捜査を打ち切った旨が小さく報道されていた。
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(1999/3/26掲載)

三

 わたしは、吉野菜美子の遺書を読んだとき、これは、おかしいと思った。まったくでたらめだからだ。彼女は演技に 限界を感じて自殺するタイプの女ではない。それに、「愛する宮山さん」とはよくも書いたものだ。われわれの間は、ほんの四、五回万博関係の仕事で、事務的 に会っただけなのだ。結婚話だなんてちゃんちゃらおかしいもいいところだのだ。

 それなのに何故彼女は、あんな遺書を書き、わたしを道連れにして死を選んだのだろう。わたしには見当がつかな かった。死にたければ、ましてや、ほんとうに演技に限界を感じたのであれば、愛してもいないわたしと結ばれないことを苦にするようなでたらめな遺書を残し たりせずに、独りでいさぎよく自殺すればいいのだ。わたしが彼女の死床のかたわらにいることがどうして必要だったのだろう。そのあたりに何か鍵が隠されて いるような気がする。

 わたしは、そう思って、あんなでたらめな記者会見をしたのだ。わたしが彼女と一緒にしななければならなかった理 由が何かあったとすれば、それをあばき出してやろう。そのためにも、わたしが彼女を殺したのではないかとか、この心中の背後には何か隠されたものがあるの ではないかなどという嫌疑をかけられないようにしておく必要がある。ほんとうのことを話せば、警察が、わたしに疑惑を持つことになるかもしれない。そうな れば、わたしの今後の行動は大幅に制約されることになる。この際、わたしとしては、完全に、吉野菜美子の心中の片割れになりすますことによって、そうした 疑惑を完全に払拭しておくほうが賢明というものだ。

 実際のところ、記者会見の前に、わたしの供述を取りにきた警官も、わたしのことは疑っているようではなかった。 わたしは警官に対しても記者会見のときと大同小異のことをしゃべったのだ。とにかく、二日二晩生死の境をさまよって奇跡的に生き返ったと言う実績がある。 菜美子に対してたとえわたしが殺意をもっていたとしても、他にいくらでもうまい殺しようがあるってものだろう。自ら二日二晩も、死線をさまようような危険 きわまりない殺し方を、賢明な殺人者が採用するはずがない。
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 四



 ところで、ほんとうの話はこうだ。

 わたしと菜美子とは、万博関係の仕事でほんの四、五回会ったことがあるとは前に言った通りである。万博ホールで 公演するページェントに、メインのキャスター役で出演してもらうため、彼女の事務所やホテルのロビーで事務的に会ったまでのことで、愛とか恋とか言ったも のとは、全然関係のない間柄だった。

 ところが、この事件の二週間ほど前に『レディースウィークリー』という女性週刊誌が、「吉野菜美子、エリート官 僚と結婚か」というスクープ記事を掲載した。記事のほうは、例によって週刊誌独特の、どっちにもとれるいいかげんなもので、本人達はお互いに否定し合って いるが、吉野菜美子は、第二の司葉子になる可能性もあるというようなことが、関係者の話とかを適当に織りまぜながら面白可笑しく書いてあった。ただ、いつ の間に撮ったのか、わたしの大写しの写真と、パレスサイドホテルのロビーで話し合っているわれわれ二人のカラー写真が麗々しく掲載されており、いかにもそ の記事をほんとうらしく見せるのに役立っていた。

 オフイスの同僚には、ひやかされるし、菜美子のファンから抗議めいた電話がかかってくるやで、私は大いにめいわ くをこうむったものだった。

 それから一週間して、当の吉野菜美子から直接電話が、役所のわたしのところにかかってきたのだった。

「このたびは、あんな記事が週刊誌にでたりしまして、ほんとうに御迷惑をおかけしました。ついては、おわびのた め、是非とも私の別荘に御招待したい」と云うのだ。天下の美人女優から直接電話があったということだけでも私は有頂天になった。ましてや、彼女の軽井澤の 別荘に招待したいと云うのである。

 普段のわたしだったら、あまりに現実離れしたこの誘いを、はっきり断ったことと思う。しかし、わたしは渉外係と して、そのころ、いろんな有名人や、女優とちょくちょく会っていたし、事実、彼女にも四、五回会ったことがあった。芸能界では、こんなことは普通なのかも しれないとわたしは思いもし、菜美子が甘い声で、

「遠慮なんかなさらなくってもいいのよ」

とくりかえすうちに、わたしは、ふらふらと酔ったような気持になって、いつのまにか承諾の返事をしてしまっていた のだ。

 それから一週間後の約束の日、わたしたちは、上野駅で落ち合い軽井沢行の急行に乗った。わたしは、菜美子は当然 目立たないもっと地味なみなりで現われるものと思っていた。ところが、予想に反して彼女は、かなり目立ついでたちをしていた。どうみても普通の女ではない 感じをあたりにただよわせていた。こんなことでは、またしても、週刊誌の好餌になりかねなかつた。グリーン車に乗ったものの、道路を通り過ぎる人が誰しも われわれの方に視線を投げかけていった。

「あの人、吉野菜美子じゃない」

といっている若い女性の二人連れもいた。おまけに、わたしのことまで知っていて、

「あのつれの男性は、この前週刊誌に出ていた宮山淳とかいう人じゃない。そう貿易産業省のエリート官僚の。あの記 事やっぱり本当だったのね」

とささやいているのさえ耳にした。わたしは、いても立ってもいられないような気持だった。菜美子は平然として、本 を読んだり窓の外の景色をながめたりしていた。わたしたちは、急行列車の中では、あまり言葉を交さなかった。気軽に雑談ができるほど親しくもなかったの だ。

 軽井澤についても菜美子の態度は変らなかった。駅前でサインをねだりに来た女子学生に気軽に応ずると、タクシー にも乗らず彼女の別荘まで一緒に歩いた。もっとも、別荘までは歩いても十分かそこらしかない道のりだった。しかし、それにしても、ゴシップを極端に嫌う芸 能人としては少し腑に落ちない態度だった。

 別荘は、大通りから細い道をうねうねと入った静かなところにあつた。切妻屋根のしやれた二階屋で、はりや柱に 塗った自いペンキの色が、まわりのけやきの緑に映えて美しかった。別荘には管理人もだれもおいていないようすだった。

 菜美子は、玄関の鍵を開けてわたしを二階の一室に案内すると、

「今夜は、この別荘には、わたしたち二人きりよ。大いに楽しみましょうね」

と言うなり、いきなりわたしに抱きついて来、激しくわたしの唇を求めた。

 わたしは呆然として突っ立っていたが、二人きりの別荘で天下の美女にしがみつかれてみるとたちまち激しく興奮 し、菜美子の体を両手で強く抱き締めた。

 すると菜美子は、

「だめよ、だめよ。今はだめ、さあ、軽くシャワーを浴びて、夕食を食べに、近所に出ましょうよ。その後でね」

 そういって、わたしの体を両手で押し返した。

「その後でね」とはいったいどういう意味だろう。

 シャワーを浴びて外へ出たときも、菜美子はまたしても、二人連れであることを見せびらかすようにして、軽井沢の 一番の目抜き通りを歩き回った後で、避暑地に似つかわしい、しゃれたつくりのレストランにわたしを案内した。そこでわれわれは、生ビールで乾杯し、融ける ように柔らかいラムステーキを頬張った。デザートのマンゴープリンも素敵だった。ここでも、わたしは、周りの連中の目がわれわれのうえに注がれているのを 痛い程感じた。

 わたしたちが別荘に戻ったのは八時半ごろだったろう。わたしは。「その後でね」という彼女の思わせぶりな一言が 気になってしかたがなかった。

「さあ、殿方、こちらの部屋でごゆるりとお休み遊ばせ。これがパジャマよ」

菜美子は、剽軽にそう言うと、わたしのパジャマを手渡すなり、クルリと振り返り筋向かいにある自分の寝室にスタス タと引っ込んでしまった。

 わたしは、ほぞを噛んだ。現実がそれほど甘いはずがない。さっきのキスも、彼女にしてみれば、ほんの座興に過ぎ なかったのだろう。わたしの期待だけを風船玉のように膨らませておいて、鋭利な針を突き刺して笑っているのだ。わたしは、自分の軽薄さに胸を掻きむしりた い思いにかられながら、のろのろと元気なく、パジャマに着替えた。

 所在なく、暗い窓の外のけやきの大木を見ていると、ドアにノックがあった。わたしはハッとして振り返り、急いで ドアを開けた。そこにはピンクのネグリジェに着替えて、あやしいほどに美しい吉野菜美子が立っていた。ニッコリほほえみかけるやいきなり、わたしの胸の中 に飛び込んで来、燃えた柔らかいくちびるで、激しく、わたしのくちびるを覆った。

 わたしは夢中だった。夢中で彼女をかき抱いた。彼女は自分のベッドにわたしを誘った。彼女はまるで飢えた雌豹 だった。あれほど激しい女の欲情をわたしは知らなかった。彼女のくちびるから、ひっきりなしに狂おしい嗚咽がもれた。しばらく激しくもつれあったあとで、 彼女の仰け反りかえる真っ白い裸体のうえにわたしの激情は果てた。

 われわれは、お互いの腕の中に、しばらく享楽の余韻を楽しんだ。二人とも全裸だった。彼女の真っ白い裸体が、赤 いスタンドの光に染まってなまめかしく浮かびあがっていた。わたしは、その彼女の右の下腹部に小さなダイヤの形をしたアザがあるのを見つけた。彼女のそん な秘密を誰が知っていよう。このわたしだけが知っているのだ。わたしは、幸福感に酔い痴れていた。

「わたし、のどが渇いたわ。あなたも何かどう?わたし、用意しておいたの。ジュースがいいかしら、それともワイン にする。ナポレオンもあってよ。でも、こんなときには、冷たく冷やした赤ワインって案外素敵なのよ」

私ものどが引きつるように渇いていた。

「そうだな、それじゃその冷たく冷やした赤ワインでも貰おうか」

わたしがそう言うと彼女は、大きなしゃれたワイングラスになみなみとワインを注いでくれた。

「さあ、わたしたちの幸せのために、乾杯しましょう!」

「乾杯!」

グラスを鳴らして、わたしは一気に飲み干した。

あの、ワインの波打つ紫色の美しさが、今もって、わたしの記憶のなかで漂っている。

 しかし、それが意識を失う前のわたしの最後の記憶でもある。わたしは、たちまち深い井戸に落ち込んで行くような 激しい眠気に襲われ、そのまま、意識を失ってしまったのだ。

 新聞記事によると、枕元に置かれてあったワインから、かなり強烈な睡眠薬が発見されたということになっている。 とすれば、彼女は、わたしに致死量の睡眠薬を飲ませた上で、わたしの死を見届け、例の遺書をしたためると、自らも睡眠薬入りのワインを飲んでわたしの後を 追ったのだろうか。

 いずれにしても、あの遺書がわたしが生き返ることを予想して書かれたものではない、ということだけは、確かであ る。

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五










 私の健康は、目に見えて回復した。しかし、健康が回復するにつれて、私の屈辱感は、ますます激しくつのっていっ た。”心中の生き残りの片割れ”とは、また何という光榮な役回りであることか。おそらく、美人女優吉野菜美子とエリート官僚宮山淳の情死行は、昭和元禄に 酔いしれる一般大衆の猟奇的な興味を満足させるのに格好のニュースであったのだろう。

 マスコミは先を争って、このニュースをほじくりまわし手を替え品を替え大衆の野卑な興味に応える記事を掲載しは じめた。光栄な心中の生き残りのわたしのところにも毎日大勢のジャーナリストやレポーターが押し掛け、わたしの一言半句にむしゃぶりつき、憶測と思いつき のソースを小さな事実のうえにたっぷりとかけた料理を次々と飢えた読者の前に提供していった。

 わたしは、できるだけこうした記事の載った新聞雑誌を買い漁り、読みあさった。自分が見落としている事実を見逃 すまいと努めた。この心中事件の裏には何かある。そう思った。そしてそれを白日の下に曝し出すことのみにしか、わたしのこの大きな屈辱感を癒しうるものは あり得なくなっていた。

 わたしは、丹念にあらゆる記事に目を通し、重要と思われる事実のメモを取り始めた。

 発売日の関係で、例のわたしと吉野菜美子の婚約記事を載せた女性週刊誌「レディス・ウィークリー」は、ちょうど 事件があった日から一週間目に発売された。しかし、それだけに、記事の内容は充実していた。

「吉野菜美子、恋の逃避行の全貌」というタイトルで全巻のほとんどをその特集に充てており、驚いたことには、わた しと彼女が、上野から軽井沢の別荘に赴き、その後、レストランで夕食を取っているところまでもが、カラー写真で、巻頭のグラビアを完全に埋めていたのだ。 そのグラビアには、こんな解説がついていた。

 前々号で報道した通り、わが社は、吉野菜美子さんと宮山淳さんと の婚約をスクープして以来、吉野菜美子さんの身辺に常時カメラマンを配して、彼女の動向を監視していたところ、八月十三日の午後上野駅で、吉野さんと宮山 氏が、急行「あさま」に乗り込むところをキャッチ、カメラマンは軽井沢まで尾行のうえ、この貴重な特ダネ写真の撮影に成功した。おそらく、この写真が、吉 野さんにとって、生前最後のものであろう。その意味でも貴重な写真になった。
 カメラマンの安田直之さん(本社専属)は、「あの日の吉野さんは、恋す る女性の喜びに溢れているようで、写真に見る通りことのほか、美しく、まさか、その日のうちに心中する人とは、見えなかった。二人がレストランから別荘に 戻った後も、別荘の前に張っていたが、午後八時半頃、電燈の灯が消えたので宿へ引き上げた。翌朝別荘に出向き、事件の発生を知り本当に驚いた」と語ってい る。

 本文の特集の中の「遺書を追跡する」という記事も面白かった。
 例の遺書と菜美子が生前書いた手紙が並べて載せてあり、それは素人目にも、同一人の書いたものであることが見とれるほ どに酷似していた。
 なかでもわたしにとって面白かったのは、「愛する宮山さんと結ばれることもできそうにありません」という下りを分析し たあたりだ。
 「明るみになった吉野菜美子の出生の秘密」という見出しで、大要次のようなことが書かれてあった。

 「吉野菜美子(本名田村直子)さんには、こんな出生の秘密があっ た。吉野さんの実父田村健蔵氏(五十五歳)は、人も知る通り、田村財閥の宗主で、田村実業(株)の社長であるが、田村家の家庭事情はかなり複雑で、長男健 一氏(三十)(田村実業常務取締役)と長女善子さん(二十六、吉野菜美子さんのマネージャー)は、十年前に離婚した先妻三千代さん(五十二)(現在料亭 『扇や』の女将)との間にできた子で、次女の吉野菜美子さんは、実は、健蔵氏の隠し子で十年前に田村家に入籍されており、本社の調査でも、実母が誰である か不明である。現在の華代夫人(三十五)との間に、次男健次郎さん(十五、慶応中学三年)と三女美智子さん(八、学習院初等科二年)とがある。健蔵氏は、 世田谷区成城に住んでいるが、長女の善子さんと吉野菜美子さんは目黒区駒場に、吉野さんが女優としてデビューした時以来別居していた。今回の吉野菜美子さ んの葬儀が地味に過ぎたという声が出た背景には、このような田村家の複雑な内部事情があったと見られている。

 一方、宮山淳氏の実家は、福岡市箱崎の旧家で、実父宮山勇氏(五 十九)は、福岡大学法学部長(法学博士、刑事訴訟法の権威)、実母ハルさん(五十三)は家庭裁判所の調停委員をしており、子供は淳氏のほか、長女真理子さ ん(二十二、東京女子大心理学科を今春卒業し、現在、お父さんの秘書役を勤めている。)の二人だけ。

 おそらく、吉野さんたちが「結ばれることもできそうにありませ ん」と悲観したのは、こうした家庭事情を背景にしているものと思われる。封建的な九州の旧家出のエリート官僚である宮山淳さんと、実母も定かでない非嫡出 子の吉野さんとでは、おそらく親の反対があって結婚できないことを苦にし、むしろ天国で結ばれることを選んだものであろう。現に、宮山家では長男の淳さん が、今度の事件を起こして以来、妹の真理子さんを看病に行かせただけで、勘当同然の扱いをしており、父親の勇氏も、「あんな親不孝の顔も見たくない」と本 誌記者に語っている。

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(1999/4/10掲載)

六



 特集の最後に、吉野菜美子の葬儀の模様を撮った、白黒のグラビア写真が掲載されていた。有名な女優や、各界の芸能人が、紋付きの和服や、礼服に身を固め て自動車を降りるところや、ご焼香をしているところのスナップ写真が主だった。

 その中の一枚を見たとたんわたしはハッとした。黒の喪服を着た若い女性がハンカチで口元を押さえながら、焼香客にお辞儀をしているところを斜め前 から撮った何でもない写真だ。しかし、似ている。そのプロフィールは、わたしがあの日軽井沢行きの急行のなかで、すぐ傍らからまじまじと見つめた吉野菜美 子のそれと実によく似ているのだ。わたしは、大急ぎでキャプションを見た。「傷心の田村善子さん(菜美子さんの実姉)」とそれだけ簡単に書いてある。

 わたしはその写真をはさみで切り取り、妹の真理子をベッドの傍らに呼んだ。
「この写真、誰の写真か、わかるかい」
「あら、吉野菜美子さんでしょう。喪服姿もなかなかいかすわね。でも、いったい何時こんな写真を撮ったのかしら」
「残念だけど、吉野菜美子の写真じゃないんだ」
「えつ、それじゃ、いったい誰の写真なの」
「田村善子。菜美子の実の姉に当たる人らしい」
「へぇー、それにしてもよく似ているわねぇ。わたし、菜美子さんだとばかり思った」
「おれも、実はそう思ったんだ。しかし、ほんとうによく似ているな。アルキュール・ポワロじゃないけれど、おれの灰色の脳細胞もいよいよ活動を開始したよ うだ。真理子、ちょっとそこの椅子に腰を下ろして、おれの話を聞いてくれ」

 わたしは、真理子にこれまでのいきさつを洗いざらい話した。他人に真相を話すのは、これが初めてだった。
 
 わたしには協力者が必要だった。わたしの顔はあまりに有名になりすぎている。わたしがこれからいろいろと調査をしたりするのに、自分の顔が邪魔になると きがきっとあるだろう。そのときには、信用のおける協力者がどうしても必要になってくる。そのためにもわたしは洗いざらい話したのだ。

 さすがに二十二歳の乙女だけあって、わたしと菜美子が情熱的に結ばれたくだりには顔を赤らめた。
「しかし、真理子、吉野菜美子があまりに簡単に肌身を許したという感じはしないかい。女の子ってそんなに簡単に身体を任せることがあるのかい?」
「ま、いやなことを聞くお兄さん。心理学科を出たわたしとして、きわめて客観的に一般論として答えさせてもらえば、人によるとは思うけれど、普通の女の子 だったらそんなことはしないと思うわ。でも芸能界の人って、そういうことには案外だらしがないんじゃないの」
「それにしても、芸能界の内部の人となら話はわかるけれど、四五回会っただけのおれとじゃどうも合点がいかないんだ」
「それじゃ、おそらく死ぬつもりだったからよ。お兄さんを引きずりこんで死ぬつもりだったから、もうどうなってもいいと思ったんじゃない」
「そうだね。おそらく、そうなんだろう。そしてもうひとつは、おれの警戒心を取り去るためだったのだろう。今になってみれば自分でもまったくうだらしな かったと思うんだが、菜美子がワイングラスを渡してくれたとき、まったく何の疑いももたず、勧められるままに一気に飲み干したんだ。まさしくワインよりも 甘いやつだと菜美子嬢ほくそえんだことだろうね」
 わたしは、舌打ちした。くの一忍法ではないけれど、洋の東西を問わず、男という生き物は、どうしてこうも女となるとだらしなくなるのだろう。
「真理子、ところでちょっと頼みがあるんだが、実は、聞き込みをやって欲しいんだ」
「えっ、聞き込みって?」
真理子は生まれつき大きな目玉をさらに大きくしてわたしを見つめた。
「そう、聞き込みだ。おれもそろそろ健康が回復したので、明日かあさってでも軽井沢を引き上げようと思うんだ。その前に軽井沢でやっておくことがあるんだ が、おれの顔は、ここら中の人達に知られているのでちょっと動き回るわけにはいかないんだ。だから真理子、おれに代わってあの事件が起きた夜、あの別荘の 周りで何か変わったことがなかったか、近所の人にそれとなく聞いてくれないか。われわれの心中を最初に発見したという上原芳夫という人なんか、なにか知っ ているかも知れないから」
「いよいよ、心中の生き残りの片割れ殿が、モンテ・クリスト伯爵よろしく復讐に着手するっていうわけね。いいわよ、やるわ」

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七



心理学科なんて、実用的な価値、絶無の学科を出たものだと妹をさんざんからかったりしたものだが、妹の聞き込みの成果を聞いてみると、なかなかどうして、 心理学科ならではのうまい聞き出し方をやっている。

 人間誰しも、自分自身の利害に直接関係する事柄でもないとたちまち記憶は薄れてしまうものだ。薄れかけた記憶をうまく引き出すのは、心理学者の最 も得意とするところなのだ。
 真理子が集めた情報を整理すると次のようになる。

(1)当夜、別荘の灯りは、八時半頃に消えたと主張する人(隣の別荘の上原氏。九時前にベッドについた。)と午前12時過ぎに灯りが点いているのを 見た人(避暑のため東京からその夜自動車でやってきたが、途中自動車が故障したため夜遅く着いた、A氏夫妻)とがいる。

(2)A氏夫妻は、その別荘の近くの木立の中に白いフォルクスワーゲンらしい車が止まっていたように思うと、証言した。

(3)自動車の目撃者は、その他にいないが、別荘の辺りで自動車の騒音を聞いた人が二三あった。時間が特定できないが、午前零時を前後とする1~2 時間の間に集中している。

(4)上原氏は、事件のあった朝別荘に行ったとき、そんな車は見かけなかったし、その前夜、自動車の騒音を聞いた覚えはないといっている。

(5)上原氏が心中死体を発見したとき、吉野さんは、ピンクのネグリジェをまとっており、死に顔はお化粧をしたように綺麗だった。男の人は、口から だらしなく涎を流しており、ほんとうに虫の息だった。

(6)軽井沢警察署の一巡査の証言によると(真理子は女性記者のフリをして聞き出したのだ。)吉野菜美子の死体の身元確認は、東京から駆けつけた実 父の田村健蔵氏と実姉の田村善子が行った。宮山淳であることは、巡査の中に、例の女性週刊誌を見たものがあったことと、吉野菜美子の遺書の中に「宮山さ ん」と書いてあったことで確認できた。彼の持ち物や財布などからは、宮山淳と確認できるものは何一つ出てこなかった。

(7)「これは心中と考えていいのですか」という真理子の問いに大して、その若い巡査は「これ以上完全な心中はないでしょう。でも、あんな綺麗な吉 野菜美子と心中しながら、のうのうと自分だけ生き残った、あの宮山という男は、ひどいやつですね。実は、ぼくは、吉野菜美子のファンでしてね。まだ、宮山 は柏葉病院にいるんでしょう。退院して出てきたらこのピストルをぶち込んでやろうと思っているんですよ」と答えたそうである。

 最後の若い警官の証言は、いささか真理子が粉飾したきらいがある。しかし、熱烈な菜美子ファンからわたし宛に、すでに脅迫じみた手紙がこんな病院 にいてさえ舞い込み始めている。その警官が熱狂的なナミキストだったとしたら、その程度の妄想をたくましくしてもおかしくない。それにしてもそろそろ軽井 沢を引き上げるときが来たようだ。

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(1999/4/12掲載)

八  

 東京に帰ってきて最初に感じたことは、軽井沢に比べれば、東京は熱帯同様に暑いということだ。しかし、暑さなぞに文句を言ってはおれない。いまま で集めたデータをもとにして、いよいよこれから事件の背後に隠されたものを暴き出すのだ。10日間も軽井沢でじっくり静養してきたせいで、身体の調子は悪 くない。

 貿易産業省には、軽井沢の病院から辞表を送っておいた。今さらおめおめ、悪名を引っさげて、出勤できるものでもあるまい。退職金は20万円あるか なしだろう。軍資金として当面使えるのは、結婚資金として貯えておいた60万円ばかしの金だけである。しかしこれだけあれば当面はそれほど不自由はするま い。もっとも助手に雇った真理子の生活費も見なければならないのは少々痛いが。

 東京に帰ったその日の夕方、わたしは、愛車のブルーバードを駆って駒場の吉野家に御悔やみに行った。

 田村家の大きな石の門柱には白い瀬戸物のプレートに「田村」と書いただけの簡単な表札がかかっていた。

 わたしは、呼び鈴を押した。呼び鈴の脇のインターホンから、
「失礼ですが、どなた様でしょうか」
という女の声が聞こえてきた。

「わたし、宮山と申します。吉野菜美子さんのご焼香をさせてもらいたいと思いまして伺ったのですが」

 しばらく、返事がなかった。わたしは、インターホンの操作を過ったのかと思い、ボタンをガチャガチャいわせてみた。
 「それはどうも恐れ入ります。申し訳ありませんが、今しばらくお待ちください。室内が少々汚れていますので」
 わたしは、門の前をぶらぶらしながら、吉野菜美子の屋敷を眺めまわした。さすがに、天下の大女優の邸宅だけあって、堂々たる門構えであり、2メートルも ある青緑色の瀬戸物の塀が家の周りをぐるりと取り巻いている。塀の後ろに、一部洋風造り、一部和風造りの屋敷がどっしりと建っている。幅2間は優にある表 門は、樫の扉で閉ざされており、その左脇に、人一人だけ通れそうな小さな潜り戸がついている。その潜り戸のすぐ脇に呼び鈴と、インターホンが備え付けてあ る。要するに、吉野家は、外側からは、ニ階のごく一部や、庭木の梢を除いては、内側は一切見えないような造りになっていた。

「どうもお待たせいたしました。さあ、どうぞ」
例の潜り戸がさっと内側から開いた。わたしは、腰を折るようにして中に入った。とびらのノブを手に取りながら、口元にハンカチを当て、喪服を着た若い女 が、ひっそりと立ってい、わたしに深々と頭を下げた。

「さあ、どうぞ」

 玄関を上がると、その女は、わたしを前に歩かせ左手に美しい芝生の生えた中庭のある廊下を通って、仏壇のある部屋まで案内した。

 わたしに座ぶとんをすすめると、女は、ていねいにお辞儀をし、

「初めまして、わたし菜美子の姉の善子でございます。わざわざ御焼香にいらしていただけて、妹もさぞかし喜んでいることでしょう。この度のことで は、菜美子が、いろいろとご迷惑をお掛けしたことと思いますが、何とぞ、平にご容赦のほど、お願い申し上げます」

 深々と腰を折り、両の目にハンカチを当てながら、お礼をいった。声も涙で濡れていた。わたしもお辞儀を返しながら善子の様子を伺った。そのプロ フィルは確かに菜美子に似ていた。しかし、それは血のつながった姉と妹の似方と言っても、少しもおかしくなかった。なよなよとしたなで肩、眉も薄く、目の 周りにくまのある憔悴しきった顔、これはどう見ても、10日前、わたしが軽井沢で一夜を共にした菜美子のはつらつとした若さに溢れた姿とはほど遠いもので あった。わたしは、心の奥で、わたしのこれまでの張り詰めていた疑いが、すうっと薄れていくのを感じ、今、妹の死を心から悲しんでいる一人の罪のない女 に、何がしかの同情を禁じ得ない気持ちだった。

 わたしは、仏壇のうえで、溢れるような笑みを浮かべている菜美子の写真に、しばし視線をやった。眉は太く、肩は怒り肩気味だった。ていねいにご焼 香を済ませ、すぐ、席を立った。玄関で挨拶をしながら、わたしはこの屋敷のあまりの静けさに気付き、

「渋谷に近いのに、随分静かですね。この広いお屋敷に独りでお住まいなのですか」

「ええ、お手伝いさんがいたのですが、急に結婚すると言い出して辞めていったものですから、今では独りきりです。なかなか、いいお手伝いさんが見つ からないものですから、ほんとうのことを言うと昼間でも寂しいぐらいなのですよ」
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(1999/4/14)

九

 わたしは、表に出ると、車で吉野家の周りを一回りしてみた。するとお勝手口に、「お手伝いさん求む」と、小さな張り紙があった。昼間でも寂しいと いうのはまんざら嘘でもないらしい。

 環状6号線をわたしのマンションのある東中野に向けて飛ばしていると、左手にある金物屋の前に公衆電話があった。わたしは車を停め、ダイヤルを回 した。

 ハンカチを受話器に当て、鼻をつまみながら、口を切った。
「もし、もし、田村さんのお宅ですか」
「ええ、そうですが・・・」
「お手伝いの・・っちゃんはいませんか」
わたしは、お手伝いの名前を知らない。だからいいかげんの発音で「ちゃん」のところだけを大きな声で言った。結婚するというからにはちゃんで呼んでいいよ うな若さに違いあるまい。ここなら、環状6号線の車の騒音で、少し聞き取り難いことも計算に入れていた。
「ハルチャンは、20日ほど前に辞めましたが・・・」
「エッ、辞めたんですか」
わたしは、できるだけスットンキョウな声を張り上げた。そば屋の出前持ちのような印象を相手に与えたかったからだ。
「そいつは弱っちゃったなあ、そいで、いったい、今度はどこへ行ったんですか」
「そんなの知りませんわよ。だまって出ていったですから」
さっきご焼香に行ったときの、あの塩らしい声の調子とは、若干違った声になってきた。
「おれ、あの子に、15万円も貸してあるんですよ。それじゃ、あんたが代わりに払ってくれますか」
「そんなこと・・・」
「それじゃ、行き先を教えて下さいよ。行き先がわかんなきゃ、本籍ぐらいはわかるでしょ。お手伝いさんの身元も確かめないで、雇うなんて、まさか、人気商 売のお宅ではやんないでしょうからね」
 しぶしぶながら、田村善子は、お手伝いさんの住所を教えてくれた。私は抜け目なく、もし、ハルチャンがそこにいなかったら困るのでお父さんの氏名もつい でに教えて欲しいと言った。

 善子は、わたしのことを、出前持ちとでも思いこんだものらしい。何の警戒もせずに、「山下豊」と教えてくれた。わたしが、知りたかったのは、ほん とうは親父さんの名前なんぞじゃない。お手伝いさんの姓が知りたかったのだ。電話では、ハルちゃんということだけはわかったものの肝心要の苗字が分からな かったのだ。

 山下ハル、あるいはハル子、ハルヨ、いずれにしても、本籍が埼玉県秩父群石垣村大字坂本に住む山下豊の娘で「ハルちゃん」と呼ばれる人物が、つい 二十日ほど前まで、吉野家のお手伝いとしてあの屋敷に住み込んでいたことは間違いない。よし、明日は、その女性を捜し当てることにしよう。もちろんその前 にもうひとつやるべきことがあるが。

 しかし、考えてみると、今の自分は、なんと自由で生き生きしていることだろう。役所のデスクで、つまらぬ文書に目を通し、メクラ判を押していたと きに比べて、わたしは少なくとも十倍充実していた。

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十



 東中野のマンションに帰ると妹の真理子が心待ち顔でわたしを待っていた。
「何か成果上がって?」
「うん、かなりね。吉野菜美子のうちに、事件の起きた一週間前まで住み込んでいたお手伝いさんの居所をつきとめてきた。その子からいろいろ聞き出すことが できそうだ。ところで、真理子の方はどうだい」
出かける前に、真理子に、最近一か年間の新聞や雑誌を調べて、なにか今度の事件に関連ありそうなゴシップ記事を集めておいてくれるように頼んでおいたの だ。
「うん、わたしの方は大したことないの。というのも、吉野菜美子には、大したゴッシプがないのよ。生前優等生女優と言われていたぐらいで、ちょっとした噂 は立つんだけれど、たちまち立ち消えになってしまうのね。それでも、一応噂された相手の男性の名前はリスト・アップしておいたわ」
 真理子は、一枚の小さなカードを手渡してくれた。
 ゴシップのない優等生女優だって?あの夜、わたしの腕の中で、あれほど激しく燃えた吉野菜美子が?わたしには信じられなかった。
 少なくとも、吉野菜美子は男を知っている。しかも、かなりの程度深く知っている。わたしは何も自分自身の女性経験を云々するつもりはないが、女がどの程 度男を知っているかぐらいは見分けがつくつもりだ。
 とすれば、彼女の背後には、誰か男がいたはすだ。わたしは、そう考えて、妹に、彼女の男性関係を調べさせたのだ。しかし、妹は、大したゴシップはないと いう。
 わたしはとりあえず妹が作ってくれたカードに目を通した。

 渡部哲也(26)映画俳優。菜美子とフレッシュコンビを組み青春シリーズで五本共演した。結婚の噂も立っ たが、渡部がちょうど十ヶ月前、撮影中に事故で片目を失明し、現在も入院加療中のため、噂は立ち消えとなった。

 横井直樹(35)精神科医師。筆名藤井浩二。本業の医者としてよりも、ユニークな文明評論家として 有名。熱烈なナミキストとして、テレビ、週刊誌などで菜美子と対談すること数回に及び、二人の仲が噂され始めた。しかし、横井氏は、詩人で高名な島峰雪子 と最近結婚し、横井氏自身も、「ナミキストが菜美子さんと情を通じたのでは、ナミキストを自ら否定するも同然でしょ。菜美子さんは、いつまでも、われわれ が手を触れてはいけない偶像であり、遠くから崇め奉る憧れの対象であって欲しいですな」と語っている。

 市河吉之助(28)歌舞伎の名門市河家の御曹子。昨年暮れブロードウエイのミュージカル「オー・ ジュリエッタ」(「ロミオとジュリエット」の翻案もの)が日本で上演された際、菜美子と共演し、一時二人の仲が噂されたが、吉之助の母親、染子が、「私の 目の黒いうちは、吉之助の嫁は、私が選びます」と発言して以来、あまり問題にされていない。来月上旬から日生劇場で上演される「ハムレット」で、再びオ フェーリア役の菜美子と共演する予定だった。

 宮山淳(30)元国家公務員、貿易産業省勤務。週刊誌でほんの少々騒がれた程度。本人から直接聞い たところによれば、たった一度だけ情を通じたとのことであるが、その直後、牡カマキリよろしく殺されかけ、命辛々逃げ延びた。リストに上げるのも若干問題 ある人物。
                          以上


 チェッ、真理子のやつ、いつも最後につまらぬデータをのっけやがる。
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(1999/4/16掲載)

十一

 翌朝、わたしは、昨夜のうち真理子と相談してきめた計画に従い、妹を、駒場の吉野家の近くまで車で送ってやると、方向を180度転換して、埼玉県 の山下家を目指してアクセルを精一杯踏み込んだ。

 妹は、吉野家のお手伝いとして、潜り込ませる計画なのだ。昨日吉野家の勝手口で「お手伝いさんを求む」という張り紙を見たとき、ふっとそのことを 思いついたというわけである。妹は、あまり気乗りしない様子だったけれど、もともと冒険心が旺盛で「何でもやってやろう」派の女の子だから、わたしが、と にかく、やってくれと頼み込むと

「いいわ、やるわ。この際、毒皿でいくわ。聞き込み刑事に、情報収集家、今度はとうとう隠密奥女中ってわけね。これから先も何をやらされるかわかっ たものじゃないわね。でも、お兄さんみたいに、殺され損なうようなへまだをやることだけは絶対御免被りたいわね」
 例によって減らず口を利きながらも承知してくれた。
 
 昨夜のうちに、ニセの履歴書をでっち上げ、妹が東京女子大に行っていた頃の友人である宮本由起子に頼んで、以前宮本家でお手伝いとして、立派に勤めたと いうお墨付きを貰っておいたのだ。宮本由起子の父君にあたる宮本信太郎が有名なフランス文学者で、モリエールやバルザックの翻訳をしており、モリエールの 「守銭奴」を演出したこともあり、芸能界ではまずその名を知らない人はいない。真理子は、大学に在学当時、宮本家には、足繁く出入りし、宮本家の様子や宮 本信太郎の人となりについて、十分知っているから、そのあたりから、バレるという気遣いはまずない。

 真理子の偽名は「佐藤麻利子」にした。マリコという発音だけ同じにしたのは、おそらくお手伝いになれば、マリコさんと呼ばれるようになるだろうか ら、自分の名前を聞き逃さないようにするためだ。人間は、自分の名前に対しては、もっとも敏感に反応するように条件付けられている。やたらに違った名前に しておくと、反応が遅れたり、聞き逃したりしかねない。そんなところから疑われることになっては、上手の手からわざわざ水を漏らすようなものだ。

 とにかく、真理子がうまくやってくれるようにと祈りながらわたしは山下家を目指して、車を高速で吹っ飛ばした。

 埼玉県秩父郡石垣村に着いたのは、東京を出発して、かれこれ二時間半ばかりたった頃だ。わたしは、早速、村の巡査の駐在所に車を乗り付け、山下豊 宅の様子を聞いた。山下家についてあらかじめ何がしかの予備知識を持っていた方が、訪問しやすいと思ったからだ。

 駐在所には、五十がらみの眼鏡をかけた人の良さそうな巡査が、ひとり所在なげに座っていた。
「山下豊の家ですか。すぐ近くですよ。この道をまっすぐ行って右に折れたところにポストがあります。その前の家です」
「山下さんのところにハル・・さんという女の人がいるはずですが・・・」
「ああ、山下晴美のことでしょう。二年前高校を出てすぐ東京に出たきりで、今でも東京にいるはずですがな」
「つい最近、東京から戻ってきたんじゃありませんか。なんでも結婚するとかで・・・」
「いやぁ、そんな話は聞いておりませんな。だいたい村の中のことは、大小漏らさずワシの耳に入るはずなんですがな」
巡査は首を傾げている。わたしは礼を言って駐在所を出た。

 巡査に教えて貰った方向に車を走らせると、山下家はすぐ見つかった。農家らしく中庭が広く、家は平屋造りながら相当軒が高く、どっしりとしたい た。中庭で中年の農婦が、手ぬぐいで頬かぶりをし腰掛けたまま、一人でのんびり、農機具類の手入れをしていた。
「こちらは、山下豊さんのお宅ですか」
「はぁーそうですが・・・」
農婦は顔を上げた。よく日に焼けて、大きなしわが顔を斜めによぎっていた。
「山下さんの奥さんでいらっしゃいますか」
「はぁーそうですが・・・」
答えながらも、ブライトイエローの車で乗り付けたわたしの顔を半信半疑の面もちで見つめている。
「春美さんのお母さんですね。わたし春美さんの知り合いのものですが、春美さんは、ご在宅ですか」
「いいや、春美は、東京にいっとりますので・・」
「つい最近帰ってこられたんじゃないですか」
「いいや、帰ってはおりません」
「それじゃ、結婚なさるという話ではないんですか」
「春美が結婚ってですか。まだ二十にもならんうちに結婚なんて」
「それでは、春美さんは、いま、どこにおられるんですか」
「えーと、何と言いましたかね、渋谷駅の近くのなんとかというレストランについ最近移ったという手紙を寄越しとりましたが。何でも先に勤めていた吉野さん ところを、首になったとかで・・・」
「首になったのですか。結婚するから辞めたんじゃないんですか」
「手紙にはたしか首になったとか書いてありましたが。でもまあ、考えてみれば、あんな心中といういやな事件が起こる前に首になっていたほうが、良かったか もしれんと先日も主人と話したところです」
 
 さすがにこんな片田舎でも心中事件はよく知れ渡っているのかも知れない。いや、自分の娘がお手伝いとして住み込んでいた家の主人が死んだとなると関心を もたないほうがどうかしている。
「恐れ入りますが、春美さんは今どこにいるか、正確に教えていただけないでしょうか。実は、わたし、春美さんに借りたものがあって、返さなければならない んですが。彼女、いつの間にか吉野家からいなくなったものですから、少々弱っているんです」
わたしはそう言いながら、さも今思いついたと言わんばかりに、右手にブラ下げていた菓子折を春美の母親に差し出した。
「これ、春美さんに、食べて貰おうと思って持ってきたんですが・・・」
「これは、これは、ども、すいませんねぇ。頂戴いたします。ちょっとそこの縁先にでも腰掛けて、待っててください。いま手紙をとって参りますから」

 母親は、土間から奥へ引っ込んでいった。土間の奥は深くて闇である。しばらくして、真っ赤によく熟れたスイカとお茶を持って引っ返してきた。
「都会の人の口に合うようなものは、何もありませんが、どうぞ、召し上がってください。これが春美からつい一週間前にきた手紙ですが」
お盆の上に乗っていた、少女趣味らしいピンクの花模様の入った角封筒を差し出した。
「これはまた、おいしそうなスイカですね。東京ではこんなものにはめったにお目にかかれません。さっそくいただきます」
わたしは、まずスイカを誉め、しばらくおいしそうにかぶりついてから、
「ところで、この手紙、拝見させてもらっていいのですか」
「ええ、どうぞ。ご遠慮なく」
母親は、平気な顔をしている。

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(1999/4/17掲載)

十二

 春美の手紙を開いてみて、わたしは、まず、字のきれいなのに驚いた。きちんとした理知的な字だ。文章もよく整っている。時候のあいさつや、父母に 対するご機嫌伺いから始まる、本格的な手紙の体裁をとっており、本文には、大要こんなことが書かれていた。

「お父さんや、お母さんに、御心配かけて申し訳ないが、この度、職をかえることにした。だが、自分が好きでかえるわけではない。八月七日の朝、突然 吉野菜美子さんに呼ばれて、辞めてほしいと云いわたさた。私は、自分に何か落度があったのかと聞いたが、菜美子さんは、私は別に辞めてほしいとは思わない が、姉が辞めてもらってくれというので・・とこどばをにごしていた。自分には、別に身に覚えがないので、理由がないのに辞めさせられるのはいやだと首をた てにふらずにいると、結婚資金として二〇万あげるから、今日中に家を出ていってほしいといわれた。強いて辞めさせられる理由をあげるとしても、私が「レ ディス・ウイークリー」という女性週刊誌の記事を見て、「菜美子さんは、第二の司葉子になるつもりなんですか」とからかったことぐらいしか思いあたらな い。そのとき彼女が、私の方をきっとした目で見て、「ハルちゃん、つまらない週刊誌は読まないでね」とかなりきつい調子でいったのだけど、それほど根に持 つようなことでもないように私には思える。それに、姉の善子さんが辞めてほしいというはずがないと思う。きっと菜美子さんが、ことばに窮してでまかせを いったのにちがいない。菜美子さんより善子さんの方が私にやさしかったぐらいなんだから。もっともちようどその日は、善子さんが仕事の関係で家にいなかっ たので、私は、善子さんに、直接たしかめることもできないまま吉野家を出た。田舎に帰るつもりで、渋谷

駅まで来たのだが、東京に出てきてまだ一年半ばかりだし、一たん田舎に引っこんでしまうと、お父さんやお母さんがなかなか東京に出してくれそうもな いので、おりよく渋谷駅前の大きなレストランで、ウェイトレスを募集していたのが目に入ったこともあって、そこで働くことにした。ウェイトレスもなかなか 面白い。吉野家では、よく一人ぽっちで留守番することが多かったが、ここでは、同じ年頃の女の子も大勢いるし、お客さんも澤山みえるので、活気があって面 白いのかもしれない。じっくり職を捜すひまがなかったので取りあえずこの渋谷レストランにいるが、ひまを見ては、自分にあつた職場をさがしてみたいと思っ ている。しかし、当分はこにいることになりそうだ。もう、林さんという友達もできた。とりあえず近況のお知らせまで。それではお元気で」

 わたしは、この手紙を読み終えて、わざわざ、埼玉県の山の中まで来たかいがあったと思った。わたしは、封筒の裏から春美の住所を写し取り、母親に ていねいに礼をいって、表に出た。

 春美の手紙の中で重要なことば、春美が、自分から辞めたのではなくて、辞めさせられたという事実だ。それにしても、姉の善子は、昨日、私に対して 春美が結婚するので辞めたと何故嘘を云ったのだろう。それとも、彼女が帰ってくる前に春美が家を出ており、菜美子が、「春美は結婚するため、今日急に辞め ていった」とでも説明したのを真にうけたのだろうか。それに、辞めさせられたのが、わたしと、菜美子が軽井澤にいくという約束を交した日の一日後であると いうことが、気になる。何かが、その日の近辺に起ったのだ。

 とにかく山下春美の現住所は、手に入れた。東京の渋谷駅であれば、これからも何かと便利なはずだ。車で片道二時間半もかかる山の中まで、車でわざ わざ訪ねて来ていたのでは、やりきれない。重要な参考人、山下春美が、東京でわたしを待っているのだ。そう思うと、ハンドルを握る腕も軽くなった。自然と 唇から口笛が漏れてくる。

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十三









 わたしは、自動車を飛ばしながら、いつものように、カーラジオのスイッチを入れた。例によってどの放送局も男女一組のおしゃべりディスクジョッ キーみたいな似たり寄ったりの番組をやっている。音楽の合間に、男と女のアナウンサーが、掛け合いで面白くもないシャレを飛ばしたり、ニュースや交通情報 を流したりする一番安手の番組だ。あっちこっち、番組を回していると、突然こんなディスクジョッキーが飛び込んできた。

「ところでアキコさん、吉野さんが自殺したっていうのはほんとうに残念ですねえ」
「えーほんとうに。アタシ今もってほんとうと信じられないくらいなのですのよ」
「まったく、日本一の美女が死でしまうなんてもったない話ですね。美女でもない女性はのうのうと生きのびているというのに。世の中はどこかまちがっていま すねえ」
「なんで、私の顔をそんなにまじまじ見つめながらいうんですか。美女でなくってわるかったですわねエ。イジワルな土井さん」
「アキコさんも意外とひがみっぽいんですねえ。なにもあなたが不美人といったおぼえはありませんよ。あなたもこのごろ、なかなか色気がでてきたって評判で すよ」
「まあ、うれしい。いったい。そんなうれしいことをだれがいっているんですか」
「聴取者の方からのオハガキで声に色気がでてきたっていうんですよ。テレビでなくって良かったですね」
「まあ、にくらしい。土井さん、そんなことを云うと中年男のひがみっていわれますよ」
「ところで、アキコさん、吉野菜美子さんに関連して、すご-い大ニュ-スが今入って来たん
ですよ。その前に音楽を一曲どうぞ。ミュージカル、「オー、ジュリエッタ」から、〃ジュリエツタにささげるカンツォーネ〃」

 いったい、吉野さんに関連のある大ニュースとは何だろう。かつては、吉野菜美子が日生劇場の舞台で歌ったことのある〃ジュリエッタにささげるカン ツォーネ〃をききながら、私は次のニュースが待ち遠しくて胸をどきどきさせていた。

「吉野さんに関連ある大ニュースなんていっちゃって、聴取者の皆さん、分けても、菜美子ファツは、さっきからラジオの前でやきもきしてたんじゃない ですか。わかりますよ。その気持。そのニュースってのはね、吉野菜美子が主演することに決まっていた、来月十日から日生劇場で上演される、「ハムレット」 のオフェーリヤ役の後釜がとうとう決まったんですよ。アイコさん、いったい誰だかわかりますか」
「わかんないわ-、ずいぶんとモメていたんでしょう。いったい誰かしら」
「それが、ズブの素人が一躍抜摘されたんですよ」
「えっ一あんな大役に素人の方が?」
「まあ、ズブの素人というと若干語弊があるけれど、今朝、演出家の浅山圭造氏が記者会見して語ったところによると、おどろくなかれ、亡くなった吉野菜美子 さんの実の姉田村善子さんが抜擢されることに決ったっていうんですよ」
「田村善子さんと云えば、吉野菜美子さんのマネージャーを長くやっていらした方でしょう」
「そうなんだ。そこが今回の抜擢劇の伏線にもなっているらしいんだが、善子さんももともと演劇が大好きで、しょつちゅう菜美子さんにくっついて、台本の読 み含せの相手になったり、ときには、菜美子さんにセリフの指導をしたりしていたらしいだ。とにかく、吉野さん姉妹は、芸能界では誰一人知らぬ人がいないく らいウリニつだし、菜美子さんが自殺して以来、演出家の浅山圭造氏と彼女の相手役の市河吉之助さんとが田村さんのお宅に日参していやがる善子さんを口説き 落したらしいんだ」

「公演まであと二十日あまりでしよう。人ごとながら間に合うのか気がかりだわ」
「驚いたことに、お姉さんの善子さん、菜美子さんと台本の読み合せをやっているうちにすっかりセリフを覚え込んでいたらしいんだね。浅山さんも、絶対大丈 夫って大鼓判をおしているらしい」
「ところで、お姉さん方は、芸名はどうなさるのかしら」
「それが、またフルッているんだけど、お姉さんが、妹の吉野菜美子の芸名を名のることにしたらしいんだ。もっとも会社側の意向もあったらしいけれど、歌舞 伎でいえば襲名ってわけだねえ。二代目吉野菜美子さんは、浅山民と一緒に記者会見に臨み、死んだ妹の分までがんばりたいからどうぞよろしくって挨拶したら しいよ」
「しかし、ずいぶんややこしい話ですね、会社の意向とはいいながら、親の七光じやないげれど、妹の七光でデヴユーするような感じね」
「まあ、とにかく、九月の日生劇場の舞台は、色んな意味で面白くなりそうですね。それでは、ここでまた音楽。同じくミュージカル「オージュリエッタ」か ら、”オージュリエッタ、お前はすでに冷たいなきがら”」

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(1999/4/18掲載)

十四

  渋谷レストランならわたしも何度か行ったことがあるのですぐわかった。昼食時間をかなりはずれているのでそれほど混んでいない。ついでに昼食を取るつ もり道路際のテーブルにつき、注文を取りに来たウエイトレスにビーフシチューを注文し、

「ちょっと、お伺いしますが、ここに山下春美さんという人はいませんか」
「山下春美さんですか、あの子ですよ。呼びますか。春美さんちょっとあなたに用のある方がお見えよ」
 そのウエイトレスに呼ばれて来たのは、スラリとしてかなり長身の利発そうな顔をした女の子である。まだあどけなさが残っていて可愛らしい。
「あなたが山下春美さんですか。わたし宮山淳といいます」
わたしが名乗ると、春美の顔にさっと驚きの色が走った。
「ご存じでしょう。吉野菜美子さんと心中した生き残りの片割れです」
春美は、驚いて口も利けない様子だ。
「お化けでも何でもありませんから、驚くことはありませんよ。ちょっと伺いたいことがあるんですが、いま時間はよろしいですか。都合が悪ければ、あなたの 都合の良い時間に合わせますよ。近くの喫茶店でもいいんですが」
かなりシリアスな問題を仲間のウエイトレスがいるうところで聞くのは適当でない。
「あの、三時になれば、少しお休みがいただけるんですが・・・」
春美は小さな声で初めて口を切った。
「それでは、三時に。”田園”という喫茶店を知っていますか。知っている?それじゃそこで待ち合わせましょう。是非来てくださいね」
 

 軽く会釈をして春美は、わたしのテーブルから離れていった。ウエイトレスが二三人寄り集まってわたしの方をチラチラ見ながら意味ありげにひそひそ 話をしている。宮山淳はなかなか顔が売れているらしい。

 三時までは、あまり時間がなかった。わたしは大急ぎでビーフシチューを片づけると、レジで料金を払い、春美の方には全然顔を向けないようにしなが らレストランを出た。

 「田園」のレジの女の子に、山下春美という女の子が来たら案内してくれるように頼み、二階のまわりにあまり人影のないボックスに腰をおろした。音 楽は、モーツアルトのジュピターをやっている。しばらく音楽を聞きながら瞑想していると静かな足音が近づいてきた。目を開けると山下春美がたっていた。わ たしは春美にすわるように勧め、ハワイアンバナナボートとかいうフルーツポンチを注文してやった。

 私は春美に、私がどうして彼女が渋谷レストランで働いていることを知っているかについて説明した。お母さんにお目にかかって、スイカのごちそうに なった。あたたのお家でとれるのですか、なかなかおいしいですね、など気軽な話をしているうちに、春美の緊張は次第に解けてきた。

「ところで、春美さん、吉野菜美子さんが心中したというニュースをきいて驚いたでしょう」
「ええ、それはもう。何だか今もって信じられないくらいです。菜美子さんが心中するなんて・・・」
「菜美子さんは心中するような人ではないという意味ですか」
「ええ、あれほど勝ち気で、しかもすごく落ち着いたところもある人だったので、まさかと思いました。でも、女心は、恋すると弱くなるのかも知れません ね・・・」
春美は恋に弱い年頃らしい口のききき方をした。

「恋するって、菜美子さんがわたしに恋したというのですか」
「だって、そうなんでしょう。宮山さんの記者会見の記事も読みましたわ」
「あの記事は、ほんとうだと思いましたか」

私は、春美にきいた、彼女は一瞬目を上げて、私を見、目をふせると

「じつは私、菜美子さんがだれかに恋をしているということは以前からうすうす感じていたんです。しかしあの事件が起るまでは、宮山さん以外のほかの 人に恋していたのではないかと思っていました。
 でも、あの事件があって以来、その人は、宮山さんだったのだと思っていました。先ほど宮山さんにじかにお会いしてみて、菜美子さんが宮山さんを好きに なったとしてもおかしくないと思いました。芸能界の男性の方にも沢山お会いしましたが、宮山さんには、そういう人にない何かがあるような気がします。それ が菜美子さんをひきつけたのではないかと、そんなことを思いながら、今ここへやって来たんです。でもひとつだけ気になったのは声や話し方が、あまりに違い すぎるような気がするということです」
「私以外のほかの人を恋していたのではないかとうすうす感じていたって、今そういったでしよう。どうしてそういうふうに感じたのですか」

「ええ、菜美子さんところにはよく北村さんという男の人から電話があったんです。もちろん本名ではないと思っていました。私もときどぎ取り次いだこ とがあったので、声は知っているのですが、その人から電話があると菜美子さんは、なんとなく浮き浮きしているようすでしたし、電話があったあとでよくおで かけになることが、多かったものですから」
「それでは、あなたは、あの事件以来今まで、私がその北村という人物だと思っていたのですね」
「ええ、まあ・・・」
「ところが、その電話の声とは、私の声は、似ていないというのですね」
「ええ、宮山さんの声は、ひどく低くってちよつとたとえは変ですが、このプリンみたいな甘さがありますね。でもその北村さんの声は、甲高くて、私には、な んとなくわざと声を作ってしやぺっているような気がして仕方がなかったのです」
「その北村という人から電話がかかってくるようになったのはいつ頃からですか」
「そうですね、はっきりとは覚えていませんが、今年のはじめ頃からかと思います」
「ところで、お姉さんの善子さんという人はどういう感じの人なのですか」
「どういうって・・・?」
「妹さんと性格的に似ていたかどうか」
「そうですね。妹さんに比べれば、少々地味な性格だったかもしれません。陰と陽というほど、はっきり違っているわけではないんですが、着るものにしても、 菜美子さんはパッとした明るいものが多かったのに比べ、どっちかといえば中間色ぐらいの落ち着いたテザインのものを好んで着ていましたし。だからお二人 は、よく似ていらつしやることで有名だつたようでしたけれど、私なんか吉野家にいて、着ていらつしやるものをチラリと見れば、見分けがつくぐらいでした」
「良く似ているつて、着物で見分けなければならないくらいよく似ていたんですか」
「ええ、よく似ていたことは、よく似ていました」
「ところで、この写真は、お姉さんか、お妹さんか、見分けがつきますか」
 私は、そういいいながら、例の女性週刊誌から切り抜いた、吉野菜美子の葬式の日の善子の写真を定期券入れの中からとりだして春美の前に置いた。春美は、 その写真をしばらく手にとってながめていたが
「お姉さんの善子さんの写真じゃありませんか」
私の方を見ながら、たしかめるようないい方をした。

「どうして、お姉さんとわかるのですか」
「第一に、この髪の形ですが、菜美子さんが、こんな髪の結い方をしたのを見たことがありませんし、それに、この眉ですが、菜美子さんの盾は、もっと大きく 威勢がいいんです。善子さんのは、この写真のように、細くて少し下がりぎみなんです。それから、このちょっとなで肩に着物を着ているところも善子さんらし いと思います。プロフィルは、菜美子さんにも似ていますが、全体の感じは、なんとなく善子さんっていう感じがします」

 「そうですか。いや、実はこれは、菜美子さんのお葬式の日に撮った善子さんの写真なんですよ。よく見分けがつきましたね。しかし、女の人は、他人 の髪の形とか眉のか格好まで実に細かく見ているものですね。恐れ入りました」
わたしは、ちよっと大げさに頭を下げた。春美は、満足そうに、にっこり笑って、
「お二人が、あまり似ていらっしゃるものですから、見分けるために、つい観察が細かになってただげですわ」
 わたしは、あの事件の当夜、吉野菜美子の右の下腹部に見たアザのことが聞きたかった。しかし、二十そこそこの女の子に、あまり露骨な訊き方もできない。 そこで、

「そのほか、二人を見分ける方法はないんですか。体のどこそこにアザがあるとか、よく行方不明になった実の子供かどうか確かめる手段として、テレビ の時代劇なんかで使ってますねえ」
「そうですねぇ。別に思いあたりませんが」
春美は、人差し指を顎に当てて考えている。
「一緒にお風呂に入ったりしたことはないんですか」
「ええ、一度も。お二人は、ちょっと気位いが高い人たちでしたから」
 そういうと春美はちよっとさびしそうに下を向いた。わたしは、まずいことを訊いたものだと心の中で舌打ちをした。

 時間は、もう、四時近くになっている。休憩蒔問に抜けてきたとすれば、あまりひきとめていては、店の人に春美がおこられかねない。時間は、もう、 四時近くになっている。
「春美さん、時間の方はいいんですか」
「もう、帰らないと」
私のことばを待っていたかのように春美は腰をあげた。
「ところで、春美さんは、車の運転はやるんですか」
「いいえ」
「ドライブは好きですか」
「ええ、大好きです」
「今晩、よろしかったらお店がひけてからぼくの車でドライブしませんか。もう少し教えてほしいことがあるんです。よかったら、お店の前まで迎えに行きま す。何時にいけば都合がいいですか」

春美はすこし考えているふうだった。

「心中してくれなんて、いいませんから安心してきて下さい」
 春美はちょっと肩で笑ってそれでは7時半に来てください、と小さい声で言った。
「ところで、最後に一つだけきいておきたいのですが、お姉さんの善子さんは、女優になりたがっているようすでしたか」
「さあ、私にはなんともいえませんが、マネージャ一をしていらしたぐらいですから、ああいうことに関心は持っていたのだと思いますわ。よくご自分のお部屋 で、一人で、セリフ回しの練習をやっていらっしゃることもありましたし。それに妹さんの人気を少しやいているようなところもありました。「菜美子と私は、 同じくらいきれいなのに、菜美子は、日本一の美人女優といわれ、私は、そのマネージャーにしかすぎない」なんてことまで、赤の他人の私に云われたことがあ るぐらいですから」

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(1999/4/23掲載)

十五

 約束の七時半までの間に、私は妹の真理子の首尾を確かめておきたかった。そこで、東中野のマンションに車を飛ばした。
 
 マンションの前で車を止めると、八階のわたしの部屋から真理子が笑いながら手を振っている。あの様子では、上首尾だったに違いない。車をガレージに入れ て、部屋の前まで行くと、中からドアがさっと開いて、
「ご主人様お帰り遊ばせ。今日からお世話になることに相成りました、お手伝いの佐藤麻利子でございます。なにとぞよろしくお願い申し上げます」
真理子は、深々と頭を下げた。
「いや、苦しうない、服のチリでも払ってくれ。それに冷たい水を一杯頼んだぞ」
「は、はぁー、旦那様」
我々は、笑いこけた。
「うまくいったんだなね」
「ええ、早速、明日から来て欲しいって」
真理子は、ニッコリ笑った。
「応募者は他にもあったんだけど、宮本先生の推薦状が効いたのね。さきほど宮本由起子さんに、お礼の電話をしたら、田村善子さんのところから、佐藤麻利子 さんというお手伝いさんがお宅にいたことがあるかどうかって照会の電話があったんだって。ちょうど由起子さんが電話口に出たので、マリコさんなら大丈夫っ て太鼓判を押しておいてくれたそうなの。でも、危うく宮山真理子さんと言いかけて、冷や汗をかいたんですって」
「ところで、真理子、その田村善子さんが、女優になるって話は知ってるかい」
「そう、そう、私もその話をしたいと思っていたのよ。ほら夕刊にもちょっと出てるわ。私が田村さんのお宅に伺ったのが朝の八時だったでしょう。そのことで 十一時から帝国ホテルで記者会見をすることになっていたらしいのよ。だから、私の採用試験もごく簡単に済ませたのね。九時には、無罪放免されて、お兄さん の方の成果を期待して待っていたってわけ。山下春美さんってかたには、会うことができたの?」
 わたしは、埼玉県の山下家を訪ねたこと。春美の手紙を見せて貰ったこと。渋谷のレストランに勤めている山下春美にいろいろと教えて貰ったこと、などその 日の成果について、かいつまんで話してきかせた。
「まあ、よかったわね。ところで、お兄さん、今夜は、お兄さんと一緒に夕食をとれる最後の夜でしょう。明日からは私は住み込みの女中ですからね。どこか、 ぐうっと高級なところに連れてって、豪華な夕食をご馳走して下さらない。私はそう思って夕食の準備をしなかったのよ」
「残念ながら、七時半から、山下春美嬢と、車でデートなんだ。いや、待てよ、真理子が一緒だって別に悪いことはないな。同性が一緒の方が彼女も安心かもし れないし、真理子も、春美さんから直接、田村家の様子や、お手伝いさんとしての心構えなんかを教えて貰ってたほうがいいかも知れないな。ご主人様のご機嫌 を損じて、すぐ追い出されたのでは、隠密奥女中の役目は果たせないからね」
「三人でデートってわけね。でもお兄さんは、春美さんと二人切りでデートを楽しみたかったんでしょう?」
真理子はちょっぴりいたずらっぽく舌を出した。
「春美さんは、オレのことを、恋したら、すぐ心中したがる男と思っているかも知れないから、真理子がいてくれた方が、安心するかも知れないよ。とにかく、 今夜は盛大に行こう」
「まあ、嬉しい。それでは、宮山真理子としての最後のお化粧を楽しんでくるからちょっと待っててね」

 そういうと真理子は、隣室に消えた。わたしのマンションの部屋は、二部屋になっていて、真理子と仲良く一部屋ずつ分け合って使っているというわけ だ。窓から外を見るといつの間にか、夏の長い日も暮れかかっている。そろそろ出かけないと、デートに遅れかねない。しかし、出発する前に一つだけ確かめて おきたいことがある。
 
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十六

わたしは電話のダイヤルを回した。
「もしもし、「レディス・ウィークリー」の編集部ですか。カメラマンの安田直之さんはおられますか。わたしは安田さんの知人の鈴木と申しますが」
「安田は今出かけておりますが」
「何とか安田さんと連絡を取る方法はありませんか。緊急な用件があるのですが」
「安田は、八時半に社に戻る予定ですのでその頃お電話願ませんか」
八時半か。まあ大丈夫間に合うだろう。そう思い受話器を置くのとほとんど同時に、真理子が、隣の部屋から出てきた。
「どう、このパンタロン、似合って?」
モデルよろしく、くるりとターンしてみせた。
白のタートルセーターに、薄紫色のパンタロンの組み合わせはなかなかいかしていた。
「真理子も、おれのしごきの甲斐あって、このごろなかなかセンスが良くなったな」
そう言いながら、わたしは妹が大学に入学するために初めて上京してきたときの、いかにも田舎娘らしい野暮ったい服装を思い出したいた。ごてごてとしたフリ ルのいっぱいついた赤のツーピースだった。
 渋谷レストランには、定刻の五分前に着いた。停車するかしないうちに、真っ赤な超ミニのワンピースを着た、山下春美が、真っ白いハイヒールを鳴らしなが らやって来た。昼間の水色の制服を着たウエイトレス姿からは想像もできないほど、女っぽく見える。お化粧もうまい。女優の家に住み込んでいたので見よう見 まねでうまくなったのだろう。

 春美にとって、真理子の存在は、少々意外であったようでもあり、また同じ年頃の女の子が一緒だということで安心する材料にもなったようだ。紹介す るとお互いすぐ親しくなった。私は、自分の妹とは言わず、佐藤麻利子として紹介した。
「実は、知人の娘であるが偶然、田村家のお手伝いとして住み込むことになったので、先輩である春美さんにいろいろと教えて貰おうと思って連れてきた」
こんな紹介をしたってわけだ。

 われわれは、帝国ホテルのロイヤルラウンジで夕食を取ろうと言うことにし、渋谷から青山通りに、出て、日比谷に向かった。
「春美さん、吉野姉妹は車の運転はうまいんですか」
「ええ、お二人ともとてもお上手でした」
「どんな車に乗っていたんですか」
「菜美子さんが、コロナのマーク・ハードトップ、善子さんがフォルクスワーゲンです」
「そのフォルクスワーゲンは、白っぽい色でしょう?」
「ええ、そうです、よくご存じですね」
「いや、フォルクスワーゲンという車は、白っぽい車が多いような気がしたものですから」
 
 こんな話をしているうちに帝国ホテルに着いた。帝国ホテルも、旧館を壊して十七階建ての新館を建ててからすっかり様子が変わった。ロビーに入ると外人客 が溢れている。ここだけは、いつ来ても外国に来たような感じだ。エレベーターでロイヤルラウンジに直行する。窓際に席を取ると、東京の夜景が眼下に広がっ て見える。美しい。夜景はいつ見ても美しい。

 われわれは、フルコースを取ることにした。白い制服を身につけたウエイターが、次々と料理を運んでくる。

 真理子は、春美から、田村姉妹の食事の好みとか、嫌いな料理を一生懸命聞き出している。食事については、お姉さんの方がうるさかった。菜美子さん は、それほどではなかったなどと春美が答えている。ひょっとすると、こうした食事の好みにも、田村姉妹の生い立ちが関係しているのかも知れない。わたし は、そう思いながら二人の会話を聞いていた。田村家の嫡出子として生まれたときから、我が儘いっぱい育った姉の善子と、非嫡出子として、いろいろと苦労 し、入籍してからもそれほどわがままが言えなかったであろう妹の菜美子とでは、ちょっとした食事の好き嫌いのようなものにさえ、はっきりとその生い立ちの 違いが出て来るのではないだろうか。
 腕時計を見ると八時半を少し回っている。
「ちょっと失礼、二人で食事を進めておいて下さい」
わたしはそう言って立ち上がり、赤電話を探し出して、レディス・ウイークリーの編集室に電話をかけた。わたしと吉野菜美子のスクープ記事の張本人であり、 われわれが軽井沢まで旅行したときの特ダネ写真を撮った安田直之カメラマンは、ちょうど会社に戻ってきたところだった。わたしが宮山淳と名乗ると、安田は 驚きを隠さなかった。わたしはあることを確かめて、席に戻った。

 真理子と春美は、いましもおいしそうに、大きな伊勢エビの冷料理を頬張っていた。

(以下続く)


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