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13 NOVEMBRE
◆ワーグナー
◎華やかなダンスの調べに舞い踊っている十二人の乙女ら。その白い腕を惜しみなく澄んだ秋の空から降り注ぐ真昼の日にさらして、しなやかな曲線を描きながら、軽快なステップで円を廻している十二人の乙女ら。それを運動会場の片隅から見つめている彼女の頬に熱い涙が次第に冷たくなりながら這い落ちた。この一月というものの情熱を傾けて指導してきた、そのダンスの出来が周りの観衆のどよめきから上々のものと感じ取れれば取れるだけ、彼女の悲しみは益々強いものになって行った。
「ああ、あの人が見ていてくれたら」
彼女はその涙の目を閉じた。目にたまっていたその悲しみの液がどっと大滴に溢れて、乾きかかった涙の跡を再びじっとりと湿らせて落ちた。
瞼の裏に、あの日の彼の姿が浮かんでくる。あの日、ああ、あの夜。
5月○日。O大同窓会館。
ダンスパーティ。静かなブルースの調べが踊り手の腰の動きのようにゆらゆらとたちこめていた。彼女はダンスパーティの雰囲気が好きだった。なんだか、熱ぼったい湿った空気はいつも彼女の身体をうずうずさせた。ちょっぴり危なっかしいような感じさえもが彼女のしまった白い肌には気持ちよかった。壁に背を持たせて、申し込んでくる男性を待つときの、あの冒険でもするときのような心のときめき。彼女は容貌に自信があった。自分でも時折驚くほど美しいと、思うときがあった。そう言うときは何時間でも鏡と睨めっこして、自分独りの陶酔を味わって夜を過ごしたものであった。
今日出かけに鏡の中の自分に微笑み返してきた自分が、このダンスパーティで一段と注目を集める存在であることに、彼女は満々の自信を持っていた。しかも、まるで空中を舞うごとく軽やかなステップを踏める彼女が、壁ばかりにはいつくばっているナメクジみたいな女の部類に入らねばならぬ
理由がなかった。今も、もっと踊りさそうな男性から やっとのことで離れて、このベランダでヒンヤリとした夜気に肌を引き締めているところだった。
階下の薄暗い庭の中をうごめいている影の向こうはもう全くの暗闇でそれは空まで続いていた。ツルバラの繁ったベランダから夜空にきらめく星を眺めている美少女。背景は、ダンスパーティ。たゆとうブルースの調べ・きっとロマンティックなものに違いない。彼女は独りでウフフと笑った。でも、私の左隣りには、美青年が経っていて、二人で一緒に黙って星空を見上げているのだとしたら、それでこそロマンティックの極みと言うべきだろうと彼女は思っていた。
今夜、これまで踊った人の中に少々いい人もいたけれど、この私にはまだつまんないわ、もっとハンサムで、そうあんなに身体を揺すってテンポを取ったり、まるで、鎖につながれた脚を引きずるような踊り方しかできない、あんな人たちではない、もっと私向きに軽快なステップを踏める男性が、現れるべきなんだわ。
スーツと流れ落ちた星の滴に彼女は無意識のうちにその願いを言ってしまっていた。
「踊っていただけませんか」
男性らしい滑らかな声であった。彼女は振り向きざまにまるで自分の密かな願いを見破られてしまったような笑いを相手の目に注いでいた。でも、その笑いは彼に快く迎えられていた。
整った美しい男の微笑が、彼女の笑いを不自然なものにしなかった。会場に入るとき自然におかれた男の右腕を腰に弾けるように感じながら、彼女は、ほのぼのとした、酔ったような心の旋律を感じた。ダンスパーティではそれは全く自然のものであった。男から手を取られても腰に手を置かれても、意識外のものとして気にするようなことはない。それが今、一人の男の手を彼女は皮膚で焼けるように感じたのであった。ホールドすと時、無造作に彼から手を取れてさえ、一瞬はっとたじろぐような、感触を意識したのであった。
最初少々ぎこちなくさえ見えるような踊りしか彼女には出来なかった。目を伏せたまま彼女は彼の顔を第一曲が終わるまで上げようとさえしなかった。
でも、おそるおそる見上げた彼の顔が、あの薄暗いベランダで見たときにも増して輝いて見えたときには、本当に胸をなで下ろす気持であった。
彼もなかなかの踊り手であった。
彼女は誘導されるままに、いつもの勘を取り戻して、今や二人の踊りには敵がなかった。二人だけの世界に浸りながら、しかも辺りの世界を支配もしつつ彼らは踊った。
ワルツの曲が始まっていた。
ヘジテーション・チェンジ。
リバース・コルテ。
オープンインピダスターン、ウイング・ダブル・リバース・スピン。ドラグ・フジセイション
。バックワードロック。ナチュラルスピンターン。
ウィスコ・シンコペーティッド・シャッセ、ターニング・ロック。
自由自在に彼らはステップを踏んでいた。
第五曲目が最後のターンを高音に終わった時、彼が彼女の耳元にささやいた。
「ベランダでしばらく休みましょう」
「ええ」
彼らはベランダに出た。
しっとりと夜気が二人の上気した頬を包み込み目覚めたような新鮮な感覚を呼び起こした。
「さっきは、星を見てたの」
「ええ」
「星が好き?」
「星気違いなのよ、私。お友達の間でも有名なくらいに」
「女の人って星を見ながらどんなことを考えるのかな」
「極めて現実的なことかも知れないわ。ダイヤモンドならいいのなどって」
二人は笑った。
二人の心はいつしか溶け合っていた。
その夜、二人は最後まで一緒に踊った。
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