編集者のつれづれノート

四十年ぶりのことども

(2002/8/7掲載)

            
 還暦を過ぎたせいか、四十年ぶりなどと形容できることがこのところ次々と起こる。

 昨年十月末、九州、田舎の高校の同窓会のメンバーで、三内丸山遺跡、奥入瀬、十和田湖などを巡る旅行に出かけた。
 その中に、高卒後初めて会う人がいた。実に四十四年ぶりの再会である。その女性とは小中高と同窓で、言葉を交わすと気持ちはすぐに通 じ合った。

  おかっぱの少女をどこか残す人 四十年振りに遇えば懐かし
 

 昨年十一月、日経新聞消息欄に「自作の応援歌に感動」のタイトルで、神宮外苑のコートでテニスをしていたら、隣の神宮球場から自作の東大応援歌「闘魂は」が聞こええてきて感動したという記事が載った。大学二年生のとき応募した作詞が入選した。それが、四十年も生き延び、いまや第一応援歌として歌われているのである。

 その記事が載って間もなく、私の歌詞に付曲して入選した二年先輩の方から電話がかかってきた。その方とは、これまで全く面 識がなかった。是非会いましょうということになり、年末に、お会いした。初対面 だったが、話も弾み、酒もすすみ、実に楽しい四十一年目の初対面 となった。

 一九六一年、大学三年の夏、当時参加していたサークルの合宿が野尻湖畔であった。その時撮った写 真の男女七十余人に呼びかけたパーティが、今年三月に開かれた。二十四人が参集したが、ほとんどの人と四十一年ぶりの再会だった。

 懐かしい面々が顔を揃えており、話は弾み、心は踊った。彼らの語るエピソードに、自分でもすっかり忘れていた若き日の自分に四十年ぶりに巡り会ったったような、不思議な感興も味わった。

 この二月、雑誌編集者のMさんから電子メールをいただいた。彼女が「文無し横丁の人々」をキーワードにインターネットを検索したら、私のホームページが引っかかった、日記に出ていたという。

 私は一九九七年二月にインターネット上にホームページを開き、私家版全集を編むつもりで、これまで執筆したもの、描いたものを片っ端から掲載している。日記も九歳の時の絵日記から、十八歳の時のまで収録を終えている。

 確かめると、一九五六年十一月十日、十六歳のときの日記に、この映画を見ての感想があった。

 「ヒューマニズム感があふれている。・・・すべての人が見られて心暖まる映画は映画人は作らないものだが、その異例のの一作というところか。良い映画だった。」

 「第三の男」で知られる名匠キャロル・リード監督のこの映画を当時二六歳の青年漫画家も見て深く感動し、この映画のような、ほのぼのとした漫画を書こうと決意する。その漫画家は、爾来「ほのぼの君」のタイトルで、東京新聞に四コマ漫画を書き続ける。

 Mさんは、この漫画家佃公彦さんの大のファンで、佃さんの一生を方向づけた映画ということで、検索してみる気になったという。

 これが縁となりお二人の行きつけの飲み屋で、これも三月の一夜大いに歓談することになった。

 田舎の映画好きの少年が見た映画が四六年後、未知の人を結びつける触媒となった。だが、インターネットという新しいメディアがなければおよそ考えられぬ 出会いであった。

 長生きするということは、若いときから蒔いてきた種が、知らぬ うちにたわわに実を付けているのに遭遇し、それを賞味する愉しみが増えることのようだ。

 しかも科学技術の進歩が、遭遇する機会をますます増すだろう。

 そう考えると、今後もできるだけ幅広く種を蒔き続けながら、せいぜい長生きしたいものだ。
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                     中友会だより第21号(2002.8.5)所載

 

 

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