編集者のつれづれノート

ゴルフで、伏兵の奇跡の優勝を達成

(2002/10/29掲載)

 10月20日に開催された第102回O会で、私にとって長年の夢であった優勝を果 たすことが出来た。例年通り会場は箱根の仙石ゴルフ場。参加者は123名、一頃は200人を越えたが、近年、参加人数が減って来た。それでも私の参加する大会としては、最大規模だし、どの参加者も、一生で一度で良いからここで優勝したいと眼の色を変えて参加する、一番伝統と格式を持つ大会である。

(伏兵の奇跡の優勝)

 優勝しながら、今もって信じられない気持ちが残っている。というのも、最近は,90どころか、100を切るのが難しく、直前のコンペ(9/29、12名参加)でも、グロスで108、前半のハーフで61も叩き、ダントツの最下位 だったのだから。

 こういう優勝をどう評したらいいのかと思っていたら、ぴったりの見本がすぐ見つかった。

 当日、競馬の菊花賞が京都競馬場で行われていた。一番人気はノーリーズン(皐月賞馬)。騎乗するのは、日本のナンバーワン・ジョッキーで、競馬にまったく関心のない私の妻すら知っている超人気者の武豊である。ところがなんと、スタート直後落馬してしまった。その結果 、優勝したのはヒシミラクルというメンバー18頭中ただ一頭追加登録した10番人気の馬だった。翌日の新聞には「伏兵の奇跡(ミラクル)の優勝」という見出しが踊り、配当も史上最高を記録した(馬連で96、070円、3連復で344、630円)。

 人気薄、期待薄の私の優勝(12番人気だそうだ)も、この「伏兵の奇跡の優勝」以外の何ものでもなかった。ちなみにこの優勝馬の馬主が阿部雅一郎さんと私と一字違いだったのも、なにかの因縁のように思えてならない。

(テニス)

 私はスポーツ大好き人間で、テニス、ゴルフ、スキーと色々やるが、テニスが今もメインだ。社会人になって以来40年近く職場のテニスクラブH会の一員としてコートを走り回っている。今大会で19位 に入賞した同期のNさんと長年のペアを組み(現在同期生としては最古参ペア)、ダブルス戦でも5度ほど優勝したことがある。ところがO会では、いつもホールインワンばかり、つまり、「パットしない」成績ばかりだった。

 H会には、Y先輩、I先輩はじめ、O会とH会の二股かけて大活躍している方が大勢おられ、H会での成績に比べてあまりに惨めな私を見かねて「テニスとゴルフの原理は同じですよ」などとアドバイスしていただくのだが、何しろゴルフ練習場にほとんど行かず、いつも出たとこ勝負に徹していたので、O会では、これまで大した成績も上げられずに来た。このところも60位 、70位あたりに低迷していた。

(ゴルフスクールで構造改革)

 私はかねて、テニスコートを走り回れるうちはテニスに精出し、ゴルフは老後の愉しみに取っておこうと思っていた。だが、私も還暦を過ぎ、その老後に一歩踏み込み、やるほどにゴルフの難しさが骨身に染みて来ていたので、もうのんびりしていたのでは、手後れになりかねない、O会での優勝など夢のまた夢に終わりかねないことに思い至り、実は昨年の9月から週一ながら、ゴルフスクールに通 い始めた。

 ところが、最初の腹づもりでは、フォームの少々の手直しで済むつもりだったのが、いかんせん長年にわたり自己流で凝り固めたフォームは少々改善すればいいようなものではなく、まったく基礎からやり直さなければならないことが判明した。そこで、小泉内閣同様、いわば一から構造改革に取り組むことなった。

 とにかく、この歳で、スイングをまったく変えてしまうとどうなるか。スクールに行き始めてからは、コースに出ると、スコアはビギナー時代よりもめちゃめちゃなものになってしまった。この一年、構造改革の成果 を愉しむどころか、いわゆる構造改革の痛みだけをたっぷり味わわされた。

(連続ブービーメーカー)

 さて、この8月31日には、38年組同期のコンペがあった。構造改革に取り組んでちょうど丸一年なることだし、少しは成果 が出るだろうと期待して参加したが、何のことはない、最下位でブービーメーカーになってしまった。9月29日には、38年39年の対抗ゴルフコンペがあり、今度こそはと臨んだにもかかわらずまたもや最下位 で、39組にはそれまで4回連続勝っていたのに、負ける最大の元凶になった。あまつさえ、グロスが108、前半のハーフが61と言う惨状だった。

 そこでO会で上位入賞を狙おうとの野望からすっかり吹っ切れた。最初は、この二つのコンペを前哨戦として調整し、その後一回ほど練習ラウンドをこなしたうえで、O会に臨み、上位 入賞を、あわよくば優勝を狙おうという魂胆だったのだが、O会までの残る20日間で、どんなにジタバタしたところで、マイナーの大会のブービーメーカーが、いきなり、いわばメジャーの大会で上位 入賞や優勝ができるほどゴルフは甘くないと見定め、目標実現は先送りにし、前日までゴルフバッグの宅配便のカバーさえ解かぬ まま今大会に臨んだ。だが、これが逆に良かったようだ。

(会社の構造改革で、宇部へ)

 しかも、そのころ、勤務先で構造改革問題が急浮上し、従業員20%弱の早期退職敢行と平行して、12月1日をもって東京から社長以下全役員が工場のある山口県小野田市に引き上げることになり、ゴルフの構造改革どころでなくなっていた。その前の週は水曜日から出張に出て、札幌、羽田乗り継ぎ山口宇部と飛び回り、O会の前日の土曜日には、不動産屋に案内されて、宇部市内で宿舎探しをしていた。

(当日は晴れ、リラックスしてスタート)

 翌日、天気予報は良い方に外れ、夜来の雨は上がって風もない絶好のゴルフ日和になった。上位 入賞狙いのプレッシャーもなく、パートナーも年次的にも近い、気心の知れた人ばかりということで、リラックスしてアウト一番のティグランドに立つことが出来た。

 まあ、今日一日は、スコアにこだわるよりはとにかく騙されたつもりで構造改革路線のスイングを貫こうとだけ思っていた。スコア改善には結びつかなかったが、ラウンド中、従来の当たりと質的に異なるようなショットがたまだったが、出ることもあり、構造改革の方向付け自体は、間違っているわけではないと思っていた。

(ラッキーショット)

 出だしの一番ホールではまずまずのティショットだったが、二打目がグリーン左のバンカーの後ろの小木の下に入り、フルスイングが出来ず、結局4オンで、ダボ。No.2のロングへ向かった。

 どんな小さな大会でも優勝するには、優勝につながるラッキーショット(運命の一打)というものがあるものだが、この日はNO.2ホールのティショットがまさにこれにあたるかと思う。左からせり出している池を避けて右から攻めるつもりが、池をまともにオーバーする方向へひっかけ、無事オーバーしたように見えたものの、落ちるときに木に当たった音がしたのだ。OBを心配しながら行ってみると、幸いこのボールが、ラフに残っており、結果 的には最短距離をとったことになり、楽々パーオン2パットで、このホール、パーで納めることが出来た。出だしのホールがダボだったので、ダボが続けば、気分的に腐って優勝どころではなかったはずだ。

 このパーですっかり気をよくしたせいか、その後連続4ホールパーが続き、7,8,9はボギー(9番ではその時点の二ァピン賞候補の位 置に付けながらのボギー)だったが、上がってみると5オーバーの41(38/39戦よりハーフで20ストロークも改善!)、前半が終わった時点では、何と全参加者のトップという信じがたい好成績だった。

(一躍、優勝候補で後半へ)

 こんなチャンスは滅多に来るものではない、後半を何とかパープレイでまとめることが出来れば念願の優勝も夢ではない。

 そう思って後半に張り切って臨んだのだが、これがいわゆる優勝を意識するというやつで、ダボ、ダボ、ボギー、ボギーで四ホールまでで早くも6オーバーになってしまった(参照:スコアカード)。

 このままではパープレイどころか50も切れず、前半は優勝候補、上がってみるとただの人になりかねない。ゴルフではこういうケースが結構多く、自分もその轍を踏みかかっていると気分的に追い込まれたが、ショット自体はそれほど悪くなかったので、テニスでマッチポイントを取られながら逆転勝ちしたことなどを思い起こし、テニス同様ここは、自分から負けに行かないで、安全第一でつなぐことに徹しようと自分に言いきかせてラウンドした。

 続く14番のロングホールは、一打も二打も良く飛び、三打目は、バンカー越えの30ヤードのアプローチで、これもピッチングを思い切って打ち込めという、キャディのアドバイス通 り打て、後半初めてのパーに納めることが出来、気分的に一息つけた。

 一息つけたせいもあって、その後の15,16,17とこれまでパーを取った記憶のない難しいホールを、いずれも寄せワンのパーでしのげた。これまであの時ほど集中してパットしたことはない。腕が痺れて、よく動かない位 だった。

 最終18ホールもボギーに納め、優勝のプレッシャーの下、後半も7オーバーでハンディ分の8 引くと何とかワン・アンダーパーで回り、ネットスコア67.8、4.2アンダーで「伏兵の奇跡の優勝」をなし遂げることが出来たのだ。

 構造改革の痛みの中でもひたすら信じて構造改革路線を堅持したのが、こういう大化けするような形で実ったように思う。その主な目的であるO会の優勝は思いもかけず今年中に実現してしまったが、構造改革自体はまだ定着したわけではなく、今回の優勝もフロックであることは充分承知している。今度ともO会の優勝者にふさわしい、切り上がったハンディに負けないプレイが出来るように精進して参りたいと思っている。

 5日後の表彰パーティで、会長から、92回分の優勝者の末尾に自らの名前の刻まれた大きな銀の優勝カップ(写真参照)と、銀製のレプリカ、60歳以上の最上位 者に与えられるシニア賞(ペアの銀製のワイン杯)を授与され、参加者の皆さんに、優勝お礼のスピーチをやった。

 帰宅後、早速、妻とペアのワイン杯で優勝祝いの乾杯をした。

 たまらなく美味でたまらなく仕合わせであった。

(スコアカード)

DATE: 2002年 10月 20日        
  第102 回O会     1940年 1月 5日生
HOLE
YARDS
PAR
SCORE
HOLE
YARDS
PAR
SCORE
1
424
4
6
10
363
4
6
2
434
5
5
11
464
5
7
3
160
3
3
12
154
3
4
4
347
4
4
13
445
4
5
5
357
4
4
14
492
5
5
6
383
4
5
15
366
4
4
7
471
5
5
16
317
4
4
8
379
4
5
17
386
4
4
9
105
3
4
18
153
3
4
OUT
3060
36
41
IN
3140
36
43
OUT
3060
36
41
TOTAL
6200
72
84
HANDCAP
16.2
仙石
ゴルフ
コース
NET SCORE
77.8
O会の優勝カップ・同レプリカとシニア杯

 

 

 

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