音楽・ドラマ・映画の部屋
Music, Drama & Cinema
(opened on October 10,1998)
『エッセイの部屋』の音楽を巡るエッセイ、「ギドン・クレーメル讃」「アンネ・ゾフィー・ムター」「巨人の掌」に書きましたように、そのジャンルを問わず、音楽好 き な人間です。ドラマも「観劇の感激」に書いたように、今も時々劇 場 に足を運んでおります。映画も「スクリーン遠望」で書いた通 り、 昔からのファンです。ということで、この3つのジャンルに関する雑文をつれづれなるままに綴っていきたいと思います。ご愛読をお願いします。
目次
| No |
|
| 20 | ツィメルマン・ピアノ・リサイタル(2000/6/10、掲載2009/6/21) |
| 19 |
ショパン・コンクールの入賞者たち |
| 18 |
エッセイ「生活の中の音楽」(1980年執筆、2004/10/14掲載) |
| 17 | エッセイ「iPodのある 生活」(2003/8/8掲載) |
| 16 | 音楽「ベル
リンフィル12人のチェリストたちー結成30周年記念公演(サントリーホール2002/7/7) |
| 15 | 映画「ビュー
ティフル・マインド」(監督:ロン・ハワード 於いて:吉祥寺オデヲン座2002/5/5) |
| 14 | 映画「ショコラ」(監督:ラッセ・ハルストレム 於いて:新宿東映パレス3 2001/6/25) |
| 13 |
映画「マレーナ」(監督:ジュゼッペ・トルナトーレ 於いて:渋谷東急 2001/6/11) |
| 12. | ダンス「リ バーダンス」(アイルランド アブハン プロダクション 2000/11/28) |
| 11. | 演劇「この夏、突然に」(地人会第78回公演:2000/12/22) |
| 10. | 映画「或る夜の出来事」(米国 コロンビアピクチャ制作1934年:2000/8/11) |
| 9. | 演劇「おかしな二人」(株式会社 仕事公演:2000/5/31) |
| 8. | 演劇:「るつぼ」(第24回夜想会公演:2000/1/12) |
| 7. | 音楽:チック・コリア&オリジン演奏会(1999/12/10) |
| 6. | 演劇「カッコーの巣の上を」(第23回夜想会公演:1999/7/28) |
| 5. | 演劇「谷間の女たち」(地人会特別 公演:1999/7/13) |
| 4. | 音楽:TIME-日本のオーケストラの時 NHK交響楽団演奏会 (1999/7/1) |
| 3. | 演劇「眠れる森の美女」を見て(サロン劇場公演)(1999/4/26) |
| 2. | 演劇『お気に召すまま』を観て(ロンドン・グロ−ブ座)(1998/10/9) |
| 1. | 音楽:爽やかな弦の音で魅了(ロンドン室内楽オーケストラ) (1998/10/8) |
| 番外 |
ゲバントハウス弦楽四重奏団 (「創作ノート」から転載200.7.12) いかにもオーソドックスな演奏でしみじみと胸に響いてくる美しい音色、年季のはいったアンサンブル。室内楽の良さを久しぶりにたっぷり味わった。K・ズ ス ケは、ポーランド時代にずいぶんとレコードを買ったことがある。今回は第一バイオリンを父親K・ズスケが弾き、第二バイオリンを息子が弾いた。顔つき、体 つきがそっくりで、息子のほうがやや大柄で精力盛んな感じ。父親のほうがちょっとしぼんだ感じ。両人とも眼鏡をかけ、頭がはげている。そのはげ方まで相似 形。息子のほうがほんの少し髪が多い程度で、親子の年齢差はない。息子はちょびひげをはやしている。(1993/1/12) 観劇『花咲くチェリー』 (「創作ノート」から転載2007.7.12) (地人会公演;紀伊国屋ホール) 北村和夫の熱演で身応えがあった。ロンドンの保険代理店のしがない平社員とその家族を中心として、その居間だけの単純な舞台設定の中で、夢を抱きなが ら、 現実生活に妥協して生き、それも中途半端にならざるをえず、家族には背かれ、挫折していく中年の男のあわれな姿が浮き彫りにされる。親と子、夫と妻とのコ ミュニケーションの難しさが、うまく劇化されていて、リアリティがある。 観る者には、主人公の生き方、けっして世渡り上手ではなく、すぐぶつかってしまう性格に、もどかしさを感じるものの、決して憎めない人間性を見て感情移入 するのである。妻役の川口敦子も淡々とした役づくりで、北村の熱演を巧みに支えている。(1997/2/5) (2004.7.12追記)今年(2004年)の5月14日、紀伊国屋サザーンシアターで北村和夫主演の「花咲くチェリー」を再度観た。北村和夫にとって 400回目、40年目の主演であるという。37歳から始めて78歳まで、よく、演技し続けたものだ。年齢的な衰えを感じさせるところはあったが、熱演で見 応えがあった。相手役は八千草薫で、これも好演であった。だが、ストーリーを全くと言っていいほど、忘れており、こちらの年齢的衰えを感じたものだ。 |
|
POPLORE
MAKES
MILES FEEL CLOSER
Written by Aki Nishimura All Instruments by Aki Nishimura copyright 1996 A.N. all rights reserved |
|
TIME -日本のオーケストラの時 NHK交響楽団演奏会 |
| 指 揮:アラン・ギルバード(1967年ニューヨーク生まれ) サクソフォン:須川展也 ソプラノ:浜田理恵 場所:東京オペラシティコンサートホール:タケミツメモリアル 日時:1999.7.1 7:00開演 席:一階、15列、19番、20番 S席6000円 |
|
曲目
|
|
前日、思いもかけず、娘夫婦が、コンサートの切符を回してくれたので、7月1日、東京オペラシティ のコンサートホールへ妻と一緒に出かけた。N響の演奏会という程度の知識だけで出掛けたのだったが、選曲がよく、しかも、初演の曲、本邦初演の曲など、 めったに経験できないことも経験し、その演奏自体が実に良かったので大いに満足した。 第一曲目:ハイドン交響曲90番:弦の音が実にさわやかで歯切れのよいスピード感ある演奏。管楽器も
よく響いて、曲を美しく彩った。奏者は60人ほどで、弦と管を主体とした演奏。会場からは、終曲の場面を二回も間違えて拍手が沸き上がった。大柄な指揮者
のアラン・ギルバードは、後をちょっと待てよと言った風に振り替えって、手を楽団の方に差し伸べて曲を再開する。三度目は、今度は本当の終曲なのだが、皆
用心して手を叩かない。指揮者は、後を振り返り、さらに曲を続けるように手を差し伸べる素振りをしてにやっとし、終わりを知らせる。盛んな拍手が湧いた。
三度のカーテンコール。 第二曲目。90人近いフルオーケストラ。現代音楽用の特殊な打楽器なども並んでいる。
第三曲目:コープランドの小曲だが、35人ほどの弦楽器ばかりの奏者をバックに、向かって右にイング リッシュ・ホルン奏者、左にトランペット奏者を置き、今まで見たこともない演奏スタイル。バックの静かな弦の調べに、この二つの管楽器が絡むと、なかなか 捨て難い味が出て、素敵なのだ。トランペットが金管楽器らしい朗々と晴れやかに鳴り響くかと思うと、イングリッシュ・ホルンが、静かにしみじみと語りかけ てくる趣で、この落ち着いたきれいな曲も捨て難い味があった。 第四曲:これもオーケストラ形式での演奏は本邦初演の曲。手元にメシアンのフランス語の詩と日本語訳
が配られているので、曲の流れがわかって、それだけでも、余裕をもって聞けた。こんな配慮をどこの演奏会でもしてもらいたいものだ。これもフルオーケスト
ラで、現代音楽らしい、音色だ。そのフル編成のオーケストラに伍して一歩も退けをとらないのが、ソプラノの浜田理恵さんだ。彼女は無理のない発声で、済ん
だ暖かみのある美しい声色がオーケストラの音と渾然となって会場に響き渡り、心に不思議な感動を呼び覚ます。宗教的な感動とでもいうべきなのだろうか。
さて、演奏に満足して、同じビルの最高階の54階にあるフランス料理のレストランで、果てしなく拡 がる東京の夜景を眺めながらのディナーとなった。実はこのレストランには、以前に演奏会形式のカルメンを、このオペラシティを設計した柳沢夫妻ら五組の夫 婦連れと見たときにも、演奏会の後で来たのだったが、そのときは、話に夢中になって、これほどすばらしい夜景が眺められることなどとんと思いつかなかった のだ。遠くにお台場の観覧車のネオンサインも見え、その上あたりに羽田空港を離発着する飛行機のライトが点滅する。その手前には、東京タワーがオレンジ色 に輝いている。そのちょうど上空に満月に近い月が、大きく輝いている。 ワインも料理も美味しかった。 |
|
「眠れる森
の美女」を見て
|
|
1999/4/26 目白台の細川邸サロン
|
|
1999/4/26夜、村松英子が主宰するサロン劇場による和敬塾サロン第6回公演「眠れる森の美女」を妻と一緒に見に行った。作は ジュール・ペルヴィエール(フランスのノーベル賞作家)、翻訳は村松剛。演出は野村万之丞。主演は、村松英子、藤村俊二、山本亘他。 先日、『通産ジャーナル』誌上で、村松英子が対談しているのを読んだ。なかなかしっかりした演劇論を展開していて、興味を覚えた。そ の中で、彼女自身で劇団を主宰もしていて、今度こんな劇をやると、この劇のことを紹介していた。日程を見ると、まだ間に合うのと、山本亘さんから、ずいぶ ん前に、案内をいただいていたことを思い出して、行く気になった。 今夜は都合がよかったので、電話で劇場に照会してみたら、幸いまだ二人分の席が空いているというので、妻を誘って行くことにした。夜 の公演は今日で最後だから、今日を逃したら見るのを諦めなければならない際どさだった。今回は、明日の午後2時の公演が最終回なのだ。 この劇は、イタリアのコメディア・デラルテの手法を土台にした、半仮面を付けた仮面劇で、初めてのこころみであるという。以前、コメ ディア・デラルテの仮面劇を見て、とにかく動きが早く、精力的でどぎついほどオーバーな演技だったとの記憶があったので、この劇がどういうものなのか、興 味をもって出かけた。 場所は目白台の細川邸サロン。細川邸は、三階建ての大きな洋風の建物だ。和敬塾という大学生の寮と同じ敷地の一番奥まったところに
立っている。庭が広く、背の高い銀杏やケヤキの大木がたくさん植わっている。今時、これだけの屋敷が残っているのは珍しい。 導入部が終わると、観客はコロスに導かれて、待合室から隣の応接室(サロン)へ導かれる。そこは、観客が平土間の舞台を三方から取り 囲むように周りの椅子に腰を下ろすように設えてある。左右が二列13席、後方が5烈10席ほど。ぴったりの満席。入り口で当日電話で予約したはずの二人分 の切符が一枚しかなかったのも宜なるかな。 さて、その舞台の中央に椅子が6脚。その上に、仮面をつけた二人の俳優が彫像のようにピクリとも動かずに静止して座っている。人差し 指で自らを指すなど、決して楽な姿勢ではないが、観客が、全員席に着くまで、同じポーズを続けているのだ。ポーランドでみたレプリカという劇を思い出し た。(参照「観劇の感激」) 三幕物を一幕の一時間もののパロディに編集したという。サロン劇としての制約のためだろうが、ただ、この編集では、何をいいたいの か、テーマがはっきりわからなかった。全体に乗れないのだ。しかも、パロディといい、風刺劇を標榜するにしては、セリフの練り上げの不十分さが否めない。 要するに、ポール・サイモン流のリライトがなされていない(参照、読書の部屋の読後録、ポール・サイモン「書いては書き直し」)。明日が最終日というの に、駄洒落ていどのユーモアで笑ってくれと言うのは、いかにもお粗末だろう。たとえば、コロスAが、「シーザーって、沖縄の家の屋根の上にのっているお守 りのこと?」コロスBが「そのシーザーではなくて、ジュリアス・シーザーのシーザーだよ」と応ずる類。セリフを、自由奔放に、現在の日本、ドラキュラ伯爵 のルーマニア、環境問題などなど、いろんなところから、とってくるのはいい。しかし、それには、風刺と唱えるだけの一貫性と質的な高さがなければ、白けさ せるだけだ。 仮面は、それなりの重みを持っており、異界へ誘い込む魔力を秘めている。演ずる山本さんが決して山本さんに見えないのだ。世界の劇の
三分の一は仮面劇だという(終わってから山本亘さんに教えて貰った)。それなりの効果は確かにあって、仮面なしでは、おそらく、見るに耐えない劇が、それ
なりに見られる物にはなっていると思う。 今回の仮面は村松さんが付けたものを除けば今回の公演のために一人一人の俳優に合わせて彫ったのだという。デザインには、工夫は見ら れるのだが、少々奇をてらいすぎた面があり、欲を言えば、もう少し、完成度の高いものが欲しかった。仮面自体にもう少し魅力の感じられるようなものだった ら、もっと楽しめたように思える。 劇が終わってから、出演者を交えてのパーティが催された。小柄なきれいな女性が寄ってきて、「山本です」と挨拶した。亘さんの奥さん だった。「ハムレット」を見たとき一度だけ劇場でお会いしたことがあった。待合室で遠目に見たとき、どこかで見たことがあると思ったのは、そのせいだった のだ。後で聞くと、わたしの真っ白な髪で、覚えていたというのだ。早速、亘さんを呼んできてくれて、細川邸のテラスで夜風に吹かれながら、劇を巡って楽し い会話をすることができた。そのとき仮面を付けての演技や劇についていろいろ教えてもらったのだ。 帰りがけに、和敬塾の前にあるそば屋に寄った。 観劇の後、もう一度そこに寄って、天ぷらそばを食べた。これも天ぷらがエビ、人参、ちくわ、きす、とつき、量も申し分なし、そば湯も うまかった。店の人の感じがよくて、我々が、また来たのを覚えており、最初混んでいて、狭いところで食べていたら、すいてきたらすぐ広いところに変えてく れた。夜にそばを食べたのはずいぶん久しぶりのような気がする。
|
|
爽やかな弦の音で魅了 ロンドン室内楽オーケストラ |
|
(1998/10/8 於いて:王子ホール)
|
| 久しぶりに弦楽器だけのオーケストラを聴いた。切れがよく、実に爽やかな音だった。楽団員に親しみやすいムードがただよっていて、
すっかりリラックスして聞けた。大いに楽しめた。
ロンドン室内楽オーケストラ(London Chamber Orchestra:LCO)によるプライベート演奏会(1998/10/8、王子ホール)。このLCOは初来日だという。男性6人、女性8人で総勢14 人の小さな編成での来日だったが、音量はたっぷり豊かである。 第一バイオリンが音楽監督のクリストファー・ウォレングリーンを含め5人、うち女性2人。指揮者はいないので、ウォレングリーン が演奏しながらリードする。第二バイオリンは女性だけの4人。ビオラは男性だけの2人。チェロが男性1、女性1の二人。コントラバスが女性の一人。チェロ とコントラバスを除けば全員たったままで演奏する。身長体重も様々。大柄なのは男性では第一チェロと第一ビオラ。女性では、コントラバス。小柄なのは、女 性では第二バイオリンの一列めの右側の人。髪を真ん中からわけ、額が広く、まだ少女ぽい雰囲気がある。スカートに太ももまでのスパッツが入っているのがこ の人だ。男性の他の人は中肉中背。あまり小柄の人はいない。 服装は、全員黒という点では一致しているものの、その黒も色合いは様々、服のデザインも別々。男性の服装は白のワイシャツと黒のズボ ンは全員、同じだが、上着はダブルもあればシングルもある。ボタンを掛けた人も掛けていない人もいる。 女性もスカートもあればパンタロンも、膝までのスカートもあればロングのスカートもある。フレアスカートも、太ももまでスパッツの 入ったタイトスカートもある。上下の黒のトーンが同じのも、ちがったのもある。ワンピースもあれば、上下分かれているのもある。生地も繻子もあればビロー ドもある。銘々が好きなものを着ている感じだ。その意味でも格式ばらず親しみやすい。 最初に演奏された曲目は、モーツアルトのセレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K.525.この曲は非常にポピュ ラーなので、何度も聴いたような気がしているが、演奏会場で聴いた記憶はあまりない。しかし、全4楽章を通して聴くと、そのメロディーの豊富さに改めて驚 かせれる。爽やかでリズムカルな生演奏で聴くと改めて名曲であることを思い知らされた。 二番目はグリーグの小品二曲。「2つの悲しい旋律作品34」叙情味のあるメロデイーのなかに、重く、激しい感情がたゆたっている。北欧 の雲が低く黒く立ち篭めた冬景色を思い浮かばせる。 三番目に演奏された曲目がヴィヴァルディの「4つのバイオリンとチェロのための協奏曲」ロ短調RV580。バイオリン奏者が四人横 に並ぶ。バロック時代の弦の響きは、同じ作曲家の四季などでお馴染みだが、どことなく風雅で楽しい。バイオリン演奏者が入れ代わり立ち代わり弾く感じで、 見た目にも楽しい。 音楽監督を勤めるウォレングリーンのバイオリンは1725年のGuarneri del
Gesuということであるが、まろやかな古酒の味わいのある音色で、音量が豊かで音色の幅が広く、さすが音楽監督と思わせる、引き付ける魅力がある。第二
のソリストは第一バイオリンのグループで、音楽監督のすぐ左隣にいる女性。眼鏡をかけ、一見、学校の先生を思わせる風貌をしており、演奏は真面目タイプ。
第三のソリストは、第一バイオリンのグループで、音楽監督のすぐ後ろにいる若い金髪の女性である。背中を大きく出した、ワンピースのパンタロンを着てお
り、演奏者のなかでは一番の美人である。演奏には自由でのびのびしたところが感じられた。第四のソリストは第二バイオリングループのトップの女性で、色白
で、鼻が高く鉤鼻である。力強い演奏振りだ。 休憩のあとに四番目に演奏されたのが、カール・シュターミッツの「フルート協奏曲ト短調作品29」フルートは山形由美さん。京人形を 思わせる整った美形で、堂々とした体躯の人。黒のブラウスのうえに左から右へピンクの布を大きく巻き付け、そのまま全身を覆うドレスに仕上げたデザインの 服で登場した。そのピンクの布地で左肩で大きな蝶リボンが結ばれている。 シュターミッツという作曲家については、寡聞にして知らなかったが、いい曲だった。弦とフルートはよく合う。どちらも爽やかで、幸せ
な音色だ。聴いていると、心が天上へ舞い上がっていく。前から三列目で演奏者の表情がよく見え、フルート演奏者の息遣いが聞こえるところもいい。 この王子ホールは初めてであったが、室内楽を聴くには手頃な広さで、響きも申し分ない。休憩時間には、ホールの右側のドアが開いて、 ロビーに直接出れる構造も、いい。王子製紙が作ったものだが、企業の文化活動も大変いいものを生み出している。 山形さんは、演奏しているときは、集中していて能面のようだが、終わって拍手に応えるときになると、にっこり笑い、愛くるしい。独奏 部分になると他の演奏者は、独奏者を食い入るように見つめている。見つめられる独奏者は大変だと思ったことだ。 最後の曲はチャイコフスキーの「弦楽合奏のためのセレナード ハ長調作品48」 ウォレングリーンは演奏しながら、あちこちのパートに指示を与えている。第一バイオリンには振り返って合図を送る。すぐ後ろにいるパ ンタロンの女性とは、ほらもっとちゃんと弾きなよといわんばかりに、マジメ顔でにらんでみたり、そうそうその調子、うまいうまいと微笑んだりする。女性の 方もまけていないで、何をおっしゃいますかと監督のほうへつっかかっていくような素振りをして、にこっと笑ったり、あら、あなたの方は大丈夫といった顔で あしらったりする。二人の間には、いいムードがただよっている。特別の関係にあるようだ。 この第一バイオリンのグループには、一番奥に赤毛の髪を奔放に掻き揚げたような若い男性がいる。演奏も奔放なようだ。もう一人の男性 は、地味な感じで真面目に演奏している。 楽団の仲で、一番はでな動きをするのは、コントラバスの女性演奏者である。楽器が大きいことも手伝っているが、手足を大袈裟なほど大 きく動かす。見るからに曲にのめり込んでいる風情が立ち上っている。顔の表情も豊かで、曲想に合わせて変え、頭の動きも激しい。スカートは膝まで、10セ ンチもありそうな、細いハイヒールを履き、ボリュームたっぷりなバストをしており、歩くときは、かなり凹凸のある体をゆするように歩く。 第二チェロの女性も、目をむくような表情で、監督の動きを追う。独奏者を見つめる。これも集中している証拠なのだ。隣の第一チェロの 男性は、赤毛の髪を左側で大きく7:3に分け落ち着き払って弾く。表情はほとんど変えない。 ビオラの二人の男性は、一方が大柄で真ん中で左右に分けた髪には白髪が混じっているが、甘いフェースで、なかなかハンサム。一方
は、中肉中背。実直そのものの顔立の人。 演奏会が終わって、演奏者とのパーティがあった。これがプライベート演奏会のいいところである。 コントラバスの女性には、大変ネルギッシュな演奏だった。すごい集中ぶりでしたね、というと、楽器が大きいし、あのくらい思い切って 弾かなければならない。自分でエネルギッシュに演奏しなければと思ってそうしているのという。 私のすぐ傍らに、小柄で細面のチャーミングな女性がいる。白い顔が赤く染まっていて、眼鏡はしていない。 「あなたも大変な集中振りでしたね」 学校の先生のほうは、わたしはすぐ左隣なので、あんなふうに振り返ってもらえないのとジョークをいう。 彼女は、ロンドン出身で、三才のときからバレーを始め、五才でバイオリンをはじめたという。ピアノもまあそこそこには弾く。インター ネットは見るかというと、息子がパソコンを持っていると言うので、水彩画でも見てもらおうと、わたしのホームページのアドレスをあげた。 チェロの女性は、最初ピアノから始めて、バイオリンに挑戦し、それが複雑すぎたので、10才の時にチェロに変えたのだそうだ。いろい
ろ夢があって、宇宙飛行士にもなりたかったし、チョコレート工場のオーナーにもなりたかったという。 コントラバスの人がエネルギッシュで一番印象的な演奏だった、というと、彼女は、凄い人で、ロンドンフィルでも演奏していてナンバー
ワンだという。この楽団の女性陣のリーダー格だという。自分の一番の親友で、いつも一緒に行動している。彼女と電車にも乗ったが、日本人はポライトで親切
で、好きだと言う。わたしが、イギリスをドライブ旅行したことがあるが、イギリス人も大変親切で景色も美しかったというと、 日本食では、お寿司が大好きでつぎの演奏地である名古屋にいい寿司バーがあるかしらと心配している。 ちょうど通り掛かった、このコンサートの主宰者で旧知のヴィクが、名古屋は400万人もの大都市で、トヨタの本拠地でもある。いくら でも美味しいところがある、心配ない。というと安心したようだ。ヴイックによると、彼女は歌声が素晴らしいらしい。是非「川の流れのように」を歌わせたい という。「三大テノールも日本で講演したとき、歌った曲だ」とわたしが言うと、あれはオペラ的で、演歌のフィーリングを出すのはなかなか難しいという。彼 女も挑戦してみたいようだ。 チェロの女性は、日本がすっかり気にいったという。また、来たい。今回はスケジュールがいっぱいで、自由時間があまりとれないとい
う。 監督とあやしいムードの第一バイオリンの女性がいたので話し掛ける。ワインが入って、すこし、上気している。 「監督とは特別の関係のようですね」 隣の第二バイオリンの若い女性は、舞台では一番奥で、私の席からはあまりよく見えなかった人だ。赤毛を真ん中で分け髪の先のほうをく
るりと上向きにカールさせている。丸い健康そうな顔付き。出身はブライトンの近く。海岸に長いピアがありますねというと、「そうゲーム機械ばかり、一杯」
と。 「水彩画は見て楽しめてもほかは日本語で書いているから、ちょっと無理でしょう」 「いや、心配ない。日本人の友だちがいるので、訳してもらえばいい」 ついつい話し込んで、気付いてみるともう客の数もまばらになっている。 ちょっとここで LCO紹介をしておくと、創設は1921年。ストラヴィンスキー・ドビュッシー・プロコフィエフ・ラヴェル・プーラ ンク・メシアンなどを含む100を超える作品の初演を行うなど、現代作品を中心とした公演で高い評価を得た。 1988年から、ウォレングリーンが音楽監督に就任し、イギリス国内の若きソリスト達で構成された指揮者をおかないアンサンブルとし て新たなスタートを切った。今回は弦楽アンサンブルの編成で待望の初来日である。
|
|
|
|
『お気に召
すまま』を観て
|
|
(1998/10/9)
|
|
新宿の私の家の近くにある東京グローブ座で、10月9日、Shakespeare's Globe Theater CompanyのAs You Like It(ルーシー・ベーリー演出)を観た。 昨日は、ロンドン室内楽オーケストラを聴いたのだ。重なるときは重なるものだ。きわめて文化的な週末である。 この劇は、ロンドンに再建されたグローブ座のこけら落としの出し物になったもので、同じ劇団が、東京グロ−ブ座の10周年記念にやって きたのである。 グローブ座の入り口にはかがり火が炊かれている。たちまちシェークスピアの時代につれていかれる。 今回、はじめてこの劇を観たのだが、劇はシェークスピアの劇らしく、思いも掛けない方へと展開する。シエクスピアは、男装した女が、 当の相手の男性に、本人と気付かれずに、表白するというシチュエーションを生み出すことによって、恋に落ちた女の気持ちを、じつに生々しく、描き出すこと に成功している。 この劇も、例によって、溢れるような言葉と、観客をとことん楽しませようとのサービス精神で満ちて溢れている。観客を飽きさせまい と、あらゆるものが突っ込まれている感じだ。説得力のある人物造型と意表を突くストーリー展開。 人間のもっとも根源的な愛について、原始的なエネルギーを感じさせるほどの迫力で、えぐり出す。 この劇にも、あちこちに、人口にかいしゃした名セリフが出てくる。「この世界はすべてこれ一つの舞台、人間は男女を問わずすべてこれ 役者にすぎぬ」(小田島雄志訳)とか、人間には7つのステージがあるなど。 印象的なのは、このグロ−ブ座の構造をうまく生かし、舞台の使い方が非常に立体的で巧みな点だ。テレビのような二次元の世界でやって いるようなドラマが多いが、この劇は、自分の後ろにも目配りが必要なほど、三次元的なのだ。 ロンドンのグロ−ブ座並に、舞台の前に広い立ち見席(平土間)をしつらえ、舞台の前面には土間との間には階段を設けて、俳優が自由に 上がったり降りたりできるようになっている。立ち見席にいれた観客を、そのまま、劇中の観衆に見立てて、その中でレスリングをやるのだ。男優は、まるで本 当のレスリングのような、きわめて現実感のある演技を展開する。その俳優の激しい動きに合わせて観客も動かざるをえない。舞台と観衆の垣根が取り払われ て、きわめて親しみやすい空間が生まれる。 エリザベス朝様式の華麗な張り出し舞台の両脇に二本の円柱が立てられているが、それが劇にも巧みにりようされているし、観客の目から 俳優を隠すことによって、逆に舞台に深みを与えている。 舞台の二階のテラスや客席の三階席からも、楽士が音楽を奏でる。これも、劇場を立体的に使った演出だ。音楽は素朴な親しみやすい曲だ し、舞台でも俳優がよく歌うのだ。 舞台の天井は赤と黄色でチェスの盤のように塗りわけられているが、その一部が引き上げられ、そこから、枯れ葉が捲かれる。何となく、 素朴なよさがある。舞台は次第に枯れ葉や、放り出されたりんごなどで埋まっていく。 コスチュームは17世紀の本格的なデザインで、作品にマッチして、舞台効果を上げている。 幕間の休憩時間には、劇場の入り口のかがり火が焚かれている辺りで、古い楽器をつかって演奏があった。演奏社の服装も17世紀のもの だ。バイオリン。短い縦笛。フルート。先の曲がった笛の組み合わせ。曲に合わせ、女性が踊る。結構ボリュームのある女性だが、実にしなやかに踊る。曲は典 雅な曲である。この楽団は、劇の中でもじつによく活躍する。二階のテラスから、三階の客席から。 さて、劇が終わって、出演者とのパーティが催された。 Sharon Lindo(Voice,Wind and
Strings)さん。彼女は、腕に抱えるようにしてバイオリンを弾いていたので印象に残っていた。小柄で、細め。顔つきは主演のAnastasia
Hilleに少し似ている。 David FielderはTouchstone いわゆる道化(a Fool at the Duke's court)役をやった俳優だ。しかし、道化のだぶだぶのコスチュームを脱ぎ、顔のドーランを落としていると、まったく気付かなかった。精悍な顔つきをし て、がっしりとしたいかにも精力溢れる体躯をしている。髪は後ろに束ねている。 3時間に近い公演で大変ですねと言うと、昨日は、5時間の歌舞伎を見た。団十郎がとく良かった。今回が初めての来日だが、歌舞伎は凄 い。日本も気に入った。また、来たいという。 道化は、シェイクスピアの時代、実際に、失うものがなにもないので、どんな権威者のまえでも、いいたいことを言い、やりたいことをや りえた。そして、foolがwiseに転換する。シェイクスピアは実にうまくfoolを、劇の中でつかっている。 今回と同じようにあちこちの入り口から登場するような、演出が当時も行われたかと質問すると、それは疑問だという。昔はコシチューム
は高額だったから、エントランスのところで、衣装を替え、脱ぎ捨てたりしたら、持って行ってしまわれる危険性があったので、あちこちの入り口から登場する
ような演出は出来なかったかもしれないという。 彼は、舞台ではきわめて精力的に動き回る。声量も豊か、印象的な俳優だ。休憩になるときなど、片言ながら、『20分、休憩でーす』な
ど、日本語で案内をする。立ち見席の観客に休むようにいい、階段に腰掛けて、ポケットから、おそらく日英会話虎の巻みたいなものを取り出し、近くの観客に
話し掛けたりしていた。サービス精神旺盛なのだ。 酒が好きで、公演が終わると近くで皆と飲むという。あの晩、私は自分の家まで歩いて帰ったのだが、グローブ座の近くの路上で彼に会い、
別れの挨拶を交わし、これから、皆で、お酒ですかと聴くと、きっとそういうことになるだろうといった。 次に、はなしたのが、Anastasia Hilleさんである。主役のRosalind役をやった女優である。 <To Abe,with best wishes and love. good luck with the
fuyuture<BR>Anastasia Hille(ROSALIND)>。 彼女の演技はすばらしかった。最初舞台に、出てきたときには、お嬢さんのドレスを纏っていた。額には汗と幾筋もの横のしわが目立った が、Orlandoと巡り会う頃からしわも目立たなくなり、主人公らしい落ち着いた演技を見せ始める。男装し,Orlandoとやり合う場面等、軽妙で女 心を滲ませ、秀逸だ。お尻を半分むき出すにする場面もあるが、品があり、微笑を誘う。 最後に話したJonathan BondはOliver役をやった俳優だ。スリムで細面。一見華奢な感じがする。やさしいものの言い方をする好青年だ。 役者はイギリスの各地からあつまるのかと聴くと、そうだ、イギリスの各地から集まっているという。アイルランドの人もいる。(と、あ る女優を目で追った)。 今年の四月に稽古に入り、ロンドンのグローブ座で五月から公演した。(この『お気に召すまま』が、こけら落としの演目だったのだ)。 日本が最後の公演らしい。 長期間一緒に公演したので、皆大変親しくなった。良い人ばかりだ。来週には公演が終わり、みんな別れ離れになり、それぞれの本拠地に 戻っていく。 この劇のテーマは愛だ、と最後に彼が強調した。 Thank you for coming to our Show.Best regards。Jonathan
Bond(OLIVER) 大いに、劇にもパーティにも、満足して、新宿の夜の町を、我が家まで、歩いて帰ったことだ。すっかり汗をかいてしまったが。 |